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2018 FIFAワールドカップの舞台ロシアの旅−モスクワの今昔
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 サッカーの2018FIFAワールドカップが6日前の6月14日からロシア各地で始まっている。東ヨーロッパでは初めての開催で、開幕の試合、グループAのロシア vs サウジアラビアはモスクワのルジニキスタジアムで行われた。開催国のロシアが5−0と圧勝し、観戦したプーチン大統領はご満悦であった。一方、グループHの我が日本は昨日(20日)サランスクで格上の強豪国コロンビアと対戦し、なんと2−1の番狂わせ(?)で勝利した。大金星である。

 このワールドカップの参加チームは全部で32で、開催都市は首都モスクワをはじめ、サンクトペテルブルグ、カリーニングラード、カザン、ニジニ・ノブゴロド、サマーラ、ヴォルゴグラード、サランスク、ロストフ・ナ・ドヌ、ソチ、エカテリンブルグの合計11都市である。特にモスクワは先述のルジニキ・スタジアムに加え、スパルタク・スタジアムでも試合が行われ、会場は合計12である。筆者はサマーラとサランスクを除き、9都市を訪問済みである。

 

  

    モスクワのルジニキスタジアム   サランスクのモルドヴィア・アリーナ

                                                               (ネットより転用・加工済み)

 

 実は272ヵ国・地域を制覇した私ことワールド・トラベラーが初めて異国の地に足跡を残したのは、商社マン時代で今から49年前の1969年1月〜2月、当時はソ連の首都であったモスクワへの業務出張であった。その後2013年6月までに5度も同地を訪れており、数あるロシアの都市から今回はモスクワに絞ってその今昔などを紹介したい。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆ 

 

 初めてモスクワを訪問した1969年の頃はソビエト連邦という社会主義国家体制下にあり、東西冷戦下の厳しい暗黒の時代であった。モスクワ以外の他の都市や地方へ出かける事も許されず、泊まったホテルのロビーでは秘密警察のKGBが絶えず外国人を監視チェックしていた。また、物不足がひどく国営百貨店グムの商品棚には売るべき商品がほとんど無く、値段は高いが品物が豊富な外貨ショップに人気があった。
      週末や平日の暇な時を利用した市内見物は、格好の気分転換になったが、趣味の写真撮影は厳しく制限され、橋や工場などを撮影しようとすると注意された。寒くて長く感じた夜は、ウォッカを飲んで体を温めたり、本場のバレエ鑑賞などをして退屈を凌いだ。観光したスポットは、クレムリン、赤の広場、グム百貨店、聖ワシリー寺院、レーニン丘、ボリショイ劇場、全ロシア展覧会センター、アルバート通りなど。

 

    −−− 1969年モスクワ滞在中の懐かしきスナップ −−−

  

      赤の広場    クレムリン(勤務先の     レーニン丘

             現地事務所の秘書と)

 

 モスクワ 観光のハイライトは、何と言っても赤の広場である。狭い日本から来ると、長さ695m、平均幅130の広大な広場と、全長2kmを越す城壁に囲まれ広場に面する巨大な建物クレムリンのスケールの大きさにただ驚くばかりであった。当時アメリカと並ぶ超大国、ソ連の力を改めて思い知らされた。広場の南側に建つ聖ワシリー寺院は、生まれて初めて見るねぎ坊主型の教会だ。高さが47mもある1本のネギ坊主の周りに、8本のネギ坊主がぐるりと取り巻く。一見アンバランスに映るが、それでいて妙に調和が取れているのが面白く、なんとも不思議でならなかった。しかもちょっと恐ろしい逸話が残っており、完成した美しい聖堂を見た雷帝は、2度と同じものが造れないようにと設計者の目をくり抜いたと言うのだから驚きである。

 

 終生忘れ難いのは、バレエを鑑賞するために訪れたボリショイ劇場だ。ある日マイナス30度の酷寒を吹き飛ばそうと、夕刻の早い時間からウォッカをたらふく、しかもストレートで飲んだ。アルコール度数は60度、いや70度はあろうか、マッチの火を近づけると燃えるほ

どで「火酒」とも呼ばれる。その後あの有名なボリショイ劇場で「白鳥の湖」のバレエを鑑賞を終えて外に出た。 

 ところが、飲み過ぎていたのか足元がふらつき、凍った路面でしたたか頭を強打した。幸い大怪我に至らずホッとしたが、転んだ時に痛くも何にも感じなかったのは、強烈なウォッカが持つ魔力であったかも知れない。本話の詳細は幣著書『トラベル・イズ・トラブル』をご覧頂きたい。

 

 さて、1991年12月のソ連崩壊後にロシアを27年ぶりに再訪したのは、1996年9月の旅であった。モスクワの象徴的なスポット、赤の広場は昔のままの佇まいでホッとした。赤の広場に面し熾烈な権力闘争が広げられて来たクレムリンは、 ロシア語で”城塞”を意味する。広場からその外観だけを観光する人が多いが、この時は赤い城壁内を隈なく見学した。クレムリンは1156年に木造の砦を築いたのが始まりで、その後14世紀と15世紀に拡張されて現在の姿になった。見どころは多いが、ロシアの歴史を収蔵する武器庫と称される宝物殿や、1479年に完成したかつてのロシア帝国の国教大聖堂とされたウスペンスキー大聖堂の見事なフレスコ画、イワン雷帝の個人礼拝堂であったブラゴヴェッシェンスキー聖堂などが必見だ。

 

  

   聖ワシリー寺院   ウスペンスキー大聖堂     グム百貨店

  前に立つ筆者

 

 広場の東側に建つ1893年築のグム百貨店も久し振りに訪れたが、冷戦時代に比べ品数が随分豊富になり店内は華やかになっていた。広場を挟んで百貨店の対面にあるのがソ連を誕生させた革命家レーニンの墓所、レーニン廟である。廟内に入り階段を下りると、ガラス棺に安置されたレーニンの遺体がある。広場の北側には国立歴史博物館があり、その裏はマネージ広場で人通りが多く賑やかだ。因みに、モスクワ市街の一望は、クレムリンから南西6kmほど、モスクワ川が大きく蛇行する所の右岸にあるヴァラビョーヴィ丘(雀が丘)が一押しだ。ソ連時代はレーニン丘と呼ばれたが、すぐ近くに建物が壮観なモスクワ大学のキャンパスがある。

 

  2001年7月以降の3度の旅では、主に赤の広場一帯以外のスポットを回った。モスクワは環状道路が発達した、投げ矢のダーツ・ゲーム盤のような構造の大都会である。街の中心を蛇行するように貫流するモスクワ川に架かるボリシャヤ・カーメンヌィ橋は、威容を誇るクレムリンや聖ワシリー寺院がバッチリ眺望できる絶好ポイントだ。橋の反対側は、ロシア最大の大聖堂である救世主キリスト聖堂が間近に見える。モスクワ川を挟んでこの聖堂から東600mほどにあるのがトレチャコフ美術館(旧館)で、ロシアの美術館ではエルミタージュ美術館と双璧をなす。12世紀以降のロシア美術の名作が数多く収集され、レーピンの「イワン雷帝と息子」などが有名だ。

 

   

ボリシャヤ・カーメンヌィ トレチャコフ美術館   ヴォデヴィッチ修道院

橋よりクレムリンを望む    (旧館)

 

 ノヴァラビョーヴィ丘の北約1m北にあるヴォデヴィッチ修道院は、元来はクレムリンの出城であった。16〜17世紀のロシア建築を代表する建物が集まっており、特に美しい5つのドームを持つスモーレンスキー聖堂と鐘塔が目を引く。意外な見所は修道院の裏にある墓地である。ゴーゴリー、チェーホフなどのほか、フルシチョフなどの大統領や家族も眠っている。また、故人が得意のポーズを取って今でも生きているような錯覚を起こさせるのが、なんともユニークで面白い。

 

 モスクワの今昔で一つ気になることがある。空港の入国審査や預けた荷物の受け取りで長時間待たされ、また空港内の照明が暗いことは、1969年の最初の訪問でも2013年の直近訪問でも全く同じであった。その後は出かけていないので知るよしも無いが、最近は少しでも良くなったのであろうか?去る5月に通算4期目の長期政権をスタートさせたプーチン大統領は現代版のロシア皇帝ツアーを彷彿させるが、同大統領が本気になれば空港問題は即刻改善されるのではと思うのだが・・・。現状は如何に?
 

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 次回のブログは日本代表のベースキャンプ地になっており、筆者が2005年9月に旅したカザンを紹介予定である。乞うご期待! 

 

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| 世界の旅− ロシア・東欧 | 20:29 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
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    高さん こんにちは!
    ロシアは知りませんが、1996年4月イタリアに行く時、モスクワの空港でトランジットで降りました。
    薄暗い空港内、天井も汚く、おまけにイミグレーションの女性官の態度の横柄なこと。売店の売り子も威張っていて、嫌な思いをしました。
    | 相子 | 2018/06/24 4:30 PM |
    相子さん
    全く仰る通りです。
    国民全員が公務員であった社会主義時代の悪弊が、
    ソ連崩壊後も残っていました。
    しかし、個人的には憎めないところがあり、
    ロシア人は偉大なる田舎者と言われる様です。
    | 高 | 2018/06/25 1:11 PM |
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