世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
死語になった(?)民主主義とゆかりの地
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 本年冒頭に思ったのは、民主主義という言葉が死語になったのでは?である。米国のオバマ大統領は一昨日の退任演説で自身が成し遂げたレガシー(遺産)を強調し、さらに民主主義についても触れたが何か空虚なものを感じた。世界を見渡しても、近年の民主主義は国民のために、また国民のものになっているであろうか?

 一方、過日新年の挨拶に来られた自民党の衆議院議員の秘書から、平成29年 2017のカレンダーを頂戴した。そのカレンダーの左下部は安倍晋三首相の大きな上半身写真が載っており、寛いだ余裕あるポーズである。一方、右下端に「政治は国民のもの 自民党」と立派な名文が記されているが、「政治は国民のもの」の字が見落としかねないほど極端に小さい。何故もっと目立つような大きな字にしなかったのか、不思議でならない。

今年の自民党カレンダー

 もっとも自民党一強(と言うより安倍一強)になってから、安全保障関連法成立、駆けつけ警護付与の閣議決定、環太平洋経済連携協定(TPP)成立、統合型リゾート推進(IR)法案(いわゆるカジノ法案)成立など、数の力に任せた強引なやり方が気掛かりでならない。どう客観的、或いは公平に見ても国民不在の、今流行りで言えば、「国民ファースト」を無視した政治手法と言わざるを得ない。自民党もこの件は自覚し、遠慮して「政治は国民のもの」を小文字にしたのであろうか?

 

 戦前生まれの筆者は国民学校2年の時に、原爆投下などで多数の犠牲者を出した終戦を迎えた。学童疎開の経験もある、いわゆる戦中派である。敗戦後、国民学校は小学校になり、中学校まで耳にした最も新鮮な言葉は「民主主義」であった。民主主義とは、とどのつまり多数決であることを学んだものだ。クラスなどでの話し合いも、最後は全員挙手して決めたので文句は出なかった。この民主的とも言える多数決につき、世界が大揺れする激動の時代を迎えている。

 例えば、昨年のアメリカ大統領選挙や欧州連合(EU)離脱を決めたイギリスの国民投票では、終わった後でこんな結果は受け入れがたいと言い出す人たちが大勢現れた。また、街頭デモをして”民主主義って何だ”と叫び、選挙結果を受け入れようとしない。多数決で出た結論は多少不満があっても従うのが一応の民主主義だが、近年は多数決に基づく民主主義が国を分断するような憂うべき事象が起きている。特に、トランプ次期大統領を誕生させた過日の米大統領選が代表例。

 

 さて、難しいお話はこれくらいにし、民主主義ゆかりの地をいくつか紹介しよう。先ず、Democracyの訳語は民主主義だが、この源となった言葉がギリシア語のDemokratiaである。demoは「人民」を、kratiaは「権力や支配」を意味する。つまり民主主義は、人民が権力を有する人民主体の政治を意味することになる。その舞台となったのは、古代ギリシアの都市国家、アテネとされる。

 ギリシアに関しては、2012年6月26日付けのブログ「ギリシアへの誘い−神話と太陽の国の経済危機 」で紹介済みだ。一部重複するが、今回はアテネに絞ってみたい。この街を訪れたのは1975年1月と2001年5月の2回だけだが、ほぼ隈なく回った。同国の首都であり同国最大の都市でもあるアテネは、古代遺跡が数多くあるヨーロッパ文明の源流の街として知られる。見どころがタップリで、世界の旅人を飽きさせない。

 

 いくつかの小丘からなる市街地の中心は、標高165mのアクロポリスだ。「高い丘の上の都市」を意味し、神殿がある聖域や都市国家ポリス防衛の要塞として約2500年前に建造された。参道を登って行くと前門のプロピレアが建ち、重厚なドーリア式と優雅なイオニア式の対照的な柱がある。また、アクロポリスの丘の上から眺めるアテネの街並みが美しい。

 ここを通過して進むと目前に建つのが、紀元前438年に完成した古代アテネの栄光を象徴するパルテノン神殿である。アテネの守護神アテナを祀った神殿は、横31m、縦70m、高さが10mもある柱の下部直径は2mもある。ドーリア式の石柱に囲まれて建つ雄大な姿は、巨大な列柱と46本の柱の数に文句なしに圧倒される。

 

   

         アクロポリスを望む       パルテノン前に立つ筆者

 

 丘の南側にあるイロド・アティコス音楽堂は161年に造られたが、今も使われて現役で頑張るからスゴイ。ここで夏になると、様々なコンサートやオペラ、演劇やギリシア古典劇が上演される。この音楽堂から東へ少し歩くと、ディオニソス劇場がある。紀元前6世紀にできた劇場は15000人も収容する大きなものであったが、今は遺跡として残されているだけだ。

 

 ギリシア各地の古代遺跡を見学に出かける前にお薦めしたいのが国立考古学博物館。壮麗な外観の建物に加え、クレタ島を除くギリシア各地ほとんどの遺跡の出土品が数多く展示されている。特に先史時代からミケーネ時代のコレクションが充実しており、ミケーネ時代のアガメムノンの黄金の仮面や長い間海中に沈んでいたギリシア神話のポセイドン像などが見逃せない。

 ギリシアと言えば、オリンピックの発祥地であろう。アクロポリスから1km余り東へ向かうと、1896年に第1回近代オリンピックの会場になったアテネ競技場がある。古代の競技場に近い形で復元されており、トラックは現代のものとは違う馬蹄形をしているのが興味深い。因みに、古代では観客席は無く、観客は土手の斜面に立っていたとか。

 

   

         イロド・アティコス音楽堂           アテネ競技場:1974年12月

                      クウェート駐在時代に家族と旅行

 

 次に、世界最初の民主議会が開かれた地をご存知であろうか?それはアイスランドのシンクヴェトリルで、「議会平原」という意味である。筆者は1996年2月と2003年8月〜9月の2度にわたりアイスランドを訪れたが、記憶に残るスポットがあった。それはシンクヴェトリル国立公園で、首都レイキャビクの北東50kmほどにあり世界遺産にも登録されている。間欠泉のゲイシール、豪快な滝のグトルフォスとともにゴールデンサークルと呼ばれ、人気の観光地だ。

 歴史的には、930年に世界最初の民主議会「アルシング」が開かれた平原として有名である。アルシングの開かれた場所の後ろには高い崖がそびえており、また岩に囲まれていることで遠くまで声が届くことからこの地でアルシングが開かれたそうだ。因みに、この辺りではギャウという地球の割れ目を見ることができる。このギャウはユーラシアプレートと北アメリカプレートに引っ張られることでできた巨大な割れ目で、アイスランドのほぼ中央を南北に貫きシンクヴェトリルが最大規模だ。

 

   

         地球の割れ目ギャウ       シンクヴェトリルのギャウに

                       恐る恐る近づく

 

                                  ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者ことワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−    

      

 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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| 世界の旅−全般 | 11:09 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
54ぶりの初雪と世界の雪慕情
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 今朝遅めの9時半すぎに起きて眠たい目を擦って見たところ、住んでいるマンションのルーフバルコニーは一面の雪景色が広がっていた。前日の天気予報の段階で降雪の可能性が報じられていたとは言え、54年ぶりと言われる初雪には驚きを禁じ得なかった。まだ紅葉が十分堪能できる時期なのに、積雪までする季節外れの珍事である。

 初雪と言えば、2013年1月15日付の幣ブログ「初雪と世界の雪景色」で紹介済みである。東京辺りの初雪は、普通は12月下旬から1月中旬にかけて降るものだ。間もなく80歳になる我が人生において11月に雪が降るとは全くの初体験で、これも地球温暖化に伴う異常気象なのであろうか。 北極海の氷の減少が主因とも聞くが・・・。

 

        −−− 2cmほど積雪したルーフバルコニー −−−

  

       

 振り返って54年前の今日、1962年11月24日、筆者は大阪に住んでいた。この年の春に大学を卒業し社会人となり、また商社マンとしてスタートし元気溌剌としていた。同日の大阪のお天気は晴れで、最高気温は11.7度、最低は2度であった。寒いとはいえ東京のように雪は降らず、それだけに11月の降雪は生まれて初めてである。

 一方、雪と言えば世界を股にかけて旅してきた私ことワールド・トラベラーには、海外でも雪に纏わる様々な想い出がある。上記の前回のブログと重複するところもあるが、再度紹介しよう。

 

     ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 雪が降ったため最も難渋したのは、2003年1月にモロッコを旅した時のこと。ヨーロッパからアフリカに渡ろうと、ヨーロッパ大陸の最南端に近い英領ジブラルタルからフェリーで海峡を渡りモロッコに入国した。その後、世界最大の砂漠サハラを目指したが、その手前で背骨のように横たわる標高2000m〜3000m級のリフ山脈やアトラス山脈を越えなければならない。

 上陸したモロッコの海の玄関口のタンジールなどの平地では暖かったが、車でどんどん高度を上げて山越えしようとすると寒くなってきた。そして2000m以上になると雪が降り始め、標高2178mのザード峠ではかなりの積雪があり走行が困難となった。一般的に温暖と言われるモロッコだが、実際はそうではないことを知ったのはこの時だ。その後なんとか凌いで砂漠の拠点の町エルフードに着くことができた。

 

 雪と言えば、極地の旅を思い出す。1995年1月に南極に出かけたが、1月の南極は夏で気温は−5度〜+5度くらいで酷寒ではな。意外に快適だが、ひとたびブリザードという暴風雪が吹くと気温は一気に10〜15度下がり、前が見えなくなり歩行困難になる。

 

      −−− 雪景色を愛でるワールド・トラベラー −−−

   

          モロッコ:ザード峠       南極:パラダイス・ベイ

 

 一方、1995年7月には、原子力砕氷船で北極点到達を目指し向かった。途中でフランツ・ジョセフ諸島に上陸し、遭難死した探検家碑を訪ねた時だ。視界を遮るようなに猛烈な吹雪になり、身動きが取れなくなった。寒さで震え通しで息苦しくもなり、極地の自然の怖さを思い知らされた。

 

 最も幻想的な雪景色と言えば、アイスランドの氷結した滝が一押し。1996年2月にオーロラを観測するため、アイスランドを訪れた。同国は北極圏の縁に位置するため本来は酷寒であるべきだが、メキシコ暖流の影響で高緯度の割りには極端に寒くはない。お天気が良いと日中の気温は零下にならないが、少しでもお天気が悪くなると温度は急激に下がり雪が舞う。
 首都レイキャヴィックから100kmほど東郊外にある「黄金の滝」とも呼ばれる
グトルフォスの滝では、凍て付く寒さで体が震え通しであった。夏場は轟音と共に流れ落ちる豪壮な滝も、冬になれば完全に凍結して見事な氷の芸術作品を演出する。滝の轟音も無い静まり返った世界に広がる幻想的な雪景色に、思わず息を吞んだ。

 

   

   北極点:フランツ・ジョセフ   アイスランド:グトルフォス滝

     諸島の探検家碑   

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

  世間には雪が降って困るという人が多いが、元気な子供たちは別格だ。早速、近所の「ことはちゃん」という可愛い女の子の幼稚園児が遊びに来た。寒さを物ともせずルーフバルコニーで雪合戦しようと誘われたが、雪を投げつけられる一方で逃げ回った。滑って転ぶことを警戒するあまりか逃げ切れず、老いる身を痛感した次第だ。

 

                         ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

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| 世界の旅−全般 | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
伊勢志摩サミットと過去のサミット開催地を訪ねて
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 物々しい厳戒態勢の下、愈々G7、主要7ヵ国首脳会議の伊勢志摩サミットが明日5月26日から27日まで開催される。G7とはGroup of Sevenの意味である。顔ぶれはアメリカのオバマ大統領、フランスのオランド大統領、イギリスのキャメロン首相、我が日本の安倍晋三首相、ドイツのメルケル首相、イタリアのレンツィ首相、カナダのトルドー首相である。カナダやイタリアの首脳は若く、なかなかのイケメンだ。
 
  今回のサミットでは、世界経済の持続的な成長、テロや難民問題への対応、南シナ海や東シナ海の安全保障、北朝鮮問題、租税回避などがメインテーマになり

そうだが、2日目の27 日は東南アジアやアフリカの首脳らを交えた拡大会合を開き、アジアの繁栄などにつき意見交換される。また、パナマ文書で世界が騒然になったタックス・ヘイブンにつき、関与が指摘されている英国首相が出席するだけに真摯に討議されるだろうか? 
  (サミットの舞台・賢島)

  1975年から始まったこのサミットは世界に影響を与える国際的な問題を話し合うため、ある意味では非公式な世界政府とも言えよう。しかし、国際法上は何ら根拠を持たない「お仲間の取り決め」を、何の関係も無い第三世界の国々などに強要する批判があるようだ。このためこの種サミットは、しばしば反グロ−バリゼーションに対する抵抗運動の標的になる。例えば、2001年イタリアのジェノヴァで開かれた第27回サミットでは、大規模なデモが行われた。
 かつてこのサミットは2013年までロシアはプーチンなどが参加しG8と呼ばれていたが、例のウクライナへの軍事介入やクリミヤ併合などで参加が停止された。2014年以降はG7になっているが、近年台頭著しく実力者の中国やインドなども仲間に入れてもらえず参加出来ない現状を不愉快と思っているのではなかろうか?

 結論として、今後は新興大国の
BRICKSなどが参加するG20のほうがむしろ世界をリードし、一方G7は名前だけの形骸化が進み社交クラブになるのではなかろうか。30年前のG7のGDPは世界の約70%を占めていたが、現在では50%にも満たない数字がG7の退潮を如実に示している。

 1975年のスタートから数えて42の開催地(ロンドンや東京の様に重複する都市もあるが)のうち、私こと
ワールド・トラベラーは30ほど訪れている。1990年代までは大都市でこの首脳会議が開かれることが多かったが、近年は治安などの関係で保養地や地方都市が増えている。それらの内あまり知られていない開催地を紹介する。

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● 第9回G7 1983年5月28日〜30日 アメリカのウィリアムズバーグ

 2004年7月に訪問。バージニア州東部に位置し、リッチモンドから東へ約97kmにある古都である。人口1万2000人の小さな町だが、イギリス植民地時代は州都であった。ブルートン教会の牧師と大富豪ロックフェラーが18世紀の町並みコロニアル・ウィリアムズバーグを復元。
 最大の見どころは1709年から10年以上かけて建てられた総督公邸だ。内部はエントランスホールや階段ホールの装飾、壁に飾られた銃や刀剣、インテリアが豪華な寝室が見もの。裁判所では 実演が観られ、出演者は当時の服装を着て植民時代と同じような話し方をするのが興味深い
。   

● 第21回G7 1995年6月15日〜17日 カナダのハリファックス

 2012年9月に訪問。トロントの東およそ1270km、カナダ大西洋岸地方最大の文化・経済の中心都市である。ノバスコシア州の州都で、人口は約36万人。坂の多い港町は、1917年12月6日の約2000人が死亡したハリファックス大爆発で世界に知られた。
 町の象徴は旧市街の北西外れにあるハリファックス・シタデル。1749年港を見下ろす場所に築かれた壮大且つ伝統のある要塞跡で、函館の五稜郭に似ている。このシタデルの南麓には1803年から時を刻み続けるオールドタウン・クロックが立ち、ここからきつい坂道を南下すると詩情あふれる港に出る。
 

● 第22回G7 1996年6月27日〜29日 フランスのリヨン

 2001年9月と2007年6月の2度訪問。パリの南東480kmほど、ヴォジュ山脈に源を発するソーヌ川とアルプスから流れ出るローヌ川が合流する地点に位置する。人口約45万人はフランス第3の都市で、かって「絹の町」として栄えた。今は美食の町や「星の王子さま」の作者サンテグジュペリの生誕地として有名である。観光スポットもこの両川の周辺が多い。
 ソーヌ川西岸に広がる旧市街にあるリヨン発祥の地フルヴィエールの丘を眺めるポイントはいくつかあるが、ソーヌ川に架かるボナパルト橋付近の川岸からの眺望は抜群でウットリするような美しさだ。また、この丘からの眺めも捨てがたく、ノートルダム・ド・フルヴィエールバジリカ聖堂の塔に上ると、リヨン市街のパノラマが楽しめ絶景だ。


  
 ウィリアムズバーグ:  リヨン:フルヴィエール  ハリファックス:港の
  総督公邸前の筆者   の丘より市街地を俯瞰   ケーブル・ワーフ散策


● 第27回G8 2001年7月20日〜22日 イタリアのジェノヴァ

 2005年3月に訪問。ミラノから南145km、イタリア第一の港湾都市である。リグーリア州の州都で、人口約60万人は同国第6位の大都市だ。アメリカ新大陸の発見者コロンブスが生まれた街は、中世に地中海の覇権を争った都市国家として繁栄した。市街地が東西に細長く延び背後に山が迫る町並みは、神戸に似ている。
 豪華客船が発着する港と、ルネッサンスやバロック時代の建物がびっしりと並んだ旧市街は、華やかさと暗さが混在し陰陽の変化がある魅力的な街だ。ヴェッキオ港のウォーターフロントには巨大な水族館、宝石箱のような旧市街、色とりどりの船・ヨットを展望するヴェッキオ埠頭などがあり、大勢の家族連れで賑わい華やかなムードが漂う。 


● 第31回G8 2005年7月6日〜8日  イギリスのグレンイーグルス

 1976年7月に訪問。英国のスコットランド地方の都エジンバラの北約50kmに位置するパースは、13〜15世紀にスコットランドの首都して栄えた。見どころは歴代のスコットランド王の戴冠式が行われたスクーン宮殿で、1580年に修道院跡に建てられた。精緻な細工のフランス製家具や装飾品が豪華絢爛である。
 もう一つのハイライトは、近郊のアウキテラーダーにあるグレンイーグルス・ホテル・ゴルフだ。英国有数の名門ゴルフ場で、あの全英オープンが度々開催されている。このコースでゴルフをプレーしたが、灌木もある深いラフと大きなバンカーに苦しめられ散々なスコアであった。


● 第33回G8  2007年6月6日〜8日  ドイツのハイリゲンダム

 ハンブルクから東北165kmほどに位置するロストックは、旧東ドイツ最大の港町であった。人口は24万人で、かつてのハンザ同盟都市で北欧的な香りが強い町並みである。旧市街の入口にあるシュタイン門、町の中心ノイアー・マルクト広場、7つの小さな尖塔が目印の市庁舎、13世紀築の聖マリエン教会、切妻屋根の建物が多いヴィルウヘルム・ピーク大学広場が観光スポットだ。
 郊外ではバルト海に面したハイリゲンダムが人気がある。高級リゾート地でG8サミットが行われたが、グローバル化に反対する人たちが抗議行動を起こした。その理由は、地球規模に拡大した経済、貿易システムは労働権、国家主権、第三世界に様々な悪影響を及ぼすとの考えから反対するものであった。


  
 グレンイーグルス:2人  ハイリゲンダム   ジェノヴァ:ヴェッキオ港の
 の息子達とゴルフ(右)           ウォーターフロント散策

 
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(後記)
 特にトラブルも無く、G7伊勢志摩サミットは無事終わったようだ。注目に値する案件はほとんど無かったが、唯一オヤッと言うよりも、案の定と思ったのが安倍首相の消費増税の再延期をにじませる発言だ。世界経済がリーマンショック前に似た状況にあると強調したが、なにか不自然さを感じさせるロジックである。他国の首脳陣も首をかしげているようだ。
 あれほど声高にぶち上げてきたアベノミクスを自ら失敗と認めるようなものだが、それでも敢えて斯様な発言が出るのは、やはり来る7月の参院選に備えての布石に他ならない。正々堂々とした名宰相にならんことを期待していたのだが、姑息な(?)手法に失望したのは筆者だけであろうか。些か残念である(5月27日夜)。

                
◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

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憲法記念日に想い憲法ゆかりの地を訪ねて
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 今日、5月3日は何の日?勿論、国民祝日にもなっている「憲法記念日」である。念のため、他の記念日にもなっていないかとインターネットで調べたが、1993年の国連総会で制定された「世界報道自由デー」と、我が国の「ゴミの日」ぐらいで意外に少ない。やはり、本日は名実共に憲法記念日のようである。また、来る7月の参院選を控え憲法改正が重要な争点になりそうな雲行きで、憲法に対する関心が高い昨今だ。
 因みに、日本国憲法は1946年11月3日に公布され、その半年後の1947年5月3日に施行された。その内容は、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」という3本柱を持っており、特に憲法第9条の「戦争放棄」は平和憲法として世界的にも知られる。その平和憲法の要である第9条の改正に就き、欧州歴訪中の安倍晋三首相は改憲派集会にビデオメッセージを寄せ、9条改正に意欲を示した。

 最近の世論調査に依れば、護憲派が改憲派を上回っているようだ。つまり、憲法9条改正にノーと言う人が多いのだ。現行の憲法は終戦後マッカーサー率いる進駐軍に押し付けられたとの俗説が支配的だが、実は第44代内閣総理大臣の幣原喜重郎が天皇制維持の代わりに戦争放棄をマッカーサーに伝えたのが真相とされる。平和憲法の生みの親とすれば、立派な宰相である。
 一方、安倍総理の並々ならぬ熱意は評価できるが、2014年7月に強引に集団的自衛権を可能にする閣議決定をした。いわゆる解釈改憲であり、激しい反対デモが繰り返される中で2015年9月に安保法制が成立・公布された。私こと
ワールド・トラベラーの私見は、改憲派と護憲派の中庸である。即ち、第9条は堅持(護憲)するが、他の条文は戦後70年を経た変遷に即したものに改正(改憲)するものだ。

 
筆者はこれを『
憲法再生』と称する。平和憲法と言われる現行憲法を言葉だけで固守せず、国民の命と国土を守り、真の世界平和を願うための憲法再生を堂々と提言したい。現行憲法のエッセンスはあくまで平和的な専守防衛であり、強行された解釈改憲は邪道と言わざるを得ない。現下の自民党の一強多弱が本物なら、具体的に国選や国民投票を通して憲法改正、と言うより「憲法再生」につき真正面から国民の信を問うべきであろう。
 そろそろ斯様な思い切った発想転換と実行力を安倍政権に期待したいと思い、上梓したのが拙書『
272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった1人で紛争地を旅した!(幻冬舎)』である。テレビや新聞で報道されない危険な紛争地帯の真の姿をルポし、216〜235頁では真の世界平和と憲法再生を訴える本物志向の書として好評のよう。だが、売行きはもうひとつらしい。ご関心あれば、是非ご購読いただきたい。

       
    
      定価 1,400円+税 アマゾンなどネットショッピング又は書店でどうぞ!

 さて、ここで少し話題を変え、世界の憲法に所縁のある地を紹介したい。


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 先ず、ドイツのワイマールだが、2007年5月に訪れた。ゲーテ街道のメインとなる町は人口約6万人と小さいが、ゲーテをはじめ多くの文化人が集まり、ドイツ・クラシック文化が開花した。文化人ゆかりの観光スポットとして、「ファウスト」などで有名な文豪ゲーテが50年間住んだゲーテの家とゲーテ広場、「ウィリアム・テル」の劇作家シラーの家、ゲーテとシラーの像が立つ劇場広場などがある。
 ほかに、この町を象徴するのが、ワイマール憲法が採択された国民劇場だ。1918年のドイツ革命によりドイツ帝国が崩壊し,翌 1919年2月に国民劇場で国民議会が開かれた。議会は「暫定的国権に関する法律」を制定して憲法制定権を獲得し,H. プロイスが起草した憲法草案を審議した。大幅修正後に民主的な憲法が制定され、ドイツで最初の共和国が誕生した。しかし、1933年にナチ党の台頭により、ワイマール憲法は事実上停止状態となった。


 2004年6月に旅したアメリカの
フィラデルフィアも興味深い街である。ニューヨークの南西130km、デラウェア川の西岸に広がる人口約150万人の大都市だ。アメリカ建国ゆかりの町で、独立宣言の起草や憲法制定会議が開かれ、1790〜1800年はアメリカの首都にもなっている。街のシンボルで1789年建造のルネサンス様式の建物である市庁舎、その市庁舎の東1kmほどにあるインディペンデンス国立歴史公園、世界最大の造幣局と言われる合衆国造幣局などが見どころ。
 因みに、インディペンデンス国立歴史公園で見逃せないのが独立記念館だ。1732年に植民地の議事堂として建設された建物で、1776年のトーマス・ジェファソンン起草による独立宣言の可決と、1787年の憲法制定会議が行われた歴史的な場所である。また、この記念館の北側にあるリバティ・ベル・センターで、1776年の独立宣言後に打ち鳴らされた有名な鐘「リバティー・ベル(自由の鐘)」が収められている。


  
 
     ワイマール:国民劇場         ワイマール:ゲーテの家の前に
                               立つワールド・トラベラー

    
   
      フィラデルフィア:独立記念館     フィラデルフィア:自由の鐘と筆者

 一方、イギリスのマグナ・カルタ(大憲章)は、1215年に貴族と都市代表が国王ジョンに対して王権の制限、貴族の特権、都市の自由などを認めさせた文書である。イギリス憲法を構成する重要な憲章とされ、立憲主義のスタートとなった。このマグナ・カルタが制定されたのがラニーミードと言う、イングランド南東部のサリーにあるテムズ河畔の町だ。2004年10月の英国旅行で近くを訪れたが、のどかな古き良きイングランドの原風景を垣間見た。
 このマグナ・カルタよりも300年近く早い930年に憲法が制定され、民主議会が開かれたのがアイスランドの
シンクヴェトリルである。1996年2月と2003年8月の2度も現地を訪れているが、、「地球の割れ目」と言われる断層ギャウが見られるのが印象的であった。これはユーラシアプレートと北アメリカプレートが1年に数センチ広がり、2つのプレートの引っ張り合いによりできた裂け目だ。10世紀にアイスランドに入植したヴァイキングが集まり、司法や行政につき話し合ったのが始まりとされる。


 最後に日本ではどうだろうか?奈良市の南西、美しい塔がのどかな田園風景に溶け込むように点在する斑鳩は、聖徳太子が創建した世界最古の木造建築の法隆寺を中心に広がる静かな山里である。推古天皇の時代に摂政としてこの地に斑鳩宮を置いたことに始まり、仏教の布教、日本で初めて憲法制定をするなど、太子の政治・文化・学問が見事に花開いた。桜が咲き始めた春の一日、半世紀以上も前の若かりし頃に大和の古寺巡礼の道を歩いたのが終生忘れがたい。

  
   イギリス:ラニーミード  アイスランド:シンクヴェトリルの  日本:斑鳩の里
                 裂け目を行くワールド・トラベラー


     ○*;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○ 

 ワールド・トラベラーはかつて1970〜1980年代にかけ、9年近くイスラム圏で住んだ経験がある。戒律が厳しいイスラム諸国の中には憲法が無く、代わりにシャリーアと言うイスラム法が国を規範している事をかなり熟知する。
 他方、憲法、換言すれば民主主義と平和主義の基本的なルールもある程度精通する世代だけに、いつまでも平和憲法を大事にしたいものだ。特に、70年以上も前に米軍の激しい空襲を逃れるため学童疎開をした苦い戦時体験を持ち、平和の尊さを知るだけに・・・。


               ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇
 

  ワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、272ヵ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡など多数展示しています。老若男女を問わずご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。茶菓子を用意し、精一杯のおもてなしの歓待をします。
 なお、慈善活動につき、入館料は無料ですが、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約して下さい。ご協力のほど宜しくお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又はEメール:
ko-yasu@maple.ocn.ne.jp


     −− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−

    
      メインホール     民俗人形コーナー:  地球儀コーナー
              中南米・アジア


                WANTED!頼りになる出版社求む! 

今年中に7作目を出版したき次第につき、面倒見の良い意欲的な出版社があれば是非ご一報下さい。お待ちします。高 やすはる(著者)より
連絡先:TEL:
04−7184−4745 又はEメールko-yasu@maple.ocn.ne.jp


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5つのビフォーアフター
11
 少々旧聞になるが、10日前の4月13日に傘寿手前の79歳になった。また私事で恐縮だが、50年以上も連れ添ってきたわが人生のパートナー、妻が不治の病(認知症)で昨春より長期入院しているため、1人でひっそりと誕生日を迎えた。もっとも4日後に次男の嫁と孫娘がやって来て祝ってくれ少しは賑やかになったが・・・。
 特に取柄も無く、厚かましくも5分の4世紀近くこの世に生を受けてきた訳だが、様々な想いがあたかも走馬灯に映る影のように現われては過ぎ去って行く。戦前生まれの戦中派だが、外地経験が長い異種人と言ってもよい。波乱万丈とも言えそうな筆者にとり、生涯忘れがたい5つのビフォーアフターを紹介しつつ懐かしく回顧したい。
 特に、2015年5月にシリアの古代都市遺跡パルミラが過激派組織・イスラム国(IS)によって制圧され、バール神殿や有名な凱旋門などが破壊された。その後2016年3月にシリア政府軍が奪回したが、時すでに遅しである。私こと
ワールド・トラベラーは、1976年12月と2000年6月の2度も見学したことがある。かつてこの遺跡の主、女王ゼノビアの想いや如何に? 紛争と平和の相克などについても少し触れてみたい。

  −− ワールド・トラベラーが訪れた5つのビフォーアフターとは−−
     (人物が入った写真以外のものはネットより転用・加工)

(その1)
シリア:パルミラ
        Before              After
   
 1976年:クウェート駐在時代に  2016年:イスラム国(IS)が
     家族(長男・次男)と共に観光      遺跡を代表する凱旋門を無残に破壊

(その2)
アフガニスタン:バーミヤン
                       Before                                         After
    
  2001年以前:タリバンが破壊する    2007年:爆破後に訪れたが
  まで高さ55mの磨崖仏があった     すでにもぬけの殻で落胆

その3)
アラブ首長国連邦:ドバイ
                        Before                                       After
    
 1975年:クウェートより頻繁に出張   2002年:ほぼ同じ場所を
 バールドバイ側のクリーク(運河)で     妻(右)と一緒に散策
 当時のドバイは密輸の町であった     今や世界的な最先端都市に変貌

(その4)
アメリカ:ニューヨークのワールド・トレード・センター
                      Before                                          After
    
 1983年:リバティ・アイランドより  現在:3.11テロで崩壊したWTC
 ワールド・トレード・センターWTC   跡地にワン・ワールド・トレード
 (左のツインタワー)を望む        ・センター(中央)が建つ

(その5)
香港:九龍側のスターフェリー乗り場
       Beofore                After
 
   
 1977年:家族と香港旅行 背景は  現在:超高層ビルが増えた香港島
   香港島(英国領であった時代)   を望む(1997年中国に返還)             

(番外編)
ワールド・トラベラーの今昔
                    Before                                          After
        
 1957年:大阪に住んでいた20歳    現在:「世界の人形館」によく遊びに
 頃の筆者(かつて髪は豊かだった)  来る園児の菜花ちゃんは孫のよう

  上述の5つの ビフォーアフターのうち、4つまでもがイスラム絡みとは何か運命的なものがあるようだ。しかも、商社マンとして9年近い駐在経験があるが、その地がクウェートとインドネシアと言うイスラム圏であるのも因縁めいたものを感じる。イスラム世界に住み、働き、旅して42年以上のキャリアを開陳し上梓したのが、『ワールド・トラベラーだけが知る素顔のイスラム(新潮社)』である。

 およそ80年のわが人生を今一度振り返ってみると、戦時中に学童疎開した世代だけに国内外の様々な出来事が脳裏をかすめる。だが、先ず頭に浮かぶのはイスラムの変質であろう。つまり、昔(Before)無かった自爆テロが今日では日常茶飯的になった(After)ことで、その代表例が上記のその4、アメリアの9.11同時多発テロである。
 次に、最初は一国の内戦であったものが、結局は他の大国の干渉を招く代理戦争に拡大するもので、近年ではその1のシリアがその典型だ。しかも内戦の煽りを食って人類共通の貴重な世界遺産パルミラが、過激派組織ISによって無残にも破壊された。2度もくぐり抜けたあの凱旋門が、もはやこの地球上に無いと思うと切なく悲しくなる次第だ。筆者はゼノビアのファンだが、願わくば彼女の心情を聞き出したい。

 今後とも国際的な緊張は増えこそすれ、少なくなる、或いは無くなることは期待できないであろう。事あるごとに北朝鮮は一方的に非難されるが、肝心かなめの国連常任理事国、特にアメリカとロシアが本気になって核削減を実行しない限りは・・・。また、唯一の被爆国にも拘わらず抜け目なく核の傘の下で雨宿りしようとする、どこかの国も同じ穴のむじなかも知れない。
 
この矛盾だらけの世界を隈なく踏査してその実情をルポし、真の世界平和につき提言しているのが、幣著書『272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった1人で紛争地を旅した!(幻冬舎)』である。先述の『・・・素顔のイスラム』と共に、「良書」「本物志向の書」etcと高い評価を頂戴しているようだが、肝心の売れ行きはもうひとつのよう。内戦や紛争、世界平和や国際貢献などにご関心ある方は是非ご購読頂きたい。

  
 『ワールド・トラベラーだけが   『272の国と地域を制覇した77歳の
  知る素顔のイスラム
新潮社)』   ワールドトラベラーはたった1人
   定価 1500円+税           で紛争地を旅した!(幻冬舎)』 
                                                          定価 1400円+税
                                                        

 なお、お買い求めは、アマゾンや楽天ブックスなどのネットショッピング、最寄りの書店で取り寄せ可能です。また、世界の人形館でもお求めできます。

お問い合わせ:
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世界を動かす少数民族
10
 1ヵ月以上もブログ更新をご無沙汰してしまった。愛読者の皆さん! 申し訳ない。この間、集団的自衛権が行使可能な安保法制成立、中国経済の減速、TPP大筋合意、ラグビーワールドカップでの日本チーム大健闘などと国内外の話題が目白押しにも拘わらず、なぜ沈黙を保っていたのであろうか? もちろん、長期入院中の家内の見舞・介護など多忙もあったのだが・・・。
 実は5冊目の原稿書きに昼夜兼行で専心していたのである。次著のタイトルは 『 世界を動かす少数民族 』 。余程のことなき限り、この書名で行こうと思っている。原稿を書き上げて今更ながら思うのは、人口などは少なくても、国際政治や経済などで少数民族の影響力は決して侮れないものがあることだ。また、近年ヨーロッパへ殺到している難民も、ある意味では今様の少数民族と言えよう。

 ある賞にノミネートされている幣著書「272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった1人で紛争地を旅した!」の出版社、幻冬舎から再度お声が掛かり、来年(2016年)1月下旬に発売予定の少数民族書。その予告編として、原稿の一部を事前紹介しよう。

   
 ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

はじめに 

 2013年に始まった、世界を股にかけて旅してきた筆者こと
ワールド・トラベラーのシリーズ出版は、今年(2015年)に入って何と3冊も発売された。1月に「272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった一人で紛争地を旅した!(幻冬舎)」、7月に「トラベル・イズ・トラブル 安全な旅は退屈だ!!(ルネッサンス・アイ)」、9月に「ワールド・トラベラーだけが知る 素顔のイスラム(新潮社)」が世に出た。78歳の後期高齢作家(?)としては、かなりのハイペースである。
 まったくの私事で恐縮だが、長期入院中の妻のことも考え、自粛して暫し筆を休めるつもりでいた。3度の飯よりも大好きな海外旅行も、我慢して1年半前より見合わせている。だが、1年前の出版でご縁ができた幻冬舎より再出版の熱心なお誘いがあり、熟慮の上お受けしたのが本書である。


     −−− ワールド・トラベラーが出会った少数民族の美女たち−−−
  
   ムルシ族(エチオピア)   カレン族(タイ・ミャンマー)   ウイグル族(中国)
  唇にはお皿、頭には?    首が長いのが美人      艶やかな踊り子

 
  1995年7月に北極点探検にチャレンジした。そのときに仲良くなったアメリカ人旅行者から「ワールド・トラベラー」という有難い称号(?)を授けられ、今まで訪れた国と地域の数はじつにギネス級の272。常軌を逸していると言われてもけっして不思議ではない、世界旅行が大好きな世界の旅人、あるいは奇人と自ら公言している。
 しかし、実際は格好いい華やかな表街道ではなく、常人には想像しがたい苦難に満ちた世界の裏街道をおもに歩いてきた。たとえば、紛争地、秘境や辺境の地などである。そして、これら地域に住む住民、とくに少数民族と出会い、彼らの風俗や習慣、言語や宗教などに触れるという貴重な異文化体験を数多く積んできた。 

 
 また、この広い世界には意外に気付かない少数民族がおり、しかも居住国の国内はもちろん、世界をも動かす少数民族がいる。かつて商社マン(三井物産)として半世紀以上にわたる波乱万丈のグローバル人生を送ったが、最も忘れ得ぬ民がいる。それは少数民族である。
 だが、彼らを取り巻く諸環境は時代とともに近年は厳しさを増し、様々な差別や迫害、難民など深刻な問題を引き起こしている。実際に彼らに会い、触れ合った体験談をありのまま開陳し、諸問題の解決にいささかでも寄与できればと祈念している。
 
 前々著「トラベル・イズ・トラブル(ルネッサンス・アイ)」は、ユニークな旅行書として好評である。安全な旅は望ましいが、同時に退屈でもある。逆に一見鬱陶しく煩わしいトラブルが、結果的には旅を愉快に彩って心に残るものにしてくれる。
 同様に旅先では様々な人々に出会うが、最も忘れがたいのは少数民族である。ユダヤ人や華人などの一部例外を除き一般的に貧しいが、彼らの無垢で一途な瞳を見詰めていると、いつまでも記憶に残り忘れがたいものがある。
 
 本書では興味本位で少数民族を取り上げたのではないことを明言する。僭越だが、徹底して本物志向とノンフィクションにこだわるのが、ワールド・トラベラーの本領と申し上げたい。また、最高の喜びでもある。かように深遠な本意を汲み取って本書をご愛読願えれば、まことに幸甚。同時に、少数民族問題を通していささかでも世界平和を提言する書になれば、望外の喜びでもある。

ワールド・トラベラーにとっての少数民族

 海外旅行を始めて半世紀近くになる筆者ことワールド・トラベラーは、ついこの間まで若い若いと思っていたが、間もなく79歳の後期高齢者になろうとしている。かつて商社マン(三井物産)として働いた現役時代は、頻繁に海外出張し駐在も経験した。リタイア後も海外旅行を続けたが、アウトバウンド志向が強い視線の先はいつも世界の未知の大地であり、海であった。
 
 しかし、年輪を重ねるごとに、むしろ日本国内を意識するようになった。いわゆる、インバウンド志向の日本再発見である。我が愛する祖国には、わずかだがアイヌという北海道の先住民がいる。とは言え、全体的には大和民族という日本人が住み、日本語が話されている。とかく諸外国に多い民族、言語、宗教、文化などに対する偏見も、特別にない。
 このようにバランス良くまとまり無色透明的な単一国家は日本だけと思われ、この世界では類を見ない。敢えていえば、韓国ぐらいであろうか・・・。日本が胸を張って世界に誇れる美点であり、隠れたる世界遺産でもある。
 
 だが、陸続きの国が圧倒的に多い世界では、様々な民族が住み、異なる言語を話し、多種多様な文化や風習などを形成している。特に、民族問題は古来より戦争や紛争の導火線となり、なかでも数多くの犠牲者を出してきたのが少数民族である。 
 他方では、ユダヤ人のように、少数とはいえ世界を動かすほどの影響力を持っているのも彼らである。また、最近は日本でもちょっとした話題になっているのが、ミャンマーのロヒンギャという無国籍少数民族だ。今まで筆者が世界各地で出会った少数民族から考えさせられる諸問題を、読者の皆さんと真摯に解決の糸口を見出したいと思う。
 
 出会いは別れの始めとも言われる。様々な国の人々に出会ってきたワールド・トラベラーにとって、最も忘れ得ぬ民はやはり少数民族である。貧しさは昔も今も変わらないが、彼らの純真な瞳と子供たちの白い歯をじっと見詰めていると、いつまでもその残像が消え去らない。


           −−− ワールド・トラベラーが出会った少数民族の男たち−−
  
       トゥアレグ族(マリ)        フリ族(パプアニューギニア)    マサイ族(ケニア)

忘れ得ぬ少数民族
 
 筆者は象牙の塔で研究に没頭する学者ではない。前述のお話が実利・実践家と自負する筆者に相応しくない、少々お堅いにものになったきらいがあるようだ。そこで、本章では一転し、ユニークな少数民族にまつわる興味津々の体験談を披露したい。
 どちらかと言えば、世界の裏街道、あるいは世界の危険・紛争地帯を好んで旅してきたのがワールド・トラベラーの真骨頂だが、テレビなどで露出するジャーナリストやタレントなどのようなやらせに近い旅は一切しない。あくまで本物志向にこだわるだけに、現地での体験談は台本があるやらせでもなければ、ことさらの誇張でもない。少数民族についても、世界各地で偶然に出会った彼らをあるがままリアルに紹介し、少数民族が抱える諸問題についても読者の皆さんとともに考えてみたい。
     
 
1.初めて出会った少数民族 ---ユダヤ系アメリカ人(アメリカ)
2.最も美しき少数民族 --- ヒンバ族(ナミビア)
3.怖かった(?)少数民族 --- ムルシ族 (エチオピア)
4.独立した祖国を持たない世界最大の少数民族 --- クルド人(トルコ・イラクなど)
5.踊りが大好きな少数民族 --- フリ族・アサロ族など(パプアニューギニア)
6.格好いい少数民族--- トゥアレグ族(マリ)
7.首が長いのが美人の少数民族--- カレン族(タイ・ミャンマー)
8.世界で最も原始的な少数民族 --- ダニ族(インドネシア)
9.現存する最後の象形文字を持つ少数民族 --- ナシ族(中国)
10.東南アジアで経済の実権を握る少数民族 --- 華人(インドネシアなど) 
11.ノーベル文学賞作家が「真の囚人」と書いた少数民族 ---チェチェン人(ロシア)
12.日本人でも巨人になれる世界一身長が低い少数民族 --- ピグミー族 (中央アフリカなど)
13.あのインカ大帝国をつくった少数民族 --- ケチュア族(ペルー)
14.直近の旅で出会った少数民族 ---ヤジディ(イラク・クルド自治区) 
(詳細は来年1月発売の著書参照)

(途中省略)


あとがき
 
 本書の原稿を書いていた最中にも、泥沼化したシリア内戦から脱出し、身の安全と自由を求め平和なヨーロッパ諸国へ決死の逃避行を試みる難民が増える一途だ。この難民をよく分析してみると、クルド人が多いのに気づかされる。
 クルド人といえば、世界最大だが祖国を持たない少数民族である。また、依然として紛争が絶えないこの世界で、安住の地を求めて漂流する難民のなかにクルド人以外の少数民族が多いことも改めて知らされた次第だ。たとえば、最近ではミャンマーのロヒンギャ族などがある。
 
 当初は予定通り少数民族に絞りこんで筆を進めたが、途中で昨今話題の難民問題が頭を横切り、タイトルを「少数民族と難民」に変更しようかとも考えたが結局は思い止まった。なぜなら、アメリカを支える真の実力者というべきユダヤ系アメリカ人や、東南アジアで活躍する中国系の華人などが、一国一地域だけではなく世界を動かす英知と経済力を持ち合わせていることを再認識させられたからである。
 少数民族を多数抱える多民族国家の中国やロシアは、アメリカとともに広大な国土を有する超大国だ。国家が分裂せず、何とかまとめるためには少数民族対策が不可欠なことは自明の理である。人口では少数であっても、侮れないパワーや影響力を秘めているのが少数民族。一瞬の迷いはあったが、結局少数民族だけに絞り、本稿を書き上げた次第。だが、難民の件はいずれ上梓したいと考えている。さもなくば、不完全燃焼に終わり、寝つきが悪くなる。常日頃の信条、有言即実行の看板を汚すことにもなろう。
 
 本著でとくに意識したのは、どういうスタイルの書にするかであった。テーマ的にはどうしても多かれ少なかれ固い感じの学術書、あるいは専門書になるところを、趣味の写真を多用し、誰にとっても読みやすいビジュアルな感じにしたいと心掛けた。読者の皆さん! 出来栄えはいかがであろうか?
 5冊目の出版となった本書から、従来のワールド・トラベラーシリーズのマンネリから脱皮し、高 やすはるシリーズとしての新境地を開拓し、老若男女を問わずく広く愛読される老作家を目指したいと祈念する。
 
 この原稿を書き終える直前にTPP(環太平洋経済連携協定)交渉が大筋合意に達したとの報に接した。協定に参加の11ヵ国の交渉者の中には、かなり多くのユダヤ系や華人系の人たちがいたのではないかと推察される。TPPは世界のGDP(国内総生産)の約4割を占める巨大な経済圏が誕生することが期待されている。ここでもユダヤ系や華人系の少数民族が世界を動かそうとしている。頼もしいではないか!
 
 最後に、単なる海外旅行好きの旅人ではないワールド・トラベラーは、「世界の人形館」というプライベート・ミュージアムを無料公開している。当館には2000体以上の人形が展示され、その一部は本書で紹介したローカル色豊かな少数民族の人形である。ご関心があれば事前予約の上ご来館ください。心よりご来訪を熱烈歓迎し、歓待用の茶菓子を用意してお待ちします。
                                   2015年秋  高 やすはる


   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 随分長〜いお話になりウンザリされた諸氏がおられるかも知れないが、来年1月の幣著発売を是非ご期待頂きたい。


       ワールド・トラベラーの主な著書紹介


      私はワールド・トラベラー             『 272の国と地域を制覇した
    世界257ヵ国・地域を旅した男 』      77歳のワールド・トラベラーは
                 文芸社            
たった1人で紛争地を旅した!』 幻冬舎
      
定価本体1,500円+税          定価本体1,400円+税

   

     『 トラベル・イズ・トラベル     『 ワールド・トラベラーだけが知る  
     安全な旅は退屈だ!!』                素顔のイスラム
       ルネッサンス・アイ                新潮社
      
定価本体1,300円+税         定価本体1,500円+税     

   

 お買い求め又はご注文は、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。
お問い合わせ:
世界の人形館 
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長寿国・日本と世界の長寿の里を訪ねて
8

 78歳の私ことワールド・トラベラーもまだまだ若造のようだ。厚生労働省の発表によれば、2014年の日本人の平均寿命は女性が86.83歳、男性が80.50歳で、ともに過去最高を更新した。女性は3年連続世界一、男性は前年の4位から3位になり、世界有数の長寿国であることが改めて示された。前年に比べ、女性が0.22歳、男性は0.29歳も延びた。
 
厚労省の分析では、ガン、心臓病、脳卒中、肺炎などの死亡率の改善が寿命が延びた要因としている。医療技術の進歩や健康志向の高まりに伴い、今後も平均寿命は延びる余地が十分あるとか。
  戦後の日本人の平均寿命はほぼ一貫して延びており、女性は1984年に、男性は2013年に初めて80歳を越えた。しかし、戦後間もない1947年では、女性が53.96歳、男性が50.60歳であった。現在の長寿時代から想像しがたい短命であったが、1960年に女性の平均寿命が70歳を超えてからは長寿化に拍車がかかったようだ。


 因みに、世界の平均寿命のベストファイブは次表の通り。 

女 性 男 性
日  本 86.8歳 香  港 81.2歳
香  港 86.8歳 アイスランド 80.8歳
スペイン 85.6歳 日  本 80.5歳
フランス 85.4歳 ス イ ス 80.5歳
韓  国 85.1歳 シンガポール 80.5歳

 (小数点2位以下は四捨五入)

 一般的に温暖な地方の人が長生きするようで、日本では沖縄がそうだが、北極圏に近い寒冷なアイスランドの男性が2位とは意外である。オーロラを観るために1996年2月、華やぐ季節の2003年8〜9月にアイスランドを旅しているが、老人たちはほとんど見かけなかった。長寿の原因は種々あるそうだが、医学的には、長生きにはリンパ球が多くて免疫力が旺盛であることが条件とか。リンパ球の数が多いと罹患率は低いらしく、アイスランドはこの条件を満たしていると言われる。が、温泉が多い、周りが海に囲まれているので魚をよく食べる、空気がきれいなどがむしろ的を得ているのではないか。
 香港は
ワールド・トラベラーが8回も出かけているが、日本に劣らず長寿であるのも注目すべきである。あのような狭いところで人口過密気味に住んでいるのに、長寿者が多いのはちょっと信じがたいが、よく考えてみると納得できる面もある。よく食べ、よく働くのが最大の長寿要因のようだ。何と言っても香港は食べ物が安くて豊富であり、朝から公園などで太極拳をしている老人も多い。また、狭い環境が逆に利点となり、外に出やすいことも一因であろう。

 上記の長寿国のほかにも、世界にはパキスタン、トルコ、ジョージア(旧グルジア)、アンドラ、中国、エクアドルなどに長寿者が多い地域がある。例えば、パキスタンの
フンザ、エクアドルのビルカバンバ、コーカサス地方(ジョージア)は世界三大長寿地域と言われる。世界を股にかけて旅してきたワールド・トラベラーは、これらの長寿地域を訪れている。
 
 ところが、現地で知り得た真実は不正確な年齢である。地元の老人は「自分は90歳だ、100歳だ」と言っても、我が国と違って戸籍制度に不備がある国があり、サバを呼んでいるケースが多いようだ。また、徴兵などを逃れるために、年齢を偽るケースもあるとか。ただ、長寿になるには必要な条件があり、その大前提はやはり自然環境で標高が1000m以上の山間の村が多い。上記の
三大長寿地域は、その雰囲気にピッタリだ。日本では平均標高が1000m以上の長野県が該当し、やはり長寿県である。
 
これら地域全部に共通するのは気圧が低いことで、そのような環境で生活していると大気中の酸素が薄く、酸素分圧が低くなるのが体調をリラックスさせるらしい。心や体がリラックスするとおおらかになり、ストレスが少なくなるため心臓などに負担がかからない。精神的な安定は食の安定にも繋がり大食いをすることもない。省エネ体質になり、消化器官への負担も少なくなる。要するに、寿命は自然が決めるのであろう。

 どうも世界各国の長寿地域で共通する習慣があるのは確かなようだ。例えば、
○ 明確な目的を持つ

○ くよくよ考えず、自然体で行動する
○ ストレスを解消する自分流の方法を持つ
○ 食事は腹八分目とし、肉ばかりに偏らない
○ 適度のお酒を嗜む
○ 家族との時間を過ごし、大切にする
○ 良い友人を持ち、お互いに健康的な姿勢を保持する
○ 
信仰心を持つ

  この辺で最も印象的であった長寿の里フンザへの旅を紹介しよう。1994年10月の初訪問以降、パキスタンは4度も出かけているが、最も感動的な旅は1998年7月のカラコルム・ハイウェイ走破だ。北京経由で中国の新疆ウィグル自治区を回った後、中パ公路(カラコルム・ハイウェイ)を通って中国・パキスタン国境の峠を超え、インダス川流域を南下する危険と隣り合わせの冒険旅行を楽しんだ。

  
パキスタン:崖崩れが多い   パキスタン:フンザの    フンザ:ホテル付近を散策
 カラコルム・ハイウェイ        バルチット・フォート    するワールド・トラベラー

 中パ公路の起点となる町カシュガルをスタート後、世界の屋根として名高いパミール高原や国境のクンジュラブ峠(標高4693m)を通過してパキスタンに入国。フンザやインドと係争中のカシミールを経て首都イスラマバードに出たが、道中の景観はどこも風光明媚で旅人を飽きさせない。 
 中パ公路は名ばかりのハイウェイで、実質的には「ローウェイ」と言うべきが妥当であろう。その走破たるや悪路とがけ崩れの多い難行が続く危険この上なかったが、途中の景色は絶景の連続であった。特に中国との国境に近いパキスタン北部のフンザはまさに桃源郷の趣で、不老長寿の里として知られる。付近には標高7788mのラカボシ山など7000m級の高山が万年雪を頂いてそびえ、ホッパー氷河など数多くの氷河も点在する。氷河の雪解け水がいたる所で流れ落ち、豊かなポプラ並木や畑を潤す。かつてのフンザ王の宮殿で現在は博物館のバルチット・フォート、氷河などを観光。

 1998年5月と2013年7月に旅したジョージア(旧グルジア)の
コーカサス地方も長寿地域が多いようだ。特に2013年に黒海に面したアジャリア自治共和国の首都バツミを訪れたが、郊外にあるヘルヴァチャは長寿の里として知られる。黒海沿岸の気候は温暖で、ケフィアなどのヨーグルトと美味いワインも長寿の秘訣となっている。

 アジアでは、少数民族・チワン(荘)族が多く住む、中国の
広西チワン自治区巴馬(バーマ)が長寿の里として知られる。高齢が尊敬の対象とされ、4世代や5世代が一つ屋根の下に暮らす大家族が当たり前で、高齢者たちが山や畑などで元気に仕事をしているとか。老人や子供を大切にし、尊重する家庭環境や食生活(動物性たんぱく質や塩分が少なく、植物繊維の多いものを摂取)も長寿の源のよう。
  また、巴馬では毎朝お粥を食べる習慣があり、欠かせないのが「火麻」という
麻の実。抗加齢効果があるとされ、中国では古くから不老長寿の秘薬とされてきた。
  
ジョージア:アジャリア・バツミ  中国:広西チワン自治区   中国:広西チワン自治区の
 
近く黒海ビーチを散歩の筆者    巴馬の美しい風景       徳天大瀑布と世界の旅人

 ワールド・トラベラーは2004年1月に自治区の区都・南寧、風光明媚な花山風景区、中国最大級の滝・徳天大瀑布などを旅した際に、巴馬付近を訪れたことがあるこの町の人口は約25万。そのうち100歳以上のお年寄りは80人を超える。人口1万人当たりだと3.2人になり、この割合はユネスコがの長寿地域の基準の約4倍と世界で一番高いと言われる。また、寝たきりは1人も居らず、みんな現役で働いている由。

 今や日本は世界一の長寿国を誇り、このまま平均寿命が今後どんどん延びよう。しかし、健康寿命と の差が解消できなければ、医療費や介護費などの増加につながると言う痛し痒しの問題が肥大する。簡単に解決できない難しい問題だ。

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熱中症と世界の猛暑地を訪ねて
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 梅雨明けした途端に連日全国各地で猛暑が続き、熱中症 Heat Strokeによる死者も出ている。暦の上では本日(7月23日)が一年で最も暑いとされる大暑だが、実際の暑さはこれからが本番である。水分を小まめにシッカリ補給したり、室内にいる場合は適切な冷房の活用など、様々な暑さ対策を講じて猛暑を乗り切りたいものだ。
 
 まったく私事で恐縮だが、この3月より妻(72歳)は施設を含め入退院を繰り返し、先月から約1年の予定で千葉県・柏市の病院に長期入院している。実は認知症の彼女を在宅介護する方法もあるが、ほかにいくつかの病気を抱えている。また、筆者の自宅、あるいはそばに息子たちや孫たちが住んでいないこともあり、病院にお世話をお願いしているのが実情。
 テレビなどで老老介護の番組には大いに関心があったが、実際に年下の妻を介護してみると厳しい現実を実感する毎日である。現在入院している病院内はいつも25度ぐらいに温度調整され快適だが、自宅にいればそうも行かない。熱中症対策の点からも、病院なら入院中の妻を案ずる必要も無かろう。

 世界を股にかけて旅してきた私こと
ワールド・トラベラーは、現役時代に約9年の海外駐在経験があるが、その舞台はクウェートとインドネシアの猛暑地であった。ただし、1974〜1977年に住んだクウェートは砂漠に囲まれて雨がほとんど降らず、夏場の気温は50度(華氏ではなく摂氏)になる。
 他方、1979〜1984年に在留したインドネシアは年中暑いが緑が多く、季節はかなりの降雨量がある雨季と乾季の2つしか無い。共に両国は暑いが、その暑さは対照的である。一方では、スンニ派のイスラム教国という共通点もある。この両国以外にも世界の名うての猛暑地、と言うより酷暑地を訪れており、今回はその一端を紹介したい。


  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 世界で一番暑い場所はどこであろうか? また、日本で一番暑いところはどこか? それはアメリカ・カリフォルニア州のデスバレーと、
高知県の四万十市である。1913年7月10日デスバレーで観測された世界最高気温は56.7℃、2013年8月12日に四万十市で記録された日本最高気温は41.0℃。
 世界と日本の記録では問題にならないほどの差があるわけだが、国内では35度以上になると猛暑、猛暑と大騒ぎする。彼の地の50度以上に比べれば、次元の違う暑さだ。ただ、我が国の場合は湿気が多いので、蒸し暑く体感温度は5度程度はプラスしなければならないかも知れない。


 
         デスバレー                  四万十市

 いずれにせよ、日中の気温が50度ぐらいになると、湿度が少ないと言っても猛暑、と言うより酷暑に変わりはない。このくらいの超高温になるのは中東や北アフリカ一帯が多い。かつてクウェートで勤務していたワールド・トラベラーは、50度超の高温を度々も経験している。いくら現地の人たちが高温に慣れているとは言え、50度前後になっても外出したり、働いたりするほど馬鹿ではない。筆者は数少ない楽しみであった砂漠のゴルフも、早朝にプレーしたものだ。
 当然生活の知恵というものがあり、会社や商店はツーシフトを採用している。つまり、勤務時間は午前8時〜12時と、午後4時ごろ〜7、8時の2交代制だ。正午〜午後4時ごろはいわゆるシエスタとなり、自宅でゆっくりと昼食を取り、2時間ほど昼寝などをして過ごす。暑いとは言え、時間に追われる日本から見ると羨ましいとも言えよう。懐かしき駐在時代の想い出の一コマである。

 最近では2013年7月にイラクのクルド自治区を訪れたが、区都のエルビルでの日中の最高気温は50度直前の47〜49度で、2〜3時間も外出すると暑さでへばってしまった。そこで一旦ホテルに戻り1時間ほど休憩してから外出しなおした。しかし、よく体を動かしたのは、比較的涼しい早朝と夜間であった。

        −−− ワールド・トラベラー猛暑地での想い出スナップ −−−

    
 クウェート:砂漠でゴルフ  クウェート:1974年勤務先 イラク:クルド自治区エルビル
    (1975年)      クウェート事務所で執務中    の城砦シタデル前で


  その後アラブ首長国連邦の首都アブダビに向かったが、ここはエルビルより約1500kmも南に位置するため更に暑い。最高気温は50度を超え、しかもそれまでの1ヵ月の長旅による疲労蓄積でお腹を壊し下痢にも苦しめられた。滞在時間を短縮して帰国後にすぐ直行したのが、行きつけの医院であった。回復してちゃんとご飯が食べられるようになったのは、帰国後1週間も経っていた。

 やはり
世界は広く、猛暑地がいくつかある。2001年2月に、紅海の出口に位置するアフリカの小国ジブチを旅した。エチオピアに囲まれ、危険極まりない国ソマリアに隣接する。この国も世界有数の猛暑地で、71.5度という信じがたい世界最高気温を記録したこともあるそうだが、2月と言うのに最高気温は50度近い。ジブチ市内からアデン湾の最奥にある景勝のタジュラ湾を右に見ながら西へ走ると、約1時間半で別世界のような海抜マイナス174mにあるアッサル湖に着いた。
 5000年前にマグマの活動で出来た大塩湖で、塩分濃度は30%で海水の10倍。どこまでも広がる春霞のような青空、雪のような塩に縁取られたコバルトブルーの大塩湖、湖に迫る白い石灰岩の山とのカラーバランスが鮮やかで、到底この世のものとも思えない幻想的な美しさに思わず息を呑んだ。しかし、標高がマイナスのためジブチ市内より高温で、52〜3度はあったであろうか、クラクラして倒れそうになった。

 この旅ではスーダンも訪れ、首都ハルツームの北東約180kmにあるメロウェ遺跡を見学した。荒涼とした砂漠を抜けて遺跡に到達した。紀元前250年頃から黒いファラオ(王)によって建設されたアル・バジュラウィア・ピラミッドは、古代クシュ王国の都だったメロウェ王朝栄華の輝かしい遺産である。権力を誇った王の墳墓はエジプトのギザなどのピラミッドに比べ大きくはなく小粒だが、荒涼たる砂漠に27基のピラミッドが林立する光景は言葉を失うほどに比類なく美しかった。
 エジプトの観光地のような賑わいや訪れる人もまったくなく、死の世界を思わせるような砂漠に埋もれるようにひっそりと佇む優美な姿を眺めていると、諸行無常、感無量の境地になった。しかし、気温は50度を超えていたであろうか、かなり強い熱風が吹きつけるので長居はできなかった。自然はあくまで冷厳である。


  
 ジブチ:アッサル湖畔に   スーダン:メロウェ遺跡の   中国:タクラマカン砂漠で
    立つ世界の旅人        バジュラウィア・ピラミッド群    ロバ車に乗る筆者  

 
 2002年6月に世界第2の大砂漠・タクラマカン砂漠を縦断したが、この時の気温も50度近かった。「一度迷い込んだら二度と生きて帰れないところ」という意味を持つ死のタクラマカ ン沙漠は、360度砂の海で絶えず移動し、風によってできた風紋が美しい。近年は中国政府による油田開発の恩恵で立派な新道が完成、快適なドライブが楽しめるようになった。
 単調になりがちなこの旅で、忘れがたいアクティビティを堪能した。ホータンの近郊で一人一頭のラクダに乗り、合計9人一列に なってキャラバンを組んだ。1時間半にわたり誰一人いない無人の広大な砂漠を悠々と探索した。また対照的にロバ車に乗り、トコトコと砂漠を散策した。
 1995年9月と2002年6月に旅した新疆ウィグル自治区のトルファンも名うての酷暑地だ。 ウルムチの南東183kmにあり、古来「火州」と呼ばれウィグル語で「低地」を意味する。町の低い所の海抜はマイナス154mに達し、夏は摂氏50度近くになるほど非常に暑い。シルクロード遺跡の宝庫として見どころが多い。


 ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 暑さが厳しさを増すと共に熱中症で病院に搬送される人たちが急増しているが、数十年前のクウェートやインドネシア時代を振り返ると、当時は熱中症なんて言葉を聞いたことが無かった。もちろん、熱中症が無いわけではなく有ったはずだ。それより暑い時は無理をしないで体を動かさないなど、一見怠け者に見える現地人の動作は合理的な熱中症対策である。また、それは遠い祖先から脈々と受け継がれてきた伝統的な習慣だと、その後理解できるようになった。
 我が国での熱中症死者を分析すると、何らか仕事や運動中、農作業中などが多い。暑さに慣れた熱帯地方などの人たちなら、日陰でのんびりと横になるのが普通だが・・・。温暖化などで今後とも猛暑は増えこそすれ減りはしないであろう。猛暑でも熱中症にならないコツを、我々日本人は熱帯圏の発展途上国の人たちから真摯に学ぶ必要があろうかと思うが如何?


          
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視覚障害者のための講演会「世界旅行のススメ」(その2)
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 国内外ともに多難で話題の多かった2014年も、残り1週間を切った。本年のブログの実質的なアップは、過日視覚障害者総合支援センターちば(四街道市)主催の文化講演会で講演した「世界旅行のススメ」の続きを以下紹介して締切りたい。

     ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

3.視覚障害者にオススメしたい世界旅行 (続き)

シンガポール:1977年7月初訪問以降 合計13回訪問     

1977年にクウェート駐在を終え、帰国途中に寄ったのが最初の訪問です。その後は12回も訪れ、特にジャカルタ駐在時代は飛行機で1時間半と近いため8回出かけました。シンガポールは「ガーデン・シティ」と呼ばれるほど緑が豊かで、中国系・マレー系・インド系の人々が融合する多民族国家。1980年代前半まではまだ古い建物が残り、英国植民地であった香りが残る街並みでした。華僑系取引先の招待で大きなナイトクラブに行きましたが、そこで中国人歌手が歌っていたのが「北国の春」で日本が恋しくなりました。中国、マレー、インドの民族料理が賞味できるグルメも魅力の一つ。

 2003年11月に約20年ぶりに再訪しましたが、インド人街を除き再開発が進んで古い街並みが壊され、近代的な都市国家に変わっていました。上半身がライオンで下半身が魚のマーライオンは移転、セントーサ島というレジャーアイランドも開発が進んでいました。しかし、昔は賑わったタイガーバウムがハウパーヴィラと改名し、訪れる観光客も無くすっかりさびれていました。2005年7月は2人の孫などと3世代の家族旅行で出かけ、ナイトサファリなどを楽しみ、シンガポールで最高の思い出になりました。
 
最新の旅は2014年3月〜4月で、インド洋や南太平洋の島巡り基地となりました。前回訪問から9年しか経っていませんでしたが、超モダンな都市国家として変貌、その代表がマリーナ・ベイ地区のマーライオン公園の対岸にそびえ建つマリーナ・ベイ・サンズ。高さ200mの総合リゾートホテルで、57階建て3つのタワーが屋上で連結し、その屋上に世界一高いプールまであります。さらに、世界最大のカジノ、広大なコンベンションセンターやショッピングモール、多数のレストラン、美術館などあります。このホテル東側にあるガーデンズ・バイ・ザ・ベイはシンガポール最大の植物園施設。広大な敷地内に様々なアトラクションがある中でも、一押しはスーパーツリー・グローブという高さ25〜50mの高層庭園。ここから近未来的な不思議な景色が堪能できます。


  
 マーライオンを背にし孫    近未来的な空中庭園   シンガポールの新しい象徴
 たちと3世代旅行楽しむ  スーパーツリー・グローブ  マリーナ・ベイ・サンズと筆者


インドネシア  1979〜1984年駐在、2003年11〜12月、2008年6〜7月訪問 

 
商社マンとして2回目の海外勤務は赤道直下のインドネシアで、世界最大のイスラム教国です。しかし、クウェートほど戒律が厳しくなく、お酒も飲め、毎日5回お祈りする人も多くありません。日本向けインドネシア産のコーヒー豆や冷凍エビなどを取扱う食品部門責任者として、東西およそ5100km、南北1900kmほどに及び1万8000余の島々からなる大群島国家の隅々まで回りました。人口の約6割が住むジャワ島のジャカルタを基に、世界で3番目に大きな島で大自然が残るカリマンタン(ボルネオ)島、6番目のスマトラ島、「神々の島」「芸術の島」と呼ばれるバリ島、K字状の奇形のスラヴェシ島、ニューギニア島西半分を占めるイリアン・ジャヤ等へ空路訪れました。

 一方、忙しい仕事の合間や休暇を利用してインドネシア各地を観光し、また駐在中の1982年7月〜8月には3人の留守家族(妻、高2の長男、中3の次男)が日本より遊びに来ました。ちなみに、子供たちの教育のため単身赴任し、私と同じ単身赴任者が数人集まり寮生活をしました。御殿のような豪邸に住み、6名ほどの召使がすべて世話をしてくれました。会社からは専用車と運転手を提供され、日本のお金持ちでもできないよkうな贅沢な生活でした。今でも懐かしく想い出します。 

 住んでいた首都ジャカルタの表通りは近代的な都市の顔も、その裏通りや農村では電気もなく灯油に頼る貧困層が多数住んでいました。極端な貧富の差、世界最大のイスラム国家とはいえ本場の中東ほど厳しくない戒律、少数ながら経済的には実権を持つ豊かな華僑系の人たち、ジャワ島のアジア有数の壮大な仏教遺跡ボロブドゥールやヒンドゥー教遺跡プランバナン、神秘的で風光明媚なスマトラ島のトバ湖、華麗なバリの伝統舞踊、インドネシアの演歌クロンチョン、洗えば洗うほど良くなるジャワ更紗で知られるバティックの魅力、夜風に吹かれ乗ったベチャ(三輪自転車タクシー)など、単身のジャカルタ駐在を堪能した想い出がまるで昨日のように感じる時があります。
 
マレーシア 1978年11月初訪問以降 合計6回訪問   

 シンガポールと同様、マレー系・中国系・インド系からなる多民族国家。私が話せるいくつかの外国語で、自信があるのがインドネシア語。この言葉のルーツはマレーシアの言葉であるマレー語の方言で、インドネシア語はマレーシアのどこでも通用するため不自由なく旅ができました。1978年の初訪問から2008年の直近の旅をした30年間は、人力車トライショーで有名なマレーシア最古の町マラッカやペナン島など地方は大きな変化がありません。しかし、首都クアラルンプール(KL)は様変わり、特に高さ452mもある世界有数の超高層ビルのペトロナス・ツイン・タワーやKLタワーが建つなどすっかりモダンに。ただ、首都の中心に建つ旧連邦庁舎など英国植民地時代の建物が今も残り、郊外のヒンドゥー教聖地バトゥ洞窟は昔のままでホッとしました。

 6回の旅を通してマレーシアのほぼ全土を回りました。ボルネオ島では今もテングザルなど野生動物が多く住む熱帯雨林やグヌン・ムル国立公園の世界最大級の洞窟で見かけたコウモリの大飛行ショー、映画「南太平洋」の撮影ロケが行われたティオマン島やランカウイ島の美しいリゾート・アイランドも訪れて多様性を実感。また、アロー・スターのザヒール・モスクなど各地の立派なモスクも見かけ、アジア有数のイスラム教国と認識。因みに、KLでお買い求めのお土産はセントラル・マーケットがオススメ。


      
 インドネシア:バリ島の踊り子 マレーシア:ボルネオ  インドネシア:ボロブドゥール
                     島に棲むテングザル   遺跡とワールド・トラベラー


韓国  1974年4月初訪問以降 合計5回訪問 
 
 1970年代までは貧しかったですが、その後は日本人以上の勤勉さで工業化と輸出振興で頑張りました。電子工業などでは日本を追い抜いており、全般的に元気がある国です。日本に似た美しい自然やお寺も魅力的ですが、何と言っても素晴らしいのは、若い男性の礼儀正しさ。過去3度個人旅行したが、年寄りの私を気づかい地下鉄ではさっと席を譲ってくれました。また、街で重たいスーツケースを運んでいると、青年が担ぎ運んでくれました。年寄りを敬う儒教思想、躾けが厳しい徴兵制の影響です。
 
風土は日本に似ており、見どころが沢山あります。首都ソウルは、朝鮮王朝の歴代の国王など祀った宗廟、第4代国王世宗が建てた昌慶宮、朝鮮王朝の離宮・昌徳宮、王朝末期の韓日併合の舞台・徳寿宮、朝早くからごったがえす南大門市場、世界最大級の室内遊園地ロッテワールドなど。韓国第2の大都市、釜山は、港町らしい開放的雰囲気があります。朝鮮戦争(1950〜1953年)後の闇市から始まり何でもある庶民的な国際市場、街の中心の小高い丘からの眺めが良い龍頭山公園がオススメ。
 
 地方でも見逃せない所が多数あります。例えば、新羅王朝の都として栄えた慶州、百済の最後の都になった扶余、「冬のソナタ」ロケで一躍有名になった春川、韓国で最も人気がある山・雪岳山国立公園、韓国第3の都市・大邱郊外の大教典「八万大蔵経」で名高い海印寺、豊かな緑と城壁に囲まれた幻の王都・水原、「韓国のハワイ」と称されるリゾートアイランド・済州島。 もちろん、美味しい韓国料理も大きな魅力。1997年10月妻と一緒の旅行で食べた田舎御膳は、野菜、魚、漬物など30種類のおかずが楽しめるシゴルバブサンという豪華な朝食で忘れがたい料理です。

中国 ;1993年9月初訪問以降 合計20回訪問、ほかに1970年10月初訪問以降 
    8回訪問の香港・マカオ、1971年4月初訪問以降 6回訪問の台湾

 
 1993年に中国本土への旅を始め、中国旅行の定番と言われる北京、西安、上海、桂林を周遊しました。1970年代に香港や台湾を頻繁に訪れましたが、中国本土の旅はこれが初めて。当時の中国は現在のような目覚しい経済発展を遂げる前で、国民はまだ貧しく、町の照明も暗くて夜の散歩が危険でした。しかし、西安の秦の始皇帝時代の兵馬俑、雄大な万里の長城、美しいカルスト地形の桂林など観光し、中国四千年の歴史とスケールの大きさに感動しました。中国は世界遺産が41ありますが、36訪れています。特に印象的な世界遺産は、万里の長城、秦始皇帝陵と兵馬俑のほか、黄山、九寨溝、黄龍 莫高窟、ラサのポタラ宮、四川省ジャイアントパンダ保護区。.  

 面積が日本の25倍もある中国は広いですが、西端の新疆・ウィグル自治区、北端の黒竜江省、西南端のチベット、南端の海南島など、ほぼ中国全土を回りました。民族も全人口の94%を占める漢民族のほかに、55の少数民族(約8000万人)が住む多民族国家です。私が運営する「世界の人形館」の中国コーナーには、多数の鮮やかな衣装を着た少数民族の人形が多数展示され人気があります。

 中国本土を旅して約20年、中国は大変貌しました。経済的に大発展し、高速道路は立派です。特に高層ビルが林立する大商都、上海の変わり様は驚くばかりで、わずか1年ぶりに訪れても別の街のような感じでした。服装も以前は人民服のような質素なものが、現在はおしゃれな装いが目立ちます。さすがに「世界の工場」と呼ばれるだけあり、物は豊かです。しかし、外国の製品を真似た偽物が多く、気を付けて下さい。一方、変わらないのは公衆マナーの悪さで、信号などは平気で無視する人が多い。トイレも相変らず汚く、特に地方へ行くと鼻をつまむことがよくあります。独立志向が強いウィグル族が多く住む新疆・ウィグル自治区は、最近テロが多いので要注意。
 中国旅行の魅力は歴史のある名所旧跡や景勝地のほか、グルメです。中国料理は世界三大料理の一つとして知られ、地方によって特色がある料理を賞味しながら旅を楽しんで下さい。因みに、ワールド・トラベラーは超辛い四川料理が大好物。


  
 韓国:風光明媚な雪岳山    韓国:妻と田舎御膳賞味 中国:大変貌した上海摩天楼

(ヨーロッパ)

スカンジナビア諸国 スウェーデン 1975年8月初訪問以降3回訪問 、ノルウェー
1975年8月初訪以降4回訪問、フィンランド 1975年8月初訪以降3回訪問

 
 美しい森と無数の湖が点在し情報化時代の先進国として名高いフィンランド、ノーベル賞で有名な北欧きっての工業国スウェーデン、壮大なフィヨルドに囲まれて多くの探検家を輩出した国ノルウエー。これら北欧のスカンジナビア諸国は税金が高いが、福祉が行き届き障害者にも優しいので旅行をオススメしたい。
 ただし、緯度が高いので、幻想的な白夜の優しい光に包まれる夏(6月〜8月)が望ましい。また、夏とはいえ基本的に寒冷国なので、夏でも1日の間に4つの季節が入り混じる場合があり、対策として重ね着できる準備が必要です。観光コースは色々ありますが、フィンランド→スウェーデン→ノルウェーのルートが無難。

フィンランド  三方を美しい海に囲まれる首都ヘルシンキは、「バルト海の乙女」と呼ばれます。見どころは、ネオクラシック調建物が並ぶ元老院広場、近くのヘルシンキ名物のマーケット広場、ビザンチン・スラブ様式のギリシャ正教会・ウスペンスキー寺院。郊外は、湖畔にハメ城が建つハメーンリンナ、世界遺産の旧市街があるラウマ、夏の古城オペラで有名なサボンリンナ、ロシア国境に近く北カレリア地方を代表するコリ国立公園。最後に、午後ヘルシンキ港でシリヤラインの豪華客船に乗船し、船中泊し翌朝ストックホルム到着。幻想的な白夜、美味しいディナーや楽しいショー堪能。

スウェーデン  大小14島からなる首都ストックホルムは、「北欧のベニス」と呼ばれます。見逃せないスポットは旧市街ガムラ・スタン、眺めの良いメーラレン湖畔、ノーベル賞授与式会場・市庁舎、高い尖塔を持つリッダーホルム教会、「北欧のベルサイユ」と呼ばれるスウェーデン王室夏の離宮・ドロットニングホルム宮殿です。郊外は、スウェーデン第2の都市ヨーテボリにある食品総合市場サルハッレンと東インド会社などの建物が並ぶ運河沿い、大学の町ウプサラのリンネ庭園と「北欧のピラミッド」と言われる王族墓地ガムラ・ウプサラ、バルト海に浮かぶリゾート地として人気のあるゴットランド島の聖マリア大聖堂など。

●ノルウェー

 バイキングの故郷・首都オスロは、フィヨルドの奥にあり緑が多く静かな街です。異様なモニュメントで有名なフログネル公園は人間の一生を彫刻した作品が並び、バイキングに興味があるならヴァイキング船博物館がオススメ。 ノルウェー観光のハイライトはむしろ郊外。 オスロから北西500kmのゲイランゲル・フィヨルドは、ノルウェー四大フィヨルドの一つでダルスニッバ展望台での眺めが最高です。全長205kmの世界最長を誇るソグネ・フィヨルドは、断崖絶壁の山々と青い
とのコントラストが見事。オスロから350km離れ
たロム村にある北欧最古の木造教会のターヴ教会、ハンザ同盟都市であったベルゲン、沿岸急行船でクルーズした北西部沿岸の美しいロフォーテン諸島、北極点から1300kmしか離れていない北緯78度のスピッツベルゲン島もが忘れがたい。


  
フィンランド〜スウェーデン  スウェーデン:ストック  ノルウェー:オスロのフログネル
 間を航行するクルーズ船   ホルムの市庁舎      公園を妻と散策する筆者

 
ロシアとシベリア鉄道  1969年1月初訪以降合計7回訪問
 
 商社マン時代に繊維関係の商用で酷寒の首都モスクワへ出張しましたが、初めての海外の旅でした。外国へ行くのは小学生時代からの大きな夢で、期待に胸を膨らませると共に大変緊張しました。当時の現地はソビエト連邦の社会主義国体制下、東西冷戦の厳しい暗黒の時代でした。泊まったホテルのロビーは、秘密警察(KGB)が絶えず外国人を監視していました。プーチン大統領はそのKGB出身です。また、国営百貨店の商品棚には売るべき商品がほとんど無く、今の豊かなロシアからは想像できないほど物不足がひどい時代でした。
 私の趣味の写真も厳しく制限され、橋や工場など撮影しようとすると注意されました。寒くて長く感じた夜は、ウォッカを飲んで体を暖めたり、本場のバレエ鑑賞などして退屈をしのぎました。若い女性はほっそりですが、中年になると相撲取りのようになるのが印象的でした。あの岩のように堅固で強大であったソ連が20数年後に崩壊しようとは―。以降の海外駐在や旅行に多大の影響を与え、終生忘れ得ぬ出張でした。
 
 その後6度のロシアの旅で、最も忘れがたいのがシベリア鉄道の旅です。新潟より空路でウラジオストックに入り、モスクワまで全長9300kmの世界最長の鉄道に乗車。初めての長くて未知の鉄道旅行は、120%の充実感と達成感で感激した究極の旅でした。地平線が果てしないシベリアの大地、延々と続く人跡未踏の針葉樹林帯、アジアとヨーロッパの分水嶺・ウラル山脈など駆け抜け、広大なユーラシア大陸を横断。8日間の長い鉄道の旅を終え、モスクワのヤロスラブリ駅に到着。車中で巡り合った各国の人たちとの忘れ得ぬ交流、車内で懐いてくれた少年との感傷的な別れ、毎日利用した食堂車で食べたロシアやシベリア料理など、普通の旅で体験できないものばかり。
 ほかに、「北方のベニス」と呼ばれるロシア第2の大都会サンクト・ペテルベルグ、フィンランド国境に近いオネガ湖に浮かぶキジ島の木造教会、ロシア各地で買ったマトリョーシカも忘れがたいものがあります。

トルコ  
1973年3月初訪問以降 合計10回訪問


 国土の大部分がアジアですが、若干ヨーロッパにまたがるトルコは、東西文明の十字路に位置するイスラム教国です。私が初めてイスラム圏の土を踏んだのがトルコで、最も好きな国の一つ。今やイスラム教過激派組織「イスラム国」が話題ですが、イスラムに興味がある人にオススメしたいのがトルコへの旅。オスマントルコ時代まで伝統的な回教国でしたが、オスマン帝国を倒したケマル・アタチュルクが近代国家を建国し変わりました。以来イスラム教国とはいえ穏健で治安も比較的良く、物価も安く親日的。また、世界三大料理の一つトルコ料理も、日本人の口に合うものが多く魅力的。

 見どころは実に多く、また多様です。その筆頭は、トルコ最大の都市で港町のイスタンブールです。ボスポラス海峡を挟んで東洋と西洋が交差する街は、エキゾチックで活気があります。必見スポットは、オスマン時代のスルタンの栄華が偲ばれるトプカプ宮殿、通称ブルーモスクのスルタン・アフメット・ジャミイ、ビザンチン教会からイスラム教のモスクに姿を変えたアヤソフィヤ博物館、活気あるグランド・バザールなど。ボスポラス海峡のクルーズ、腹や腰をくねらせて踊るベリーダンスの鑑賞もオススメ。 
 地方では、キノコ状の大奇岩地帯カッパドキア、「綿の城」を意味する石灰棚が独特の温泉村パムッカレが必見です。ほかに、「トロイの木馬」伝説の地が郊外にあるチャナッカレ、トルコ最大のグレコローマン都市遺跡エフェソス、ノアの箱舟伝承で有名なアララット山麓にあるドゥバヤジット、イラン国境近くにある景勝のヴァン湖、山頂に巨大神像があるネムルート山、世界有数のモスクがあるアダナなどがあります。


  
トルコ:パムッカレで遊ぶ筆者 ロシア:シベリア鉄道で  ナイアガラの滝:妻と一緒に
                    ロシアの若者と仲良く     遊覧船で滝壺に接近


4.忘れ得ぬ辺境の地や秘境など

 数百ほどありますが、一部を簡単にお話します。視覚障害者の皆さんでも挑戦したいという気持ちがあれば可能であり、秘境旅行好きの皆さんの参考になれば幸甚。なお、詳細は幣著「私はワールド・トラベラー」で紹介しています。是非ご愛読下さい。 
●南極:1995年1月訪問  

●ナイアガラの滝:1986年9月、1996年8月の2回訪問 
●ダニ族の村:2003年11月訪問  
●死海:1976年12月初訪問以降 合計3回訪問

●ペリト・モレノ氷河:2000年3月訪問 
●ミャンマーの首長族:2008年7月 
●北極点:1995年7月訪問 

5.終わりに

  「なぜ社会貢献活動に力を入れるのですか?」とよく他人から質問されます。答えは、(1)街や国の活性化 (2)真の国際化推進 (3)世界平和の祈念のためです。限りある余生を有意義に生き抜きたいと思っています。最近さかんにグローバル化が叫ばれ国際化が進み、国の人口減少に歯止めをかけることができない厳しい現実に直面し、世界に目を向けざるを得ない時代です。 特に、これからの日本を背負う若い世代の皆さんに、「若者よ! 世界に雄飛せよ!」と強く熱く呼びかけたい。


  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 講演会場の一角に世界の人形館の展示品の一部、例えば仮面、人形、万華鏡、万華鏡仮面、三角(クック諸島)や四角(カリブ海のアルバ)のコインを展示。これは目の見えない視覚障害者の皆さんに手で触ってもらうためで、特に凹凸のある仮面、珍しい形のコイン、人形はロシアのマトリョーシカ(入れ子人形)に人気があったようだ。

 ノンフィクション「世界を旅して」シリーズの講演を始めて早3年、11回目となった講演は、視覚障害者の人たちを中心の講演は矢張り普通とはちょっと違った雰囲気の講演になった。約2時間の講演はトイレ休憩を挟まないノンストップであったが、席を立つ人は皆無に近かった。シーンと静まり返り、筆者の声、即ち音に傾聴しようと懸命のムードが漂っていた。しかし、講演後に受けた質疑応答は熱気がこもり、障害者の皆さんも世界旅行に興味を持っていることがよく分かった。
 あと片付けなどを終え、今回の講演主催者のトップ、社会福祉法人の理事長さんとお茶をいただきながら雑談した。ワールド・トラベラーの講演を聴いて一番印象的であったのは、テープで聞かせた各国の音楽で特にイスラム教のアザーン(お祈りを呼びかける放送)とのこと。筆者の読みが的中した企画であった。 


             ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 無料講演を引き受けます。

 
ワールド・トラベラーは年間5〜6件の講演・講義を全国各地で行っています。目的は地域や街の活性化と真の国際化推進、三流とも揶揄される日本外交再生などの一助です。そのために世界に関することであれば、旅行、文化芸術、宗教、歴史、政治や外交に関する国際情勢、グルメ、環境、経済や産業などジャンルを問わずワールド・トラベラーとして恥ずかしくない講演をします。しかも実体験をベースに、他人様の情報をコピペ(切り貼り)しない異色のノンフイクションをありのままにお話します。 
 ご希望があれば、ご遠慮無くお申し出下さい。因みに、慈善活動のため謝礼は一切
不要ですが、ご希望の主旨が筆者の平和的な理念などに反する場合は勝手ながらお断りすることもあります。予めお含み置き下さい。


                    ― ― ―  講演会風景 ― ― ―
  
 プロジェクターを駆使し講演     地球儀を前にして      満席の会場で熱心に聴講する
  するワールド・トラベラー      スピーチする筆者       多数の参加者たち 


お問い合わせ:世界の人形館 
                     TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp
 
 

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カジノの功罪を考える
11

 この1ヵ月ほどブログ更新を中断していたのは、次の著書出版の諸作業で多忙を極めたからである。前著「私はワールド・トラベラー(文芸社)」が良書とか力作などと高い評価を受ける割にあまり売れないことへの反省を踏まえ、「たくさん売れる本、よく読まれる本」にするため女性編集者との打合せがずっと続いた。
 来年早々に刊行されるが、書名は「 
272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった1人で紛争地を旅した!(幻冬舎)」。随分超長ーい書名のため、自分でもよく覚えきれない。ひょっとすれば、これが話題作となり、ベストセラーでなくても、前著よりもましなベターセラーにでもなってくれれば有難いが−−−。

 この間、特に注目すべきトピックは、衆議院解散ぐらいか。敢えて言えば、自民、維新、生活の3党が国会に出したIR推進法、いわゆるカジノ解禁は、世界のカジノ場を知る私ことワールド・トラベラーにとっては興味深々である。結局公明党など与党の一部にも慎重論が出たため、自民党も今国会での成立は見送った。
 カジノ推進論者の目的は観光振興と経済成長で、あくまで複合型の観光施設の容認である。対するカジノ慎重派や否定派はカジノ依存症の弊害を懸念する。第三者的な視点と言うより、1970年代の海外駐在員時代の一時期にカジノに嵌った実体験から言えば、どちらも正しいであろう。

 お隣の韓国の東北部・江原道に「江原ランド」というカジノ場がある。かつての炭鉱が廃坑になり、2000年にカジノ場ができた。地元に税収増をもたらした反面、賭博中毒者が増えて質屋や「カジノホームレス」も増えたとか。
 また11月20日に同国で、「パラダイス・シティ」という新しい大型カジノの建設が始まった。仁川国際空港の近くにできる日韓合弁事業の複合カジノリゾートは、2017年オープン予定で日本側はセガサミーが出資する。

 一方、日本国内では外資系のカジノ資本を含め、各地で誘致の動きがある。例えば、北から北海道の小樽市や釧路市、東京(お台場)、千葉(幕張、成田)、横浜市(山下埠頭)、大阪市(夢州)、長崎県(シーガイア)、沖縄県など。厳しく言えば(百害あって一利なし)と結論付けのカジノを、世界を股にかけ
272ヵ国・地域を旅してきたワールド・トラベラーは世界各地のカジノ場で見聞し、体験した豊富なキャリアを紹介したい。


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 かつて商社マンであった筆者は1970年代前半は香港へよく出張し、6回も出かけている。そのうち1974年2月にマカオへ出かけた。当時ポルトガル植民地だった「東洋のモンテカルロ」と呼ばれるマカオへ遊びに行った。目的は観光とギャンブルである。高速の水中翼船に乗って1時間15分で着いたが、小高い緑の丘、青や赤の屋根に白い壁の家々、香港のようにアメリカ風の高層建築物もない。また、中国風の建物も少ないのに対し、教会や歴史的遺跡が多い。全体的にしっとりと落ち着き、むしろわびしい雰囲気がそこはかとなく漂い異国情緒を醸し出していた。お目当てのギャンブルは、ホテル・リスボアでのカジノとドッグレースをともに初体験して興奮した。結局両方とも負けてしまったが、楽しいマカオの休日を堪能した。

       −−− マカオでのワールド・トラベラー −−−

 
      ドッグレース場で      有名なカジノホテル、リスボア

 2度目のマカオ訪問は、実に30年後の2004年1月下旬であった。その時も前回と同じで香港から高速フェリーで出かけたが、1990年12月20日ポルトガルより中国に返還され、香港と同様に特別行政区となっていた。昔の鄙びた風情は無くなり高層ビルが林立していたが、中でもひときわ目立つのがマカオ最大のカジノ場「リスボア」だ。その後マカオのカジノは発展を続け、今やラスベガスを追い抜いて世界一の地位を築き上げたと聞く。これは中国の急速な経済発展に伴い、元来ギャンブル好きの中国人がカジノ通いしているのが大いに貢献していること言うまでもない。

 その後ワールド・トラベラーは、1974年〜77年に中東のイスラム国のクウェートに駐在した。酷暑、砂漠、娯楽が無いの三重苦を解消するため、年に1度、1ヵ月は社費で家族(妻・長男・次男)とヨーロッパ各地を旅した。駐在中に合計3度(3ヵ月)の静養休暇旅行は、今から想えば相当な豪華な家族旅行であった。旧ソ連を除き、東欧も含めた全ヨーロッパを回ったが、本格的なカジノ場があるのは確か
モナコだけであった。ほかに、1976年7月にポルトガルの首都リスボンを旅したが、その時に西20kmのるエストリルでカジノを見かけたが、まだできて日が浅い真新しい記憶がある。

 

 1976年7月にスイス、旧西ドイツ、オーストリア、イタリア、フランス、英国、スペイン、ポルトガル、フィンランドを周遊した際、フランスからモナコに入った。フランスに囲まれたイタリアとの国境に近い地中海沿いの世界第2の小さな国で、人口は2万5000人ほど。特に観光するようなスポット無く、見どころは矢張り重要な財源のカジノしか無い。モンテカルロ地区にある国営のグラン・カジノ は宮殿のような立派な建物で、設計者はパリのオペラ座パレ・ガルニエと同じ。建物内の装飾、特に天井画や壁画が豪華なので驚いた。

 ネクタイなしで入場しようとしたところ断られたが、モナコのカジノ場は高級な社交場でもあるのだ。その後ネクタイを着用して再入場したが、お目当てのカジノ(ルーレット)はあっさり負けた。それから25年後の2001年9月に再訪したが、前回無かったスロットマシンが多いのが目に付いた。また以前は社交の場として厳しい服装制限があったが、今はラフな格好でもOKでカジノの雰囲気が随分変わっていた。

 クウェート駐在から2年も経たないのに、今度はインドネシアのジャカルタ勤務の辞令が出た。家族帯同か単身赴任か迷ったが、長男が中学生で次男も翌年進学するため、教育問題で後者を選ばざるを得なかった。初めての単身勤務は独り者で気楽だが、家に帰れば話相手がいないため寂しくなる。その孤独感を癒そうとして足繁く通ったのが、ジャカルタの中心にあるサリナ・デパートビル内のカジノ場であった。だが、ギャンブルが御法度のイスラム教国のインドネシアでは、これは極めて例外的である。特別に認可したジャカルタ首都特別州知事が辞めると、直ぐに閉鎖されたと帰国後に聞かされた。

 
   モナコ:グラン・カジノ前の筆者  ジャカルタ:昔カジノがあったビル

 赴任後半年間はずっと通いづめになった。仕事が終わると、直ぐ駆け付けた。大好きなゲームはルーレットで、最初は勝ち続け、すっかり虜になり欲が出てきた。その途端に負け込むようになり、その分を取り戻した上に儲けようとした浅はかさが裏目に出て連敗が続いた。そこで足を洗ったが、この時に(経験したことが無いが)麻薬のようなカジノの怖さを知らされた。その後たまにする機会はあるが、決して深入りしない。


 商社をリタイア後も旅を続けたが、意外なところでカジノ場に出くわすことが間々ある。例えば、1996年4月に訪れた中央アジアのトルクメニスタン、1998年5月と2013年7月に旅したアルメニア、2012年9月に訪れたオランダ領セント・マーチン(シント・マールテン)、1996年以降3回も出かけたオーストラリアのケアンズなどがある。特に、セント・マーチンは狭い島内にカジノが氾濫し、島の台所を支えている。
 
 勿論、カジノの先進国・アメリカの
ラスベガスへは1986年1月と2000年8月に出かけ、2回目の時は初孫と一緒であった。ラスベガスは空港内にもカジノがあり、ホテルではカジノ場を通り抜けないと部屋にたどり着けない文字通りのカジノ一色の街だ。初孫と並んでスロットマシンに興じたのが、今も懐かしい。
 その後2004年6月〜7月に全米各地を回ったが、ニューヨークから
アトランティック・シティに向かった。目的はカジノ場視察で、大西洋に面した全長7.4kmのボードウォーク沿いに10ほどのカジノ場が並んでいたが、最近閉鎖が続いて半減したと聞く。

        −−− 世界のカジノ場を巡る筆者−−−

 
  ラスベガス:孫、妻、嫁と    シンガポール:カジノができる
   一緒にカジノに興じる         マリーナ・ベイ・サンズを背にして


 直近のカジノ視察は2014年4月に訪れたシンガポール。1977年以来13回も訪れたが、行くたびに変貌する。特に今年の旅では、マリーナ・ベイ地区の変わり様が傑出しており、その代表が建築構造がユニークなマリーナ・ベイ・サンズ。2010年7月開業した総合リゾートホテルで、高さ200m、57階建ての3つの塔が屋上で連結し、なんとこの中に世界最大のカジノがある。時間が無いので、プレイせず玄関で退去した。なお、カジノ場は基本的に写真撮影を禁じているので要注意だ。
 成功と言われるシンガポールカジノは、巨大な複合リゾート、マリーナ・ベイ・サンズの一角にある。そこにはホテルを中心に大規模なショッピングモールやフードコートなどもあり、それらが主役でカジノ場はむしろ脇役に過ぎない感じだ。それだけに家族連れが多く、カジノ場だけであれば暗いイメージになりがちなことは無い。


 
  ○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*


 シンガポールのような経営が順調な勝ち組もあるが、全般的には負け組が多いようである。カジノを誘致すれば、必ず雇用も税収も増えるとの読みはどうも幻想に過ぎないようだ。やはり、百害あって一利(税収)しか無く、トータルではマイナスになると結論付けざるを得ないようだ。

                ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

講演会のお知らせ

 ワールド・トラベラー(癲々治)が主に視覚障害者を対象に講演します。もちろん、一般の健常者の方も聴講できますので、ご遠慮無くご参加下さい。お待ちします。
主催:視覚障害者総合支援センターちば
日時:2014年12月6日(土) 14:00〜16:00
場所:視覚障害者総合支援センターちば5階 会議室(定員80名)
    JR四街道駅北口徒歩約4分

講演テーマ:世界旅行のススメ
入場料:無料
お問い合わせ:電話 043−424−2588

 なお、このたび講演者の著書「私はワールド・トラベラー」が視覚障害者のために音訳されましたことを記念し、本講演会が行われます。


                       


無料講演を引き受けます。

  ワールド・トラベラーは年間5〜6件の講演・講義を全国各地で行っています。目的は地域や街の活性化と真の国際化推進、そして三流とも揶揄される日本外交再生などの一助です。そのために世界に関することであれば、旅行、文化芸術、宗教、歴史、政治や外交に関する国際情勢、グルメ、環境、経済や産業などジャンルを問わずワールド・トラベラーとして恥ずかしくない講演をします。しかも実体験をベースに、他人様の情報をコピペ(切り貼り)しない異色のノンフイクションをありのままにお話します。
 ご希望があれば、ご遠慮無くお申し出下さい。因みに、慈善活動のため謝礼は一切不要ですが、ご希望の主旨が筆者の平和的な理念などに反する場合は勝手ながらお断りすることもあります。予めお含み置き下さい。


                    ― ― ―  講演会風景 ― ― ―
  
 プロジェクターを駆使し講演     地球儀を前にして      満席の会場で熱心に聴講する
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