世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
視覚障害者のための講演会「世界旅行のススメ」と衆議院選挙(1)
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 私ことワールド・トラベラーが3年ほど前から始めたノンフィクション「世界を旅して」シリーズの講演は、順調に回を重ねて昨6日で11回目を迎えた。今回は千葉県では唯一の視覚障害者支援施設、視覚障害者総合支援センターちば の文化講演会に招かれて楽しく講演した。演題は「世界旅行のススメ」である。
 過去10回の講演は健常者を対象としたものだが、今回のような視覚障害者を対象にした講演会は初めてであった。しかし、講演の仕方は特別なものではなく概ね通常で、少々音楽を聴かせるなど若干の工夫をしただけであった。お声を掛けて頂いた主催者の支援センターに深く謝意を申し上げたい。
 
 因みに、視覚障害者総合支援センターちばでは、立派な点字図書館も併設されている。点字や音訳作業も行われ、点字図書や録音図書が製作され、視覚障害者に貸し出されている。その点訳や音訳を支えるのがボランティアの皆さんで、このセンターではボランティア養成講座もある。
 最近、あまり売れない幣著「私はワールド・トラベラー」も音訳され、驚きを禁じ得ない。早速DAISY デイジーというCDをセンターからいただき聴いたが、音訳されたナレーションの正確さと素晴らしさ、そして我が著書に改めて感動した。


 ところで普段でも師走(12月)は忙しい上に、衆議院選挙が急遽12月14日に行われることになり、どのくらい講演会に来て頂けるのか些か不安であった。しかし、障害者やボランティアの人などを含め70名近い聴講者があり、外は寒かったが相当熱気のこもった講演会になったようである。
 なお、講演会に先立ち、点訳や音訳のボランティアをされた人たちに対する表彰式があった。世の中には様々なボランティアと称する団体や個人があるが、中でも献身的に視覚障害者の支えになっているセンター関係者の尽力を労いたい。

        −−− 講演会場の視覚障害者総合支援センターちば −−−

  
  支援センタ−の玄関    満席になった講演会場内      講演する筆者

 それにしても、この忙しい年の瀬に選挙を強行(との声が多いようだ)するとは、一強を誇示する自民党が申す「この道しかない解散」ならぬ「わがまま解散」と言えよう。いかにもお坊ちゃま(と巷間言われる)首相の面目躍如たるものがあるが、ありがた迷惑と思っている人たちも多いのではなかろうか?

 安倍政権の経済政策「アベノミクス」の是非が衆院選の大きな争点になっているが、このところ更に円安が進んで1ドルが120円台に突入した。株価も上がる円安は良いと思われがちだが、円安の意味が分からない人が多いようだ。
 円安で食材などの高騰による物価上昇に、賃金アップが追いつけない実質賃金低下が続くようであれば、アベノミクスの打ち上げ前に逆戻りしかねない。また、円安は文字通り円が安くなることであり、換言すれば円の値打ちが下がり、日本の信用や経済力或いは国力低下を意味する。トータルに考えると、急激な円安は望ましくない。 

 今回の衆議院選挙には700億円もの巨費がかかるとか。一方、急遽決まった選挙のあおりを食い、小学校などでの行事の中止が相次いでいると聞く。楽しみにしていた子供たちや保護者はさぞかしガッカリしたであろう。
 筆者の講演会もこの選挙が無ければ、もっと大勢の人たちが聴講していたであろう。当日配布した講演資料の主旨を以下紹介する。



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        272ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが語る
                世界旅行のススメ
         ノンフィクション「世界を旅して」シリーズ第11弾
                                    癲々治(世界の人形館)
1.はじめに

 光陰矢の如しで、本年も早いものであと1ヵ月足らずですが、私の場合は年を取ると共に忙しくなる一方です。77歳という後期高齢者の年甲斐も無く、多忙の1年で終わりそうです。これは約6年前からプライベート・ミュージアム「世界の人形館」を無料公開のほか、3年前から各地で講演や講義を続け、今も世界旅行を続けているからです。
 さらに昨夏には、生まれて初めて本を出版しました。商社マンからスタートした半世紀以上に及ぶグローバル人生を回顧した著書「私はワールド・トラベラー」は、良書とか力作などと高い評価を受けているようです。

 しかし、あまり売れないため、ガッカリしていました。ところが、この本が人形館を見学された茂原市の河野さんのリクエストで音訳され、それがご縁となって今回の講演に結び付いたようです。その後音訳されたデイジーCDをいただき直ぐに聴きましたが、その素晴らしさに驚きました。
 音訳をされたボランティアの皆さんと、録音製作された支援センターの職員の方々
に大変感謝します。因みに、私の著書を受付に少々置いていますので、ご購入頂き
ますと本当に嬉しいです。
 
 さて、4分の3世紀以上生きて来ました私のグローバル人生は、幼い少年時代から始まりました。戦前生まれの人間としては極めて異例です。第二次世界大戦が終わって間もなく、今から約70年前の小学生時代から、世界地図を見るのが好きでした。
 当時子供たちがよく読んだ少年雑誌や漫画にあまり興味がなく、地図を見ながら寝入ってしまうことも度々でした。10歳頃から海外に出て世界を見聞したいとの願望が芽生え、私のグローバル志向がどんどん膨らみました。
 
 そのため学生時代から英語など外国語習得に注力し、幸い外国語で商売する総合商社に入社しました。小さい時からの憧れであった世界への初旅立ちは、1969年1月でした。旧ソ連(現ロシア)の首都モスクワへ業務出張しましたが、気温がマイナス30〜35度の酷寒に震えました。
 その後1974年〜1984年に、イスラム圏のクウェートとインドネシアの海外駐在員として働き、当時では非常に珍しいイスラム体験をしました。リタイア後も海外旅行を続け、残された余生も体が元気である限り続けたいと思っています。

    −−− イスラムとのくされ縁が切れないワールド・トラベラー −−−

  
 クウェート:1970年代 インドネシア:1982年ジャカルタ 日本:四街道市の障害者
 若かりし商社マン時代  勤務時代モスク前で家族と共に  支援センターで講演

 
 約45年の間に様々な国と地域を訪れましたが、最も忘れがたいのは19年前の1995年でした。1月には南極、5月は北朝鮮、7月は北極点、11月はネパールの世界の最高峰エベレスト山麓に出かけました。あの阪神大震災があったこの年は、
旅好きの私にとってもまさに画期的な年でした。
 特に北極点に到達した時は、一般的にフランクだが尊大な面もあるアメリカ人の旅行者から、「お前こそ本物のワールド・トラベラーだ!」と呼ばれ、敬意を表してくれました。その後はこのニックネームを愛用する、外国旅行が大好きな世界の旅人として少しずつ知られるようになりました。
 
 また、今年の8月に日本でホームステイしていたノルウェーとオランダの学生たち3人が世界の人形館を見学した際、その内の一人が「世界人に出会いました!」と見事な漢字と平仮名で記帳してくれました。以降は「世界人」という称号も時々使います。
 実は日本政府から勲章を頂戴したことは無く、今後も無いでしょう。しかし、世界を股にかけて旅した者にとって、「ワールド・トラベラー」「世界人」という勲章(?)のほうがずっと価値があります。
 
 本日は今年の3月〜4月に出かけた直近の旅の報告を皮切りに、半世紀近い世界への旅立ちを回顧し、特に視覚障害者の皆さんにオススメしたい旅のお話をします。もちろん、私の講演は現地での実体験をベースにしたノンフィクションで、今流行りの他人様情報のコピペもありません。お話したいテーマは種々多々ありますが、予め伺っていますテーマを中心にお話します。

2.直近の海外旅行&今まで訪れた国・地域の数

 15年ほど前から私の外国旅行は、基本的にガイドや通訳を付けない個人旅行です。このため孤独で過酷な旅が多く、旅費節減も兼ねて付けるのは現地調達のドライバーだけで、英語などできる運転手はガイドもお願いします。直近の一人旅は、今年の3月20日に成田を出発、1ヵ月後の4月18日に帰国しました。
 訪れたのはインド洋及び南太平洋に浮かぶ島々、インド領アンダマン諸島、オーストラリア領のココス諸島とクリスマス島、ニュージーランド自治領のニウエ、フランス領のウォリスの5地域です。これらの島々を効率良くアイランドホッピングするため、インドのチェンナイ、シンガポール、オーストラリアのパース、ニュージーランドのオークランド、ニューカレドニアのヌメアにも寄りました。この旅を終え訪問国と地域は
272となり、また世界最多訪問国・地域の自称ギネス世界記録を更新しました。

   −−− インド洋と南太平洋のアイランドホッピングを楽しむ筆者 −−−

  
インド:アンダマン諸島の  ニウエ:スポーツフィッシングで  シンガポール:空中庭園
 マングローブを愛でる   約10kgのワフーを釣り上げる スーパーツリー・グローブ

 因みに、国際的に認められている世界の国の数は、2011年7月9日に独立した南スーダンを含め195で、日本を除くと194ヵ国になります。私は194すべての国と73地域を訪問済みですが、実際は199ヵ国を訪れています。5つ多いのは実効支配の国々、例えば北キプロス、西サハラ、アブハジア、沿ドニエストル、ナゴルノ・カラバフが存在する現実です。

3.視覚障害者にオススメしたい世界旅行

 皆さんが米国やヨーロッパなどへ旅行する場合、普通「海外旅行」と言います。しかし、地球規模で考え、言動しなけれならないグローバル化が叫ばれる今日では、この言葉は適切ではありません。日本は周りが海で囲まれた島国ですから、海を越えなければ外国に行けないため「海外」を常用します。しかし、ヨーロッパをはじめ、世界では陸続きの国々が圧倒的に多く、これらの諸国では、「海外」はピンと来ないでしょう。
 では、「外国旅行」はどうでしょう? この21世紀の世界は情報通信の飛躍的な進歩により、一部で国境紛争問題があるとはいえ、ボーダーレス時代になりつつあります。そうなりますと、国内と国外(外国)の垣根は不要です。
 米国などと厳しい交渉を強いられているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)も、我が国のことだけを考えていては国際社会、或は世界で生きて行けないことを意味しています。「外国」という単語も今風ではありません。やはり、「世界旅行」がピッタリと言うべきでしょう。
 
 世界には国だけでも約200もあります。すべての国を訪れるのは至難であり、ワールド・トラベラーとて半世紀近い年月を要しています。また、21世紀に入ってイスラムの変質などによって世界的にテロが増えており、明らかに治安が悪い国は避けるべきです。直行便が無く乗り継ぎが多い遠隔地への旅行も、この会場にいらっしゃる視覚障害者の皆さんにはハンディになります。
 しかし、聴力などは健常者より優れています。五感、すなわち見る・聞く・嗅ぐ・味わう・触るの感覚のうち、見るを除く四感で世界旅行が楽しめる国や地域はたくさんあります。一度しか無い人生を悔いなく送っていただくため、世界旅行をオススメします。その参考になればと、私の想い出深い懐かしき旅を紹介します。

                         (続く)


                                  ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 ワールド・トラベラーのプライベート・ミュージアム、「世界の人形館」の見学者は実に多彩です。国際的なヴァイオリン奏者、アンナ・スタルノフスカヤさんもその一人。日露混血の才能豊かな彼女がプロデュースする、親子で楽しめるクラシック・コンサートが、千葉県我孫子市で次の通り行われます。世界の人形館はこの素晴らしいコンサートに賛同し後援しています。
 今回はアンナさんのデビュー30周年記念演奏会です。また、特別ゲスト奏者(フルート)として、著名な経営者でもある(株)龍角散の代表取締役社長の藤井隆太氏が出演します。酷寒の折柄ですが、是非ご来場下さい。お待ちします。


  
 アンナ・スタルノフスカヤさん       ポスター            藤井隆太氏

          ☆☆☆ ニューイヤーコンサート ☆☆☆

日時: 2015年1月18日(土) 15:00 開演 (14:30開場 〜
17:30終演) 
場所:我孫子市けやきプラザふれあいホール
アクセス:常磐線・千代田線 我孫子駅南口徒歩1分
入場料:一般 1300円 子供(4歳以上)・学生 700円   
演奏者:アンナさんはじめ約10人の奏者の大半が女性という異色の
顔ぶれ。
お問い合わせ:TEL: 0297−68−9517 ジョイ・ファミリーコンサーツ 
又は
              
04−7184−4745 世界の人形館

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芸域を広げた(!?)AIRA講演 「グローバル時代を生きる」
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 今年の前半は幣著「私はワールド・トラベラー 世界257ヵ国・地域を旅した男」の出版で多忙であったが、6月〜7月の海外旅行後は各地での講演で忙殺されている。筆者の講演時間は内容から言って2時間が原則だが、現実には圧倒的に約1時間のリクエストが多い。そこで悩み抜いた挙句、ケースバイケースで短時間の講演も引き受けることにした。その最初の試みが8月10日の講演会で、その詳細は「久しぶりの講演」としてアップした。続く第2弾に講演したのが本日、9月29日であった。
 私ことワールド・トラベラー&世界の人形館は我孫子市国際交流協会(AIRA)の賛助会員で、国際化推進のために微力ながら支援している。その
AIRAさんからあびこショッピングプラザのあびこ市民プラザホールで開催する国際交流スピーチ大会発表後の講演、いわゆる同時講演の依頼があり即受けした。
 
 スピーチ発表では、日本、中国、モンゴルから13人が参加し、次代を担う若人が熱弁をふるった。Native Speakerに近い英語を話す日本人、冷静に日本を観察している外国人スピーチには驚かされるものがあった。 
 ところがスピーチ発表が20分ほど遅れ、当初1時間講演が実際には約50分になり、まさに駆け足の講演となった。そのためプロジェクターを使った写真紹介が中心になったのが、些か残念である。しかし、或る意味では臨機応変に時間対応も出来る、
 講演講師
としての芸域(?)を広げることが出来たかも知れない。
 

  
  あびこショッピングプラザ           講演会場              講演する筆者

 何はともあれ、講演テーマ、265ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが語る「グローバル時代を生きる」の概要を以下の通りご紹介したい。

   
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

AIRA(我孫子市国際交流協会)主催国際スピーチ大会
同時講演会 

 
         265ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが語る
         グローバル時代を生きる   

                              
                        (世界の人形館)
1.はじめに                                              
 
 先ずは、本日の盛大な国際交流スピーチ大会開催、オメデトウございます。また、同時講演の講師としてお招きいただき、まことに有難うございます。本日は休息日です。それにも拘らず、私の講演をご聴講いただくためこのように多数お集まりいただき、重ねてお礼を申し上げます。そしてこの会場には外国人の皆さんもいますので、できるだけはっきりと平易な日本語でお話します。ただし、大阪生まれで少し訛りがありますので、ご容赦ください。
 さて、先ほどから若い皆さんの情熱あふれる素晴しいスピーチを聞き、大いに頼もしく思いました。また、中国やモンゴルの人たちの参加もあり、多謝多謝!バイルラー!両国は私の大好きな国ですが、特に1996年5月と2006年8月に訪れましたモンゴル(地図−27)が印象的でした。懐かしい想い出が沢山ありますが、特に泊まりましたゲルという伝統的な移動式住居と、酸っぱいアイラグという馬乳酒は忘れがたいものがあります。
 
 私は今76歳で、高校2年などの孫がいます。今日のスピーチ大会の参加者の皆さんから見れば「じじい」ですが、私は普通の老人ではありません。1995年7月に北極点に行った時に、アメリカなどの旅行者から「ワールド・トラベラー」と呼ばれました。その後このニックネームを愛用する、外国旅行が大好きな世界の旅人です。

 今年の7月「私はワールド・トラベラー 世界257ヵ国・地域を旅した男」という本を出版しました。この本の「はじめに」で、今から70年近く前の小学生時代から、世界地図を見るのが大好きで、地図を見ながら寝てしまうこともあったことを紹介しています。既に10歳ころから海外に出て世界を見聞したいとの強い気持ちがあり、私の「グローバル時代を生きる」人生が始まりました。そのため学生時代から英語などの外国語習得に注力し、外国語でビジネスをする商社に入りました。1974年〜1984年にクウェートとインドネシアの駐在員として働いて住み、退職後も海外旅行を続けました。私のような戦前生まれの人間としては珍しい人生です。これからのお話は自慢ばかりになり面白くないかも知れませんが、我慢して最後まで私のお話を聞いてください。
 なお、この講演に対し、いくつかの質問が来ています。私の講演時間は普通2時間ですが、本日は半分の1時間ほどです。時間を節約するため、寄せられた質問に回答する形でスピーチをします。ご理解ください。 
 
2.最新の海外旅行体験談
 
 15年ほど前から私の外国旅行は、基本的にガイドや通訳を付けない個人旅行です。付けるのは現地調達のドライバーで、ガイドも兼ねます。直近の一人旅は、去る6月12日に成田を出発しました少々危険な旅でした。モルドバ謎の独立国(?)沿ドニエストル、ロシア連邦南部のソチ・ロストフ・クラスノダールの黒海とアゾフ海沿岸の都市、ロシアが実効支配する独立国(?)アブハジア、チェチェン・北オセアチア・ダゲスタンのロシア連邦内の共和国、アルメニアと同国が実効支配する独立国(?)ナゴルノ・カラバフ、グルジアと同国内のアジャリア自治共和国、イラクのクルド自治区、アラブ首長国連邦のアブダビを訪れて1カ月後の7月11日に帰国しました。
 この旅で改めて“Travel is Trouble”を痛感しました。私の世界への旅立ちは、総合商社(三井物産)勤務時代の1969年、気温がマイナス35度にもなる寒い1月、旧ソ連(ロシア)の首都モスクワへの出張から始まりました。以来約45年間も外国へ出かけ、恐らく数千回のフライトに乗ったでしょう。普通の人よりも旅慣れしているとは言え、今も旅行中は緊張するもの。と言うのは、旅にはトラブルが付きものだからです。
 
 最近のロシア・コーカサス・イラクなどの旅がその典型で、予想外の様々な問題が起こりました。たとえば、

(1) フライトのトラブル・・・チェチェンの首都グロズヌイ〜モスクワ間の便が1時間半も遅れ、アルメニアの首都エレバン行きフライトに乗り継ぎできず、モスクワで1泊せざるを得ませんでした。1日遅れてエレバンに着きましたが、今度はなんとスーツケースが見当たりません。荷物がホテルに届けられたのは2日後で、その間は着替えもないため裸で寝たほどで不便でした。夏であったため我慢できましたが、寒い冬ならもっと大変だったでしょう。

(2) 入国やビザ問題・・先日訪れたアブハジア、チェチェン、オセアチアなどのコーカサス地方は一般に危険な地域と言われ、日本の外務省も渡航延期や退避の勧告を出すほどです。その証拠として、日本人はもちろん、今や世界のどこでも見かける中国人も、これらの地域ではいませんでした。やはりコーカサス地域への入国は容易ではなく、現地で問題が起こりました。ボストンマラソンのテロ事件の犯人、若い2兄弟の出身地で有名になったチェチェンでは、首都グロズヌイ市内を散策中に警察に職務質問されたほか、北オセアチアやダゲスタンへ行きました時は度々厳重な検問を受けました。特にチェチェンから北オセアチアに入ると検問が一層厳しくなり、2004年9月の学校占拠事件で350人以上が殺害されたベスランで警察に2時間も拘束されました。
 その後、南オセアチア入りしようとしましたが、パスポートにアルカイダのテロリストが多いイエメンのスタンプがあることが問題になり、結局入国できませんでした。日本クルド友好協会の紹介状で特別入国できたイラクのクルド自治区も外出や移動が自治区内に限定され、治安問題もありバグダッド行きは断念しました。


     
    モルドバ:キシニョウ郊外の      ロシア:列車の旅を楽しむワールド・
     美しきカプリアナ修道院        トラベラー、クラスノダール駅にて


 3.今まで訪れた国・地域は?
 
 最新の旅を終え、沿ドニエストル、アブハジア、ナゴルノ・カラバフの3つの事実上の独立国(ただし国際的には承認されていない)、またチェチェン、北オセアチア、ダゲスタン、アジャリア、イラク・クルド自治区(クルディスタン)の5地域を新たに加えました。従って、過去約45年間に訪問しました国・地域は別表「ワールド・トラベラーが訪れた265国・地域」の通り、国は199、地域は66で、合計265になります。最近出版しました「私はワールド・トラベラー」という本で紹介した257の数字も過去形になりました。ちなみに、世界の国の数は下表の通りです。

 
大陸名 アフリカ アジア
(中東含む)
ヨーロッパ 米州
(北中南米)
オセアニア 合計
国の数 54 46 46 35 14 195
   
 一応国際的に認められています世界の国の数は、2011年7月9日に独立した南スーダン(地図−12)を含め195で、日本を除くと194ヵ国になります。私は194すべての国と66地域を訪問済みですが、実際は199ヵ国を旅しています。5つも多いのは実効支配の国々、北キプロスと西サハラ、そして今回の旅で訪れたアブハジア、沿ドニエストル、ナゴルノ・カラバフが存在する現実です。
 我が国も日本・韓国・ロシアとの間で領土問題がありますが、この実効支配(Effective Control
)が絡みます。実は世界に実効支配下にある国や地域が数多くありますが、私はそのほとんどを訪れており熟知しています。近々詳しく講演する機会を持ちますが、関係国はよく話し合って出来るだけ円満な解決を望みます。
 
4.私にとっての国際交流 & 国際交流には何が大切か
 
 「百聞は一見に如かず Seeing is Believing」は国際交流で最も重要なキーワードです。この言葉を念頭にして世界を旅してきました。私は頭が優秀なエリートではありませんが、好奇心だけは普通の人の数倍はあるでしょう。この半世紀近く世界の表通りと裏通りを歩いてきましたが、どちらかと言えば裏通りが好きです。それは庶民の生活ぶりが分かり、その国の本当の姿が正しく理解できるからです。
 今から約55年前の大学生時代から在日の外国人留学生と交流し、商社マンになって世界を相手にビジネスをして公私ともにお付き合いした外国の取引先、2度の海外駐在で得た貴重な現地での生活体験、リタイア後の個人的な海外旅行で知り合った現地人との交流などを通して、一つだけ変わらない私なりの信念があります。それは外国の人たちを自宅に招き入れて精一杯歓待し、日本人の生活ぶりを垣間見てもらうことです。逆に外国の人たちから誘われましたら、喜んで相手の自宅を訪問します。日本では外で人に会うと、すぐに「お茶を飲みませんか」「今晩一杯やりませんか」の挨拶が交わされます。つまり、外でのお付き合いになります。しかし、外国は一般的に、外ではなく自宅での接待が最大のおもてなしになります。オフィスで難しい商談をしても、相手から自宅に来ないかと誘われたら、契約がほぼ決まったことを意味します。

 40年近く前に駐在しましたクウェートはイスラム教の国です。女性は外出の時に肌や体全体をかくす伝統的な服装で、実際の姿が分かりません。しかし、現地人と親しくなると自宅に招かれ、鮮やかな現代的な服装の女性たちにお目にかかれます。私が長年実践してきました自宅接待を確認したい方は、私のプライベートミュージアム「世界の人形館」をお訪ねください。

 
 以上が私にとっての国際交流ですが、人にはそれぞれ考えがあり、また近年は個人情報保護がうるさい時代です。日本では“自宅接待なんてとんでもない”という人も多いようですが、そろそろ発想転換が必要では?
国際交流は国際平和のベースになるものです。政府間の国際交流はちょっとした外交問題などですぐに断絶します。これを補うのが民間ベースの地道な国際交流、換言すれば民間外交です。これは私の世界の旅の目的の一つです。掛け声に終わるうわべだけの国際交流ではなく、真の国際交流を心がけてはいかがでしょうか。開催が決まりました2020年東京オリンピックとパラリンピックは、真心のこもった国際交流を実行する絶好の機会であり、その場になるでしょう。それが戦争や紛争のない平和な世界を築くことに貢献すると確信します。


    
      旧ソ連:1969年1月モスクワ   グルジア:アジャリア共和国
      寒さ厳しい赤の広場で     の植物園で子供たちと仲良く


5.外国から見た日本(人)の長所と短所など
 
 50年以上も前に商社マンになり、世界の人たちを相手に国際的な仕事をするグローバル人生が始まりました。様々な国の人たちとの交流から、外国人は日本(人)をどのように思い、あるいは評価しているかを知ることができました、昔の日本に対する外国の一般的なイメージは、サムライ、ゲイシャ、フジヤマ、ホンダ&ソニー、第二次世界大戦、てんぷらなどでした。また、大きな痛手を受けた敗戦にもかかわらず、奇跡的な戦後復興と急速な経済発展、日本製品の高品質が賞賛されました。海外へ出かけても、私を見かけて「日本人か」と確かめ、敬礼をしてくれるなど尊敬してくれました。その後、コストの安い韓国、そして中国などアジアの製品が世界市場で売られるようになり、「Made in Japan」は少なくなりました。韓国は1974月から6回、中国は1993年から20回も訪れていますが、昔に比べ大きな発展を遂げ驚いています。多分15年ほど前から私が世界を旅しても、「中国人 or韓国人か」と声をかけられ、日本人だとは思ってくれません。
 皆さん、国連(国際連合)の最大のスポンサーはアメリカであることを知っているでしょう。では、2番目の国はどこですか?それは我が日本です。それだけに日本の国際的な地位の低下が残念で、実は悲しくなります。
 
 この半世紀以上にわたり、外国(あるいは外国での私)から見た日本(人)の長所と短所は次の通りです。

長所:○  四季があり、自然、特に秋の紅葉と箱庭的な渓谷が美しい。
    ○ 治安が良く平和。落し物をしても戻ってくる確率が高く、自動販売機が多いのは治安が良い証拠。

    ○ 街が清潔。そのためのゴミ処理が徹底している。
    ○ 世界のグルメが賞味でき、特に日本料理のご飯と魚は長生きの秘訣。
    ○ 水がきれいで、どこでもただで飲める。
    ○ 特に外国人に対して親切(しかし同じ日本人にはそうでもない)。
    ○ 官僚やお役所が勤勉であるため、政治が不安定でも国自体はあまり問題にならず運営される。
短所: ● 経済は一流だが、外交は三流くらいで下手。
      ● 首相がコロコロと替わるため、外国の大統領や首相から信頼されない。
        ● 学校や大学などで英語などを長く勉強するわりには外国語の会話が苦手。
     ● 外国(人)に対してYes Noをはっきり言わない。「以心伝心 Telepathy」「沈黙は金なり Silence is Golden」は、一般に外国では通用しない。
    ● 少子高齢化が進み、国全体、特に地方で活気がない。
    ● 大きな地震があり怖い。私は駐在・出張・旅行を合計すると20年以上も外国にいたが、地震は皆無。

 なお、「日本から見た外国」という質問には、以下の通り「私から見た外国(人)」を簡単に紹介します。
長所:○ 人口増加などが経済成長につながり、元気で活気がある。東南アジア、アフリカ、中南米など。
    ○ 一般的に自己主張やYes Noがはっきりしている。
短所:● 宗教や民族対立、独裁や腐敗政治により政治が不安定で治安が悪い国が多い。中東、アフリカ。
 
6.多くの国を旅しようと思った動機
 
 小学生時代から外国に憧れましたが、外国に出かけるチャンスが多い商社マンになりました時でも、まさか世界のすべての国を旅するとは思いませんでした。しかし、1995年1月に南極(地図−17)に出かけ、7月に北極点で地球(儀)の頂点に到達しました時、アメリカ人の旅仲間から「お前こそワールド・トラベラーだ。Great!」と言われ、野望が芽生えました。また、人間は歳を取ってくると、生きているうちに何か後世や若い世代に残したい気持ちが強くなります。多くの国を旅するためには、国の数が最も多いアフリカ大陸を征服しなければなりません。アフリカには54の国がありますが、治安やビザ問題で旅行が困難な国が3分の2もあります。日本の外務省の危険安全情報も無視し、リスクを覚悟し強引に行ったのが実情です。「虎穴に入らずんば虎児を得ず Nothing venture, Nothing win 」のことわざの通り、度胸と決断が必要です。
 アフリカ征服後は順調に訪問国・地域の数を増やし、知人などからそろそろギネス世界記録に申請登録してはと勧められます。しかし、私にはそのような考えはありません。まだまだ訪れたい未知の地域があるからです。
 
7.私はなぜ本を書こうと思ったか
 
 若い時から書くのが好きで、筆が立つとおだてられました。商社マン時代は、書きましたものが会社の社内報や業界誌によく載りました。退職後にツアーに参加しました時も旅仲間から本を書いてはと度々勧められましたが、種々事情や考えがあって出版は実現しませんでした。しかし、旅行中は毎晩日記を付けたり、帰国後は旅行記のホームページ(未公開)を作成し、将来の出版に向けた準備は約10年前から始めました。4年ほど前に私のプライベートミュージアム「世界の人形館」を無料公開し、また多数の見学者から出版の催促を受けました。後期高齢者になりました昨年(2012年)、2年半前からスタートしました私のブログ「世界の人形館の夢メッセージ」が出版会社に注目され、本を出してはと強く勧められました。人の命には限りあり、また若い世代や家族に“日本の将来を憂う”メッセージを託したいと考え、この辺が潮時とやっと出版に踏み切りました。
 
 さて、今年の7月に刊行され発売されましたが、本の売れ行きはあまり良くありません。良書とか力作などと賞賛されますが、出版前はあれほど「買います、買いますよ」と言い続けた人たちがさっぱり買ってくれません。「悪貨は良貨を駆逐する」とは英国のグレシャムの法則ですが、まさか「悪書は良書を駆逐する」とは想定外でした。実はAIRAの皆さんにも買っていただくよう無理をお願いしていますが、あまり買っていただいていないようです。

 会場の皆さん!真のワールド・トラベラーを知りたければ、私の本「私はワールド・トラベラー 世界257ヵ国・地域を旅した男」を購入してください。もし、面白くない本と思いましたら、本代は返金します。また、私は今日ここで決心しました。「私の本をぜひ読みたいが、買う余裕がない」人すべてに本をプレゼントします。ただし、「世界の人形館」を見学していただき、グローバルマインドを持ってください。ご希望の人はご遠慮なく申し出てください。
 
8.今後の旅行計画
 
 私の旅行計画は突然決まります。昨年(2012年)夏にロンドンのオリンピックがあり、開会式での参加国の入場行進でイギリス領のバミューダ(地図−19)とヴァージン諸島以外の国・地域はすべて訪問済みでした。そこでバミューダとヴァージン行きをすぐに決意し、2ヵ月後の9月に現地へ飛びました。今年(2013年)は4月に起こったボストンマラソンのテロ事件で若い2兄弟の犯人がロシア連邦のチェチェン共和国出身であることを知り、2ヵ月も経たないのにチェチェンに向かいました。このように私の旅は衝動的にあっさり決まりますが、「有言即実行」を信条の一つとするためこのようになります。今後の旅行計画は未定ですが、大体の腹案はあります。危険な地域はこの会場にいます妻も心配しますので、次はインド領のアンダマン諸島やニュージーランド自治領のニウエなど、比較的安全なアジアや太平洋の島々になるでしょう。
 
9.その他エピソードなど
 
南極と北極の違い
 1995年に2度も両極、すなわち南極と北極点を探検、また1997年8月にはカナダ北極とグリーンランドに出かけました。これらの極地への旅を通し、この宇宙で唯一人が住む(と思われる)惑星である地球の素晴しさ、広大さ、多様性などを実感しました。私が思う南極と北極の違いは次の通りです。
 
  南極 北極
領域 南極大陸 北極海を中心にグリーンランド、カナダ北極のエルズミア島・バフィン島・ビクトリア島など
地形など 大陸の面積は1392万k屐米本の約37倍)、そのほぼ全体が厚い氷に覆われ、中央部の標高は3000〜4000mで最高峰は5140mのビオンソン山 北極点を中心とする北極海一帯は厚さ3〜5mの氷に覆われるが、グリーンランドやカナダ北極では少数だが人が定住する
気温 中心部の平均気温はマイナス50度、沿岸部はマイナス10度 冬の年平均気温はマイナス40度、夏は0度 海流の影響で南極より少し暖かい
アクセス 耐氷船、航空機 砕氷船、航空機
主な生き物 ペンギン、アザラシ、鯨 北極熊、セイウチ、鯨
訪問時期 12月〜2月 6月〜8月
探検の歴史 1911年ノルウェーのアムンゼンが南極点初到達 1909年アメリカのピアリーが北極点初到達
国際法では 南極条約によればどの国も領土保有宣言できない アメリカ、ロシア、NATOにとり軍事的に重要
 
  ワクワクする南極への旅で最大の苦しみは、南米大陸と南極大陸との間に広がるドレーク海峡(地図−25)の通過です。世界一とも言われる荒れる海峡として有名で、凄い揺れで船酔いする人が多い。私が乗りましたクルーズ船は650kmもある世界一幅の広い海峡を通過し、南極へ向かいました。幸い往路はほとんど揺れず、復路も穏やかなドレーク海峡であればと願っていましたが、その考えは甘かったのです。南極半島周辺を離れてフォークランド諸島に向かう途中、海峡に入った途端に案の定、船は右に左に前後にと揺れ始めました。船内での歩行が困難なほかに、ベッドに座っていても体が倒れそうになりました。食事の時は船が大揺れしてテーブル上の皿などの食器が滑り落ちないよう、テーブルクロスを水で濡らす工夫をします。私は幸い軽い船酔いで済みましだが、廊下で苦しそうにビニール袋を持って座り込んでいる乗客もかなりいました。
  一方、北極点へのクルーズでは、荒れるような海や天候はほとんどありませんでした。代わりに世界一強力な原子力砕氷船ヤマール号(全長154m、全幅31m、総トン数23445トン)が氷の厚さが3〜5メートルもある氷床を砕氷して進む時は、まるで大地震があったように大きく振動して、安眠できない夜もありました。
 
不完全燃焼
 私の3つの信条の1つは完全燃焼、つまり「やりたい事はやり抜く」ことです。したい事を中途半端で止めると、夜ぐっすり眠れません。2ヵ月ほど前の旅で最後に寄ったアブダビでは、イスラム教徒にとって重要なラマダン(断食)がちょうど始まりました。暑いと言えば日本も暑かったですが、アブダビの暑さとは比較になりません。最高気温が50度にもなる猛暑で、日中の外出や移動時間は2時間ぐらいが限度でした。しかし、休憩も取らず、長時間続けて観光しました。そのせいもあり、お腹もこわすなど体調を崩して帰国を1日早めました。
 強気の私も老齢と体調悪化には勝てず、途中で帰国するという不完全燃焼になり、我ながら情けなくなりました。逆に言えば、完全燃焼したい気持ちがあったからこそ、265ヵ国・地域を制覇した原動力になったようです。
 
10.終わりに
 
 最近さかんにグローバル化が叫ばれますが、私はすでに半世紀も前からグローバル時代を生きてきました。これは若いころグローバル企業(世界企業)のパイオニアと言うべき総合商社で働いた恩恵が大きく、今でも商社に就職したいと大学生に人気があるようです。商社から始まった日本のグローバル企業は、現在では様々な業種で国を代表する会社になっています。例えば、トヨタ、ホンダ、日産、キャノン、ソニー、コマツ、ブリジストンなど。
  しかし、少子高齢化が進み、国の人口減少に歯止めをかけることができない厳しい現実に直面しています。国や自治体も、企業も、個人も、すべてが世界に目を向けざるを得ない時代です。最近になってやっと交渉に参加したTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)も、我が国のことだけを考えていては国際社会で生きて行けないことを意味しています。「グローバルな活躍を考えない者は、日本でも活躍できない時代」になりつつあるようです。

 これからの日本を背負う若い世代の皆さんに、「若者よ 外志(外向き志向)を抱け!世界に雄飛せよ!」と叫びたい。外国に出ると日本の長所や短所が客観的に把握でき、日本再発見の絶好の機会にもなるでしょう。また、外国の若い人たちには、「文化などの違いがあっても、お互いに理解し合い、仲良くしよう!」と呼びかけたい。さらに外国と日本の若人両方に、「グローバル時代を建設的な発想で前向きに生きよう!」とお願いしたい。
 長寿社会とは言え、後期高齢者という人生のフィナーレを迎えながら、私はなぜ世界の旅を続けることにこだわるのでしょうか?答えは単純です。 「そこに世界があるから」。今も挑戦者の気持ちで、世界への旅を続けています。この年寄りでもできることは、若い皆さんはもっと素晴しく実行できるはずであり、大いに期待しています。何か悩むようなことがありましたら、私のプライベートミュージアム「世界の人形館」をご遠慮なくお訪ねください。熱烈歓迎します。当館で国際的な視野を広げ、くつろいでください。茶菓子を差し上げるなどのおもてなしもします。

 本日の講演は時間的な制約で駆け足になり、言い足りないことが多々あります。実は11月9日(土)10:00〜12:00この会場で、「世界の紛争地帯を訪れ、世界の平和を考える」のテーマでたっぷり時間をかけ講演します。主催は我孫子の文化を守る会、後援はAIRAと我孫子市教育委員会です。お時間があれば聴きに来てください。最後に、本日の講演主催者AIRAと会場の皆さん! 長時間のご清聴まことに有難うございました。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 当初より講演時間が短くなり戸惑ったが、若い人たちに熱心に聴講してもらい爽快な気分にもなった。これからの我が日本を背負う若者に、些かでも刺激になり参考になれば幸甚である。

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久しぶりの講演
11
  昨日、8月10日は本当に暑い日であった。最高気温が40度を超えたところもあり、甲府市と高知県四万十市で史上4番目の高温となる40.7度を記録した(追記:その後8月12日に四万十市で41・0度を記録し国内最高気温を更新)。
 また、お盆の帰省シーズン入りにも拘らず、9ヵ月ぶりの私の講演で多数の人たち(約70人)に聴講して頂いた。清聴願った人たちの中には、櫻田義孝衆議院議員、千葉県議、元市議会議長など政界関係者の姿も見受けた。真に有難いことである。
 
 因みに、久しぶりの講演になったのは、昨秋から今夏まで出版に集中したからに他ならない。お蔭様で書名「私はワールド・トラベラー 世界257ヵ国・地域を旅した男」という拙い著書を上梓した。但し、「悪貨は良貨を駆逐する」とのグレシャムの法則に似てか、良貨ならぬ良書(?)ゆえに今のところあまり売れないようだ。
 このブログご愛読の皆さん!ご興味あれば、是非お買い求め下さい。もし、読後に期待に反する書と感じた方には、すみやかに返金します。

 さて、当日は我孫子駅前に建つけやきプラザで、我孫子南まちづくり協議会主催のサマーフェスティバルが行われ、ゲスト出演として招待されて講演した。お話したテーマは「ワールド・トラベラーが語る、世界の仮面など耳寄りなお話」である。今回はその講演の要旨を写真を挿入しながら紹介したい。

         −−−−− 講演会三景 −−−−−
   
 講演会場けやきプラザ玄関   講演中の筆者     熱心に聞き入る聴講者

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1.はじめに

 

 先ずは、本日のサマーフェスティバルにゲスト出演者としてお招き頂き、誠に有難うございます。また、お暑い中わざわざ私の講演をご聴講のため、このように多数お集まりいただき、重ねて御礼申し上げます。

 暑いと言えば、ちょうど1カ月前に帰国しましたが、イラクやアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビを思い出します。今年の日本は梅雨が早く開け、最高気温が35度以上になるところもありますが、7月上旬に訪れたイラク北部のクルド自治区では、日中の最高気温はなんと47度で、夜になっても30度以上ありました。イラクの後、UAEの首都アブダビを訪れましたが、さらに暑くて摂氏50度にも達し、日中の外出移動時間は2時間ぐらいが限度でした。今から約40年前に大手総合商社のクウェート駐在員として勤務時代に頻繁にUAEへ出張しましたが、確か当時は今ほど暑くなかった記憶があります。これは地球温暖化が世界的に進んでいる証で、異常気象や砂漠化など深刻な問題を起こしています。

 因みに、世界の最高気温は、アメリカ・ラスベガス近くのデスバレー国立公園でちょうど100年前に記録された56.7度である。上には上があるものだ。
 
 成田空港に到着後、成田線の電車などに乗って我孫子市の自宅に帰ってきましたが、途中車窓から眺める緑がいっぱいの風景が実に新鮮でした。今回の旅ではロシアからコーカサス諸国、イラク、UAEと南下するに従って緑がどんどん少なくなり、最後に寄ったアブダビは砂漠に囲まれた都市です。改めて見直したい美しい日本、そして今の季節では各町内で行なわれる風情ある夏祭りです。

 因みに、夏の風物詩の代表ともいうべき夏祭り(サマーフェスティバル)と、学校や職場でも行なわれる運動会は外国ではあまり例がありません。普段はとかく疎遠になりがちな人間関係のキズナ(絆)を強くすると言われるサマーフェスティバルに、本日は皆さんと共に参加し日本人として喜びを感じます。


2、訪れた国・地域は265
 

 去る6月12日に成田を発ち、モルドバ、沿ドニエストル、次の冬季オリンピック開催地のソチをはじめとする黒海沿岸のロシアの諸都市、ロシアが実効支配する独立国(?)アブハジア、チェチェン・北オセアチア・タゲスタンのロシア連邦内の共和国、アルメニアと同国が実効支配するナゴルノ・カラバフ共和国、グルジアと同国内のアジャリア自治共和国、イラクのクルド自治区、アブダビを訪れて1カ月後に帰国しました。

 この旅を終え、沿ドニエストル、アブハジア、ナゴルノ・カラバフの3つの事実上の独立国(ただし国際的には未承認)、チェチェン、北オセアチア、タゲスタン、アジャリア、イラク・クルド自治区(クルディスタン)の5地域を新たに加えました。従って、過去約45年間に訪問した国・地域は国は198、地域は67で合計は265になります。最近「私はワールド・トラベラー 世界257ヵ国・地域を旅した男」という本を出版しましたが、この本で紹介した257の数字も過去形になりました。


 ところで、世界の国の数は下表の通りです。

 

大陸名

大洋州

アジア

(中近東
含む)

欧州

米州

(北米・
中南米)

アフリカ

合計

国の数

14

46

46

35

54

195

  

一応国際的に認められている世界の国の数は、上記の通り一昨年7月9日に独立した南スーダンを含め195で、日本を除くと194ヵ国になります。私は194すべての国と66地域を訪問済みですが、実際は199ヵ国を旅しています。5つも多いのは実効支配の国々、北キプロスと西サハラ、そして今回の旅で訪れたアブハジア、沿ドニエストル、ナゴルノ・カラバフが存在する事実です。
 日中韓で争点の尖閣諸島や竹島問題、ロシアとの北方領土問題もこの実効支配(Effective Control)が絡みます。実は世界に実効支配下にある国や地域が数多くありますが、私はそのほとんどを巡り熟知しています。ご関心があれば、別の機会にお話します。


 ところで、私には「ワールド・トラベラー」という珍しいニックネームがあります。これは1996年7月に北極点クルーズに参加しました時に、外国旅行が大好きなアメリカ人旅行者からもらった称号(?)です。その名に恥じないよう、年甲斐も無く世界の旅を続けており、我が人生に悔いはありません。

    −− 危険そうな旅行中にも楽しかった想い出のスナップ −−
  

ロシア:ソチのアフン山  アルメニア:エレバンで  イラク:エルビルの公園
公園で子ライオンと遊ぶ     アララット山を望む   でクルド人一家と仲良く


3.Travel is Trouble 

 私の世界の旅は、総合商社(三井物産)勤務時代の1969年、酷寒の1月にロシア(旧ソ連)の首都モスクワへの海外出張から始まりました。以来約45年間も続け、1974年〜1977年には激動の中東国クウェート、1979年〜1984年は世界最大のイスラム教国インドネシアの首都ジャカルタで働き生活しました。約9年間のイスラム圏での貴重な体験が、今日のワールド・トラベラーを育んだかも知れません。
 海外出張から始まり、その後の2度の外国駐在や頻繁な業務出張、またリタイア後の海外旅行を合計しますと、恐らく数千回のフライトに搭乗したでしょう。常人よりも旅慣れしているとは言え、今も旅行中(特に一人旅)は緊張するものです。と言うのは、旅にはトラブルが付きものであり、まさに「Travel is Trouble」だからです。


 過日のロシア・コーカサス諸国・イラクなどの旅がその典型で、想定外の様々な問題が発生しました。特にロシア系航空会社のフライト・トラブル、そして入国やビザ問題です。旅慣れした世界の旅人と言えども、大変困惑しました。詳細は7月31日付けブログ「ギネス更新(!?)265ヵ国・地域を旅し, Travel is Trouble 痛感をご参照。

 
4.世界の仮面

 

 半世紀近くに及ぶ外国への旅立ちで、一貫して変わらぬものがあります。それは、私の旅が趣味である世界の民俗人形や仮面、紙幣やコインなどのコレクション収集も兼ねています。我孫子市のマンション内にある「世界の人形館」はワールド・トラベラーの分身とも言える存在で、「一目で世界が分かる!海外旅行気分になる!夢と寛ぎのスペース」がセールスポイントです。
 展示品は多岐にわたり、
万華鏡、各種置物、時計、照明ランプ、絵画、地球儀、 木彫り、刺繍、絵皿、掛軸、螺鈿(らでん)、剥製、昆虫標本、モデルシップ、ミニハウス、タペストリー、壷、彫金など世界の珍品もあり、面白いものとしてTシャツがあります。

 
 年間およそ1,000人の見学者の間で、意外に注目され人気があるのが仮面です。全部で約50ありますが、見学者の中には仮面をじっと見つめ、語りかけるマニアック(?)な人もいます。顔を覆って正体を隠す仮面には、様々な意義があると言われます。他人からは分からないのみならず、装着する仮面がかたどる神や精霊、動物(実在・架空を問わず)など、そのものに人格が変化するとも信じられ、古くから宗教的儀式などで用いられてきました。また、仮面は世界どこにでも無く、その地域は案外限定されています。当館では、アフリカ、アジア、オセアニア、中南米の作品が多く、ヨーロッパは少ないです。ここでユニークな仮面をいくつか紹介します。

 
(1) 世界で一つしかない(と思う)オンリーワンとして、ブータン の万華鏡仮面があります。2000年3月ヒマラヤの山国ブータンを旅した際、この仮面を買いました。一見恐ろしそうな形相ですが、両眼を覗き込むと鮮やかな色模様が次々と変わります。我孫子市在住の万華鏡作家・村越道通浩氏にお願いし、幻想的な万華鏡に変身しました

(2) 秋田県のなまはげに少し似たものとして、ルーマニア の仮面があります。2000年5月に4回目の同国訪問で、中世ドイツ風の面影を色濃く残 す町シギショアラで買いました。隣国ブルガリアでも似たような仮面クケリがあります。一般的に病害虫を退散させて、豊穣を祈るための踊りに使われると聞きました。

 

(3)珍しい材料を使った仮面として、アラスカ のラスカの先住民・イヌイットのアザラシの皮を使った仮面があります。1995年8月に訪れた時に買ったもので、日本人に似たモンゴロイド系の顔の表情がとてもリアルです。

 

(4)カメルー ン の仮面は丸顔で、円形の仮面は滅多にありません。2000年11月初訪以降3回も出かけているカメルーンは「アフリカの縮図」とも言われ、変化に富んだ多様なお国ぶりが仮面でも見られます。

 

(5)エキゾチックな表情の仮面と言えば、チュニジア のアラブ女性の仮面です。1997年と1998年に旅しましたが、北アフリカのイスラム諸国では先進的な雰囲気があり、皮製の仮面にもその片鱗が現れています。

 

(6)仮面を被った踊りはパプアニューギニア、マリ、ブータン、中国など、世界各地で観賞しました。しかし、なんと言っても忘れがたいのが、1997年2
  月に訪れたマリのドゴン族の仮面踊り。タムタムの激しいリズムの中、男性ダンサーたちが80種類もあるとの仮面を被り、ある者は高い竹馬に乗

  り踊り狂う情景はまるで神話世界に迷い込んだかのよう。その仮面はサルウサギ・ライオンなどの動物や、狩人・盗人などの人間を表します。独特

  の踊りと音楽は崖から舞い上がる鳥のようで、世界でも比類なきダイナミックな踊りに大感動しました。    


     
  ブータン:仮面が幻想的 ルーマニア:なまはげに  アラスカ:アザラシの皮
   な万華鏡に変身      少し似た仮面     を使ったイヌイットの仮面

  
カメルーン:丸い仮面  チュニジア:エキゾチック  マリ:豪壮でダイナミックな

 は意外に珍しい    なアラブ女性の仮面   ドゴン族の仮面踊りを堪能

5.忘れ得ぬ印象的な国・地域・スポットなど 
 (過去のブログで度々紹介済みのため、詳細は省略。)

南極 1995年1月訪問
インドネシア 1979年〜1984年に駐在、2003年11月、2008年6月
  訪問 パプア州の内陸のワメナ近くに住むダニ族の村

死海 : 1976年12月、1994年12月、2000年6月の3回訪問
エンジェル・フォール(ベネズエラ)
1996年6月、2003年7月の2回訪問 

中国  1993年9月初訪以降、合計20回訪問 九寨溝

ナミビア : 1999年2月訪問 ナミブ砂漠
アフガニスタン 2007年4月訪問  バーミヤンバンデ・ミール湖
 ロシア 1969年1月〜2月初訪以降、合計5回訪問 キジ島の木造
 教会
シベリア鉄道
ペリト・モレノ氷河(アルゼンチン) 
2000年3月訪問
北朝鮮 :1995年5月訪問

アイツタキ島(クック諸島) : 2008年8月訪問 
グランド・キャニオンの谷底(アメリカ)  1986年9月、1998年9月の
 2回訪問
マウンテンゴリラ探検(ウガンダ)  2000年9月訪問

リビア  1998年12月訪問 古代ローマ遺跡
オーストラリア  1982年10月初訪以降、合計4回訪問 エアーズ・
 ロック
グレートバリアリーフ

ピラミッド  1998年1月訪問のグアテマラ・ティカル、2001年3月訪問
 のスーダン・メロエ

北極点 : 1996年7月訪問

  
 北朝鮮:地下宮殿の   インドネシア:今もペニス   アフガニスタン:瑠璃色 
 ような平壌の地下鉄  ケースを着用するダニ族  に輝くバンデ・アミール湖

6.終わりに


 長寿社会とは言え、76歳の後期高齢者という人生のフィナーレを迎えながら、なぜ私は世界の旅を続けることに拘るのでしょうか?答えは 「其処に世界があるから」。世界は時には狭いが、やはり広いのが世界。私の飽くなき世界への挑戦の旅は、この世に命ある限り休むことなく続くでしょう。また、私の分身、或いはセカンドワイフのようなミュージアム「世界の人形館」を彩る民俗人形や仮面など、様々なコレクション収集の旅も来世に行く直前まで続くでしょう。お時間がありましたら、国境や紛争の無い平和な世界の人形館をお訪ね下さい。最後に本日のイベント主催者の我孫子南まちづくり協議会と会場の皆さん!ご清聴誠に有難うございました。


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講演の前後にサマーフェスティバルで披露する各種ショーやイベントがあり、過密なスケジュールを縫ってのわずか1時間の講演は時間との闘いであった。通常2時間ほどで講演するスタイルが身に付いているだけに、やり難く不完全燃焼気味に終わったようである。
 しかし、後ほど聴講者に訊いたところ、概ね満足して頂き好評との由でホッとしている。様々な手法で臨機応変且つ緩急自在に講演するテクニックも少しずつだが、体得しつつあるようだ。また、ゲスト出演者としてお招き頂いた南まちづくり協議会の由良事業部会長などスタッフ一同の皆さんに謝意を表したい。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

筆者(ペンネーム:高やすはる)が著した本が文芸社より発売されています。
 書名は「私はワールド・トラベラー 世界257ヵ国・地域を旅した男」、
  定価は本体1、500円+税。最寄の書店でお買い求め、又は注文できます。 
また、アマゾンや楽天ブックスなどのインターネット・ショッピングもできます。
   なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合、常に在庫が十分あります 世界の人形館(TEL:04−7184−4745 ) で確実にお買い求めできます。


 尚、本書は単なるトラベルガイドブックではありません。日本の将来を憂い、特に三流とも揶揄される日本外交に対し、ズバリ直球でもの申す本物志向の提言書でもあります。是非ともご愛読のほど宜しくお願いします。    

   
   
            表紙カバーと帯                 口絵

無料講演を引き受けます。
 世界に関する事であれば、旅行、文化、芸術、宗教、歴史、政治や外交に関する国際情勢、グルメ、環境、産業など、ワールド・トラベラーとして何でも講演します。ご希望があれば、ご連絡下さい。慈善活動のため、謝礼は一切不要です。但し、ご希望の趣旨が筆者の理念などに反する場合は、お断りすることもあり、予めお含み置き下さい。


 ワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、265カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
  TEL:04−7184−4745 又は Eメール:
ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

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本物志向のオンリーワン講演会−255ヵ国・地域制覇への旅路(3)
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 過日(11月3日)箱根駅伝の常連校で知られる 中央学院大学のあびこ祭で、今年4回目の私の講演会「ワールド・トラベラーが語る、世界255か国・地域を旅して 癲々治(世界の人形館)」が開催された。今回は最終回、その(3)を紹介します。感想やコメントなどがあれば、忌憚なくお聞かせ下さい。
 因みに、世界の旅人が自負する講演会は、単なる物見遊山だけを語るただの海外旅行談の場ではありません。半世紀に及ぶ豊かな国際経験とユニークな世界観を持つ筆者は、日本の政治や経済、外交などにおける諸問題に関しても、多様な視点で実利的且つグローバルな提言をしています。
 また、講演会などで特に若い世代に対し、口先だけではない真の国際交流や世界平和を常々アピールしています。
 

 更に私の講演手法は文献やメディアなどから得た知識や情報、或いは他人様から聞いた話をベースにする、いわゆる能書きを述べる評論家タイプによる間接話法ではありません。
 実際に現地で体験した生々しいハプニングや真実を直接話法で語る本物の講演、そしてこの広き世界で唯一とも言えるかも知れないオンリーワンの講演を、ワールド・トラベラーはいつも心掛けています。
 
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4.忘れ得ぬ印象的な国・地域・スポットなど(続き) 

 

   ミャンマー  1996年12月、2008年7月訪問 

最近アジアで最も注目されているのがミャンマーで、16年前に旅行時は厳しい軍事政権下でした。訪問の動機は10代の終わりに鑑賞した映画「ビルマの竪琴」で、1989年まではビルマと呼ばれました。国民の約90パーセントが敬虔な仏教徒で、平和を願って輝く金色のパゴダ(仏塔)で深い祈りを捧げる仏教国です。独立した1949年から1960年代は、東南アジアで最も発展した国でしたが、軍政下で少数民族や民主化勢力の弾圧が続いた。外国の制裁で経済発展は止まり、多数の難民と出稼ぎ労働者が外国に出ました。
 しかし、
民政移管された2011年からティンセン大統領が改革を進め、15年近く自宅軟禁されていた民主化運動指導者アウンサンスーチーも解放され急速に民主化が進みました。観光資源は豊かで、治安も良い魅力的な国です。ヤンゴンの光り輝く黄金のシュエダゴン・パゴダ、マンダレーの巨大な旧王宮やマンダレー・ヒル、アジア有数の仏教遺跡・バガン遺跡などが素晴らしかったです。2008年7月の旅ではタイ北部に住むミャンマー難民のカレン族の村を訪ね、首長族の少女に会いましたが、村では首が長いのが美人の条件です。

 

     ボスニア・ヘルツェゴビナ  2003年6月訪問 

 1929年〜2003年に存在した旧ユーゴスラビアの内戦で、最も被害が大きく最後まで内戦終結が長引いたのがボスニア・ヘルツェゴビナ。首都サラエボは内戦の傷跡を見学の観光でした。街の北外れに旧オリンピックスタジアムがあり、整備された会場はサッカーの試合やコンサートなどに利用。
 この近くに墓標が一面に並ぶ墓地は、元々オリンピックスタジアムの補助グラウンド兼サッカー場でした。しかし紛争中に多数の犠牲者を埋葬する場所がなかったため、急遽グラウンドを墓地に転用。案内してくれたタクシーの運転手も内戦で家族を失い、その墓が墓地の一角にありました。スタジアムの裏山に登ると、サラエボの市街地を一望する見晴らし抜群の展望台があり、さらに奥に進むとドクロマークの看板が立つ林に出ました。一帯は内戦時の最前線で今でも無数の地雷が残り、正直怖くなり急いで現場を立ち去りました。復興が進む市内で狙撃兵が潜んだ高層ビルが並ぶスナイパー通りは、国会議事堂などで銃痕が生々しく残っていました。(以下省略)

  

ペリト・モレノ氷河  2000年3月訪問 

アルンチン南部、パタゴニア地方のアルヘンティーノ湖の先端に迫り出す氷河地図−27、写真−28)です。地球温暖化で世界の氷河が後退する中で、唯一成長を続ける「動く氷河」として有名です。遊覧船で長さ35km、幅5kmもある氷河の先端に接近できます。高さ約60mもある(時には100mに達する)青白く輝く氷の断崖のような氷河が、轟音と共に湖に崩れ落ちます。その雄大な光景は迫力十分で、まさに壮観の一言に尽きます。

アラスカのアンカレジの東90kmにあるプリンス・ウィリアム湾に流れ込む26氷河も、観光船で氷河にかなり接近できます。複雑な海岸線と海に流れ込む氷河群が描くダイナミックで美しい景色は、筆舌に尽くし難いものがあります。また、ラッコが海面に浮く無数の氷塊の上に乗って漂い、可愛い姿が心を和ませてくれました
  
ボスニア・ヘルツェゴビナ:  ミャンマー:カレン族 アルゼンチン:成長を続ける
 サラエボの地雷敷設地   の首長族の少女と     ペリトモレノ氷河
   

● アイツタキ島 : 2008年8月訪問 

 「天国にいちばん近い島」と言えばニューカレドニアが知られていますが、太平洋の数々の美しい島巡りをした私から見れば、俗化されているためさほど美しくはありません。「天国に最も近い美しい島」なら、迷わず南太平洋に浮かぶニュージーランド自治領のクック諸島のアイツタキ島を挙げたい。主島のラロトンガ島から空路で島に飛び、着陸前に機内から見たアイツタキ環礁の幻想的な美しさに息を呑みました。南北約9km、東西平均幅が約2.5km、北側がフック状のアイツタキ島は、巨大な三角形のラグーン(環礁)を形成し、その周りには21の小島が散在する。アイツタキ観光のハイライトと言われるラグーンクルーズに参加し、ワンフート島という小島に上陸。白砂、ココナッツ椰子、エメラルドグリーンとアクアブルーの海の色のコントラストが目にも鮮やか。(以下省略)
 

● 北朝鮮: 1995年5月訪問 

新潟より高麗航空のチャーター便で首都平壌へ飛び、国交のない北朝鮮政府のはからいによりビザなしで入国。2時間半の飛行時間は意外に短く、あっと言う間に到着した感じでした。空港は驚くほど貧弱で、1本の滑走路と金日成の肖像画が掲げられた小さなターミナルビルがあるだけの地方空港のよう。ちょうど訪問時に「平和のための国際スポーツ及び文化祭典」が開催され、アントニオ猪木が米国のレスラーとプロレスの試合をして祭典を盛り上げていました。到着後は平壌を拠点にして、同地をはじめ、北緯38度の軍事境界線にある板門店、高麗王朝の都として栄えた古都・開城、有名な景勝地・妙香山を観光しました。

 わずか5日間の短い旅ながら、これほど驚きと胸をときめかした感動の旅は初めてでした。高層ビルやマンションが目立つ大通りに不釣合いなほど車を見かけない平壌の街並み、地下宮殿を彷彿させる豪華な地下鉄駅、国力を誇示するためかやたらに多いモニュメント、万感迫る大マスゲーム、広大な金日成広場で繰り広げられた華やかな祝賀パーティー、1994年に死去した故金日成主席のモニュメント前で泣き伏す国民、北朝鮮と韓国を分断する軍事境界線上にある板門店での緊張感と意外な平和感、緑濃い風光明媚な仏教聖地で知られる妙香山、列車の中で乗務員との触れ合い、美味しかった冷麺と白いご飯などが印象的でした。(以下省略)

     ソマリア(ソマリランド) : 2007年2月訪問 

海賊が頻繁に出没し、アメリカから世界で最も危険な国の一つと名指しされたが、この国を訪れない限り私のアフリカ大陸の完全制覇は不可能。10数年前より模索するも、無政府状態と聞き一時は諦めていました。ところが2007年にエチオピアなどへの旅の途中で、ガボンの空港で出会ったドイツ人の観光客から「1991年に独立宣言した北部のソマリランドなら問題ない」情報を入手。急遽ソマリランド行きを決意し、首府ハルゲイサに便を出しているエチオピア航空からアジスアベバのソマリランド大使館を聞き出し、すぐにビザを取得してハルゲイサへ飛びました。現地に着いてみると。武装兵士はおらず、拍子抜けするほど平和。中央銀行はソマリランド独自の紙幣が発行するなど、国際的には未承認だが国家として機能しているとは意外でした。(以下省略)

 

●  ランド・キャニオンの谷底 1986年9月、1998年9月の2回訪問 

アメリカ西部ラスベガスの東430km、全長460kmに及ぶ世界最大級の渓谷。平均標高が約2000mの高原がコロラド川の急流による侵食作用で削られ、数億年の歳月が創り上げた大峡谷は、遠く宇宙からも見えます。まさに大自然の驚異であり、壮大なスケールと美しさは圧巻というほかない。時間毎に表情を変えて光と影が織り成す絶景は、特に太陽が低い朝夕が素晴らしい。広大な峡谷にはいくつかの見逃せない見どころがあり、とりわけサウスリムのヤバパイ・ポイント、ウェストリムのホピ・ポイントやハーミッツ・レストの景観が素晴らしい。しかし、なんと言っても谷底が最高でした。
 キャニオンを色々な角度から見ようと、2回目はヘリコプターで約1500m下のコロラド川の谷底に下りてキャニオンを見上げました。車が無いため、ラバに乗って移動しました。予想外に水と緑が豊かな楽園の谷底には滝まであり、ひんやりとする滝で泳いで汗を流しました。


  
 クック諸島:アイツタキ島  北挑戦:板門店の軍事 ソマリランド:ハルゲイサ
 の美しいラグーンを俯瞰   停戦委員会本会議場  郊外で放置された戦車
 

マウンテンゴリラ探検 2000年9月訪問

 アフリカ中部に位置するウガンダの首都カンパラから西南535kmに、ブウィンディ国立公園があります。コンゴ民主共和国(旧ザイール)とルワンダとの国境に接し、面積331k屬旅大な公園です。標高1200m〜2600mの原始林が生茂るジャングルに、世界のマウンテンゴリラの半数以上の350頭が棲息します。このブウィンディで生まれて初めてのゴリラ探検をしました。動物園で見かけるゴリラは普通ローランドゴリラで、世界でおよそ40,000頭いると言われます。しかし、マウンテンゴリラはわずか650頭位で、絶滅が危惧されています。

 ガイド、レンジャー(自然保護員)、銃を持った護衛の兵士5名、私など観光客4名の総勢11名でパーティーを組み、午前9時前に麓の村を出発。道なきジャングルを徘徊して標高差1000m以上、標高2200m前後の2つの山を越え、悪戦苦闘の末の5時間後、コンゴとの国境近くでやっと念願のマウンテンゴリラに会えました。銀色に光る父親ゴリラのシルバーバックを見ました時は、興奮よりも安らかな至福を感じました。下山したのは午後6時過ぎで苦闘続きのトレッキングで多少怪我もしましたが、時が経つのも忘れるほど充実した一日でした。

 

     アンゴラ 2007年2月訪問 

 1975年ポルトガルから独立後、旧ソ連・キューバvs米国・南アフリカという東西陣営の代理戦争の場として長く内戦状態が続きました。その後幾度か政府と反政府組織が和解と内戦再開を繰り返す泥沼状態に陥り、最終的に内戦が終結したのは27年後の2002年4月。この間の死者は50万人を越え、約1200万個の地雷が埋設されたと聞く。内戦の真相はアンゴラの有力な資源「ダイアモンドを巡る汚れた戦い」と呼ばれ、その象徴が多国籍企業の資源メジャー、デビアス(本社は南アのヨハネスブルグ)。同社の立派な建物が首都ルアンダの街中でひときわ目立ったほか、植民地時代の香りがする建物が今も残り思いのほか情緒のある街です。

 内戦で入国ビザ取得が困難になり、アンゴラ大使館があるパリまで赴くも断られました。内戦終結後に東京に大使館が開設されると、すぐにビザを申請したが発給されませんでした。ところが半年後に突然取得でき、異例の観光ビザ発給と告げられました。さて、散々苦労の末アンゴラに入国しましたが、内戦の後遺症は深刻で観光どころではない実情に驚きました。ホテル不足のほかに、タクシーが営業していないために移動や観光が困難でした。在日アンゴラ大使館が簡単にビザを出さない本当の理由がやっと分かりました。 

 

     リビア 1998年12月訪問 

 1997年と1998年に訪れましたチュニジアが発端になったアラブの春は、昨年中東・北アフリカの長期独裁政権を倒しましたが、絶大な権力を誇ったカダフィ大佐のリビアまで及ぶとは想像すらもしませんでした。首都トリポリ市内を散策中にいきなり秘密警察と思しき男たちに呼び止められ、強引に民家らしき場所に連行されて旅慣れした私も驚きました。どうも挙動不審者にされたようで、種々厳しい取り調べを受け、3時間ほど拘束後にやっと開放されました。
 後ほど聞いた話では、我々の常識では理解できない理由で投獄され、精神的なプレッシャーで帰国を余儀なくされた日本人もいたらしく、カダフィ大佐の恐怖の独裁国家の実像を見た思いがしました。一方、観光の方では写真撮影などで制約を受けましたが、紀元前のフェニキア時代からの輝かしい歴史を持つ古代ローマ遺跡
ど、手つかずの観光資源が残り素晴らしい。

 

● ネパール  1995年11月、1998年9月の2回訪問 

初回の旅では首都カトマンズより軽飛行機でシャンボチェに飛び、標高3880mのホテル・エベレスト・ビューに宿泊しました。滞在中の2日間は運よく快晴で、テラスから標高8848mの世界最高峰エベレスト、8516mの第4位のローツェを眺望でき絶景でした。夜の空は濃い紫色で、星が降ってくるような満天のスターダストが幻想的でしたが、底冷えする寒気で震えました。現地到着直前に近くの山で新雪によって起きた雪崩で日本人13人が遭難死する事故もあり、日本で留守番の家族が私の安否を大変心配しました。

 2回目の旅行では、仏教の開祖、釈迦生誕の地とされるルンビニを訪れました。インドとの国境に近い村で、お釈迦様が産湯につかったとされる沐浴池やマーヤー聖堂などを観光しました。紀元前5世紀頃に生まれ、29歳で出家、80歳で入滅した釈迦の足跡を追って2度インドへ出かけたことがあります。


  
アンゴラ:ルアンダ2月4日 ウガンダ:ヴウィンディ リビア:レプティス・マグナス
通り 右端は国立銀行ビル  国立公園のゴリラ    遺跡の壮大な円形劇場


 シベリア鉄道 : 2002年8月訪問 

  新潟より空路ウラジオストクに入り、モスクワまで全長約9300kmの世界最長のシベリア鉄道に乗車。初の長くて未知の鉄道旅行は、120%の充実感と達成感に浸った究極の旅でした。 地平線が果てしないシベリヤの大地、延々と続く人跡未踏のタイガ(針葉樹林帯)、広大なロシア平原などを駆け抜ける途中、イルクーツクで途中下車して1泊。「シベリアの真珠」と呼ばれる世界最大の淡水湖・バイカル湖で遊び、束の間でしたが英気を養いました。その後、またシベリア鉄道に乗って旅を続け、アジアとヨーロッパの境、ウラル山脈を越えてユーラシア大陸を横断。6泊8日の長い鉄道の旅を終え、モスクワのヤロスラヴリ駅のゴールに到着しました。ホテルで久し振りにお風呂に入り、長旅の汗と垢を流しました。車中で巡り会った様々な国の人たちとの忘れ得ぬ交流、車内で懐いてくれた少年との別れで感傷的になったこと、毎日利用した食堂車での食事を通して賞味した本場のロシアやシベリヤ料理など、普通の旅では体験できないものが多々ありました。(以下省略)

  

     ベトナム : 1994年9月、1996年10月、2002年12月訪問

 インドシナ半島東側に細長くS字型のベトナムは、南北間の距離が実に2300kmにもなります。多様な自然と肥沃な大地メコンデルタにも恵まれ、あまり知られていない観光資源が眠る国です。アメリカが介入したベトナム戦争が1975年に終わり、1986年に社会主義国からドイモイという改革・開放政策に転向後、急速に経済が発展しました。
 1994年に初めて訪れましたが、若い世代のエネルギーが溢れる最大都市ホーチミン、街で見かけ優雅な女性の民族衣装アオザイ、大河メコンのクルーズ、お米のうどん・フォー、
からくり人形が次から次へと水面から姿を表す水上人形劇場などが印象的でした。その後2度の旅でベトナム全土を周遊しました。見どころはグェン王朝が栄えた古都フエ、海のシルクロードとして栄えた港町ホイアン、「海の桂林」ハロン湾、中国との国境に近い少数民族の村々など。国民は勤勉で教育レベルも高く、将来性がある国です。

 

     グアテマラ : 1998年1月訪問 

 巨石建造物の代表、ピラミッドと言えば、誰もがエジプト・ギザのピラミッドを挙げるでしょう。確かに約4500年前に造られた3つのピラミッドは壮大で立派ですが、私はむしろ他国のピラミッドに関心があります。例えば、メキシコや中米もピラミッドが多く、特にグアテマラ北部のジャングルに埋もれる、マヤ最大の神殿都市遺跡ティカルのピラミッド群が素晴らしい。中でも741年に造営された高さ70mの4号神殿が持つ荒らしさと天を貫く神々しさに胸を打たれ、ピラミッドの上から眺めた景色は言葉を失うほどでした。
 このほかに、エジプト付近では2001年3月に訪れたスーダン・メロエが穴場的存在。紀元前250年頃築のアル・バジュラウィア・ピラミッドはメロエ王朝栄華の遺産で、ギザピラミッドに比べると小粒です。しかし、訪れる人もいない荒涼たる砂漠に27基のピラミッドが林立する光景は厳粛で、死の世界を思わせる砂漠にひっそりと佇んでいました。

 

● 韓国  1974年4月初訪以降、合計5回訪問 

 商社マン時代の出張を皮切りに、ほぼ全土を回りました。1970年代までは貧しかったですが、その後は日本人以上の勤勉さで工業化と輸出の振興のために頑張り、電子工業などでは日本を追い抜いて全般的に元気があります。日本に似た美しい自然やお寺も魅力ですが、何と言っても素晴らしいのが若い人たち(特に男性)の礼儀正しさ。過去3度個人旅行しましたが、年寄りの私を気遣い地下鉄ではさっと席を譲ってくれました。また、街で重いスーツケースを運んでいると、青年がさっと来て担いで運んでくれました。これは年寄りを敬う儒教思想、躾けが厳しい徴兵制の影響でしょう。
 服装も普段は西洋式ですが、結婚式では伝統的なチョゴリやチマを着ます。もちろん、美味しい韓国料理も大きな魅力です。1997年に妻と一緒の旅行で食べました田舎御膳は、野菜、魚、漬物など30種類のおかずが楽しめるシゴルバブサンという朝食でした。日本とは領土問題などを抱えていますが、近くて遠い国にならないよう仲良くしたい隣人です。

 

     ラトビア : 1996年9月、2005年9月訪問 

 3国合わせても国土面積は日本の半分以下の17.5万k屬如⊃邑はわずか約700万人。1989年8月に旧ソ連からの独立を求め、リトアニアのヴィリニウス、ラトビアのリガ、エストニアのタリンの3首都を結ぶ約300kmの道は、約200万人の人たちが手をつなぎ「人間の鎖」となりました。バルト海に面するバルト3国団結の強さを世界中にアピールして有名になり、翌年独立しました。
 首都リガでは、肩を寄せ合うように建つ建物・3人兄弟などがある旧市街が中世の趣を残し風情があります。街の象徴であるゴシック様式のペテロ教会は13世紀に創建され、高さ123mの塔に上ると旧市街とダウガワ川が一望でき最高。活気に満ちた自由市場では、果物・肉・魚・チーズなどが所狭しと並べられ、華やかな花市場と共に朝の散策に絶好。自由市場で少女から買った入れ子人形マトリョーシカは、私が運営する「世界の人形館」で大変人気者です。

 
     北極点 : 1995年7月訪問 

北緯90度は地球上で最も北にあり、地球儀のてっぺんに位置するのが北極点です。数世紀にわたり世界の探検家の挑戦を頑なに拒んできた極点を、砕氷船で人類史上15回目の北極点に到達して地球の頂上に立つ白夜の秘境旅行でした。成田からコペンハーゲンとオスロで乗り継ぎ、ロシアの軍港都市ムルマンスクに到着。すぐに原子力砕氷船ヤマール号に乗船し出航。バレンツ海に入り北極探検家の足跡が残るフランツ・ジョセフ諸島に上陸後、厚さ3〜5mの氷床に覆われた北極海をヤマール号は力強いパワーで砕氷しながら突き進み、1995年7月12日深夜北極点に到達。史上4200人目の北極点到達者になり、南北両極を制覇して興奮しました。
 強烈な直下型地震に襲われたような砕氷の音と衝撃、氷原に姿を現した親子連れの北極グマ、大きなキバを持つひょうきんなセイウチ、大型ヘリコプターによるダイナミックな上陸、楽しかったネプチュン祭り、帰途上陸したノヴァヤ・ゼムリャで訪れた先住民のトナカイキャンプなど、南極とは全く異質の旅でした。


  
 ロシア:シベリア鉄道で  ベトナム:景勝のハロン湾 北極点:砕氷船で地球 
 停車中に若者たちと共に                    のてっぺんに到達

 

5.これからの日本を変革する若い世代へのメッセージ

 

(1) 先ず、外志を抱け! 願わくば、世界に雄飛せよ!

人生には希望と夢が不可欠ですが、人口減少や長引くデフレなどに直面する日本が明るい将来像を描くのは困難な趨勢。従い、世界に目を向けざるを得ない厳しい現実です。過日48年ぶりに東京で国際通貨基金と世界銀行の総会が開かれ、各国の民間金融機関の首脳も大勢来日しました。これに呼応するかのように3大メガバンクなど邦銀勢も、絶好の商機とばかり積極的に豊富な資金力をPRしていました。我が国の景気低迷で国内企業が借金しなくなっている中、邦銀が海外融資に活路を求めるのは当然で、世界経済の要請でもあります。

これからの日本を背負って行かれる皆さん!内向きマインドではなく、先ず、外向き志向、つまり外志を持っていただきたい。そして、可能なら世界に雄飛してください。多様で変貌する世界をもっと知るため、外国で学び、働き、旅をしてください。世界への雄飛は決して日本を捨てることではありません。外国へ出かけると、きっと日本の長所と短所、素晴らしさと改善すべき点などが客観的に分かり、国際的な視野も広がるでしょう。

 

(2) 口先だけではない、真の国際交流や世界平和を考え、実行しよう!

 私は7歳、国民学校(小学校)2年生の時に1945年8月の終戦を迎えました。生地の大阪市は同年3月から米軍の空襲が始まり、すぐに両親の出身地、徳島市へ学童疎開しました。しかし、同年7月3日に米軍の大空襲があり、水田などを必死になって走り抜けて逃延びました。私と弟妹は無事でしたが、子供たちをかばった両親は落ちてきた焼夷弾で負傷、特に母は左腕の肉が半分えぐられて骨が見えるほどの重傷。息子の私すらも直視できない傷跡はいつまでも消えませんでした。戦地には行っていませんが、悲惨な戦争体験があり、終戦後平和の尊さを実感しました。一方、今や戦争体験がある日本や世界のリーダーは、果してどれだけいるでしょうか?

 オバマ大統領がチェコのプラハで「核のない世界」を訴え、ノーベル平和賞を受賞して3年経ちましたが、核軍縮に向けた具体的な取り組みは遅々として進みません。その原因は核兵器の開発・製造に携わる米国の軍需産業が大統領選に向け多額の献金をし、被爆国の我が国もアメリカに対して安全保障のためにと核戦力の維持を求めるほどです。長引くシリア内戦も、拒否権を持つ安保常任理事国の中国とロシアがアサド政権を支持する限り簡単に終結しないでしょう。最近の日中韓3国の領土問題も、日本政府が「歴史的にも国際法的にもその問題は存在しない」との金太郎飴的な発言を繰り返すのみで、危機感の無い三流外交ぶりを露呈しています。(以下省略)

  

6.終わりに

 

長寿社会とは言え、後期高齢者という人生の最終章を迎えながら、なぜ私は世界の旅を続けることに未練があるのでしょうか?答えは 「其処に世界があるから」で、挑戦の旅を続けたいのです。世界は時には狭いが、やはり広いのが世界です。私の世界放浪の旅は、この世に命ある限り続けざるを得ない宿命かも知れません。(以下省略)
 

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 上記(以下省略)の続きは、筆者の著書「私はワールド・トラベラー」(文芸社)をご購入の上ご覧下さい。面白く詳述しています。

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実体験のみを語る講演会−255ヵ国・地域制覇の旅(その2)
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 過日の文化の日(11月3日)に、 千葉県我孫子市の中央学院大学あびこ祭で開催された私の講演会。テーマは「ワールド・トラベラーが語る、世界255か国・地域を旅して」と題し、続きの今回はその(2)を紹介します。
 
 他人様から聞いたり、文献などを読んで学んだり研究したとの間接話法ではありません。世界の旅人としてのプライドを持ち、実際に現地で生身で体験した様々なハプニングを直接話法で語る、本物志向の講演を心掛けています。 
 因みに、日本再生と日本外交一流国入りのために、この講演で後期高齢者の老兵が特にアピールしたかったのは、これからの日本を変革すると期待される若い世代への下記メッセージです。
 
   若者よ!(先ず)外志を抱け!(願わくば)海外に世界に雄飛せよ!

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4、忘れ得ぬ印象的な国・地域・スポットなど

 

 思いつくまま、順不同で紹介します。皆さんの今後の旅行などのご参考になれば、誠に幸甚です。

 

1995年1月訪問 
 
究極の海外旅行といえば、南極がイチオシです。約18年前の阪神大震災の翌日に出発。飛行機で米国のサンフランシスコとマイアミ、チリのサンチャゴなどで乗継ぎ、アルゼンチン南端の港町ウシュアイアに着きました。ここでクルーズ船に乗って海が荒れるドレーク海峡を通過し、南極半島に着いたのは日本を出て5日後。日中はゾディアック(ゴムボート)で上陸、ペンギンや大きなゾウアザラシなど観察し、夜は船で寝泊りしました。
 先端が轟音を立てて崩れ落ちた後は氷山になって流れて行く名も無い大氷河、体長30m近くはありそうな巨大な鯨・シロナガスクジラなど、他の大陸にはない大スケールの神秘的な世界が広がっていました。数千、数万羽もいるペンギンの繁殖地コロニー
では、彼らのおしゃべりと強烈な臭いの糞に辟易しました。また、火山があるデセプション島では温泉に入りました。


クウェート1974年〜1977年に駐在、1982年4月、2002年1月訪問
 初めての海外勤務でした。全土が不毛の砂漠に覆われ、夏場は50度(摂氏)にもなる猛暑、厳しいイスラム教の戒律など貴重な体験をしました。アラビア湾の最奥部に位置する、岩手県と同じ広さの小国ですが、石油資源が豊かなイスラム教国で専用車と運転手付きの豪勢な海外駐在を初体験。全く異質のイスラム世界で家族と共に住み、小学生の長男と次男は日本人小学校に通いました。休日は家族と外出したり、エジプト・トルコ・シリア・ヨルダン・レバノン・イラクの近隣諸国やヨーロッパを旅行するなど、気分転換を図りながら特殊なイスラム社会に溶け込むように努めました。クウェート駐在と言っても、同国を拠点にドバイ
等のアラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、オマーンヘ頻繁に出張。日本の合繊織物と缶詰輸出を担当する出張の実態は、重たいサンプルを持参し、想像を絶する酷暑の中で大粒の汗を流して地方行商する炎熱商人でした。

休日は金曜日で日曜日は働く特殊な社会構造、赤い炎が燃える油田地帯と砂漠の地平線に沈む火の玉のような夕陽、雨が降ると小さなスミレが可憐な花を咲かせる砂漠、濃霧のように視界不良となり砂の雨が叩きつける砂嵐、人間くさい市場スーク、イスラム教寺院モスクでの朝の礼拝呼びかけアザーン、ミニマットを持ち歩きプレーした砂漠のゴルフ、「国境なき砂漠の民]ベドウィン族との出会い、新鮮な食材を求めて出かけた魚市場での値切り交渉、イスラム教でご法度の豚肉の代わりに舌鼓を打ったエビや魚、風情あるドバイの運河クリークの渡し船とホテルで飲んだノンアルコールビールなど、懐かしさがこみ上げます。


 単調な砂漠生活や厳しい宗教戒律から一時的に逃避するため、勤務先の静養休暇制度(旅行費用全額を会社負担)を利用。1年に1度の合計3ヶ月、40国ほどのヨーロッパ諸国へ出かけた夢のように楽しかった家族旅行は、終生忘れられない思い出ばかりです。このヨーロッパ周遊が今日のワールド・トラベラーの礎になった気がします。2002年1月に妻から“第二のふるさとクウェートに里帰りしたい”とせがまれ、25年ぶりに再訪しました。子供たちがお世話になった日本人小学校は在留邦人が減ったため無くなり、寂しさを禁じ得ませんでした。

 因みに、クウェート駐在中の1976年9月イラクへ旅行し、1週間バグダッドやバビロン遺跡など観光。当時サダム・フセインは大統領就任の3年前で、バース党の幹部。イラクが平和な時代でした。
 
  
南極:デセプション島で クウェート:1977年モスク   イラク:バグダッド郊外
 温泉入浴を楽しむ  前で2人の息子と共に  バビロンで家族や現地少年と


インドネシア 1979年〜1984年に駐在、2003年11月、2008年6月訪問 

2回目の海外駐在は赤道直下のインドネシアで、2人の息子たちの教育の関係で単身赴任でした。同国は世界最大のイスラム教国ですが、クウェートほど戒律が厳しくありません。アルコール類も飲め、毎日5回お祈りする人も多くありません。日本向けのインドネシア産のコーヒー豆や冷凍エビなどを取扱う食品部門の責任者として、東西約5100km、南北1900kmほどに及び1万8000余の島々からなる大群島国家の隅々まで回りました。人口の約6割が住むジャワ島の首都ジャカルタを拠点に、世界3位の大きな島・カリマンタン(ボルネオ島)、6位のスマトラ島、「芸術の島」と呼ばれるヒンドゥー教の島・バリ島、奇妙な形をしたスラヴェシ島、ニューギニア島の西半分を占めるイリアン・ジャヤ(後にパプアと改称)、香料諸島と呼ばれたマルク諸島などへも出張しました。

一方、忙しい仕事の合間や休暇を利用してインドネシア各地を観光、また駐在中の1982年7月〜8月に3人の留守家族(妻、高2の長男、中3の次男)が日本より遊びに来ました。ジャカルタをはじめ、ジャワ島各地やバリ島、さらにシンガポールへも案内しました。単身赴任のため、ゴルフは大きな楽しみでした。週に3〜4回プレーするほど熱中しましたが、DNAが無いせいか上達しませんでした。私と同じ単身赴任者が数人集まり御殿のような豪邸で寮生活をしましたが、5〜6名の召使がすべて世話をしてくれました。会社から専用車と運転手を提供され、日本のお金持ちでも経験できない贅沢な生活をエンジョイしました。

 
 
住んでいたジャカルタの表通りは近代的な都市の顔ですが、その裏通りや農村では電気もなく灯油に頼る貧困層が多数住んでいました。極端な貧富の差、少数ながら経済的には実権を持つ豊かな華僑系の人たち、ジャワ島の壮大な仏教遺跡ボロブドゥール、神秘的で風光明媚なスマトラ島のトバ湖、華麗なバリの伝統舞踊、洗えばあらうほど良くなるジャワ更紗で知られるバティック、島国で海の幸に恵まれ美味しかったシーフード、金の貸し借りに関する独特の金銭感覚、夜風に吹かれながら乗りましたベチャ(三輪自転車タクシー)など、ジャカルタでの独身生活は昨日のように懐かしく想い出されます。

長期駐在に加え、2003年11月パプア内陸のワメナ近くに住むダニ族の村を訪ねました。今も石器時代の生活を送る裸族男性はパンツ着用せず、コテカというペニスケースを身に付けていましたコモド国立公園で観察の世界最大のオオトカゲ、トラジャ族の里タナ・トラジャ伝統的風習も驚きました。

 

死海 : 1976年12月、1994年12月、2000年6月の3回訪問 

イスラエルとヨルダン両国にまたがる死海は琵琶湖の1.5倍の大きさで、水温が冬でも22度前後もあり一年中泳げます。海抜はマイナス398mと世界で最も低い所にある塩水湖のため、魚類は生息していません。塩分が海水の10倍以上もあるため、「絶対に体が沈まない」という異次元の珍しい体験ができます。私はイスラエル側のエン・ボケックで浮遊体験したほかに、ヨルダン側でも試みましたが、塩分がイスラエル側ほど濃くないため簡単に浮きませんでした。なお、約40%の濃い塩分は美容や健康にも効果があるとされ、体が真っ黒になる泥パックを試みました。しかし、体のあちこちに傷があったため、体に沁みて痛い思いをしたのが忘れられません。因みに、イスラエル入国の際、「ノー、スタンピング」と言ってパスポート提示して下さい。
   
インドネシア:ワメナのコテカ  インドネシア:ジャワ島  死海:イスラエル側で
 着用のダニ族男性と共に    ボロブドゥール遺跡      沈まない浮遊体験


エンジェル・フォール 1996年6月、2003年7月の2回訪問 

落差がなんと979mもある世界最長の滝です。コナン・ドイルの小説「ザ・ロスト・ワールド」で紹介されたベネズエラのギアナ高地にあり、地上での滝観覧と上空から眺める迫力十分の遊覧飛行を楽しみました。標高2560mのアウヤン・テプイ(悪魔の山)というテーブルマウンテンから流れ落ちる滝は、地表に届く前に霧のように散るため滝壺がありません。世界に数多くの滝あれども、滝壺が無いのは稀有です。

因みに、世界三大瀑布はイグアス(ブラジル・アルゼンチン)、ビクトリア(ジンバブエ・ザンビア)、ナイアガラ(カナダ・米国)で、すべて観覧済みです。中でも、大小300の滝がアルゼンチンとブラジルの国境約4kmにわたって続く世界最大幅の滝、イグアスの滝は、水量・滝の幅で他の2つの滝を圧倒します。アルゼンチン側よりも、見どころが多いブラジル側の重点的な観光をおススメします。

 

中国 1993年9月初訪以降、合計20回訪問

私の名前が中国的なこともあり、興味津々の大好きな国の一つです。1国2制度下にある香港は1970年から8回も出かけていますが、中国本土への旅のスタートは、1993年9月に出かけました中国旅行の定番と言われる北京・西安・上海・桂林の周遊です。当時の中国は現在のような目覚しい経済発展を遂げる前の時代で、国民は未だ貧しく、町の照明も暗く夜の散歩が危険でした。
 しかし、秦の始皇帝時代の兵馬俑、雄大な万里の長城、美しいカルスト地形の桂林などを観光し、中国四千年の歴史とスケールの大きさに感動しました。中国には世界遺産が41ありますが、そのうち36も訪れています。特に印象的な
世界遺産は、万里の長城や兵馬俑のほか、黄山、九寨溝、黄龍、莫高窟、ポタラ宮、四川省パンダ保護区などです。これらの中で中国人にも人気があるのが、四川省の省都・成都から北約450kmの九寨溝。2000年7月訪問し、この世に仙境があるなら間違いなく九寨溝です。湖沼、滝、急流が多数点在し、透明度の高いエメラルドグリーンの水面に周囲の緑が映え神秘的。


 中国の旅は20回を数え、西端の新疆・ウィグル自治区、北端の黒竜江省、西南端のチベット、南端の海南島など、ほぼ中国全土を回りました。民族も全人口の94%を占める漢民族のほか、55の少数民族(約8000万人)が住む多民族国家です。私が慈善活動として運営する「世界の人形館」の中国コーナーには鮮やかな衣装を着た少数民族の人形が多数展示され、人気を集め日中友好のお役に立っているようです。

 中国本土を旅して約20年、中国は変貌しました。経済的に大発展し、高速道路は立派です。特に高層ビルが林立する大商都、上海の変わり方は驚くばかりで、わずか1年ぶりに訪れても別の街のような感じです。さすがに「世界の工場」と呼ばれるだけに物は豊かですが、外国の製品を真似たものがあり、公衆マナーも良いとは言えません。トイレも清潔好きな日本人から見ればきれいとは言えず、特に地方へ行くと鼻をつまむことがあります。

 

  
イグアスの滝:ブラジル側  ベネズエラ:滝壺が  中国:ラサの丘にそびえる
で「悪魔の喉笛」を背にして  無いエンジェルの滝     壮大なポタラ宮

ナミビア 
1999年2月訪問 

南アフリカの北に位置するナミビア南西部の大西洋沿いに、南北約1600km、東西30km〜130kmの細長い砂漠が広がります。約8000万年前に誕生した地球最古の砂漠と言われるナミブ砂漠は、砂の成分の80%以上が水晶とガーネットから成り、美しいアプリコット色をしています。見どころは、300mの世界一の高低差がある世界最大級の砂丘群ソッサスブレイ、朝日を浴びてアプリコット色のシルエットが幻想的な砂丘デューン45です。
 また、ナミビア北部の奥地のカオコランド地方に住むヒンバ族
は、孤高の民と呼ばれる美形の少数民族です。定住せず頻繁に移動し、会うのは極めて困難と言われますが、偶然ナミブ砂漠でヒンバ族の女性たちに会うことができました。評判通りの端正な顔、抜群のスタイルで、ヘアスタイルも独特です。彼女らの話では南アの映画撮影ロケに出演中とかで、まったくラッキーでした。

 

アフガニスタン  2007年4月訪問 

高さ55mと38mの巨大な磨崖仏バーミヤンに憧れること20年、5年半ほど前に拝観しましたが、2001年3月タリバーンが破壊したためその姿はありませんでした。もっともアフガニスタン行きは容易ではなく、渡航前から現地(首都カブール)の日本大使館より危険過ぎるとして度々旅行中止を求められました。私は自己責任で同国を訪問すると言い切り、現地入りしました。到着後はまた大使館員より旅行中止を要請され、日本への帰国を促されました。ホテルで話し合いの結果、日本でも携帯電話を持たない私がカブールで買わされ、携帯電話を所持して各地を回ることになりました。しかし、実際には勝手ながら自由に行動したいためほとんど電源を切っていました。さて、念願のバーミヤンはもぬけの殻で、人類の愚かさに落胆しまし。
 
しかし、補って余りあったのが、バンデ・アミール湖。カブールの北西240kmにバーミヤンがあり、さらに75km西に湖があります。かってアレキサンダー大王やマルコポーロも絶賛した雄大な景勝地はテーブルマウンテンに囲まれ、宝石のラピスラズリーのように群青色の湖が静かに横たわる佇まいは美しい一幅の絵のようでした。

   

      ロシア 1969年1月〜2月初訪以降、合計5回訪問 

商社マン時代に繊維関係の商用で、気温が零下30度にもなる厳寒の首都モスクワへ出張。外国へ行くのは小学生時代からの夢で、しかも初めての海外の旅でもあり、期待に胸を膨らませると共に緊張しました。当時の現地はソビエト連邦という社会主義国家体制下、東西冷戦下の厳しい暗黒の時代でした。モスクワ以外の他の都市などへ出かけることも許されず、泊まったホテルのロビーでは秘密警察が絶えず監視していました。モスクワの商社駐在員はホテル内の事務所で働き、ホテルの部屋を住居代わりにし、家族帯同が出来ない単身赴任でした。商談のお相手は政府公団のお役人で、女性が多いのが意外でした。
 物不足がひどく国営百貨店の商品棚には売るべき商品がほとんど無かった一方、値段は高いが品物が豊富な外貨ショップに人気がありました。趣味の写真撮影は厳しく制限され、橋や工場などを撮影しようとすると注意されました。寒くて長く感じた夜は、ウォッカを飲んで体を温めたり、本場のバレエ鑑賞などをして退屈を凌ぎました。若い女性はほっそりとしているが、中年になると相撲取りのようになるのが印象的。岩のように強固で強大であったソ連が20数年後に崩壊しようとは当時まったく想像できず、その後の海外駐在や旅行などに多大の影響を与える有意義な出張でした。

以降のロシアへの旅で忘れ難いのが、2005年8月に訪れた世界遺産のキジ島の木造教会。フィンランドとの国境に近いカレリア共和国のオネガ湖に浮かぶキジ島に、ロシア正教会の木造教会がそびえます。高さ37mもある22のドームが折り重なり、燃え立つ炎、或いはキノコが群生するようなシルエットが幻想的で圧巻でした。約300年前の1714年に建てられ、一本の釘も使われていないとは驚きです。

 

  
ナミビア:ナミブ砂漠で美しい ロシア:キジ島  アフガニスタン:大仏像
ヒンバ族の女性たちに出会う   の木造教会   が破壊されたバーミヤン

 

● マチュピチュ : 1994年5月訪問 

ペルーの首都リマの南460kmに位置し、標高2057mの山間に忽然と姿を現す謎に満ちたインカ遺跡です。標高3360mのクスコから高原列車に乗り、ウルバンバ川渓谷沿いに下るが、標高差があるので4回ほどスウィッチバック。車窓からは段々畑と渓谷、冠雪したアンデスの峰々が見えました。3時間ほどでマチュピチュの駅に到着し、ミニバスに乗り換えて九十九折の坂道を登りきると、謎に包まれた悠遠の空中都市チュピチュが現れました。手前の老いた峰マチュピチュと後ろの標高2743mの若い峰ワイナピチュの2つの山の尾根をつなぐように広がり、時折霧に包まれる光景は幻想的そのものでした。文字も車輪も無い2000年前から、どうして急斜面の高地で精緻な建築が始まったのか不思議です。かってスペイン人征服から逃れた約1万人のインカ人が住んでいましたが、1911年アメリカの歴史家が発見するまで草に覆われた廃墟でした。16世紀に石組みの技術が巧みな彼らが忽然と奥地に消えた謎と神秘の遺跡を、今も鮮明に記憶しています。

 

オーストラリア : 1982年10月初訪以降、合計4回訪問 

 国土面積が日本の約21倍もある大陸国家オーストラリアは、広大な荒野、太陽に輝く海、近代的で表情豊かな街々など多様です。大陸の隅々から離島のタスマニアまで回りましたが、同国を代表するスポットを2つ紹介します。1996年11月に訪れましたエアーズ・ロックは先住民のアポリジニが崇拝する聖地で、高さが348mもある世界最大の一枚岩です。機内から見ると、赤い平坦な大地にお碗を伏せたように大きな赤い岩山が横たわります。夕陽を浴びると一層赤くなり、最後に炎が固まったようになります。ハイライトの登山は朝方ですが、一枚岩で滑りやすく気を付けないと大ケガをします。特に下山時は要注意です。

 2004年3月に旅行しましたグレートバリアリーフGBR)はオーストラリアの北東、クイーンズランド州沿岸にある全長2600kmの世界最大のサンゴ礁です。このGBRで人気のあるリゾートがハミルトン島でGBRのヘリコプター遊覧をし、鳥人気分を堪能しました。眼下に広がる無数のサンゴ礁群、純白の砂浜が6kmも続くウィットサンデー島ホワイトへブン・ビーチなど、雄大でダイナミックな美しさの大パノラマに感動しました。

 

               (続く) 
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私のプライベート・ミュージアム
界の人形館では、255ヵ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、壷、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを展示しています。ご興味ある方はご遠慮なくご来館下さい。お待ちします。但し、セキュリティなどのため、下記要領で予約をお願いします。
 TEL&FAX:04−7184−4745

講演を引き受けます。
 
世界に関する事であれば、旅行、文化、芸術、宗教、歴史、国際情勢、グルメ、環境、産業などワールド・トラベラーとして何でも講演します。ご希望があれば、ご連絡下さい。慈善活動のため、謝礼は不要です。但し、ご希望の趣旨が筆者の理念などに反する場合は、お断りすること
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ワールド・トラベラーが゙語る、アジアの昔と今 − その(2)
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 過日(2012年8月5日)千葉県横芝光町立図書館のハイビジョンホールで、「アジアの昔と今」と題して講演したが、今回はその講演会の後半を紹介する。
 日中韓の領土問題で風雲急を告げるような東アジア情勢を踏まえ、講演資料に記述しなかった世界の実効支配例の厳しい現実、そして日本外交の低落ぶりも指摘し啓蒙したつもりである。
  
 因みに、講演会が終わった後、この講演会を聞き逃したとの横芝光町住民の声がいくつか寄せられた。中には90ヵ国も訪れた女性にお会いしたが、講演会があることを知らされなかったのが残念と非常に悔しがっておられた。
 また、「夏休み子ども科学講座講演会」という看板にも拘わらず、子供たちの姿はわずか数人であったのも奇異に感じた人たちが少なからずいたらしい。要するに単なる講演会ではなかったようで、その問題点(と思われる)は後述する。


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6.東アジアを旅して

 

(中国) インドネシア勤務を終えて東京本社に戻りました後、情報通信の仕事やアメリカなどへの出張でアジアとの縁が少し途切れました。その後、商社をリタイアしてからも海外旅行を続け、10年ほどは団体旅行(ツアー)に参加していましたが、10数年前よりは個人旅行が中心になりました。

アジアへの旅の再開のスタートは、1993年9月に出かけました中国でした。中国旅行の定番と言われる北京、西安、上海、桂林を周遊。1970年代に頻繁に香港を訪れましたが、中国本土の旅は初めてでした。当時の中国は現在のような目覚しい経済発展を遂げる前の時代で、国民はまだ貧しく、町の照明も暗くて夜の散歩が危険でした。しかし、西安の秦の始皇帝時代の兵馬俑、雄大な万里の長城、美しいカルスト地形の桂林などを観光し、中国四千年の歴史とスケールの大きさに感動しました。中国には世界遺産が41ありますが、そのうち36も訪れています。
 特に印象的な世界遺産は、万里の長城や兵馬俑のほか、●黄山 ●九寨溝 ●黄龍 ●莫高窟 ●ポタラ宮 ●平遥古城 ●福建土楼 ●四川省パンダ保護区など。

 

中国への旅は20回を数え、西端の新疆・ウィグル自治区、北端の黒竜江省、西南端のチベット、南端の海南島など、ほぼ中国全土を回りました。民族も全人口の94%を占める漢民族のほかに、55の少数民族(約8000万人)が住む多民族国家です。私が運営する世界の人形館の中国コーナーには、多数の鮮やかな衣装を着た少数民族の人形が展示され人気があります。

 中国本土を旅して約20年、中国は大きく変貌しました。経済的に大発展し、高速道路は立派です。特に高層ビルが林立する大商都、上海(写真−29)の変わりようは驚くばかりで、わずか1年ぶりに訪れても別の街のような感じでした。服装も以前は人民服のような質素なものが、現在はおしゃれな装いが目立ちます。さすがに「世界の工場」と呼ばれるだけあって、物は豊かです。しかし、外国の製品を真似たにせものが多く、気を付けてください。
 一方、変わらないのは公衆マナーの悪さで、信号などは平気で無視する人が多いです。トイレも相変らず汚く、特に地方へ行くと鼻をつまむことがあります。


  
チベット:首都ラサのポタラ宮  四川省:パンダ保護区    上海:浦東地区の
                     でパンダを抱く         幻想的な夜景

 

(韓国) 1974年4月にソウルへの出張を皮切りに、5回訪れました。1970年代ごろまでは貧しかったですが、その後は日本人以上の勤勉さで工業化と輸出振興に頑張りました。電子工業などでは日本を追い抜いており、全般的に元気がある国です。日本に似た美しい自然やお寺も魅力的ですが、何と言っても素晴らしいのは、若い人たち(特に男性)の礼儀正しさです。過去3度個人旅行しましたが、年寄りの私を気づかって地下鉄ではさっと席を譲ってくれました。また、街で重たいスーツケースを運んでいると、青年が担いで運んでくれました。これは年寄りを敬う儒教思想と、しつけが厳しい徴兵制の影響です。服装も普段は西洋式ですが、結婚式では伝統的なチョゴリやチマを着ます。もちろん、美味しい韓国料理も大きな魅力です。1997年10月妻と一緒の旅行で食べた田舎御膳は、野菜、魚、漬物など30種類のおかずが楽しめるシゴルバブサンという朝食でした。

 

(北朝鮮) 1995年4月〜5月アントニオ猪木が、平壌(ピョンヤン)でプロレスの試合をした時に訪問しました。ソ連が崩壊後も残った珍しい社会主義国で、国民はすべて洗脳されていました。しかし、大スタジアムで観た見事なマスゲーム、美しい自然、立派な地下鉄駅に感動。北緯38度の軍事境界線上の板門店では、大いに緊張しました。拉致問題を聞いたのは数年後で、まさかという感じでした。14年後の2009年7月に北朝鮮・中国の国境を流れる緑鴨江の中国側を約1000kmドライブしましたが、貧しい北朝鮮側の平屋の建物と、中国側で圧倒的に多い高層ビルが対照的でした。世界の人形館で北朝鮮の人形も展示されていますが、鮮やかな韓国人形に比べ質素。

 

(モンゴル) 1992年に社会主義を放棄したモンゴルを、1995年5月に訪れました。移動式テント小屋のゲルに泊まって遊牧民気取りをし、果てしなく続く大草原で乗馬を楽しみました。満天のスターダストの素晴らしさに息を呑んだゴビ砂漠の星空や、壮麗なチベット仏教寺院が忘れ得ぬ思い出。モンゴル帝国が建国されて800年の節目、10年後の2006年8月〜9月に再訪しました。目的は民主化と市場経済化を推進する国策の実情視察で、わずか10年の間に首都ウランバートルの町並みは近代化されました。その反面、物価高や貧富の格差拡大で治安が悪化し、滞在中にカメラ2台が盗まれるトラブルがあり、失望しました。朝青龍や白鳳を生んだ国の治安は要注意。

 

(台湾) 1971年4月に初訪以来6回訪れ、4回は出張でした。招待された取引先との酒席で、「乾杯!」「乾杯!」と酔いつぶれるまで飲み交わしたことを憶えています。最後の訪問は2001年1月〜2月で、23年ぶりの再訪でした。妻と共に台湾を一周しましたが、大きく変わっていました。戦前の日本を知る世代は減り、懐かしい軍歌を歌う人はいなくなりました。また農業国から工業国へと変わりましたが、花連の美しいタロコ峡谷と懐かしい夜店は昔のままでホッとしました。立派な故宮博物館や中正記念堂、台湾一の景勝地の日月潭、温泉を楽しんだ知本温泉も印象に残りました。


  
 韓国:ソウルの徳寿寺で   北朝鮮:平壌メーデースタジ   モンゴル:ブルド郊外
 妻、新婚カップルと共に    アムでマスゲームを楽しむ     でモンゴル馬に乗る
 

(香港) 今から42年前にアジアで初めて訪れた香港は思い出深い土地で、合計8回も出かけました。1970年代に頻繁に訪ねた縫製工場は労賃の安い中国本土に移転していました。1997年7月に香港はイギリスから中国に返還され、翌年に新国際空港が開港。鉛筆のような高層ビルが林立する九龍の上空を飛行機がかすめるように離発着した古い啓徳空港は騒音問題などがあり、1998年7月にランタオ島に新しい空港がオープンしました。返還後も中国の窓口としての地位は変わることなく、近年はニュ−ヨークやロンドンと並ぶ世界三大金融センターになっています。最後に香港へ行ったのは2004年1月で、香港島・ワンチャイのシーサイド・プロムナードの眺めが素晴らしく良かったです。

 

(マカオ) 1974年2月に香港へ出張時、週末の休日を利用して遊びに出かけました。かってポルトガルの植民地であったため、ゆかりの遺跡を観光したり、名物のカジノやドッグレースを楽しみました。香港ほどの賑わいはありませんが、落ち着いた雰囲気が気に入りました。1999年12月にポルトガルから中国に返還され、4年後の2004年1月に実に30年ぶりに再訪しました。カジノが増えたりするなど様相が一変し、昔のようなひなびた風情は少なくなったのが逆に寂しく感じました。

 

7.東南アジアを旅して

 

(インドネシアと東ティモール) 1979年〜1984年の約5年間駐在しましたインドネシアの首都ジャカルタは、私の第二の故郷と言えます。その故郷へ久し振りに里帰りしたのが2003年11月〜12月でした。約20年ぶりに再訪した首都はその後も発展を続け、人口増もあり交通渋滞が目立ちました。駐在時代に部下であった現地職員が偉くなっているのを見て誇らしく思いました反面、長期政権のスハルト大統領の失脚で深い関係があった取引先の華僑系商人が海外逃亡するなどの話を聞き、時の流れを痛感しました。
  ジャワ島内を周遊後、スマトラ島、スラウェシ島、バリ島、ニューギニア島、ロンボク島、フローレス島などの島巡りをしました。神秘的なトラジャ族の里タナ・トラジャ、パプア(旧イリアン・ジャヤ)のワメナで原始生活を送るダニ族、バリ島では雄大なパノラマが広がるキンタマーニー展望台、世界最大のオオトカゲを観察したコモド国立公園が旅のハイライトでした。

 
 この旅では2002年5月にインドネシアから独立した21世紀最初の独立国、東ティモールにも寄りました。独立後も情勢が不安定なため国連監視下にあり、日本から派遣されたPKOの自衛隊員に会いました。首都ディリをはじめ、各地で紛争の傷跡がありました。ディリの観光では、パシール・プティ・ビーチという白い砂浜が美しく、キリスト像がそびえる丘からの眺めが抜群でした。

 

(シンガポール) 1977年7月クウェート駐在を終え、帰国途中で立ち寄ったのが最初の訪問です。その後は11回も訪れ、特にジャカルタ駐在時代は飛行機で1時間半と近いため8回も出かけました。


 シンガポールの魅力は「ガーデン・シティ」と呼ばれるほど緑が豊かで、中国系・マレー系・インド系の人々が融合する多民族国家です。1980年代前半までのシンガポールはまだ古い建物が残り、イギリス植民地であった香りが残る街並みでした。華僑系の取引先に招待されて大きなナイトクラブに行きましたが、そこで歌手が歌っていたのが大好きな歌謡曲「北国の春」で、外国慣れしている私も日本が恋しくなりました。

2003年11月に約20年ぶりに再訪しましたが、インド人街を除き再開発が進んで古い街並みが壊され、近代的な都市国家に変わっていました。上半身がライオンで下半身が魚のマーライオンは移転し、セントーサ島というレジャーアイランドも開発が進んでいました。しかし、昔は賑わったタイガーバウムはハウパーヴィラと改名、すっかりさびれていました。2005年7月は2人の孫などと3世代の家族旅行でナイトサファリなど楽しみましたが、シンガポールでの最高の思い出になりました。

  
 マカオ:聖ポール天主堂跡     インドネシア;バリ島   シンガポール:孫たち等
                       の伝統舞踊        とマーライオン公園で

 

(マレーシア) 私が話すことができるいくつかの外国語で、自信があるのがインドネシア語です。この言葉の元はマレーシアの言葉であるマレー語の方言のため、インドネシア語はマレーシアでも通用します。また、シンガポールと同様、マレー系・中国系・インド系からなる多民族国家です。1978年11月に初めて訪問して以来、6回旅行しました。地方はそれほど変化がありませんが、首都クアラルンプールは大きく変りました。1997年10月、19年ぶりに訪れた首都の中心は依然としてイギリスの植民地時代の建物が残っていますが、高さが452mもある世界有数の超高層ビルのペトロナス・ツイン・タワーが建つなど、すっかりモダンになっていました。
 その後の旅でほぼ全土を回り、ランカウイ島やティオマン島などのリゾート・アイランド、野生動物が住むボルネオ島の熱帯雨林(写真−39)も訪れて多様性を実感。各地の立派なモスクも見かけ、アジア有数のイスラム教国と認識しました。

 なお、2006年2月コタキナバル滞在中に母(当時93歳)が亡くなった連絡を受け、すぐに空港に行きました。搭乗券ももらいましたが、フライトがキャンセルされて葬式に間に合わず残念でした。

 

(ブルネイ) マレーシアに取り囲まれた小さな国の面積は愛媛県と同じで、人口もわずか40万人です。訪れたのは1997年10月の1回だけですが、強く印象に残りました。それは石油のおかげでボルキア国王は世界有数のお金持ちで、国民も豊かです。こじんまりした首都バンダル・スリ・ブガガワンは、夜景が幻想的で豪華なオマール・アリ・サイフディン・モスク、水上集落が見逃せません。

 

(フィリピン) 第1回の訪問は1972年3月に出張で出かけましたが、生まれて初めての熱帯の国はすべてが珍しいことばかりでした。まず果物が豊富で、パイナップル、マンゴー、パパイア、ココナツなどトロピカルフルーツを初めて食べました。日本と同じく火山の多い国で、タール火山や湖の美しさは忘れられません。日本人駐在員が大きな家に住み、たくさんの召使を使い、シエスタをするぜいたくな生活が羨ましいと思いました。後にインドネシアに駐在し、似たような生活を送りました。
 その後3回訪れ、27年後の1999年10月妻と旅行して首都マニラなど変貌に驚きました。2006年1月〜2月は北はルソン島、南はミンダナオ島まで1700kmを周遊。スペインの影響を受けたコロニアル都市、見事な棚田、奇岩島が点在しエメラルドグリーンの海が美しいパラワン島に感動しました。

 

(タ イ) 最初の訪問は1973年2月で、合計6回訪れ、タイ全土を回りました。キリスト教の国フィリピンと同じく熱帯の国ですが、タイは代表的な仏教国でたくさんの仏教遺跡があります。どこへ行っても目に付くのがお寺とお坊さんで、特に首都バンコク、北部のチェンマイ、東部のウボン・チャーターニーなどに立派な寺院があります。ほかにタイらしいものとしては、神様のように大切にされるゾウ、日本米と違い細長くぱらぱらで輸出が世界一のお米、格闘技のムエタイがあります。珍しい体験としてゾウ乗りのほかに、生きたトラやミャンマーとの国境に住むカレン族という少数民族の首長族との写真撮影があります。美しいリゾートアイランドのプーケット島やサムイ島、昨年洪水で話題になったチャオプラヤ川遊覧、バンコク郊外の水上マーケット、トムヤムクンというスープも印象に残りました。
 一方、約500年前の都であったアユタヤに山田長政など1500人の日本人が住み、約140年前よりシャムネコが輸入され、昔から日本との深い関係はあまり知られていないようです。

              −−−−− 講演会の模様 −−−−−


  
                                      講演するワールド・トラベラー
        

(ベトナム) インドシナ半島東側に細長くS字型のベトナムは、南北間の距離が実に2300kmにもなります。多様な自然と肥沃な大地メコンデルタにも恵まれ、あまり知られない観光資源が眠る国です。アメリカが介入したベトナム戦争が1975年に終わり、共産党が支配する社会主義国になりました。しかし、1986年ドイモイという改革・開放政策に転向後、急速に経済が発展しました。1994年9月に初めて訪れましたが、若い世代のエネルギーが溢れる最大都市ホーチミン、街で見かけました優雅な女性の民族衣装アオザイ、大河メコンのクルーズ、お米のうどん・フォーが印象的でした。
 その後の旅でベトナム全土を周遊、グェン王朝が栄えた古都フエ、海のシルクロードとして栄えた港町ホイアン、「海の桂林」と言われるハロン湾、中国との国境に近い少数民族村が見どころです。教育レベルも高く勤勉な国民で、将来性がある国です。世界の人形館ではアオザイの人形が人気者です。

 

(カンボジア) 1953年フランスから独立しましたが、1975年にできたポル・ポト政権時代に約300万人の大虐殺などがあり、今のような平和なカンボジアができたのは1993年です。その翌年の1994年9月に訪問、驚いた場所がいっぱいあります。12世紀のクメール王朝時代に建てられたヒンドゥー教寺院のアンコール・ワット、近くの仏教遺跡アンコール・トム、首都プノンペンではポル・ポト派が処刑した刑務所であったトゥールスレン博物館や親が殺されて孤児になった若い男性が住むお寺です。
 12年後の2006年6月再訪しましたが、プノンペンやアンコール・ワット観光の基地の町シェムリアップがすっかり変り、観光客相手のホテルが急増していました。この旅では、ラオスやべトナムとの国境近くに住む少数民族の村、東南アジア最大の湖・トンレサップ湖などを訪れました。

 

(ラオス) ベトナム・カンボジア・タイ・ミャンマー・中国の5ヵ国と国境を接する、東南アジアで唯一の内陸国です。中国に源流があるメコン川が南北に流れており、昔ながらの生活を送る少数民族が多い山国で仏教国です。1999年12月と2006年6月の2回訪れましたが、首都ビエンチャンや古都ルアン・パバーンでは黄金に輝く仏塔や寺院、観光の足になったトゥクトゥク(小型オート3輪)、ジャール平原の巨大な石壷や少数民族の鮮やかな衣装、メコン川のコーン島の滝が印象的でした。

 

(ミャンマー) 今アジアで最も注目されているのはミャンマーで、1994年9月に旅行しました。訪問の動機は、10代の終わりに鑑賞した映画「ビルマの竪琴」です。1989年まではビルマと呼ばれ、国民の約90パーセントが敬虔な仏教徒で平和を願って輝く金色のパゴダ(仏塔)で深い祈りを捧げる仏教国です。1949年の独立から1960年代にかけ、東南アジアで最も発展した国でした。しかし、軍事政権下で少数民族や民主化勢力の弾圧が続き、外国の制裁で経済発展は止まり、多数の難民と出稼ぎ労働者が外国に出ました。
 しかし、2011年からティンセン大統領が改革を進め、15年近く自宅軟禁されていた民主化運動指導者アウンサンスーチーも解放され、2012年5月にはミャンマー連邦議員に就任。観光資源は豊かで、治安も良いです。ヤンゴンの光り輝くシュエダゴン・パゴダ、マンダレーの巨大な旧王宮やマンダレー・ヒル、アジア有数の仏教遺跡・バガン遺跡が素晴らしかったです。2008年7月にもタイ北部から国境を越え、タチレイという町へ日帰りで出かけました。


  
マレーシア:ボルネオ島     ベトナム:美しいハロン湾     ミャンマー:ヤンゴンの
に生息するテングザル                          シュエダゴン・パゴダ

                         (完)

  
  
   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


  
横芝光町と生涯忘れ難いご縁が出来て約1年3ヵ月が経つ。図書館など文化施設は抜群で素晴らしいが、横芝と光という2つの町が合併後に抱えている諸問題を否応無しに知らされた。オリンピック開催中の世界は一時的とはいえ平和であり、本来スポーツは政治に翻弄されてはならないものであろう。
 
 文化もスポーツに似てはいないか?故に政争に使われてはならないと思うがーーー。講演会の聴講者の数が予想を下回ったのも、この辺りが原因かも知れないと思い巡らすと、一抹の寂しさを感じる。
 しかし、冷遇されているとしか考えざるを得ない居住する市に比べると、このワールド・トラベラーに講演や民族人形展開催のチャンスを与えて頂いた横芝光町に対し、大変有難く光栄の至りと多謝しなければならない。
 
  ☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜☆.
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筆者のプライベート・ミュージアム、世界の人形館は、246カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、壷、時計、 照明ランプ、絵皿、万華鏡などを展示しています。お待ちします。但し、セキュリティなどのため、下記要領で予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

講演を引き受けます。
 世界に関する事であれば、旅行、文化、芸術、宗教、歴史、国際情勢、外交、 政治、民族、グルメ、環境など、ワールド・トラベラーとして何でも講演します。
 ご希望があれば、ご連絡下さい。慈善活動のため、謝礼は不要です。但し、ご依頼の趣旨が講演者の理念などに合致しない場合、誠に勝手ながらお断りすることもあります。予めお含み置き下さい。


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ワールド・トラベラーが゙語る、アジアの昔と今 − その(1)
10
 2011年10月2日に始まった筆者講演の「世界を旅して」シリーズ第4回は、2012年8月5日(土)午後1時30分〜3時30分の2時間、千葉県横芝光町で行なわれた。講演会場は「マロニエ花咲く図書館」として知られる横芝町立図書館2Fのハイビジョンホールで、100席の座席はゆったりとしている。
 
 あいにく当日は横芝光町の夏祭りがあるとかで、聴講者は予想を下回り60名ほどであった。しかも、「夏休み子ども科学講座講演会」という名目にも拘わらず、子供たちの姿はわずか数人であったのが些か残念である。
 それでも私ことワールド・トラベラーが住む地元の我孫子市から約15人ほどが、夏盛りのお暑い中を遠路遥々聞きに来て頂いたのが何よりも嬉しかった。その中には、我孫子在住の県議や市議、隣の柏市からは副大臣の夫人などの姿もあり、やはり地元民の応援は有難く心強かった。

  
 横芝光町立図書館      講演会のポスター   講演会場ハイビジョンホール


 では、今回の講演テーマ「アジアの昔と今」を2回に分け、その要旨を紹介する。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

横芝光町立図書館
夏休み子ども科学講座講演会

       「ワールド・トラベラーが語る、アジアの昔と今 」 
                     
                            高 康治
                                      (世界の人形館・館長)

1.はじめに
                                 
 先ずは、本日の講演にお招きいただき、まことに有難うございます。世界の旅人、ワールド・トラベラーと呼ばれる私は、昨年10月より「世界を旅して」シリーズの講演を始めました。過去2回は住んでいます我孫子市で、「240国・地域を旅して」と「>PKO派遣の南スーダンと激動のアラビアを旅して」のタイトルで講演しました。今回は日本に近い「アジアの昔と今」につき、42年も前から訪れていますアジアがどのように変わり、発展したかをお話します。

 私は今75歳です。大学を出て貿易商社(三井物産)に入り、1969年の非常に寒い1月にロシア(当時はソ連)の首都モスクワへ業務出張しました。その後43年以上にわたり海外駐在・出張・旅行(団体旅行よりも個人手配旅行が多い)をし、数多くの国や地域を訪れました。その数はなんと246です。その間、1974年〜1977年は中東の石油生産国クウェート、1979年〜1984年は世界最大のイスラム教国インドネシアの首都ジャカルタで駐在員として働き、住みました。特に、クウェートでは日本から妻、長男と次男の家族を呼び寄せ、2人の息子たちは日本人学校に通いました。一方、インドネシアは子供の教育の関係もあり、家族は日本に残す単身赴任でした。 ちなみに、1970年ごろ外国に出かける場合、アメリカのドルなどの外貨持ち出しには制限がありました。私のような商社マンは第2次世界大戦後の日本の高度成長を支え国のために輸出を振興したが、外貨獲得で日本のために貢献した商社マンが外貨持ち出しで制限される変な時代でした。さらに、私の旅の目的は観光だけではなく、世界の民俗人形、紙幣やコインなども集めることです。また、イスラム諸国で住み南極や北極へも行った、普通の海外旅行者とまったく違う旅でした。


  
 クウェート駐在時代      インドネシア駐在時代     南極:1995年クーバービル
 家族と市場スークで    ジャカルタ事務所で秘書と     島のペンギン繁殖地で


2.世界の国の数

  一応、国際的に認められている国は、下の表の通りで、2012年8月5日現在で日本を含め世界では195もあります。従って、日本を除きますと、194ヵ国になります。
 

大陸名 アフリカ
アジア
 
ヨーロッパ 米州
(北中南米)
オセアニア 合計
国の数 54 46 46 35 14 195

 
 私は上記すべての国を訪問済みです。しかし、実際には196ヵ国を旅しており、2つも多いのは実効支配の国々、東地中海に浮かぶ北キプロスとモロッコの南にある西サハラがある厳しい現実です。
 なお、最新の独立国は昨年7月9日独立の南スーダンで、4ヵ月後の11月に訪れました。196ヵ国のほかに、南極や北極点など49地域にも出かけました。全部で246国・地域を旅行しており、親しい友だちはギネス申請を勧めてくれます。しかし、そのような気持ちはまったくなく、健康である限り現役のワールド・トラベラーとしてひたすら世界の旅を続けたいと思います。

3.この43年間、世界で大きく変わったこと

東西冷戦が終わり、米ソ2強から多極化へ

 第2次世界大戦後はアメリカを中心とする資本主義・自由主義諸国とソビエト連邦(現ロシア)をリーダーとする共産主義・社会主義諸国が対立する、いわゆる東西冷戦時代が長く続きました。しかし、1976年7月に訪れましたベルリンの壁も1989年11月の壁崩壊がきっかけで、1991年12月25日ソビエト連邦が崩壊し、冷戦時代は終わりました。これでアメリカが世界で唯一の超大国になり、以前の二極支配から一極支配と呼ばれる時代が始まりました。その後、1990年代ごろから中国、ブラジル、インドなど発展途上国の台頭やロシアの復活があり、アメリカ一極から多極化の時代へ。一方、ヨーロッパではEU(欧州連合)のような地域統合の動きもありました。 

情報通信の急速な進歩
 私が若いころ働いていました貿易商社は、メーカーのように工場などがありませんでした。あるのは国内外にある事務所で、しかも通信手段は手紙、電報、テレックス(テレタイプ端末を使ったデジタル専用回線)でした。当時の商社はいち早く入手した情報を武器に、世界を相手に商売をしました。その後、コンピューターの進化などのお陰でインターネットや携帯電話の普及が進み、リアルタイムに世界の動きが分かる時代になりました。海外旅行中はいつもホテルの部屋で、アメリカのCNNイギリスのBBC放送のニュース番組を視聴し、留守中の日本の動きも早く知ることができます。
 
地球温暖化
 
時々寒い冬もありますが、全般的に世界で温暖化が進んでいます。この温暖化は砂漠化や異常気象の原因になるなど、人類にとって深刻な問題です。
2000年11月にアフリカ中央部のチャドを旅行しましたが、目的はアフリカで4番目に大きい湖、チャド湖の観光です。しかし、行けども行けども湖に到達しませんでした。砂漠化で湖の面積が昔の約1/10に縮小し、湖岸が後退したのです。また、1997年8月と2003年8月に2度グリーンランドを訪れましたが、日中は汗をかくほど暑く、名物の氷山や氷河も溶けてやせ細っていました。

国際通貨の変遷

 私が商社マンになり、外国と貿易取引をしました時の機軸国際通貨はイギリスポンドとアメリカドルでした。しかし、1967年ポンドは固定相場を止め、機軸通貨の地位を降りました。代わりに、日本円やドイツマルクが国際通貨になりかけましたが、ポンド、あるいはドルの代役にはなりませんでした。一方、アメリカに対抗してヨーロッパの国々が1999年ユーロという単一通貨を導入、2002年から出回りましたが、昨年よりギリシアやスペインの財政や金融の不安でユーロは非常に安くなっています。今後はドルを中心にし、世界第二の経済大国になった中国の元の国際化が大変気になります。

アジアの目覚しい発展

戦後、アジアやアフリカなどでたくさんの国が独立しました。多極化が進む現代で目立つのは、アジア諸国の目覚しい経済発展です。この高度成長の牽引車になっているのが、人口が世界一の中国(13億4760万人)、第二のインド(12億4150万人)です。今日の講演は、これから主にアジアのことについて楽しく、興味深いお話をします。一方、アフリカは1973年8月エジプトを皮切りに、1978年5月のエチオピア、最近は昨年11月に南スーダンを訪れてすべての国を回りました。しかし、国民の暮らしは今も昔と同様に貧しく、政治家の利権争いや汚職などが主な原因。


  
  旧ドイツ:家族と      グリーンランド:2003年   エチオピア:アジスアベバ
ベルリンの壁を観光     イルリサット氷河を遊覧    郊外で子供たちと仲良く


3.アジアの定義


 一般的には、ヨーロッパとアジアをあわせたユーラシア大陸からヨーロッパを除いた地域を指します。国の数は46ヵ国で世界の約1/4、面積も3191万k屬農こΔ量鵤/4、人口は約40億人で世界の総人口70億人の57%を占める、世界最大の地域です。政治、経済、宗教などの各国立場の違いから様々な違う定義がありますが、一般的にはアジアは次のように大別されます。★は地域)
 

地域名(国の数) 国名 気候
東アジア
(5)
韓国、北朝鮮、中国、日本、モンゴル 
★台湾 ★香港
★マカオ 
★ロシアのシベリア
温帯、寒帯
東南アジア
(11)
インドネシア、カンボジア、シンガポール、
タイ、東ティモール、
フィリピン、ブルネイ、ベトナム、マレーシア、ミャンマー、ラオス
熱帯
南アジア
(7)
インド、スリランカ、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、ブータン、モルディブ 熱帯、温帯、
寒帯、乾燥帯
中央アジア
(旧ソ連)
(8)
アゼルバイジャン、アルメニア、
ウズベキスタン、カザフスタン、
キルギス、グルジア、タジキスタン、トルクメニスタン
乾燥帯
西アジア 
(中近東)

(15)
アフガニスタン、アラブ首長国連邦、イエメン、イスラエル、イラク、イラン、オマーン、カタール、クウェート、シリア、サウジアラビア、トルコ、バーレーン、ヨルダン、レバノン 乾燥帯

 
4.アジアの特色
 
ここでほかの大陸や地域と違うアジアの特色を少しお話します。 


(1)気候と河川
 
世界の人口の半分以上が住むアジアですが、人々が住んでいる地域がかたよっているのは気候と深い関係があります。温帯や熱帯では農業に必要な雨が降るため、多くの人の命を支えることができるため人口が多いのです。人口が世界で1位の中国、2位のインドは、ともにアジアの国です。
 また、およそ数千年前の世界で、4つの地域に都市や王朝ができた古代文明が栄えました。その内の3つはなんとアジアで生まれました。(1)中国の黄河流域の黄河文明 (2)パキスタンのインダス川流域のインダス文明(3)イラクのチグリス川とユーフラテス川流域のメソポタミア文明です。アジア以外では、北アフリカのナイル川流域のエジプト文明があります。私はこの4つの文明の遺跡をすべて見学ずみですが、文明には川=水が大切で欠かせないことを学びました。
 
(2)農業と食生活

 昔よりアジアの生活を支えてきたのは農業です。稲作はおよそ6000年前にインド東部のアッサム地方、あるいは中国の雲南地方で始まったと言われます。これは南の方からアジア東部や南部に吹くアジアモンスーンという季節風のおかげで、稲が良く育ちます。米は麦などほかの穀物に比べ、収穫できる量が多い長所があります。そのためにアジア諸国の多くはお米を主食としており、たんぱく質など栄養も豊富な食べ物です。1人当たりの年間の米消費量は、日本は約60kgですが、東南アジアでは150〜200kgに達します。また、海に面した国が多く世界の魚漁獲高の半分はアジアで、日本をはじめ魚の消費量も世界で最も多く、特に最近は中国での消費が増えています。一方、稲昨ができない中央アジアや西アジアでは、麦やイモを作ったり、牧畜をしています。
 
(3)工業化が進む
 依然として農業が盛んなアジアですが、今から数十年前より東アジアや東南アジアの一部では工業の振興に力を入れ、発展させた国があります。先生役の日本を見習い、まず韓国や台湾が追いつき、その後は中国、タイ、マレーシア、インドなどの工業化が急速に進んでいます。特に中国は「世界の工場」と言われるほどで、Made in Chinaの商品が世界で売られています。
 
(4)豊かな観光資源
 広大で多様なアジアには変化に富んだ風景がたくさんあり、中国のように非常に古い歴史を持つ国もあり、世界に誇る観光地がいっぱいあります。たとえば、中国の万里の長城(写真、「世界の屋根」ネパールのヒマラヤトレッキング、アラブ首長国連邦・ドバイでのショッピング、インドの西に浮かぶモルディブやマレーシアなどのサンゴ礁の島で楽しむシュノーケリングやダイビングなどが有名です。私はこれらの所にも出かけていますが、アジアの多様性を実感しました。

 

  
 パキスタン:インダス文明   中国:万里の長城の    ネパール:シャンボチェの
  遺跡モヘンジョ・ダロ      東端、老龍頭で     ホテルよりエベレストを望む


5.東アジアと東南アジアで働いて
 
 先ほど説明しましたように、アジアは広く、しかもたくさんの国々があり、全部の国をお話する時間がありません。従って、これから皆さんにお話するアジアは、我が国に近く、歴史・文化・政治・経済の面で日本と特に関係が深い東アジア(シベリアは除く)と東南アジアに絞ります。これらの国々は第2次大戦後に敗戦国の日本から戦後賠償を受けたり、様々な援助を受けて発展したからです。
 
海外出張時代(1970年〜1974年)
 日本以外のアジアを初めて訪れたのは、今から42年前の1970年10月に出張しました香港(写真−13)です。当時は商社で繊維を担当し、日本から織物を香港などに輸出していました。輸出された織物は縫製工場でシャツやブラウスになり、アメリカやヨーロッパへ再輸出されました。香港は土地が狭いために高層ビルが林立し、そのビルの中に工場がありました。100万ドルと言われた美しい夜景、美味しい中華料理など、一生忘れ難い思い出になりました。
 この出張がきっかけで毎年香港へ行きました。ほかに、台湾、韓国、フィリピン、タイへ出かけました。印象的な事柄は、台湾ではタクシーの運転手から聞かされた懐かしい軍歌、韓国は女性の接待を受けながら飲食するキーセンパーティーと床暖房のオンドル、初めて訪れた熱帯の国フィリピンではシエスタという昼寝や美味しいトロピカルフルーツです。
 
クウェート駐在と内地勤務時代(1974年〜1979年)
 その後、1974年〜1977年は西アジアのクウェートに駐在し、初めての海外勤務でした。全土が砂漠に覆われ、夏場は50度(摂氏)にもなる猛暑、厳しいイスラム教の戒律など貴重な体験をしました。クウェート勤務を終えて家族と共に日本に帰国する途中の1977年7月、香港(写真−18)、台湾、シンガポール(写真−19)に寄りました。家族にとっては、初めてのアジア旅行になりました。
 帰国後は東京の本社で食品(乳製品)の商売を担当しました。約2年勤務の間に台湾やマレーシアへ出張しました。台湾では、戦前の日本統治時代の名残を留める自然が美しい島内を一周し、マレーシアではかってイギリスの植民地であったマレー半島の町やペナン島を訪れました。
 
インドネシア駐在時代(1979年〜1984年)
 2回目の海外駐在は赤道直下のインドネシアで、世界最大のイスラム教国です。しかし、クウェートほど戒律が厳しくなく、お酒も飲め、毎日5回お祈りする人も多くありません。日本向けのインドネシア産のコーヒー豆や冷凍エビなどを取扱う食品部門の責任者として、東西およそ5100km、南北1900kmほどに及び1万8000 余りの島々からなる大群島国家の隅々まで回りました。国土面積の約7%ですが、人口の約6割が住むジャワ島のジャカルタをベースに、世界で3番目に大きな島で大自然が残るカリマンタン(ボルネオ)島、6番目に大きなスマトラ島、「神々の島」とか「芸術の島」と呼ばれるバリ島、K字状の奇妙な形をしたスラヴェシ(セレベス)島、ニューギニア島の西半分を占めるイリアン・ジャヤ(その後パプアと改称)、かって香料諸島と呼ばれたマルク諸島などへ飛行機で訪れました。
 一方、忙しい仕事の合間や休暇を利用してインドネシア各地を観光し、また駐在中の1982年7月〜8月には3人の留守家族(妻、高2の長男、中3の次男)が日本より遊びに来ました。ジャカルタをはじめ、ジャワ島の各地やバリ島、さらにシンガポールに案内しましたが、特にヒンドゥー教の島バリへの旅行(写真−21)が楽しかったようです。単身赴任のため、ゴルフは大きな楽しみでした。1週間に3〜4回プレーするほど熱中しましたが、才能が無いせいか上達しませんでした。私と同じ単身赴任者が数人集まり御殿のような豪邸で寮生活をしましたが、5〜6名の召使がすべて世話をしてくれました。会社からは専用車と運転手を提供され、日本のお金持ちでも経験できないぜいたくな生活でした。
 
 住んでいたジャカルタの表通りは近代的な都市の顔ですが、その裏通りや農村では電気もなく灯油に頼る貧困層が多数住んでいました。極端な貧富の差、世界最大のイスラム国家とはいえ本場の中東ほど厳しくない戒律、少数ながら経済的には実権を持つ豊かな華僑系の人たち、ジャワ島のアジア有数の壮大な仏教遺跡ボロブドゥールやヒンドゥー教遺跡プランバナン、神秘的で風光明媚なスマトラ島のトバ湖、華麗なバリの伝統舞踊、インドネシアの演歌クロンチョン、洗えば洗うほど良くなるジャワ更紗で知られるバティックの魅力、島国で海の幸に恵まれ美味しかったシーフード、金の貸し借りに関する独特の金銭感覚、夜風に吹かれながら乗ったベチャ(三輪自転車タクシー)など、独身でジャカルタ駐在を堪能した様々な経験はまるで昨日のように感じることがあります。

                                                   (続く)

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 音響効果抜群の会場であったため、マイク無しで講演した。聴講者にいつもの通り分厚い資料(講演本文、旅アルバム写真、地図など)を配り、プロジェクターと大型スクリーンを駆使して映像を見せるなど、ダイナミックな演出を意識しながら講演できたようである。

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講演会「240国・地域を旅して」−その(3)
10

 2時間の講演会であったが、講演終了前の約15分間は質疑応答の時間にし、正味の講演時間は1時間45分とすることが予め決められていた。予定通り講演は進行しているものと思っていたが、ふと時計を見ると、残り15分しかなく、未だ話をしていないのが全体の3分の1ほども残っていた。
 幸い配布資料が完璧に近かった(との聴講者コメント)お陰で、残りは簡単に説明して所定の時間内に講演を終えることが出来た。

 さて、今回は講演会要旨の最終として、「240国・地域を旅して」−その(3)を以下紹介する。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

7.危険な地域はどこか?(紛争地帯と治安)

 1976年イラク、1994年パキスタン・アフガニスタン国境、1995年北朝鮮、1998年イエメン、2000年ハイチ、2003年ボスニア・ヘルツェゴビナ、2007年ソマリアアフガニスタン2008年シーミールなどを旅した。

  
パキスタン・アフガニスタン  北朝鮮:平壌スタジアム    イエメン:アル・ファタの
   国境のカイバル峠     で大マスゲームを観覧    民兵より銃を借用 


 一般にこれらの国・地域は危険な紛争地で治安も悪いと言われるが、実の所、あまり身の危険を感じなかった。私が思う危険地域とは、外務省の海外安全情報とは必ずしも一致しない。
 正直に言って、命そのものの危険よりも、現地人にお金をたかられたり、盗られるのがむしろ怖い。特にアフリカでは、金持ちと思われる日本人は狙われやすく、夜間の外出も十分気を付ける要がある。また、国によっては一般の海外旅行の常識では計り知れないリスクがある事を十分に認識、覚悟した上で海外旅行に出かける方が無難だ。思い出深いトラブルがいくつかある。 


▼2000年10月〜11月に出かけた西アフリカ旅行では、ニジェールのある村で、村中の老若男女が総出で「カドー、カドー」(フランス語で”プレゼント”の意味)と叫んで無心するのが怖いぐらいであった。コートジボワールの最大都市アビジャンでは、空港職員から露骨にお金を無心された。陸路でガーナから内陸国のブルキナファソに向かう国境や、ベナンとナイジェリアの国境では、両国の国境事務所職員たちが組織ぐるみでお金を強要した。カメルーンでは南部を移動中に警察検問があり、カメラ所持に対して理不尽な因縁を付けて来た。そこできっぱりと断ると、何か飲み物を買うお金を恵んで欲しいと言われた時には、思わず笑ってしまった。

 

▼意外な落とし穴は、国全体としては一般に比較的治安が良いと言われるイタリアフランスである。身の危険を感じるような傷害事件や殺人、誘拐などの大きなトラブルはほとんど無い。しかし、ローマやパリなどの世界的な観光都市では、ひったくり、スリ、置き引きが日常茶飯事。これは40年近く前に旅行した昔も今も変わらない。事件後に警察などに届け出ても真剣に対応してくれないので、犯罪者のカモにならないように自衛するほかない。

 

▼1998年12月リビアを旅行したが、首都トリポリの街を散策中に、いきなり秘密警察と思しき男達に呼び止められた。強引に民家らしき場所に連行され、旅慣れしている私も驚いた。どうも挙動不審者にされたようで、色々厳しい取り調べを受け、2時間ほど拘束後に開放された。後ほど聞いた話では、我々の常識では理解できない理由で投獄され、精神的なプレシャーで帰国を余儀なくされた日本人がいるらしく、カダフィ大佐独裁国家の実像を見た思いがした。

 

   
  ソマリア:ソマリランドの    コートジボワール:   二ジェール:ニアメ  
    ハルゲイサ郊外で      アビジャン郊外の村    郊外の農村で

8.印象的なグルメ

 

タジキスタンのアユ

2007年4月アフガニスタンを訪問後、北に隣接するタジキスタンに入国。
首都ドゥシャンベの北郊外にあるヴァルゾフ渓谷(地図40)に出かけた時、川沿いのレストランで食事をした。運転手が強く勧めてくれたのが、グルモヒ(写真40)という体長10cmのアユに似た魚。約25匹をから揚げしたその魚を骨付きで食べたが、塩味がほど良く効き、全匹平らげるほど舌鼓を打った。

 

ワニのステーキ

1996年11月オーストラリア一周の時に北部にあるカカドゥ国立公園を訪れ、昼間は豪快なクロコダイル・ジャンピングを堪能した。ボート遊覧しながら棹に餌の鶏肉をぶら下げると、大きなワニが近付いて来た。体長3〜4mあろうか獰猛そうで、水面から飛び上がって餌を食いちぎるので迫力満点。夜のディナーでは、このワニのステーキを食べた。淡白な味は鶏肉に似ており、一般に硬いと言われるオーストラリアビーフより柔らかくて美味しかった。

 

韓国の田舎御膳

1997年10月妻と共に韓国を旅行。ソウルのレストランで食べた朝食は、野菜、魚、漬物など30種類のおかずが楽しめるシゴルバブサンという田舎御膳(写真42)。1974年に業務出張で出かけて以来5回も韓国を訪れ、日本でも様々な韓国料理を食べている。だが、田舎御膳のように多くの料理を少しずつ食べるのは初体験で、味よりも珍しいお料理だとの印象が強い。

 

ベトナムの王宮料理

2002年12月のベトナム旅行では、同国最後の王朝、グエン王朝の都であったフエを訪れた。ベトナムの京都と称される古都で、名物の王宮料理を賞味。縁起の良い鳳凰を模り、ハスの実や葉を使う飾り付けが華麗。高級な食材を使い、見た目が美しいのがフエ王宮料理の真髄で日本料理と似ている。食べるのが惜しいほどの飾り付けが見事で、お味も絶品であった。

 

イタリアのボッタルガ

2005年3月の早春、イタリアを1カ月かけて全周した。地中海に浮かぶ神秘的な雰囲気の島、サルディーニャ島にも寄った。ボッタルガ(写真44)はこの島随一の珍味として有名。ボラの卵巣を塩漬けしたもので、日本でいうカラスミである。島内最大の都市カリアリのレストランで、ボッタルガが入ったパスタを食べた。最高に美味しくて、オリーブオイルとも本当によく合う。


  
ベトナム:飾付けが美しい  オーストラリア:豪快な イタリア:サルデーニャ島 
  フエの宮廷料理   クロコダイル・ジャンピング   ボッタルガ・スパゲッティ
 

9.失敗談

 

  私が外国に滞在中は、いつもなんらかのトラブルに巻き込まれ、失敗談も数多くある。「失敗は成功のもと」ならぬ、「失敗は世界旅行制覇のもと」かも知れない。40数年間にわたり世界を飛び回り、フライトに乗ること数千回を数えるが、一生涯忘れ得ぬ失敗談がある。

 
 商社マンであったインドネシア駐在時代の確か1980年、商用でジャカルタからスラヴェシ島のウジュンパンダン(現マカッサル、地図45)に向かうため、早朝ジャカルタ空港の待合室で搭乗券を手にしながら待っていた。
 所がいつの間にか睡魔に襲われ、寝込んでしまったらしい。ふと目が覚めて大急ぎで搭乗ゲートに向かったが、乗るべきフライトはとっくに離陸済みであった。そこで次の便を探したが、ウジュンパンダン行きは1日1便しかなく、出発は翌日に延期せざるを得なかった。勤務していた会社はもちろん、現地の取引先にも迷惑を掛けた。

 日本や欧米などの先進諸国では斯かるトラブルを防ぐため、なんども館内アナウンスをするが、インドネシアのような発展途上国では当時そのような事はしなかった。極めて初歩的な恥ずかしい失敗があってからは、搭乗券を受け取っても油断せず、搭乗開始アナウンスなどには最大限の注意を払っている。その後、乗り遅れのトラブルは皆無である。

 

10.我孫子市と世界の関係

 

私は3年半前に我孫子市に引っ越してきた新住民で、転居後半年ほどはこの街に馴染むために頻繁に街中を散策した。また、「我孫子の文化を守る会」の越岡副会長ガイドの史跡ツアーへの参加などで、よく聞かされたのが「北の鎌倉、我孫子」である。依って、世界が第二の故郷とも言うべき私にとって、一見、我孫子は内向きな街に映る。
 一方、世界的な陶芸家バーナード・リーチが当地で3年間作陶に熱中した話に惹かれ、1920年に浜田庄司と共に作った英国・イングランドのセント・アイヴスにあるリーチ工房を訪ねたことがある。詳しいことは、特徴的なイスラム教の戒律などと共に、今後機会があれば別途お話したい。


  
  セント・アイヴス旧市街      リーチ工房      工房で働く陶工と私


11.終わりに

 

74歳という人生の最終章を迎えながら、なぜ世界の旅を続けることに未練があるのであろうか? その答えを敢えて言えば、「其処に世界があるから」。世界(世間)は時には狭いが、やはり広いのが世界である。私の世界放浪の旅は、命ある限り続けざるを得ない宿命かも知れない。また、分身で2番目の妻のようなプライベート・ミュージアム「世界の人形館」を彩る民俗人形など、コレクション収集の旅も来世に行く直前まで続くであろう。

最後に、この度このような盛大且つ立派な講演会を企画して頂いた「我孫子の文化を守る会」の皆さん、特に過日の大震災で人形館復旧のためご尽力頂いた伊藤一男副会長には深く感謝の意を表したい。また、長時間ご清聴頂いた会場の皆さんにも御礼を申し上げたい。

講演者のプロフィール

 1937年4月、大阪市生まれ。大学(阪大)卒業後、
三井物産に入社。
1960年代より商社マンとして主に外国で働き、海外駐在(クウェート・インドネ

 シア)、出張・旅行を多数回経験。今まで南極、北極点などを含め、約240ヵ国 ・地域を訪問済み。現在プライベート・ミュージアム「世界の人形館」オーナーとして、余生をボランティア活動、即ち居住地(我孫子市)など街の活性化と国際化促進に捧げる。最近は我孫子市内の小・中学校への地球儀寄贈運動を推進中。他に、「我孫子の文化を守る会」、「我孫子の景観を育てる会」、AIRA(我孫子国際交流協会)、AYAArts for Young Audience)、あびこ市民活動ネットワーク、などに入会。

 趣味は、ガーデニング、各種コレクション、旅行。 妻との2人暮らし。

 信条(3か条)は、(1)継続は力なり、(2)有言即実行、(3)完全燃焼。

 

主なメディア取材

 

新聞・雑誌

 2009年10月2日 ローカル紙「イースト情報」1面掲載 

 2009年 ローカル紙「地域新聞クリスマス特別号」1面掲載

 2011年 タウン総合誌「月刊とも」2月号トップ掲載

 2011年2月9日 ローカル紙「東葛まいにち」6面掲載

 2011年6月4日 読売新聞朝刊32面(千葉)掲載

 2011年8月11日 朝日新聞朝刊29面(千葉)掲載

ラジオ
 2011年
4月4日NHK千葉放送局ラジオの生放送番組「まるごと千葉60分」
 出演

テレビ
 2011年5月30日〜6月5日放映JCOMテレビ「ちばコレ!」出演

 

イベント参加

 ●AIRA国際まつり(2010年11月) 
 ●
メルヘンアートあびこ(2011年9月)
                
               (完)


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 

 講演後、3人の聴講者より熱心な質問を受けた。また、私のプライベート・ミュージアム「世界の人形館」を舞台にし、各種ボランティア活動推進に対して過分のお褒めの言葉も頂戴した。講演の時間配分について多少不満は残るが、講演会そのものは聴講者の皆さんに満足して頂いたようだ。特に、プロジェクターを使って珍しい写真を披露し、迫力と臨場感があったとかーーー。
 その後、今回の講演会で全面的にお世話になった「
我孫子の文化を守る会」の藤井会長や伊藤副会長など、会員の皆さんと記念撮影写真を撮った。会場を片付けた後、会員たちに人形や絵画などの展示品を人形館まで届けて頂き、長く感じた1日が無事やっと終わった。
 
  
世界の人形館展示品   司会の伊藤副会長(右)   私と妻を囲んで
照明ランプコーナー             文化を守る会の皆さん

 講演の数日後、数人の聴講者より、「全世界と言うスケールの大きな講演内容から言って、それに相応しい大きな立派な会場があったのではないか?」と指摘された。確かに我孫子市などが認知や後援していれば、もっと大々的な講演会になっていたであろう。
 しかし、お膝元の同市が私のプライベート・ミュージアム、「世界の人形館」に対して頑なに偏見を持つ限り、市が主催或いは後援するのを期待するのは無理であろう。私にも、ワールド・トラベラーとしてのプライドがある。いずれにせよ、時がすべてを解決するであろう。

 こじんまりとは言え真心がこもり、また講演のチャンスを与えて頂いた主催者、我孫子の文化を守る会の企画に多謝しなければならぬ。
誠に有難うございました。 

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今回ブログの内容などについて問い合わせ事項や、感想などがあれば、comments(コメント)欄にご記入下さい。迅速な回答を差し上げます。 また、次回のブログはリクエストがあり次第書き込みます。ご希望の国・地域があればワールド・トラベラーとして、小さな無名の国でもお受けします。ご遠慮なく、ご自由にリクエストして下さい。

世界に関する事であれば、ワールド・トラベラーとして何でも講演します。ご希望があれば、ご連絡ください。ボランティア活動のため、謝礼は不要です。


界の人形館では、240カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、壷、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを展示 しています。ご興味ある方はご遠慮なくご来館下さい。お待ちします。
 但し、セキュリティなどのため、下記要領で予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745又は
Eメール:ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

10月9日総務副大臣衆議院議員松崎公昭氏が、世界の人形館を 見学されました。その時の模様は、副大臣のブログ「活動報告」で紹介されて いますので、是非ご覧下さい。

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講演会「240国・地域を旅して」−その(2)
10
 講演会主催者の「我孫子の文化を守る会」の会員のほかに、色々な方に聴講して頂いた。例えば、私が居住するマンション住民、我孫子市議会議員、我孫子市立小学校の校長や先生、AIRA(海外交流協会)幹部、海外旅行好きのご夫婦などーーー。
 中でも異色はお元気な八十路の持永あい子さん。早速、人気ブログ、相子老婆的山南海北的話で、講演会の模様が紹介された。
 若い世代の人達にも聴講して頂こうと、市内にある大学へ出向いてポスターやチラシを置いて頂くようお願いしたが、学生の姿は見かけなかった。矢張り、近年の若者の内向き志向は、残念ながら事実であった。
 
 私のプライベートミュージアム「世界の人形館」より、世界の民俗人形、絵画、仮面、紙幣とコイン、照明ランプなどの所蔵品を展示したが、概ね好評であったようだ。

  
 講演会場アビスタ   世界の人形館展示品  世界の人形館展示品
 2Fミニホール      絵画、地球儀    民俗人形、写真パネル

 さて、今回のブログでは講演会要旨公開の2回目として、「240国・地域を旅して」−その(2)を以下紹介する。



   ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


4.おススメしたい世界遺産

 

2011年9月現在、187ヵ国が条約締約する世界遺産概要は以下の通り。

世界遺産総数 ・・・936件。その内訳は文化遺産 725件、自然遺産 183件、複合遺産(文化遺産と自然遺産の両方の価値を兼ね備える遺産) 28件。因みに国別登録数ランキングのベストテンは次の通りで、日本は14位の16件。


 (1)イタリア 47件 (2)スペイン 43件 (3)中国 41件 (4)フランス 
 37件 (5)ドイツ 36件 (6)メキシコ 31件 (7)イギリス 28件 
 (7)インド 28件 (9)ロシア 24件 (10)アメリカ 21件  


 私が訪れた世界遺産は半数の約470で、独断と偏見のきらいもあるが、
おススメしたい印象的な世界遺産は以下の通りである。

 

フランス:モン・サン・ミシェル 1997年7月、2001年9月、2010年8月の
 3回訪問 

 1979年に文化遺産登録。パリの西350kmほど、ノルマンディー地方の西端の小島にそびえ建つ奇岩城。フランスで最も人気のある景勝地と言われ、西暦966年に建てられた修道院を中心にして様々な建物群で埋め尽くされる光景はお城のよう。3回目の訪問では次男夫婦と孫たちを連れた3世代旅行を楽しみ、孫たちの成長を確かめる想い出深い旅になった。

 

イタリア:ベネチアとその潟 1976年7月、2005年3月の2回訪問 

 1987年に文化遺産登録。「アドリア海の女王」と呼ばれる水の都。177の小さな島々からなり、150を超える運河とおよそ400の橋が島々をつなぐ。最初の訪問はクウェート駐在員時代で、妻、当時は小学生の2人の息子を連れて訪れた。その時にムラーノ島で買ったベネチアングラスの大シャンデリアは、世界の人形館の名物として好評。ゴンドラにも乗り、終生忘れ得ぬものがある。


●ロシア:キジ島の木造教会 2005年8月訪問
 
1990年に文化遺産登録。フィンランドとの国境に近いロシア連邦カレリア共和国のオネガ湖に浮かぶキジ島に、ロシア正教会の木造教会、プレオブラジェンスカヤ教会がそびえる。高さ37mもある22のドームが折り重なり、燃え立つ炎、或いはキノコの群生のようなシルエットが幻想的で圧巻。約300年前の1714年に建てられ、一本の釘も使われていないとは驚きである。

 

クロアチア:ドブロブニク 1998年9月訪問
 
1979年に文化遺産登録。クロアチア最南端に位置し、「アドリア海の真珠」と謳われるクロアチア有数の観光地として有名。赤い屋根瓦、旧市街を取り巻く白い城壁、紺碧のアドリア海が見事なコントラストで、その絶景は宝石のように美しく思わずウットリとする。一押しの展望ポイントは、旧市街の北にある標高412mのスルディ山の中腹である。


  
  モン・サン・ミシェル全景   キジ島の木造教会    ドブロブニク旧市街
 

カンボジア:アンコール遺跡 1994年9月、2006年6月の2回訪問 
 1992年に文化遺産登録。東南アジア最大の湖、トンレサップ湖の北にあるクメール王朝時代の遺跡群。アンコール・ワットは12世紀中頃に建てられたヒンドゥー教寺院で、東西1.4km、南北1.3kmの堀に囲まれた世界最大級の遺跡。大伽藍、回廊壁画の優美な浮き彫りが見事だ。都市遺跡のアンコール・トムは、観音菩薩の顔が刻み込まれたバイヨン寺院が見どころ。

 

ペルー:マチュピチュ 1994年5月訪問 
 
1983年に文化遺産登録。首都リマの南460kmに位置し、標高2057mの山間に謎に満ちたインカ遺跡が忽然と姿を現す。1911年アメリカの歴史家ハイラム・ビンガムが発見するまでは、草に覆われた廃墟であった。「謎の空中都市」と呼ばれ、スペイン人征服から逃れた1万人ほどのインカ人が住んでいた。石組みの技術が見事であった彼らは、16世紀に忽然と奥地に消えた。

 

エジプト:ギザの3大ピラミッド 973年8月、1975年12月、1995年12月、2005年1月の4回訪問 

 1979年に文化遺産登録。カイロ西郊外のギザにある約4500年前に造られた3つのピラミッド、高さ137mのクフ王ピラミッド、143mのカフラー王ピラミッド、65.5mのメンカウラー王ピラミッドはとにかくスケールが大きく圧倒される。2回目の訪問はクウェート駐在時代で、妻、当時小学生の息子たちと旅行。生まれて初めてラクダに乗った子供たちは大喜びであった。

トルコ:カッパドキア 1996年10月訪問
 
  1985年に複合遺産登録。 トルコ観光のハイライトとして有名。標高が約1000mのアナトリア高原にキノコのような形の奇岩が林立する景観は正に自然の驚異で、地球以外の他の惑星に来たような錯覚に陥るほど。キリスト教修道士達が造った巨大地下都市、洞窟教会も見逃せない。

 

オーストラリア:エアーズ・ロック 1996年11月訪問 
 1987年に複合遺産登録。先住民のアポリジニが崇拝する聖地は、高さがなんと348mもある世界最大の一枚岩。機内から見ると、赤い平坦な大地にお碗を伏せたような大きな赤茶の岩山が横たわる。夕陽を浴びると赤みを一層増し、最後に炎が固まったような赤になり神秘的。


  
     マチュピチュ         ギザの3大ピラミッド      カッパドキア
 

5.秘境に住む少数民族との出会い

 

■エチオピア:ムルシ族の村  2007年3月訪問 
 
ケニアや南スーダンと国境を接するエチオピア南部のジンカという町から100km奥地のムルシ族の村では、既婚女性が唇や耳にデヴィニャという陶器のお皿をはめている。この村では唇が大きいほど美人とされるが、その唇を凝視するのが怖いくらい異様な雰囲気であった。

 

■インドネシア:ワメナのダニ族の村  2003年11月訪問 
 
日本の南5000kmほどにインドネシアのパプア州(旧イリアン・ジャヤ)があり、州都ジャヤプラの南西270kmに内陸の町ワメナがある。その町近くに住むダニ族は裸族で、今も石器時代さながらの生活を送っている。男性はパンツを着用せず、コテカというペニスケースを身に付けている。また、数百年前の村の英雄がミイラとして祀られ、黒光りのミイラを触ると硬かった。


  
 陶器の皿を唇や耳にはめるムルシ族女性    ダニ族とワールドトラベラー  
 

6.是非という面白い地域や場所

 

南極  1995年1月訪問 
 
 
究極の海外旅行といえば、面積が1400万k屬發△詁邏砲イチ押し。約16年前の阪神大震災の翌日に出発。飛行機で米国のサンフランシスコとマイアミ、チリのサンチャゴとプンタアレナスと乗り継いでアルゼンチン南端の港町ウシュアイアに着き、ここでクルーズ船に乗船。海が荒れるドレーク海峡を通過して南極(半島)に着いたのは、日本を出て5日後。日中はゾディアックというゴムボートで上陸、ペンギンや大きなゾウアザラシなどを観察し、夜は船で寝泊りした。名も無い大氷河の先端が轟音を立てて崩れ落ち、その後は氷山になって流れて行くなど、他の大陸にはないスケールの大きな神秘の世界が広がる。火山があるデセプション島では温泉に入った。

 

死海  1976年12月、1994年12月、2000年6月の3回訪問 


 イスラエルとヨルダン両国にまたがる死海は、琵琶湖の1.5倍の大きさ。海抜はマイナス398mで、世界で最も低い所にある塩水湖である。塩分が海水の10倍以上もあるため、「絶対に体が沈まない」という異次元の体験ができる。イスラエル側で浮遊体験をしたほかに、ヨルダン側でも試みたが、塩分がイスラエル側ほど濃くないために簡単に浮かなかった。なお、非常に濃い塩分(約40%)は美容や健康にも効果があるとされ、体が真っ黒になる泥パックを試みた。しかし、体のあちらこちらに傷があったため、体に沁みて痛い思いをしたのが忘れられない。

  
南極:ク
ーバービル島海岸の   南極:南極海峡を   死海:イスラエル
 ジェンツーペンギン繁殖地    漂流する氷山     側で浮遊体験


              (続く)
 

  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


今回ブログの内容などについて問い合わせ事項や、感想などがあれば、comments(コメント)欄にご記入下さい。迅速な回答を差し上げます。また、次回のブログはリクエストがあり次第書き込みます。ご希望の国・ 地域があればワールド・トラベラーとして、小さな無名の国でもお受けします。ご遠慮なく、ご自由にリクエストして下さい。

世界に関することでしたら、ワールド・トラベラー何でも講演します。ご希望があれば、ご連絡ください。ボランティア活動のため、謝礼は不要です。


界の人形館では、240カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、壷、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを展示しています。ご興味ある方はご遠慮なくご来館下さい。お待ちします。但し、セキュリティなどのため、下記要領で予約をお願いします。
TEL:04−7184−4745 又は

Eメール:
ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

10月9日総務副大臣衆議院議員松崎公昭氏が、世界の人形館を見学されました。その時の模様は、副大臣のブログ「活動報告」で紹介されていますので、是非ご覧下さい。

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講演会「240国・地域を旅して」−その(1)
11

 9月中旬に開催したメルヘンアートあびこの共催参加に続き、一昨日の10月2日(日)、私は我孫子市のアビスタ(生涯学習センター)で講演した。会員になっている「我孫子の文化を守る会」主催の講演会で、約70人の聴講者にお集まり頂いた。その内のおよそ半数は非会員の人達であった。
 
 私と妻が住み、プライベート・ミュージアム「世界の人形館」がある我孫子駅近くの高層マンション住民の皆さんも、聴講者全体の1割を占めるほど来られたので、正直なところ些か驚いた。と言うのは、今まで世界の人形館に対し、市長を含めた我孫子市を巻き込むほど、マンションの一部住民による執拗なバッシングが絶えなかったからである。
 そのために、全国紙や地域紙、NHKラジオやローカルTVなどメディアの取材を多数受けたにも拘わらず、お膝元の「広報あびこ」では報じられなかった。過日(9月16日)やっと私の講演会の件が広報誌に載ったが、依然として世界の人形館の名前は無かった。

 講演会は当初文化を守る会の会員を対象とする、こじんまりとした放談くらぶの名目であった。しかし、この講演会の仕掛け人、伊藤一男副会長のご尽力で、かなり広い会場も確保された講演会に昇格。そのために単なる講演会ではつまらないと、世界の人形館が所蔵する世界の絵画、民俗人形、仮面、紙幣とコイン、照明ランプなどが会場で展示された。その準備のために、藤井吉彌会長以下の幹部の方々にお手伝い頂き、やっと講演会開催の運びとなった。

    
 講演会のポスター   講演会場のアビスタ      講演中の筆者


 今から35年ほど前の若き商社マン時代以来、公衆を面前にした久し振りの講演であった。当初は少々緊張気味であったが、4月のNHKラジオ生放送出演の経験が役立ったのであろうか、途中からは落ち着いた話しぶりであったと聞く。

 配布資料はA3で合計7枚。本文が4枚(8ページ)、添付資料は訪問国・地域のリスト、旅マップ、旅アルバムから成る。本文の内容は、次の通り。
    
    1 はじめに    
    2 世界の国の数
    3 感嘆した世界の絶景
    4 おススメしたい世界遺産
    5 秘境に住む少数民族との出会い
    6 是非という面白い地域や場所
    7 危険な地域はどこか?(紛争地帯と治安)
    8 印象的なグルメ
    9 失敗談
   10 我孫子市と世界の関係
   11 終わりに
      
 以下、その要旨を3回に分けて紹介する。



  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



                      2011・10・2
我孫子の文化を守る会・講演会

        
2 4 0国 ・ 地 域 を 旅 し て

(

                                         癲々治
1.はじめに

 

 公の場で世界の旅の話をするのは、東日本大震災の恐怖感が冷めやらぬ去る4月4日、NHK千葉放送局のラジオ番組「まるごと千葉60分」生放送出演以来である。


 総合商社(三井物産)勤務時代の1969年、酷寒の1月にロシア(当時ソ連)の首都モスクワへ出張以来、約42年間に駐在・出張・旅行(団体旅行よりも個人手配旅行が多い)で訪れた国と地域はなんと240を超える。
 その間、1974年〜1977年は激動の中東の小国クウェート、1979年〜1984年は世界最大のイスラム教国インドネシアの首都ジャカルタに駐在した。特に、クウェート時代は妻、長男と次男の家族を帯同、2人の息子達は日本人学校に通った。一方、インドネシアは子供の教育問題もあり、単身赴任であった。


  
 1969年モスクワ:赤の  1975年クウェート:家族と 1982年インドネシア:
広場で(右は現地の秘書)  スーク(市場)で買い物  会社の秘書の結婚式で


 因みに、1970年ごろ海外渡航する場合、米ドルなど外貨携行には制限があった。商社マンは戦後の右肩上がりの高度成長を支え、日本国のために先兵となって輸出を振興した。外貨稼ぎで貢献した商社マンが外貨携行で制約を受けるとは、実に変な時代であった。
 また、1967年11月に英ポンドは1ポンド=1008円の固定相場が崩れ、864円に切下げられて基軸通貨の座を降りた。長年1ドル=360円を維持した米ドルも、1971年8月のニクソン・ショックで固定相場制から変動相場制に移行し、その後は安くなる一方で、最近は360円時代の5分の1近くまで下落している。元商社マンの悲しい性(?)か、ずっと為替動向を意識して旅をしてきた。

 また、私の旅は世界の民俗人形、紙幣やコインなどのコレクション収集も兼ね、更にイスラムとも縁が深く、普通の海外旅行者とはほとんどすべてが異なる旅でもあった。
世界の表裏を40数年にわたり直に見聞してきた数々の実体験をベースに、約2時間で世界が分かるノンフィクション・ストーリーを分かりやすく且つ赤裸々に語りたい。

 

2.世界の国の数

 

一応、国際的に認められている国は、2011年7月8日の時点で日本を含め世界では194もある。従って、日本を除外すると、193ヵ国になる。私はこれらの全ての国を訪問済みで、実際には195ヵ国を旅している。2つも多いカラクリは実効支配の国々、北キプロスと西サハラがある厳しい現実だ。7月9日には南スーダンという新しい国が誕生したので、195が最新の世界の国の数である。


   
  2005年北キプロス:     2005年西サハラ:     2001年スーダン: 
     ギルネ城           ラユーン市内で        メロエ遺跡

 ところで、訪問国リストは以前から作っていたが、国の数があまりにも多いので大雑把であった。最近、丹念に精査結果、別表(世界の人形館オーナーが訪れた国と主な地域)参照。
47地域を加えると、242ヵ国・地域も訪れていることが分かった。NHKに出演するまで約230ヵ国・地域と公表していたが、自分でも改めて驚くほどの数字である。


 ●アフリカ大陸:53ヵ国
 ●アジア大陸(中東含む):46ヵ国と6地域
 ●ヨーロッパ大陸:46ヵ国と16地域
 ●米州大陸(北・中南米)35ヵ国と11地域
 ●オセアニア:14ヵ国と6地域
 ●極地:8地域
                  合計 195ヵ国と47地域

 私には「ワールド・トラベラー」というニックネームがあるが、これは1996年7月北極点クルーズに参加した際にアメリカ人旅行者からもらった称号(?)である。このクルーズで100ヵ国以上出かけたと豪語する米国の旅人に出会ったので、珍しい国々、例えばアフリカ諸国について訊ねてみた。しかし、答えがあやふやなので問い詰めつめると、アフリカ大陸はほとんど行っておらず、訪れた地元のアメリカの州を国としてカウントしている事が分かった。
 確かにアメリカ人に出身国を聞くと、アメリカ合衆国と言わず、テキサス、カリフォルニア、イリノイなどと州名で答える人が結構多い。尤も面積が70万k
のテキサス州は日本の2倍近くあり、国という意識するのも理があるかも知れない。
 

3.感嘆した世界の絶景

 

ベネズエラ:エンジェル・フォール 1996年6月、2003年7月の2回訪問 
 落差がなんと979mもある世界最長の滝。コナン・ドイルの小説「ザ・ロスト・ワールド」で紹介されたギアナ高地にあり、地上での滝観覧と上空から眺める遊覧飛行を楽しんだ。標高2560mのアウヤン・テプイというテーブルマウンテンから流れ落ちる滝は、地表に届く前に霧のように散るため滝壺が無い。世界に数多の滝あれど、滝壺が無いのは稀有である。

 

南米:イグアスの滝 1994年7月訪問 
 
世界三大瀑布の一つとして有名。最大落差は100mで、大小300の滝がアルゼンチンとブラジルの国境約4kmにわたって続く世界最大幅の滝。三大瀑布の中でも、水量・滝の幅でナイアガラとアフリカのビクトリアの滝を遥かに圧倒する世界最大級の滝である。アルゼンチン側よりも、見どころが多いブラジル側の観光をおススメしたい。

 

アルゼンチン:ペリト・モレノ氷河 2000年3月訪問 
 
アルゼンチン南部のパタゴニアにある。地球温暖化で世界の氷河が後退する中で、唯一成長を続ける氷河として知られる。遊覧船で長さ35km、幅5kmもある氷河の先端に接近できる。高さ約60mの氷河が轟音と共に湖に崩れ落ちる光景は迫力十分で、壮観の一言に尽きる。

 

アフガニスタン:バンデ・ミール湖 2007年4月訪問 
 
首都カブールの北西240kmにあるバーミヤン、さらに西へ75kmほど向かうとバンデ・ミール湖がある。アレキサンダー大王やマルコポーロも絶賛した雄大な景勝地はテーブルマウンテンに囲まれ、宝石のラピスラズリー(瑠璃)のように群青色の湖が静かに佇んでいた。

 

中国:四川省の九寨溝 2000年7月訪問
 
上海の西2150kmほど、四川省の省都・成都から北約450kmにある。標高は2000m〜3100m。この世に仙境があるなら、間違いなく九寨溝であろう。数多くの湖沼、滝、急流、泉が点在し、透明度の高いエメラルドグリーンの水面に周囲の緑が映えて神秘的と言うほかない。


  
     イグアスの滝     エンジェル・フォール    バンデ・アミール湖   
 

ネパール:エベレスト山麓  1995年11月訪問  
 
ネパールのシャンボチェにある、標高3880mのホテル・エベレスト・ビューに宿泊。滞在中は運よく快晴で、テラスから世界最高峰のエベレスト、第4位のローツェを眺望。なお、現地到着直前に近くの山で起きた雪崩で日本人13人が遭難死し、日本で留守番の家族が私の安否を心配した。


アメリカ:グランド・キャニオンの谷底 1986年9月、1998年9月の2回訪問 
 
全長460kmにおよぶ世界最大級の渓谷。キャニオンを色々な角度から見ようと、2回目はヘリコプターで約1500m下のコロラド川の谷底に下りてキャニオンを見上げた。谷底は予想外に水と緑が豊かで、滝まである楽園。ひんやりとする滝で泳いで汗を流し、至福のひと時を満喫。

 

ナミビア:ナミブ砂漠の赤い砂丘 1999年2月訪問 
 
ナミビア南西部の大西洋沿いに、幅50〜140km、全長約1600kmの細長い砂漠が広がる。地球最古の砂漠と言われるナミブ砂漠の見どころは、300mの世界一の高低差がある世界最大級の砂丘群ソッサスブレイと、朝日を浴びてアプリコット色のシルエットが幻想的な砂丘デューン45。

 

クック諸島:アイツタキ島 2008年8月訪問 
 
「天国に最も近い美しい島」と言えば、迷わず南太平洋に浮かぶニュージーランド自治領のクック諸島のアイツタキ島。ラグーンクルーズに参加し、ワンフート島という小島に上陸。白い砂、ココナッツ椰子、エメラルドグリーンとアクアブルーの海の色のコントラストが目にも鮮やかだ。

 

▼オーストラリア:グレートバリアリーフGBR 2004年3月訪問 
 
オーストラリアの北東、クイーンズランド州の沿岸にある全長2600kmの世界最大の珊瑚礁。このGBRで最も人気のあるリゾートがハミルトン島で、GBRのヘリコプター遊覧を楽しんだ。眼下には広がる無数のサンゴ礁群、純白の砂浜が6kmも続くウィットサンデー島のホワイトへブン・ビーチなど、この世のものとは思えぬ雄大で神秘的な美しさの大パノラマに感動。

  
 ホワイトヘブン・ビーチ  ナミブ砂漠・砂丘45    アイツタキ島  

                  
(続く) 


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