世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
東日本大震災の被災地、南三陸町を訪ねイースター島を懐かしむ
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 あれから8年、あと10日も経てば東日本大震災後8年になる。歳月は人を待たず、早いものだ。そんな大震災の被災地の一つ、宮城県の南三陸町をつい先日の2月25日〜26日に訪れた。大震災後すぐに被災地慰問を思い立ったが、行きそびれ今日に至ってしまった。しかし、2月3日付け幣ブログ『初めての救急車と映画『一陽来復』 上映会&トーク』で触れた大震災の語り部、南三陸ホテル「観洋」の第一営業次長である伊藤 俊さんに会いたくなり、急遽現地に赴いた次第だ。

 上野駅から新幹線「はやぶさ」に乗車すること約1時間半、仙台駅に着いたが意外に近いと実感した。駅前の喫茶店で簡単な昼食を取った後、ホテルが迎えに来たシャトルバスに乗って2時間後に投宿する南三陸ホテル観洋に到着した。波静かな志津川湾に臨み、客室が240室ほどもある三陸海岸最大級のリゾートホテルだ。オーシャンビューの広い客室と絶景の露天風呂、1000名収容のコンベンションホールなどに加え、海の幸が自慢の宿だ。夕食では近海で獲れたコリコリした鮑の踊り焼き、キラキラいくら丼などの美食に舌鼓を打った。

 

 

   ホテル前で星野さんと     ホテル内のレストラン

       まるで親子のよう?!

 

 新鮮な海の幸で彩られた夕食 伊藤さん、星野さん、齋藤さん

                 と楽しく会食

 

 筆者の到着を待っていたかのように伊藤次長に出迎えて頂き、更に前日から語り部フォーラムに出席のため同ホテルに泊まっていた一般社団法人 三月のひまわりの代表理事、星野真弓さんが合流した。東京から来た彼女は、手刺繍や被災関連のイベントを通して被災地を支援する篤志家である。日が暮れない内にとお二人にお付き合い願い、伊藤さんの案内でテレビでも度々観たことがある同町の志津川地区を訪れた。

 あの忌まわしい3.11大震災から間もなく8年になろうとする現地視察は、今更の遅きの感は拭えなかった。しかし、翌朝訪れた戸倉地区を含め、今も復興事業が続いている現場を見て、20m超の巨大津波に襲われた大震災の傷跡が未だ癒えてない事を痛感した。

        

        −−− 復興事業が続く志津川地区 −−−

 

    志津川地区の右奥に   志津川を背にして星野さんと

  ホテル観洋が見える 

 

 実際に被災現場を見て、この天災(一部は人災もあろうが)から得た教訓などを風化させてはならないとの想いが強くなった。同時に、地味なことで大変と思うが、今後とも伊藤さんらには末永く語り部を続けて頂きたいと祈念したい。また、大震災後からずっと被災地の人たちを支援し、激励してきた被災県外者の星野さんには敬意を表したい。

 更に初対面のホテルの女将、阿部憲子さんの大震災時における的確な人道的対応、即ち避難所として周辺住民も受け入れた事にも感銘を受けた。なかなか貫禄があり、決断力もある方の様である。また、夕食を共にした齋藤左恵子さんも個性的で、忘れ難いものがある女性だ。色々な出会いがあるのが旅であり、故にその虜になるのも旅であろう。

 

​ 

  語り部バスで語る伊藤さん     右から女将の阿部さん、

                筆者、星野さん

 

 さて、今回の視察旅行で最も関心があったのが、実は志津川地区にある「さんさん商店街」のそばに立つモアイ像である。「モア−チョ」という名の像は 、2013年に南米・チリ領のイースター島からやって来た人面を模した石像彫刻である。モアイという言葉には「未来に生きる」という意味があり、その意味通り南三陸町にとってモアイ像は希望のシンボルだ。「大震災に負けず、一歩一歩復興を目指そう!」と勇気づけられる存在であり、またイースター島との堅固な絆の象徴でもある。

 

 

  さんさん商店街で伊藤さん、モアイ像を背にして星野さんと

     星野さんと 

 

 ところで、この石像の本場であるイースター島を、私ことワールド・トラベラーは1995年5月に旅したことがある。フランス領ポリネシアのタヒチ島に寄った後、南太平洋にポツンと浮かぶ絶海の孤島である同島を訪れた。現地では「広い大地」を意味するラパ・ヌイと呼ばれるが、正式名はパスクア島である。因みに、イースター島という名前は1722年の復活祭(イースター)の日に発見されたのをオランダ人が名付けたものだ。その旅の模様を紹介しよう。
 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━

 

 イースター島へのアクセスはタヒチのパペーテからと、チリ本国の首都サンチャゴからの空路しかない。この旅ではパペーテからラン航空のフライトに搭乗、約5時間後に島の中心地ハンガロア村の南外れのマタべリ空港に着いた。火山の噴火によって形成された島には大木が生えておらず、茶褐色の丘や岩場などに雑草が生い茂る。なだら

かで荒涼たる大地が見渡す限り広がり、孤島感が一層ひしひしと伝わって来る。

 この島が世界的に有名になったのは1000体ほどもある人面を模した石造彫刻モアイで、祖先の象徴である守り神だ。大きさは3〜4m、重量は20トン程度が多いが、最大級は20m、重量は100トン近くにも達する。島の周囲は約60km、車なら3時間ほどで一周できるほどの小さな島だが、見どころは結構多い。

 

 島の東部にあるアフ・トンガリキはイースター島最大のアフ(聖なる祭壇)で、海を背にして15体ものモアイ像が立って圧巻である。以前このアフはモアイ倒しや津波で壊滅寸前であったが、日本のクレーン会社(タダノ)などの協力により見事に復元された。このアフから標高約200mのラノ・ララク山を登って行くと、その中腹におよそ400体のモアイ像が散乱していた。半身だけのもの、顔だけ見えているもの、捨てられたような倒れたモアイ像もある。

 

  

       アフ・トンガリキ            倒れそうなモアイを

                    支える?筆者

 

 実はこの付近はモアイの製作工場であった所だ。一般に完成したモアイは海岸近くにあるアフに立てられ、その多くは海を背にして島の集落に向かって立っていた。しかし、島西部にあるアフ・アキビ は島では例外的で、唯一海を見つめる7体のモアイが立つ。また、初期に製作されたモアイのため、プカオ(帽子)を載せていない。一方、島の北岸に立つアフ・ナウナウでは、4対のモアイにプカオが載っている。

 

 

     アフ・アキビの前で                アフ・ナウナウ 

 

 モアイ像以外の見どころは、島の南西端にあるラノ・カウ山 がイチ押しだ。直径1600mほどの巨大な火口湖を持つ休火山は、チチカカ湖のようにトトラが生える水面と火口の淵には200mほど標高差がある。山頂の展望台から眺める神秘的なカルデラ湖と絶壁を同時に見る感動は、なんとも言い尽くし難い。この山から南の岬に向かって歩くと、オロンゴ儀式村がある。村と言っても名ばかりで、入口が小さい石積みの住居があるだけだ。ここでは毎年のリーダーを決める鳥人儀式が行われ、付近の岩には鳥人などの岩絵が残る。

 

         −−− 休火山ラノ・カウ−−−

 

   巨大な火口湖を俯瞰    展望台でのワールド・トラベラー

 

 イースター島を旅してから早や4半世紀近くになる。その後どのように変貌しているのであろうか?出来れば再訪し、その昔に出会ったモアイと再会したいものだ。彼らも筆者と同様に歳をとったであろう。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━

 

 モアイ像が立っている「さんさん商店街」で、地元に多少でも貢献しようとで少し買い物をした。しかし、他に訪れる客も見当たらず、閑散としていた。要らぬお世話かも知れないが、いつまで持ちこたえられるのか些か心配でならない。今回の視察を機会に年に何度かは南三陸などの被災地を訪れ、地元民を激励したいと思料している。

 わずか2日間の短い南三陸町視察を終えて帰途に就く前に立ち寄ったのが、西隣町の登米市にある「みやぎの明治村」や津山もくもくランド。特に、みやぎの明治村では、旧登米高等尋常小学校校舎であった教育資料館、裁判所などにも使われた水沢県庁記念館、白壁が鮮やかな武家屋敷通りでは明治の香りが漂い、印象深いものがあった。

 

      −−− みやぎの明治村のお勧めスポット −−−

 

     教育資料館         武家屋敷通り  

 

 死者・行方不明者・震災関連死を含め、2万2131人が犠牲になった大震災だが、今も約3100人がプレハブの仮設住宅で過ごし、約5万2千人が避難生活を続けているとか。一方、復興庁は2年後の2021年3月末に廃止を踏まえ、原発災害への対応、地元産業の再生、人口減少などの諸問題が残るが、どのように解決するのであろうか?被災地に住んでいないとは言え、気懸りでならない。いずれにせよ、現在の復興庁の後継となる組織作り、例えば防災庁?の立ち上げが喫緊の課題となろう。

 

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東日本大震災1年とX年前の3.11
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 本日、2012年3月11日(金)は、未曾有の大天災、東日本大震災が発生してからちょうど1年になる。この1年間が、早いと感じる人があれば、長かったと振り返る人もいるであろう。筆者自身としては少々長かったようだ。

 地震大国の我が国でもかって経験したことが無かった強烈な揺れと巨大な津波は、一瞬にして町や村の様相は勿論、人々のライフスタイルなども変えてしまった。文明の利便と考えられていた福島第一原発の人災事故(人災と言っても過言ではなかろう)は、いつ収束するか分からない不透明の恐怖となり、多くの住民を生まれ育った地から遠ざけたままである。放射能汚染処理の道のりはおよそ30年後などとも予測されているが、誰も先を見通せないのが実情であろう。
 一方、この1年間の政局は相変わらず安定せず、東北3県(宮城・岩手・福島)のがれき約2,247万トンの処理など、焦眉の急であるべき復興の歩みは遅々として進んでいないようで腹立たしい。小生 & 世界の人形館が寄付した数口、数十万円程度のささやかな義援金はすぐに被災者に渡され、多少でもお役に立ったのであろうか?些か気掛かりである。 

 本日の午後は妻と共に、我孫子市駅前ビルの最上階にあるレストラン「ムッターランド」で開かれたランチタイム・コンサートに出かけた。薔薇美子さんと渡辺由美さんという2人の円熟した女性歌手が出演、40人の席は満席の盛況。総務副大臣松崎公昭氏の奥様、文枝さんなど5人をお誘いし、賑やかな顔ぶれになった。松崎夫人は庶民的な方で、市民目線なのでお付き合いし易い。
 華やいだ雰囲気のコンサートの終盤、大震災が発生した時刻、午後2時46分過ぎに約1分間の黙祷をし、死者・行方不明者1万9131人に鎮魂の祈りを捧げた。
 
 この1年間を振り返ると、一種の被災者になった当家でも様々な事があった。2011年4月23日号のブログなどで紹介した通り、私のプライベート・ミュージアム、「世界の人形館」があるマンションの10階は、不気味な轟音と共にブランコのように大揺れして直立できないほどであった。40数年間にわたり外国で丹念に収集した人形などの多数の展示品が、無残にも目の前で一瞬にして崩れ落ち、飛び散った。その様はまるで流れ落ちる滝のようであった。「世紀末」という言葉を初めて実感し、呆然自失になった。
 しかし、その直後から老いも若きも様々な人々の善意に支えられ、背中を押されて人形館の早期復旧に全力投球した。大震災の痕跡が目立たないほどに原状回復したのが話題となり、新聞、テレビ、ラジオなどメディアの取材を受けたり、番組に出演した。東北の被災者の方々には申し訳なく失礼かも知れないが、まさに災い転じて福となすであった。いずれにせよ、何事も簡単に諦めないことが大切である。


大震災直後                    
   
    エントランス              和室                     リビング  

1年後
   

 1年前の3.11、即ち2011年3月11日は終生忘れ難い忌まわしい1日であったが、現役時代以降のX年前の3.11はどうであったか回顧してみたい。因みに、Xは勝手ながら奇数を選びたい。
 
● 3年前の3.11−−−2009年3月11日(火)
 数日前には早春の南房総へ妻と共に日帰り旅行を楽しんだり、数日後には可愛がっていた初孫が小学校を卒業したのでお祝いをするなど、平凡ながらも安寧の毎日を送っていた。この頃から世界の人形館の体裁がぼちぼち整い始め、口コミで居住のマンションから外部へ評判が広がり、一般の見学者が着実に増え始めた。

● 5年前の3.11−−−2007年3月11日(日)
 2月6日〜3月7日のエチオピア・アンゴラ・サントメプリンシペ・赤道ギニア・ガボン・ガボン・カメルーン・ブルンジ・ソマリアのアフリカ旅行、3月29日〜4月26日イラン・パキスタン・アフガニスタン・タジキスタン・トルコの中東・西アジア旅行という2つの長期旅行の狭間で日本にいた。前の旅の写真整理と次の旅の準備で、毎日てんてこ舞いであった。当日も自宅にいたが、日曜日にも拘わらず多忙であった。

● 7年前の3.11−−−2005年3月11日(金)
 3月2日からイタリアへ1ヵ月の旅に出かけ、サルデーニャ島やエルバ島を含めイタリアのほぼ全土を周遊した。3月11日は終日、ローマ市内と近郊のティヴォリのハドリアヌス帝の別荘を観光した。1974年12月に初めて訪問以来3回目となるローマでは、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂などを訪ね、映画「ローマの休日」で有名になった真実の口で想い出の記念撮影。

● 13年前の3.11−−−1999年3月11日(木)
 3月8日から8日間、地中海に浮かぶ(南)キプロスのツアーに参加した。オランダのアムステルダム経由で現地入りし、春たけなわの島内を巡った。3月11日は一部では雪も解けずに残り、美しい自然に包まれたトロードス山地の標高1140mの山奥深くに佇むキッコウ修道院を訪れた。900年もの歴史を持ちキプロスで最も有名な修道院は、聖ルカの筆と言われる色鮮やかな聖母マリアのイコンが見どころ。

● 17年前の3.11−−−1995年3月11日(土)
  3月3日から9日間のモロッコのツアーに参加し、アフリカ大陸の西北端に位置するマグレブの代表的な観光地を訪れた。3月11日は帰国日で、午後3時ごろ成田に着いた。 若き日に何度も鑑賞するほど感動したハンフリー・ボガートとイングリット・バーグマンの大スターが共演した映画「カサブランカ」の舞台になった国では、迷路の町フェズや花の都マラケシュなどの四大古都を訪ねた。
 

● 29年前の3.11−−−1983年3月11日(金)
 1979年6月から総合商社(三井物産)のジャカルタ駐在員になり、現地事情に相当精通した5年目を迎えていた。当時は2人の息子の教育の関係で家族を日本に残し、単身赴任していた。主な担当業務は冷凍エビやコーヒー豆の日本向け輸出で、産地のスマトラ島やスラヴェシ島などへも時々出張した。当日はジャカルタにいた。

● 37年前の3.11−−−1975年3月11日(火)
 1974年5月から総合商社のクウェート駐在員になり、現地に馴染み始めた2年目に入っていた。家族を帯同し、妻と2人の息子と一緒にクウェート市内に住んでいた。息子たちは日本人学校に通いながら、中東の地で異文化を体験した。3月ごろは冬から春への季節の変わり目で、当日も確か砂嵐が襲来した記憶がある。

  
 ローマ:真実の口 キプロス:トロードス山地 クウェート:スーク(市場)
          山地の トゥリミクリニ村  で家族と共に買い物


 1年が経過しても関東大震災に起因する余震が絶えず、不安な毎日だ。あの3月11日、岩手県から茨城県沖まで長さ500km、幅200kmにわたり、プレートという岩板が大きくずれ動いた。600年分のエネルギーが一気に放たれため、今も余効変動という地殻変動が続いているとか。依然として止まない東日本を中心にした日本列島の活発な地震活動はそのためで、海底や地下での地殻の大変動が続いているらしい。
 地震調査研究推進本部では、マグニチュード7程度の首都圏地震直下地震は30年以内に70%と予測している。最悪の場合は近いうちに、東日本大震災の再来があるかも知れないと思うと、ゾッとする。

 国の原発政策は、管前首相の原発を皆無にする「脱原発」から、最近は野田首相がある程度の原発を稼動させる「脱原発依存」に舵を切ろうとしている。
 一方、筆者の周りの市民の間では、「原発は絶対ダメ」と言う声を耳にする。世の中には徒にノー、ノーと言う人が結構いる。ではノーの場合、その代わりに代替のエネルギーはどうするのかと訊くと、答えが返ってこない、いわゆる評論家タイプの人が多いようだ。私なら、英語で言えば、” No, but--- ”と応えるように努めている。このbut---がポイントで、建設的で具体的であるのが望ましいであろう。

 筆者の周りでも何人かの知人が京都や福岡などの安全とみられる他府県へ転居したり、一時避難したりしている。率直に言えば、自分にもそのような気持ちはあるが、分身である世界の人形館の膨大な展示品のことを考えると、容易に身動きが取れない。
 結局は地震と心中するしか選択肢が無さそうだが、実はその前に深刻な問題を抱えている。間もなく後期高齢者の仲間入りをする身として、珍しい貴重な世界の収集品(と見学者の大半から過分な評価をいただいている)を誰に、どのようにして引き継ぐか、いつまでも悩みは尽きない。悩みが次から次ぎへと来るのが、一度限りの人生であろうと達観せざるを得ない。

追記:3月14日(水)夕刻、東京プリンスホテルで自民党の片山さつき参議院議員のセミナーがあり、招待状が来たので出かけた。「M9に耐える、強靭な首都圏を!」というタイトルの討論会はなかなか傾聴に値し、単なる衆院選間近かしの(?!)の資金集めパーティーでないのが良かった。
 その帰り道、地下鉄の乗車中にかなり揺れて異常な音がするので何事かと思ったら、地震だとの車内アナウンスがあり、電車は10分ほど停車していた。震源地は千葉県東方沖で、マグニチュードは6.1と最近ではかなりの規模の地震である。一体いつになれば東日本大震災の余震は収まるのであろうか。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

筆者のプライベート・ミュージアム、世界の人形館は、245カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、壷、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを展示しています。ご興味ある方はご遠慮なくご来館下さい。お待ちします。但し、セキュリティなどのため、下記要領で予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又は Eメール:
ko-yasu@maple.ocn.ne.jp


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東日本大震災と平成の関東大震災(?)
13

 10日前の2011年4月13日、当年(10年)とって(取って)64歳の誕生日を迎えた。戸籍上はもちろん74歳である。

 しかし、今年の誕生日は例年のそれと全く趣を異にし、1カ月ほど前に今まで経験しなかったカタストロフィー、東日本大震災が発生したことだ。
 2011年3月11日午後2時46分、三陸沖の震源地で記録されたM9.0は、国内観測史上最大のマグニチュードと言われる。1923年(大正12年)9月1日、10万5千余人の死者・行方不明者を出した関東大震災でさえ、M7.9であった。連動して襲った大津波、世界に類例が無い原発事故などを惹起した巨大地震の破壊力は、人知を遥かに超えることを知らされた。

 大震災があった時は、私は妻と共に自宅でもある世界の人形館にいた。居住地の我孫子市の震度は6弱とされるが、マンションの高層階(10F)にあるためにブランコのように大揺れして直立できないほど。
 我孫子に住む気鋭の女性建築家、藤田美和子さんなどから、専門的な話を伺った。耐震構造ではあっても、免震構造が普及していない今の高層ビルやマンションは、倒壊を防ぐ代償として室内が長時間にわたり大揺れするらしい。人形館の実質的な震度は、恐らく6強又はそれ以上であったかも知れない。

 40数年間にわたり海外でこつこつと収集した人形などの展示品が、目の前で一瞬にして崩れ落ち、飛び散るのが悔しくてならなかった。本震、間もなくあった強い余震が収まった後、急に静かになった室内を見渡すと、足の踏み場もないほど、様々な展示品が落下して散乱していた。阪神大震災の現場を見た後、家具には地震対策のストッパーを付けて用心していたが、ほとんど効果が無かった。あまりにも変わり果てた惨状に一時は呆然自失になった。
 ところが、その時マンション内の小さな子供達が心配して駆け付けて来た。常日頃、人形館で遊んでもらっている孫のような子供達である。怪我をするから気持ちだけも良いと言ったが、無視して甲斐甲斐しく片付けを手伝ってくれた。翌日以降は「我孫子の文化を守る会」の副会長さん、同じマンション内の若夫婦と子供さんの家族ぐるみ、千葉県内に住む息子達などが毎日交代で後片付けと整備を手伝って頂いた。

 英語で、A friend in need is a friend indeed(まさかの友は真の友)という有名な諺がある。大震災を通して人の情けを知り、禍(大震災)転じて福(献身的なボランティア)となった感慨は終生忘れまい。

 ボランティアの方々のお陰で人形館の復旧作業は予想外に早く終わり、なんと大震災の8日後には一般公開を再開し、見学者を受け入れた。
もっとも、その前にNHK千葉放送局の関口アナの事前取材を受けるため、特別にオープンするために妻共々ハッスルした経緯もあった。
 生々しい惨状を物語る大震災直後と、ボランティアの皆さんのご支援を頂いた復旧後の写真をご覧下さい。

         
大震災直後                    
      
           エントランス      和室         リビング
復旧後
      
          
 一応復旧は終えたが、スペインの高級陶器人形リアドロなど、破損や損傷した展示品の修復作業は時間がかかり、現在も根気よく続けている。 

 若かりし頃、商社マンとしてクウェートとインドネシアに駐在すること約9年、ほかに多数回の海外出張や旅行を通して訪れた国・地域は実に240を超える。しかし、不思議なことに外国にいる時は、一度も地震を経験していない。2度目の駐在国インドネシアはインド・オーストラリアプレートとユーラシアプレートがぶつかり合う世界有数の地震多発国だが、地震は極めて限られた地域に起こる。過去頻発しているスマトラ沖で地震があっても、駐在していたジャカルタがあるジャワ島では揺れなかった。日本の地震は狭い国土にも拘わらず、広域的で被災地域が非常に広い。

 大地震で先ず思い出されるのが、1999年10月に訪れたイラン南東部の世界遺産バム。首都テヘランの南東およそ1100km、東西交易で栄えた古都で、サファビー朝時代の城塞跡の観光やナツメヤシが主産業である。堂々たる立派なメイン・ゲートをくぐると、全長2kmほどの土の城壁に囲まれた城塞アルゲ・バムの巨大な廃墟群が現れる。日干しレンガ造りの迷宮といった感じで、18世紀以降の度重なるアフガン軍侵略で人々が去った後、廃墟化が進んだと言われる。その規模の大きさに驚いたが、訪れる観光客も少なく、幻の城塞都市は正に「死の町」の表現がピッタリ。
 しかし、2003年12月26日の大地震でバムは瓦礫の町となり、約9万人の町人口の3分の1に相当する3万人以上の死者が出たとの由。世界遺産になった城塞跡も被害を受け、「危機にさらされている遺産」にリストアップされた。

          (大地震で完全に廃墟になったバム城塞)         

  
    ビフォー        アフター          城塞前に立つ筆者(地震前)

 次は2008年5月12日に発生した中国の四川大地震で、マグニチュードは8.0。死者・行方不明者は9万人近くに達したほか、震源地に近い臥龍パンダ自然保護区も被災した。当時63頭のパンダがいたが、1頭が死亡、1頭が行方不明になった。私は大地震の8年前の2000年7月に、この保護区を訪れている。この時に生後8カ月、体重が約6kgの愛らしいパンダを抱っこし、当時3歳の初孫をふと思い出した。それだけにあの保護区で見かけたパンダが死んだかと思うと、可哀相で残念でならない。
 因みに、コアラも抱っこしたことがある。1996年11月オーストラリアを一周した際、パース郊外のコヌフ・コアラパークへ出かけた。全身を消毒された後、生まれて初めて可愛いコアラを抱き、生後間もない孫を抱いているような錯覚に陥った。


  
    保護区のパンダ      パンダを抱っこ      コアラを抱っこ

 3.11の未曾有の本震後も、連日のごとく余震が続き、なんとも不気味な不安な毎日だ。近くに住む持永あい子さんは傘寿間近のお元気な方で、チャイナドレスに造詣が深い中国通。地震前までは足繁く人形館をお訪ね頂いたが
、最近は身上のフットワークの軽さも影を潜めておられる模様。

 余震がしつこく続き、加えて強い余震から派生する孫震があと1年ほど続くと予想する地震学者もいる。また、過日の本震で既に1メートル近く地盤沈下している所がある。そのうちに、別の新しい本震、例えば首都圏直撃の大震災、即ち「平成の関東大震災」でもあれば、この世も末、「日本沈没」も現実味を帯びそうで気懸かりである。

 老い先が見えているこの年で日本脱出も、私の分身である「世界の人形館」のことを考えると、現実的ではない。避難するも残るも共に困難で厳しく、これと言った選択肢が無さそうで、閉塞感が漂うような感じの日本である。
 だが、大津波で命を落とされ、家を流され、仕事を失い、また福島原発事故で避難を強いられている東北3県の被災者の方々を思うと、贅沢は言えまい。

 国難に直面している今こそ、「決断、即実行」できる気骨のあるリーダーが求められるべきだが、そのような人材が果たしてこの国にいるのであろうか?
自信がある御仁はぜひ手を挙げて行動して頂きたい!
私はそのようなニューリーダーを支援する。
   
_____________________________________

後記:我孫子市の震度に関し、震度5弱との指摘も受けたが、4月28日地球儀贈呈式で星野順一郎市長にあった際に確かめた。市が公表している震度5弱は我孫子市で最も地盤が硬い場所で計測したもので、標準的な震度は隣接する印西市の公式震度と同じ6弱が妥当との由。

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