世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
イスラエルと国交正常化したバーレーンの想い出
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 アメリカのトランプ大統領は、11日にイスラエルと中東のバーレーンが国交正常化に合意したと発表した。過去1ヵ月間でアラブ首長国連邦(UAE)に続き、イスラエルと和平合意した2番目のアラブ国である。中東諸国は何十年もの間、パレスチナ問題が解決するまではイスラエルと国交を樹立しない姿勢を貫いてきた。イスラエルは1948年の建国後、アラブ諸国では隣国のエジプトとヨルダンとの間でのみ、平和条約を結んでいる。バーレーンはUAEに続き、イスラエルと外交関係を持つ4番目の国となる。

 トランプ大統領は今年1月、中東和平計画としてイスラエルとパレスチナの紛争解決を打ち出し仲介役を務めて来た。4日後の8月15日には、イスラエルとUAE&バーレーンの両国は、アメリカのホワイトハウスで国交を正常化させる合意文書に署名した。トランプ大統領は他の中東諸国も後に続くことを期待

した一方、イスラエルと対立しているパレスチナ自治政府は、同様の合意をしないよう他国に働きかけている。

 

 さて、話題になったバーレーンだが、筆者は商社マンとしてクウェート駐在時代の1974年5月に初訪問以降、実に16回も訪れているお馴染みの国である。面積は706k屬斑枯島とほぼ同じで、人口が約100万人の小さな島国だ。かつては中東の金融センターであったレバノンのベイルートに代わる地位を得ており、またペルシャ湾地域(現地ではガルフと呼ぶ)では小国とは言え要衝国になっている。我が日本ではあまり知られていないバーレーンが、どんな国かを以下紹介しよう。

 

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 最後にバーレーンを訪れたのは2002年1月で、この時は昨年暮れに他界した妻が同行した。バーレーンの首都マナーマの旧市街玄関のバーレーン門をくぐると、目の前にスークが広がる。迷路状の細い道に、ゴールドショップなどあらゆる店が軒を連ね、雑多な感じだが活気が溢れる光景は、前回訪問時とあまり変わっていないのが嬉しかった。昔足繁く通ったインド出身の合繊織物商店を訪れたが、オーナーは健在で25年ぶりの懐かしの再会を果たした。その後自宅に招かれ食事をしたが、旧知のオーナーの兄が死去したことを知り時の流れを痛感。

 

     −−−バーレーンの旧市街のスーク(市場)−−−

 

 1975年に訪れた筆者   2002年に散策する筆者と妻 

 

 スークがマナーマの古いシンボルなら、新しいランドマークはアフマド・アル・ファティ・モスク。6000人が同時参拝できるグランド・モスクとして知られ、イタリア産の大理石がふんだんに使われるなど、大きくて優美なモスクは世界有数と言える。案内してくれたガイドがなんとドイツ人の女性で、しかもムスリム(回教徒)なので驚いた。空港からシェイク・ハマド・コーズウェイを渡って市内に入りすぐ目に入るのが、白亜の斬新なデザインのバーレーン国立博物館だ。石器時代からイスラム時代にいたるバーレーン史が見学でき、特に古墳や民族衣装関係の展示が見どころ。

 

−−−亡き妻と訪れたアフマド・アル・ファティ・モスク−−−

 

     モスク前で      モスク内

 

 郊外では、1974年〜1977年クウェート駐在時代に頻繁に出張した頃に比べ、バーレーン最大の変貌は、サウジアラビアとバーレーンを結ぶ架け橋キング・ファハド・コーズウェイができたこと。総延長25kmの中間にある展望台から 、アラビア湾を横切り春霞のように煙るアラビア側を遠望できる。当時のサウジアラビアは簡単に入国できず、鎖国状態であった。駐在時代には想像もしなかっただけに、隔世の感があり感無量になった。

 石油が発見される以前のバーレーンの暮らしぶりを知りたいなら、空港近くのムハラク地区と、16世紀に建てられた砦の跡アラッド・フォートが見どころ。砦の前は遠浅の海で、遠くにコーズウェイのモダンな橋が展望でき眺めが良い。

 

 

キング・ファハド・コーズウェイ アラッド・フォート

 

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モスクに変わったアヤソフィアの想い出
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 トルコ最大の商都イスタンブールにあるアヤソフィアは、世界遺産の博物館として有名である。支配者が変わるたびにその用途が変更されてきた数奇な運命を持ち、何と一昨日(7月24日)モスクに変わってしまったのだ。86年ぶりとなる金曜日の集団礼拝が行われたが、イスラム教の価値観を重んじるトルコのエルドアン大統領の決定には特にキリスト教圏から失望の声が上がった。今後はキリスト教徒が多い欧米諸国などとの溝が深まることも懸念され、トルコが念願とする欧州連合(EU)加盟も遠のくのではなかろうか?

 アヤソフィアはビザンツ帝国時代の537年に当時のコンスタンチノープル、現在のイスタンブールにキリスト教の大聖堂として創建され、1000年近くギリシャ正教の総本山であった。しかし、1453年にオスマン帝国のもとでイスラム教のモスクに改修され、ミナレットという4つの塔が立てられ、内部には「預言者ムハンマド」などと書かれた円盤状の飾りが設置された。その後アタチュルク初代大統領による近代トルコ建国後の1934年に博物館に変更され、異なる宗教や文化の共存の象徴とも呼ばれてきた。

 

 

  アヤソフィアを俯瞰    アヤソフィアの内部

 

 礼拝は新型コロナウイルス対策として、マスクを着用して互いに距離をとって行われた。エルドアン大統領は礼拝の間に限り、キリスト教を題材にしたモザイク画などを布で覆うが、普段は従来通り公開するとしている。ところで同大統領の意図は、政教分離や世俗主義を掲げてきた国是に対し、イスラム教の価値観を重視する政策を進めてきた。以前は禁じられていた公の場でのスカーフの着用を解禁したほか、この度アヤソフィアのモスク化に踏み切った背景には政治的な動機もあるようだ。
 実はエルドアン大統領が率いる政権与党は昨年首都アンカラやイスタンブールの市長選挙で相次いで敗れるなど、最近人気に陰りも見えている。さらに新型コロナウイルスの影響で国内経済が大打撃を受け、国民の不満も多い。斯様な情勢下、アヤソフィアをモスクに戻すことで、保守的な支持層を繋ぎ止める狙いがあったのではと憶測されている。キリスト教圏からの失望の声に対して同大統領は、「アヤソフィアをどう使用するかはトルコの主権に関わることだが、今後とも誰もが訪問できるようにする」と述べて理解を求めている。

 

 世界で唯一アジアとヨーロッパという2つの大陸にまたがるイスタンブールを、筆者は1973年3月の初訪以降10度も訪れている。1975年9月には、家族(妻・長男・次男)を連れて行ったことがある。多彩な魅力に溢れた街は香港などに似た情緒もあり、旅情を誘う見どころが実に多いので何度訪れても飽きる事がない。トプカプ宮殿、ブルーモスク、アヤソフィヤ博物館、グランド・バザールの4点セットは、誰もが知っている必見の定番スポットだ。

 

 

 長男・次男と共に    1996年に訪れた筆者

  (1975年)

 

 中でも大好きな観光スポットが、数奇な運命を辿ってきたアヤソフィアである。トプカプ宮殿の隣に建っているアヤソフィアは、赤茶色の外壁が印象的だ。「ビザンチン建築の最高傑作」と評されるほど当初ギリシア正教の大本山として君臨しながら、後にイスラム勢力の拡大で回教寺院に姿を変えた。1932年にはケマル・アタチュルクが初代大統領になると、博物館として衣替えした流転の歴史がまず興味深い。

 1931年にアメリカ人調査隊により、内壁の中のモザイク画が発見後、ビザンチン時代の遺跡として注目されるようになった。必見はギリシャのロードス島で産出された軽レンガでできた直径31m、高さ56mの大ドーム屋根、マリア像やユスチニアヌス大帝などが描かれた多数のモザイク画、大ドームの中に掲げられ金色のアラビア文字で書かれた黒の円板、6本もある高いミナレット(尖塔)などがある。何度訪れても、見飽きない魅力がある。

 

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護衛艦が派遣されたアラビア海のソコトラ島の旅
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 海上自衛隊の護衛艦「たかなみ」が横須賀基地を出港した。同艦は中東のオマーン湾、アラビア海北部(インド洋)、アデン湾で、日本関係船舶の安全確保のため情報収集の任務を担う。中東勤務経験がある私には、 現地は勝手知ったる裏庭のようなものだ。アラビア半島を囲む重要な海域で危険と言われるのは、先ずホルムズ海峡が挙げられ、その次が今も内戦が続くイエーメンが面するアデン湾だ。武装した海賊がよく出没する。

 そのアデン湾の東、インド洋に浮かぶのがイエーメン領のソコトラ島である。2011年12月、空路で首都サナアからムカラ経由で島を訪れたが、身の危険を何度も感じたリスキー

な旅であった。しかし、絶海の孤島に着いてみると、意外にも平和なようで些か驚いた。「インド洋のガラパゴス」の別名を持つだけに、植物相は独特だ。たとえば、赤い樹液が染み出る竜血樹、イエーメン桜とも呼ばれるボトルツリーなど。美しい海や急峻な山容も見どころ。

 

 

   サナアのイエメン門  ムカラで少年たちと仲良く

 

 そして最も感動したのが、島の小学校を訪れた時。教室には机やイスも無く、薄暗い地べたで子供たちが熱心に勉強していた。あの貧しかった南スーダンの小学校でも机やイスがあったが、ソコトラ島はさらに貧しい。でも、明るく物乞いしない子供たちの笑顔と白い歯が印象的で、実に爽やかで心地良い。機会があれば、護衛艦が島に寄港し、子供たちを慰問願えれば幸甚。これこそが真の国際貢献であろう。

 

    ソコトラ島の小学校を慰問

 

 さて、ソコトラ島への旅の模様を以下紹介しよう。

 

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 地図で見ると小さな島だが、東西に約100km、南北に40kmもある。奈良県と同じくらいの島は意外に大きく、中央部は標高1000m〜1500mのテーブルマウンテンの高地が横たわり、なかなかスケールの大きな風景が広がる。この島のハイライトは、なんと言っても独特の植物が創り出す景観だ。例えば、巨大なキノコの形をした竜血樹、イエメン桜の別名を持ちバオバブに少し似たボトルツリーだ。島の中心地は、ほぼ島央の北海岸に位置するハディボ。人口が約1万人の小さな町だが、マーケットや商店、ホテル、モスクなどが一通り揃っている。

 ディクサムは島の中央部に横たわる台地で、島のシンボルである竜血樹が多く見られる。ここから東の方へ谷を下りる途中に、桜のような美しい花を咲かせているボトルツリーに出会った。下り切った所がワディ・ディ・エルホで、まるで別世界のような清流の渓谷が広がる。ハディボから海岸通りを約15km東へ行くと、ラス・ディ・ハムリという海洋保護区に着く。透明度の高い海ではシュノーケリングもでき、岸辺には赤い夫婦岩が鎮座する。ここから約8km東にあるのがハラーで、様々なボトルツリーが数多く群生する。

 

                     −−− 竜血樹 −−−

 

 

                 −−− ボトルツリー −−−

 

 

 ハラーを過ぎてさらに10kmほど東進すると、雄大なテーブルマウンテンが横たわるアル・アルに着く。この付近の山の色は下からホワイト、ブラウン、ダークグレーと変わり、ブルーの海辺に迫る。これら4色のコントラストが目にも鮮やかだ。一方、ハディボから西へおよそ50km向かうとカランシアという漁村があり、島の西端に近いせいか、風が非常に強い。浜辺で威勢の良い声が飛び交う魚市場を覘いたほか、近くの高台に登った。そこから眺めたディトワのラグーンは、この世のものとは思えないほどの美しさであった。

 

 

     アル・アルの海岸     ディトワのラグーン

 

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 昨年12月に閣議決定されたとは言え、国会での実質審議が始まる前に、海上自衛隊の哨戒機出国を追うように護衛艦が派遣された。元々穏やかでない中東情勢が急変するリスクもあり、先行きの不透明感を懸念する向きもある。今後の動きを注視したい。

 

             ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

無料講演を引き受けます。

  筆者は講演・講義を全国各地で行っています。主目的は地域や街の活性化と真の国際化推進、そして三流とも揶揄される日本外交再生などの一助です。そのために世界に関することであれば、旅行、文化芸術、宗教、歴史、政治や外交に関する国際情勢、グルメ、環境、経済や産業などジャンルを問わず、ワールド・トラベラーとして恥ずかしくない講演をします。しかも275ヵ国・地域を旅した実体験をベースに、他人様の情報をコピペ(切り貼り)しない異色のノンフイクションをありのままにお話します。
 ご希望があれば、ご遠慮無くお申し出下さい。因みに、社会貢献活動のため謝礼は一切不要ですが、ご希望の主旨が筆者の平和的な理念などに反する場合は勝手ながらお断りすることもあります。予めお含み置き下さい。

 

 因みに、主な講演実績(2011年以降)は次の通りです。

2011年1月25日「ケニア」我孫子市立根戸小学校で 我孫子市教育委員会主催
2011年10月2日 「240国・地域を旅して」我孫子市生涯学習センターで 我孫子の文化を守る会主催
2012年4月14日 「PKO派遣の南スーダンと激動アラビアを旅して」 我孫子けやきプラザで 文化を守る会主催
2012年8月5日  「アジアの昔と今」横芝光町立図書館ハイビジョンホールで  横芝光町図書館主催
2012年11月3日 「世界255か国・地域を旅して」中央学院大学の学園祭で 中央学院大学主催
2013年8月10日 「世界の仮面などから世界が分る」けやきプラザで  我孫子南まちづくり協議会主催
2013年9月29日 「グローバル時代を生きる」あびこ市民プラザで  我孫子市国際交流協会主催
2013年11月9日 「世界の紛争地帯を訪れ、平和を語る」あびこ市民プラザで  我孫子の文化を守る会主催
2014年6月19日 「世界の辺境地や紛争地帯を訪れてこそ、本当の世界が分かる」 グラン・レジデンス主催
2014年9月13日 「イスラム世界に住み働き旅して41年」柏市中央公民館で  伸光堂千葉販売主催
2014年12月6日 「世界旅行のススメ」四街道市で 視覚障害者総合支援センターちば主催
2015年2月24日 「イスラムとの腐れ縁」柏市中央公民館で  柏南交友会主催
2018年10月12日 「272ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが想う真の国際化」東京海事センタービルで  JAPAN NOW 観光情報協会主催 

2019年10月11日「275ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが語る、新聞・テレビが報道しない世界の真実 」東京海事センタービルで JAPAN NOW 観光情報協会主催 

2020年1月25日 「275ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが語る、メディアが報道しない世界の真実 」けやきプラザで我孫子市更生保護三団体主催


                    ― ― ―  講演会風景 ― ― ―
  
プロジェクターを駆使し講演  地球儀を前にして   満席の会場で熱心に聴講
 するワールド・トラベラー スピーチする筆者  する多数の参加者たち 

 

お問い合わせ:世界の人形館 
                     TEL 04−7184−4745
      E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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| 世界の旅−中東・北アフリカ | 12:24 | comments(0) | - | - | - | ↑TOP
映画化確実!?のゴーン逃亡とレバノンを懐かしむ(2)
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 先ずは、恒例の新年のご挨拶をしなかったことをご容赦願いたい。と言うのは、昨年暮れに妻が他界したからです。 

 

 さて、映画化すればヒットが間違いなさそうな逃亡劇が繰り広げられた。なんと保釈中のカルロス・ゴーン前日産会長が日本を不法出国し、レバノンへ逃亡したのだ。逃げた本人が悪いのは勿論だが、まんまと逃げられた日本の司法制度もお粗末である。昨年暮れも押し迫った12月29日夜、東京⇒関西空港⇒トルコ・イスタンブール空港⇒レバノンの首都ベイルートへ逃れた。驚きは大きな音響ケースに入り、関西空港からプライベートジェットで飛び立った由。逃亡を支援したのは2人の米国人男性で、その一人はグリーンベレーと言う米陸軍の特使部隊の入隊経験者とか。

 このため15憶円の保釈金は没収されたほか、年末の脱出作戦には少なくとも1500万ドル( 約16億円)かかったとか。高額の役員報酬を得て富裕なゴーン被告とて、総額30憶円以上は大金である。それでも逃亡を完遂したのは、一昨日(1月8日)ベイルートで行われた2時間以上の記者会見でその理由などを被告は発表した。要するに、自身に対する嫌疑は「根拠がなく、そもそも逮捕されるべきではなかった。日産幹部の陰謀に依るクーデターだ。」と潔白を主張し、不公正な我が日本の司法制度を批判して自己弁護に終始した。今後の見通しだが、日本はレバノンと犯罪人引渡し条約を締結していないので、最悪は逃げ得になるのであろうか?

 

 さて、被告のルーツがあるレバノンに関し、2018年付幣ブログ『逮捕されたゴーン前日産会長を育んだレバノンを懐かしむ(1)でベイルートを紹介済みだが、今回はレバノン北部に就いて触れてみたい。

 

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 南北に細長いレバノンの北部のほぼ中心に、冠雪した標高2000〜3000mのレバノン山脈が走る。その美しい白銀の世界が広がる景観は、まさに「中東のスイス」を彷彿させる。レバノンの国旗に描かれているシンボルのレバノン杉が群生するカディーシャの渓谷では、1mほどの雪が積もる一面の銀世界が広がり、周りにはスキー場がある。雪深い森に樹齢5000〜3000年の杉が天を突くように生える光景は、神秘的で神々しい。この渓谷から5kmほど下にあるハスルーン やブシャーレ は、風光明媚で夏は涼しく、お洒落な避暑地として知られ人気がある。

 

          −−− レバノン山脈 −−−

 

ハスルーン付近から眺めた カディーシャ溪谷での筆者

  レバノン山脈

 

 レバノン国内最大の必見スポットと言われるバールベックは、ベイルートの北東86km、シリアのダマスカスの北110kmに位置する。ベカー高原にあるフェニキア時代の遺跡で、2世紀に建設された。最初はバール神を祀ったが、ローマ統治後はジュピターなどの3神殿が建設された。1974年10月と2000年6月の2度訪れた。見どころは何と言っても、原型をほぼ保つ荘厳なバッカス神殿。内部の祭殿はもちろん、建物を囲む堂々たる柱や柱廊の天井に彫られた彫刻が素晴らしい。バールベックの象徴とも言われるのがバッカス神殿の北側にあるジュピター神殿の跡に残る高さ20mに達する6本の列柱。この柱の大きさから、神殿の巨大さが十分うかがい知れる。

 

           −−− バールベック −−−

 

1974年妻・長男・次男 2000年バッカス神殿での筆者

と共に6本の列柱前で

 

 ベイルートの北36kmにあるビブロス遺跡は、フェニキア人により造られた世界最古の都市国家とされる。聖書を意味するバイブルは、この土地名から来ている。ビブロスのギリシャ名はパピルス即ち書物を表し、世界で最も神聖な書物の呼名である。7000年前の住居跡、地中海を望む紀元前18世紀前後に建てられたオベリスク神殿跡、存在感のある復元された騎士の城、小規模ながら保存状況が良いローマ劇場、フェニキア時代の城壁、ロマネスク様式の聖堂などがある。

 

      −−− ビブロス遺跡 −−−

 

       ローマ劇場   騎士の城で女学生たちと仲良く

 

 ベイルートの北85kmに位置するトリポリはレバノン第2の都市で、人口は約17 万人。12世紀頃にできた迷路の様な旧市街は有名。フランク人の十字軍兵士によって建てられ、屋上から旧市街が見渡せるセント・ジル要塞、旧市街の中心にあるトール広場が見どころだ。

 

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 辣腕経営者として有名なカルロス・ゴーン被告に関する本はこれまで数多く出版され、当人も多くのインタビューで生い立ちなどにつき語っている。同被告は祖父母や母親については多くを語っているが、父親ジョージ・ゴーンについてはほとんど言及していない。密輸、殺人、偽札など、多くの犯罪歴があるからだ。隠し続けた過去、金への異常な執着、元妻へのDV、そして今回の逃亡は、人間の現世欲や悲しい性を象徴する国際的な事件と言えよう。

 

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| 世界の旅−中東・北アフリカ | 21:48 | comments(0) | - | - | - | ↑TOP
イスラム国(IS)最高指導者の自爆死とISの終焉!?
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 最盛期の2016年にはイラクとシリアの4分の1の地域を支配したのが、過激派組織イスラム国(IS)である。その最高指導者アブバクル・バグダディ容疑者が、1週間前(10月26日)シリア北西部のイドリブで、米軍特別部隊の作戦により自爆して死亡した。軍用犬を使って同容疑者を追い詰めたその電撃的な急襲作戦は、「まるで映画を観ているかのよう」とトランプ大統領は語った由。かつて世界を震撼させ、2500万ドル(約27億円)の巨額懸賞金が掛けられるほど最重要指名手配犯になった人物である。

 

 

 バグダディ容疑者       自爆死した現場    お手柄の軍用犬

         (ネットより転用加工)

 

 筆者は2013年7月にイラク北部のクルド自治区を訪れた。危険すぎるとも言える旅の模様は、2017年10月1日付幣ブログクルド独立の住民投票が強行されたイラク・クルド自治区の旅』で紹介済みだ。この旅ではイスラム国に迫害されたり虐殺されたりしたイラクの少数派ヤジディ教徒にも出会った。彼らは拝火教として知られるゾロアスター教にキリスト教などの要素が加わった特異な宗教を信仰し、信者は約55万人もいる。

 自治区滞在中に近くのモスルを訪れようと試みたが、同区の中心都市アルビルのタクシー運転手にことごとく断られて果たせなかった。不完全燃焼気味で帰国して間もなく知ったのだが、イスラム国がモスルを制圧しようとした矢先のことであった。アブバクル・バグダディ容疑者は1年後にモスルで、イスラム国樹立を宣言した。もしこの時に敢えて強行していたら、今の私はこの世にいなかったかも知れない。

 

 

モスル近くで散策する筆者 アルビルの城塞内モスクで

               クルド人と仲良く

 

  ヤジディ教徒     ヤジディ教徒が多く住む

               ドホークを背にして 

 

 同容疑者の死亡により、イスラム国の脅威は全く無くなったと考えるのは時期早尚であろう。多くの国で彼の思想がガン細胞のように転移・拡散しており、依然としてISがテロ攻撃を個々に続けている地域(アフリカやアジアなど)が現実にあるからだ。イスラムには「目には目にを」という厳しい掟があり、新指導者による報復も排除できない。平和ボケしている我々には一見無縁のようだが、決して油断できまい。また、残忍なISに処刑され犠牲者となった日本人がいたことも忘れてはなるまい。

 

 因みに、ISを含めイスラム全般につき興味ある方は、筆者(ペンネーム:高やすはる)の著書『ワールド・トラベラーだけが知るイスラムの素顔(新潮社)』をご愛読下さい。

 

 

 

 定価本体1,500+税 最寄りの書店でお買い求め又は注文可能です。またアマゾンなどインターネットショッピングもできます。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫十分な世界の人形館でお買い求めできます。

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| 世界の旅−中東・北アフリカ | 14:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
有志連合の現場、ホルムズ海峡で泳ぐ
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 貿易摩擦や為替操作などで激しく対立するアメリカ vs 中国の覇権争いは、イランが牛耳るホルムズ海峡でのアメリカ vs イランの対立にも大きな影響を与えている。これら2つの対立で共通するのが、アメリカのトランプ大統領の介入・存在である。トランプ政権は去る7月19日にワシントンの国務省、25日は国防総省、31日はバーレーンの米中央海軍司令部で日本を含む60以上の関係国と会合した。目的は中東のホルムズ海峡などで船舶の安全を確保する有志連合の構想に参加を求め、軍事面や財政面で支援を要請するものだ。だが冷静に考えてみれば、実に虫の良い身勝手な構想だと冷ややかに見做す向きもある。

 アメリカの構想によれば、米軍は有志連合の指揮や情報収集などにあたるが戦闘は行わない一方、タンカーなどの護衛は各国が行うとしている。「原油などがホルムズ海峡を通過して利益を享受している全ての国が、自国利益だけなく、自由で開かれた航路を守る必要がある」として参加を呼び掛けているのだ。特に参加を強く要請されたのは、わが日本のほかにドイツ、イギリス、フランス、韓国、オーストラリアなどだ。アメリカにとってはリスクが少なく、経費もかけずイラン包囲網を築こうとする魂胆のようだ。だが、ホルムズ海峡での緊張はアメリカの核合意からの一方的な離脱によるもので、偏にトランプ政権が引き起こしたものだ。

 

 ペルシャ湾(アラブ諸国側ではアラビア湾と呼ぶ)とオマーン湾の間にあり、イランとオマーンの飛び地に挟まれたホルムズ海峡は、最も狭いところでの幅は約33kmし

かない。この狭い海峡を原油など重要物資の輸送路になっており、特に原油輸入の9割近くを中東に依存する我が日本にとっては生命線とも言うべき海峡である。古来より交通上・戦略上・経済上重要であったホルムズ海峡付近を、筆者は2007年4月のイラン周遊の時に立ち寄っている。その時の模様を紹介しよう。

 

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 イランの首都テヘランより南東1334kmにあるバンダル・アッバスへ、飛行機に乗ること2時間で着いた。ホルモズガーン州の州都は人口約70万人の大都市で、ホルムズ海峡に臨むペルシア湾有数の港町である。だが、高温多湿で過ごし難そうな町は、対岸がオマーンであるためかアラブ系や黒人系の顔立ちを多く見かける。街の中心はハフタヘ・シャフリ・ヴァル広場のバザール付近だが昼休みにかかり閑散としていた。

 

 

  ホルムズ海峡に臨む    バザールを散策する筆者

  バンダル・アッバス

 

 しかし、バンダリーと呼ばれる人々が住む市内の西外れにある魚市場は、一見に値し賑わう。ペルシア湾で獲れた新鮮な魚が並ぶ市場内の売手は男性だが、市場外では黒や赤の仮面を付けたバンダリーの女性や、水タバコを悠然とふかす女性が売り手だ。彼女たちは刺繍入りのズボンをはき、チャードルの色も淡い柄物が多い。内陸部の黒いチャードルだけに比べるとカラフルで魅力的だが、写真を撮られるのを嫌がるので要注意だ。

 

 

   魚市場を見学    魚を売るバンダリーの女性

 

 一方、歴史の舞台によく登場するホルムズ海峡の名となったホルムズ島は、ンダル・アッバスの17km南西沖合いに浮かぶ。島に向かうためスピードボートに乗り、約35分で着いた。面積は40k屐⊆囲は24kmの小島だが、約8000人が住んでおり小学校や中学校もある。日本から約1万1000kmも離れ、雨がほとんど降らない不毛の岩石島だが、見どころが意外に多いので些か驚いた。

 

       −−− ホルムズ島 −−−

 

 カラフルな奇岩や奇峰    ホルムズ海峡で泳ぐ

 

 例えば、まるで月面を思わせるような奇岩や奇峰、白・赤・黄色が鮮やかな山肌、朽ち果てたポルトガル城塞、平和な佇まいの漁村風景などは、旅情を誘うものが十分であった。せっかくホルムズ海峡に来たので泳げるビーチがないのかと探し、少々苦労したが人影もない島の美しい浜で泳ぐことが出来た。ちょうどビーチには3人の少年たちが遊泳しており、談笑したり記念写真を撮ったりして仲良しになった。そこには紛争のかけらも無く透明度が高い海と、平和で波静かなホルムズ海峡が広がっていた。

 

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 世界のエネルギー生命線とも言われるホルムズ海峡だが、アメリカ主導によるイランを包囲するための有志連合結成に対して慎重な国が多いようだ。その中にあってトランプ大統領の親友である我が安倍晋三首相は如何なる決断をするのであろうか、極めて難しい対応を余儀なくされよう。

 

(後記)

 アメリカ主導による有志連合が、11月7日に監視活動を開始した。バーレーンで司令部の発足記念式典が開かれたが、参加国はアメリカ、イギリス、オーストラリア、バーレーン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、アルバニアの7ヵ国だけ。アメリカは日本を含め60ヵ国以上に参加を呼び掛けたが、日本は参加を見送った。「センティネル」という活動の範囲はホルムズ海峡やペルシャ湾のほか、イエメン沖のバブルマンデブ海峡、オマーン湾だ。フリゲート艦や駆逐艦、巡視艇、航空機が警戒や監視をする。

 

 

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逮捕されたゴーン前日産会長を育んだレバノンを懐かしむ(1)
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 ゴーンショックというトランプ大統領も影が薄くなるほどの経済事件が、連日大きく報道されている。コストカッターとして名を馳せ日産自動車再生の救世主と言われたカルロス・ゴーン代表取締役会長が、腹心のグレッグ・ケリー代表取締役と共に、金融商品取引法の違反、つまり有価証券報告書の虚偽記載容疑で東京地検特捜部に逮捕されたのだ。同容疑者の約10億円という高額の役員年報酬については以前から賛否があり、直近の過去8年間だけでも約80億円の過小申告があったよう。因みに、ゴーン容疑者に対する容疑は、日産社内の内部通報に基づき固められ、司法取引を利用した由。 

 加えてジーア(Zi-a)という子会社を

通してブラジル・リオデジャネイロ、レバノン・ベイルート(写真)、フランス・パリ、オランダ・アムステルダムに約20億円の高級住宅を購入させ、無償で提供を受けていたなど、他にも絶対的な権力をバックにして過度の

 公私混同があったとされる。これを受けて 日産自動車は一昨日(22日)に臨時取締役会を開き、ゴーン容疑者の会長職を解任して代表権を外し、ケリー容疑者の代表権も外すことを決めた。また、兼務している三菱自動車の会長職も、近々開かれる臨時取締役会で同様の提案がされる見通しである。

 

 しかし、ゴーン容疑者が会長兼最高経営責任者(CEO)を兼務するフランスのルノーは、取締役会でCEO職の暫定的な代行を置くことにしたものの、会長兼CEO職の解任は見送り、日本側の日産と三菱自動車と対応が全く異なっている。また、ルノー側はむしろ同社に統合されるのを嫌う「日産のクーデター」と捉えている様で、ルノーに15%出資し最大株主であるフランス政府もマクロン大統領が乗り出すなど、かつて国営企業であった同社を擁護する動きがある。

 因みに、約20年前の日産は倒産寸前であったが、ルノーの出資を仰ぎゴーン前会長が最高執行経営者(COO)として派遣され、同社の傘下に入り更生を図った。その後日産は前会長の強力なリーダーシップの下、V字回復して2003年には2兆円の負債を完済した。更に2017年には、ルノー&三菱自と合わせた世界販売台数は1060万台超と世界一を達成した。 なお、ルノーは日産に43%出資して議決権を持つが、同社の売上高は日産の6割ほどに過ぎないねじれとなっており、このねじれがルノーと日産の主導権争いの主因になっているのでは?

 

 今回の事件の主役になっているゴーン容疑者が、ブラジル・フランス・レバノン3ヵ国の国籍を持つ多重国籍者であることも興味深い。1954年にブラジルで生まれ、約10年間の少年期はレバノンで育ち、その後フランスのパリで学び、フランスの大手タイヤメーカー、ミシュランに入社後ルノーにスカウトされた経歴を持つ。両親はレバノン人で、現地名の発音はゴーンでなくゴスンで、高名な一族として知られる。1974年〜1977年に近くのクウェートに商社マンとして駐在経験のある筆者は、レバノン人と取引した事もあり彼らの商才を熟知している。

 カリスマ性を感じるオーバーアクション気味の言動と、英仏語やアラビア語など数か国語を操るバイリンガルは正しくレバノン人である。更に遡れば海上交易に従事し、優れた商人であったフェニキア人の末裔である。クウェート駐在時代に彼の祖国とも言うべきレバノンへ8度も出張しており、リタイア後の2000年6月と2005年1月にも旅しており、中東諸国の中でも大好きな国の一つだ。イスラム教徒が圧倒的に多い中東では、珍しくキリスト教徒も多い多様なモザイク国家である。かつて「中東のパリ」と称えられた美しき首都ベイルートと、その郊外を紹介しよう。

 

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 1970年代中頃までのベイルートは政情が安定し、冬は温暖で夏もあまり暑くなく、嬉しい事にお酒も飲めるため日本の駐在員が多数住んでいた。当時担当していた取引先の合繊メーカー(東レ)の中東事務所がベイルートにあり、クウェートから打ち合わせのために年に数回も出張した。実は打ち合わせとは表向きで、勤務地のクウェートが禁酒国で娯楽も少なく、戒律が厳しいイスラム教国から一時的に逃避するのが主目的の出張であった。また時々家族(妻・長男・次男)を引率して旅行した。

 レバノンの面積は岐阜県と同じ10400k屬閥垢い、荒涼たる砂漠が多い中東では珍しく緑が多い。2000〜3000級のレバノン山脈とアンティレバノン山脈が、地中海沿いとシリアとの国境近くを走る。気候は地中海性で、一年中さんさんと陽光が降り注ぎ快適そのものだ。その歴史もアルファベットが生み、ギリシアやローマ以前に

      港よりレバノン山脈を望む

フェニキア人が活躍した輝かしい時代を持つ。

 20世紀後半に油開発ブームが到来すると、周辺の中東産油国のサウジアラビアやクウェートなどがレバノンに多額の投資をしたお陰で、中東最大の金融センターに成長した。小国とは言え実に変化に富み多様性がある、魅力満載の観光立国であった。しかし、宗教的に複雑な「モザイク国家」は、1975年頃から始まった内戦で美しい町並みや国土が無残にも破壊されてしまった。
     

 南ヨーロッパの港町を彷彿させるような開放的なベイルートは、西側は紺碧の地中海沿いの海岸、東側は「中東のスイス」と呼ばれ冬には冠雪して白銀の世界となる山岳地帯が広がる。街はイスラム教徒が多く住む西ベイルートと、キリスト教徒が多い東ベイルートに大別されるが、見どころは西ベイルートの方が多くて面白い。例えば、ラウシェ地区の地中海沿いの風光明媚な海岸通りコルニーシュには、多くのカフェやレストランが並んで活気があり、陽光あふれる南欧風の開放的なムードが漂う。この近くにはベイルートのランドマーク、鳩の岩と呼ばれる2つの巨大な岩がある。真っ青な地中海に立っており、記念撮影には絶好のポイントだ。

 

  

 地中海に面した ベイルート俯瞰 海岸通りコルニーシュで長男・次男と 

 

    −−−ベイルートの名所・地中海に浮かぶ鳩の岩−−−

 

1975年家族(妻・長男・次男)と   2005年に訪れた筆者

 

 ほかに、見逃せないスポットとして、ショッピングのメッカとして賑わうのがメインストリートのハムラ通りでホテルなども集中しており、かつては夜のお相手もしてくれるヨーロッパの女性たちが多い歓楽街でもあった。また、白砂海岸ラムレッタル・バイダ、庶民的な下町バルビール、内戦時(1975年〜1990年)は戦場になり往時の面影がほとんど残らない旧市街(エトワール広場、ローマ浴場跡、マロン派教会、マーサー広場)などがある。一方、東ベイルートは、教会が点在し高級住宅街が続くが、観光面では若干魅力を欠く。

 

 郊外は市内から北へ約24kmにあるカジノ・ドゥ・リバンは、ヨーロッパ的な雰囲気が漂う。豪華なショーが名物で、特に巨象が舞台をのっしのっしと歩き迫力満点だった。南48kmほどにある宮殿ベイト・エディーンはシューフ山地の中に静かに佇む。19世紀にレバノンを統治した支配者が建てたものでイスラム伝統建築の集大成として知られ、訪問当時は大統領の夏の宮殿として使われていた。中央に噴水のある中庭が美しい宮殿に囲まれ、ハマーム(浴場)の装飾が素晴らしく、宮殿内にあるモザイク博物館も見逃せない。

 

   

     エトワール広場        下町バルビール

 

 

ハムラ通り付近を長男と次男と共に    ベイト・エディーン

  散策中に地元民に囲まれる   

 

 豪華で魅惑的なカジノとショー、海と山の幸が堪能できオレンジが最高に美味しいグルメ、すぐかっとなるが開放的でお人好しなレバノン人気質、商売上手なレバシリ商人など、今となれば夢物語のような楽しい思い出ばかりが懐かしく残像のように残る。

 

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  東京地検特捜部の厳しい取り調べに対し、逮捕されたゴーン前日産会長は徹底的に容疑を否認するであろう。だが、前会長の私物化は日を追うごとに明らかにされ、約40億円のストック・アプリシエーション・ライトという株価連動報酬(SAR)も有価証券報告書に記載していなかった様だ。

 今後フランス政府を巻き込んで紛糾すれば、場合に依っては日本とフランスの外交関係にも影響しよう。日産とルノーの両社は生産と部品調達の統合や経営合理化を業界では前例のないレベルまで進めてきただけに、提携を解消するという「離婚」は極めて至難であろう。クリスマスを間近に控え、今後の成り行きが注目される。

 

後記

フランスのルノーはカルロス・ゴーン被告の会長兼最高最高経営責任者(CEO)職の辞任を24 日に承認し、後任にタイヤ大手のミシュランCEOのジャンドミニク・スナール氏が就任した。これで日産・三菱・ルノー3社すべての会長職を辞したことになり、裸の王様同然になった同被告は今後どのように反論するのであろうか?(2019年1月26日)

カルロス・ゴーン被告が保釈金10億円を納付し、逮捕から108日ぶりに東京拘置所から保釈された。東京拘置所から出てきた姿はマスク・眼鏡・作業着を着用して変装しており、かつてのカリスマ性のある剛腕経営者のイメージからかけ離れたものであった。敏腕の弁護士らによる最強弁護団 vs 検察との対決は、被告が真っ向から容疑を否定するだけに、その去就が国内外で注目されよう。(2019年3月6日)

 

                                 ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

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  私ことワールド・トラベラーは講演・講義を全国各地で行っています。主目的は地域や街の活性化と真の国際化推進、そして三流とも揶揄される日本外交再生などの一助です。そのために世界に関することであれば、旅行、文化芸術、宗教、歴史、政治や外交に関する国際情勢、グルメ、環境、経済や産業などジャンルを問わずワールド・トラベラーとして恥ずかしくない講演をします。しかも272ヵ国・地域を旅した実体験をベースに、他人様の情報をコピペ(切り貼り)しない異色のノンフイクションをありのままにお話します。
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内戦が泥沼化するイエメンの幻想紀行(その1)
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 内戦と言えば、誰もがすぐシリアを想起するであろう。だが、世界に知れ渡ったシリア内戦の陰に隠れ、泥沼化する一方の内戦国がある。中東の最貧国と言われるイエメンである。その象徴的なことが2週間ほど前(12月4日)にあり、イエメンのサレハ前大統領が殺害されたのだ。3年前から首都サナアを共に実効支配してきたイスラム教シーア派の反政府勢力「フーシ派」との同盟関係が決裂し、前大統領の自宅が爆破されて死亡した由。

 

  イエメン内戦は、2015年3月に隣国のサウジアラビアが介入してから激化した。サウジアラビアは紅海の石油輸出ルートを守るため、南部を中心に勢力を保つハディ大統領派を支援する。これに対し、北部や中部で支配地を拡大するイスラム教シーア派系の武装組織

  フーシ派は、イランやハディ派と対立するサレハ前大統領派と協力関係にあったとみられている。イエメン内戦は言わば長年敵対関係にある、サウジアラビア VS イランの代理戦争とも言えよう。

 

 一方、国土の一部はテロ組織「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」の勢力圏で、掃討戦を展開するアメリカの空爆も続いている。2012年までの30年にわたってイエメンを統治していたサレハ氏は、2014年にフーシ派が首都サヌアを含む広範な国土を掌握した際に同派に合流した。だが、先月になって同氏とフーシ派との同盟関係が決裂してサナアでの激しい市街戦になり、同氏は激化した市街戦に巻き込まれて死亡した訳だ。

 豊かな産油国が圧倒的に多い中東のアラビア半島にあってイエメンは産油国だが、原油生産量が少ないこともあり人々は貧しい。また、1962年にイエメン王国が崩壊後は南北に分かれて内戦が始まり、1990年に南北イエメンが統一され現在のイエメン共和国ができた。その後南部ではイスラム原理主義の過激派アルカーイダが台頭し、その指導者であったウサーマ・ビン・ラーディンの父親はこの地の出身だ。

 

 近世のイエメンは上述の様に内戦が絶えない貧しい問題国だが、その昔、紀元前8〜2世紀頃は華やかな栄光の時代であった。即ち、ソロモン王とシバの女王のロマンスで知られるシバ王国時代に、特産の乳香などで地中海とインドを結ぶ海のシルクロードの要地として繁栄した。そのためヨーロッパ人から「幸福のアラビア」と呼ばれほど憧れの的となり、アラビア文化発祥の地が現在のイエメンである。


  

 そんな神秘性を秘めた国を私ことワールド・トラベラーは、1998年3月〜4月と2011年12月の2度も旅している。旅の一部は2011年12月19日付け幣ブログ『PKO派遣の南スーダン、危険なイエメンへの旅−245国・地域制覇』で紹介しているが、今回は1998年の最初の旅を中心に詳述しよう。

 

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 何千年の歴史を刻んできた首都サナアは、標高約2300mに位置する高原都市で人口は約175万人。その雰囲気は「アラビアンナイト」を彷彿させ、まるでおとぎの国のお菓子の街のよう。世界最古の町の一つとも言われ、1986年にユネスコの世界文化遺産「サナア旧市街」として登録された。この古都は街の中心を南北に走る通称エアポート・ロードと呼ばれるアリ・アブドゥル・モグニ・ストリート通りを境にして、新市街と旧市街に分けられる。

 町全体が生きた博物館のような佇まいの古都の最大の見どころは、もちろん旧市街である。正門とも言うべきバーバル・ヤマン(イエメン門) から入ると、高いもので50mはあろうか、石と日干しレンガで出来た伝統的な中高層建物が密集する。道行く男たちのほとんどは、腰にジャンビーアという短剣を差し、まるでコブ取り爺さんのように片方の頬をふくらませてカートを噛んでいる。あたかも中世の世界にタイムスリップしたような錯覚に陥る。

 

  

  サナア:イエメン門  ジャンビーア   サナア:旧市街を散策の筆者

 

 スーク(市場)の奥へを進むと、細い路地の両側に小さな店が並ぶ。ここでお土産にと名物のジャンビーアを買おうとお店に入り、一目見て気に入ったのがあったので購入した(上の真ん中の写真)。因みに、360度のパノラマが楽しめる絶好の撮影ポイントとしてお勧めしたいのが、旧市街の一角にあるアル・カスビ・ホテルの屋上だ。家々の窓枠には白いレースで縁取りされたように美しいデコレーションが施され、まるで中世のお伽の世界に迷い込んだよう。

 サナア郊外も見逃せないスポットがいくつかある。サナアから北西約15kmにあるワディ・ダハールがお勧めで、乾いた赤茶色の岩山に囲まれ緑が溢れる。必見は小さな丘の上に建つロックパレスで、1930年代のイエーメン支配者の別荘だったものだ。今にも丘から倒れ落ちそうな不安定な感じを受けるが、雲ひとつない青空に鮮やかに映える。マーリブへ向かう途中のアル・ガラス近くで、標高2300mのエブン・ゲイラン峠があり、西部劇に出てくるような雄大なスケールの山岳風景が眺望できる。

 

  

 サナア:旧市街を俯瞰   ワディ・ダハール:  エブン・ゲイラン峠

                   ロックパレス    

 

 中国が造ったサナアからホデイダに向かう急峻な道は230kmほどだが、旅行者を惹きつける魅力に溢れ変化がある。特に首都を出てマナハまでは景勝ルートで、緑豊かなコーヒー畑、遠くに聳える富士山とほぼ同じ高さのナビー・シュアイブ山(3760m)、マトゥナ峠を超えると棚田で埋め尽くされた山の斜面など、見応え十分だ。マナハに着いて大きな石だらけの未舗装の道を5kmほど進むと、険しい岩山の上にハジャラという町がある。

 標高2800mの町には4〜5階建の堅固な石造りの家々が並び、花崗岩や玄武岩が積み上げられ白い漆喰で縁取られているのが美しい。また、町全体が城壁に囲まれており、オスマン・トルコ占領時代は要塞になった。この後3000m近い標高差の山道を一気に下って行くと、緑が急に少なくなりワディが広がる。ひんやりしていた風も熱風に変わり、イエメン西部に広がるティハマという紅海沿いの平野に入った。

 

  

ハジャラ:石造りの家が並ぶ カートを噛む男 タイズ:サビル山より俯瞰

散策するワールド・トラベラ

 

 サナアの南256kmのタイズ昔ながらの古い建物や城壁が残り、イエメン第2の都市らしからぬ落ち着いた風情がある。古都のイメージを早く把握したいならサビル山が一押し。3000mを超える山頂に行かなくても中腹から、南北に迫る険しい山間にあるタイズの町並みが一望でき絶景だ。モスクが林立する旧市街で絶対見逃せないのが、サビル山麓に建つアル・アシュラフィヤ・モスク。2つの白いミナレット(尖塔)がひときわ人目を引き、その尖塔の上から旧市街の素晴らしい眺めが楽しめる。

 因みに、タイズからアデンに向かう途中のオアシスにホエミの温泉があり、プールのような温泉場で地元民が入浴していた。まさか温泉があるとは思っていなかったので、水着は持参していなかったため泳げなかったのが残念至極であった。

 

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 サウジアラビアの攻撃機などによる空爆の激化で、世界遺産のサナアの旧市街が無残にも破壊されたと聞き及ぶ。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)はイエメンの輝かしい歴史を傷つけていると非難し、国際法にフォローして即時攻撃の停止を呼びかけたが効果は無いようだ。シリアの二の舞になるのではなかろうかと思うと、人類の無智と無恥に腹立たしくもなる。

 

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トランプ大統領が首都と認定したエルサレムの想い出
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 3つの宗教の聖地が集中する都市をご存知であろうか? 火種の絶えない中東で一時は猛威を振るったイスラム国(IS)がやっと崩壊したのも束の間、今度は宗教対立という新たな火種ができた。それは一昨日(12月6日)アメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定し、大使館を現在のテルアビブから移転することを決めたのである。昨年の大統領選での公約を順守することで、支持基盤の親イスラエル系の保守勢力などをつなぎ留めたい国内向けの政治判断が強いとの由。

 在イスラエル米国大使館の移転はクリントン政権下の1995年に制定の米国内法で義務付けられて入るが、歴代大統領は中東の安全保障への影響に配慮し、半年ごとに移転判断を先延ばしする大統領令に署名してきた。しかし、トランプ大統領の娘婿でユダヤ教徒でもあるクシュナー大統領上級顧問が取り組んでいる中東和平交渉を軌道に乗せるため、同大統領は一度は表明した「移転の先延ばし」を撤回してエルサレムの首都認定という「パンドラの箱」を開けてしまったようだ。 

  トランプ政権は「過去22年間、米国が大使館の移転を自制したにもかかわらず中東和平は進展しなかった」と述べ、今回の措置は中東和平の行方には影響しないと主張する。また、パレスチナ自治政府が将来の首都と位置づける 東エルサレムについては

 「パレスチナの支配地域だ」と述べ、エルサレム全体がイスラエルの首都だとするイスラエル政府の立場を追認したわけではないと釈明する。さらに、最近はアラブ諸国がイスラエルへの接近姿勢を強める中、今回の措置をアラブ諸国が受け入れ、自治政府も結果として追認するとの計算もあったとみられる。


 だが、現実には身内のティラーソン国務長官やマティス国防長官が懸念していた通り、即座に中東各地で反発が噴出し、クシュナー氏が主導する中東和平交渉は頓挫する公算が大との見方が強まっている。また、アメリカの情報機関も今回の措置がパレスチナやイスラム過激派による反イスラエル闘争に火をつける可能性が大きいほか、中東での米国権益がテロ攻撃の標的にされかねないとの情勢分析を強めているとか。国際社会もパレスチナ自治区をはじめとする中東諸国はもちろん欧州もこぞって反対しており、北朝鮮までが批判する始末だ。

 

 ここで中東通でない限り理解しがたいエルサレムにつき纏めてみよう。イスラエルは1948年の第一次中東戦争で西エルサレム、1967年の第三次中東戦争で東エルサレムを占領して市全体を同国の首都として宣言したが、国際的に認められていない。と言うのは、1948年にイスラエルが建国宣言すると、当時住んでいた多数のパレスチナ人が難民になった。彼らはイスラム教徒が多く、東エルサレムを将来の独立国家の首都と主張する。国際社会もアメリカの歴代政権も、「エルサレムの地位はイスラエルとパレスチナの和平交渉で決めるべき」としてきた。このため各国はテルアビブを事実上の首都とみなし大使館を置く。

 因みに、エルサレムの約1km四方の壁に囲まれた旧市街には、古代ユダヤ王国の神殿の一部とされる嘆きの壁、キリストの墓と言われる場所に建てられた聖墳墓教会、イスラム教の預言者ムハンマドが昇天したとされる岩のドームがある。要するに狭い場所にユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地が混在するのだ。もし、アメリカがエルサレムを最終的に首都として認め大使館を移転すると、特に聖地を大切にするイスラム教徒の反発を招き、ひいては中東全体を混沌化し不安定にする懸念が大であるからだ。

 

             −−− 嘆きの壁での2人 −−−

  

     トランプ大統領       ワールド・トラベラー

   (ネットより転用・加工)

 

 斯様に複雑な街エルサレムを私こワールド・トラベラーは1994年12月に訪れており、その時の模様は2017年 1月 24日付け幣ブログ「 トランプ大統領ゆかりのユダヤ教の国、イスラエルの旅 」で述べている。一部重複するかも知れないが、今一度エルサレムはどんな都市か紹介しよう。

 

 神の名の下に4000年の昔から民族の興亡を賭けて数え切れない戦いの舞台となる歴史を刻んで来た街は、標高790mの小高い丘の上に位置し、丘と坂が多く変化に富む。見どころが多い旧市街の東にある、ケデロンの谷上にあるのがオリーブ山である。標高825mの丘はユダヤ教徒にとっては聖地巡礼の最終ゴールであり、ここからエルサレムの街並みがばっちり見下ろせる。なだらかないくつもの丘にまたがり、その斜面に薄いベージュのエルサレム石で統一された建物がびっしり建つ。

 訪れたのは朝日が出て間もなくで、街全体が神秘的に輝くような中で、ひときわ目立つのが黄金色が眩い岩のドーム。預言者ムハンマドが天馬に乗り昇天したと伝えられる聖なる岩の上に建ち、預言者の足跡も残る。このドームはユダヤ教も、ダビデ王と神との契約が収められた箱を祀った場所として譲らない。後ほど岩のドームに行き見学し、黄金色のドームを支える八面体の建物のブルータイルの美しさに見惚れたが、ドーム全体の写真を撮るならオリーブ山の方が一押しだ

 

  

  オリーブ山より旧市街を望む筆者 嘆きの壁(手前)と岩のドーム(後方)

 

 岩のドームが建つ神殿の丘は古くはソロモンの神殿があった場所とされ、ユダヤ・イスラム・キリストの3宗教の聖地になっている。岩のドームと共にイスラム教徒にとって重要なのが、銀色のドームを持つアル・アクサー寺院だ。ムハンマドが神と共に夜空を旅した地とされる。この丘を囲む西側の外壁が、ユダヤ民族の永遠の故郷と有名な嘆きの壁である。壁の前で正装姿で聖書を読む人や、壁に顔を押し付けるように祈る人など熱心な信者が絶えない。この壁がある広場で壁の上を見ると、岩のドームが黄金色に輝いていた。

  この嘆きの壁から西北へ600mほど、キリストが十字架の刑場へ最期の道を歩んだヴィア・ドロローサ(苦難の道)進むと、キリスト教徒にとり重要な聖墳墓教会がある。新約聖書には、弟子のユダに裏切られたイエス・キリストが十字架に磔にされたと書かれている場所だ。現在この教会はカトリック教会、アルメニ使徒教会、東方正教会、シリア正教会、コプト正教会の教派により共同管理されており、一日中それぞれ何らかの教派によるなどの祈祷が行われている。

  

神殿の丘、中央に岩のドーム ヴィア・ドロローサ   聖墳墓教会 

 手前がアル・アクサー寺院

 

 我々日本人は一般的に宗教に無関心だが、外国、特にイスラム教やユダヤ教などを信仰する教徒にとっては、宗教は日常生活のベースになっている。それだけに宗教対立は国家間の争いにまでなることが往々にしてあり、その点では我が日本は天下泰平の平和な国と言えよう。

 

(後記)

●トランプ米大統領はエルサレムのイスラエル首都認定撤回を求める国連の緊急特別総会の決議案に賛成票を投じた国に対し、金融支援を打ち切る構えを示した。この暴力団紛いの恫喝に対し、ヨーロッパなど世界各国の首脳が素早く反発した。同大統領が有言実行なのは結構だが、どうも品性が無い御仁のようだ(12月22日)。

●国連の緊急特別総会で、アメリアに方針の撤回を求める決議案を128ヵ国の賛成多数で採択した。しかし、反対9、棄権35、欠席21の合計65ヵ国もあり、賛成国への財政援助援助停止の警告をちらつかせた影響があった様だ。因みに、反対した9か国はグアテマラ、ホンジュラス、マーシャル諸島、ナウル、パラオ、ミクロネシア、イスラエル、トーゴの弱小国である。 

●アメリカはイスラエルの建国70年に合わせて在イスラエル大使館を商都テルアビブからエルサレムに移転した。しかし、東エルサレムを将来の独立国家の首都と想定するパレスチナは直ぐに猛反発し、パレスチナ自治区ガザでは4万人が抗議デモに参加した。イスラエル軍との衝突で、少なくともパレスチナ人43人が死亡し、2000人が負傷した。1日の犠牲者としては、イスラエル軍がイスラム組織ハマスに大規模攻撃した2014年以降で最悪規模となった(2018年5月14日)。

 

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クルド独立の住民投票が強行されたイラク・クルド自治区の旅
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 イラク中央政府は勿論、トルコ、イラン、アメリカなど国際社会が猛反対する中、少数民族のクルド人を主体とするイラク北部の自治政府「クルディスタン地域政府(KRG)」が、去る9月25日に独立の賛否を問う住民投票を強行した。クルド人住民の多くは賛成票を投じ、独立に賛成が92.73%に達した。早速KRGのバルザニ大統領は政府に独立に向け協議に応じるよう求めたが、政府は住民投票は無効として応じない。住民投票結果に法的拘束力が無いとは言え、KRG、つまりクルド自治区とイラク政府の対立は激しくなる一方だ。

 対抗措置としてイラク政府はクルド自治区内にある2空港(アルビルとスレイマニア)を管理する権限を政府に移譲しなければ、両空港での国際便の発着を禁止するとし各国の航空会社に通知したが、KRGは移譲を拒絶した。今後陸路も封鎖されれば、同自治区の孤立が深刻化しそうだ。また、イラクの国民議会はKRGが実効支配する油田地帯の北部キルクーク州など係争地への軍派遣と、自治区内の在外公館の閉鎖を求める決議した。四面楚歌に追い込まれた感じの自治区だが、中東諸国と対立するイスラエルが支持する唯一の国とは皮肉である。

 

 因みに、クルド人だが、「国を持たない最大の民族」と呼ばれる。総人口は約3000万人で、独自の言葉と文化を持つ。第一次世界大戦後にオスマン帝国の領土の一部は、イギリス・フランス・ロシア間の交渉で一方的に国境線が引かれた。クルド人が住む地域はトルコ南東部、イラン北西部、イラク北部、シリア北東部に分断された。その後は各国で少数民族として迫害され、同化を強要された。苦難の歴史であったが故に、各国で自治要求や独立運動を展開する。しかし、自国内にクルド人を抱える関係国は警戒を強める。

 

  

住民投票終了後にKRG旗  イラク・クルド自治区とクルド人の分布図

 を振り喜ぶクルド人

(ネットより転用・加工)

 

 特に国内のクルド人独立機運が強い隣国のトルコとの緊張が高まっている。実はトルコには人口の約2割、約1500万人がクルド人とされ、独立を目指すクルド人の非合法組織「クルディスタン労働者党(PKK)」が武装闘争を続ける。今も内戦が続くシリアの北部でも、クルド人の台頭が著しい。同国のクルド人組織・民主統一党(PYD)は過激派組織イスラム国(IS)の拠点を攻め、支配地域を拡大中だ。詳しいことは幣著書『ワールド・トラベラーだけが知る素顔のイスラム』をご購読願いたい。

 

 筆者はそんな注目を集めるイラクのクルド自治区を2013年7月に訪れ、旅の概要は2013年7月31日付け幣ブログ『ギネス更新(!?)265ヵ国・地域を旅し, Travel is Trouble 痛感』で触れている。面積は日本の1/5強の8万k、人口は約550万人。1970年イラク北部で設置された自治区で石油を産出し、サダム・フセイン大統領政権崩壊後は経済発展が著しい。東京にある日本クルド友好協会の紹介状のお陰で特別入国できたが、滞在中の外出や移動は自治区内に限定され、治安問題もありバグダッドやモスール行きなどは諦めざるを得なかった。

 

アルビル空港で出国の際に三脚を武器と見做され没収されるトラブルはあったものの、自治区内の治安は概ね良かった。特にクルド人は老若男女を問わず友好的で人懐っこく、こちらが日本人だと分かると一層親日的になる。撮影中の筆者を見ると近づき、必ずと言って良いほど一緒に写真を撮って欲しいとせがまれるほど。また、

クルド人家族と仲良く)

アルビルのホテルオーナー、ザイトナ氏が親身になって相談に乗っていただき、意外に快適な滞在を楽しめたのも忘れがたい。滞在中に訪れた3主要都市を紹介しよう。

 

 先ず自治区の主都になっているアルビルは、バグダードの北およそ350kmに位置する。人口は約150万人の大都市だが、紀元1世紀アッシリア人のアディアバネ王国の都であった古い歴史を持つ。自治政府が独自に進める油田開発から得る豊富な資金をベースに好調な経済成長が続いており、「第2のドバイ」とも呼ばれるほど活況を呈する。街の至る所で建設ラッシュが見られ、特に市街地周辺の幹線道路沿いは高層ビルなどの建設が目立つ。

 旧市街地の中心には、シタデルと呼ばれる巨大な古い城塞がそびえる。約1400年前に建造され人々が住むようになったが、2013年から保存修復工事が進められていた。シタデルの南側は大きな中央広場があり家族連れで賑わい、広場を囲むようにして大きなバザールが広がる。市内にモスクが数多くあるが、最も目立つのは壮麗なジャーメ・ジャリール・ハイヤット・モスクだ。他に街の西外れにあるサーミ・アブドラ・ラフマン・パークという街最大の公園と、東外れにあるファミリー・モールという巨大なショッピングセンターも見逃せない。

 

                              −− アルビルを散策観光する筆者 −−

  

アルビルの象徴・世界最大級 ジャーメ・ジャリール ファミリモールで

  のシタデル(城塞)   ・ハイヤット・モスク  クルドの若者たちと
   

 アルビルの南東200kmほどにあるスレイマニアは、人口が約100万人の自治区第2の都市だ。タクシーを拾って出かけたが、途中でイラク最大の人造湖であるドゥカーン湖を見かけ、遠くに霞むようにザグロス山脈が連なり、その向こうはイランである。峠を下りる前に小高い丘があり、眼下を見るとドゥカーン湖を水源とするレッサー・ザーブ川が流れ、濃紺の川と周囲の赤茶けた不毛の山地とのコントラストが目にも鮮やかで、この川の両岸にドゥカーという町の家々が見える。

 さてスレイマニアだが、特に見どころも無さそうな特色のない街で期待外れであった。敢えて言えば、街の中心にあり、買物客で賑わいを見せるバザールと、その心臓部に建つモスクぐらいであった。当初は1泊する予定であったが、適当なホテルが無いため、急遽アルビルへ戻る日帰りツアーとなった。

 

  

    スレイマニアの新市街の    レッサー・ザーブ川が流れる

    中心を散策する筆者       ドゥカーンの町並み

 

 一方、アルビルの北西153km、トルコ国境まで60kmと近いドホークは、自治区第3の町で人口は約50万人。アルビルを車で出て1時間ほど走ると、チグリス川の支流であるアッパー・ザーブ川が見えてきた。橋を渡って西進すればモスルに出るが、過激派組織・イスラム国(IS)の支配下に入る直前で危険なため右折して北上した。その後高度がどんどん上がり峠を登りつめ盆地に入ると、急に視界が開けてドホークの市街地が広がっていた。

 北側と南側に山々が見えるが、特に北斜面は標高が約2000mの山並みが町に迫り、山の斜面にへばり付くようにして建つ建物も多い。町から南西へ25kmほどにはチグリス川が流れる。東西に細長い町の東部は新市街で、その一角にあるグランド・モスクはかなり立派で、中に入ると直ぐに冷たいお水飲ませてくれホッとした。町の西側は旧市街になっているが、中東独特の大きなバザールが無いようであった。

 

  

     ドホークの市街地を俯瞰     チグリス川の支流を散策

 

 イラクのクルド自治区の独立を問う住民投票は、本日(10月1日)に行われるスペインのカタルーニャ自治州の住民投票にも多大の影響を与えそうだ。カタルーニャ自治州の方は投票結果が拘束力を持つだけに、スペイン中央政府は投票阻止に躍起のようだ。イラク以上の混乱が起こりそうである。

 

(後記)

 クルド独立の夢ははかなく消えたようである。クルディスタン地域政府(KRG)自治区の独立の賛否を問う住民投票から3週間の10月中旬、イラク軍侵攻により油田地帯キルクーク州の実効支配地域を失った。原因はKRGの軍事組織ペシュメルガの一部部隊の裏切りだ。KRGはタラバニ元大統領が創設した「クルディスタン愛国同盟」とバルザニ全KRG大統領派の「クルディスタン民主党」から成るが、KRG独立を望まないイランがイラク政府と組んでタラバニ派に働きかけ、内部から崩した模様だ。

 

                ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

私ことワールドトラベラーにはクルド人に関する次の著書があるので、ご関心ある方は是非ご愛読頂きたい。

世界を動かす少数民族』幻冬舎 1,350円+税

 

   

 

 なお、幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。

お問い合わせ:
世界の人形館 
TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
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