世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
北総の小江戸「佐原」の景観散歩とヨーロッパの水郷
9

 一昨日(6月22日)は鬱陶しい梅雨が小休止し、本格的な夏到来を思わせるような晴天の暑い日であった。2年ほど前より入院闘病中の妻の見舞い・介護で明け暮れする毎日だが、気晴らしにと入会している「我孫子の景観を育てる」催行の景観散歩に急遽当日参加した。向かった先は千葉県・香取市の佐原。かつて佐原市として存在したが、2006年3月に他の町々と合併して香取市になった。東京の中心地から約70km、成田国際空港から15kmほどに位置する。

 江戸時代から利根川の水運で栄え、水郷の町として知られる。町の中心を流れる利根川の支流、小野川沿いには、北総の小江戸とも呼ばれる往時の町並みが今も健在だ。何度訪れても同様に感じるのが、小粒ながらも味わいのある水郷の趣だ。江戸優りと呼ばれる独自の華やかな文化を開花させたが、その集大成と言えるのが日本一の大人形が山車で曳き回される「佐原の大祭」である。因みに、佐原を訪れたのは今回初めてではなく、次男の伴侶が同地出身のため何度となく赴いている。

 

 さて、町並み散策のスタートは小野川に架かる忠敬橋がオススメだ。この橋から少し南下すると、通称「ジャージャー橋」と呼ばれる樋橋がある。もとは300年近く前の江戸時代に造られた佐原村用水を、小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋であった。橋の下側につけられた大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ち音を立てることから、「ジャージャー橋」の通称で親しまれてきた。30分毎の落水は、「残したい日本の音風景100選」にも選ばれているとか。

 

  

       忠敬橋       樋橋より小野川と  ジャージャーと音を立て

               忠敬橋を望む   水があふれ落ちる樋橋

 

 この橋の袂にあるのが伊能忠敬旧宅だ。我が国で初めて日本国土の正確な姿を明らかにした伊能忠敬が、17〜50歳までの約33年を過ごした家である。醸造業などを営んでいた伊能家の土蔵造りの店舗をはじめ、書院、炊事場、土蔵などが残る。特に土蔵は忠敬が婿養子に入る前に建てられていたもので、築後200年以上の貴重な建物だ。小野川に面した旧宅の正面には「だし」と呼ばれる荷揚げ場があり、今では舟巡りの乗り場になっている。

 

 また、忠敬橋に戻って町のメインストリートを東へ行くと、八坂神社の境内の一角に水郷佐原山車会館がある。ビデオシアターの3面パノラマ大画面で佐原の大祭の迫力を体感後、山車展示室で豪華絢爛な山車を間近で見た。山車の上部には歴史上の人物をモチーフにした大人形や鯉の藁細工が据えられ、身の丈は5mほど、山車全体では約9mになり圧倒されそう。

 

   

伊能忠敬旧宅前に立つ筆者    旧宅内の象限儀      山車会館内  

 

 八坂神社からさらに東へ向かうと、創建が2600年以上も前の神代まで遡る香取神宮がある。伊勢神宮や鹿島神宮と共に三神宮の一つで、日本各地にある香取神社の総本社が香取神宮である。短めの参道を進むと朱塗りの大鳥居が見え、さらに総門下石鳥居、総門、楼門をくぐると黒っぽい重厚な感じの本殿に出る。1996年10月、この本殿で今や大学生に成長した初孫のお宮参りや、その後の七五三祝いなどもした想い出深い場所だ。

 

 ところで、時間が無かったので水郷佐原の名物である舟巡  が出来なかったが、17年前には妻や孫と楽しんだことを懐かしく想起する。江戸情緒が残る歴史的町並みを見ながら30分ほどの水上散歩は、まるで時が止まりタイムスリップしたような錯覚に陥るレトロ感を堪能した。

 

  

 香取新宮で初孫のお宮参り     忠敬橋付近の商店    忠敬橋近くの小野川

   1996年10月妻と共に

 

  一方、私ことワールド・トラベラーは世界の水郷、或いは水の都を数多く訪れている。超有名な所ではイタリアのヴェネツィアがあるが、佐原に比較的よく似た、こじんまりとした感じのヨーロッパの水郷の一部を紹介しよう。

 

 先ず、1999年4月に妻と一緒に旅したベルギーのブルージュは、首都ブリュッセルの西北88km、ベルギー北部にある古都で人口は約12万人。運河と橋が多く「北のベニス」と呼ばれ、12〜13世紀にはヨーロッパ第一の貿易港となり、現在も中世に栄えた町並みが残る。かつて水路で北海と繋がっていたブルージュは「橋」を意味し、その名の通り縦横に巡らされた運河に50以上の美しい橋が架かる。

 水都の中心にあるマルクト広場は、ヨーロッパでも美しい広場として5指に入る。広場の周りには47個のカリヨンがヨーロッパ随一の音色を響かせる市庁舎、町のシンボルである高さ88mの 鐘楼などが建ち、運河巡りの船もこの辺りから出ている。ほかに、町の南外れにあるベギン会修道院は1245年に設立され、15世紀当時の修道服を身にまとったベネディクト派の修道女がひっそりと質素に暮らす。また、修道院近くには愛の湖公園が広がり、豊かな緑に包まれた湖に白鳥が戯れる光景は一幅の絵を観るよう。

 

                  −−− ブルージュの想い出 −−−

  

マルクト広場近くの運河   鐘楼付近の運河で  鐘楼やマルクト広場俯瞰

              妻とのツーショット

 

  次に2007年6月に訪れたドイツのバンベルグは、南部ドイツのバイエルン州の北端に位置する、人口7万人ほどの古都である。第二次世界大戦の戦火を免れ、石畳の小道など中世の名残りを現在も色濃く留める。小さな町だが、千年の歴史を持つ水郷の町は見どころが意外に多い。先ず、旧市街の真ん中を流れるレグニッツ川に架かる橋の上にある旧市庁舎は、外壁のフレスコ画が一見の価値がある。

 そこから少しそれて北東方向に進むと、レグニッツ川沿いに小ヴェネツィア地区がある。カラフルな漁師の小さな家も建ち並び、まさに「小ベニス」の佇まいだ。また旧市庁舎に戻り西へ坂を上ったところがドーム広場で、4つの大きな尖塔を持つ1237年完成の大聖堂がそびえ建つ。町中では最も人目を引く建物だが、内部も「バンベルクの騎士」の彫刻など見るべきものが多い。

 

                       −−− バンベルグ3景 −−−

    

 レグニッツ川沿いの      大聖堂    レグニッツ川岸を散策 

 小ヴェネツィア地区

 

 こうして我が佐原とヨーロッパの水郷の写真を見ながら比較すると、外見的にはかなりの違いがある。文化や歴史、風土などの背景も異なるので、当然と言えば当然であろう。だが、水郷の主役である川や運河などが長年にわたり育んできた情緒、或いは詩情はそこはかとなく相通ずるものがあるようだ。と思うと無性に彼の地を旅したくもなるのだが、妻の病状を考えると空しく切ない願望に萎んでしまう。

 

          ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇

 

 筆者には下記著書があり、ご関心ある方は是非ご愛読下さい。

 

書名 出版社 定価 表紙

私はワールド・トラベラー
世界257ヵ国・地域を

旅した男

 文芸社 1,500円

272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった1人で紛争地を旅した

 幻冬舎 1,400円

トラベル・イズ・トラブル 
安全な旅は退屈だ!!

ルネッサ

ンス・アイ 

1,300円

ワールド・トラベラーだけが

知る素顔のイスラム

シリア内戦等も詳しく紹介

 新潮社 1,500円

世界を動かす少数民族

少数民族の世界から現代世界の縮図と課題が見える

 幻冬舎 1,350円

 

トラベル・イズ・トラブル

パート2 
楽でない旅こそ最高だ!!

ルネッサ

ンス・アイ

1,300円

 

  幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。

お問い合わせ:
世界の人形館 TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved  

| 国内旅行 | 18:47 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
景観散歩「古河市」とオランダの縁
10

 妻が2年近く入院中に加え、子や孫たちがいながら事情あって不便で無援の独居生活を強いられている。最近は生きがいの著書などの執筆に明け暮れするが、時々気晴らしが精神衛生上必要だ。そんな気持ちで参加したのが、入会している「我孫子の景観を育てる会」が催行した古河市を訪れる景観散歩である。時は旧聞になる1か月以上も前の11月18日。30名が参加したバスは午前8時半に我孫子駅北口を出発し、10時過ぎに古河歴史博物館に着いた。以降1時間の昼食をはさみ、午後3時まで錦秋の景観散歩を堪能した。

 因みに、古河市は茨城県にあるが、町の西外れを流れる利根川の対岸は栃木県や埼玉県という県境にある。かつて室町時代後期には東関東の政治の中心地となり、江戸時代は徳川譜代大名の城下町であった。また、歴代の徳川将軍たちの日光参拝は岩槻・古河・宇都宮で宿泊する3泊4日の行程で行われ、町は日光・奥州街道の要の地として発展した。社寺などの史跡が多く、また著名な文人を輩出する文学の町でもある。

 

 10か所ほど訪れたが、印象に残ったスポットをいくつか紹介しよう。先ず、最初に入館した古河歴史博物館だが、オヤッと思うコーナーで足を止めた。それはエントランスホールに展示されているストリートオルガンである。オランダ製の手回しオルガンは空気圧を利用して自動演奏する仕組みで、異国情緒豊かな音色を奏でる楽器だ。 ストリートオルガンと言えば、1999年4月に妻と共にオランダのユトレヒトを旅したことを懐かしく想起する。

 16世紀の独立戦争でオランダ独立の中心となった質実剛健な町の中心は、運河沿いのドーム広場に立つ高さ112mのドーム塔である。運河をはさんで塔の反対側に建つ古風な教会内に、18世紀以降の自動楽器のコレクションを展示するオルゴール博物館がある。館内最大の見ものは、オランダ名物の大きくて華やかなストリートオルガン。人形が音楽に合わせて鐘やドラムを叩くのが、なんとも興味深い。不治の病とされる認知症で病床に伏している彼女を想うと、楽しかったオランダの旅が今では悲しく切なくもなる。

 

                      −−− 東西のストリートオルガン −−−

  

古河歴史博物館(左)と紅葉  古河歴史博物館で  ユトレヒトのオルゴール博物館で

                                   元気な頃の妻と記念写真

 

 その次に立ち止まったのが、下総国古河藩の家老であった鷹見泉石(1785〜1858)の資料展示である。蘭学者でもあった泉石にはヘンドリック・ダップルという蘭名もあり、あの有名な蘭学医・博物学者シーボルトと交流があったとか。実はシーボルトの高弟の一人が筆者の先祖(睥漂悄砲如△修両譴燃稜Г呂任なかったものの鷹見泉石との繋がりがあったよう。世間は広いようで狭い。

 因みに、ユトレヒトのオルゴール博物館、シーボルトと睥漂悗留錣砲弔い討蓮■横娃隠廓5月1日付け幣ブログ「オランダとワールド・トラベラーの浅からぬ縁」で詳述済みだ。また、筆者は2010年8月にオランダのライデンを旅し、博物館になっているシーボルトハウスを訪ねたが、日本で収集した膨大なコレクションに驚愕するばかりであった。シーボルト事件で国外追放された彼はここライデンで家を借り、日本博物館を開設した。

 

       

    鷹見泉石    ライデンにあるシーボルト像      睥漂悄 

 

 次に文学館に向かうため博物館を出たところ、周りの紅葉が見頃を迎えていたので迷わずシャッターを押した。当日のお天気は晴れで最高気温は16度、風も無く小春日和のような陽光を浴びて紅葉がキラキラと輝いていた。5分ほど歩くと、大正ロマンの瀟洒なムードが漂う建物が見えてきた。木造の古河文学館だ。見事な木組みがひときわ人目を引く館内は、優しい木肌の温もりと香りが充満する。

 天井を見上げると美しい木組みに演出された空間が広がるサロンでは、幻の名器と称えられる1930年製の蓄音機によるSPレコードの柔らかな演奏に聞き惚れ、タイムスリップしたような至福のひと時を過ごした。当館にはほかに、この町出身の歴史小説家の永井路子、推理作家の小林久三の展示もあり、認知症防止のために著述に勤しむ身として興味深く見て回った。なお、文学館から北西400mほどに永井路子旧宅があり、江戸時代末期築の店蔵は古い商家の名残を留める。

 

  

   古河文学館のサロン     隆岩寺前の筆者        永井路子旧宅

 

 社寺では、徳川家康の長男・信康の菩提寺である隆岩寺、古河城主の土井利勝が開いた正定寺を訪ねた。共に永井路子旧宅から北へ数百mにあるが、特に隆岩寺の風情ある門構えの残像が今も消えない。また、立派な土蔵やレンガ造りの建物が点在する江戸町通り付近も忘れ難い。その後ご案内いただいた古河市のボランティアさんに別れを告げ、午後5時過ぎに我孫子に帰着した。

 常日頃は明け方まで執筆することもある不規則な生活を送っている身だけに、当日の早朝起きで先述の景観散歩中も眠気を完全に払拭できなかったが、帰宅後はむしろスッキリし熟睡もできた。高齢化が進む長い人生では、時には息抜きや気晴らしを楽しむスィッチオン&オフは欠かせないようだ。

            

                 ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇ 

    ☆☆☆ ニューイヤーコンサート2017 ☆☆☆

 筆者が運営しているプライベート・ミュージアム「世界の人形館」の見学者は実に多彩です。国際的なヴァイオリン奏者、アンナ・スタルノフスカヤさんもその一人。日露混血の才能豊かな彼女がプロデュースする第10回みんなで楽しめるクラシック・コンサートが、1月15日(日)に開催されます。世界の人形館はこの素晴らしいコンサートの趣旨に賛同し、後援して7年になります。

 

                    

 

日時: 2017年1月15日(日) 14:00 開演 (13:30開場) 
場所:我孫子市
けやきプラザふれあいホール
アクセス:常磐線・千代田線 我孫子駅南口徒歩1分
入場料:一般 1300円 子供(4歳以上)・学生 700円  


 酷寒の折柄ですが、是非ご来場下さい。お待ちします。なお、チケットをお求めの方は下記の所へご連絡下さい。
お問い合わせ:
ジョイ・ファミリーコンサーツ TEL 0297−68−9517 または

世界の人形館 TEL 04−7184−4745 

         E−MAIL  ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved

| 国内旅行 | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
ふるさと納税の町、大多喜町の景観散歩とヨーロッパの山城
12

 少々旧聞になる話だが、2週間前の5月25日に房総半島のほぼ中央に位置する千葉県大多喜町を散策した。実は筆者は「我孫子の景観を育てる会」の会員で、『大多喜を訪ねる』という景観散歩に参加したのである。午前8時半に我孫子市をバスで出発し、午後5時前に帰着した。著述で夜更かしするので、早朝でない出発時間が好都合であった。また、それは老々介護の気疲れを癒してくれ、程良い息抜きになった日帰りの楽しい小旅行であった。
 私事で恐縮だが、1年3ヵ月前から半世紀以上連れ添ったパートナーの妻が不治の病、認知症で長期入院中である。自宅介護ではなく入院中とは言え、毎週5回ほど見舞いに出かけている。加えて2人の息子たちや孫たちが一緒に、或いは近くに住んでいないため、家事を含め全て自力でしなければならぬ不便な独居生活を強いられている。また、一般に年老いた親の面倒を見ると言われる娘に恵まれなかった不運がのしかかる。それだけに気分転換には絶好の遠出であった。


 大多喜町については出かける前はほとんど知らなかったが、この景観散歩の直前に朝日新聞で何度か「ふるさと納税」で同町が紹介され感心を持った次第だ。2015年度に全国の自治体が受け入れたふるさと納税の寄付額は約1400億円で、近年急増しているのは返礼として自治体が送る特産品や金券に人気があるようだ。高所得者にとっては格好の節税対策になっているらしい。
 自治体の返礼で特に話題になったのが、大多喜町の金券である。同町の返礼率は実に7割で、これが富裕層に人気となり昨年の納税額はなんと18億円に達した。人口が1万人足らずの小さな町にしては巨額であり、金券がネットのオークションで転売されるなど問題が増えたため、総務省の度重なる要請もあり5月末に金券は廃止された。

 ふるさと納税で全国的に知られるようになった大多喜町だが、「房総の小江戸」と喩えられる落ち着いた風情がなんとも心地良い。1590年(天正18年)に徳川四天王の一人、本多忠勝が大多喜に入り、築城し城下町を整備したとされる。夷隅川が曲流する小盆地に築かれた静かな城下町だが、現在もその景観が良く保存されているので感心したものだ。
 例えば、1849年に建てられた町屋の渡辺家住宅、土蔵造りの商家・釜屋、1874年築の豊乃鶴酒造、江戸時代から旅籠として創業された大屋旅館(昼食の場所)などを訪れたが、いずれも保存状況は良好だ。ほかに、本多忠勝などの墓所・良玄寺、歴代の大多喜城主が崇敬した夷隅神社などにも寄った。


  
     渡辺家住宅      釜屋前に立つ筆者      良玄寺

 大多喜町観光のハイライトは、何と言っても大多喜城であろう。いすみ鉄道の大多喜駅付近の標高が26mに対し、お城が建っている場所の標高が73mであるので標高差が47mの山城である。現在のお城は1975年(昭和50年)に建てられた天守閣づくりで、高さが28mの3層4階の鉄筋コンクリート造りになっている。青空を背にし、グレーっぽい屋根と白壁のコントラストがハッキリしている美しい城である。
 ピラミッド型の屋根が特徴的な大多喜小学校から遠目で眺めると、こんもりとした緑濃い小高い丘の上に建つ姿は山城の風格がある。お城に近づくとかなり急な坂道が待ち受けており、また入場後すぐに城の最上階(4階)まで登ると息も絶え絶えになった。常日頃の運動不足と寄る年波(79歳)の醜態を晒した格好だが、天守閣のてっぺんからの見晴らしは秀逸であった。

                       −−−  大多喜城三景 −−−

    

 ところで、山城とは険峻な山を利用して築かれた城だが、ヨーロッパでは特にドイツに多い。一方、フランスやイギリスにも古城が多いが、そのほとんどが平城である。私ことワールド・トラベラーが訪れたドイツとチェコの山城をいくつか紹介しよう。

 先ず、ドイツのライン地方のブラウバッハに建つ
マルクスブルク城は典型的な山城だ。12世紀に築城されたが保存状態が極めて良く、現存する中世の城の中で完全に原形を留めている。ユネスコの世界遺産、ライン渓谷に含まれヨーロッパ100名城にも選ばれている。筆者は1975年8月と2007年6月にライン河クルーズを楽しんだことがある。あの歌で有名なローレライのほかに、グーテンフェルス城、ねこ城、シェーンブルク城などの古城が次々と現れ、それはあたかも一幅の絵を観るような想いになる。
 2007年6月~7月の旅は1ヵ月にわたりドイツをほぼ全周し、坂道が険しいいくつかの山城を訪ねた。例えば、音楽の父バッハが生まれたアイゼナハの
ヴァルトブルク城はチューリンゲンの森にある標高410mのヴァルトブルク山頂にそびえ、ヘッセゆかりの大学町チュービンゲン郊外の標高865mのホーエンツォレルン城からのパノラマは最高に素晴らしく、グリム兄弟が大学に通った町マールブルクの方伯城は見晴らしの良い丘の上に建ち、城からの眺めは抜群であった。

 ドイツの名城と言えば
ノイシュヴァンシュタイン城が随一であり、意外に登るのがきつい山城である。1997年7月には妻と一緒に訪れ、2007年6月は1人旅であった。バイエルン王ルートヴィヒ2世による築城は比較的新しい19世紀後半で、城内はオペラの名場面を再現した壁画が素晴らしいが、何と言っても城のハイライトは遠くから眺める外観であろう。前回と同様にお天気が悪かったが、雲の間から優美な姿を現した時には歓喜した。
 お城の一帯は鬱蒼とした木立が多いので撮影ポイントが限られるが、是非おススメしたいのが城の裏側から約20分歩いた所にあるマリエン橋だ。橋の中央付近からルートヴィヒ2世が夢中になった横向きの白鳥城がばっちりとカメラアングルに入る。因みに、おとぎ話に出て来そうな美しさの城だが、ディズニーの「シンデレラ城」のモデルになっているとは案外知られていないようだ。


  
  マルクスブルク城   マールブルクの方伯城  ホーエンツォレルン城
            とワールド・トラベラー 

  
    ヴァルトブルク城 ノイシュヴァンシュタイン  カルルシュテイン城
               城を背にする筆者(左)

 隣国のチェコにも山城がいくつかある。2001年6月に訪れた首都プラハの南西25kmにある
カルルシュテイン城は、美しい丘陵地帯の高台にそびえる。神聖ローマ皇帝にして時のボヘミア王であったカレル4世により14世紀に創建された。ゴシック様式の雄大な佇まいは、多くの芸術家に影響を与えたと言われる。
 高さが2mもある石の堅固な城壁に囲まれ山の上にそびえ建つ城は、下から見上げると覆い被さるように迫るものがある。ゴシック独特の重厚な姿が、緑深きボヘミアの森に鮮やかに映える。因みに、最初は王族の住居や財宝を保管する要塞として利用されたが、その後は歴代国王の夏の別荘として使われた。


                 ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

                     (ワールド・トラベラーの新刊書紹介)
         トラベル・イズ・トラブル パート2

 
 楽でない旅こそ最高だ!!様々なトラブルに巻き込まれながらも旅をこよなく愛する、世界272ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーのトラブル集第2弾!近々4刷予定の大好評発売中『トラベル・イズ・トラブル 安全な旅は退屈だ!!』の続編。定価本体1,300円+税

     

 お買い求め又はご注文は、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。
お問い合わせ:
世界の人形館 TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved

| 国内旅行 | 21:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
熊本地震と火の国への旅
10
 昨夜(午後9時26分ごろ)テレビを観ている最中に、熊本県を震源とするマグニチュード6.5の強い地震があった。最大震度7を観測したのは熊本県益城町で、震源の深さ10km。震度7を記録したのは、あの3.11の東日本大震災以来である。地震の規模が2011年のM9.0に比べて小さいにも拘わらず、震度が同じなのは活断層の横ずれによる震源の浅い直下型地震のためだ。
 死者は今のところ9人、負傷者は数百人、倒壊家屋も数十棟程度だが、今後この地震を上回る余震、即ち別の本震が発生すれば被害は大幅に増えよう。あの東日本大震災と比べるべくもない地震の規模だが、決して侮れない。たとえ局地的な地震とは言え、もし人口密度が超過密な都心で発生したなら大震災になっていたであろう。この本震の後も間断なく余震が続いており、しばらくは不安で落ち着かない被災者の皆さんに同情を申し上げたい。

            −−− 被災現場 −−−

     
       倒壊した家屋が多い益城町     石垣が崩れ落ちた熊本城
         (インターネットより転用・加工済み)  


  我が政府は来月の伊勢志摩サミット、2020年の東京オリンピック・パラリンピックなどの開催で少々浮 かれ気味のようだが、もしこれら開催地で大地震が発生した場合にどう対応するのであろうか? テロ対策も大事だが、地震という我が国独特の宿命的な天災対策も手抜きは許されないであろう。
 また、安倍晋三首相は地震発生後間もなく現地視察を表明したが、いつの間にか引っ込めてしまったようだ。せめて副大臣クラスを現地に張り付けるぐらいの意気込みと誠意があってもと思料するが、その気配も無さそうである。やはり、迫りくる伊勢志摩サミットへの影響を懸念しての事であろう。(後記:4月23日に安倍首相の現地視察がやっと実現した。筆者のぼやき或いは天の声が届いたのであろうか?) 

  ところで、今回の地震の直後に筆者の脳裏を横切ったのは、あの忘れもしない2011年3月11日に起きた東日本大震災である。2011年4月23日付け幣ブログ「
東日本大震災と平成の関東大震災(?)」で紹介の通り、当時は妻と共に自宅でもあるプライベート・ミュージアム「世界の人形館」にいた。
 居住地(千葉県我孫子市)の震度は6弱とされたが、マンションの高層階(10F)にあるために大揺れして直立できないほどであった。しかも、40数年間にわたり海外でこつこつと収集した人形などの展示品が、目の前で雪崩のように崩れ落ち飛散するのが悔しくてならなかった。

      
−−− 大震災直後の「世界の人形館」の惨状 −−−
  
       (メインホール)          (東洋の間)

 それから早くも5年が経つが、その妻も傍にいない。私事で恐縮だが、1年前より不治の病(認知症)で長期入院しており、筆者も不便この上ない独居生活を強いられている。「歳月人を待たず」を実感する苦悩の毎日であるが、高齢化社会が確実に進む世では避けて通れない淋しい現実だ。
 気分転換も兼ね、20年前の1996年5月と15年前の2001年5月、元気な時の彼女と一緒に旅した「火の国(熊本)」を懐かしく回顧したい。少々感傷めいたお話だが、ご容赦願いたい。


     ○*;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○

 20年前の旅では、主に長崎県を周遊した時に熊本市に寄った。熊本は虎退治で有名な加藤清正ゆかりの城下町である。見どころは、銀杏城の別名を持ち日本三名城のひとつに数えられる豪壮な熊本城と、回遊式の日本庭園が見ごとな水前寺公園だ。特に、東海道五十三次をなぞらえ、水前寺富士などの美しい築山が池の周りに築かれている水前寺公園の箱庭的な美しさが素晴らしい。
 駆け足でお城と公園を観光後、熊本港から船で対岸の島原港に渡り、雲仙温泉や長崎市など長崎県を代表する名所を回った。因みに、昨日の地震で熊本城の天守閣の屋根の瓦とシャチホコが落下し、石垣も崩落したとか残念である。今後余震が続くと石垣が更に崩れ、名城の土台になっているだけに城自体の崩落も憂慮され心配である。

 次に15年前の旅では、大分県、宮崎県、鹿児島県の九州東部と南部を周遊した時に寄ったものである。大分県の由布院からやまなみハイウェイを走行し、瀬の本高原を通り雄大な阿蘇の大草原・草千里ヶ浜などを訪れた後、新緑が幽玄な趣の峡谷を彩る神秘的な高千穂峡(宮崎県)に向かった。
 草千里ヶ浜は阿蘇観光に訪れる人が必ず訪れる定番スポットである。阿蘇五岳のひとつ、鳥帽子岳の北麓の火口跡に広がる約78万屬梁臍雜兇函雨水が溜まってできたとされる池とのコントラストが素晴らしい。噴煙を上げる中岳をバックに、放牧された馬や牛が牧草を食む牧歌的な風景が広がる。スケールではずっと劣るが、2000年9月に訪れたアフリカ・タンザニアのウンゴロウンゴロ自然保護区に似ているような気もする。

                                  −−− 妻とのツーショット −−−

   
    熊本城        水前寺公園      阿蘇の草千里ヶ浜

 世界の全ての国199などを旅した私ことワールド・トラベラーだが、我が国の47都道府県も全て訪れている。北海道から沖縄まで約2500km、南北に細長く多様性のある日本だが、中でも熊本県は最も好きな県のひとつである。
 上記の熊本市や阿蘇以外にも名所旧跡が数多くあり、いずれ再訪したいとの想いがある。例えば、平家落人伝説を今に伝える五家荘、リアス式海岸や点在する小島が美しい天草など。だが、国内の旅ではいつも連れて行く妻が長らく病床にあり、有言即実行の筆者には珍しく踏み切れないでいる。


  ○*;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○*:;;;:*○

(追記)
●熊本地震が発生の2日後に、M7.3という阪神大震災並みの強い余震(と言うより本震)が発生した。死者も40人を超え、被災地域も阿蘇や大分県まで拡大した。その後も休みなく余震が続いており、不気味な日本列島の動きが気懸りである(4月16日)。
●震度7という激震が2度と度重なる余震で、死者48人、行方不明2人、避難者は11万人余、損害を受けた家屋は5000棟を超える(4月23日)。


            ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇
 

  ワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、272ヵ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡など多数展示しています。老若男女を問わずご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。茶菓子を用意し、精一杯のおもてなしの歓待をします。
 なお、慈善活動につき、入館料は無料ですが、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約して下さい。ご協力のほど宜しくお願いします。
 TEL:04−7184−4745又はEメール:
ko-yasu@maple.ocn.ne.jp


     −− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−

  
      メインホール     民俗人形コーナー:  地球儀コーナー
              中南米・アジア


               WANTED!頼りになる出版社求む! 

 今年中に7作目を出版したき次第につき、面倒見の良い意欲的な出版社があれば是非ご一報下さい。お待ちします。高 やすはる(著者)より
 

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved   
| 国内旅行 | 23:11 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
小さな旅−「足袋の街」行田の今昔、そして世界の古墳と石碑
11

 一昨日、2013年5月30日(木)は例年よりも早い入梅で、終日鬱陶しい曇天であった。時折霧雨も降り、差すのがあまり好きでない傘が必要であった。いささか残念だが、スカッとした五月晴れの行楽日和とはとても言い難い一日となった。
 私ことワールド・トラベラーの旅と言えば、もちろん海外旅行であるが、この日は埼玉県北部に位置する行田市への日帰りミニツアーであった。会員になっている市民活動団体「我孫子の景観を育てる会」の「景観散歩」に参加したのである。ちょうど1年前の茨城県常陸太田以来の小さな旅を楽しんだ。
 
 参加者38名のほとんどがシニア世代で、男性が1/3に対して女性方は2/3を占める。男性より長寿の女性の参加が多く
、この年代になると女性上位は否めない。午前8時半バスは我孫子を出発後、途中トイレストップを挟み、午前10時半に目的地の「古代のロマンと歴史が息づく足袋の街」行田に予定通り着いた。
 
 ここで参考までに行田市の概要に触れてみたい。
行田市大字埼玉(さきたま)は、古くは万葉集でその名があり、風土記にも「武蔵国埼玉郡(さきたまごおり)」とあるように、現在の埼玉県名の発祥地とされる。古墳時代は多くの古墳が築造され、室町時代は忍城が築かれ、戦国時代には石田三成の攻撃を受け、江戸時代は阿部氏や松平氏の十万石城下町として栄えた。
 一方、江戸時代中期より下級武士の内職として足袋の生産が始まり、明治時代に入ると機械化され一大産地となった。最盛期には日本全体の足袋生産の8割を占めたが、戦後は洋装化が進み衰退した。しかし、今でも生産は続けられているほか、足袋から転じた繊維産業が地場産業として残っている。
 北は利根川、南は荒川に挟まれた地形は、平坦な沖積平野だ。現在の人口は約8万4千人だが、ピーク時の2000年は9万人を超えていたとか。最近では、2012年11月に公開された映画「のぼうの城」の舞台の地として話題になった。

 観光は忍城(おしじょう)内にある行田市郷土博物館からスタートした。忍城は豊臣秀吉の小田原征伐で石田三成の水攻めを受け、10倍を超える軍勢の相手方攻撃にも耐えた話は映画化され有名になった。場内にある郷土博物館の様々な展示品から行田の今昔の一端をうかがい知ることが出来るが、筆者が大いなる興味を持ったのは、石造の板碑、即ち石碑である。
 13−16世紀の中世の人々の信仰を伝える石碑が、市内には数多く残されている由。この石碑、いわゆるステラは中米などでよく見かけるものだ。1998年1月に訪れたグアテマラのキリグア遺跡、隣国のホンジュラスのコパン遺跡で立派な石碑群がある。8世紀頃のもので、ステラは元々「暦と王朝の記録」のために作られたとされる。特にキリグア遺跡の石碑Eはなんと高さが11.7mもあり、コパン遺跡ではマヤ文字が鮮明に彫り込まれたステラBが印象的である。

  
  郷土博物館が入る忍城     博物館で展示の板碑  ホンジュラス:コパン遺跡
(インターネットより転用・加工) (博物館パンフレットより) のステラB前に立つ筆者 

 博物館見学の後、時田蔵などの足袋蔵や足袋とくらしの博物館に寄り、昼食を取るため忠次郎蔵へ向かった。この建物は1925年に足袋原料問屋・小川忠次郎商店の店舗兼住宅として建てられた二階建ての土蔵造りの店蔵だ。現在はNPO法人により、手打ちそば店として再活用されており、腰のあるそばが美味かった。
 昼食の前後に、銅人形が並ぶ通りを散策した。
国道125号線沿いの市役所前から栄橋の間860mにわたって並ぶ櫓の上には、昔ながらの遊びに興じる銅製の童たちの人形が立ち、全部で39体もある。女の子の人形の頭上には屋根があるが、男の子の人形には屋根が無い。メルヘンチックで個性的な人形は街のシンボルとして愛され、プライベート・ミュージアム「世界の人形館」を運営するワールド・トラベラーにとってはホッとするものがあった。

 その後、満々と水を湛えた水上公園に面した十万石水上公園店でお土産を買ったり、川端酒造などに寄り、さきたま古墳公園に向かった。この間、傘を差したり差さなかったしたが雨足はさほど強くならず、歴史の街の雰囲気をむしろ一層情緒あるものに演出したかも知れない。

  
昼食でそばを賞味した忠次郎蔵  銅人形(男の童)銅人形(女の童)と筆者

 行田観光の締めくくりはさきたま古墳公園となった。行田市の市街地から南東へ約1kmにあり、約30ヘクタールの広大な園内には丸墓山古墳をはじめ、稲荷山古墳、将軍山古墳、二子山古墳など9つの大きな古墳群がある。出土品から見て5世紀末から7世紀頃までの古墳時代と推定されるが、古墳築造の事情などは定かではない。古墳群のほかにさきたま史跡博物館や将軍山古墳展示館などがある。
 時間的な制約もあり、丸墓山古墳に登った。直径が105mで高さが18.9mもあり、日本で一番大きな円墳と言われる。1590年の豊臣秀吉と小田原北条氏の戦い、小田原の役で忍城を水攻めにした石田三成が、水攻めの状況確認のためにこの古墳の頂上に本陣を築いたとされる。頂上まで止まらずに一気に登ったが、常日頃の運動不足がたたってか息も絶え絶えの寸前になった。

 頂上からの眺めは思いのほか抜群であった。360度の大パノラマが広がり、行田の街並みのほかにいくつかの古墳が手に取るようにして見える。特に目を引くのが、最も大きな前方後円墳の二子山古墳である。
 因みに、前方後円墳と言えば、先ずイメージするのは、恐らく大阪府堺市の仙陵古墳(仁徳天皇陵)であろう。この古墳はエジプトのクフ王ピラミッド、中国の秦始皇帝陵と並んで世界三大墳墓に名を連ねる。世界の旅人はもちろん、クフ王ピラミッドと秦始皇帝陵を何度も訪れている。
 
 他の古墳群も見晴らしながら、ふと世界の古墳を想い起こした。世界を股にかけて旅したワールド・トラベラーは世界の古墳やピラミッドを訪れ知り尽くしているが、日本の古墳に似たものがあるのは朝鮮半島である。我が国の古墳の先輩と言えよう。
 1995年5月に旅した不思議の国・北朝鮮では、平壌郊外の高句麗古墳群を見学した。3〜7世紀に築造され、高松塚古墳やキトラ古墳の壁画に似たものがある。1997年10月に妻と一緒に旅した韓国の古都・慶州では純金の遺物が出土した古墳公園・大陵苑を訪れた。約12万坪以上の敷地内に23基の古墳が保存されて良く整備され、美しい松林に囲まれて秋は紅葉が美しい。

 北朝鮮と中国の国境沿いを 鴨緑江というかなりの大河が流れる。この鴨緑江沿いの最大都市が中国の丹東で、人口75万人の大きな辺境都市だ。2009年6月にこの丹東を出発し、右側に北朝鮮を見やりながら川沿いを車で北上した。およそ200km走行し、吉林省の集安という町に着いた。
 この町の北東近郊に将軍墳という大古墳がある。5世紀初めに造られた古墳で、東方金字塔とも呼ばれる高句麗王陵墓である。底辺125m、高さ12.4m、1100以上の花崗岩を7層に積み上げている。規模こそずっと小さいが、エジプト・ギザのピラミッドを彷彿させる雰囲気がある。

  
さきたま古墳公園:丸墓山  北朝鮮:平壌郊外の    韓国:慶州の古墳公園の
古墳を俯瞰(ネット転用)  高句麗古墳群の壁画     大陸苑を妻と訪れる

  
中国:集安の将軍墳での    エジプト:カイロ郊外  中国:西安北東郊外
 ワールド・トラベラー  ギザのクフ王ピラミッド   の 秦始皇帝陵

 

 丸墓山古墳の頂上から下りた後、記念の集合写真を撮り、歴史の街・行田の景観散歩をすべて終えて帰途に就いた。間もなく出かける1ヵにも及ぶ過酷な外国の長旅に対し、運動不足気味であっただけに絶好のリハーサルにもなったようだ。
 因みに、今度の旅の行き先は危険そうなところが大半だ。例えば、チェチェン(過日のボストン・マラソンのテロ事件犯人の出身地として一躍有名になった)、最近治安が良くないイラク(クルド自治区Etc)、カフカスの未承認国(アブハジア、オセアチア等)、来冬のオリンピック開催地のソチなど。旅の主な目的は実効支配下の国・地域の調査・研究である。また、この旅行後に訪問国・地域の数は260を超え、更にギネス世界記録を更新する見込み?!

 
 妻が現地の治安を
心配し、今回の旅に大反対だ。今般の出版が遺言書とならぬよう、慎重に行動して無事に
国できれば、また各地の講演や講義に精を出したいと念じている。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

筆者(ペンネーム:高やすはる)が著した本が文芸社より近々発売されます。
 書名は「私はワールド・トラベラー 世界257ヵ国・地域を旅した男」、
 定価は本体1、500円+税。最寄の書店でお買い求め、又は注文できます。
  なお、本書は単なるトラベル・ガイドブックではありません。日本の将来を憂い、特に三流とも揶揄される日本外交に対し、ズバリ直球でもの申す本物志向の提言書でもあります。是非ともご愛読のほどお願いします。    

  
  
         表紙カバーと帯            口絵

ワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、257カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
  TEL:04−7184−4745 又は Eメール: 
ko-yasu@maple.ocn.ne.jp


Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved
| 国内旅行 | 16:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
小さな旅 − 常陸太田の景観散歩、そしてヨーロッパの丘の町
12

 5日前の2012年5月31日(木)、朝方曇っていたお天気も日中は晴れ、絶好の行楽日和となった。私ことワールド・トラベラーの旅と言えば、もちろん海外旅行である。
 しかし、この日は日帰りのミニツアーであった。茨城県常陸太田への小さな旅をエンジョイしたが、何年ぶりのことであろうか?

 居を構える千葉県・我孫子市には数多くの市民活動団体があるが、昨秋より会員になっている我孫子の景観を育てる会は当市では最も勢いがある市民団体といっても過言ではない。2001年6月に発足し、会員数は吉澤淳一会長以下60余名である。また、本会の概要は去る1月20日付け幣ブログ、「世代を越えた仲間との絆」で、その一端を紹介している。
 同会は
我孫子の景観を守り且つ景観をつくるという両方の観点から諸活動するほかに、時々他の街などへも出向いている。今回は15回目の景観散歩だが、筆者は初めて参加した。当日の参加者は35名で、「歴史に会える坂の街」常陸太田市を訪れた。

 午前8時半ごろバスで出発し、途中トイレストップを挟んで2時間後に常陸太田に入った。出発地の我孫子からは約76km、水戸市の北20kmほどにある。同市は茨城県の東北部にある南北に細長い町で、人口は約5万5千人。
 
先ず最初に向かったのが、水戸黄門で有名な徳川光圀隠居所「西山荘」。

 光圀公は1691年(元禄4年)5月9日から1700年(元禄13年)12月6日に73歳で亡くなるまで、「西山御殿」呼ばれた西山荘で晩年を過ごした。谷間の小道が辿り着く山懐に、山水を引いてできた池や滝などは見事と言う他ない。静かな庭に囲まれた草葺きの質素な住まいで読書したり、構想を練ったりして没後命名された「大日本史」の編纂事業などに注力した。また敷地内に薬草を植え、397種類の薬草を載せた「救民妙薬集」を発行し、人々に配布した由。
 因みに、「天下の副将軍」として広く親しまれたが、実は副将軍は江戸幕府の制度には無い。テレビ番組で見かけた身分を隠して助さんや格さんと共に全国を行脚し、世直しをしたというのは、後世の講談師や脚本家の創作によるものがほとんどらしい。

 周辺の山林を含め約5万7千坪が保存公開されている広大な敷地内で特に印象的なスポットは、大きな鯉が泳ぐ
桃源(入口近くの池)、居間として使われた御座の間、水戸城からの使者などが通った西山荘の表門であった突上御門、わずか3畳位の狭い書斎そして輝くような新緑に覆われた周囲の山林など。


 
          −−−−− 西山荘三景 −−−−−
   

      桃源         突上御門    御座の門、左端は書斎

    −−− 景観の会の集合写真 −−−

   
     桃源          櫟門付近      御座の間と筆者

 
ところで、副将軍で思い出すのが、自民党の故後藤田正晴元副総理(1914〜2005)。哲学と信念の政治家と言われ、なって欲しくない、賞味期限の短い首相が多い近年、ぜひ首相になってもらいたい副総理であった。有名な「後藤田五訓」を紹介する。

―君は大蔵省出身だろうが、外務、警察出身だろうが出身省庁の省益を図るなかれ。省益を忘れ、国益を想え。省益を図ったものは即刻更迭する。
∋笋聞きたくもないような、悪い、本当の事実を報告せよ。
MΦい魄覆辰動娶具申せよ。「こういうことが起きました、総理、官房長官、どうしましょう」と言うな。そんなこと言われても神様ではない我々、何していいかわからん。そんな時は「私が総理なら、官房長官ならこうします」と対策を進言せよ。そのために君ら三十年選手を補佐官にした。地獄の底までついてくる覚悟で意見具申せよ。
ぜ分の仕事でないと言うなかれ。俺の仕事だと言って争え。領海侵犯をし合え。テキサスヒットを打たれないようお互いにカバーし合え。
シ萃蠅下ったら従い、命令は実行せよ。大いに意見は言え。しかし一旦決定が下ったらとやかく言うな。そしてワシがやれというたら、来週やれと言うことではないぞ。いますぐやれと言うとるんじゃ、ええか。

 西山荘のレストランで幕の内弁当の昼食を済ませた午後は、常陸太田の鯨ヶ丘と呼ばれる旧市街を散策した。JR常陸太田駅を後にして北方向に坂道を上がって行くと、台地になっている鯨ヶ丘の商店街に出る。鯨という風変わりな名前の由来はこの台地が鯨の背に似ていることからのようだが、他にもっと適切な由来があるような気もする。

 さて、町はまるで時が止まったかのようで、スロータウン鯨ヶ岡の景観散歩をブラブラしながら楽しんだ。極端に古くもなく、またモダンでもない町並みは、むしろ平々凡々であった。敢えて言えば、見逃せないのは時計店と醤油工場ぐらい。

 
 大和田時計本店のシンボルは112年間ずっと時を刻み続けてきた大時計で、高さは2m50cmほどもある。丈夫な南洋材を使った本体の彫刻が見事で、欧州製のパーツもオリジナルのままで交換していないとの由。コレクションマニアの筆者にとっては、是非とも欲しい逸品だ。
 次にヨネビシ醤油は順天堂病院の基礎を築いた佐藤進男爵の生家で、創業は1800年(寛永12年)直径3m、高さも3mある巨大なもろみ仕込み木桶が約30も並ぶ光景が圧巻で、東日本大震災にびくともしなかった堅固な建物にも感心した。工場見学後はお土産にと、夏場よく食べる大好物の冷麦用の醤油を買った。他に、約260年前の宝暦年間創業のマンゴク醤油醸造元、立川醤油店にもちょっと立ち寄った。
 
 ほかに、ひと気の無い無機質な佇まいの板谷坂、1個100円で買った鯨焼きが名物のクジラ屋、色鮮やかなタイのお土産品など売るタイ女性のお店も印象に残った。
            
              −−− 常陸太田市の鯨ヶ丘 −−−
  
   板谷坂   九尺桶がずらりと並ぶヨネビシ醤油 大和田時計店と筆者
           (インターネットより転用)

 鯨の背状の台地は確かに稀有のようである。245国・地域を訪問済みの世界の旅人として、外国でこのような地形の都市は無いものかと常陸太田市内を立ち去るまでずっと思い巡らしたが、すぐには思い出せなかった。

 
 帰りの車中でやっと思い付いたのが、1998年1月に訪れたポルトガルのオビドスリスボンから北へ90kmほど、人口が1000人足らずの美しい小村だ。イスラム時代に造られた城壁に囲まれた丘の上にある村は、静まり返った「谷間の真珠」と呼ばれる。一幅の絵を観るように美しく、中世そのままの佇まいを残す。起伏のある細い道の両側には外壁が真っ白で屋根が赤い家々が並び、時々青と黄が鮮やかな外壁の建物を見るとふと立ち止まる。花で飾られた小窓、アイアン・レースの看板が掲げられた店先、路地裏で日向ぼっこする老人達など、素朴で可愛らしいポルトガルの一地方の原風景が広がり、ぶらぶら散歩するだけでも楽しい。
 因みに、哀愁を帯びたファドが印象的な首都リスボンは、36年前の1976年7月の初訪以来3回も訪れた大好きな都市だ。大西洋に注ぐテージョ川沿いの港町は坂道が多い丘の街だが、その丘が7つもあるので「7つの丘の街」と呼ばれる。これら坂を上り下りするケーブルカーと市電が名物で、常陸太田のイメージからは程遠い。

 2001年9月に旅したカルカッソンヌも忘れ難い。フランス最南部のピレネー山麓にある、欧州最大の城塞を持つ城郭都市で人口は約4.6万人。ブドウ畑に囲まれた高台に威風堂々と聳えるのがヨーロッパ最大の城塞シテ。築城はローマ時代に遡り、その後ゴシック様式やルネサンス様式が採り入れられた。下町を流れるオード川に架かる旧橋から眺めるシテの景色が美しいが、最高に輝きを増すのがライトアップされた夜景。暗闇に全長3kmの城壁のイルミネーションが浮び上り、幻想的な神秘さに言葉を失った。立派なオード門とナルボンヌ門から城塞内に入ると曲がりくねった細い坂道が続き、まるで中世にタイムスリップしたよう。

 2005年3月に早春のイタリアをほぼ全周したが、その際に丘の上の町々に立ち寄った。例えば、ローマから車で1時間、ウンブリア州にあるイタリア・ゴシック様式を代表する壮麗なドゥオーモが有名な
オルヴィエートトスカーナ州にある人口約7000人の小さな町だが、「トスカーナのマンハッタン」と呼ばれる塔一色の町サン・ジミニャーノアドリア海から内陸に深く分け入った標高500mの丘の上にあり、「聖母の画家」とも呼ばれたルネッサンス期の天才画家ラファエロを生んだウルビーノなど

 上記の場所はいずれも常陸太田に少し似た雰囲気はあるが、鯨の背のようなズバリ同じと言う台地ではなかった。切り立った断崖を持つ丘の上にあり、堅固な城壁に囲まれたものが多く、むしろ男性的な城塞都市の風情である。

 もし、愛読者の皆さんの中で、国内外を問わず鯨の背状の台地や丘の上にある町をご存知の方がいれば、是非ご一報願いたい。

  
ポルトガル:オビドス フランス:カルカッソンヌ イタリア:オルヴィエート
             シテの幻想的な夜景と筆者      を上空より俯瞰


 午後5時過ぎ我孫子に戻ってきたが、合計4時間ほどのウォーキングも堪能した小旅行は、運動不足がちな筆者に格好のトレーニングになったようだ。
 この10年ほどは毎回1ヵ月以上の長い海外旅行が多かったが、過日後期高齢者になった年を考えると、今後は手軽な国内のミニツアーに極力参加して行きたい。

 それにしても今回の景観散歩が楽しかったのは、お世話して頂いた我孫子の景観を育てる会の5人の幹事さん達のお陰である。何度も用意周到な準備を重ね、2回も現地を下見したと聞く。
 伊藤紀久子副会長はじめ4人の女性幹事達に加え、1人だけ男性幹事の飯塚三雄さんが行き帰りの車中などで旅のムードを盛り上げて頂いた。同氏はなかなかユーモラス且つユニークな御仁で、「景観亭三遊(or 三雄)」なる芸名がピッタリと思うが、ご本人は如何であろうか?!
 
 因みに、景観を育てる会には他にも一芸に秀でた会員さんが多数おられる。本人にとって迷惑でない限り、今後機会があれば紹介したいと考えている。

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ 


筆者のプライベート・ミュージアム、世界の人形館
は、245カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、壷、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを展示しています。

 特に、万華鏡は次の通りイベント「世界の万華鏡展」を開催中です。
 展示品の作家:村越通浩など(日本)、マッシモ・ストリーノ(イタリア)、
ジュディス・ポール&トム・ダーデン(アメリカ)、モニカ&ユーリッヒ・カール(ドイツ)、マーク・チックル(イギリス)、ロイ・コーエン(イスラエル)等多数。
 
期間:〜2012年6月30日(土)まで  
 ●
場所:世界の人形館(我孫子市我孫子2−3−1026)
  
アクセス:JR常磐線・千代田線我孫子駅北口徒歩約6分
 ●
入館料:無料(慈善活動のため)、ただし予約必要
  グループ見学7名以上の場合で村越氏の都合が付けば、簡単な万華鏡講座をお願いする予定。

 

 ご興味ある方はご遠慮なくご来館下さい。お待ちします。但し、セキュリティなどのため、下記要領で予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又は Eメール: 
ko-yasu@maple.ocn.ne.jp


 Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved 

| 国内旅行 | 01:10 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
PR
PROFILE
LINKS
CALENDAR
S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
新着コメント
  • 2018 FIFAワールドカップの舞台ロシアの旅−モスクワの今昔
    高 (06/25)
  • 2018 FIFAワールドカップの舞台ロシアの旅−モスクワの今昔
    相子 (06/24)
  • 米朝首脳会談の舞台セントーサ島と我が総理の外交に想う
    高 (06/20)
  • 米朝首脳会談の舞台セントーサ島と我が総理の外交に想う
    相子 (06/19)
  • 史上初の米朝首脳会談が開催されるシンガポールの今昔
    高 (05/19)
  • 史上初の米朝首脳会談が開催されるシンガポールの今昔
    相子 (05/18)
  • 14年ぶり首相に返り咲くマハティール氏とマレーシアの旅(3)
    高 (05/11)
  • 14年ぶり首相に返り咲くマハティール氏とマレーシアの旅(3)
    相子 (05/11)
  • It's Sho-Time ! 二刀流の大谷翔平選手が活躍するロサンゼルスを懐かしむ
    (04/16)
  • 81歳と春の花と国会混迷
    高 (04/16)
MOBILE
qrcode