世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
ヨーロッパ最後の独裁国家ベラルーシの旅
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 ロシアとポーランドに挟まれた国、ベラルーシはヨーロッパ最後の独裁国家と呼ばれ、最近大規模なデモが続いている。その原因となったのは、今月9日に行われた大統領選挙。26年間の長期にわたり大統領を務める現職のルカシェンコ氏(65歳)と、対立候補の037歳の主婦が争った。選挙前の予想では、対立候補が優勢だったようだが、いざ発表された選挙結果はルカシェンコ大統領の圧勝であった。そこで、納得しない国民は選挙で不正があったと抗議し、ベラルーシ独立後最大となる抗議活動に発展した。

 

 1991年に旧ソ連から独立後、1994年に大統領になったルカシェンコ氏は隣国の後ろ盾のロシアを大胆に批判したり、欧州連合(EU)に接近したりするなどコウモリ外交外交を続けて来た。そのため双方から愛想を付かされたため国内経済は低迷し、悪化するばかりであった。更に新型コロナ

ルカシェンコ大統領                  (ネット転用加工)

ウイルス感染拡大についてもロックダウン(都市封鎖)を拒否し、三密を助長するような戦勝記念日のパレードも強硬するほど。そのなりふり構わない姿勢に、欧州の大半の国々は厳しく批判している。

 

 そんな話題の国、ベラルーシを筆者は2001年7月に訪れている。その旅の模様を紹介しよう。

 

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 成田を飛び立ってモスクワ経由で、深い森と400の湖を持つが原発事故の被害が大きいスラブ民族発祥の地ベラルーシの首都ミンスクに着いた。国土面積20万7595k屬脇本の半分強で、人口は約940万人。かつては白ロシアとも呼ばれた。モスクワから西690kmほど、ベラルーシーのほぼ中央に位置する、人口約190万人の首都。ロシアなどの旧独立国家共同体(CIS)の本部がある水と緑が豊かな近代都市で、ヴァイキング時代からバルト海と黒海を結ぶ交通の要衝や貿易の中継点として栄えた歴史がある。モスクワとワルシャワを中間にあるため、昔から戦乱の度に軍隊が往来して戦火の地となった。

 第二次世界大戦でも徹底的に破壊され、戦前の面影を留める歴史的な古い建物がほとんどない。しかし戦後完全とも言うべき都市計画に基づき復興された街並みは、緑が多くて整然としている。端正な建物が多い中で、ひときわ目立つのが美しい教会だ。街中を流れるスヴィスラチ川を見下ろす丘の上に、美しい白亜の精霊大聖堂が建つ。1642年に建てられたバロック様式の教会で、内部は数々のイコン(聖像画)で飾られている。特に北側の礼拝堂に収められた聖母マリアと幼いキリストのイコンは、奇跡を起こすと信じる人が多いとか。

 

      −−− ミンスクの精霊大聖堂 −−−

 

 

 街の中心にあるネザヴィーシモスチ(独立)広場に建つ聖シモン・聖エレーナ教会は、赤レンガの建物が青空に見事に映えるが、カトリック教会なので内部にはイコンがない。市内ではほかに、戦前の家並みを復元したトラエツカエ旧市街区、ネザヴィーシモスチ(独立)広場、勝利の塔広場、アフガン戦没記念碑、スカリナ大通り、グム百貨店などを訪れた。

 

 

聖シモン・聖エレーナ教会  勝利の塔広場

 


 郊外では、約60km北の村にあるハトィニ第二次世界大戦記念遺跡に向かった。1943年3月22日ナチスドイツ軍が村を包囲して、老人・婦女・子供など149人を銃殺。かって農家があった所にコンクリートの鐘楼などが造られ、1分毎に電気仕掛けで一斉に鐘が鳴り重苦しい雰囲気が漂っていた。ほかに、ドゥドゥトキー村の野外民族博物館を見学し、ティプチ川岸を散策した。

 

 

 ハトィニ大戦記念遺跡   ドゥドゥトキー村の

              野外民族博物館

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 欧州連合(EU)はベラルーシ大統領選挙の結果を受け入れない姿勢を示したが、再選挙を求めることは控えた。ドイツのメルケル首相はルカシェンコ大統領に電話したが、連絡が付かなかったとか。ヨーロッパ最後の暴君の去就が今後とも注目される。

 

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世界で最も新型コロナウイルス感染死亡率が高いベルギーの想い出
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 世界では今もなお、新型コロナウイルス感染拡大の勢いが止まらない。ついに本日(6月29日)、感染者数は大台の1000万人を超え、死者数も50万人に達した。特に人口100万人あたりの死者数は、ヨーロッパ諸国やアメリカなどの先進国が上位を占め、中南米がこれに続く。一方、日本をはじめアジア諸国の死者数は欧米に比べ、約100倍の差、つまり2桁ほども少ない。斯様に欧米に比べて非常に少ないのは、彼の地では驚きを持たれ、一種のミステリーとして不思議がられているようだ。

 その原因などに就いては、生活慣習や文化の違いが挙げられる。例えば、我が日本では元々マスクを着用する習慣があったし、室内では靴を脱ぐ文化がある。またハグやキスという体を接触させることが少ないのも、飛沫感染や接触感染を抑えているようである。だが、これらの要因以外として、遺伝子の違い、BCG接種、交差免疫(過去に似たウイルスに感染して得た免疫)などが囁かれている。

 

 さて、本題に戻り人口100万人あたりの新型コロナウイルス感染死亡率が最も高い国はどこか、ご存じであろうか?それはアメリカではなく、イタリアやスペインでもない。実はベルギーで、100万人感染すれば837人も死亡している。一方、我が国はわずか7.5人で、ベルギーの実に100分の1以下である。そんな新型コロナ感染大国のベルギーを筆者は1975年8月の初訪以降3度も訪れており、うち2度は故人になった妻・長男・次男を引率した懐かしい家族旅行であった。その旅の模様は2016年3月23日付幣ブログ『連続テロがあったベルギーの旅』で紹介済み。一部重複するが、同国への旅を再び回想しよう。

 

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 国土面積は日本の約12分の1、人口は約1140万人の小国だが、3つの公用語が使われる多様性たっぷりのが溢れる国である。先ず、首都ブリュッセルだが、1000年以上の歴史を持つ古都には見所が多い。ハイライトは古色蒼然たる石畳の大広場、縦110m、横65mもあるグラン・プラス一帯に集中している。文豪ジャン・コクトーに「絢爛たる劇場」と言わしめるほど、この広場ゆかりの形容詞は多い。その中心が広場の南側に建つ、高さ96mの市庁舎。ゴシック・フランボワイヤン様式の壮麗な建物は15世紀に建てられ、内部ではマクシミリエンヌの間のタペストリーが見ものだ。
 ほかに目ぼしい建物として、市庁舎の対面に建つ王の家は市立博物館になっており、実際には王様が住んだことが無い。広場の東側にあるブラバン公爵の館、その西側にあるスペイン王が庇護したギルドハウス(同業組合)であったビール博物館も見逃せない。現在ではこれら建物の大部分は、レストラン・カフェ・チョコレート屋・銀行・事務所になっている。因みに、市庁舎の東脇の道を250mほど歩くと、左角にジュリアン君という別名を持つ小便小僧 が立っているが、意外に小さいので少々驚かされる。郊外では、13km南東にあるナポレオンゆかりの古戦場ワーテルローが必見だ。


    
  ブリュッセル:市庁舎    ワーテルローの丘    ブリュッセル:小便小僧前
(妻とのツーショット)                   1975年妻・長男・次男と


 ブリュッセルに次ぎ絶対見逃せないのが、88km西北郊外にある「フランドルの水の都」と呼ばれるブルージュである。カリヨンが鳴り響き観光馬車が行き交う古都は、ハンザ同盟の町として「北のベニス」とも称えられる。この水郷に足を踏み入れると、時の流れを止めてしまったようなタイムスリップを覚える。「橋」を意味するブルージュはその名の通り、縦横に巡らされた運河に50以上の美しい橋が架かる。水都の中心にあるマルクト広場はヨーロッパでも美しい広場として5指に入り、その周りには47個のカリヨンがヨーロッパ随一の音色を響かせる市庁舎、町のシンボルになっている高さ88mの鐘楼を切妻屋根の建物が囲むようにして建つ。
 運河の写真を撮るなら、市庁舎裏の運河付近が一押しだ。町の南外れのベギン会修道院は、1245年フランドル伯夫人によって設立され、15世紀当時の修道服を身にまとったベネディクト派の修道女がひっそりと質素に暮らしている。この修道院のすぐ近くにロマンチックな愛の湖公園が広がり、豊かな緑に包まれた湖に白鳥が戯れる光景はまさに一幅の絵を観るよう。他界した妻と一緒の散策が忘れ難い。


 ブリュッセルの北西55kmほどに位置するゲントは、「青い鳥」の作者メーテルリンクの故郷として知られる。ブルージュのライバルとして張り合っただけに、多少似たところがある。20の島に70もの橋が架かるほど運河も多い古い町だが、東フランドル地方の中心都市として市街地規模は大きく現代的だ。最大の見どころは、16世紀に完成した旧市街にある聖バーフ寺院。数々の有名なフランドル絵画が収蔵されており、特にファン・アイクの祭壇画「神秘の子羊」が有名だ。町のほぼ真ん中を南北に流れるレイエ川の川岸沿いの通りには、中世の栄華を伝える壮麗なギルドハウスなどが建ち並び壮観である。


   
  ブルージュ:運河の畔    ゲント:ギルドハウス   ディナン:ムーズ河畔


 ブリュッセルの南東約82kmに位置するディナンは、北海に注ぐムーズ川沿いの町である。この川が造った絶壁の下に細長く開けた町は、断崖の下から見ても上から見ても美しい絵葉書のように風光明媚だ。ロープウェイで高さ100mの切り立つような断崖を上ると、1050年に築かれた城砦シタデルに着く。17世紀以降波乱に富んだ血なまぐさい歴史がとても信じがたいほど、ディナンの平穏な町並みと悠々と流れるムーズ川の大パノラマが広がる。それは息を呑むほど絶景である。断崖を下りてムーズ川の左岸(西側)を歩くと、対岸に建つノートルダム教会 がひときわ人目を引き、タマネギ型の尖塔が美しい。その背後に堅固なシタデルが堂々とそびえる。

 

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 1830年にオランダから独立したベルギーはフラマンとワロンの両民族が言語対立を繰り返しながら、現在の「ヨーロッパの心臓」とも呼ばれる地位を得た。27カ国が加盟し、総人口が約4億4700万人の欧州連合(EU)は、ブリュッセルに本部を置いている。ベルギーを抜きにしてヨーロッパの魅力は語れない。

 

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新型コロナウイルスの感染者が急増するイタリア北部を想う
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 新型コロナウィルス感染症が各国に広がり、今や南極を除く全大陸で感染者が出ている。感染者数は19万人近く、死者は7800人超だ。中国に遠慮していた!?世界保健機関(WHO)も重い腰を上げ、先日やっとパンデミック(世界的大流行)を宣言した。感染者数は多い順に、中国が80881人、イタリアが31506人、イランが16169人、スペインが11178人、韓国が8320人。死者数は、中国が3226人、イタリアが2503人、イランが988人、スペインが491人などとなっている。

 

 中国・武漢に端を発した新型コロナウィルス感染の中心は、中国からヨーロッパに移った。特にイタリアは急増し、同国政府は4月3日まで全土で外出を控えるよう求める措置を打ち出した。ヨーロッ

  散としたミラノのガレリア

パではスペインやフランスなどでも日本以上に感染が拡大中で、陸続き国家が多いのがコロナウィルスの絶好の餌食になっているようだ。その昔ペストやスペイン風邪がパンデミックになった歴史があり、危機感を煽っているよう。


 イタリアで集団感染が多いロンバルディア州は北部にあり、イタリア第2の都市ミラノをはじめ、北にはマッジョーレ湖やコモ湖などの美しい湖水地帯、南へ行くと丘上の芸術都市ベルガモや北イタリア・ルネッサンスの中心になったマントヴァ、ポー河流域では長閑な農村地帯が広がる。都会と田舎の両方の魅力がミックスした州だ。ミラノは1974年の初訪以降5度も旅しており、文化・芸術の香りが高いファッションの街だ。魅力的な見どころも多い。

 

                     −−− ミラノ −−−

 

大聖堂(ドゥオーモ)広場 ヴィットリオ・エマヌエーレ

             2世のガレリアを背にして

 

マントヴァの中心を俯瞰 ベルガモのヴェッキオ広場

 

 なぜイタリアで感染が拡大するのか?同国は中国の巨大経済圏構想「一帯一路」に昨年参加し、民間レベルでも人の往来が頻繁で、中国との関係を指摘する向きもある。アドリア海に臨むトリエステ港は一帯一路のヨーロッパの玄関口になっており、2005年に訪れている。詳細については、2019年4月2日付け幣ブログ『イタリアが参画する中国の一帯一路とトリエステ慕情』で紹介済みだ。

 

 

  マッジョーレ湖畔     トリエステ港で

 

 人類の歴史は感染症との闘いの歴史とも言われる。感染症のパンデミックとしては、多数の死者が出た14世紀や17世紀のペスト、1918年〜19年のスペインかぜなどがある。今世紀のグローバル化が進む社会では、感染症が流行ると一気に世界で猛威を振るいかねない。近年は様々な病原体の発見とワクチン開発により、対策はそれなりに追いついているようだが、新型コロナウィルスがきっかけでグローバル不況にならないよう祈念したい。

 一方、我が安倍晋三首相はイベントの自粛を度々求めるが、真意はオリパラ開催を意識したものと推量する。株価は暴落しており、このままズルズル行けば倒産が急増し、自粛要請は毒薬にもなりかねない。この点に関する担保を十分斟酌した上なのであろうか?一方、新型コロナウィルスの感染拡大につれ、SNSやネットから広がったデマなどの誤情報が社会混乱を引き起こしているのではなかろうか?要は、パンデミックを正しく、冷静に恐れることであろう。換気を良くし気分転換を図るためにも、時々外出もしたいものである。

 

後記

 イタリアの感染拡大は中国を上回り、感染者数は9万人超、死者数は1万人を超えて共に世界で最多国になった(3月28日)。
 

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パスポートを売る地中海の島国マルタの旅(1)
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 裕福な外国人をターゲットにし、パスポートを売る国がある。欧州連合(EU)の参加国で、地中海に浮かぶ小さな島国マルタである。外国の有能な人材を獲得して経済の活性化を目指すため同国は、2014年に特別に外国人に市民権を与えるという思い切った政策を始めた。それは「個人投資家プログラム(IIP)」と言い、マルタのパスポートが得られるので「ゴールデンパスポート制度」とも呼ばれる。因みに、同様な制度は2008年の金融危機後に、キプロスやブルガリアでもあった。

   マルタの人口は僅か50万人で、我が国では最小人口の県である鳥取県よりも少ない。また、天然資源にも恵まれず、競争力のある産業は観光を除けばほとんど無い。斯様に豊かでない小国だが、先述の制度の導入で近年は好景気に沸いているとか。市民権を得た外国

人がオフィスを構え、工場を建設し、さらに投資をしているのだ。お陰でマルタのこの5年間の経済成長率は5〜10%を達成し、EUの平均1〜2%を大きく上回る。

 

 だが、このプログラムは誰でも応募できるほど容易ではなく、条件は相当厳しいらしい。たとえば、65万ユーロ(約7800万円)の寄付のほかに、35万ユーロ(約4200万円)以上の不動産物件を購入するか、あるいは年間家賃1万6000ユーロ以上(約190万円)の物件を借り、さらにマルタに1年以上住んでいることが要求される。それでも人気があるのは、マルタの市民権に加えEUの市民権も得ることができ、ビザなしでドイツやフランスなどEU内を自由に移動できるからだ。また、EU内であれば、投資活動も制約を受けずに自由にできる。

 上記のような恩恵を受けようとする応募者は、中国、ロシア、中東の出身者が多いとの由。いずれもビザ取得で制約があり、海外渡航の自由度が低い国の出身が多く占め、彼らがマルタ・パスポートに魅かれるようだ。ただ、この制度を悪用するケースもあるとか。たとえば、マネーロンダリング(資金洗浄)や税逃れ、スパイが紛れ込んでEUの安全保障を脅かすなどである。今後は審査を厳しくする動きもある。そんなマルタを、筆者は1997年11月に訪れているが、マルタの中心、マルタ本島の旅の模様を紹介しよう。

 

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 イタリアのシチリア島の南93kmほどに浮かぶマルタは、日本の淡路島の半分ほどの小さな島国だ。その中心はマルタ本島の東部にあるヴァレッタ。濃いハチミツ色に輝く人口9000人の首都で、「宮殿の町」とも呼ばれる。16世紀オスマントルコの攻略に備え、聖ヨハネ騎士団がセベラス半島の岩稜の上に築いた難攻不落の堅固な城塞都市である。1980年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。マルタ・ストーンと呼ばれる蜂蜜色の石灰岩の建物が並び、バルコニー風の出窓がこの町の建物を特徴付ける。入江深く築かれた城塞都市は、今もほぼ完全に昔ながらの姿を残す。マルタの見所の大半はこの町に集中し、ヴァレッタほどの規模と美しさを持った城塞都市は世界でもあまり類を見ない。

 

 

 ヴァレッタやスリーシティ   ヴァレッタの中心

     を俯瞰

 

 特にバラッカ庭園から一望すると、眼下のグランドハーバーや、対岸のスリーシティのヴィトリオーザ・セングレア・コスピークア3つの町並みの眺めが壮観だ。1573年から1577年にかけて建てられた聖ヨハネ大聖堂は、豪華な壁画や床一面に敷かれた大理石のモザイクに圧倒される。礼拝堂には天才画家カラヴァッジョの傑作、聖ヨハネの斬首がある。1570年から10年にわたり建てられ、かっての聖ヨハネ騎士団の栄光が偲ばれる騎士団長の宮殿は、武器庫や大きなフランス製のタペストリーなどが見逃せない。

 

 

 バラッカ庭園からスリー       騎士団長の宮殿で小学生や

  シティを背にして      先生に歓迎される

 

 島の南海岸にある青の洞門ブルー・グロット は、荒波と強風でえぐられ大きなアーチを描く。水中にゆらめく海藻の輝くばかりの燐光を反射して幻想的美しさを見せる。迫力十分な景観は、遊覧ボートから見上げるとなお一層良い。

 島のほぼ中央に位置する古都ムディナは「沈黙の町」とも呼ばれ、くねくねと伸びた細い路地が多くアラブの香りが漂う。13世築のシチリア・ノルマン様式の大聖堂、マルタ島北部が見渡せるタスール広場の城壁、1370年に建てられたマルタで最も古い貴族の館インガネスの家、ギリシア門、保塁広場、隣町の門前町ラバトなどを訪れた。

 

 

 青の洞門ブルー・グロット  ムディナの大聖堂前で

 

 マルタ観光の必見スポットはヴァレッタに多いが、もう一つはマルタ本島の北西6kmにあるゴゾ島である。この美しい自然に囲まれた島については、次回に詳述しよう。

 

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 間もなく83歳になる筆者も20〜30歳若ければ、マルタのパスポートを取得してEU市民になりたいのだが・・・。

 

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ラグビーW杯2019で注目されるアイルランドの旅(1)
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 今や国内で最も熱くなるスポーツと言えば、ラグビーの第9回ワールドカップ(W杯)であろう。最初の対ロシア戦に勝利した我が日本チームは続く2戦目で、なんと優勝候補のアイルランドを19−12で破ったのである。過去9度の対戦で全く歯が立たなかった相手で、10回目の試合で初めて勝利したジャイアントキリング(大番狂わせ)だ。この2連勝でA組の首位に立ち、悲願のベスト8入りが濃厚になって来た。ラグビーの丸くないボールと同様に、試合のルールも他のスポーツに比べ複雑である。だが、それも忘れさせるほど興奮させる、意外に面白い競技のようだ。

 さらに興味深いのは、日本チーム31人中、15人外国人選手であることだ。特にニュージーランドランド出身のリーチマイケル主将は、古武士のような風格がある。大相撲も外国人が多いが、それを上回り最も国際化が進んだチームと言えよう。

 一方、日本に負けて却って注目度が上がったアイルランドだが、実はアイルランド共和国だけの単独チームではないのである。チームの中にはイギリス領の北アイルランドの選手もおり、 両者の統一

チーム(写真)なのだ。試合前に選手たちが歌ったのはアイルランド共和国の国歌でなく、代表チームの歌「アイランズ・コール」であった。

 

 私ことワールド・トラベラーは、1975年8月と1999年7月〜8月にアイルランド共和国、2004年10月に北アイルランドを訪れている。今回は1999年に旅したアイルランド共和国の模様(前編)を紹介しよう。 

 

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 44 年前の1975年に訪れた時のダブリンは1000年以上の歴史と伝統を持つ街とは言え、ヨーロッパの最果ての首都という寂しいイメージがあった。しかし、久し振りに再会した街は従前の重厚さに加え、情報化時代に即応した活力が漲っていた。市街地の中心をリフィー川が東西に流れ、見どころは数ある歴史的な建造物が多い川の南側に多い。中でも絶対に必見は、ケルト文化・芸術の最高峰を有するトリニティー・カレッジだ。

 1592年にエリザベス1世により創設された由緒ある大学の目印は、正門を通り抜けて正面にそびえ建つ高さ30mの鐘楼である。その右に図書館があり、アイルランド最高の宝と呼ばれる「ケルズの書」などが展示されている。その壮観さに驚いたのが2階にある長さ65mのロングルームで、約20万冊の古い蔵書が高い天井までびっしりと積み上げられており見事というほかない。

 

    −− トリニティ−・カレッジ −−

 

  鐘楼を背にする筆者   ロングルーム

 

 カレッジから500mほど南に、「ダブリンのオアシス」と呼ばれるセント・スティーブンス・グリーンがある。広さ9ヘクタールとかなり大きく、四季を通じて美しい草花が咲き乱れる。ダブリンと言えば、ギネスである。独特なモルトの味とクリームに似た泡がきめ細かい黒ビール・スタウトで有名なギネス・ビールは、ここダブリンが発祥地である。カレッジから約2km西にあるギネス・ビール工場を訪れて製造過程など見学後、1パイント(568ミリリットル)の試飲を楽しんだ。

 

 

リフィー川とハーフ・ペニー橋 ギネス・ビール工場前

 

 ダブリンの西127kmほど、水の豊かな町アスローン の南近郊にクロンマクノイズ修道院 がある。545年に聖キアランが教会を建てて以来、タラの丘と同様に神聖な場所とされて7〜12世紀に全盛を極めた。後に英国軍に占領され、現在は一部分の教会跡が残るのみ。見ものは3つのケルトの十字架と、高さ19mもある2つの円塔。特に高さ3mもあるハイクロスという石造高十字架は、繊細に浮き彫りされ重厚さも持ち合わせる。近くにシャノン川が流れ、のどかで牧歌的な風景が広がる。

 

   −− クロンマクノイズ修道院 −−

 

    修道院の全景    ケルトの十字架と円塔

 

 アスローンから西へ向かうと大西洋に出る。沖合には、アランセーターの故郷で知られるアラン諸島が浮かぶ。アイルランドで最も人気のある観光地で、僻地だが観光客が多い。諸島の最大の島、イニシェモア島では、石灰岩の地に石垣が延々と続き、まるでミニ万里の長城のよう。石と石の割れ目には寒冷地の植物が可憐に咲き短い夏を彩る。因みに丹念に石を積み上げた石の壁は、動物達がよその土地に侵入して草を食べるのを防いでいる。ゴールウェイの西近郊にある小さな港町ロッサヴィールからフェリーに乗り、約20分で島の中心地キルロナンに着いた。

 島内観光のハイライトは、半円の古代遺跡ドン・エンガスの砦。埠頭から北西へ約8kmの村キルマーヴィから丘を上がる。約2000年前に造られた砦の先は大西洋に面する断崖絶壁で、海面から100m近い高さがあり、身もすくむ大迫力に圧倒された。だが折角のチャンスを逃すまいと、身を乗り出し崖上から荒波が押し寄せる海を見下ろし、命が縮みそうなスリリングな思いをした。ほかに見どころとして、有史以前の墓群がある聖キーラン修道院跡、7つの教会などがある。

 

          −− アラン諸島のイニシェモア島 −−

 

  ドン・エンガスの砦   砦近くの断崖絶壁を

                見下ろす筆者

 

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                  ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

 筆者は以下の要旨で講演します。

●主催:JAPAN NOW観光情報協会 Tel 03-5989-0902
●日時:10月11日(金)12:00〜14:00
●場所:海事センタービル2階会議室 Tel 03-3265-2961
東京都千代田区麹町4-5 東京メトロ有楽町線麹町駅2番出口より徒歩2分...
●演題:275カ国・地域を旅したワールド・トラベラーが語る『 新聞・テレビが報道しない世界の真実 』
 新聞やテレビなどのメディアが報道しない、驚くような『 世界の真実 』を世界の全ての国々を踏破して得た知見や体験などをベースに、他人様の情報をコピペしないノンフィクションを語ります。
例えば、近くて遠い北朝鮮と韓国、北方4島などの実効支配、温暖化で脚光を浴びるグリーンランド、火種が絶えない飛び地領、誇張された海外取材番組etc。

 講演に興味があり、お時間のある方は是非ご聴講下さい。お問い合わせ・申し込みはJAPAN NOW 観光情報協会へどうぞ。 

 

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275ヵ国・地域を制覇した82歳の一人旅(2)スペインの飛び地領メリリャ&セウタ
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 スペインの離島と言えば、カナリヤ諸島やマジョルカ島が有名である。筆者は2001年10月と2003年5月に夫々訪れている。では、モロッコ内、つまりアフリカにある飛び地領、メリリャとセウタをご存じであろうか?それを知る方は極めて少なかろう。過日6月17日〜25日に5年ぶりに海外旅行した訳だが、先ず最初に訪れたのが地中海に浮かぶイビサ島で、その旅の模様は6月30日 付幣ブログ『275ヵ国・地域を制覇した82歳の一人旅(1)イビサ島など』で詳述済みだ。今回はその続編を紹介しよう。

 

  イビサ島を出発して空路でマドリード経由で向かったのが、1995年に自治権を与えられたメリリャ。面積は20k屬如⊃邑は約8万人。東側は地中海に臨み、三方がモロ

コに囲まれた扇形をしている。スペイン領とは言え、モロッコ系の住民もおりイスラム色も感じる。モロッコが領有権を主張するが、スペインはその要求に応じない。アフリカ諸国からの亡命中継基地になっており、不法移民を防ぐためにモロッコとの国境に高さ6mの金属フェンスが張り巡らされている。最近の情勢は落ち着いているとのことだが、いつまで安定した状況が続くのであろうか気懸りではある。

 メリリャの中心地はビーチ近くにあるスペイン広場。この広場から北東に約5分歩くと文化広場があり、男の子たちがサッカーに興じていた。広場の北側にそびえ立つのがアルカサバ、15世紀末にスペインが築いた要塞である。その城壁は中々立派で、要塞は西側の新しい要塞と東側の新しい要塞から成る。その新旧要塞の間に美しい入江が深く切れ込み、言葉を失うほど絶景だ。また、要塞の南側は古い町並みが残る旧市街で、更に南下すると港に出る。

 

           ーーー 新旧要塞と入江 ーーー

 

 

 一方、スペイン広場から西に広がるのが新市街で、20世紀初頭に建てられた立派な建物が多い。また、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教・ヒンドゥー教の寺院が混在し、4つの宗教文化が見事に調和している。スペイン名物の闘牛場は広場から南西へ歩いて10分ほどにあり、入場しなかったが立派な外観はひときわ目立つ。

 

 

 文化広場でサッカーに       闘牛場

 興じる少年達と仲良く

 

 次にメリリャの西およそ250kmにあるセウタは、当初はタクシーやバスを乗り継いでモロッコ領内に入って向かうつもりであった。しかし、メリリャ到着後の調べで陸路は時間がかかるので、代わりにヘリコプター便があることを知り、高いが時間も節約できるので利用した。搭乗後1時間後にセウタに着いたが、その場所はなんと港の中にある狭い駐機場であった。機内から観たセウタは地中海に突き出た半島に位置し、スペイン本土に近い故か本国に似た町並みが眼下に広がっていた。面積は18.5k屐人口は約9万人とセウタとほぼ同じだがイスラム色は無い。セウタにも自治権が与えられている。

 

 セウタ観光の起点は細長い半島の付け根にあるアフリカ広場がオススメ。広場を囲むようにし、セウタ政庁、カテドラル、アフリカ聖母教会などの立派な建物が建つ。西へ約5分歩くと、高くて堅固な城壁とサンフェリペ壕がある。「セウタ地峡」とも呼ばれる最も幅の狭いところで、16世紀にポルトガル人が築いた城跡だ。その地峡にあるのが、サンフェリペ壕という美しい運河である。なお、城跡内には大きな広場があり、その一角に美術館がある。また、壕の南側には広い白砂のチョリージョビーチがあり、大勢の海水浴客で賑わっていた。このビーチ沿いの道を約3km南下するとモロッコとの国境があるが、意外に緊張感は無く国境職員たちと一緒に写真を撮った。

 

           −−− 城壁とサンフェリペ壕 −−−

 

 

 

    セウタ政庁      モロッコとの国境

 

 アフリカ広場から反対方向の東方、半島の最東端には標高204mのアチョ山がそびえる。ギリシャ神話「ヘラクレスの柱」とされ、山頂には城壁が残されている。近くに展望台があり、セウタの町並みと地中海を眺望でき見晴らしが良い。一方、広場から北へ10分ほど歩くと港湾地区になり、ヨットハーバーやマリティモ・デル・メディテラネオ公園という大プールがあるテーマパークに出る。この公園から南へかなり急な坂道を上がると、ヨーロッパ的な旧市街が広がり、いくつかの広場では夏休み中の子供たちがサッカーなどをして遊んでいた。

 

 

  アチョ山展望台    鳩と遊ぶ小さな男の子と

 

 短時間の滞在であったが、メリリャとセウタの観光を楽しんだほかに、地中海で獲れる海の幸も堪能した。定番のエビやイワシのほかに、セウタで賞味したスペイン語でバラダという魚、日本語で言えばクロダイのお味が忘れ難い。

 

 

  メリリャで食べたエビ  セウタで賞味したクロダイ

 

 セウタ観光後はフェリーでジブラルタル海峡を渡ってアルへシラスに着き、バスに乗り継いでコスタ・デル・ソル(太陽海岸)の玄関口、マラガに入った。同地での観光については、別途紹介したいと思っている。

 

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 この旅行前に私ことワールド・トラベラーが訪れた国・地域は272であったが、今回のイビサ島・メリリャ・セウタの3地域を加え275になった。早速だが、朝日新聞の記者が取材に来た。近々掲載予定だが、どんな記事になるのか楽しみである。

 

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275ヵ国・地域を制覇した82歳の一人旅(1)イビサ島など
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 6月17日〜25日、実に5年ぶりの海外旅行をした。それも82歳のかなり高齢の一人旅である。現地のホテルではチェックインの時にパスポート提示を求められるが、それを見たレセプションは一様に驚いた。年齢的には、父または祖父のような存在であるからだ。5年近く前に妻が今のところ不治の病とされる認知症で入院し、しかも2年前から延命措置を受けているため長期の外出による不在が許されない。加えて筆者自身がこの間に2度も手術し、特に昨年11月には末期直前の大腸がん手術をした経緯もあり、私ことワールド・トラベラーの海外渡航記録は272ヵ国・地域で終わると半ば諦めていた。

 しかし、一度しかない人生をこのまま終えるのは不完全燃焼となり悔いが残るため、妻の病院や知人などに根回して1週間程度の旅をすることを決意した。もちろん、知人らの中には筆者の体調などを考えて旅行の是非を問う声もあったが、手術後のリハビリも兼ねて旅に出ることを決断した。ただ、足元には不安があるので、事前のトレーニングが必要と考えた。そこで出発の2週間前からは毎日1〜2時間歩いたり、住んでいる10階のマンションのエレベーターを使わず歩いて階段を上り下りして鍛えた。

 

 目的地は地中海に面したスペイン本土ではない僻地であった。先ず、最初に向かったのが地中海に浮かぶバレアレス諸島の一つ、イビサ島である。成田空港か

らイベリア航空機に搭乗し、マドリード経由で島に着いた。諸島で3番目に大きく、面積は約572k屬覇本の淡路島とほぼ大きさだ。人口が13.3万人の島の歴史は古く紀元前10世紀に遡り、かつてフェニキア人の貿易基地であった。1960年代〜70年代はヒッピーが移住する楽園となり、その後は連夜パーティーが催されるパーティーアイランドとなり、現在は世界中からリゾート客やクラブファンが押し寄せるリゾートアイランドとして有名である。

 世界遺産になっている島内観光のハイライトは、島内最大の町イビサタウンにある旧市街だ。フェリーやヨットなどが停泊する港近くに土産物屋やレストランが軒を連ねるマリーナ地区、漁師たちが暮らすペニャ地区、城壁に囲まれたダルト・ビラ地区から成る。見どころはダルト・ビラ地区で、タウレス門から入り上って行くとサンタ・ルシア砦があり、旧市街や港が一望でき絶景だ。さらに坂道を上って行くとカテドラルに着き、展望台からイビサの町と港が見渡せる。また、町のあちこちの建物で、情熱的なブーゲンビリアが美しく咲き乱れ旅情を添える。

 

            −−− イビサタウン−−−

 

 マリーナ地区:港    マリーナ地区:大通り

 

    ブーゲンビリアが美しい旧市街

 

ダルト・ビラ地区:城壁 ダルト・ビラ地区:展望台

 

 カテドラルを頂にして建物が折り重なるような旧市街の風景を堪能するなら、港内巡りのボートツアーが一押し。港の北側で降りて約10分北西に歩くと、ディスコクラブで有名なパチャがある。午前0時〜6時の営業なので入場は断念したが、お店の外観はけばけばしく独特だ。ここから20分ほど北東へ進むと、一気に視界が開けたタラマンカ海岸に出る。ビーチの幅は数十メートルしかないが、大勢の海水浴客が甲羅干しの日光浴を楽しみ泳ぐ人はわずか。海水パンツに着替えて少し泳いだが、やはりがん手術の傷跡が気になった。

 因みに、イビサらしさを感じるのは夜10時過ぎで、レストランやバーなどは午前3時頃まで営業して大勢のバカンス客で賑わう。通りを歩く人たちの服装や化粧も一種異様で、不夜城の世界が広がる正に享楽の島である。お店の中にはシーシャと言う中東のイスラム圏でお馴染みの水タバコを置いており、現役時代にクウェート駐在の経験がある筆者も、イランなどで吸ったことがあるだけに懐かしかった。

 

 

   パチャ      ディスコバーで美女たちと

               歓談する筆者

   

 港より旧市街を俯瞰     タラマンカ海岸

 

 島の北西部に位置するイビサ第2の町、サン・アントニは、イビサタウンからバスに乗ること約30分で到着した。バスターミナルから西へ約5分歩くと、広場のようなフォンツ通りという遊歩道があり、噴水が見事である。この広場から100m南にはがあり、多数のヨットをはじめ様々な船が停泊し華やかな佇まいだ。この付近から西へ1kmほど行くと、断崖になった海岸に出て地中海が広がる。遊歩道を少し北進すると、チルアウト音楽を世界に広めたカフェ・デル・マールなどの有名バーやレストランが並び、印象的なサンセットを楽しめる。

 

    −−− サン・アントニ−−−

 

 噴水が美しいフォンツ通り  カフェ・デル・マール

 

 イビサ島滞在の最後に南沖合に浮かぶフォルメンテーラ島まで足を延ばした。イビサタウンの港から高速船に乗ること30分で島の玄関口、ラ・サビーナに到着し、バスで島内観光した。先ず最初に訪れたのが島の中心地サン・フランセスクで、次に向かったのが東端にあるモラ灯台。真っ青な海と荒々しい断崖絶壁とのコントラストが鮮やかだったが、バスに乗り遅れてヒッチハイクして向かったのがエス・カロ海岸。イビサ島と違い透明度が高く、エメラルドグリーンとコバルトブルーの海が息を呑むほど美しかった。

 

   −−− フォルメンテーラ島−−−

 

    (透明度が高いエス・カロ海岸)

 

  モラ灯台付近      イビサタウンで賞味したエビ

 

 観光に加えて豊かな海の幸にも舌鼓を打ち、エビやイワシなど賞味するグルメも堪能するイビサ島の旅であった。

 

                (続く)

 

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イタリアが参画する中国の一帯一路とトリエステ慕情
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 本日は朝からずっと待っていたことがあった。それは新元号の発表で、正午前に知らされたのは「令和」である。従来の元号は中国の古典からの出典であったが、今回は国書とも言うべき我が万葉集からの出典で、言わば初の国産元号となる。評価は種々あろうが、概ね良い新元号ではなかろうか。

 

 さて、我が国の改元にゆかりのある中国だが、2013年から同国の習近平国家主席の肝いりで始まった壮大なシルクロード経済圏構想「一帯一路」が、欧州連合(EU)をのみ込もうとしている。10日前の3月23日にイタリアのコンテ首相は、イタリアを訪問中の習近平国家主席と会談し、巨大な経済圏構想「一帯一路」に参画する旨の覚書に署名した。これはG7、いわゆる主要7ヵ国では初めての署名で、中国のヨーロッパ進出を加速させ、欧州連合(EU)の分断に油を注ぐ事態になりかねないとしてEUは警戒する。

 件の覚書は30ほどの分野で経済協力に合意し、イタリアが約70憶ユーロ(約8700憶円)のチャイナマネーを得ようというもの。さらに、地中海と中東欧を結ぶ拠点となるイタリアのトリエステ港の開発に対し、中国企業が参入する。実は覚書には既にEU加盟国の13ヵ国が署名済みで、例えばエストニア・ラトビア・リトアニア・ポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー・スロベニア・クロアチア・ブルガリアの中東欧諸国に加え、ポルトガル・マルタ・ギリシャも参画している。

 

 因みに、一帯一路は略称で、正式名はシルクロード経済ベルトと21世紀海洋シルクロードだ。中国語では丝绸之路经济带和21世纪海上丝绸之路、英語では The Silk Road Economic Belt and the 21st-century Maritime Silk Roadと言う。具体的に「一帯」とは、中国西部から中央アジア(カザフスタンなど)を経由してヨーロッパへと続く「シルクロード経済ベルト」を指す。また、「一路」とは中国沿岸部から東南アジア、スリランカ、アラビア半島の沿岸部、アフリカ東岸、地中海を結ぶ「21世紀海上シルクロード」を指す。一帯一路の構想ルートはいくつかあるが、下図が主要ルートである。

 

 

 

 具体的には、中国とヨーロッパの間にある中央アジア・中東・アフリカの国々では、道路・鉄道・港・通信網などのインフラが不足している実情に鑑み、これらを整備して貿易や交通を便利にするのが狙いだ。この目的に必要な資金を出すため、中国は2015年にアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立したほか、シルクロード基金と呼ぶ特別資金も用意している。要するに、一帯一路に参加する国々の間で、貿易の自由化や投資を推進することを目指しているのだ。

 

 中国が描くその戦略の核心は、一帯一路を媒介にして世界経済を牽引 or 制覇しようと言う野望であろう。よって主要国の一つと目されるイタリアが、一帯一路のメンバーになった心理的なインパクトは大きいと言えよう。一方、アメリカのトランプ大統領から関税見直しなどを迫られ、同様にアメリカの圧力を受けるEUへの接近を目論む中国の強かな戦略を垣間見ることができる。また、中国は多国間主義や自由貿易をアピールするが、これはヨーロッパが本来理念とするものと一致し、一帯一路の推進に自信を持っているようだ。

 

 今や参加国は123ヵ国まで増え拡大する一途だが、種々問題点があることも顕在化している。例えば、中国から融資を受けた発展途上国が莫大な債務を負わされ、借金の肩代わりとして土地を取り上げられるなど問題になっているのだ。特にパキスタン、スリランカ、マレーシア、ミャンマー、ジブチ、モルディブ、ラオス、モンゴル、キルギスなどでは深刻で、港湾の運営権などを中国側に譲渡する始末だ。

 今回のイタリアの参画で脚光を浴びたのが、アドリア海に臨む港湾都市トリエステだ。世界的に有名な水の都ヴェネツィアに近く、また隣国のスロベニアとの国境近くにある港町である。272ヵ国・地域を旅した私ことワールド・トラベラーは2005年3月に訪れており、その旅の模様を紹介しよう。

 

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 イタリア北東部にあるトリエステは、スロベニアとの国境まで僅か12kmに位置するイタリア東端の港町である。人口は約20万人で、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア自治州の州都だ。ヴェネツィアから東へ157km、急行電車に乗ること2時間ほどで到着した。古代ローマ時代に源を発する町の歴史は、他国との国境近くにあるため目まぐるしい変遷を遂げてきた。中世はヴェネツィアの支配下に入り、その後は第一次世界大戦までオーストリア・ハンガリー帝国の統治下で繁栄した。

 この大戦後にイタリア王国領となったが、第二次世界大戦後はユーゴスラビアと帰属を巡って紛争し、1947年には国連管理による「トリエステ自由地域」になった。その後1954年に取り交わされたロンドン覚書により自由地域はイタリアとユーゴスラビアに分割され、地域の北側をイタリアが併合して今日に至っている。複雑な歴史的背景や特殊な地理的要因により、言葉も民族も多様で一種独特の雰囲気がある。風光明媚なアドリア海に面した坂が多い港町は、イタリアの他の都市には見られない解放感も漂う。

 

 

 トリエステの市街地と港 港を散策するワールド・トラベラー

 

 東ヨーロッパとの国境にあり、歴史的に多くの民族や国家の支配を受けてきたトリエステだが、とりわけ近代で最も影響力が強かったのがオーストリアのハプスブルク家だ。オーストリアの影響を色濃く受けた街には、中世から現代に至るまでの貴重な歴史的建築物を見ることができ、特にバロックやネオクラシックの建物が多い。

 必見は、先ず街の中心にあり、優雅な建物が囲むウニタ・ディタリア広場(イタリア統一広場)である。トリエステ中央駅から海沿いに歩いて10分ほどにあり、トリエステで一番大きな広場だ。市庁舎や州庁舎、ヴェルディ劇場、旧ローイド・トリエスティーノ宮殿などの立派な建築物が広場を囲み、細かな装飾が施された建物群が美しい。

 

 広場の北側にあるヴェルディ劇場は、イタリアの大作曲家ジュゼッペ ・ヴェルディを称えて名付けられた豪華な歌劇場だ。オーストリア統治下の1801年に創設されてから現在までトリエステの文化イベントの中心となっており、世界的に有名なバレエやオペラなどの公演を鑑賞できる。建物の正面は窓や柱頭などの細かな装飾が印象的で、上演ホールのシャンデリアや天井のフレスコ画などの内装も息を呑む美しさだ。

 広場の南側に位置する市庁舎は1870年代に建てられたもので、正面にあるバルコニーはかつて独裁者ムッソリーニが演説した時に使われた。ヴェネツィア・トスカーナ・フランス・ドイツの各様式が取り入れられ、特に注目すべきは左右対称のデザインになっているファサードだ。またゴシック様式の窓なども特徴的で、中央の建物の上にある時計台は毎正時になると2 体の青銅製の人形が時計の鐘を鳴らす。

 

  

 市庁舎を背にしてウニタ・     ヴェルディ劇場

 ディタリア広場に立つ筆者 

 

 ほかに見逃せないスポットとして、ウニタ・ディタリア広場から南東約600mにあるサン・ジュスト大聖堂がある。ロマネスク様式の2つの聖堂が合体したもので、正面にはバラの形をした窓がはめ込まれている。内部はフレスコ画が描かれた天井や床のモザイクが目を引き、また傍にある15〜17世紀に築城のサン・ジュスト城からはトリエステ市内が一望でき絶景だ。

 一方、郊外ではトリエステ中心部から北西に8kmほど、アドリア海岸沿いに建つミラマーレ城がお勧めだ。19世紀に建てられた優雅な城は、外壁が白く美しいことから「白亜の城」として知られる。重厚で赤を基調とした豪華な造りになっている城の内装や、温室を含めた庭園も素晴らしい。

 

 さらに、カフェと言う意外な見どころがある。トリエステには素敵なカフェが多く、カフェ・サン・マルコなど150年以上もの長年にわたり多くの文化人たちに愛されてきた老舗カフェが街中に点在する。また、イタリアのコーヒーメーカーを代表する「illy」の本社があるのも、ここトリエステである。

 

 

       ミラマーレ城      カフェ・サン・マルコ

 

 「コーヒーの街」とも呼ばれるルーツは18世紀に遡る。当時の町はアフリカからヨーロッパに運ばれるコーヒーの経由地点として発展し、19世紀には多くのウィーン風のカフェが造られた。ドイツの詩人リルケなど各国の文豪が集まった国際的な「カフェの街」として発展し、今もその名残で素敵なカフェが多い。

 

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 世界的なスケールで一帯一路を主導する中国に対し、我が日本は環太平洋パートナーシップ(TPP)を主導る。だが、その規模から言えば、当初は参加予定であったアメリカが抜けたため、TPPは一帯一路の足元にも及ばない。一方、順風満帆のように見える一帯一路だが、同時にリスクも抱えているようだ。そのリスクヘッジのため、いずれ狡猾な中国は日本を誘い込むであろう。その時に日本政府はどのように対応するのか注視したい。

 

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国名変更で揺れるマケドニア紀行
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 マケドニアという国をご存知の方はごく僅かではなかろうか?。むしろ、アレキサンダー大王(紀元前356〜323年)ゆかりの地がマケドニア王国であることを知る識者のほうが多いのではと推察する。ギリシャの北に位置するバルカン半島の内陸国マケドニアの国名は古代マケドニア王国に由来するが、当時の領地であったギリシャにも同じ地名があり、マケドニア独立時から反発してきた。一方のマケドニア側でも、国名変更に反対して激しいデモが行われている。

 

 因みに、マケドニア王国は紀元前7世紀に古代ギリシャ人によって建国され、紀元前168年に滅亡した。その領土は現在のギリシャのマケドニア地方と中央マケドニア地方、1991年に旧ユーゴスラビアから独立したマケドニアのほかに、ブルガリヤや

アルバニアの一部にもまたがる。欧州連合(EU)や北大西洋条約機構(NATO)への加盟を目指すマケドニア政府は新しい国名を巡りギリシャと交渉中だが、国民には抵抗感が根強いようである。

 

 そこで、EUはマケドニアのEU加盟交渉に向け両国に協議を促し、両国は今年1月に国連の仲介で協議を再開した。マケドニアのザエフ首相は国名を巡るギリシャとの対立解消に向け、改称を受け入れる準備があると表明。今月中にギリシャのチプラス首相と会談し、新国名案で合意すれば国民投票を実施して最終決定する意向である。新国名として「北マケドニア」など4案が挙がっているとか。

 面積は日本の約15分の1の2万5713 km²、人口は約200万人の小国だが、最近のヨーロッパでは注目を浴びているマケドニア共和国を筆者は2003年6月に旅しており、その概要を紹介する。

 

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      首都のスコピエは旧ユーゴ諸国々の中でも最もトルコ文化の香りがする街で、人口は約70万人。ヴァルダル川がほぼ東西に悠々と流れ、15世紀に建造され13のアーチで支える長さ214mの石橋・トルコ橋が架かる。この橋から北へ400mほど歩くとオールド・バザールがあり、迷路のような通りに日用品などの店が並び庶民的で落ち着いた雰囲気が漂う。この市場の西にあるカレ城砦の丘は芝生が美しい公園で、11世紀の城塞跡が一部残りスコピエ市街のパノラマが楽しめる。

 展望ポイントは他にもある。例えば、南近郊にある標高1066mのヴォドゥノ山の頂にあるパンテレイモン修道院は、1146年の創建で赤レンガ造りの外壁が周りの緑と見事なコントラストを描く。ビザンチン壁画で装飾された内部は、ピエタ(聖母の嘆き)のシーンが素晴らしい。近くにあるレストランからは、スコピエ市街地や周囲の山並みがくっきりと眺望でき絶景である。

 

  

 スコピエ:トルコ橋が架かる     カレ城砦の丘  パンテレイモン修道院

  ヴァルダル川を散策の筆者   より市街地俯瞰

 

 スコピエから南西へ約100kmに位置するオフリドは、アルバニア国境にあり世界最古の美しい湖の一つに数えられるオフリド湖に面する。人口約3万人の小さな町だが、先史時代から人々が住み紀元前144年にローマ帝国の支配下に入ると、西のアドリア海と東のエーゲ海を結ぶイグナチア街道の拠点として繁栄した。3世紀にキリスト教が伝来し、9世紀末頃〜14世紀に360もの教会が建てられた。その後オスマン帝国の支配によりその多くが破壊されたが、澄み切った湖と壮麗なフレスコ画が共存する場所としていくつかの美しい教会が今も残る。

 その代表である14世紀築の小さな聖ヨハネ・カネヨ教会は、湖に突き出た崖の上に建つ。可愛い赤い建物が真っ青な湖に映え絵葉書を見るよう。町から約30km南、アルバニアとの国境近くにある聖ナウム僧院は900年頃に創建され、美しいフレスコ画が保存されている。珍しい白い孔雀がおり、清水がこんこんと湧き湖に注ぐ池がある。一方、オフリド旧市街の丘の上に堂々とそびえるサミュエル城砦は、11世紀にブルガリア帝国の皇帝によって建てられた。外壁の上を散歩すると360°のパノラマが楽しめ、オフリドの町並みと湖などが見渡せ最高の眺めだ。

 

  

オフリドの町とオフリド湖  湖畔に建つ聖ヨハネ・    サミュエル城砦

              カネヨ教会と筆者

 

 アルバニアと国境を接するマケドニア西部は、シャール山脈の険しい尾根が走り深山幽谷の世界が広がる。特に2つの美しいダム湖、マヴロヴォ湖とデバル湖.の間を流れるラディカ川は、V字型の峡谷を造り秘境の趣を呈する。この川の中ほど静かな山奥に佇むのが聖ヨハネ・ビゴルスキー修道院で、重厚な感じそのものの僧院だ。廊下の壁に描かれた鮮やかなフレスコ画や木彫りのイコン(聖画像)が残る内部が素晴らしい。因みに、リアス式海岸のような美しい景観が延々と続くデバル湖から流れ出た水はドゥリム川となり、ちょっとした海のようなオフリド湖に注ぐ。

 ところで、マケドニア出身の最たる著名人とは誰であろうか?それはマザー・テレサ ことアグネス・ゴンジャ・ボヤジュである。スコピエのアルバニア人の家庭で生まれた彼女はインドに渡り、カトリック教会の修道女として修道会「神の愛の宣教者会」を創立した。カルカッタ(現在のコルカタ)で貧民救済活動を行い、1979年ノーベル平和賞を受賞した。インドでは超有名だが、スコピエの中心にあるショッピングセンター近くでマザーテレサ像がひっそりと建つだけで、マケドニア人はさほど関心がないようであった。

 

  

  ラディカ川付近の筆者 イコンが見事な聖ヨハネ・ スコピエ市内に立つ

              ビゴルスキー修道院   マザー・テレサ像

 

 岩手県と秋田県を合わせたほどの小さな国だが、見どころが意外にあり、再訪したくなる魅力を秘めた国である。

 

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 国名変更しようとするのはマケドニアだけではなく、最近でも先例がある。2015年4月に、南コーカサスにあるグルジアがジョージアに改称された。マケドニアの国名変更によりギリシャとの関係が良くなれば、両国はハッピーとしなければならぬであろう。

 

後記

 マケドニア国内で「北マケドニア」に国名変更する手続きを終えたのを受け、ギリシャの議会は承認した。今後は国際機関などに国名変更が通知されるほか、マケドニアが求めてきた欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)への加盟手続きも進む見通しになった(2019年1月26日)。 

 

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スペインの火種、カタルーニャとバスクへの旅(1)
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 旧聞になるが、カタルーニャ自治州が昨年10月にスペインからの一方的な独立を宣言した。しかし、反発した中央政府に解散させられたカタルーニャ自治州議会の出直し選挙が昨年の12月21日に行われ、独立派が過半数を制した。スペインの中央政府はこの選挙結果を受けて対話をほのめかしたが、独立の動きがもたらした混乱がすんなりと収束するかは不透明。と言うのは、国外に逃れている独立の旗手プッチダモン前自治州首相が反逆などの容疑で逮捕状が出ており、帰国して州議会に出席することが困難であるからだ。

 一方、独立と言えば、スペイン北部のバスク自治州のほうが先輩格である。かつて武装組織「バスク祖国と自由(ETA)」が頻繁にテロを繰り返すなど、激しい独立運動があった。しかし、近年は独立を求める住民投票の実施を望む人たちは多くなく、カタルーニャの独立の動向には冷静である。この背景には、バスクが既にカタルーニャ以上の高水準の自治が認められているからだ。例えば、バスク自治州には、所得税や法人税を含むほぼ全ての徴税権があり、バスクは実質的に独立国と言えよう。

 

 ところで、カタルーニャ問題に対し、なぜEU(欧州連合)は沈黙を保つのであろうか?それはEUがカタルーニャと同様の希望があるその他の地域に、独立の門戸を開放したくないからであろう。EUとしてはこのカタルーニャ独立問題をきっかけに、スコットランド、北イタリア、フランドル地方、コルシカ島などにも広がりかねないドミノ倒し効果を何とか避けたい考えのようだ。

 

   独立を巡る問題で対照的な両自治州へは今は病床に臥す妻と一緒に何度も旅行しており、カタルーニャは1976年7月、1998年1月、2003年9月、バスクは2003年9月、2010年8月に訪れている。今回はカタルーニャの旅の模様を紹介し、バスクは次回としたい。

 

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 カタルーニャと言えばバルセロナになり、1992年夏のオリンピック開催で有名になった。マドリードから東北へ約620kmほどに位置し、1977年に自治権を獲得したカタルーニャ地方の中心都市だ。人口約160万人は同国第2の大都会で、地中海に面するスペイン最大の港町として活気がある。海と丘と燦々と降り注ぐ陽光に恵まれた街は、鬼才ガウディの斬新な建物が目立つ芸術の街でもある。その代表が100年以上も前に建設が始まったサグラダ・ファミリア(聖家族)教会で、ガウディの遺志を継ぎ現在も工事が続く。

 このほかにも、ユニークなガウディゆかりのものがある。例えば、市街地や海を見下ろす山の手にあるグエル公園は、蛇行した階段やトカゲの噴水などガウディ独特のデザインが見られ、幻想的な空間を生み出している。ラ・ペレドラ(石切り場)とも呼ばれるカサ・ミラは石を積み上げたような集合住宅だが、ガウディ最後の住宅建築で人工的な直線を嫌い、嵐の海面のような波打つ外壁が圧巻である。

 

        −−− ガウディの遺産建築物 −−−

  

         カサ・ミラ   サグラダ・ファミリア    グエル公園

            教会 右が妻、左が筆者

 

 ほかに、バルセロナで最も古いエリアに建つカタルーニャ・ゴシック様式の象徴カテドラル 前の広場は、カタルーニャ地方の民族舞踊「サルダーナ」の舞台になる。民族の団結を誓い合う踊りで、老若男女や旅行者まで入り混じり、音楽に合わせてステップを踏む光景は楽しげだ。斬新なモニュメントが立つファン・ミロ公園、見晴らしの良いモンジュイックの丘、旧市街の目抜き通りのランブラス通りも見逃せないスポットである。

 

 郊外でも必見のところがある。先ずバルセロナから北西53kmにあるモンセラートは、「のこぎり山」という灰白色の岩山の中腹(標高725m)にあるキリスト教の聖地である。バルセロナを出てなだらかな丘陵が続くが、しばらくすると忽然とニョキニョキと灰白色の奇怪な姿の岩山が立ちはだかる様にそびえ立つ。標高1235mのごつごつとした山の中腹に、カタルーニャ人信仰の聖地、モンセラート修道院が建っており、約80名の修道士が暮らす。ここを訪れる人々のお目当てはラ・モレネータと呼ばれる黒いマリア像で、カタルーニャ地方の人々の守り神として慕われている。ロープウェイで頂上に登ると、素晴らしいパノラマが広がる。

 

 

    モンセラート修道院    モンセラートの岩山を  リポールのサンタ・マリア

             背にする筆者と妻     修道院の石の聖書

 
  バルセロナの北約90kmにある
リポールは、カタルーニャ発祥の地として知られる。人口1.2万人の小さな町だが、かっては北カタルーニャ地方の学問・文化の中心として栄えた。フランスとの国境に近く、ピレネー山麓の谷間に佇む静かな町に、壮麗なサンタ・マリア修道院が建つ。880年に創建された修道院の見どころは何と言っても、約300年かけて12世紀に完成したと言われる正面扉口のロマネスク調のレリーフ群「石の聖書」だ。おもに黙示録・出エジプト記・列王記などが彫られ、中央上部には祝福するキリストが彫られている。その両側には2人の天使が従い、さらに両脇と下側に福音書を書いた4人の聖人達のシンボルが彫られている。このような彫刻を見たのは初めてで、圧巻としか言いようがない。

 

               ( 続く )

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 最近のヨーロッパはテロなども無く、全般的に平穏のようだ。だが、カタルーニャなどの独立問題が再燃すると、ヨーロッパの他の諸国にもその影響が波及しかねないであろう。例えば、スコットランドなどの独立がまた脚光を浴びよう。一瞬たりとも目が離せない情勢である。

 

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