世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
さまよえるイエメン難民と済州島
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 最近「世界最悪の人道危機」と呼ばれる内戦が続く国がある。それはシリアではなく、アラビア半島の最貧国イエメンである。国連などはイエメンの人道危機を世界でも最悪と指摘する。2015年3月頃に始まったハディ暫定大統領派とイスラム教シーア派の反政府勢力のフーシ派との内戦は、夫々の後ろ盾であるサウジアラビアとイランという中東の地域大国をも巻き込む。大国の代理戦争の場でもある構図は、アメリカ vs ロシアのシリアと酷似する。詳細は2017年12月19日付け幣ブログ『内戦が泥沼化するイエメンの幻想紀行(その1』をご参照。

 人口約2800万人のうち約1万人が死亡し、その約4分の1が幼い子供たちである。武装組織により徴兵された子供たちも、3000人近くにのぼるとか。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、イエメンから国外(サウジアラビア・オマーン・ソマリア・ジブチなど)への難民は約20万人で、国内避難民も約200万人に達する。さらに、長引く戦闘や空爆で食料品などが人々に届きにくくなり、2017年末の時点で約840万人が飢餓状態に苦しんでいる。

 

 さらにイエメンから国外に逃れた難民の一部は、韓国を代表するリゾート地の済州島まで押しかけて来ている。マレーシア経由で1万1000kmも離れた島へ、ビザなしでも入国できる済州島限定の特別な制度を利用して入島し、難民申請しようとするものだ。その数は500人を超え、支援する地元住民もいるが、韓国の世論は難民受け入れに不寛容でトラブルが相次いでいるようだ。

 因みに、我が日本の難民受け入れは、依然として鎖国状態にある。2017年の難民認定申請は1万9628人に対し、難民認定されたのは僅か20人で認定率は1000分の1という狭き門である。これほど難民受け入れに閉鎖的な国は世界でも珍しく、国際社会から厳しく非難されないのが不思議でならない。我が国のグローバル化、或いは真の国際化につき、大いなる疑念を持たざるを得ない。

 

 さて、成田から空路で約2時間で着く最も近い外国が済州島である。気候が温暖なところから別名「韓国のハワイ」or「東洋のハワイ」と称されるリゾートアイランドを、2004年5月に当時は元気であった妻と共に訪れている。その旅の模様を紹介しよう。

 

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 本土から約90km離れた韓国最南端の島は、人口は約65万人、面積1847k屬覇厩餾蚤腓療腓任△襦0貌θ湘腓魄豌鵑蠡腓くした広さの火山島は、全体的に沖縄に似た感じだ。暖流の対馬海流が運んで来る豊かな海の幸に恵まれるが、島の中央にそびえ標高が1950mもある休火山の漢拏山(ハルラ)は島の農業などを困難にした反面もある。古くは独立国・耽羅(タムナ)を名乗るなど、独自の文化・歴史・風俗を今も残している。

 

 島の最大都市は島東部にある済州市である。同市から東へ約45kmに、済州島を代表する景勝地、城山日出峰がある。まるで岬のように見えるが、実は約10万年前に島の最高峰ハルラ山の噴火口が海中にできたもの。城山日出峰の頂上までは、整備された階段などのトレッキングコースを登って行ける。40分ほどで階段を上り切りと、 高さ182mの頂上に着く。眼下は馬の放牧場になっており、緑の噴火口が広がり牧歌的だ。噴火口の深さは90m、東西約450m、南北約350mのほぼ円形である。

 

  

   ハルラ山の頂上    城山日出峰を俯瞰  妻と城山日出峰を背に

 

 頂上は360度の展望台のようになっており、ため息が出るほどの景観が広がる。海側は青々とした海と火山口に生えた草木の緑色とのコントラストが神秘的で、島側は遠く彼方にそびえたつハルラ山なども見渡せる。ここから西へ約20kmにはサングムプリ噴火口があり、ハルラ山の噴火によってできた巨大な穴がある。この噴火口から13mほど南東に向かうと城邑民族村があり、わら葺き屋根と石を積んだ島独特の家が建ち並び興味深い。

 

 島南部の西帰浦は人口約8万人の済州島第二の町で、この町の中心地から東へ歩いて約15分、切り立った崖から東シナ海に直接流れ落ちる正房瀑布が見えてくる。海に直接落ちる滝は韓国では唯一ここだけで、世界でも大変珍しい貴重な滝と言える。幅8m、高さ23mの落差はそれほど高くないが、優美な姿と数少ない海辺の滝がセールスポイントで観光客に人気がある。

 

    

     サングムプリ噴火口               城邑民族村                    正房瀑布

 

 また、この滝から西へ約15kmにあるのが天帝淵瀑布で、まるで天女の白い羽衣のように美しい。最初に高さ22mから深さ21mの池に流れ落ち、その下の第二、第三の滝に続いている。滝の上には7人の天女像を彫刻した仙臨橋と天帝楼という楼閣があり、ここから眺める滝は格別の美しさだ。一方、滝から海岸まで続く2kmの道には100余種の暖帯植物が自生している。

 

 島西部で見逃せないのは翰林公園で、ヤシの木が生い茂る南国ムードが溢れる済州島最大にして唯一のテーマパークだ。約10万坪の広大な園内に亜熱帯植物園、立派な椰子の木通り、開発中に偶然発見された溶岩洞窟の双龍窟 や石灰洞窟の挟才窟 、財岩民俗村、蓮の池庭園、サファリ鳥類園などがある。

 最も圧巻は済州石の盆栽園だ。ハルラ山の噴火で形成された溶岩や玄武岩の奇岩、そして樹齢300年のカリンも見どころである。公園前には白砂と溶岩でできた挟才海水浴場が広がり、作家、司馬遼太郎の記念碑もある。

 

 人口約30万人の島最大の町、済州市の中心は繁華街になっている中央ロータリー周辺だ。ロータリーから東へ約400m行くと、済州島最大の市場、東門市場がある。市場の表通りは色とりどりのフルーツを売る果物店が多いが、奥に入ると路地が迷路のように入り組んでおり、新鮮な魚介類やトルハルバン(火山岩を彫って作る守り神)を売る店がずらりと並ぶ。この市場から約1km南下すると三姓穴がある。済州島のルーツとされる耽羅の国を創始した三神人の神話が残る聖地である。

 

  

        −−− 翰林公園 −−−             三姓穴

     

 一方、西海岸にある龍頭岩という奇岩は、その名の通り龍の頭に似ている。ハルラ山から流出した溶岩が海で固まってできたもので、伝説のある岩は夕暮れ時が美しい。一方、約6km南郊外に耽羅木石苑というユニークな私設公園がある。敷地面積1万屬留狷發砲蓮奇妙な形の石や木の根っこなどが多数展示され興味深い。

 

 ところで四方を海に囲まれた済州島には、新鮮な海の幸を材料にした様々な料理がある。特にカルチ(太刀魚)、オクトム(アマダイ)、オブンジャッ(トコブシ)、チョンボッ(アワビ)など豊富な海の幸を使った鍋料理や汁物は、値段も手ごろで味も最高である。また、海産物以外にも、黒豚のオーギョッサル(豚の5枚肉)、キジ料理などの特産物がある。

 特に舌鼓を打ったのがキジのしゃぶしゃぶ・クォンヨリだ。クォンとはキジのことで、済州島の名物料理である。大侑狩猟場のレストランで賞味した脂身が全くないキジ肉のしゃぶしゃぶは、キジの骨で取ったダシ汁に、ネギ・シイタケ・セリ・ダイコンなどの野菜を入れて作る。あっさりとした味でなかなか美味かった。最後はオジヤで締めくくり、食後満腹で歩くのが困難なぐらいであったほど。

 

  

          龍頭岩     石苑のトルハルバン  キジのしゃぶしゃぶ

                         クォンヨリ 

 

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  まるでハネームーンを楽しんだかのようなパートナーの妻は、不治の病(認知症)に伏して4年近くになる。妻の病状を考えると、済州島での懐かしき夢のような想い出も遠く彼方に吹っ飛び、悲しく切なくもなる。

 

              ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

講演会のお知らせ
 

 筆者の ワールド・トラベラーこと癲々治が下記要領で講演します。お時間があれば、是非ご聴講下さい。

主催者:JAPAN NOW 観光情報協会

    『第146回観光立国セミナー』

日時:10月12日(金)12:00〜14:00  
場所:海事センタービル2階 会議室

         東京都千代田区麹町4−5  TEL 03-3265-5481  
演題:272ヵ国・地域を旅した

   ワールド・トラベラーが想う真の国際化
入場料:有料
お問い合わせ:観光情報協会事務局 TEL 
03-5989-0902 or

       世界の人形館 TEL 04-7184-4745
        E−MAIL  ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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| 世界の旅−アジア | 01:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
2018アジア大会の開催地ジャカルタとパレンバンの想い出
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 第18回アジア競技大会2018が、今月の18日からインドネシアの首都ジャカルタで始まった。当初はベトナムの首都ハノイ開催される予定であったが、ベトナム政府が財政難を理由として開催を辞退した。代わりにインドネシアのジャカルタとパレンバンで開催されることになったが、2都市での共同開催はアジア競技大会としては初めてだ。大会前半のハイライト種目では、競泳で池江璃花子選手など日本勢の活躍が目立ち、ライバルの中国とのメダル獲得争いは熾烈のようだ。

 前回のジャカルタ大会は筆者が若かりし頃の56年前に開かれたが、今でも少しだが記憶している。当時は17競技に約1500人が参加したが、今回は42競技に約1万1500人が競い夏季オリンピック並みの規模である。ホスト役の

 

ジョコ・ウィドド大統領は国・インド・アメリカに次ぐ世界第4位の人口大国としての自負をのぞかせ、2億6000万人の国民を鼓舞する。そこには将来オリンピック招致を起爆剤とする国家の飛躍を目論む戦略が明白であり、来年の大統領選挙で再選を意識しているのであろう。

 

 そんな将来性があるインドネシアに、現役時代の1979年〜1984年に商社マンとしてジャカルタに駐在したことがある。当時は同地をベースにして広大なインドネシア各地を回り、パレンバンにも出かけたことがある。また、2003年11月にも訪れているジャカルタに就いては、2015年3月23日付け幣ブログ『インドネシア紀行(1) ワールド・トラベラーのジャカルタ駐在』と2016年1月20日付けブログ『テロで想起したイスタンブールとジャカルタ二都物語』で紹介済みだ。今回はさらに詳述し、パレンバンに就いても簡単だが触れたい。

 

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 ジャワ島の北西部に位置し、東南アジアを代表する大都市として発展する首都ジャカルタは、1619年から1942年までのオランダ支配時代はバタビアと呼ばれた。その後1945年8月まで日本軍が占領してジャカルタと改称された。日本とも古くから深い繋がりがある街は、北部のジャワ海に近く華僑系が多い旧市街と、南部の官庁・ビジネス街や高級住宅地などがある新市街から成る。

 旧市街で店やレストランを営業しているのは大半が華人だ。街の北側はジャワ海に向けて扇を半開きにしたような形をしており、その中央をチリウン川が蛇行する。商業地のコタを核とする旧市街が広がり、運河がある辺りはオランダ植民地時代の名残りを留めており情緒がある。南下すると新市街があり、官庁街などが広がる街の中心モナス周辺と、高級住宅地やショッピング街になっている南のクバヨラン・バルに分かれる。さらに南東近郊には大きなテーマパークがある。

 

 

 モナスとムルデカ広場 テーマパークのタマン   コタ地区の中心 

            ・ミニで寛ぐ筆者

 ジャカルタ観光のスタートは新市街にあり、インドネシアのヘソとも言うべきモナスという独立記念塔が一押しだ。ムルデカ広場の中央に高々とそびえる通称モナスは、高さ137mもあり街随一のランドマークになっている。この広場付近には、東南アジア最大級のイスラム寺院イスティクラル・モスク、外観が優美なカテドラル、ジャワ原人の化石などが展示される国立中央博物館がある。

 この広場からハヤム・ウルク通りとガジャ・マダ通りを北上 すると、旧バタビア地区のコタ(町という意味)に入る。かってオランダの植民地貿易の中心地で、運河の国から来たオランダ人が掘った運河がいくつかある。華人経営の商店などが軒を連ね、所々に商館風の建物や運河の跳ね橋が残り異国情緒を盛り上げる。コタから約3km東にはアンチョールという総合娯楽遊園地にはゴルフ場があり、駐在時代はよくゴルフを楽しんだものだ。

 

 

イスティクラル・モスク  アンチョールのゴルフ場   コタの運河の跳ね橋

 

 一方、ムルデカ広場を出て新市街の大通り・タムリン通りとスディルマン通りを南下すると、スタジアムやゴルフ場があるスナヤンに入る。さらに南に向かうとジャカルタ南部の中心クバヨラン・バルに着く。ショッピング街のブロックMを中心にして高級住宅街が取り囲み、この付近には筆者も含め多くの日本人が住んでいた。

 ここから約10km南東にはタマン・ミニ・インドネシア・インダー、略称タマン・ミニというテーマパークがあり、週末は家族連れで賑わう。敷地内の中央に配した池にはインドネシアの各島が浮び、池の周りを各州の郷土館などが建ってインドネシア全体が俯瞰できる。数ある郷土館の中でも、スラウェシ島のトラジャ地方で船形の屋根を持つ伝統家屋トンコナンが抜きん出て異彩を放つ。

 

                                  −− タマン・ミニ −−

   

 タムリン通り付近     トラジャ館    妻・長男・次男と


 長さ1790km、幅最大435kmもあり日本より広いスマトラ島の南東部にあるパレンバンは、ジャカルタの北西約430kmに位置する。人口は100万人を超え、油田開発で発展する町である。町中を流れるムシ川によって南北に分かれ、両岸を繋ぐアンペラ橋は全長1117mもある。日本が戦後に賠償の一環として建設した橋は船が航行する時は橋桁が上昇する昇開橋で、この種の橋としては東南アジア最大級とか。

 この橋の下流約6Kmにクマロ島という三角州のような小島があり、島の中央に中国様式の見事な九重塔がある。この島はその昔中国の王子とシュリーヴィジャヤの王女のラブストーリーの舞台とされ、九層の塔のそばに生えている大木は「愛の木」と呼ばれ、そこを訪れると恋愛が成就すると言われる。ほかに、賑わう市場パサール、ムシ川河口近くにあるバンカ島などを訪れた。

 

 

  ムシ川とアンペラ橋    クマロ島の九重塔

 

  約5年間に及んだ駐在員生活で最大の想い出は、息子たちの教育の関係で強いられた単身生活であろう。しかし、筆者と同じ境遇の単身赴任者が数人集まって御殿のような豪邸で寮生活を送り、5〜6名の召使が何から何まですべて身の回りの世話をしてくれたので、特に不便さを感じることは無かった。さらに、勤務先から専用車と運転手を提供してくれ、平民出身の筆者としては、最初にして最後の王侯貴族の生活を満喫した訳だが、今から思えば異次元の夢物語であったようである。

 

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 アジア大会は昨日(2日)閉幕した。我が日本は中国に次ぐ75個の金メダルを獲得し、競泳女子で6冠に輝いた池江璃花子は最優秀選手(MVP)に選ばれた。一方、開催国のインドネシアのジョコ大統領大統領は、2032年のオリンピック開催国に立候補することを表明した。

 

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| 世界の旅−アジア | 12:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
公正が疑われる総選挙が行われたカンボジアの旅(1)
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 2週間もブログを更新しなかったので、何かあったのではと心配する読者がおられる。誠に有難いお気遣いである。実は最近貧血気味で、時々ふらつき寝込むことがあり体調は芳しくない。持病の腎臓機能低下の影響らしいが、人生100年時代の折柄この病と正面から付き合って行かざるを得ないであろう。つい前置きが長くなり恐縮だが、さて、

 

 カンボジアの国家選挙委員会が一昨日(8月15日)、かなり旧聞になるがさる7月29日に行われたカンボジアの下院議員選挙、いわゆる総選挙で、与党のフン・セン首相(写真下)率いるカンボジア人民党が125議席を獲得したと発表した。定数が125であるから、なんと全議席を獲得する文字通りの完勝である。人民党は2月の上院選でも全議席を占めており、事実上の一党独裁に国際社会の批判が高まりそうだ。

 5年前の前回総選挙で4割を超す票を得た最大野党の救カンボジア国党は、今回の総選挙前に解党に追い込まれた。また、政権に批判的なメディアも弾圧された。こうした異常な状況下で実施された選挙は、公正や自由とかけ離れたものである。欧米諸国などの国際社会はフン・セン政権による反対勢力弾圧を強く批判

(ネットより転用)

、政権への制裁にも動いている。因みに、確定投票率は83.02%であった。

 

 1993年に民主化への第一歩として内戦終結後初めての総選挙が実施されてから4半世紀が経ち、大きな節目の総選挙であった。この間一応民主化が進み、野党やメディアも育ってきたと言われる。しかし、逆行させたのは内戦時代から30年以上も首相を務めるフン・セン氏で、権力維持のための強権行使は批判されるべきである。同首相が斯かる声を無視するのは、欧米に頼らずとも経済支援で政権を支える中国の存在があるからであろう。

 中国は援助実施にあたり、欧米諸国のように民主化云々などの条件を付けない。カンボジアは中国と南シナ海問題を抱え対立するASEAN内にあって、むしろ中国の擁護者のようになっているのが実状だ。一方、我が日本は和平交渉からカンボジアに深く関与し、同国の国造りにも官民挙げて尽力してきた実績がある。日本だからこそできる現政権への関与のすべがある筈だが、菅義偉官房長官は明確なコメントを避ける。やはり外交は2〜3流と揶揄されるのは、的を得ているようだ。

 

 そんなカンボジアを筆者は1994年9月と2006年6月の2度訪れている。政治的には問題がある国のようだが、観光資源には恵まれた国である。世界的に有名なアンコール遺跡があるからだ。1992年〜1993年には自衛隊のカンボジア派遣(PKO)があり、未だ内戦の傷跡が深く残っていた1994年の旅の模様を紹介しよう。

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 内戦の後遺症がまだ重く残る現地を初めて訪れ、驚き考えさせられた場所がいくつかある。先ず首都プノンペンでは、かつてポル・ポト派が処刑した刑務所であったトゥールスレン博物館である。虐殺が行われた現場で、多数のしゃれこうべが山と積まれて展示されているのを見てギョッとした。この時のガイドがたどたどしい日本語を話す20歳ぐらいの青年で、後でぜひ案内したい場所があると言う。一緒に行ってみると、そこは青年が住む古いお寺であった。

 電灯も無く気味が悪いほど暗いお寺で聞かされた身の上話は、なんと両親がポル・ポト派に殺されて孤児になったとの由。確かに同じところで似たような境遇の若い男性たちが一緒に住んでいたので、青年の話は本当なのであろう。日本に帰ると直ぐにその青年に会話上達のためにと、日本語会話の本を送ってあげた。今や壮年になったであろう青年は、その後どうしているのか今も気掛かりだ。

 

        −−  トゥールスレン博物館 −−

   

    博物館の外観    館内の展示室と筆者   ポル・ポト

 

 ところで、プノンペンの市街地はメコン川、トンレッサプ川 、バサック川の3つの川が合流する地に広がる。内戦終結から3年しか経たず、街はまだ荒廃した感じであった。しかし、その後遺症をほとんど感じさせなかったのが王宮ウェアンである。立派な建物が多い王宮内でも、ひときわ人目を引くのが1870年落成の優美な即位殿である。また、この王宮の敷地内で異彩を放つのがナポレオン三世の館という洋館で、宗主国フランスのナポレオン3世の妻、ユージーヌ王妃からノロドム王に贈られたもの。

 王宮の南側に隣接するシルバー・パゴダでは、王室の仏教行事が行われる。エメラルド寺院と呼ばれるに相応しく、大理石の支柱とテラスが美しい。このパゴダの近くにノロドムス王のストゥーパがあり、精巧なレリーフが描かれている。王宮から約1km東にあるセントラル・マーケットはプノンペン最大の市場で、いつも活気があり巨大ドームを中心にして四方へ棟を延ばした姿がユニークである。

 

   

    王宮の即位殿    王宮前広場に立つ   シルバー・パゴダ   

 

 カンボジア観光のハイライトと言えば、文句無しに12世紀のクメール王朝時代に建てられた壮大なヒンドゥー教寺院アンコール・ワットと近くの仏教遺跡アンコール・トムであろう。首都プノンペンの北西250kmほどに位置し、アンコール遺跡群の観光拠点になっているのがシェムリアップだ。この町の中心部から北へ約3kmにアンコール・ワットがあり、気軽にバイタクに乗って出かけた。クメール語で「お寺の町」という語意を持つ寺院は、密林の中に忽然と現れる感じ。クメール王朝時代にヒンドゥー教の三大神ヴィシュヌ神に捧げる寺院として建立され、幅約190m、長さ約600mもある大寺院は単一遺跡としては世界最大だ。また、東西1500m、南北1300mもある広大な濠で囲まれる。

 さて、アンコール・ワットの唯一の入口である西参道の石畳の道を奥に向かうと、左右対称に釈迦が説いた教説の経蔵と2つの聖池(環濠)が配置されている。西参道を上ったところには蛇神ナーガの頭の像があり、これは雨の神様として崇められている。濠を渡り切ったところに横一列に広がる塀があり、目を凝らすと5つの門がある。中央が王が通り抜ける西塔門、そのすぐ両脇が庶民の門、最両端が象の門が並ぶ。西塔門テラスを過ぎていよいよ西塔門に入り進むと、十字回廊があり、1632年に祇園精舎と勘違いして訪れた森本右近太夫の書跡や4つの沐浴池跡がある。

 

  

 アンコール・ワット全景    参道        中央祠堂

 

 次に壮大なレリーフのギャラリーになっている第一回廊が、760mにも及び四方に広がる。インドの古代叙事詩『マハーバーラタ』や抒情詩『ラーマーヤナ』などが鮮やかに描かれている。更に進むと次の第二回廊では、妖艶なデバター(女性像)のレリーフが一面に彫られている。この回廊を出ると明るい空間が広がり、正面に第三回廊への階段と迫力ある中央祠堂が見える。中央祠堂では「神々の住む場所」としてアンコールワットの象徴である中央塔にもデバター像が残り、ここからの見晴らしが良く塔の上から見た雨上がりのアンコール・ワット遺跡の壮大さに感嘆した。

 

 他方、アンコール・ワットから北へ約1.5kmにあるアンコール・トムは、5つの門に囲まれた都城である。アンコール・ワットから続く道上に建つのが南大門で、顔の長さだけでも3mほどもある四面像が人目を引く。門をくぐって中に入ると遺跡の 中央には、 12世紀末に建設され、「バイヨンの微笑」と称される穏やかな微笑みをたたえた観世音菩薩のモチーフで有名なバイヨン が佇む。全体の構造は3層に分かれて高さ約43mの中央テラスを中心に、第一層に二重の回廊など、第二層は16の塔、第三層はテラスとなり、どの塔にも四面像が彫られいる。東門から入ると先ず第一回廊、次に第二回廊が取り囲み、中央テラスを囲む16基の尖塔が立つ。

 見どころは何と言っても観世音菩薩の四面像で全部で54もあり、優しい眼差しが何とも言えぬ独特の雰囲気だ。また、見る角度によって3つの菩薩が並んでいるように見える四面像がある。バイヨンの北には3層から成るピラミッド型寺院のバプーオンがある。11世紀中ごろに創建されたヒンドゥー教のシヴァ派の寺院で、長さ200mの円柱列に支えられた空中参道が続く。ここから少し北上すると12世紀末に造られた象のテラスがあり、王族たちが閲兵した王宮前にあるテラスで350mにも及び、外壁には象やガルーダの彫刻が連なる。ほかに付近の遺跡で見逃せないのが、南東2kmにあるタ・プロム遺跡だ。巨大に成長したガジョマロ(榕樹)がヘビのように建物や石に絡み、押しつぶされそう。

 

  

    バイヨン     四面像によじ登る     タ・プロム

 

 これらの素晴らしい遺跡を見学して痛感したのは、度重なる盗掘などにより顔や首がない仏像の浮彫りなどが多く、人間の愚かさに腹立たしく情けないと思ったことである。

 

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         ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇

 

 私ことワールド・トラベラーにはカンボジアに関する著書があり、ご関心ある方は是非ご購読下さい。

 

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タイの洞窟で少年らが閉じ込められたチェンライとタイタンビカス開花
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 今朝起きて見ると、玄関ポーチのタイタンビカスが見事に開花していた。例年より約2〜3週間も早く、これも先月末に史上最速で梅雨明けした連日の猛暑の影響であろうか。しかも、今年は花の直径が20cm近い大輪が、何と8輪も乱舞する豪華さである。1日に精々3〜4輪咲くのが普通なのだが・・・。早速観にやって来た人たちがいた。

 この花を観賞していると常に想起するのが、今のところ不治とされる病(認知症)に臥して早や4年目を迎える妻である。彼女は殊の外タイタンビカスを愛好し、早朝に咲き始めるが夕

刻には萎んでしまう切ない移ろいがの若かりし頃の残像にダブってしまうからだ。余命僅かの不帰の人にならんとしており、「花の命も人の命も共に短し」を痛感する毎日だ。

 

 さて、前置きが長くなり恐縮。寝不足の夜更かしを強いられるほど連日熱狂していたFIFAワールドカップも、我が日本代表は決勝トーナメントの初戦でベルギーに敗退したため急に静かになった感じである。代わりにテレビなどで大々的に報道されているのが、同じサッカー絡みの事故である。6月23日からタイ北部のチェンライの北郊外にあるタムルアン洞窟で、サッカーチームの少年12人とコーチ1人が行方不明になったことだ。

 幸い9日後の7月2日に洞窟の入口から5km近くの洞内で発見されたが、大雨による増水で閉じ込められたままだ。13人の命には別条無いようだが、大量の水が洞窟を塞いだままで、洞窟外への救出方法や時期などの見通しは立っていない由。加えて現地は豪雨に度々見舞われる雨期に入っており、浸水が更に酷くなる場合もあり救出の長期化が懸念される。

 

洞窟内の少年たち

(ネットより転用・加工)

 

   今やFIFAワールドカップと共に注目されるタムルアン洞窟があるチェンライを、筆者は2008年7月に訪れており、その時の模様を紹介しよう。

 

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 チェンライはタイの首都バンコクの北785kmほどに位置する、タイ最北部の中心都市で人口約10万人。かつて13世紀に栄えたラーンナー・タイ王国の都は現在もタイ最北の県都として発展し、北部観光の拠点として賑わいを見せる。ミャンマーやラオスとの国境に近い町々の入口に位置するため、少数民族が独特な風習を今も残すタイ北部観光のベースになっており、ヨーロッパなど欧米からの観光客が多いのに驚いた。

 

 ご多分にもれずこの町でもワットという寺が多いが、町の中心にあるエメラルド仏で有名なワット・プラケオや、14世紀創建の古いワット・プラ・シンよりも、郊外の新名所ワット・ロン・クンの方がずっと見応えがある。市内から南西14mにある寺は1997年の着工以来、いまだに完成していない(訪問当時)とかで、スペインはバルセロナのサグラダ・ファミリアのミニ版を思わせる。

 

          (ワット・ロン・クンと筆者)

 

 

 

        ワット・プラ・シン                    ワット・プラケオ

 

 チェンライ出身の仏教画家が設計した寺は純白のモダンな外観で、金ぴかの寺が圧倒的に多いタイではまさに異色だ。燃え盛る真っ白な火を彷彿させるような繊細で特徴的な屋根、本堂へと向かう橋のたもとにある手や足のオブジェ、他の寺とはひと味違う新時代的な本堂内部の仏像や仏画など、芸術と信仰が一緒になったような独創性溢れる白亜の寺院だ。
 

 古都のわりには見どころが多くない市内だが、タイの国民的英雄メンラーイの王像ポー・クン・メンライは見逃せないスポットである。ワット・プラ・シンから東へ徒歩約10分にあり、ラーンナー・タイ王国の建国者として現在も人々の信望を集める王像の周りには献花が絶えない。また夜のチェンライを楽しむなら、毎晩バスターミナル周辺で開かれるナイト

メンラーイの王像

バザールがイチ押しだ。山岳民族の民芸品などが売られているほか、野外のフードコートやライブステージもあり、深夜まで地元民や旅行者で賑わう。

 

 マニアックな旅人におススメしたいのが、チェンライ周辺に住む少数民族の村や集落だ。約35km北東にあるノンウェン村では女性はカブトのよう重い帽子を被って黒いミニスカートという姿のアカ族と、赤いモール襟が付いた厚手の濃紺の民族衣装を着用して頭には細かな刺繍入りの布を巻くヤオ族が住む。

 

         (少数民族と交流する筆者)

   

     アカ族          ヤオ族      パダウン・カレン族 

 

  また、チェンライから北西62kmのメ―サロンまで足を延ばすと、郊外のヤパ村で首長族のパダウン・カレン族が住む。元々彼らはミャンマーに居住する民族だが、約30年前の政府軍とカレン族の内戦から逃れてきた難民とされる。この村では女性は首が長いのが美人とされる異文化体験ができ、興味深々の世界が広がる。

 

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 イギリスなど外国からも救援隊が現地入りして懸命に救出を急ぐ一方、自己責任を云々する空気もあるようだ(特に我が国では)。しかし、タイでは自己責任など問う声は無いそうで、さすが寛容な微笑みの仏教国というお国柄の違いなのであろう。

 

後記

 8日から待望の救出が始まり、10日までに13人全員が洞窟内から脱出して病院に搬送された。6月23日に行方不明となってから18日目でに全員が奇跡の生還となった一方、救出作業していた元海軍特殊部隊員1人が洞窟内で死亡する犠牲者を出した。いずれ今回の救出劇は映画化されるであろう。今後とも注目したいものである(7月11日)。

 

                  ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇

 

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| 世界の旅−アジア | 13:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
史上初の米朝首脳会談が開催されるシンガポールの今昔
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 筆者は1969年1月に旧ソ連を訪れて以来、半世紀近く世界を旅し見聞してきたが、この数十年で大変貌を遂げた都市(国家)が3つある。第一はドバイ、第二は上海、第三はシンガポールである。そのシンガポールだが、史上初の米朝首脳会談が開催される歴史的な場所になろうとしている。来る6月12日に、アメリカのトランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長が会談するが、過日の南北首脳会談で合意した「板門店宣言」で明記された朝鮮半島の「完全な非核化」に向け、米朝が合意できるかが最大の焦点だ。また、北朝鮮お得意の揺さぶりも予想され、会談実現までの紆余曲折は不可避であろう。

 朝鮮戦争(1950〜1953年)や冷戦時代を通じて約70年にわたり敵対関係にあり、核問題などで対立してきただけに米朝両国の首脳による歴史的な会談となろう。件の板門店宣言には朝鮮戦争の終戦を年内に宣言することが盛り込まれており、米朝首脳が分断状態の続く朝鮮半島に平和をもたらす道筋を示すことができれば、日本を含む北東アジアはもちろん、世界の安全保障体制にとっても大きな転換点となり得よう。また、会談が成功裏に行われば、今年のノーベル平和賞の有力候補になるのではとの声も出ている様。

 

   

                      (ネットより転用・加工済み)

 

 さて、会談場所だが、当初はヨーロッパの都市、モンゴルの首都ウランバートル、板門店あたりも候補地になった様だが、結局シンガポールに落ち着いた。では、何故シンガポールが選ばれたのであろうか?実は北朝鮮とシンガポールは意外に共通点が多いのだ。例えば、金一族の世襲体制が続く前者に対し、後者もリー(李)ファミリーの実質的世襲が続く。また、両国は建国以来、一党優位政党制であり、北朝鮮は朝鮮労働党、シンガポールは人民行動党が議会議席の大多数を占める。

 何と言っても注目すべきは、両国は国交がある友好国であることだ。人権問題などを抱えタカ派的な北朝鮮に対し、民主的なハト派のイメージが強いシンガポール、対照的な一面もあるが・・・。また、カジノ経営者がトランプ大統領の支持者であることや、シンガポールの政治的な中立性が高いことも決め手になったのであろう。ドバイと共に世界的な都市国家になったシンガポールを、筆者は1977年7月の初訪以降11回も訪れている。この40年ほどで様変わりしたシンガポールの今昔を紹介する。

 

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 商社マンとして1974〜1977年に駐在したクウェート勤務を終え、家族と共に帰国途中で立ち寄ったのが最初のシンガポール訪問だ。その後1979〜1984年にジャカルタに駐在時代は、飛行機で1時間半と近いため8回も出かけるほど虜になった。シンガポール最大の魅力はクリーンな「ガーデン・シティ」と呼ばれるほど緑が豊かで、中国系・マレー系・インド系の人々が絶妙に融合する多民族国家であることだ。

 1980年代前半まではまだ古い建物がかなり残り、イギリス植民地であった香りが強く漂う街並みであった。日中は華僑系の取引先と厳しい商談を強いられたが、夜になれば彼らに招待されて大きなナイトクラブに行き歓待されものだ。そこで中国系の歌手が舞台で歌っていたのが大好きな歌謡曲「北国の春」で、外国生活が長い筆者も日本が恋しくなることが往々にしてあった。

 

 2003年11月には約20年ぶりに再訪したが、インド人街を除き再開発が進んで古い街並みが壊され、近代的な都市国家に変身していた。例えば、シンガポール随一の名物である上半身がライオンで下半身が魚のマーライオンは移転し、セントーサ島というレジャーアイランドも開発が随分進んでいた。しかし、昔は大賑わいであったタイガーバウムはハウパーヴィラと改名、すっかりさびれ閑古鳥が鳴いていた。2005年7月は2人の孫などと3世代の家族旅行でナイトサファリなど楽しんだが、シンガポールでの最高の思い出になった。

 

              −−− マーライオンの今昔 −−−

             ビフォー         アフター

 

 

 

1977年7月妻・長男・次男と  2005年7月次男夫婦、孫達と

(マーライオンを背にして) 

 

      −−− セントーサ島の今昔 −−− 

       ビフォー       アフター

 

   妻・長男・次男と       次男夫婦、孫達と

    

 目を見張るような変貌を痛感したのが、2014年4月の旅である。マーライオンがあるマリーナ・ベイ地区で、近未来的でユニークな建物が増えたことだ。その代表がマリーナ・ベイ・サンズである。2010年7月にオープンした総合リゾートホテルは高さ200m、57階建ての3つの塔が屋上で連結し、その屋上には世界一高いプールまである。2561室のホテルのほかに、世界最大のカジノ、広大なコンベンションセンターやショッピングモール、多数のレストランやカフェ、美術館ある。また、アイススケート場や水の都ベニスを彷彿させる室内運河まであり驚いた。

 さらに、ホテルの東側に離接するガーデンズ・バイ・ザ・ベイも驚きを禁じ得なかった。2012年6月に開業したシンガポール最大の植物園施設は、総面積110ヘクタールという広大な敷地を誇る。様々なアトラクションが充実した中でも、一押しのオススメはスーパーツリー・グローブである。高さが25〜50mもあるツリーは、養成植物やシダ類を含め200種、16万本以上の熱帯植物を外壁に巻いた高層庭園だ。18本あるツリーのうち2本のツリーは、全長128mの空中散策路で繋がり、ここからはフラワードームなど含めガーデン全体を見渡せ近未来的な不思議な景色を堪能することができる。

 

      −−− マリーナ・ベイ地区の今昔 −−−

 

      ビフォー            アフター

  

  1980年代    マリーナ・ベイ・サンズ  近未来的な高層庭園

 

 先日81歳になり、足腰の衰えが身に染みる。加えて妻の長期入院もあり、今では海外旅行も容易ではない。もし出かける機会があれば、再訪したい国としてアジアではシンガポールがその最右翼になろう。小さい都市国家ではあるが、旅人をタップリ魅了するものが多々あるからだ。

 

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 振り返れば国際的な約束事を何度も反故にしてきた北朝鮮のこと、たとえ世紀の首脳会談が破談!?になっても驚いてはなるまい。対するアメリカもトランプ大統領は名うてのビジネスマン、あわば良くばノーベル平和賞狙いの会談を一種のディール(取引)と見做している様でもある。6月12日まで気の許せない毎日になろう。
 

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| 世界の旅−アジア | 20:14 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
14年ぶり首相に返り咲くマハティール氏とマレーシアの旅(3)
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 昨日(5月9日)行われたマレーシア総選挙(連邦議会下院、定数222)は即日開票され、マハティール元首相(92歳)が率いる野党連合が過半数の113議席を獲得して勝利した。野党連合の首相候補であるマハティール氏自身も、クダ州ランカウイ選挙区で当選した。2004年以来の国政復帰を果たし、14年ぶりに首相に返り咲くことになる。今後の政権運営の課題は、蔓延する汚職撲滅などであろう。

 一方、ナジブ首相(64歳)が率いる与党連合は79議席にとどまり、1957年イギリスからの独立後、初の政権交代が実現する見通しである。ナジブ政権は2013年の前回総選挙後、政府系ファンド(1MDB)の巨額資金流用疑惑などが発覚した。選挙戦では堅調な高い経済成長率を政権の実績としてアピールしたものの、国民の不信を払拭できなかった様だ。

 

 マハティール氏は我が日本にとっても所縁のある親日家である。医師から政治家に転じ、1981年にマレーシアの第4代首相になった。欧米ではなく、日本の経済成長を見習おうとのルックイースト(東方)政策を唱え、22年もの長期に及ぶ強力な指導力により、マレーシアを飛躍的に増大させた功労者である。92歳で返り咲く同

氏は世界最高齢の首相にもなる。

 

 さて、イスラム教徒が多い点で似通っている隣国のインドネシアに駐在経験がある私ことワールド・トラベラーは、1978年11月にマレーシアを初訪問以降、2008年7月まで6回も同国を訪れている。同国の概要などに就いては、既に2015年6月7日付け幣ブログ『キナバルの地震と悲劇(?』、2017年2月15日付け『金正男氏が殺害されたマレーシアの旅(2)クアラルンプール編』などで紹介済みだ。今回はクアラルンプール以北の西マレーシア(マレー半島)に関し、旅の模様を詳述する。

 

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 先ず、マハティール氏の生誕地、アロースターから始めよう。首都クアラ・ルンプールの北西462km、タイと国境を接するケダー州の州都で人口約22万人。20世紀初めまでタイの勢力下にあり、同国文化の影響も受ける。最初に訪れたのがマハティール氏の生家で博物館になっている、ルマ・クラヒラン・マハティール・モハマドである。かって医師であった同氏の一生やマレー人の生活ぶりなどを物語る展示品を見学したが、生存中に博物館があるのは極めて珍しい。

 この町で最も目立つのが、「アロースターの宝石」と称えられるザヒール・モスクだ。1912年に完成したムガール様式のモスクは、南インドのヒンドゥー建築からも影響を受けている。黒っぽい3つの大きなドームに迫力と美しさがあり、マレーシアで最大級のイスラム建築と言われる。このモスクから町の象徴、アロー・スター・タワー が望め、その展望台から360度の市街地のパノラマが楽しめる。モスクでもうひとつ見逃せないのが、町の北外れのアル・ブカリ・モスクである。地元出身の大富豪が建てたモスクだが、そのドームは言葉を失うほど優美だ。

 

       −−− アロースター散策スナップ −−−

  

        ザヒール・モスク      マハティール博物館を訪れた

                     ワールド・トラベラー

 

 ペラ州の州都でクアラ・ルンプールの北205kmに位置するイポーは、人口70万人を超えるマレーシア第3の大都市だ。1930年代にスズ鉱山の町として発展したが、商社マンであった筆者が訪れた1978年頃は鉱山閉鎖により町は停滞し、「死んだ」都市として知られるほど静かであった。その後現代的な街への再開発が図られ、30年後に再訪した時には旧市街よりも新市街が拡大し活況を呈していた。見どころはスズ景気の名残りを今も留めるイポー鉄道駅である。1917年に建てられたコロニアル風とムーア風の建築様式が混在し、まるで宮殿のような堂々たる建物だ。

 町の周辺には洞窟寺院がいくつかあり、市内から6km北のペラ・トンでは40体ほど仏像が安置され、中でも高さ13m近い金色の仏陀坐像がひときわ目を引く。また、郊外ではイポーから北西約50kmのクアラ・カンサーが見逃せない。風光明媚なペラ川畔に建つウブディア・モスクは、1917年ペラのスルタンの命で建たられた。金色のタマネギ屋根のドームと、聳え立つ尖塔ミナレットが青い天空に鮮やかに映える。イポーから西北へ86kmにあるタイピンでは、元はスズ採鉱場であった人造湖のレイク・ガーデンが見逃せない。緑に包まれた中国的な情景は山水画を鑑賞するよう。

 

    

           イポー鉄道駅     クアラ・カンサーのウブディア・モスク
     

 南シナ海を挟んで今も大自然が残る東マレーシア(ボルネオ島)のサラワクやサバほどではないが、マレー―半島にも緑豊かな自然が残る。例えば、クアラ・ルンプールの北東220kmほどにあるタマン・ネガラ国立公園は、マレー半島中央部の東、パハン州・クランタン州・トレンガヌ州の3州にまたがる。面積4343k屬六獲県に匹敵する広大な自然公園で、1億3千万年前からという世界最古の熱帯雨林に覆われる。巨木が立ちはだかるグプラタン・パヤをトレッキングし、手付かずの自然が満喫できるクアラ・テンベリン〜クアラ・タハン間のテンベリン川ボート遊覧を楽しんだ。

 また、クアラ・ルンプールの北190km、マレー半島中央部の西にあるキャメロン・ハイランドは、マレーシア有数の高原避暑地である。平均標高は約1500mで、年間を通じ気温が20℃前後と涼しい。英国統治時代に国土調査官ウィリアム・キャメロンが開発し、紅茶生産が盛んである。タイガーバームに少し似たユニークなローズセンター、国蝶ラジャ・ブルックがいるバタフライ・ファーム、丘の上に建つ豪華な中国仏教寺院・サンポー寺院などを訪ねた。

 

  

   タマン・ネガラ国立公園のグプラタン   キャメロン・ハイランド

  ・パヤをトレッキングする筆者        紅茶畑が広がる

 

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 マハティール氏が92歳で首相にカムバックするとは、誠にご立派であり驚きでもある。一回り若い81歳で人生を諦めた感のある筆者にとっても、考えさせられる点が多々ある。この人には「老害」という言葉は無関係なのであろう。生涯首相であって欲しい御仁である。

 他方、茶坊主議員たちにヨイショされ、森加計問題などで相変わらず往生際の良くない疑惑だらけのどこかの国の首相には、一刻も早くご退場願いたいものである。賞味期限がとっくに過ぎているにも拘わらず居座るとは、国民の間にどんよりと漂う空気が読めない御仁の様だ。

 

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| 世界の旅−アジア | 11:41 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
南北会談で想起した23年前の板門店と拉致問題で無力な日本外交
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 昨日(4月27日)は朝からほぼ終日、ずっとテレビに釘付けになっていた。また、軍事境界線で両首脳が初めて握手した板門店(パンムンジョム)の中心にある、あの特徴的な青い外壁のプレハブの建物が懐かしくてならなかった。噛みつくだけで滅多に褒めないトランプ大統領が、珍しく韓国と北朝鮮による南北首脳会談を「歴史的だ」と高く評価する。

 6月上旬までに開催予定のトランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長の米朝会談に先立ち、昨日韓国の文在寅大統領と金委員長は板門店の韓国側にある「平和の家」で11年ぶりの南北首脳会談を行った。会談を終えた両首脳は、朝鮮半島の完全な非核化実現や今年中に終戦宣言し平和体制を構築するなどを目標とした「板門店宣言」に署名した。

 

 

      平和の家        文在寅大統領と金正恩委員長

                   (ネットより転用・加工済み)

 

 一見極めて平和的で歴史的な会談のようだが、肝心の非核化につき具体策はなんら示されなかった。アメリカが直ちに完全な非核化を求めているのに対し、北朝鮮は段階的な非核化と共に既存の核を保有したいのが本心であろう。いずれにせよ、非核化に関する米朝間の同床異夢の決着は来る米朝会談に委ねられた形である。予測不可能なトランプ氏だけに、どんなハプニングがあっても驚いてはなるまい。例えば、米朝会談の開催場所がひょっとすれば、同じ場所、つまり板門店になるかも・・・。

 他方、安倍晋三首相が過日わざわざアメリカへ出向きゴルフまで付き合ってトランプ大統領にお願いし、また南北会談前に電話で文大統領に要請した拉致問題は突っ込んだ話合いは無かったようである。拉致被害者の家族たちはきっと落胆したであろう。やはり2〜3流と揶揄される日本外交の無力を露呈した感じで、当事者意識が希薄な誠に情けないお話である。

 

 さて、筆者は今からちょうど23年前の1995年5月1日に北朝鮮側の板門店を訪れており、概要は2018年1月10日付け幣ブログ『平昌五輪に参加する北朝鮮の思惑』や2016年9月10日付けブログ一理がある(?)核実験とミサイル発射を止めない北朝鮮の旅』で紹介済みだ。今回は歴史的な会談が行われた板門店の北朝鮮側を詳述しよう。

 

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 朝鮮戦争(1950年6月25日〜1953年7月27日)後に北朝鮮と韓国の間には国境線はなく、あるのは1953年の休戦協定当時の戦線に基づく軍事境界線である。北緯38度線を挟み緩衝地帯である非武装地帯DMZは、境界線の南北2km、東西248kmに広がる。その総面積は905k屬發△蝓△修譴蝋畧邯の半分に相当する広さだ。さらに境界線の南5〜20kmには民間人の居住や出入りを制限する民間人統制線がある。

 平壌から車で約4時間、車窓からの風景をぼんやりと眺めながら板門店に向かった。田園地帯を通過し、山が近づいたり遠のいたりする。沿道では子供たちが牛にまたがって遊んでいたり、柴の束を背中に背負って山を下りてくる子供もいる。清らかな小川が畑の間を流れ、一昔前の日本の田舎を思い出させた。その鄙びた風景の中を、どこまでも一直線に道路が走っており、休憩所が1ヵ所あった以外は何もなかった。

 

   軍事境界線に近付くにつれ緊張感が走ったが、板門店に入る手前で「朝鮮は一つ」の看板(右写真)を見かけてホッとした。やがて入口ゲートに到着した。建物内には売店のほかに、停戦ラインの歴史などを説明するパネルがあった。板門店は休戦協定締結後に国連軍と北朝鮮軍の共同警備区域JASとして決められ

、四方が800mもない狭い空間で、北朝鮮・韓国双方の行政管轄権の外にある特殊な地域である。その後いよいよ板門店の敷地内に入った。

 

   

      板門閣(韓国側より)        板門店と韓国側を俯瞰

                       (板門閣より)

 

 先ず板門閣で国連軍所属の旧会議場に通されて説明を受けた後、板門閣の展望台に上り南の韓国側を一望した。展望台からは起伏の大きな丘陵地帯が一望でき、平和な風景が広がっていた。次に歴史的なスポットである停戦協定調印場に向かい、場内のテーブルの上には北朝鮮と国連の旗が立てられていた。また近くの停戦会議場に寄った後、いよいよ板門店の中心にある青い外壁のプレハブの建物に入り、軍事停戦委員会本会議場に案内された。会議場の中心にはテーブルがあり、そこに置かれたマイクのケーブルも軍事境界線を示すように配線されていた。

 

  

軍事停戦委員会本会議場を背にする   停戦委員会本会議場内部

筆者(南北首脳はこの後ろで初握手)

 

  

  停戦協定調印場で北朝鮮兵士と     停戦会議場前での筆者

 

 会議場内では北朝鮮・韓国双方から訪れた見学者が境界線を越えることが認められ、意外なほど平和なムードが漂い緊張感は全く感じなかった。因みに、国連軍は、主力の韓国やアメリカのほかに、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、ギリシャ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、コロンビア、トルコ、タイ、フィリピン、エチオピア、南アフリカの17か国から成る。

 

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 北朝鮮の非核化が実現すれば、この交渉に携わるトランプ大統領、文在寅大統領と金正恩金委員長辺りが今年のノーベル賞になるのではとの噂も出ているらしい。吉と出るか凶と出るか未だ分からないのに、誠に気の早い話である。因みに、ノーベル平和賞を受賞したにも拘わらず、なんら解決されていないのがイスラエルvsパレスチナ問題である。実力(実績)が伴わない人気(話題)先行のノーベル賞は、果たして如何なものか?

 一方、蚊帳の外に置かれた感じの我が日本にとり、懸案の拉致問題はアメリカや韓国などの他国頼みに依存するような能天気では根本的な解決にならない。金太郎飴の如く制裁や圧力の継続を遠吠えするのではなく、北朝鮮が真に欲しがる経済援助などにつきズバリ実利的な突っ込んだ交渉が望まれよう。トランプ大統領が持つようなビジネスセンスが、無力な日本外交に必要であろう。拉致被害者の家族の高齢化を考えると、一刻の猶予も許されまい。

 

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| 世界の旅−アジア | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
政治混乱が続く『インド洋の真珠』モルディブの旅
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 例年になく寒かった今年の冬も間もなく終わりそうで、春の到来を告げる日差しが眩い。我が家(マンション)のルーフバルコニーにある梅も漸く開花し、その脇にあるストックも咲き乱れ、早春に華を添える。

 日本選手団の大活躍により国中が湧き、北朝鮮も参加するなど何かと話題の多かった平昌オリンピックも無事終わった。だが、この間も世界では大国が関与する内戦や紛争が続いている。ごく最近ではモルディブがある。

 

 

                   梅              ストック

 

 インド洋に浮かぶ小さいが美しい島国モルディブの政治混乱が、中國とインドの両大国を巻き込み波紋を広げている。野党側はインドに軍事行使を含む支援を呼びかけるのに対し、ヤーミン大統領の政権側は援助を頼る中国に特使を派遣し支持を訴える。人口わずか40万人と小国ながらインド洋屈指のリゾートアイランドの政局不安は、対抗する2大国を後ろ盾にして一触即発の恐れが懸念される。

 具体的には野党指導者のナシード元大統領が「中国により土地が収奪されている」と批判する。その理由は不透明な土地取引が行われ、投資には高額の金利が課され、いずれモルディブは返済に窮するとの主張である。野党指導者のナシード元大統領は、メディアとのインタビューで、「中国のモルディブでのプロジェクトは土地の収奪だ」などと主張する。   


 野党側が根拠にするのが、スリランカ南部ハンバントタ港の事例である。中国の出資で港湾設備が建設されたが、スリランカは巨額の金利返済に苦しみ、最終的に2017年末に99年間の長期リースの形で中国側に明け渡すことになった。援助を受けていたはずが奪い取られた格好なのだ。ナシード氏は中国のやり方は「債務のわなだ」と主張し、憲法を改正して外国人への土地販売を容認したヤミーン大統領に対し批判を強めている。
 最高裁によるナシード氏ら政治犯9人の釈放命令に端を発したモルディブの混乱を巡り、ヤミーン氏は2月5日に発令した15日間の非常事態宣言をさらに30日間延長することを決定した。中国に頼ろうとするヤミーン大統領の政権側と、インドに助けを求めるナシード元大統領の野党側の両者だが、両大国を巻き込みながら与野党の対立は深まる一方だ。さて、今回の政治混乱の舞台モルディブは1999年12月に旅しており、その概要を紹介しよう。

 

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 スリランカの南西沖合い675kmの洋上に浮かび、美しいサンゴ礁に囲まれた赤道直下のモルディブは、26のアトール(環礁、日本の都道府県に相当)と1196の島々から成る。南北約900km、東西約150kmに散らばるが、人が住む島は200ほどだ。その多くは、島を一周するのに数分から数十分程度ですむ小さな島ばかりである。

 空港があるのはフルル島で、到着すると直ぐにスピードボートで宿泊するパラダイス・アイランド という島に向かった。15分ほどで島に着き、パラダイス・アイランド・リゾートで旅装を解いた。島の周りは美しく魚が泳いでいるのがよく見えるが、遠浅でサンゴの砂のビーチであるので水泳やスノーケリングに最適ではなく、見どころはあまり無い。

 

  

  フルル島を俯瞰  パラダイス・アイランド パラダイス・アイランド

              で泳ぐ筆者        ・リゾート

 

 このため観光はマーレ島にある首都マーレになり、ボートに乗ること20分で着いた。マーレの町の中心は島の北側である。島に上陸するとサガレ・パークがあり、公園を南下すると近代的な装いのイスラミック・センターがある。モルディブはイスラム教徒が多く、マーレでは最も重要な場所である。ここから300mほど東へ行くと、モルディブ最古の建物である金曜モスク、クルミスキー・モスクがある。

 1656年に建立されたモスクの内外にはアラビア文字と装飾的な模様が非常に複雑に彫刻されており、サンゴ礁を積み上げて建てたモルディブ独特の伝統建築は興味深い。また、モスクの横には古い墓石がいくつも並んでおり、丸いカーブをした墓石は男性用、とがった形の墓石は女性用とのこと。このモスクから歩いて約10分、海岸通りボドゥタクルファヌ・マグに面する魚市場は、活気がある上に珍しい魚も見られ面白い。

 

    

  マーレ島を俯瞰  イスラミック・センター   クルミスキー・モスクを

                         を訪ねた筆者

 

 因みに、モルディブでは一つの島は一つの役割しか持ってない。例えば、飛行場の島(フルレ島)や町だけの島(マーレ島)のほかに、マグロ缶詰工場の島、スイカ畑の島、洋服工場、金・銀細工を作る島など。ホテルの島にはホテルしかなく、1島1ホテルである。要するに、モルディブ滞在を楽しむ最大のポイントは、島選びが決め手になろう。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 今も続くシリア内戦はアメリカ vs ロシア、シリアから遠からずのイエメン内戦はサウジアラビア vs イランなど、大国間の代理戦争になっているのが実情である。いつも犠牲になるのは市民や子供たちであり、根本的な解決のために動こうとしない国連の無力や形骸化を想うと、空しく悲しくもなる。

 

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| 世界の旅−アジア | 16:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
ロヒンギャ難民を取り巻くミャンマーとバングラデシュの少数民族
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  去る8月25日にミャンマー西部のラカイン州で、治安部隊がイスラム系の少数民族ロヒンギャの武装勢力に対する軍事作戦を開始以来、これまでに隣国のバングラデシュのコックスバザールなどに約41万人が避難している。ミャンマーから暴力を逃れるため仮設キャンプに身を寄せているが、モンスーンの豪雨による新たな苦難に見舞われている。難民は食料や水が不足し悲惨な生活を送っているが、追い打ちをかけるのが豪雨で避難地が沼地と化したことだ。

 この様な深刻な事態を受け、本日(9月19日)ミャンマーの国家顧問のアウン・サン・スー・チー氏が、” 私たちはミャンマーが宗教や民族、政治的思想で分断された国になることを望んでいない。 ”と演説した。さらに” 政府は解決に向け真摯に取り組んでいる ”と強調した上で、国連の調査を受け入れる用意があることを示唆した。しかし、軍に対する遠慮からであろうか、ロヒンギャ問題の根本的な解決に及び腰の感は否めない様だ。これではミャンマー民主化の旗手の看板を下ろさなければなるまい。

 

 もっとも難民や移民問題は、あの豊かな超大国アメリカでも若干似たような問題を抱えているから厄介だ。最近(9月5日)トランプ大統領は、オバマ前政権が導入した移民救済制度DACA(ダカ、幼少期にアメリカに到着した移民への執行延期措置)の廃止を打ち出した。幼少時に親に連れられアメリカにやって来たドリーマーと呼ばれる不法移民の若者約80万人が、6ヵ月以内に強制送還される恐れがある。この問題でも「アメリカ第一」が背景にあり、根が深い。

 

  

バングラデシュに避難 演説するスー・チー氏

 したロヒンギャ族

    (ネットより転用・加工済み)

 

 因みに、ミャンマーの民族問題に触れよう。世界有数の多民族国家である同国は、人口の7割近くの68%をビルマ族が占めるが、ほかにシャン族9%、カレン族7%、ラカイン族3.5%、ビルマ華人2.5%、モン族2%、カチン族1.5%、ビルマ印僑1.3%、その他5.2%(カヤー族やコーカン族など)など多数の少数民族がいる。

 少数民族で注目されるのはカレン族だ。ミャンマーの東部と南部から、タイの北西部にかけて居住する。総人口はおよそ400万人で、そのうちミャンマーは約350万人、タイは約40万人だ。独立闘争を行う彼らに対する政府の民族浄化は厳しく、隣国のタイに逃れたミャンマー難民は10万人ほどと言われる。いくつかのグループに分かれ、赤カレン、白カレン、黒カレンなどがある。過度な装飾をする首長族は赤カレンの一族で、筆者は2008年7月にタイ最北部で会ったことがある。

 

 次に近年、国際社会で話題になるのが無国籍のミャンマー難民、ロヒンギャ族だ。彼らはバングラデシュと国境を接するミャンマー西部のラカイン州で、100万人ほど住む。仏教徒が圧倒的に多いミャンマーでは少数のイスラム教徒で、バングラデシュの国語、ベンガル語の方言を話す。ミャンマーのほかに、バングラデシュに40万人、サウジアラビアに40万人、パキスタンに40万人、タイに10万人などが住み、総人口は200万人以上とか。

 ミャンマー独立後から彼らはロヒンギャ族と名乗っているが、国内ではバングラデシュからやって来た不法移民と見なされ、ミャンマー国籍も与えられていない。2012年以降はラカイン州で彼らとミャンマーでは多数派の仏教徒との対立が激化し、多くのロヒンギャ族が周辺国に船で漂着するなどしている。

 

 一方、バングラデシュの民族構成はベンガル人が大部分の98%を占め、残り2%は少数民族である。彼らはアディバシと呼ばれ、45民族の200万人ほどがいる。おもにミャンマーやインドと国境を接する北部の平野や、南東部に広がるチッタゴン丘陵地帯に住む。主な少数民族は、チャクマ族、マルマ族、トルプラ族、トンチョンギャ族などで、チャクマ族などは1999年12月のバングラデシュ旅行で出会ったことがある。

 

   

  首が長いのが美人の  首長族の少女と       チャクマ族の少女たち

   カレン族        仲良くの筆者

 

 ほかに、特筆すべき少数民族としては以前ミャンマーのアラカン州から逃れてきたロヒンギャ難民で、南東部のコックスバザール近くのキャンプに滞留している。ミャンマー政府が難民の帰還を拒否しているため、UNHCR国連難民高等弁務官事務所)はバングラデシュ国内での定住を提案している。

 因みに、筆者は1999年の旅でコックスバザールも訪れた。かつてはラカイン族が支配したアラカン王国の町であったが、18世紀末に英国の東インド会社のコックスがバザールを開いたので「コックス・バザール」と名付けされた。125kmもある世界最長の砂浜ロングビーチと、ラカイン族の仏教僧院であるアッガメダ仏教僧院が印象的であった。

 

          −−− コックスバザール3景 −−−

  

     ロングビーチ     ビーチを散策     アッガメダ仏教僧院

 

 ロヒンギャの容貌や宗教(イスラム教)などから、バングラデシュ系であることは明々白々であり、敬虔な仏教徒が多いミャンマーで住み付くのは少々無理があるのであろう。ロヒンギャ迫害に対する国際社会からの批判が高まるが、その矛先はノーベル平和賞受賞者のアウン・サン・スー・チー氏に向けられ、平和賞没収を呼びかける署名が進む。だが、彼らに対するミャンマー国民の反感は根強く、帰還を受け入れるか否かが難民問題解決の焦点の一つになろう。

 日本人という単一民族から構成される我が国から見れば、多数の少数民族を抱えた多民族国家(世界では意外に多い)ならではの悩みはピンと来ないし無関心にもなりがちだ。さりとて、無視したり、傍観するのは如何であろうか? 平和ボケしている我が国としても、ロヒンギャ難民問題で何か国際貢献できるものはないか、一考したいものである

 

    因みに、私ことワールドトラベラーには少数民族に関する次の著書があるので、ご関心ある方は是非ご愛読頂きたい。

世界を動かす少数民族』幻冬舎 1,350円+税 ※ロヒンギャ族やカレン族に就いても詳述しています。

 

  

 

 なお、幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。

お問い合わせ:
世界の人形館 
TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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| 世界の旅−アジア | 20:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
大横綱、白鵬を育んだ草原の国モンゴルの旅(1)&子ども落語会
13

 大相撲の第69代横綱、白鵬が昨日(7月21日)、名古屋場所で通算1048勝目を挙げ、元大関・魁皇の歴代最多記録を抜いて単独1位となった。魁皇の場合は場所数が140で1047勝であったが、白鵬はわずか98場所で最多記録を更新したのだから誠に立派と言う他ない。本名はムンフバティーン・ダワージャルガルと言い、モンゴルは首都ウランバートルの出身。だが、メディアのインタビューでも日本人並みの日本語を話し、考え方も相撲道に徹しシッカリしており参考になることが多々ある。

 通算勝利のほかに、数々の記録を持つレコードホルダーでもある。例えば、優勝回数38、横綱勝利760、幕内勝利954、全勝優勝13、横綱連続出場722など(7月21日現在)。この調子でいけば通算勝利は1500ぐらいまで伸びそうだし、他の記録も今後破られそうもない大記録ばかりだ。後は白鵬が日本国籍を取得するかが焦点だが、母国のモンゴルに住む家族が苦悩するであろう。特にかつてモンゴル相撲の大横綱でオリンピックの銀メダリストの父は、息子の国籍変更には反対とか。

 

        

   1048勝目を挙げた対高安戦     ウランバートルのスフバートル広場

   (ネットより転用・加工)       で見かけた白鵬の広告看板と筆者 

 

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、我が国のグロ−バル化が一層望まれる折柄、モンゴルなどの外国人力士が大活躍する大相撲の貢献度は大なるものがある。その先頭に立つのが白鵬だが、一方では横綱稀勢の里などの日本人力士の頑張りにも大いに期待したい。

 

 さて、筆者は1996年5月と2006年8月の2度、モンゴルを旅している。綿雲がぽっかりと浮かぶ真っ青な天空と見渡す限りの草原が見事に融合する大地、満天のスターダストの素晴らしさに息を呑んだ漆黒の草原の天空やゴビ砂漠の星空、草原の中に忽然と現れた豪華絢爛なチベット仏教寺院、伝統的な移動式住居・ゲルに招いてくれた親切な人々、哀愁と透明さがある音楽、豪華で重厚な民族衣装デールなどモンゴルならではの大自然、文化や民俗などを思う存分堪能した。

 一方では、市場経済化は進んだが社会保障が大幅に縮小されたため、首都のスラムに多数の遊牧民が流れ込み、貧富の格差拡大による治安悪化と犯罪増加、失業や離婚の多さ、国民所得が低いのに不釣合いな物価高など、深刻な社会問題が増えている。実際にモンゴル滞在中のわずか1週間ほどで、カメラ2台が盗まれたほかに2件の盗難未遂という信じられないようなショッキングな事件があった。白鵬の出身地ウランバートルを中心に、旅の概要を紹介しよう。

 

     ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…☆━…━☆━…━☆━…━

 

 先ず1996年の最初の旅では、開港して間もない関西空港からモンゴル航空で中国の天津経由にてウランバートルに到着後、同地をベースにしてモンゴル各地を回った。まず空路で半砂漠が広がり「恐竜のふるさと」と言われる南ゴビのダランサドガドに飛んだが、滑走路も何もない空港に着陸してモンゴルは単に草原の国ではない事を学んだ。その夜は生まれて初めて移動式テント小屋のゲルに泊まって遊牧民気取りをし、砂丘や雪渓などを観光してウランバートルに引き返した。

 同地で半日観光後、陸路で西へ向かい、モンゴル名物の道なき道の未舗装の悪路を走った。ゲルに宿泊するツーリストキャンプがあるブルドで旅装を解き、同キャンプを基点にして旧モンゴル帝国の遺跡カラコルムや一般のゲルなどを訪れた後、また悪路を引き返してウランバートルに戻った。帰国のフライトは関西空港への直行便で、飛行時間は約3時間半で意外に近い国だと実感した。

 

    

 ブルド:ツーリスト    ブルド郊外:   カラコルム:エルデニ 

  キャンプのゲル    モンゴル馬に乗る ・ゾー寺院のゴルバンゾー


  2度目の旅は2006年。史上最大の帝国と言われるモンゴル帝国が建国されて800年の節目に、10年ぶりに再訪した。それは単なる物見遊山ではなく、1992年に社会主義を放棄して民主化と市場経済化を推進する現代モンゴルの国策の実情、特に変貌ぶりを見届けたいとの特別な目的を持った視察旅行でもあった。
   モンゴルとの国境に近い中国の東北部に位置する甘粛省や寧夏回族自治区を訪れた後、北京経由でウランバートルに着いた。到着後は同地をベースにして陸路および空路で各地を回り、ウランバートルはもちろん、モンゴル有数の保養地テルジ、同国第2の都市ダルハンと郊外の僧院、さらにカザフスタン国境に近い辺境地まで足を伸ばした。その間、今回の旅の主目的である建国800周年記念祭を見学したり、有名なチベット仏教寺院や景勝地などを訪れた。

 

   

  テレルジ:亀岩   ダルハン郊外:僧院      僧院近くの牧場

             アマルバヤスガラント


  さて、首都のウランバートルだが、上空から眺めると広大な草原の真ん中にポツンと浮かんでいる感じで東西に細長い街だ。市内の中心にあるスフバートル広場の中央にはモンゴル革命を指導した英雄・スフバートルの騎馬像が立つ。広場の周りには政府庁舎、市庁舎、証券取引所、オペラ劇場などが並び、ヨーロッパ風のオシャレな佇まいだ。2006年の旅では、この広場の南西にあるビルで白鵬をモデルにした大きな広告看板があった。白鵬が大関時代のことで、この頃から母国でも将来が期待されていたようだ。

 広場の北側にある自然史博物館では、モンゴルの鉱物や動植物に関する豊富な展示物があるが、目玉は何といっても恐竜タルボサウルスの骨格標本だ。また、広場の南1.5mにあるボグド・ハーン宮殿博物館は、1919年に造られた第8代活仏のボグド・ハーンの冬の宮殿。実は釘1本も使われていない木組み方式が見事な寺で、チベット仏教の曼荼羅や仏像などが展示されている。

 

 一方、人口集中が著しいウランバートルの急速な発展振りを確かめたいならスフバートル広場から南へ約4km行った丘のザイサン・トルゴイが一押し。丘の頂上には伝統的なモンゴルの灯「トルガ」と立派なモザイク壁画があり、頂上から市街地のパノラマが一望できて絶景だ。また南郊に広がるボグド・ハーン山国立公園内の特設会場では、建国800周年記念騎馬軍ショーが行われた。イベントのハイライトはモンゴル国防省の軍人で構成される騎馬軍団500騎による迫力あるスペクタクルショー。それは怒涛のごときスピードがあり、まさに圧巻で見応え十分であった。

 

 

ウランバートルのへそ   ウランバートル:ザイサン  ウランバートル郊外:建国

  スフバートル広場    ・トルゴイより市街地俯瞰  800周年記念騎馬軍ショー

 

     ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…☆━…━☆━…━☆━…━

 

(追記)

 名古屋場所で優勝した白鵬は通算勝利数を1050、また優勝回数も39まで伸ばした。未来永劫に破られそうもない前人未到の大記録である。今後とも節制を続け、さらに記録更新を目指して頂きたい。

 

                                     ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

我孫子市「夏休み!子ども落語会」

 筆者の友人、著名なクロスステッチアーティストの星野真弓さんが主宰する「三月のひまわり」の協力により、我孫子市のアビスタホールで「夏休み!子ども落語会」が開催されます。講師として、女性真打の桂右團治師匠が子どもたちへ落語を披露します。入場料は無料で、親子で落語に親しむことも出来ます。なお、当日は落語会のほかに、16ミリアミメ映画会などもあります。奮ってご参加下さい。

●日時:8月2日(水)13:30〜(落語会は40分間の予定)

●場所:千葉県我孫子市生涯学習センター・アビスタ(我孫子市若松26ー4  Tel 03-7182-0515)

●主催:我孫子市教育委員会

 

  

                                       世界の人形館で桂右團治師匠(左から2番目)

                  を囲み、星野さん(右から2番目)らと歓談

 

(後記)

 こども落語会は多数の子供と若いママさんなどの参加があり、楽しく大盛況であった。子供たちは桂右團治師匠のユーモアたっぷりの落語に傾聴したほかに、舞台に上がって師匠の指導を受け、扇子と手ぬぐいを使う所作をして落語家気分に浸った。きっと夏休みの良き想い出になろう。

 落語会が終わった後、星野さんらの案内で桂右團治師匠はご丁寧にも筆者のプライベート・ミュージアム「世界の人形館」にお立ち寄り頂いた。世界の人形のほかに万華鏡、地球儀、世界の紙幣などを熱心に見学後、歓談のひと時を過ごした(上右の写真)。多謝!多謝!(8月2日)

 

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