世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
連続爆発テロで緊迫するスリランカの旅(1)
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 昨日(4月21日)はキリスト教のイースター(復活祭)であったが、キリスト教徒や外国人を狙ったような残忍なテロがあった。スリランカの最大都市コロンボをはじめ3都市で、キリスト教会や高級ホテルなど8か所で連続爆破テロがあったのだ。日本人女性1人を含む253人が死亡、約500人(4人の日本人含む)が負傷した由。

 コロンボではシャングリラホテルやシナモン・グランドホテルなど4つの高級ホテル、聖アンソニー教会、デマタゴダ地区のほかに、コロンボ北郊外のネゴンボの聖セバスチャン教会や、東部のバティカロアのザイオン教会でほぼ同時に爆発があ

爆発が起きた教会内部

(ネットより転用・加工)

り、自爆テロと見られる。死者は日本人に加え、アメリカ・イギリス・インド・中国・ポルトガル・オランダなど外国人も多く含まれている模様。犯行声明は出ていないが、イスラム国(IS)とつながるイスラム過激派組織(ナショナル・タウヒード・ジャマアート」(NTJ))の関与が濃厚のよう。

 

 スリランカと言えば、昔から紅茶で有名だが、近年は26年間も続いた内戦が国際的に知られる。2009年に多数派で仏教徒のシンハラ人と少数派でヒンドゥー教徒のタミル人との内戦が終結し、経済成長が続いている。在留邦人は800人近くおり、日本からの旅行者も増加の一途で2016年には約45000人に達した。失うものはあっても、得るものが無いのが内戦である。その再発を誰も望むまい。

 そんなスリランカを危険な激しい内戦の最中、22年前の1997年12月に旅したが、コロンボはゴーストタウンと化していた。だが、美女のフレスコ画が鮮やかなシギリヤ・レディで有名な一枚岩のシギリヤ・ロック、「スリランカの京都」と呼ばれる古都キャンディ、グリーンカーペットのような広大な茶畑、インド洋に面した美しいビーチなど観光資源が素晴らしい。今回はコロンボとその以北を紹介する。

 

 

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 面積は日本の約6分の1の6万5525k屬如⊃邑は約2100万人であるから人口密度は日本と同じだ。首都は1985年にコロンボから遷都されたスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(通称コッテ)で、コロンボの中心部から南東約10kmに位置する。市街地はコロンボと隣接しており、実質的にコロンボの一部とも言えよう。人口約75万人のコロンボはスリランカ西岸に位置する同国最大の港町で、今も植民地時代の街並みが残る。

 

 街の中心は、コロンボ港とベイラ湖を繋ぐ運河を鋏んで西側に位置するフォート地区と、運河の東側にある庶民的な下町のペター地区から成る。官公庁やオフィスが多いフォートでひときわ目立つのが時計塔 で、この時計塔から300mほど北東、目抜き通りヨーク・ストリートに建つカーギルスは、1844年創業の老舗百貨店だ。大通りに面して堂々と建つ重厚な姿は、植民地時代の栄華を物語る。ただ、この辺りの高層ビル(世界貿易センターなど)は、内戦による爆弾テロで壁や窓が吹き飛ばされたままになっていた。

 

 

コロンボ市街地とインド洋俯瞰 カーギルス付近を散策する筆者  

 

 フォートの南、ゴール・ロード沿いに広がるインド洋に面しているのがゴール・フェイス・グリーンという緑地だ。広い芝生でホッケーなどに興じる人たちがいたが、日没時になると夕陽がインド洋を赤く染める。一方、ベイラ湖のすぐ南にはヴィハーラ・マハデーウィ公園があり、かつてはシナモンの栽培が行われていた。広い園内では花々が咲き乱れ、仏像も立っている。南郊外にあるデヒワラ動物園はアジア最大級の動物園と言われるが、オランウータン以外は物足りなかった。

 

 

ゴール・フェイス・グリーン ヴィハーラ・マハデーウィ公園

 

 スリランカで一番人気のある観光地と言えば、コロンボの北東163kmにあるシギリヤ・ロック。5世紀に狂気の王・カッサパ1世によって建造された都市遺跡で、ジャングルの中に忽然と立ちはだかる標高370mの岩山だ。エアーズロックに少し似ているが、頂上部分はライオンの頭の形をしている。蓮の水路というお濠を渡って岩山に向かっていくと、水の広場がある。そこには王の沐浴場などがあり、広い庭園になっている。そこを通り抜けていくと、愈々シギリヤ・ロック登山の始まりだ。

 

 

   シギリヤ・ロック    シギリヤ・ロック前に立つ

 

 初めは巨大な岩が折り重なる間を抜け、しばらく石の階段を登って行くと鉄製のらせん階段があった。その階段を上り西側の断崖の中腹に着くと、謎に満ちたシギリヤ・レディのフレスコ画が現れる。当初は岩肌に約500人の女性が描かれていたが、王宮の女性たちを描いたとも妖精の姿であるとも言われる。現在見ることができるのは18体のみだが、色彩は今も鮮やかで美しい。フレスコ画の下に位置する回廊の壁はミラー・ウォールと呼ばれ、鏡の回廊を見て進むとライオンの入口という踊り場に出る。

 巨大なライオンの爪の形をした宮殿の入口があり、断崖絶壁にへばりつくように延びる急な石段を登り切り頂上に辿り着いた。そこには王宮跡などがあり、天界へ昇ったような眺望が開けていた。周囲360度には見渡す限りの緑の樹海が広がり、その絶景に思わず息を呑んだ。

 

 

シギリヤ・レディを背にして      宮殿の入口付近

 

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 訪問時は内戦が続いていたため全般的に鬱陶しいムードの旅であったが、一つだけ心も体もリラックスできるものがあった。それはインド伝来の伝統的な医学であり究極の健康法であるアーユルベーダ を体験したことだ。マッサージ中はつい眠くなるほど気持ち良く、およそ1時間後に終わったが、心体ともに爽快であった。

 

              ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

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| 世界の旅−アジア | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
インドとパキスタンが領有権を争うカシミールの桃源紀行
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 先月(2月)下旬はずっと、ベトナム・ハノイで開催されたアメリカと北朝鮮の首脳会談に関する話題で持ちきりであった。その焦点は北朝鮮の非核化であったが、その陰に隠れるように勃発したのが、核兵器を持つインド・パキスタン両国の軍事衝突。そのきっかけは、インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方で2月中旬に起きたテロ事件だ。インド側のジャム・カシミール州の州都スリナガルの郊外プルマワで、インドの治安部隊40人が殺害されたのだ。

 インド政府はパキスタンから越境してきたイスラム過激派組織、ジャイシェ・ムハマド(JeM)の犯行と主張し、拠点とされるパキスタンの首都イスラマバードから北約100kmのバラコットを空爆した。その後はカシミールの実効支配線になっている停戦ラインを挟んで両国戦機による空中戦となり、インドは相手の1機、パキスタンは同2機撃墜した由。カシミールを巡りこれまで時々地上で砲撃戦があったが、空軍機が打ち合うのは極めて異例である。

 懸念されるのは両国の現政権が国内の支持固めのため、強硬な手段に訴え兼ねないことだ。インドのモディ首相は4〜5月に総選挙を控えてパキスタンに弱腰を見せられず、昨年8月に就任したパキスタンのカーン首相も総選挙で「インドに絶対譲歩しない」と訴えていたからだ。

 

 

 

 長年懸案になっているカシミールの帰属は、1947年に両国がイギリスから独立以来の争いの根源と言えよう。特に、1971年まで3度もインド・パキスタン戦争が起きたが、その当時と現在では情勢が全く違う。つまり、1998年に両国は競うように核実験を繰り返し、インド約130、パキスタン約140の核弾頭を持つ核武装国になっているのだ。このまま両国の武力衝突がエスカレートすれば、アジアは勿論、世界の安全保障にとっても大きな脅威となろう。

 早速インドとパキスタンの夫々の友好国、アメリカと中国が憂慮し、仲裁に乗り出す構えを見せている。しかし、超大国の関与は不必要な内政干渉にもなり、シリアなどの例を見るごとく代理戦争 or 内戦を誘発するリスクをはらんでいる。やはり、国連を中心にして国際社会は一致協力して両国に圧力をかけ、危機を未然に回避するため速やかなアクションが望まれよう。

 

 そんな危険極まりないと見做されるインド側とパキスタン側のカシミールを、私ことワールド・トラベラーは既に何度も訪れているが、特に印象深かった2008年7月に出かけたインドが実効支配するジャム・カシミールの旅の模様を紹介しよう。

 

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 灼熱の太陽が照りつける平地に位置するインドの首都、ニューデリーからカシミールの最大都市スリナガルに着くと、清涼な空気と桃源郷を思わせるような美しい景観が広がる。しかし、最初に足を踏み入れた空港はまるで空軍基地のように殺風景で、なんとなく物々しい雰囲気だった。タクシーを拾い市内に向かうと、沿道ではおよそ500m毎に銃を持った兵士が立つ。この不気味な光景はスリナガル郊外でも似たり寄ったりで、ずっと東寄りにあるレーでも軍事基地が多いので緊張感が漂う。

 

 先ず、これがインドかと疑いたくなる最北の地、スリナガルは海抜1730mに位置し、まさに桃源郷のような別天地だ。涼風が香る山の空気と鮮やかな緑が長旅の疲れを癒してくれた。ヒマラヤに流れを発して大河インダスに合流するジェラーム川が広い谷を形成し、この盆地状の渓谷の中央に大小3つの湖に囲まれた市街地が広がる。観光のスタートは、町の東にある大きなダル湖がイチ押し。水草が生えて透明度が高い水を湛える湖には無数とも言うべきハウスボートが浮び、周りには緑濃い山々が連なる。名物の手漕ぎの小舟シカラで約3時間の湖上遊覧を楽しんだ。

 

 

     ダル湖とハウスボート   湖上遊覧を楽しむ筆者

 

 ネルー公園になっている小島、スイレンなどが咲く水上庭園、水上マーケットなどを回り、情緒たっぷりのクルーズを満喫した。少しイタリアのヴェニスと雰囲気が似ているダル湖の東岸沿いには、ムガール帝国の皇帝たちが造った庭園がいくつかある。中でもジャハーン・ギール皇帝が王妃のために造ったシャーリマール・バーグが素晴らしく、多くの噴水と背後の山並みが美しい。また、イスラム教徒の街だけにモスクも目立ち、カシミール様式のモスク建築が興味深い。数ある中でも1400年創建のジャマー・モスクは、砂岩造りの荘重なインド・サラセン様式のモスクとして知られる。

 

 

 シャーリマール・バーグ   ジャマー・モスクを背にして 

 

 郊外も見どころが多く、スリナガルの東80kmほどにあるソーナマルグが特におススメだ。標高が2740mもあるので肌寒く、少し走ると息苦しくなる。ポニーに乗って約3kmの先にある氷河近くまで行ったが、緑の草原の背後に聳えるヒマラヤ山脈の雪山が白く輝き感動的であった。

 それはまさに平和そのものの桃源郷を彷彿させる佇まいだが、一方では沿道のあちこちに国境兵士がものものしく警備していた。記念にと一人の兵士と仲良く写真を撮ったものの、やはり積年の紛争の地と気づくと直ぐに我に返った。

 

 

  ソーナマルグで乗馬する    兵士と仲良くなった

                ワールド・トラベラー

 

 イスラム文化が息づくスリナガルから空路で東へ飛び、約45分後に行政的には同じジャム・カシミール州に属するが、チベット的な風土を持つラダック地方の中心都市レーに到着した。飛行中に機内から眺める風景も、緑豊かなスリナガル盆地から厳しく荒涼たるラダック山地に変わる。チベットが源流でインダス河の上流に位置するラダック地方は、「小チベット」とも呼ばれるほどチベット仏教(ラマ教)の世界が広がる。その中心的な役割を担うのがラマ教の僧院ゴンパで、その規模や豪華さは本場チベットの寺院を凌ぐものもあるほどだ。

 レーを拠点にしてインダス河沿いの各地のゴンパを巡ったが、南東郊外43kmにあるヘミス・ゴンパが最も有名だ。17世紀前半に創建されたラダック最大のゴンパで、僧が神々の仮面をつけて豪壮に踊るヘミスの大祭で知られる。レーとヘミス・ゴンパの中間にあるティクセ・ゴンパは15世紀に険しい岩山に砦のように築かれ、ラサのポタラ宮を彷彿させる。ほかに、西郊外約60kmのリキール・ゴンパ、町の北外れの丘にそびえ建つ白亜のシャンティ・シャンカル・ゴンパも見逃せない。なお、レー市内では、町の北背後の岩山に建つ旧レー王宮が必見で、16世紀築の威風堂々の建物だ。

 

 

            ヘミス・ゴンパ                      ティクセ・ゴンパ

 

レ―郊外のマト・ゴンパ付近 シャンティ・シャンカル・ゴンパ

   で少年僧と共に

 

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 仁義なき戦いのような争いを永年続けるインドとパキスタン両国だが、独立前は英領のインド帝国を形成していた仲間だ。お互いに信奉する宗教(ヒンドゥー教とイスラム教)の違いは深刻だが、いわゆる本来は兄弟国である。だが、肉親間の相克は一旦こじれると、修復が至難であるとされるのは古今東西を問わないようだ。

 

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| 世界の旅−アジア | 00:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
2度目の米朝首脳会談が行われるハノイ慕情
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 5日後の5月27日から28日までの2日間、2度目の米朝首脳会談がベトナムの首都ハノイで開催される。アメリカのドナルド・トランプ(Donald John Trump)大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との2回目の首脳会談は、当初はセキュリティー上の都合で、APEC(アジア太平洋経済協力会議)も開かれたベトナム中部の都市ダナンでの開催をアメリカは希望した。しかし、北朝鮮側が大使館のあるハノイでの開催を強く希望し、アメリカが押し切られた形だ。

 

 

             ハノイの古い街並みを俯瞰

 

 トランプ大統領は、「金委員長と会うことを楽しみにしている。」とした上で、「金委員長の指導力のもとに偉大な経済大国となるだろう」と強調し持ち上げた。また、最近は非核化につき北朝鮮に対する頑なな態度を軟化させ、北朝鮮が欲しがる見返りが必要なことに気付いたようだ。要するに、先ずは北朝鮮との信頼醸成をする、アメリカの方針転換が垣間見られる。

 米朝の実務者協議では依然として非核化の溝が埋まらないのに、何故急に2回目の首脳会談に前のめりになっているのであろうか?アメリカ国内では「メキシコ国境での壁建設」「ねじれ国会」「ロシア疑惑」などで内政が苦境に立つ中、外交で成果を上げたいと同大統領のビジネスマンとしての強かな計算と思惑があるようだ。

 

 ところで、16日に報じたロイター通信によれば、金正恩委員長が27日〜28日のトランプ大統領との再会談に先立ち、25日からベトナムを訪問する見通しとか。会談が近付くにつれ関係国の準備が加速しており、21日から北朝鮮の金赫哲(キム・ヒョクチョル)対米特別代表がアメリカ国務省のビーガン北朝鮮政策特別代表とハノイで実務協議を続けている。一方、専用列車で北朝鮮の平壌から中国経由で、26日にハノイに乗り込む案もあるようだ。

 いずれにせよ、ベトナム政府は米朝首脳再会談とは別に、北朝鮮の金委員長を国賓待遇で受け入れ、最高指導者グエン・フー・チョン共産党書記長との会談や、ハノイ周辺視察などを設定する準備を進めている。同委員長が25日にベトナム入りした場合、米朝首脳再会談の前に北朝鮮・ベトナム両国の首脳会談の日程が組み込まれそうだ。

 

 米朝の交渉はこれまでのところ北朝鮮ペースと言え、北朝鮮に足元を見られている形勢のようである。このままでは肝心の非核化が進まない事態も想定され、交渉は長期化しよう。北朝鮮に核を廃棄させるための非核化交渉が、いつの間にか北朝鮮の核を温存したまま、実質的に核軍縮交渉にすり替わると言うリスクも懸念される。一方、前回のシンガポール会談で蚊帳の外に置かれた我が日本政府は、どのように対処するのであろうか?

 拉致問題の進展などの期待もあるが、むしろ不安のほうが多いのではないだろうか?例えば、トランプ大統領が首脳会談の成果を急ぐあまり、アメリカ本土を射程とする大陸間弾道ミサイル(ICBM)の廃棄だけを先行させる恐れも否定出来ないことだ。これは日本を射程に収めるものも含め、あらゆる射程のミサイル廃棄を北朝鮮に求める我が国の方針と矛盾し問題である。

 

 セレモニー的な前回の会談に比べて様々な駆け引きが暗躍しそうな2回目の首脳会談の舞台になるハノイは、1996年10月と2002年12月の2度訪れている。既に2017年3月2日の幣ブログ『天皇、皇后両陛下ご訪問のベトナムの旅(1)−古都ハノイとフエ』で紹介済みで一部重複するが、再度ハノイについて触れてみよう。

 

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 ダイナミックで活気あるベトナム南部の最大都市ホーチミンと対照的に、1760kmも北に位置するハノイは落ち着きのある古都である。人口は700万人を超え、ベトナム第二の大都市だ。11〜13世紀の李朝時代に都になった街には由緒ある寺も多く、ホーチミンに比べると落ち着いた情緒がある。市街地はベトナム有数の川・ホン川(紅河)の右岸に広がり、この川の近くにあるのがホアンキエム湖 である。街のほぼ中心にあり、レロイ王の伝説で有名だ。度々ホン川の氾濫でできた湖は、かつて川とも繋がっていたとか。

 湖の北岸近くにある島では18世紀築の玉山祠が建っており、この付近はハノイ市民にとっては憩いの場所になっている。岸から赤く塗装された木製の太鼓橋・フク橋を渡ると島に着き、島内には文学の神スオン王や、13世紀モンゴルの侵略を撃退し活躍したチャンフンダオなどが祭られている。また、湖の中央に浮かぶ小島には亀の塔が建つ。湖の北側は古い家並みが続く旧市街になっており、一帯はハノイ36通りと呼ばれて様々な店が並び、タイムスリップしたような風情がある。

 

   

     ホアンキエム湖          玉山祠      

 

 ホアンキエム湖の約2km西には、1070年建立の文廟(孔子廟)がある。1076年には国内初の大学・国子監が敷地内に置かれ、王族と貴族の子弟や官僚が学んだ。学問にご利益のある場所として、観光客だけでなく多くのベトナム人が訪れる。必見はハノイの象徴の一つになっており、19世紀の阮(グエン)朝時代に出来た奎文閣の池の両側にずらりと並び壮観な82の石碑だ。昔の官僚登用試験、科挙の合格者の名前と出身地が刻まれた石碑が、石造りの亀の上に乗っている。

 

  

   文廟前に立つ筆者                 文廟の奎文閣

 

 文廟から1kmほど北には、一柱寺と言う小さなお寺がある。李王朝時代の11世紀に建てられた寺は一本柱で支えられ、池に浮かぶ蓮の花のようと形容される。そのユニークな外観からフランス統治時代の建物と並び、ハノイを代表する歴史建造物として有名である。李朝の王が世継ぎに恵まれていなかった頃、蓮の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見て待望の子供を授かったとされる。王がその謝恩にと建てた由で、子宝に恵まれるご利益を祈願する人々で賑わいを見せる。

 

   

    一柱寺         ホー・チ・ミン博物館 

 

 一柱寺の南側には、1990年に建てられたホー・チ・ミン博物館がある。ベトナム人指導者の故ホー・チ・ミン主席および外国の支配に抵抗するベトナムの革命闘争に捧げられた博物館で、主席の遺品や革命の歴史などを展示している。一方、北側には1975年に建てられたホー・チ・ミン廟がある。総大理石造りの堂々たる建物がひときわ目立ち、廟内には主席の遺体がガラスケースに入れられ安置されている。廟の外に出て道なりに行くと、主席が住んでいた高床式の木造家屋があり、庶民的であった故人の人徳が偲ばれる。

 

 

       ホー・チ・ミン廟                          水上人形劇

 

 ほかに、1000年もの歴史を持ちベトナム名物として有名なタンロン水上人形劇場が、ホアンキエム湖の玉山祠の近くにある。会場はホーチミンのような屋外ではなく屋内で、水をはった7〜8m四方の池状の立派なステージが設置され、華やかなショーを堪能した。ステージ左手には歌手と楽団が陣取り、水牛や龍、アヒルや魚などが水上と水中を自由自在に動き回り興味深い。素朴な感じの人形などが繰り広げる幻想的な世界は、ベトナム人の真の心を見た思いで感動的であった。

 

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 何故トランプ大統領は北朝鮮との対話にかくもご執心なのであろうか?今年のノーベル平和賞と大統領再選と言うダブル受賞!?を意識しているのであろうか?

 

後記

 23日に特別専用列車で平壌を出発した金正恩委員長は中国を南下し、約66時間後の26日朝に中国国境に近いベトナム北部のドンダン駅に到着し、乗用車に乗り換えてハノイ市内に向かった。中国内で列車は、河南省の鄭州、湖南省の長沙、同自治区の南寧、広西チワン自治区の憑祥などを通過した模様で、その距離はおよそ2600kmとか。一方、トランプ大統領も26日夜に大統領専用機でハノイ空港に到着した。両首脳による会談は予定通り27日からハノイの最高級ホテル、ソフィテル・メトロポールホテルで始まった。

 

 

               ソフィテル・メトロポールホテル

 

 しかし、初日は順調であった会談の結末はあっけなく、想定外のものとなった。2日目の会談ではワーキングランチ(昼食会)が中止になるなど、首脳会談は事実上決裂に終わった。トランプ大統領は早々とハノイを去り、帰国の途に就いた。一方、金正恩委員長は3月2日まで滞在し、種々視察する実を取る意向の様だ。合意に至らなかった主因は肝心の非核化の進め方につき両国間の溝が埋まらず、他方北朝鮮が求めた完全な制裁解除をアメリカが拒絶したとか。

 北朝鮮にとり誤算との見方もあるが、そうとも言い切れないであろう。 首脳会談では一見成果が無かったようだが、滞在中の経済発展が目覚ましいベトナム視察で何か収穫があった筈である。やはり筆者が推察した通り、金正恩委員長は35歳の若輩ながら、侮れない手強いネゴシエーターのようである(2月28日)。

 

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外国人受け入れ拡大で期待される国ベトナムの旅(2)
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 一昨日(10日)に閉幕した第197臨時国会では、最大の焦点であった外国人労働者の受け入れを拡大する改正出入国管理法など、政府が提出した法案全てが成立した。特に来年4月から施行される改正入管法の採決強行ぶりは正視に耐えないもので、明らかに審議時間不足の消化不良法案以外の何物でもない。いくら人出不足問題が喫緊とは言え、拙速主義の禍根を残したのではないかとの疑念は消えそうもない。

 この法案成立によって「特定技能」という新たな在留資格は、技能水準によって2段階になる。在留期限は最長5年で家族帯同が認められない特定技能1号と、在留期限は上限が無く免許制で家族帯同が可能な特定技能2号である。政府は5年間で最大34万5000人の受け入れを見込み、建設や介護など14業種を検討の対象とするが、下手をすれば「取らぬ狸の皮算用」にも成りかねない。

 と言うのは、我が政府が期待したほどの人材が集まらないリスクもあるのだ。人出不足は日本だけのものではなく、他のアジアの経済成長が著しい新興国などでも深刻で、人材の奪い合いが熾烈なようだ。外国人に求められる技能の中でも、彼らにとってハードルが高いのは日本語習得であろう。日本以外ではあまり使えない日本語ゆえに、むしろ日本を敬遠して他国で働きたいとの希望者が多いと聞く。

 

 さて、外国人材で特に期待されているのは、働き者のベトナム人であろう。外食で出かけて入ったレストランの多くでは、ベトナム人が甲斐甲斐しく働く。計画経済から市場経済への転換後は経済発展が目覚ましいベトナムは1994年9月、1996年10月、2002年12月の3度も訪れており、既に2017年3月2日の幣ブログ『天皇、皇后両陛下ご訪問のベトナムの旅(1)−古都ハノイとフエ』で紹介済みだ。今回はホーチミン以南の南部につき、触れてみたい。

 

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 サイゴン川沿いに広がるベトナム最大の経済都市ホーチミンは、フランス植民地時代のシックなコロニアル様式の建物が点在する情緒ある街並みを形成する。一方では、解放後の急速な発展による開発ラッシュで、どこも人、人、人、バイク、バイクで溢れエネルギーが充満する。観光のスタートはホーチミン市人民委員会庁舎 の公園広場がおススメだ。通称ホーチミン市庁舎は1908年に当時のサイゴン市庁舎として建てられ、優雅なフレンチコロニアル様式の建物は観光客に人気がある。建物正面前の公園広場には建国の父ホー・チ・ミン像が設置され、腰かけた「ホーおじさん」と寄りそう少女の像が立つ。

 

 

    ホーチミン市人民委員会庁舎         庁舎前の公園広場

 

 この公園からサイゴン川に向かって東に延びるメインストリートがグエンフエ通りで、この通りの北側を平行するのがドンコイ通り。土産物店やレストランなどが多く、散策にも良い。市庁舎から約700m西に行くと統一会堂(旧大統領官邸)がある。1966年築のかなり豪華な建物は、南ベトナム政権時代に独立宮殿と呼ばれた旧大統領官邸だ。1975年4月30日に解放軍の戦車が官邸に無血入城し、ベトナム戦争は終わった。大統領作戦室で記念撮影した。ここから北西500mほどにあるのが、1880年に建てられたネオゴシック様式が見事なサイゴン大教会だ。尖塔の高さ58が、実際よりもひときわ高く見える。この大教会の対面にあるのがサイゴン中央郵便局で、パリのオルセー美術館はモデルにしたと言われ、内部の半円形の天井が素晴らしくクラシックな雰囲気を醸し出す。

 

   

        旧大統領官邸      サイゴン大教会前の筆者  

 

 市の中心部から西へ約5m行くと、在ホーチミンの華僑の大半が住むチョロンというチャイナタウンがある。見どころは1914年に完成したチョロン最大の中央市場、ベンタイン市場だ。生鮮食品、繊維、雑貨など品揃えが豊富で、ベトナムにいながら中国のムードが漂う。街にはいくつかの仏教寺院があるが、南部ベトナム一の規模を誇るのがヴィンギエム寺(永源寺)で日本とも縁が深い。日本留学の僧が開いた寺は1971年と新しいが、、石段を上がった右手にある「平和の鐘」と称される鐘楼は日本の曽洞宗の寺から寄贈されたもの。ベトナム伝統の一つとして知られる水上人形劇はロンヴァン水上人形劇 を鑑賞した。会場は統一会堂の西側にあり、初めて観るショーに魅入られた。

 

 

  ベンタイン市場を散策         水上人形劇

 

 市庁舎前の公園からメインストリートのレロイ通りに出て約200m北上すると、繁華街ドンコイ通りと交差する近くにサイゴン・オペラハウスとも呼ばれるホーチミン市民劇場がある。1900年にオープンした建物はやはり フレンチ・コロニアル様式で、パリのプティ・パレ美術館に似たファサード(建築物の正面部分)がひときわ目立つ。市民劇場からサイゴン川に向かう途中で、色彩溢れるユニークな建物が目に入った。黄色の壁に囲まれたヒンドゥー教寺院のスリ・タンディ・ユッタ・バニで、中に入ると青やピンクの世界が広がる。回廊の柱には神様を描いた絵があり、壁や床に貼られたアンティーク調のタイルが美しい。サイゴン川に出るとそこは港になっており、約2時間のクルーズを楽しんだ。ハイカラな船上ホテルがある一方、今も水上集落に暮らす貧しい人たちの姿も見かけた。

 

 ホーチミンから車で国道1号線を南西に向かう事およそ2時間、メコン川クルーズの拠点となるメコンデルタ河口の町ミトーに着いた。竜眼やマンゴーなど果物の産地、或いは米粉で作られるフーティウ麺の本場として知られる。町の東側にあるミトー市場に少し寄った後、船乗り場から小さなモーター付きの木造船に乗り込みメコンクルーズに出かけた。全長4000km、遥かチベットを源流に持つメコン川が長い旅路の末に辿り着くのがベトナム南部である。この地域を流れる頃には川幅はなんと3kmほどにも及び、多くの支流を縦横に延ばす大河となる。日本ではちょっと体験できない大河の魅力を楽しめるのがメコン川クルーズだ。

 

 

   ミトー付近のメコン川   ジャングルクルーズを楽しむ

 

 両岸のジャングルを眺め、のんびりと川風に吹かれ茶色く濁ったメコン川の雄大な流れの中を行く。その間甘いココナッツのジュースを飲みながら、寛ぐのがなんとも心地良かった。メコン川の周囲ではココナッツの栽培も盛んで、そのヤシやマングローブの林を小さな手漕ぎボートでくぐって行くのが熱帯ジャングルクルーズ。覆いかぶさるようなヤシの葉の中をくぐって行く一方、観光客を載せた小舟が次々とやって来るので、衝突しないように避けながら進んで行く少々リスキー体験が楽しめる。その後は中州にあるタイソン島に上陸し、果樹園を散策した。島のレストランでは、パイナップル・バナナ・竜眼・ランブータン・ドラゴンフルーツなど色々なトロピカル・フルーツ付きのランチを堪能した。 

 

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 現行の技能実習制度では、実習生を送り出す国での悪質なブローカーの暗躍が問題になっている。この点では先輩格の韓国を見習うべきであろう。政府間で情報を共有し、悪質ブローカーが関与した労働者は入国させないシステムが確立しているからだ。

 

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| 世界の旅−アジア | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
さまよえるイエメン難民と済州島
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 最近「世界最悪の人道危機」と呼ばれる内戦が続く国がある。それはシリアではなく、アラビア半島の最貧国イエメンである。国連などはイエメンの人道危機を世界でも最悪と指摘する。2015年3月頃に始まったハディ暫定大統領派とイスラム教シーア派の反政府勢力のフーシ派との内戦は、夫々の後ろ盾であるサウジアラビアとイランという中東の地域大国をも巻き込む。大国の代理戦争の場でもある構図は、アメリカ vs ロシアのシリアと酷似する。詳細は2017年12月19日付け幣ブログ『内戦が泥沼化するイエメンの幻想紀行(その1』をご参照。

 人口約2800万人のうち約1万人が死亡し、その約4分の1が幼い子供たちである。武装組織により徴兵された子供たちも、3000人近くにのぼるとか。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、イエメンから国外(サウジアラビア・オマーン・ソマリア・ジブチなど)への難民は約20万人で、国内避難民も約200万人に達する。さらに、長引く戦闘や空爆で食料品などが人々に届きにくくなり、2017年末の時点で約840万人が飢餓状態に苦しんでいる。

 

 さらにイエメンから国外に逃れた難民の一部は、韓国を代表するリゾート地の済州島まで押しかけて来ている。マレーシア経由で1万1000kmも離れた島へ、ビザなしでも入国できる済州島限定の特別な制度を利用して入島し、難民申請しようとするものだ。その数は500人を超え、支援する地元住民もいるが、韓国の世論は難民受け入れに不寛容でトラブルが相次いでいるようだ。

 因みに、我が日本の難民受け入れは、依然として鎖国状態にある。2017年の難民認定申請は1万9628人に対し、難民認定されたのは僅か20人で認定率は1000分の1という狭き門である。これほど難民受け入れに閉鎖的な国は世界でも珍しく、国際社会から厳しく非難されないのが不思議でならない。我が国のグローバル化、或いは真の国際化につき、大いなる疑念を持たざるを得ない。

 

 さて、成田から空路で約2時間で着く最も近い外国が済州島である。気候が温暖なところから別名「韓国のハワイ」or「東洋のハワイ」と称されるリゾートアイランドを、2004年5月に当時は元気であった妻と共に訪れている。その旅の模様を紹介しよう。

 

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 本土から約90km離れた韓国最南端の島は、人口は約65万人、面積1847k屬覇厩餾蚤腓療腓任△襦0貌θ湘腓魄豌鵑蠡腓くした広さの火山島は、全体的に沖縄に似た感じだ。暖流の対馬海流が運んで来る豊かな海の幸に恵まれるが、島の中央にそびえ標高が1950mもある休火山の漢拏山(ハルラ)は島の農業などを困難にした反面もある。古くは独立国・耽羅(タムナ)を名乗るなど、独自の文化・歴史・風俗を今も残している。

 

 島の最大都市は島東部にある済州市である。同市から東へ約45kmに、済州島を代表する景勝地、城山日出峰がある。まるで岬のように見えるが、実は約10万年前に島の最高峰ハルラ山の噴火口が海中にできたもの。城山日出峰の頂上までは、整備された階段などのトレッキングコースを登って行ける。40分ほどで階段を上り切りと、 高さ182mの頂上に着く。眼下は馬の放牧場になっており、緑の噴火口が広がり牧歌的だ。噴火口の深さは90m、東西約450m、南北約350mのほぼ円形である。

 

  

   ハルラ山の頂上    城山日出峰を俯瞰  妻と城山日出峰を背に

 

 頂上は360度の展望台のようになっており、ため息が出るほどの景観が広がる。海側は青々とした海と火山口に生えた草木の緑色とのコントラストが神秘的で、島側は遠く彼方にそびえたつハルラ山なども見渡せる。ここから西へ約20kmにはサングムプリ噴火口があり、ハルラ山の噴火によってできた巨大な穴がある。この噴火口から13mほど南東に向かうと城邑民族村があり、わら葺き屋根と石を積んだ島独特の家が建ち並び興味深い。

 

 島南部の西帰浦は人口約8万人の済州島第二の町で、この町の中心地から東へ歩いて約15分、切り立った崖から東シナ海に直接流れ落ちる正房瀑布が見えてくる。海に直接落ちる滝は韓国では唯一ここだけで、世界でも大変珍しい貴重な滝と言える。幅8m、高さ23mの落差はそれほど高くないが、優美な姿と数少ない海辺の滝がセールスポイントで観光客に人気がある。

 

    

     サングムプリ噴火口               城邑民族村                    正房瀑布

 

 また、この滝から西へ約15kmにあるのが天帝淵瀑布で、まるで天女の白い羽衣のように美しい。最初に高さ22mから深さ21mの池に流れ落ち、その下の第二、第三の滝に続いている。滝の上には7人の天女像を彫刻した仙臨橋と天帝楼という楼閣があり、ここから眺める滝は格別の美しさだ。一方、滝から海岸まで続く2kmの道には100余種の暖帯植物が自生している。

 

 島西部で見逃せないのは翰林公園で、ヤシの木が生い茂る南国ムードが溢れる済州島最大にして唯一のテーマパークだ。約10万坪の広大な園内に亜熱帯植物園、立派な椰子の木通り、開発中に偶然発見された溶岩洞窟の双龍窟 や石灰洞窟の挟才窟 、財岩民俗村、蓮の池庭園、サファリ鳥類園などがある。

 最も圧巻は済州石の盆栽園だ。ハルラ山の噴火で形成された溶岩や玄武岩の奇岩、そして樹齢300年のカリンも見どころである。公園前には白砂と溶岩でできた挟才海水浴場が広がり、作家、司馬遼太郎の記念碑もある。

 

 人口約30万人の島最大の町、済州市の中心は繁華街になっている中央ロータリー周辺だ。ロータリーから東へ約400m行くと、済州島最大の市場、東門市場がある。市場の表通りは色とりどりのフルーツを売る果物店が多いが、奥に入ると路地が迷路のように入り組んでおり、新鮮な魚介類やトルハルバン(火山岩を彫って作る守り神)を売る店がずらりと並ぶ。この市場から約1km南下すると三姓穴がある。済州島のルーツとされる耽羅の国を創始した三神人の神話が残る聖地である。

 

  

        −−− 翰林公園 −−−             三姓穴

     

 一方、西海岸にある龍頭岩という奇岩は、その名の通り龍の頭に似ている。ハルラ山から流出した溶岩が海で固まってできたもので、伝説のある岩は夕暮れ時が美しい。一方、約6km南郊外に耽羅木石苑というユニークな私設公園がある。敷地面積1万屬留狷發砲蓮奇妙な形の石や木の根っこなどが多数展示され興味深い。

 

 ところで四方を海に囲まれた済州島には、新鮮な海の幸を材料にした様々な料理がある。特にカルチ(太刀魚)、オクトム(アマダイ)、オブンジャッ(トコブシ)、チョンボッ(アワビ)など豊富な海の幸を使った鍋料理や汁物は、値段も手ごろで味も最高である。また、海産物以外にも、黒豚のオーギョッサル(豚の5枚肉)、キジ料理などの特産物がある。

 特に舌鼓を打ったのがキジのしゃぶしゃぶ・クォンヨリだ。クォンとはキジのことで、済州島の名物料理である。大侑狩猟場のレストランで賞味した脂身が全くないキジ肉のしゃぶしゃぶは、キジの骨で取ったダシ汁に、ネギ・シイタケ・セリ・ダイコンなどの野菜を入れて作る。あっさりとした味でなかなか美味かった。最後はオジヤで締めくくり、食後満腹で歩くのが困難なぐらいであったほど。

 

  

          龍頭岩     石苑のトルハルバン  キジのしゃぶしゃぶ

                         クォンヨリ 

 

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  まるでハネームーンを楽しんだかのようなパートナーの妻は、不治の病(認知症)に伏して4年近くになる。妻の病状を考えると、済州島での懐かしき夢のような想い出も遠く彼方に吹っ飛び、悲しく切なくもなる。

 

              ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

講演会のお知らせ
 

 筆者の ワールド・トラベラーこと癲々治が下記要領で講演します。お時間があれば、是非ご聴講下さい。

主催者:JAPAN NOW 観光情報協会

    『第146回観光立国セミナー』

日時:10月12日(金)12:00〜14:00  
場所:海事センタービル2階 会議室

         東京都千代田区麹町4−5  TEL 03-3265-5481  
演題:272ヵ国・地域を旅した

   ワールド・トラベラーが想う真の国際化
入場料:有料
お問い合わせ:観光情報協会事務局 TEL 
03-5989-0902 or

       世界の人形館 TEL 04-7184-4745
        E−MAIL  ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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| 世界の旅−アジア | 01:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
2018アジア大会の開催地ジャカルタとパレンバンの想い出
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 第18回アジア競技大会2018が、今月の18日からインドネシアの首都ジャカルタで始まった。当初はベトナムの首都ハノイ開催される予定であったが、ベトナム政府が財政難を理由として開催を辞退した。代わりにインドネシアのジャカルタとパレンバンで開催されることになったが、2都市での共同開催はアジア競技大会としては初めてだ。大会前半のハイライト種目では、競泳で池江璃花子選手など日本勢の活躍が目立ち、ライバルの中国とのメダル獲得争いは熾烈のようだ。

 前回のジャカルタ大会は筆者が若かりし頃の56年前に開かれたが、今でも少しだが記憶している。当時は17競技に約1500人が参加したが、今回は42競技に約1万1500人が競い夏季オリンピック並みの規模である。ホスト役の

 

ジョコ・ウィドド大統領は国・インド・アメリカに次ぐ世界第4位の人口大国としての自負をのぞかせ、2億6000万人の国民を鼓舞する。そこには将来オリンピック招致を起爆剤とする国家の飛躍を目論む戦略が明白であり、来年の大統領選挙で再選を意識しているのであろう。

 

 そんな将来性があるインドネシアに、現役時代の1979年〜1984年に商社マンとしてジャカルタに駐在したことがある。当時は同地をベースにして広大なインドネシア各地を回り、パレンバンにも出かけたことがある。また、2003年11月にも訪れているジャカルタに就いては、2015年3月23日付け幣ブログ『インドネシア紀行(1) ワールド・トラベラーのジャカルタ駐在』と2016年1月20日付けブログ『テロで想起したイスタンブールとジャカルタ二都物語』で紹介済みだ。今回はさらに詳述し、パレンバンに就いても簡単だが触れたい。

 

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 ジャワ島の北西部に位置し、東南アジアを代表する大都市として発展する首都ジャカルタは、1619年から1942年までのオランダ支配時代はバタビアと呼ばれた。その後1945年8月まで日本軍が占領してジャカルタと改称された。日本とも古くから深い繋がりがある街は、北部のジャワ海に近く華僑系が多い旧市街と、南部の官庁・ビジネス街や高級住宅地などがある新市街から成る。

 旧市街で店やレストランを営業しているのは大半が華人だ。街の北側はジャワ海に向けて扇を半開きにしたような形をしており、その中央をチリウン川が蛇行する。商業地のコタを核とする旧市街が広がり、運河がある辺りはオランダ植民地時代の名残りを留めており情緒がある。南下すると新市街があり、官庁街などが広がる街の中心モナス周辺と、高級住宅地やショッピング街になっている南のクバヨラン・バルに分かれる。さらに南東近郊には大きなテーマパークがある。

 

 

 モナスとムルデカ広場 テーマパークのタマン   コタ地区の中心 

            ・ミニで寛ぐ筆者

 ジャカルタ観光のスタートは新市街にあり、インドネシアのヘソとも言うべきモナスという独立記念塔が一押しだ。ムルデカ広場の中央に高々とそびえる通称モナスは、高さ137mもあり街随一のランドマークになっている。この広場付近には、東南アジア最大級のイスラム寺院イスティクラル・モスク、外観が優美なカテドラル、ジャワ原人の化石などが展示される国立中央博物館がある。

 この広場からハヤム・ウルク通りとガジャ・マダ通りを北上 すると、旧バタビア地区のコタ(町という意味)に入る。かってオランダの植民地貿易の中心地で、運河の国から来たオランダ人が掘った運河がいくつかある。華人経営の商店などが軒を連ね、所々に商館風の建物や運河の跳ね橋が残り異国情緒を盛り上げる。コタから約3km東にはアンチョールという総合娯楽遊園地にはゴルフ場があり、駐在時代はよくゴルフを楽しんだものだ。

 

 

イスティクラル・モスク  アンチョールのゴルフ場   コタの運河の跳ね橋

 

 一方、ムルデカ広場を出て新市街の大通り・タムリン通りとスディルマン通りを南下すると、スタジアムやゴルフ場があるスナヤンに入る。さらに南に向かうとジャカルタ南部の中心クバヨラン・バルに着く。ショッピング街のブロックMを中心にして高級住宅街が取り囲み、この付近には筆者も含め多くの日本人が住んでいた。

 ここから約10km南東にはタマン・ミニ・インドネシア・インダー、略称タマン・ミニというテーマパークがあり、週末は家族連れで賑わう。敷地内の中央に配した池にはインドネシアの各島が浮び、池の周りを各州の郷土館などが建ってインドネシア全体が俯瞰できる。数ある郷土館の中でも、スラウェシ島のトラジャ地方で船形の屋根を持つ伝統家屋トンコナンが抜きん出て異彩を放つ。

 

                                  −− タマン・ミニ −−

   

 タムリン通り付近     トラジャ館    妻・長男・次男と


 長さ1790km、幅最大435kmもあり日本より広いスマトラ島の南東部にあるパレンバンは、ジャカルタの北西約430kmに位置する。人口は100万人を超え、油田開発で発展する町である。町中を流れるムシ川によって南北に分かれ、両岸を繋ぐアンペラ橋は全長1117mもある。日本が戦後に賠償の一環として建設した橋は船が航行する時は橋桁が上昇する昇開橋で、この種の橋としては東南アジア最大級とか。

 この橋の下流約6Kmにクマロ島という三角州のような小島があり、島の中央に中国様式の見事な九重塔がある。この島はその昔中国の王子とシュリーヴィジャヤの王女のラブストーリーの舞台とされ、九層の塔のそばに生えている大木は「愛の木」と呼ばれ、そこを訪れると恋愛が成就すると言われる。ほかに、賑わう市場パサール、ムシ川河口近くにあるバンカ島などを訪れた。

 

 

  ムシ川とアンペラ橋    クマロ島の九重塔

 

  約5年間に及んだ駐在員生活で最大の想い出は、息子たちの教育の関係で強いられた単身生活であろう。しかし、筆者と同じ境遇の単身赴任者が数人集まって御殿のような豪邸で寮生活を送り、5〜6名の召使が何から何まですべて身の回りの世話をしてくれたので、特に不便さを感じることは無かった。さらに、勤務先から専用車と運転手を提供してくれ、平民出身の筆者としては、最初にして最後の王侯貴族の生活を満喫した訳だが、今から思えば異次元の夢物語であったようである。

 

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 アジア大会は昨日(2日)閉幕した。我が日本は中国に次ぐ75個の金メダルを獲得し、競泳女子で6冠に輝いた池江璃花子は最優秀選手(MVP)に選ばれた。一方、開催国のインドネシアのジョコ大統領大統領は、2032年のオリンピック開催国に立候補することを表明した。

 

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| 世界の旅−アジア | 12:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
公正が疑われる総選挙が行われたカンボジアの旅(1)
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 2週間もブログを更新しなかったので、何かあったのではと心配する読者がおられる。誠に有難いお気遣いである。実は最近貧血気味で、時々ふらつき寝込むことがあり体調は芳しくない。持病の腎臓機能低下の影響らしいが、人生100年時代の折柄この病と正面から付き合って行かざるを得ないであろう。つい前置きが長くなり恐縮だが、さて、

 

 カンボジアの国家選挙委員会が一昨日(8月15日)、かなり旧聞になるがさる7月29日に行われたカンボジアの下院議員選挙、いわゆる総選挙で、与党のフン・セン首相(写真下)率いるカンボジア人民党が125議席を獲得したと発表した。定数が125であるから、なんと全議席を獲得する文字通りの完勝である。人民党は2月の上院選でも全議席を占めており、事実上の一党独裁に国際社会の批判が高まりそうだ。

 5年前の前回総選挙で4割を超す票を得た最大野党の救カンボジア国党は、今回の総選挙前に解党に追い込まれた。また、政権に批判的なメディアも弾圧された。こうした異常な状況下で実施された選挙は、公正や自由とかけ離れたものである。欧米諸国などの国際社会はフン・セン政権による反対勢力弾圧を強く批判

(ネットより転用)

、政権への制裁にも動いている。因みに、確定投票率は83.02%であった。

 

 1993年に民主化への第一歩として内戦終結後初めての総選挙が実施されてから4半世紀が経ち、大きな節目の総選挙であった。この間一応民主化が進み、野党やメディアも育ってきたと言われる。しかし、逆行させたのは内戦時代から30年以上も首相を務めるフン・セン氏で、権力維持のための強権行使は批判されるべきである。同首相が斯かる声を無視するのは、欧米に頼らずとも経済支援で政権を支える中国の存在があるからであろう。

 中国は援助実施にあたり、欧米諸国のように民主化云々などの条件を付けない。カンボジアは中国と南シナ海問題を抱え対立するASEAN内にあって、むしろ中国の擁護者のようになっているのが実状だ。一方、我が日本は和平交渉からカンボジアに深く関与し、同国の国造りにも官民挙げて尽力してきた実績がある。日本だからこそできる現政権への関与のすべがある筈だが、菅義偉官房長官は明確なコメントを避ける。やはり外交は2〜3流と揶揄されるのは、的を得ているようだ。

 

 そんなカンボジアを筆者は1994年9月と2006年6月の2度訪れている。政治的には問題がある国のようだが、観光資源には恵まれた国である。世界的に有名なアンコール遺跡があるからだ。1992年〜1993年には自衛隊のカンボジア派遣(PKO)があり、未だ内戦の傷跡が深く残っていた1994年の旅の模様を紹介しよう。

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 内戦の後遺症がまだ重く残る現地を初めて訪れ、驚き考えさせられた場所がいくつかある。先ず首都プノンペンでは、かつてポル・ポト派が処刑した刑務所であったトゥールスレン博物館である。虐殺が行われた現場で、多数のしゃれこうべが山と積まれて展示されているのを見てギョッとした。この時のガイドがたどたどしい日本語を話す20歳ぐらいの青年で、後でぜひ案内したい場所があると言う。一緒に行ってみると、そこは青年が住む古いお寺であった。

 電灯も無く気味が悪いほど暗いお寺で聞かされた身の上話は、なんと両親がポル・ポト派に殺されて孤児になったとの由。確かに同じところで似たような境遇の若い男性たちが一緒に住んでいたので、青年の話は本当なのであろう。日本に帰ると直ぐにその青年に会話上達のためにと、日本語会話の本を送ってあげた。今や壮年になったであろう青年は、その後どうしているのか今も気掛かりだ。

 

        −−  トゥールスレン博物館 −−

   

    博物館の外観    館内の展示室と筆者   ポル・ポト

 

 ところで、プノンペンの市街地はメコン川、トンレッサプ川 、バサック川の3つの川が合流する地に広がる。内戦終結から3年しか経たず、街はまだ荒廃した感じであった。しかし、その後遺症をほとんど感じさせなかったのが王宮ウェアンである。立派な建物が多い王宮内でも、ひときわ人目を引くのが1870年落成の優美な即位殿である。また、この王宮の敷地内で異彩を放つのがナポレオン三世の館という洋館で、宗主国フランスのナポレオン3世の妻、ユージーヌ王妃からノロドム王に贈られたもの。

 王宮の南側に隣接するシルバー・パゴダでは、王室の仏教行事が行われる。エメラルド寺院と呼ばれるに相応しく、大理石の支柱とテラスが美しい。このパゴダの近くにノロドムス王のストゥーパがあり、精巧なレリーフが描かれている。王宮から約1km東にあるセントラル・マーケットはプノンペン最大の市場で、いつも活気があり巨大ドームを中心にして四方へ棟を延ばした姿がユニークである。

 

   

    王宮の即位殿    王宮前広場に立つ   シルバー・パゴダ   

 

 カンボジア観光のハイライトと言えば、文句無しに12世紀のクメール王朝時代に建てられた壮大なヒンドゥー教寺院アンコール・ワットと近くの仏教遺跡アンコール・トムであろう。首都プノンペンの北西250kmほどに位置し、アンコール遺跡群の観光拠点になっているのがシェムリアップだ。この町の中心部から北へ約3kmにアンコール・ワットがあり、気軽にバイタクに乗って出かけた。クメール語で「お寺の町」という語意を持つ寺院は、密林の中に忽然と現れる感じ。クメール王朝時代にヒンドゥー教の三大神ヴィシュヌ神に捧げる寺院として建立され、幅約190m、長さ約600mもある大寺院は単一遺跡としては世界最大だ。また、東西1500m、南北1300mもある広大な濠で囲まれる。

 さて、アンコール・ワットの唯一の入口である西参道の石畳の道を奥に向かうと、左右対称に釈迦が説いた教説の経蔵と2つの聖池(環濠)が配置されている。西参道を上ったところには蛇神ナーガの頭の像があり、これは雨の神様として崇められている。濠を渡り切ったところに横一列に広がる塀があり、目を凝らすと5つの門がある。中央が王が通り抜ける西塔門、そのすぐ両脇が庶民の門、最両端が象の門が並ぶ。西塔門テラスを過ぎていよいよ西塔門に入り進むと、十字回廊があり、1632年に祇園精舎と勘違いして訪れた森本右近太夫の書跡や4つの沐浴池跡がある。

 

  

 アンコール・ワット全景    参道        中央祠堂

 

 次に壮大なレリーフのギャラリーになっている第一回廊が、760mにも及び四方に広がる。インドの古代叙事詩『マハーバーラタ』や抒情詩『ラーマーヤナ』などが鮮やかに描かれている。更に進むと次の第二回廊では、妖艶なデバター(女性像)のレリーフが一面に彫られている。この回廊を出ると明るい空間が広がり、正面に第三回廊への階段と迫力ある中央祠堂が見える。中央祠堂では「神々の住む場所」としてアンコールワットの象徴である中央塔にもデバター像が残り、ここからの見晴らしが良く塔の上から見た雨上がりのアンコール・ワット遺跡の壮大さに感嘆した。

 

 他方、アンコール・ワットから北へ約1.5kmにあるアンコール・トムは、5つの門に囲まれた都城である。アンコール・ワットから続く道上に建つのが南大門で、顔の長さだけでも3mほどもある四面像が人目を引く。門をくぐって中に入ると遺跡の 中央には、 12世紀末に建設され、「バイヨンの微笑」と称される穏やかな微笑みをたたえた観世音菩薩のモチーフで有名なバイヨン が佇む。全体の構造は3層に分かれて高さ約43mの中央テラスを中心に、第一層に二重の回廊など、第二層は16の塔、第三層はテラスとなり、どの塔にも四面像が彫られいる。東門から入ると先ず第一回廊、次に第二回廊が取り囲み、中央テラスを囲む16基の尖塔が立つ。

 見どころは何と言っても観世音菩薩の四面像で全部で54もあり、優しい眼差しが何とも言えぬ独特の雰囲気だ。また、見る角度によって3つの菩薩が並んでいるように見える四面像がある。バイヨンの北には3層から成るピラミッド型寺院のバプーオンがある。11世紀中ごろに創建されたヒンドゥー教のシヴァ派の寺院で、長さ200mの円柱列に支えられた空中参道が続く。ここから少し北上すると12世紀末に造られた象のテラスがあり、王族たちが閲兵した王宮前にあるテラスで350mにも及び、外壁には象やガルーダの彫刻が連なる。ほかに付近の遺跡で見逃せないのが、南東2kmにあるタ・プロム遺跡だ。巨大に成長したガジョマロ(榕樹)がヘビのように建物や石に絡み、押しつぶされそう。

 

  

    バイヨン     四面像によじ登る     タ・プロム

 

 これらの素晴らしい遺跡を見学して痛感したのは、度重なる盗掘などにより顔や首がない仏像の浮彫りなどが多く、人間の愚かさに腹立たしく情けないと思ったことである。

 

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         ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇

 

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| 世界の旅−アジア | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
タイの洞窟で少年らが閉じ込められたチェンライとタイタンビカス開花
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 今朝起きて見ると、玄関ポーチのタイタンビカスが見事に開花していた。例年より約2〜3週間も早く、これも先月末に史上最速で梅雨明けした連日の猛暑の影響であろうか。しかも、今年は花の直径が20cm近い大輪が、何と8輪も乱舞する豪華さである。1日に精々3〜4輪咲くのが普通なのだが・・・。早速観にやって来た人たちがいた。

 この花を観賞していると常に想起するのが、今のところ不治とされる病(認知症)に臥して早や4年目を迎える妻である。彼女は殊の外タイタンビカスを愛好し、早朝に咲き始めるが夕

刻には萎んでしまう切ない移ろいがの若かりし頃の残像にダブってしまうからだ。余命僅かの不帰の人にならんとしており、「花の命も人の命も共に短し」を痛感する毎日だ。

 

 さて、前置きが長くなり恐縮。寝不足の夜更かしを強いられるほど連日熱狂していたFIFAワールドカップも、我が日本代表は決勝トーナメントの初戦でベルギーに敗退したため急に静かになった感じである。代わりにテレビなどで大々的に報道されているのが、同じサッカー絡みの事故である。6月23日からタイ北部のチェンライの北郊外にあるタムルアン洞窟で、サッカーチームの少年12人とコーチ1人が行方不明になったことだ。

 幸い9日後の7月2日に洞窟の入口から5km近くの洞内で発見されたが、大雨による増水で閉じ込められたままだ。13人の命には別条無いようだが、大量の水が洞窟を塞いだままで、洞窟外への救出方法や時期などの見通しは立っていない由。加えて現地は豪雨に度々見舞われる雨期に入っており、浸水が更に酷くなる場合もあり救出の長期化が懸念される。

 

洞窟内の少年たち

(ネットより転用・加工)

 

   今やFIFAワールドカップと共に注目されるタムルアン洞窟があるチェンライを、筆者は2008年7月に訪れており、その時の模様を紹介しよう。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 チェンライはタイの首都バンコクの北785kmほどに位置する、タイ最北部の中心都市で人口約10万人。かつて13世紀に栄えたラーンナー・タイ王国の都は現在もタイ最北の県都として発展し、北部観光の拠点として賑わいを見せる。ミャンマーやラオスとの国境に近い町々の入口に位置するため、少数民族が独特な風習を今も残すタイ北部観光のベースになっており、ヨーロッパなど欧米からの観光客が多いのに驚いた。

 

 ご多分にもれずこの町でもワットという寺が多いが、町の中心にあるエメラルド仏で有名なワット・プラケオや、14世紀創建の古いワット・プラ・シンよりも、郊外の新名所ワット・ロン・クンの方がずっと見応えがある。市内から南西14mにある寺は1997年の着工以来、いまだに完成していない(訪問当時)とかで、スペインはバルセロナのサグラダ・ファミリアのミニ版を思わせる。

 

          (ワット・ロン・クンと筆者)

 

 

 

        ワット・プラ・シン                    ワット・プラケオ

 

 チェンライ出身の仏教画家が設計した寺は純白のモダンな外観で、金ぴかの寺が圧倒的に多いタイではまさに異色だ。燃え盛る真っ白な火を彷彿させるような繊細で特徴的な屋根、本堂へと向かう橋のたもとにある手や足のオブジェ、他の寺とはひと味違う新時代的な本堂内部の仏像や仏画など、芸術と信仰が一緒になったような独創性溢れる白亜の寺院だ。
 

 古都のわりには見どころが多くない市内だが、タイの国民的英雄メンラーイの王像ポー・クン・メンライは見逃せないスポットである。ワット・プラ・シンから東へ徒歩約10分にあり、ラーンナー・タイ王国の建国者として現在も人々の信望を集める王像の周りには献花が絶えない。また夜のチェンライを楽しむなら、毎晩バスターミナル周辺で開かれるナイト

メンラーイの王像

バザールがイチ押しだ。山岳民族の民芸品などが売られているほか、野外のフードコートやライブステージもあり、深夜まで地元民や旅行者で賑わう。

 

 マニアックな旅人におススメしたいのが、チェンライ周辺に住む少数民族の村や集落だ。約35km北東にあるノンウェン村では女性はカブトのよう重い帽子を被って黒いミニスカートという姿のアカ族と、赤いモール襟が付いた厚手の濃紺の民族衣装を着用して頭には細かな刺繍入りの布を巻くヤオ族が住む。

 

         (少数民族と交流する筆者)

   

     アカ族          ヤオ族      パダウン・カレン族 

 

  また、チェンライから北西62kmのメ―サロンまで足を延ばすと、郊外のヤパ村で首長族のパダウン・カレン族が住む。元々彼らはミャンマーに居住する民族だが、約30年前の政府軍とカレン族の内戦から逃れてきた難民とされる。この村では女性は首が長いのが美人とされる異文化体験ができ、興味深々の世界が広がる。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 イギリスなど外国からも救援隊が現地入りして懸命に救出を急ぐ一方、自己責任を云々する空気もあるようだ(特に我が国では)。しかし、タイでは自己責任など問う声は無いそうで、さすが寛容な微笑みの仏教国というお国柄の違いなのであろう。

 

後記

 8日から待望の救出が始まり、10日までに13人全員が洞窟内から脱出して病院に搬送された。6月23日に行方不明となってから18日目でに全員が奇跡の生還となった一方、救出作業していた元海軍特殊部隊員1人が洞窟内で死亡する犠牲者を出した。いずれ今回の救出劇は映画化されるであろう。今後とも注目したいものである(7月11日)。

 

                  ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇

 

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| 世界の旅−アジア | 13:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
史上初の米朝首脳会談が開催されるシンガポールの今昔
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 筆者は1969年1月に旧ソ連を訪れて以来、半世紀近く世界を旅し見聞してきたが、この数十年で大変貌を遂げた都市(国家)が3つある。第一はドバイ、第二は上海、第三はシンガポールである。そのシンガポールだが、史上初の米朝首脳会談が開催される歴史的な場所になろうとしている。来る6月12日に、アメリカのトランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長が会談するが、過日の南北首脳会談で合意した「板門店宣言」で明記された朝鮮半島の「完全な非核化」に向け、米朝が合意できるかが最大の焦点だ。また、北朝鮮お得意の揺さぶりも予想され、会談実現までの紆余曲折は不可避であろう。

 朝鮮戦争(1950〜1953年)や冷戦時代を通じて約70年にわたり敵対関係にあり、核問題などで対立してきただけに米朝両国の首脳による歴史的な会談となろう。件の板門店宣言には朝鮮戦争の終戦を年内に宣言することが盛り込まれており、米朝首脳が分断状態の続く朝鮮半島に平和をもたらす道筋を示すことができれば、日本を含む北東アジアはもちろん、世界の安全保障体制にとっても大きな転換点となり得よう。また、会談が成功裏に行われば、今年のノーベル平和賞の有力候補になるのではとの声も出ている様。

 

   

                      (ネットより転用・加工済み)

 

 さて、会談場所だが、当初はヨーロッパの都市、モンゴルの首都ウランバートル、板門店あたりも候補地になった様だが、結局シンガポールに落ち着いた。では、何故シンガポールが選ばれたのであろうか?実は北朝鮮とシンガポールは意外に共通点が多いのだ。例えば、金一族の世襲体制が続く前者に対し、後者もリー(李)ファミリーの実質的世襲が続く。また、両国は建国以来、一党優位政党制であり、北朝鮮は朝鮮労働党、シンガポールは人民行動党が議会議席の大多数を占める。

 何と言っても注目すべきは、両国は国交がある友好国であることだ。人権問題などを抱えタカ派的な北朝鮮に対し、民主的なハト派のイメージが強いシンガポール、対照的な一面もあるが・・・。また、カジノ経営者がトランプ大統領の支持者であることや、シンガポールの政治的な中立性が高いことも決め手になったのであろう。ドバイと共に世界的な都市国家になったシンガポールを、筆者は1977年7月の初訪以降11回も訪れている。この40年ほどで様変わりしたシンガポールの今昔を紹介する。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 商社マンとして1974〜1977年に駐在したクウェート勤務を終え、家族と共に帰国途中で立ち寄ったのが最初のシンガポール訪問だ。その後1979〜1984年にジャカルタに駐在時代は、飛行機で1時間半と近いため8回も出かけるほど虜になった。シンガポール最大の魅力はクリーンな「ガーデン・シティ」と呼ばれるほど緑が豊かで、中国系・マレー系・インド系の人々が絶妙に融合する多民族国家であることだ。

 1980年代前半まではまだ古い建物がかなり残り、イギリス植民地であった香りが強く漂う街並みであった。日中は華僑系の取引先と厳しい商談を強いられたが、夜になれば彼らに招待されて大きなナイトクラブに行き歓待されものだ。そこで中国系の歌手が舞台で歌っていたのが大好きな歌謡曲「北国の春」で、外国生活が長い筆者も日本が恋しくなることが往々にしてあった。

 

 2003年11月には約20年ぶりに再訪したが、インド人街を除き再開発が進んで古い街並みが壊され、近代的な都市国家に変身していた。例えば、シンガポール随一の名物である上半身がライオンで下半身が魚のマーライオンは移転し、セントーサ島というレジャーアイランドも開発が随分進んでいた。しかし、昔は大賑わいであったタイガーバウムはハウパーヴィラと改名、すっかりさびれ閑古鳥が鳴いていた。2005年7月は2人の孫などと3世代の家族旅行でナイトサファリなど楽しんだが、シンガポールでの最高の思い出になった。

 

              −−− マーライオンの今昔 −−−

             ビフォー         アフター

 

 

 

1977年7月妻・長男・次男と  2005年7月次男夫婦、孫達と

(マーライオンを背にして) 

 

      −−− セントーサ島の今昔 −−− 

       ビフォー       アフター

 

   妻・長男・次男と       次男夫婦、孫達と

    

 目を見張るような変貌を痛感したのが、2014年4月の旅である。マーライオンがあるマリーナ・ベイ地区で、近未来的でユニークな建物が増えたことだ。その代表がマリーナ・ベイ・サンズである。2010年7月にオープンした総合リゾートホテルは高さ200m、57階建ての3つの塔が屋上で連結し、その屋上には世界一高いプールまである。2561室のホテルのほかに、世界最大のカジノ、広大なコンベンションセンターやショッピングモール、多数のレストランやカフェ、美術館ある。また、アイススケート場や水の都ベニスを彷彿させる室内運河まであり驚いた。

 さらに、ホテルの東側に離接するガーデンズ・バイ・ザ・ベイも驚きを禁じ得なかった。2012年6月に開業したシンガポール最大の植物園施設は、総面積110ヘクタールという広大な敷地を誇る。様々なアトラクションが充実した中でも、一押しのオススメはスーパーツリー・グローブである。高さが25〜50mもあるツリーは、養成植物やシダ類を含め200種、16万本以上の熱帯植物を外壁に巻いた高層庭園だ。18本あるツリーのうち2本のツリーは、全長128mの空中散策路で繋がり、ここからはフラワードームなど含めガーデン全体を見渡せ近未来的な不思議な景色を堪能することができる。

 

      −−− マリーナ・ベイ地区の今昔 −−−

 

      ビフォー            アフター

  

  1980年代    マリーナ・ベイ・サンズ  近未来的な高層庭園

 

 先日81歳になり、足腰の衰えが身に染みる。加えて妻の長期入院もあり、今では海外旅行も容易ではない。もし出かける機会があれば、再訪したい国としてアジアではシンガポールがその最右翼になろう。小さい都市国家ではあるが、旅人をタップリ魅了するものが多々あるからだ。

 

    ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 振り返れば国際的な約束事を何度も反故にしてきた北朝鮮のこと、たとえ世紀の首脳会談が破談!?になっても驚いてはなるまい。対するアメリカもトランプ大統領は名うてのビジネスマン、あわば良くばノーベル平和賞狙いの会談を一種のディール(取引)と見做している様でもある。6月12日まで気の許せない毎日になろう。
 

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| 世界の旅−アジア | 20:14 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
14年ぶり首相に返り咲くマハティール氏とマレーシアの旅(3)
9

 昨日(5月9日)行われたマレーシア総選挙(連邦議会下院、定数222)は即日開票され、マハティール元首相(92歳)が率いる野党連合が過半数の113議席を獲得して勝利した。野党連合の首相候補であるマハティール氏自身も、クダ州ランカウイ選挙区で当選した。2004年以来の国政復帰を果たし、14年ぶりに首相に返り咲くことになる。今後の政権運営の課題は、蔓延する汚職撲滅などであろう。

 一方、ナジブ首相(64歳)が率いる与党連合は79議席にとどまり、1957年イギリスからの独立後、初の政権交代が実現する見通しである。ナジブ政権は2013年の前回総選挙後、政府系ファンド(1MDB)の巨額資金流用疑惑などが発覚した。選挙戦では堅調な高い経済成長率を政権の実績としてアピールしたものの、国民の不信を払拭できなかった様だ。

 

 マハティール氏は我が日本にとっても所縁のある親日家である。医師から政治家に転じ、1981年にマレーシアの第4代首相になった。欧米ではなく、日本の経済成長を見習おうとのルックイースト(東方)政策を唱え、22年もの長期に及ぶ強力な指導力により、マレーシアを飛躍的に増大させた功労者である。92歳で返り咲く同

氏は世界最高齢の首相にもなる。

 

 さて、イスラム教徒が多い点で似通っている隣国のインドネシアに駐在経験がある私ことワールド・トラベラーは、1978年11月にマレーシアを初訪問以降、2008年7月まで6回も同国を訪れている。同国の概要などに就いては、既に2015年6月7日付け幣ブログ『キナバルの地震と悲劇(?』、2017年2月15日付け『金正男氏が殺害されたマレーシアの旅(2)クアラルンプール編』などで紹介済みだ。今回はクアラルンプール以北の西マレーシア(マレー半島)に関し、旅の模様を詳述する。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 先ず、マハティール氏の生誕地、アロースターから始めよう。首都クアラ・ルンプールの北西462km、タイと国境を接するケダー州の州都で人口約22万人。20世紀初めまでタイの勢力下にあり、同国文化の影響も受ける。最初に訪れたのがマハティール氏の生家で博物館になっている、ルマ・クラヒラン・マハティール・モハマドである。かって医師であった同氏の一生やマレー人の生活ぶりなどを物語る展示品を見学したが、生存中に博物館があるのは極めて珍しい。

 この町で最も目立つのが、「アロースターの宝石」と称えられるザヒール・モスクだ。1912年に完成したムガール様式のモスクは、南インドのヒンドゥー建築からも影響を受けている。黒っぽい3つの大きなドームに迫力と美しさがあり、マレーシアで最大級のイスラム建築と言われる。このモスクから町の象徴、アロー・スター・タワー が望め、その展望台から360度の市街地のパノラマが楽しめる。モスクでもうひとつ見逃せないのが、町の北外れのアル・ブカリ・モスクである。地元出身の大富豪が建てたモスクだが、そのドームは言葉を失うほど優美だ。

 

       −−− アロースター散策スナップ −−−

  

        ザヒール・モスク      マハティール博物館を訪れた

                     ワールド・トラベラー

 

 ペラ州の州都でクアラ・ルンプールの北205kmに位置するイポーは、人口70万人を超えるマレーシア第3の大都市だ。1930年代にスズ鉱山の町として発展したが、商社マンであった筆者が訪れた1978年頃は鉱山閉鎖により町は停滞し、「死んだ」都市として知られるほど静かであった。その後現代的な街への再開発が図られ、30年後に再訪した時には旧市街よりも新市街が拡大し活況を呈していた。見どころはスズ景気の名残りを今も留めるイポー鉄道駅である。1917年に建てられたコロニアル風とムーア風の建築様式が混在し、まるで宮殿のような堂々たる建物だ。

 町の周辺には洞窟寺院がいくつかあり、市内から6km北のペラ・トンでは40体ほど仏像が安置され、中でも高さ13m近い金色の仏陀坐像がひときわ目を引く。また、郊外ではイポーから北西約50kmのクアラ・カンサーが見逃せない。風光明媚なペラ川畔に建つウブディア・モスクは、1917年ペラのスルタンの命で建たられた。金色のタマネギ屋根のドームと、聳え立つ尖塔ミナレットが青い天空に鮮やかに映える。イポーから西北へ86kmにあるタイピンでは、元はスズ採鉱場であった人造湖のレイク・ガーデンが見逃せない。緑に包まれた中国的な情景は山水画を鑑賞するよう。

 

    

           イポー鉄道駅     クアラ・カンサーのウブディア・モスク
     

 南シナ海を挟んで今も大自然が残る東マレーシア(ボルネオ島)のサラワクやサバほどではないが、マレー―半島にも緑豊かな自然が残る。例えば、クアラ・ルンプールの北東220kmほどにあるタマン・ネガラ国立公園は、マレー半島中央部の東、パハン州・クランタン州・トレンガヌ州の3州にまたがる。面積4343k屬六獲県に匹敵する広大な自然公園で、1億3千万年前からという世界最古の熱帯雨林に覆われる。巨木が立ちはだかるグプラタン・パヤをトレッキングし、手付かずの自然が満喫できるクアラ・テンベリン〜クアラ・タハン間のテンベリン川ボート遊覧を楽しんだ。

 また、クアラ・ルンプールの北190km、マレー半島中央部の西にあるキャメロン・ハイランドは、マレーシア有数の高原避暑地である。平均標高は約1500mで、年間を通じ気温が20℃前後と涼しい。英国統治時代に国土調査官ウィリアム・キャメロンが開発し、紅茶生産が盛んである。タイガーバームに少し似たユニークなローズセンター、国蝶ラジャ・ブルックがいるバタフライ・ファーム、丘の上に建つ豪華な中国仏教寺院・サンポー寺院などを訪ねた。

 

  

   タマン・ネガラ国立公園のグプラタン   キャメロン・ハイランド

  ・パヤをトレッキングする筆者        紅茶畑が広がる

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 マハティール氏が92歳で首相にカムバックするとは、誠にご立派であり驚きでもある。一回り若い81歳で人生を諦めた感のある筆者にとっても、考えさせられる点が多々ある。この人には「老害」という言葉は無関係なのであろう。生涯首相であって欲しい御仁である。

 他方、茶坊主議員たちにヨイショされ、森加計問題などで相変わらず往生際の良くない疑惑だらけのどこかの国の首相には、一刻も早くご退場願いたいものである。賞味期限がとっくに過ぎているにも拘わらず居座るとは、国民の間にどんよりと漂う空気が読めない御仁の様だ。

 

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| 世界の旅−アジア | 11:41 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
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