世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
FIFAワールドカップの決勝に進むクロアチアの旅-アドリア海編
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 去る6月14日から始まった2018 FIFAワールドカップ・ロシアも終盤を迎え、決勝カードが決まった。決勝へ進出したのは、1998年以来の2度目の優勝を狙うフランス代表と、開催国のロシアやサッカーの母国イングランドを打ち破ったクロアチア代表である。クロアチア代表は決勝までに3試合連続で延長戦を戦うなどハードな戦いを制してきた訳だが、国中が一丸となって代表チームを懸命に応援しているようだ。因みに、FIFAへの参加は1998年大会が初出場で、わずか20年の浅い歴史を考えると大躍進である。

 実はクロアチアは1991年にユーゴスラビア連邦から離脱する以前は、ユーゴスラビア連邦の一共和国であり、ナショナルチームはユーゴスラビア代表に属していた。しかし、同代表は1980年代中頃からチームとして崩壊に向かっており、クロアチア出身の選手に対してユーゴスラビア代表に加わらないよう政治的圧力がかけられる事がしばしばであった。こうした状況下、1990年のワールドカップ直後にクロアチア代表が編成され、首都ザグレブにアメリカ代表を招きクロアチア代表初となる国際試合が行われた。

  愈々来る15日に強豪国フランスとの決勝戦がある。決勝トーナメントに入って3連勝するクロアチアだが、いずれも延長勝ちと薄氷を踏む辛勝であった。選手は疲労困憊で格上との対戦はどう見ても不利は否めないが、大番狂わせを演じて初優勝し東欧から初めての王者が誕生するというドラマが演出されるのであろうか。他国代表の試合とは言え興味津々である。また、興味津々と言えば、もう一つある。試合会場のピッチを見ると、中国系企業の広告看板が圧倒的に多いことだ。中国は予選で敗退してロシア大会に参加していないだけに、チャイナパワーの底力を再認識する次第だ。

 

 さて、クロアチアは「アドリア海の至宝」と呼ばれ、対岸国イタリアの影響を少なからず受ける。面積は5万6542k屬閥綵の約1.5倍、人口は約430万人という小国だが、今や世界が固唾をのんで注目するクロアチアを筆者はちょうど20年前の1998年9月に旅しており、今回はクロアチア観光の目玉と言われる風光明媚な多島海のアドリア海沿岸を紹介しよう。

 

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 何と言ってもクロアチア観光のハイライトはアドリア海沿岸であり、その代表はクロアチア最南端に位置するドブロブニクと断言できよう。「アドリア海の真珠」と謳われる城郭都市は人口は約4万人の小さな町だが、同国きっての観光地である。その最大の見どころは約500m四方の旧市街で、観光前に一押しのパノラマポイントがある。旧市街の北方向にある標高412mのスルディ山の中腹から眺める景観で、紺碧のアドリア海に映える赤い屋根瓦、旧市街を取り巻く白い城壁など見事なコントラストを描く絶景は宝石のように美しい。また、旧市街の西4kmほどに港や、フェリー乗り場があるグルーシュの丘からの眺めも捨てがたい。

 

     (スルディ山中腹からの眺め)   (グルーシュの丘より)

  

 旧市街と旧港を望む    筆者(右) 

 

 下山して旧市街の入口にあるピレ門をくぐると、「ドブロブニクの銀座」ともいうべき華やかな装いのプラツァ通りが中心部のルジャ広場まで約200m続く。旧港界隈も、港町らしい開放的な雰囲気が漂う。ここはドブロヴニクで最も古い歴史を持つ所で、中世には貿易都市として繁栄した海の玄関口であった。中世には自由都市と栄えた旧市街を肌で実感するなら、1周が1940m、高さが最高25mもある城壁の上を散策する城壁巡りがおススメだ。

 

   

プラツァ通り散策する筆者  プラツァ通り   城壁の上巡りを楽しむ

 

 この城郭都市が城壁に囲まれたのは8世紀で、現在の姿になったのは16世紀頃である。鮮やかな赤屋根の家々、真っ青なアドリア海、7000m沖合いに浮かぶロクルム島が眺望できる。所々で1991年セルビア・モンテネグロによる激しい軍事攻撃を受けた弾痕跡などが残り、スルディ山からの眺めとは違う景観が広がる。一方、旧市街から南東約15kmのチャブタは、「ドブロブニクの父」と呼ばれ落ち着いた古い港町で、港通りの散策は最高のムードに浸れる。

 

     (旧市街の城壁の上より)

  

旧市街とロクルム島望む 旧市街に迫るアドリア海  チャブタの港付近  

 

 クロアチア最大の港町リエカ〜ダルマチア地方のリゾート地の中心・スプリト間のアドリア海沿岸も景勝地が多い。特にドブロブニクの北西227kmほどにあるスプリトは人口約10万人の港町で、ローマ遺跡と中世の建物が混在するユニークな町だ。ローマ皇帝のディオクレティアヌス宮殿の上に築かれた古都だが、数あるローマ遺跡の中でもお目当ての有名な宮殿は、南北215m、東西180mの規模を誇る。しかし、外観が真っ黒で汚く少々期待外れであったが、近くの椰子が茂るクネズ・ドマゴイ通りでは南国ムードが溢れ、異国情緒と港町の雰囲気を盛り上げる。

 また、スプリットの東20kmにある小島のトロギールは南北に細長いクロアチアの真ん中に位置し、橋により本土やチオヴォ島と結ばれる。江戸時代の長崎の出島によく似た島の起源は、ギリシア時代に遡る。2400年ほど前はギリシャの植民地として島ではなく、本土と陸続きであった由。その後に防衛の観点から、本土と切り離して島にしたと言われる。様々な時代の歴史的建物が、東西700m、南北400mの狭い小島の旧市街にひしめく。中でも注目すべきは聖ロヴロ大聖堂だ。13世紀初めに着工されたが、完成したのは17世紀であったためか様々な建築様式が組み合わされている。特にライオンの上にのったアダムとイブの像が両端に彫られた門は、13世紀のクロアチア宗教美術の傑作と言われる。

 

   

    スプリトのディオ  トロギールの大聖堂の  トロギールを俯瞰

  クレティアヌス宮殿 ライオンとアダム・イブ像

 

 上述のアドリア海沿岸以外の内陸部(プリトヴィツェ、ザグレブ)でも必見の観光スポットがあり、いずれ紹介の機会を作りたいと思っている。

 

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 FIFAランキングやこれまでの試合の疲労度などを想定すると、フランス代表の優位は濃厚だが、何が起こるのか分からないのが勝負である。もしクロアチア代表が勝てば、今年の世界の十大ニュースの一つになるのではなかろうか。

 

(後記)

 クロアチア代表は健闘したが、やはり疲労が蓄積していたのであろうか、2−4でフランス代表に敗退した。これでフランス代表は2度もサッカーW杯で優勝を果たしたのだが、国民が歓喜に湧く中、各地で略奪や警察との衝突なども相次いでいる由(7月16日)。

 

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FIFAワールドカップ−日本代表のキャンプ地カザンを訪ねて
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 今月は10日ほど前から寝不足の毎日が続き、日中も何となく眠たくて仕様が無い。原因は FIFAワールドカップロシアによる。6月20日付け幣ブログ『2018 FIFAワールドカップの舞台ロシアの旅−モスクワの今昔』で紹介した通り、6月14日から開幕した1次予選で、H組の我が日本代表が突然の監督にも拘わらず快進撃を続けているのだ。サランスクで行われた初戦の対コロンビア戦で2−1で勝利し、更に本日未明(日本時間)エカテリンブルで行われたランキング上位のセネガルとの試合では、2−2で引き分ける大健闘をしたのである。

 このチーム一丸となった好調をキープし、来る28日にヴォルゴグラードで行われるポーランド戦で勝つか、或いは引き分ければ待望の決勝トーナメントに進出できる。現時点では日本はH組の1位で有利だが、油断はやはり禁物である。前回大会の王者であったドイツが初戦から敗れ、1次リーグ敗退の危機に晒されている例もあるからだ。引き分け狙いの守りではなく、あくまで積極的なプレーが望まれよう。

 

             

 

 今回の思わぬ(?)日本代表の勝因として、西野朗監督の見事な采配のほかに、日本代表が大会期間中に練習するベースキャンプ地、カザンとの相性の良さも挙げられるのではなかろうか。その彼の地を知る読者は少数と思うのだが、実は3年前の2015年に世界水泳選手権が同地で開催され、かつて高校時代に水泳選手であった筆者はテレビ観戦に釘付けになったことを想起する。

 また、2002年9月にはカザンやエカテリンブルグなども訪れており、国土面積が日本の45倍もあるロシアの偉大さと底力を改めて痛感した次第だ。我が安倍晋三首相が足繁くプーチン(大統領)詣でをしても北方領土問題で相手にしてくれないのは、ロシアの強かさと実力をよく解っていないからであろう。その旅の模様を簡単に紹介しよう。

 

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 ロマノフ王朝の終焉の地として知られるエカテリンブルグから夜行列車で到着したカザンは、首都モスクワから東およそ800kmに位置する。ロシア有数の大河、ボルガ川に臨む商工業都市で、人口は約112万人である。タタールスタン共和国の首都で、かってのモンゴル系カザン汗国の都であった。「ボルガの真珠」と称され、今も北方トルコ系住民のタタール人が多く住む。彼らの大半はイスラム教徒で、市内散策中にいくつかのモスクを見かけ、ロシアの町にしては珍しくエキゾチックな中東の雰囲気が漂う。

 

 

               ボルガ川       カザン駅前の筆者

 

 見どころは、やはりクレムリンという要塞である。その城壁はモスクワやノヴゴロドのクレムリンに劣らず威風堂々だ。また他のクレムリンが赤レンガ色に対し、ここは白色で爽やかな感じが良い。更に素晴らしいのは、城内に立派な建物が多いことである。特に16世紀に建てられたブラゴヴェシェンスキー(生神女福音)大聖堂は、ブルーのドームが美しい教会で、内部のイコンやフレスコ画も見事と言うほかない。

 

 

   カザン川の橋より     クレムリンの城壁

   クレムリンを望む

 

 他方、市内の至るところにあるモスクの中でも、メチェティ・クル・シャリフがひときわ目立ち、青いドームのブルーが実に鮮やかで美しい。また、小さなモスクでは、グリーンの外壁が異彩を放つスルタン・モスクが見逃せない。

 

 

 クル・シャリフ・モスク  プラゴヴェシェンスキー大聖堂

 

 因みに、カザンを詳述した、ペンネームが高やすはると言う幣著書『 ワールド・トラベラーだけが知る 素顔のイスラム(新潮社)』があり、ご興味あれば是非ご愛読頂きたい。

 

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 最新のFIFAランクに依れば、日本の61位に対し、28日に対戦するポーランドは8位である。1枚も2枚も役者が上のポーランドに対し、我がSAMURAI BLUEはどのように戦うのであろうか、また西野朗監督のマジック的な采配を期待したい。

 

後記

ポーランド代表と対戦した日本代表は0−1で敗れたが、勝ち点で並んでいたセネガルもコロンビアに負けたため、フェアプレーポイント数(反則ポイント)で上回ったことで幸運にも決勝トーナメント進出を決めた。しかし、その進出のために西野監督が選択したマジック的な采配は何と時間稼ぎをするだけのボールキープで、正直に言って見苦しく恥ずかしい戦法であった。一番馬鹿を見たのは高価なチケットを払い、入場して観戦していた観客であろう。

 手強い格上の他国代表と戦う決勝トーナメントでは、小細工を弄することなく挑戦者精神とスポーツマンシップを持ち、是非ともサムライジャパンらしい正々堂々とした爽やかなプレーを期待したい。日本に対する国際社会での評価を高めるためにも・・・。(6月29日)

ポーランドとの決勝トーナメントに臨んだ日本代表は2点先取も空しく、後半にポーランドに3点を取られて逆転負けを喫した。念願の8強が叶わなかった訳だが、それまでの勝利が違反で10人選手と少なかったコロンビアとの試合の1勝のみであった戦歴を考えると、実力以上の善戦と言うべきが妥当であろう。いずれにせよ、我が代表ご苦労様でした。(7月3日)

  

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2018 FIFAワールドカップの舞台ロシアの旅−モスクワの今昔
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 サッカーの2018FIFAワールドカップが6日前の6月14日からロシア各地で始まっている。東ヨーロッパでは初めての開催で、開幕の試合、グループAのロシア vs サウジアラビアはモスクワのルジニキスタジアムで行われた。開催国のロシアが5−0と圧勝し、観戦したプーチン大統領はご満悦であった。一方、グループHの我が日本は昨日(20日)サランスクで格上の強豪国コロンビアと対戦し、なんと2−1の番狂わせ(?)で勝利した。大金星である。

 このワールドカップの参加チームは全部で32で、開催都市は首都モスクワをはじめ、サンクトペテルブルグ、カリーニングラード、カザン、ニジニ・ノブゴロド、サマーラ、ヴォルゴグラード、サランスク、ロストフ・ナ・ドヌ、ソチ、エカテリンブルグの合計11都市である。特にモスクワは先述のルジニキ・スタジアムに加え、スパルタク・スタジアムでも試合が行われ、会場は合計12である。筆者はサマーラとサランスクを除き、9都市を訪問済みである。

 

  

    モスクワのルジニキスタジアム   サランスクのモルドヴィア・アリーナ

                                                               (ネットより転用・加工済み)

 

 実は272ヵ国・地域を制覇した私ことワールド・トラベラーが初めて異国の地に足跡を残したのは、商社マン時代で今から49年前の1969年1月〜2月、当時はソ連の首都であったモスクワへの業務出張であった。その後2013年6月までに5度も同地を訪れており、数あるロシアの都市から今回はモスクワに絞ってその今昔などを紹介したい。

 

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 初めてモスクワを訪問した1969年の頃はソビエト連邦という社会主義国家体制下にあり、東西冷戦下の厳しい暗黒の時代であった。モスクワ以外の他の都市や地方へ出かける事も許されず、泊まったホテルのロビーでは秘密警察のKGBが絶えず外国人を監視チェックしていた。また、物不足がひどく国営百貨店グムの商品棚には売るべき商品がほとんど無く、値段は高いが品物が豊富な外貨ショップに人気があった。
      週末や平日の暇な時を利用した市内見物は、格好の気分転換になったが、趣味の写真撮影は厳しく制限され、橋や工場などを撮影しようとすると注意された。寒くて長く感じた夜は、ウォッカを飲んで体を温めたり、本場のバレエ鑑賞などをして退屈を凌いだ。観光したスポットは、クレムリン、赤の広場、グム百貨店、聖ワシリー寺院、レーニン丘、ボリショイ劇場、全ロシア展覧会センター、アルバート通りなど。

 

    −−− 1969年モスクワ滞在中の懐かしきスナップ −−−

  

      赤の広場    クレムリン(勤務先の     レーニン丘

             現地事務所の秘書と)

 

 モスクワ 観光のハイライトは、何と言っても赤の広場である。狭い日本から来ると、長さ695m、平均幅130の広大な広場と、全長2kmを越す城壁に囲まれ広場に面する巨大な建物クレムリンのスケールの大きさにただ驚くばかりであった。当時アメリカと並ぶ超大国、ソ連の力を改めて思い知らされた。広場の南側に建つ聖ワシリー寺院は、生まれて初めて見るねぎ坊主型の教会だ。高さが47mもある1本のネギ坊主の周りに、8本のネギ坊主がぐるりと取り巻く。一見アンバランスに映るが、それでいて妙に調和が取れているのが面白く、なんとも不思議でならなかった。しかもちょっと恐ろしい逸話が残っており、完成した美しい聖堂を見た雷帝は、2度と同じものが造れないようにと設計者の目をくり抜いたと言うのだから驚きである。

 

 終生忘れ難いのは、バレエを鑑賞するために訪れたボリショイ劇場だ。ある日マイナス30度の酷寒を吹き飛ばそうと、夕刻の早い時間からウォッカをたらふく、しかもストレートで飲んだ。アルコール度数は60度、いや70度はあろうか、マッチの火を近づけると燃えるほ

どで「火酒」とも呼ばれる。その後あの有名なボリショイ劇場で「白鳥の湖」のバレエを鑑賞を終えて外に出た。 

 ところが、飲み過ぎていたのか足元がふらつき、凍った路面でしたたか頭を強打した。幸い大怪我に至らずホッとしたが、転んだ時に痛くも何にも感じなかったのは、強烈なウォッカが持つ魔力であったかも知れない。本話の詳細は幣著書『トラベル・イズ・トラブル』をご覧頂きたい。

 

 さて、1991年12月のソ連崩壊後にロシアを27年ぶりに再訪したのは、1996年9月の旅であった。モスクワの象徴的なスポット、赤の広場は昔のままの佇まいでホッとした。赤の広場に面し熾烈な権力闘争が広げられて来たクレムリンは、 ロシア語で”城塞”を意味する。広場からその外観だけを観光する人が多いが、この時は赤い城壁内を隈なく見学した。クレムリンは1156年に木造の砦を築いたのが始まりで、その後14世紀と15世紀に拡張されて現在の姿になった。見どころは多いが、ロシアの歴史を収蔵する武器庫と称される宝物殿や、1479年に完成したかつてのロシア帝国の国教大聖堂とされたウスペンスキー大聖堂の見事なフレスコ画、イワン雷帝の個人礼拝堂であったブラゴヴェッシェンスキー聖堂などが必見だ。

 

  

   聖ワシリー寺院   ウスペンスキー大聖堂     グム百貨店

  前に立つ筆者

 

 広場の東側に建つ1893年築のグム百貨店も久し振りに訪れたが、冷戦時代に比べ品数が随分豊富になり店内は華やかになっていた。広場を挟んで百貨店の対面にあるのがソ連を誕生させた革命家レーニンの墓所、レーニン廟である。廟内に入り階段を下りると、ガラス棺に安置されたレーニンの遺体がある。広場の北側には国立歴史博物館があり、その裏はマネージ広場で人通りが多く賑やかだ。因みに、モスクワ市街の一望は、クレムリンから南西6kmほど、モスクワ川が大きく蛇行する所の右岸にあるヴァラビョーヴィ丘(雀が丘)が一押しだ。ソ連時代はレーニン丘と呼ばれたが、すぐ近くに建物が壮観なモスクワ大学のキャンパスがある。

 

  2001年7月以降の3度の旅では、主に赤の広場一帯以外のスポットを回った。モスクワは環状道路が発達した、投げ矢のダーツ・ゲーム盤のような構造の大都会である。街の中心を蛇行するように貫流するモスクワ川に架かるボリシャヤ・カーメンヌィ橋は、威容を誇るクレムリンや聖ワシリー寺院がバッチリ眺望できる絶好ポイントだ。橋の反対側は、ロシア最大の大聖堂である救世主キリスト聖堂が間近に見える。モスクワ川を挟んでこの聖堂から東600mほどにあるのがトレチャコフ美術館(旧館)で、ロシアの美術館ではエルミタージュ美術館と双璧をなす。12世紀以降のロシア美術の名作が数多く収集され、レーピンの「イワン雷帝と息子」などが有名だ。

 

   

ボリシャヤ・カーメンヌィ トレチャコフ美術館   ヴォデヴィッチ修道院

橋よりクレムリンを望む    (旧館)

 

 ノヴァラビョーヴィ丘の北約1m北にあるヴォデヴィッチ修道院は、元来はクレムリンの出城であった。16〜17世紀のロシア建築を代表する建物が集まっており、特に美しい5つのドームを持つスモーレンスキー聖堂と鐘塔が目を引く。意外な見所は修道院の裏にある墓地である。ゴーゴリー、チェーホフなどのほか、フルシチョフなどの大統領や家族も眠っている。また、故人が得意のポーズを取って今でも生きているような錯覚を起こさせるのが、なんともユニークで面白い。

 

 モスクワの今昔で一つ気になることがある。空港の入国審査や預けた荷物の受け取りで長時間待たされ、また空港内の照明が暗いことは、1969年の最初の訪問でも2013年の直近訪問でも全く同じであった。その後は出かけていないので知るよしも無いが、最近は少しでも良くなったのであろうか?去る5月に通算4期目の長期政権をスタートさせたプーチン大統領は現代版のロシア皇帝ツアーを彷彿させるが、同大統領が本気になれば空港問題は即刻改善されるのではと思うのだが・・・。現状は如何に?
 

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 次回のブログは日本代表のベースキャンプ地になっており、筆者が2005年9月に旅したカザンを紹介予定である。乞うご期待! 

 

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大関昇進の栃ノ心を生んだジョージアの旅(その1)
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 「親方の教えを守り、力士の手本となるように、稽古に精進します」と伝達式で今時にしては珍しい古風な口上を述べた。昔の大相撲力士のような、日本人よりも日本人力士らしい風格の外国人力士がいる。一昨日(5月30日)大関昇進が決定したジョージアのムツヘタ出身の栃ノ心(30歳)がその人で、外国出身では11人目の大関誕生である。

 その相撲ぶりは相手力士とがっぷりと組み、力強く投げたり押し出したり、時には怪力に任せて吊り上げる。そのけれんみの無い取り組みは、ダイナミックで爽やかである。新入幕から大関に昇進するまで60場所もかかったが、これは大相撲史上で最もスローな昇進だ。加えて30歳7か月の大関昇進は3番目の高齢記録

   (ネットより転用)

だ。しかし、稽古熱心だし相撲ぶりも若々しく、今後の精進次第では横綱もなれるのではと期待したい。

 

 さて、栃ノ心の母国、ジョージアは国土面積が日本の5分の1弱の6万9700㎢の小国だが、旧ソ連の有名な指導者だったスターリンが生まれた地として有名だ。また、カフカス山麓にありワインが美味いので知られ、栃ノ心の実家もワイン農家である。我が国ではさほど知られていない同国を筆者は1998年5月と2013年7月に旅しており、その時の国名はグルジアであった。ジョージアに国名変更したのは2015年4月で、2018年3月7日付け幣ブログ『国名変更で揺れるマケドニア紀行触れている

 

  

                                                             ムツヘタを俯瞰

 

 変更の理由は2008年8月にロシアと戦争して負けた訳だが、ロシア語読みの「グルジア」と呼ばれるのを嫌ったのであろう。また、同国を訪れた時の模様は、2013年7月31日付け幣ブログ『 ギネス更新(!?)265ヵ国・地域を旅し, Travel is Trouble 痛感 』で簡単に紹介済みである。今回は栃ノ心の生まれ故郷、ムツヘタと、首都トビリシを詳述する。

 

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 ムツヘタトビリシの北西約20km、人口は7600人の古都である。ムトゥクヴァリ川とアラグヴィ川の合流地点にあり、ロシアへと続いていくグルジア軍用道路の通過点でもある。紀元前4〜5世紀の間、グルジア南東部にあったイベリア王国の都として5世紀に首都がトビリシに遷都するまで栄えた。小さい町だが、世界遺産になっている歴史的なスポットがある。

 一つは町の東外れにあるジョージア最古の教会、スヴェテイ・ツホヴェリ大聖堂である。4世紀に聖女ニノがメリアーニー王の妃の目を治したことから、キリスト教がイベリア王国の国教となった。王宮に小さな木造教会が建てられたとされ、現在の建物は11世紀ごろに再建された。その後もグルジア正教の中心地であり続け、教会内のフレスコが素晴らしい。もう一つはトビリシから町に入る手前、右側に見える丘の上にポツンと建つジュワリ修道院だ。6世紀に建てられた修道院の名前は「十字架」を意味し、真上から見ると十字架の形をしている。装飾も少ない素朴な教会だが、丘からはムツヘタの町が一望でき絶景だ。

 

          −−− ムツヘタ3景 −−−

  

スヴェテイ・ツホヴェリ  ジュワリ修道院前に     旧市街

     大聖堂       立つ筆者

 

 一方、トビリシはトルコから流れるムトゥクヴァリ川流域の町で、人口は約110万人。標高は453mで三方を山に囲まれ、肩を寄せ合うように家々が山の斜面にへばり付く。民族間争いが絶えないコーカサス地方にしては珍しく、グルジア人以外の民族も共存する国際的な都市だ。マルコ・ポーロが「絵に描いたように美しい」と称賛した町は、コーカサス地方では出色のエキゾチックな雰囲気が漂う。特に旧市街は、木造の建物の上階にバルコニーがしつらえられ、手すりに透かし彫りが施された家々が多い。かってこの地を支配したペルシャの香りもする。

 ムトゥクヴァリ川の畔にあるメテヒ教会は小高い丘のに建つ小さな教会だが、テラスや近くのダルジャン王妃の王宮跡から眺める対岸の旧市街やナリカラ要塞のパノラマが素晴らしい。教会の上の高台にあるメテヒ・パラスホテルからも似たような展望が楽しめる。町で一番高い標高727mの見晴らしの良いムタツミンダ山の展望台からは、正反対の角度から町の全景は勿論、万年雪を頂いたカフカス山脈が見渡せる。この展望台から北西1kmほどにある民族野外博物館は昔のグルジアの農家などを移築して展示しており、古き良き時代が偲ばれて興味深い。

 

              −−− マルコ・ポーロも称賛したトビリシ −−−

 

ナリカラ要塞を背にして    メテヒ教会     民族野外博物館 

 

 この旅では各地で大勢の子供たちに出会い、人懐っこい彼らの暖かい歓迎を受けた。顔立ちの綺麗な子が多く、服装など身なりも小ざっぱりしていた。今から20年前のことだから、本名がレバニ・ゴルガゼという栃ノ心が10歳の頃のことだ。ひょっとしたら会った子供たちの中にレバニ君が、或いは彼の友達がいたかも知れない。と想うと、地球は広いようだが、同時に狭いようでもある。

 

 因みに、2013年に15年ぶりに再訪したが、唯一の例外を除いて街はあまり変貌していなかった。その例外とはトルコから流れる風情あるムトゥクヴァリ川に架かる平和橋で、2010年5月に開設された歩行者用の橋である。イタリア人建築家の設計による斬新で未来的なデザインは今まで見たことも無く、その斬新さは昔の街並みの雰囲気を残すトビリシでひときわ群を抜いていた。この橋を歩いて渡ると、眼前に良く整備され花が咲き乱れるリケ公園が広がる。

 

  

可愛い少年・少女と交流 ムトゥクヴァリ川に架かる 平和橋を背にして

               ユニークな平和橋 

 

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 日本人横綱の稀勢の里が休場続きで、このままでは引退もやむを得ないであろう。栃ノ心にとってはその後釜を狙う絶好の機会であり、大関昇進の伝達式で述べた「力士の手本となるように、稽古に精進します。」に励めば、更に上の最高位も狙えよう。

 

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爆破テロがあったサンクト・ペテルブルクの旅
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 一昨日(4月5日)首都モスクワに次ぐロシア第二の大都市サンクト・ペテルブルクで、街の中心部を走る地下鉄の車両内で爆発があった。テレビで見た映像によれば、紺色の車両は扉付近が吹き飛ばされたような形でひしゃげ(下の写真、駅構内は煙が立ち込めていた。爆破テロがあった現場は、あの世界的なエルミタージュ美術館から遠からぬ場所だ。本日現在で死者は14人、負傷者は60人以上。容疑者は22歳の中央アジア・キルギス生まれの男が割り出されたが、ほかにも共犯者がいるのであろうか?

 サンクト・ペテルブルクと言えば、先ず思い浮かぶのはこの街出身のウラジーミル・プーチン大統領である。しかも、同大統領は事件当日、ベラルーシ―のルカシェンコ大統領と会談のため同地に滞在していた。常日頃からテロ対策に躍起になっているプーチン氏にしてみれば、お膝元での事件だけに全く面子をつぶされた思いであろう。今世紀に入りロシアで起きた主なテロ事件は、北カフカス地方を除くとモスクワが圧倒的に多い。

 

 それだけに今回サンクト・ペテルブルクが標的になったことは、プーチン大統領をはじめ平和な佇まいの同市に住む市民にとってもショッキングであろう。帝政ロシア時代(1721年〜1917年)に長く首都が置かれた街は、今もなお北の首都と呼ばれる。また、ロシア文化と芸術の都として名高く、日本人の観光客にも人気がある。筆者も大好きな街だ。

 一方、2018年の大統領選挙で4選を目指すプーチン大統領の重要課題は、圧倒的な当選であろう。ソ連が崩壊後に混乱し低迷したロシアを安定・発展させた功績をベースに、「プーチン大帝」という名を後世に残したい野望があるはずだ。この爆破テロを契機にプーチン政権が危機感を煽り、反体制派に対する圧力を強めることもあり得よう。

 

 さて、ロシアには2つの心臓があると言われる。内陸部にある首都モスクワと、バルト海に面した港町サンクト・ペテルブルグだ。高層ビルが林立する無機質な感じの前者に対し、後者は華麗なロマノフ王朝の面影を今も残す。今回の爆破テロ事件の舞台となった街を、私ことワールド・トラベラーは1996年9月と2005年9月に訪れている。

 広大なロシアの最西端近くに位置する一方、バルト海東部のフィンランド湾に注ぐネヴァ川の河口デルタにあるのがサンクト・ペテルブルグである。人口は500万人を超え、ソ連時代はレニングラードと呼ばれた。「北方のベニス」とも称えられ、文化の香りがたっぷり漂う水の都をここで紹介しよう。

 

  ロシア文化を代表するスポットと言えば、ロシアが世界に誇る美術館、エルミタージュ国立美術館がネヴァ川沿いにある。「冬の宮殿」と4つの建物が廊下で結ばれ、なんと1050の部屋を持つ。この巨大な建物内に収蔵されている絵画・彫刻・発掘品などのコレクションは、実に約270万点にのぼる。帝政ロシアの財力をつぎ込み全世界から集めらた収蔵品の内容も、超一流で豪華絢爛である。特に見応えあるのが、琥珀の間、黄金の間、大広間だ。

 因みに、この美術館の創設者は女帝と言われた、エカテリーナ2世(左上の写真、1729年〜1796年)である。ドイツ貴族出身のエカテリーナは皇帝ピョートル3世の妃となるが、クーデーターを起こして即位した。賢明で野心家の彼女は、近隣諸国に侵略して領土拡大する一方、教育や芸術の発展に尽力した。特に絵画については、1764年に国際紛争の影響で行き場を失ったベルリンの実業家の絵画コレクション317点を入手し、展示する場所として造ったのがエルミタージュ美術館とされる。 

 

 この美術館から西へ700mほど行くと、金色の丸屋根が輝く高さ102mの聖イサク寺院が威風堂々として建つ。必見は寺院内部で、特に有名なモザイク画や多数のレリーフなどが見逃せない。南の入り口から階段を上るとドームの展望台に出られ、ここから眺める市街地のパノラマが素晴らしい。

 

  

 エルミタージュ美術館   エルミタージュ美術館   聖イサク聖堂 

     とネヴァ川      とワールド・トラベラー

 

 この街が文句なしの水の都であるのを実感するなら、遊覧船による運河巡りが一押しだ。アンチコフ橋で乗船し、フォンタンカ運河・エカテリーナ運河・モイカ運河を通過し、市庁舎前で下船した。遊覧途中で見かけた最も印象的な建物は、モスクワの聖ワシリー寺院に似た血の上の救世主教会である。教会はアレクサンドル2世の暗殺というロマノフ王朝の悲劇がきっかけで建立されたので、内部は悲劇的な雰囲気のモザイク画が壁面を飾る。

 一方、街の象徴として知られるのが、ネヴァ川を挟んでエルミタージュ国立美術館の対岸にあるペトロパブロスク要塞。1703年5月に要塞建設が始まったが、この日はサンクト・ペテルブルグ誕生の日でもあるのだ。この堅固な要塞を眺めるなら、トロイッキー橋が架かる付近のネヴァ川南岸をお薦めしたい。この界隈を散策すると、この街が「水の都」と呼ばれる由縁が改めて分かる。

 

 近郊のペトロドヴァリェツにある夏の宮殿も必見である。エルミタージュ美術館前のネヴァ川の船着場から高速艇で40分ほどで着く。約1000ヘクタールの敷地に180の噴水を持ち、特に滝と噴水で飾られた下の公園は、「芸術の真珠」と言われるほど美しい。また300mもある大宮殿の正面は壮観で、明るい黄色の壁は白い彫像で飾られている。

 

  

 ペトロパブロスク要塞   血の上の救世主教会  夏の宮殿を訪れた筆者(中央)

 

 ロマノフ王朝の名残を今も残す街には、ほかにも見どころが多い。例えば、ピョートル大帝の像「青銅の騎士」で有名なデカブリスト広場、エカテリーナ2世によって建てられたスモーリヌイ修道院、チャイコフスキーやドフトエフスキーなど著名人の墓があるアレクサンドルネフスキー寺院とチテフビン墓地、オペラとバレエ専用の劇場であるマリインスキー劇場 など。機会があれば、再訪したくなる魅力を秘めた麗しの古都である。

 

ネットより転用・加工済み

 

                            ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者ことワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−    

      

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外国人初のプロ棋士を生んだポーランドの旅(1)‐ワルシャワ編
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 本日の朝日新聞でオヤッと思う記事が目に留まった。東欧・ポーランド出身の女流棋士カロリーナ・ステチェンスカさん(25)が、昨日(2月20日)東京の将棋会館で行われた対局で勝利したのである。日本将棋連盟の規定により、正規の女流棋士として認められる女流2級への昇級を決めた。男性棋士も含めて外国人が将棋のプロになるのは初めてという快挙だ。

 

 彼女は16歳の時に大好きな漫画「NARUTO」の登場人物が将棋を指しているのを見て興味を持ったとか。その後インターネットで将棋のルールを覚え、ネット対局で腕を上げ2013年に来日して2年後に女流3級になった。彼女にとって将棋は、チェスと違い相手から取った駒が使え、終盤がダイナックなことが面白く大きな魅力らしい。彼女のプロデビューによって日本の将棋も、チェスのように国際化が進むのであろうか?

 

 因みに、将棋のルーツは諸説あるが、紀元前200〜300年ごろ古代インドで遊ばれたチャトランガという四人制のさいころ将棋と言われる。このチャトランガが西方に伝わりチェスに、東方は中国将棋や日本将棋に姿を変えて世界各国に広まったとされる。インド ⇒ 東南アジア ⇒ 中国を経て平安時代に日本に伝わったようで、貴族の間で将棋が遊ばれていたこととか。

 

 さて、ステチェンスカ棋士の母国ポーランドはドイツとロシアの二大国に挟まれ、国名は「平原、牧草地」を意味する広大で肥沃な平原を持つが故に絶えず他国の支配を受けてきた。東西ヨーロッパの間で揺れた悲劇の歴史を刻んだバルト海の国で、彼女が生まれたのは首都ワルシャワである。今回は同国の最大都市でもあるワルシャワを紹介し、その他の地方は後日としたい。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 私ことワールド・トラベラーは米ソ間の東西冷戦の最中であった1975年8月、商社マンとして中東のクウェート駐在時代に家族(妻と2人の息子)を連れて1か月もヨーロッパを周遊し、その途中初めてワルシャワを訪れた。2度目は1977年4月、駐在地のクウェートからルーマニアやブルガリアへ業務出張した時に寄ったものだ。

 3度目は44年もの続いた東西冷戦が終わり、平和を取り戻した2002年5月に2週間近いポーランド周遊のツアーに参加した際に立ち寄った。実に25年振りの再訪となったが、1989年民主化後に加速した街の大変貌に驚き、魅力的なポーランドを再発見する懐かしのセンチメンタル・ジャーニーでもあった。

 

 度重なる他国の占領にも屈せず「不死鳥」と言われるワルシャワは、人口約180万人の東欧随一の大都市である。ヴィスワ川が市内を南北に貫通する。13世紀に建造された街は、1596年ポーランド王国の都となって以来、破壊と再生を繰り返してきた。異民族や敵国による侵攻とそれに対する抵抗によって造られたポーランドの歴史の縮図を、この首都で見ることができる。

 4半世紀前に比べて3度目の訪問で見た街並みは、第二次世界大戦の傷跡を全く感じさせないほど完璧に復元されていた。市民は壊滅状態にあった第二次世界大戦後も不屈の精神で、特にクラコフから遷都された16世紀末以来の古い建物が残っていた旧市街をレンガのひびに至るまで忠実に原状回復したのだ。1980年には、「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録された。

 

 石畳の路地にガス灯、バロック風の家々が往時を偲ばせる珠玉の旧市街の歴史地区は、中世そのままの雰囲気が満ち溢れている。その中心となるのがレンガ造りの美しい建物で囲まれた市場広場だ。剣を振り上げる人魚像が中央に立ち、周囲には露店のカフェや画商などが並び活気がある。1975年に初訪問時した時にはこの広場で、絵を売ってその日暮らしをしていた貧しい画家から水彩画を買ったが、その絵は今も我が家で飾られている。

 

          −−− ワルシャワ旧市街 −−− 

   

   市場広場の中心  1975年家族と散策   市場広場で買った

                                                                 王宮広場を描いた絵

 

 この広場から少し南へ歩くと、14世紀に建てられたワルシャワ最古の教会、聖ヤン大聖堂がある。歴代王の戴冠式など、多くの歴史的行事が行われた。ここから更に南下すると王宮広場があり、その一角に観光案内所を兼ねるワルシャワ歴史博物館がある。この脇の道を入って行くと、赤レンガ造りの円形をしたバロック様式の砦バルバカンが現れる。旧市街を守るために造られた15〜16世紀の城壁で、かって牢獄や火薬庫として使われたこともある。

 

 ヴィスワ川沿いの旧市街の西側や南側に広がるのが新市街である。旧市街のすぐ北側にはキュリー夫人博物館がある。ノーベル賞学者のキュリー夫人の生家で、実際に使用した実験道具などが展示されている。旧市街から1kmほど南にある聖十字架教会は、ショパンの心臓が納められていることで有名だ。

 ワルシャワの中心部で最も目立つのが、高さ234mもある37階建ての高層ビル、文化科学宮殿である。ソ連のスターリンのプレゼントで1952年から4年を要して建てられ、部屋数は3300近くもある。高層ビルが比較的少ない街では不釣合いな感じで、「ソ連の墓石」と揶揄されて市民には不評のようだ。

  

   バルバカン前の筆者  キュリー夫人博物館    文化科学宮殿

           

 近郊では、約5km南にあるワジェンキ公園が見逃せない。ヨーロッパで最も美しい公園の一つとして知られ、ワルシャワ市民の憩いの場にもなっている。この公園はポーランド最後の王となったポニャトフスキにより、30年の歳月を経て1796年に完成した。見どころは王の夏の離宮として建てられたワジェンキ宮殿で、池の水面に優美な姿を投影する。

 郊外では、ワルシャワから西54kmのジェラゾヴァ・ヴォーラにあるショパンの生家が必見だ。ポプラ並木が続く公園の中に佇み、意外なほど質素な建物は博物館になっている。ショパンの出生や洗礼証明書、少年時代に書いた楽譜(複製)などが展示され、興味深いものが多い。約30分のピアノコンサートを聴いたが、聞き惚れて時間が経つのも忘れるほどであった。

 

  

       ヴィスワ川     ワジェンキ宮殿   ジェラゾヴァ・ヴォーラ

                        にあるショパンの生家

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 以上ワルシャワを概説したが、ポーランドの地方へ行くと、この街に劣らない観光スポットが多々ある。例えば、古都クラコフ、アウシュヴィッツ収容所などがあり、次回に紹介したい。乞うご期待! 

 

                ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

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冬季五輪開催地ソチへの旅 ー 世界最北(?)の亜熱帯に驚く
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  愈々第22回オリンピック冬季競技大会が、ロシア南部のソチで2月7日から始まる。冬季オリンピックでは史上初めて7日の開会式に先立って一部の競技が前日に行われ、冬季オリンピック史上最多の87の国と地域が参加との由。

 平和のスポーツ祭典を控え、現地ではどこもかしこも厳戒態勢が敷かれている。無人飛行機やヘリコプターが飛び、特殊部隊が黒海の海中に潜むと聞く。これはソチが紛争の多いチェチェンなどのカフカス(コーカサス地方)に隣接し、また近くのボルゴグラードで昨年10月から爆破テロが続いているからである。実行犯はカスピ海に面したダゲスタンが多いとか。


 また、各国首脳の開会式出席の可否も注目される。米国のオバマ大統領、英仏独などの首脳陣なども出席しないが、背景にあるのは同性愛プロパガンダ(宣伝)禁止法である。昨年6月にロシア議会が同禁止法を可決、プーチン大統領が署名後に成立したことへの反発と見做されている。

 一方、我が安倍晋三首相は開会式当日が北方領土の日にも拘らず、プーチン大統領の招待を受けて敢えて開会式に出るのはロシアとの関係を重視しているのであろう。勿論、中国の最高指導者である習近平国家主席が2月6日からロシアを訪問し、7日の開会式出席への対抗心があるのは明白だ。

 世界を股にかけて旅する私ことワールド・トラベラーは、その看板を汚すまいと昨年(2013年)6月にソチを訪れ、オリンピック前の現地を種々視察した。この旅ではロシア南部のほかに、モルドバ、沿ドニエストル、アブハジア、チェチェン、北オセチア、ダゲスタン、アルメニア、ナゴルノ・カラバフ、グルジア、アジャリア、イラク・クルド自治区、アブダビ(UAE)を巡り、訪問国・地域は265を達成した。全般的に紛争地帯を抱える超危険な旅であった。実際に北オセチアのあの悲劇があったベスランでは、散策中に不審者とかで警察に2時間も拘束された。 

 ロシアではソチに加え、黒海に繋がるアゾフ海のタガンログ湾郊外に位置するロストフ州の州都ロストフ・ナ・ドヌ、クバーニ地方の中心都市で古都の香りがするクラスノダールを鉄道で訪れるなど、1ヵ月の長旅になった。
 

    −−− ロシア南部を訪れたワールド・トラベラー −−−

  

  ロストフ・ナ・ドヌ:ブラゴヴェ    クラスノダール:駅プラット
   シェンスキー寺院を訪れる      ホームに降りた筆者の旅姿

 ソチ Сочи(Sochi)はモスクワの南およそ1600km、かつてスターリンの別荘もあったクラスノダール地方のリゾート保養都市。プーチン大統領も別荘を持っており、首脳会談が度々開かれる。人口は約40万人で、温暖な黒海に面し、背後は2000〜3000m級の西カフカス山脈がそびえる。

 とても寒い冬のオリンピックが行われるとは想像し難く、気候はむしろ亜熱帯だ。緯度はなんと札幌と同じ北緯約43度だが、2月の平均気温は6度で平地では雪はほとんど降らない。6月から黒海のビーチで水泳が楽しめ、実際に筆者は滞在中の6月19日に泳いだ。しかし、ビーチは砂浜ならぬ小石だらけで、裸足で歩くのが痛くてたまらなかった。意外に良かったのが、新鮮な黒海のシーフード料理が美味しいことだ。また中華の小籠包に似たヒンカリは代表的なソチ料理で、熱い肉汁が口の中に広がり最高。


 冬季オリンピックの開催地になる前のソチを知る人は、我が国では恐らく少ないであろう。ソチ在住の日本人もいないらしい。無理もないことで、黒海沿いのリゾートスポットとしてはヤルタ会談で有名なクリミヤ半島の海岸のほうがずっと有名であった。

 しかし、ソ連崩壊後のクリミヤはウクライナ領になり、代わりにロシアではソチが有数のリゾート都市として隆盛し始め、特にプーチン政権になってから更に大規模な投資が行われた。因みに、筆者は2001年7月にウクライナを訪れた際、美しい景勝地のクリミヤ半島一帯を周遊済みである。

 さて、クラスノダールから鉄道でソチ駅に降り街中に入ると、オリンピック関連の工事だらけで移動も困難であった。ホテルも続々と建設中で、街全体が建設ラッシュに沸いていた。特に感じたのがプーチン大統領の意気込みである。今回のオリンピックのために投入される総資金は、最終的に500億ドル、或は1兆5000億ルーブル(約4兆7000億円)になる見込み。これは冬季五輪としては過去最大であり、また競技数など規模がずっと大きい夏季五輪と比較しても桁違いに多い。また、関係者の話によれば、この巨額の3分の1が横領などの汚職に消えているとの告発がある。また、ロシアの野党指導者は同大統領こそが汚職競技の金メダリストと批判しているとか。

 これほどまでに大統領が力を入れるのは、オリンピックのような大規模な国際イベントを招致しつつ、これをテコに国内的な結束を高めたいのであろう。また、日本をはじめ西側諸国がソ連のアフガニスタン侵攻を理由にボイコットしたため、不完全であったと言われる1980年のモスクワ・オリンピックを仕切り直すという思いもあるようだ。

 ここでソチを散策・観光して感じたことをお話したい。意外に坂と丘が多い街で、道路は曲がりくねり狭い。「ロシアのリビエラ」と呼ばれるほどソチのビーチは割合広いが、小石が多くて足元が悪い。波もあるので、遊泳には不向きである。プリモルスカヤ・ストリートという海岸沿いの遊歩道はホテルやレストラン、お店などが軒を連ね、遊泳する人や通行人で賑わいを見せる。この通りを西方向に進むと、尖塔がそびえる街のシンボル、海運ターミナルビルが見えてくる。港からは黒海各地に船が出る。開運ターミナルから東へ10分ほど歩くと、ソチ美術館がある。旧ソ連時代の1936年に建設された壮麗な建物で、コレクションはロシアと旧ソ連時代のものなど貴重な作品も多い。

 街の東にあるアルボレタム公園には、広大な植物園がある。50ヘクタールもの敷地に200以上もの植物が生息し、ヒマラヤスギ、アメリカのジャイアントセコイア、オーストラリアのユーカリなど、世界の貴重な植物を一度に楽しめる。公園は南北2つに分かれ、北側の公園は広い植物園が中心で、南側の公園は水族館があるなどユニークだ。
 

  

 ソチ:町の象徴・尖塔がそびえる   ソチ:黒海のビーチで泳ぐが、
    海運ターミナルビル       76歳の老体が痛々しい 
 

 一方、郊外は見どころが多い。先ず、約25km北東にあるアフン山がおススメ。標高600mの展望台からの眺めは抜群で、カフカス山脈や遠くにソチの街並みが遠望できる。この展望台の下には休憩所があり、ここで生後6ヵ月くらいの小さな可愛いトラと仲良く写真を撮った。

 因みに、ソチから東へ50kmほどにアブハジアと言う国(?)がある。グルジアから独立したとされるが、承認しているのはロシアなど5ヵ国で国際法的には認められていない。タクシーで日帰り旅行したが、ビザが無ければ入国できないなど実質的には国だと判断せざるを得ないのが実情だ。 


 ところで、ソチ五輪の主な競技会場は、ソチではなく40kmほど東に位置するアドレル Adlerにある。黒海に臨むこじんまりとしたリゾートで、町に入って先ず目に飛び込んで来たのがアドレル鉄道駅。斬新なスタイルの大きな駅舎がひときわ目立ち、ほぼ完成していた(正式な竣工は2013年10月28日)。この駅から近くのソチ国際空港や、遠くはモスクワまで行ける。

 駅から黒海の方に向かって暫らく進むと、ソチ冬季五輪の中心となるオリンピックパークの建設現場が姿を現した。以前はトマトやキュウリなどの畑があった農村地帯で、村が大変貌しようとしていた。砂塵がもうもうと舞い上がる中で突貫工事が進められ、工事用の車両などが頻繁に出入りしていた。巨大なオリンピックスタジアム、アイススケート場、アイスホッケー場などが姿を見せていたが、来年2月の開催に間に合うのであろうか少々心配な工事の進捗状況であった。競技実施には影響しないそうだが、開幕目前になっても関連施設の工事の一部は未だ終わっておらず、未開業のホテルもあるとか。 


 アドレルから北へ約45kmへ行くと、スキー競技が行われるクラースナヤ・ポリャーナのスキーリゾートに着く。西カフカス山脈に抱かれたソチ国立公園内にある。ムジムタ川を挟んで大きなホテル群がずらりと建ち並び、とても山間の村には見えない。標高が600mほどで、少し肌寒い。ここからロープウェーに乗って競技が行われるローザ・フートルに向かうことが出来るが、あいにく天候が良くないためロープウェーは運休していた。

 ワールド・トラベラーが心配した工事遅延もその後のプーチン大統領をはじめロシア側の頑張りで、何とか開会式には間に合いそう。テレビや新聞などの報道で見る限りは、大丈夫のようだ。唯一の心配はボルゴグラードで続いた自爆テロの連鎖反応や、競技会場があるアドレルがアブハジアに隣接していることだ。グルジアから独立したと主張するアブハジアは、ロシアが実効支配する複雑な現実を無視はできまい。単なる杞憂で終わることを願う。
 

     −−− アドレルのオリンピック公園のスタジアム −−−

  

  2013年7月に突貫工事中の       完成間近かのスタジアム
  現場を訪れたワールド・トラベラー    (ネットより転用・加工済み)

      −−− クラースナヤ・ポリャーナの風景 −−−

  

 2013年7月に現地を訪れた筆者   冬季のクラースナヤ・ポリャーナ 
                     (
ネットより転用・加工済み)
 
 大国ロシアの威信をかけた史上最大の冬季オリンピックで、日本勢はいくつメダルを獲るのであろうか?特に10代の若手の活躍は勿論のこと、スキージャンプのアラフォー男、葛西紀明選手の執念にも期待したいものである。2020年の東京五輪・パラリンピックに勢いをつけるためにも、選手諸君の悔いを残さない健闘を祈念したい。

 

追記

 開催年の2014を引用し、2014年2月7日の20:14、即ち午後8時14分(日本時間8日午前1時14分)にフィシュト五輪スタジアムで開会式が始まった。眠たい目を擦りながら、テレビに釘付けになった。ロシアらしいスケールの大きく且つ芸術文化性が豊かな雰囲気の中で名物の入場行進が始まり、日本の選手団113人を含め約2900人の選手などが華やかに登場した。

 87ヵ国・地域の中には選手がたった一人参加のところもあり、初出場の国が7つもあった。ドミニカ、ジンバブエ、トーゴ、東ティモール、パラグアイ、トンガ、マルタの7ヵ国で、寒い冬の祭典とは縁遠い南国の参加もあり実に多彩だ。勿論、世界制覇の旅を成就しているワールド・トラベラーにとっては、すべての参加国・地域を訪問済みで現地を熟知しているので、入場行進が楽しくてしようがなかった。 

 87ヵ国・地域に加え、オヤッと思う国があった。インドで、なんと個人資格の参加である。同国から参加した選手3人はインド代表としてではなく、「独立参加」であった。三色のインド国旗を掲げることは禁止され、旗手は五輪旗を持って行進した。その理由は、一昨年に国内の国際競技場などの発注を巡り大型汚職疑惑が浮上したため、インド五輪委員会が国際オリンピック委員会からナショナル委員会の地位の一時停止処分を受けたのである。インドの民放テレビなどは「インドは国際舞台で恥をさらした」などと報じた。

 

 実施種目は冬季史上最多の7競技98種目と豪華だ。様々な問題があっても、少なくとも雪と氷のスポーツ祭典開催中はテロなどの最悪の事態が起こらないで平和裏に終わるよう強く切望したい(2月8日)。
 

 −−開会式が行われたフィシュト・オリンピックスタジアム−−

    (NHK放送とインターネットより転用・加工済み)

   

 オリンピックスタジアムの中  花火打ち上げ時のスタジアムの外

 
    
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 ワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、265カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
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   メインホール   民俗人形:中南米等コーナー   地球儀コーナー
 

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チェルノブイリ原発事故の国々:ウクライナとベラルーシへの旅
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 3月11日の東日本大震災は巨大な大津波ばかりか、福島第一原発事故という想定外の人災(に近いであろう)を誘発した。放射線物質の拡散という目に見えない問題で不安な毎日を送る昨今、放射能汚染のトラブルで思い出すのが、ちょうど10年前に訪れたウクライナベラルーシである。 
 残念ながら、その旅行当時は日本でも現地でも、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故は話題に上らなかった。事故はベラルーシとの国境近くにあるウクライナ側のチェルノブイリ近郊のプリピャチから4km東にある原子力発電所の4号炉で起こったが、事故後の風向きの関係で隣国のベラルーシの被害が甚大であった。

 今回のブログは、10年前に旅した両国の素顔などを紹介します。


     _______________________________


 ウクライナとベラルーシを訪れたのは、ちょうど10年前の2001年7月、日中の最高気温が40度にもなった暑い夏であった。
かっては旧ソ連邦のメンバーであったが、1991年にソ連崩壊後はそれぞれが独立国として新たな一歩を踏み出した、ロシアに隣接するスラブの兄弟国をじっくりと周遊。       
 
 先ずモスクワ経由で、深い森と400の湖を持ち、原発事故の被害が大きいスラブ民族発祥の地ベラルーシの首都ミンスクに着いた。次に、重工業と農業が盛んで、「ロシアの故郷」とか「ヨーロッパの穀倉」と言われるウクライナに入った。首都キエフを始め、ウクライナ西部の町や南のクリミヤ半島の保養地、そして黒海の港町オデッサを訪れた。
その後、ワインが美味いモルドヴァを訪問し、モスクワ経由で帰国した。

 ロシアを含めた4ヵ国間の移動の大部分は空路であったが、ウクライナの黒海沿岸では夜行の寝台列車に乗車した。車窓より、小麦などが豊かに実る黒い大地の穀倉地帯を眺めた。またウクライナからモルドヴァへはバスで移動したが、道中はひまわりが鮮やかに咲き乱れ、ぶどう畑が延々と広がっていた。北海道より緯度が高い北緯45〜55度の北国で、連日最高気温が40度になる猛暑に見舞われるとは思いも寄らなかった。

 日本の約1.6倍の広さを持つウクライナは、訪れる場所によって異なる見どころがある。特に中世そのままの町々や景勝のクリミヤ半島が必見スポットとしておススメである。

  
ペチェルスカヤ大修道院   リヴィウの民族建築・  ツバメの巣と黒海
               風俗習慣博物館

  
 チェルノブイリの南130kmほどに位置するキエフは、1500年以上の歴史を持つ東スラブ随一の古都である。緑豊かで起伏が多い街は、見どころが実に多い。中でもロシアの女帝エカテリーナ2世のキエフ訪問を記念して造られたアンドレイ教会は、高さ60mの美しいドームを持ち、エレガントな内部装飾が華やかである。聖ミハエル修道院は、金色のドームとブルーの外壁が鮮やか。ドニエプル川沿いに広がるペチェルスカヤ大修道院は、約950年以上もの東スラブで最も長い歴史を持つ修道院。深い緑に覆われた敷地内には、聖三位一体教会、ウスペンスキー大聖堂、大鐘楼、フセフスヴァーツカヤ教会、トラペズナ教会、地下墓地など約80の建物がある。特に目を引くのが、高さ96mでキエフ市内のパノラマが楽しめる大鐘楼だ。

 ポーランドとの国境に近いリヴィウは、ウクライナ・カトリックの聖地で、最もウクライナらしい雰囲気が漂う。「東欧の小さなパリ」とも呼ばれる町は、ハプスブルグ帝国やポーランドの支配下に置かれたこともあった。小さなトラムが走る古い石畳の町並みは、オーストリア風の落ち着いた風情がある。市街地の東の丘にある リヴィウ民族建築・風習博物館では、西ウクライナ各地方から約100棟の木造建物が移築され野外展示されている。市内では、旧市街の中心・リノック広場近くに建つ18世紀バロック様式のドミニカ聖堂は、緑のドームと美しい屋根が見ものだ。
 
  
 ヤルタ会談が行われた キエフのアンドレイ教会    黒海で泳ぐ
 リヴァーディア宮殿

 黒海に突出した温暖なクリミア半島は、亜熱帯の樹木にそそがれる陽光、背後に起伏の激しいクリミア山脈の山並み、前方に紺碧の黒海が広がる。石浜のビーチを黒海の波が洗う風景は絵のように美しく、一瞬地中海ではないかと錯覚するほどだ。
 半島観光のハイライトであるヤルタの見どころは近郊。ヤルタの港から船に乗って40分ほど行くと、クリミヤ半島を代表する観光名所のツバメの巣に着く。アイ・トドール岬先端に黒海を見下ろす崖っぷちに、風光明媚な白亜の宮殿が建つ。ヤルタの名を世界に知らしめたリヴァーディア宮殿は、帝政ロシア最後の皇帝ニコライ2世の夏の別荘として建てられ、1階はヤルタ会談当時の様子が再現されている。
 モンゴルの末裔クリミア・タタールの都であったバフチサライでは、クリミアのハーン(支配者)が暮らしたオスマン・トルコ風の宮殿・ハーンの宮殿などがあり、ヤルタが持つリゾート地のイメージとは違った側面を知るためにも一見の価値がある。

 見どころ満載のウクライナに比べ、ベラルーシは第2次世界大戦の戦災で国土の大半が焼け、何の変哲もない旧ソ連式の町並みなど、まったくの期待外れであった。

  
 ミンスクの精霊大聖堂  聖シモン・エレーナ教会  ハトィニ第二次世界

                          大戦記念遺跡

 
 敢えて言えば、チェルノブイリの北西およそ340kmにある首都ミンスクぐらいか。 モスクワとワルシャワを結ぶ線の中ほどにあるため、昔から戦乱の度に軍隊が往来して戦火の地となった。第二次世界大戦でも徹底的に破壊され、戦前の面影を留める歴史的な古い建物がほとんどない。
 しかし、戦後に復興された街並みは、緑が多くて整然としている。端正な建物が多い中で、ひときわ目立つのが美しい教会群。街中を流れるスヴィスラチ川を見下ろす丘の上に、美しい白亜の精霊大聖堂が建つ。1642年に建てられたバロック様式の教会で、内部は数々のイコン(聖像画)で飾られている。特に北側の礼拝堂に収められた聖母マリアと幼いキリストのイコンは、奇跡を起こすと信じる人が多いとか。
 街の中心にあるネザヴィーシモスチ(独立)広場に建つ聖シモン・聖エレーナ教会は、赤レンガの建物が青空に見事に映えるが、カトリック教会の内部にはイコンがない。

 観光面ではウクライナ以外はいささか物足りなかったが、訪問国の人たちは歌と踊りが大好き。華やかな民族衣装で着飾って、賑やかで軽やかにステップを踏む民族舞踊を楽しく鑑賞した。旅の楽しみのひとつでもあるグルメも、スラブの特色ある料理と黒海の幸に舌鼓を打った。
   
キエフのレストランで   キエフ風のカツレツ・ チェルノブイリ原発 
                 カトレータ 
  

 
 この旅行を終えてから過日の福島第一原発事故まで、実のところチェルノブイリ原発事故は他人事のような存在であった。しかし、福島の事故によって原発事故は身近なものとなり、現代の文明を問い直す警鐘になったと言える。
 
 この事故で風下になったベラルーシでは、国土の約4分の1がセシウム137などの放射性物質で汚染され、周辺に住む約30万人の住民が故郷を捨てることを余儀なくされた。原発事故当時、国民には事故の発生も知らされず、大気中の放射線量が上昇していたにも拘わらず、子供たちまで総動員してメーデー行進が行われたとか。そのツケは子供たちに回され、ガンや白血病に脅かされていると聞く。

 一方、事故を起こした当事国のウクライナでは、事故現場にかなり近い首都キエフの全住民350万人の避難が、当時のソ連上層部によって検討された。しかし、風向きのお陰で回避されたが、もし逆に風下になって大量の避難民が出ていたら、避難先の当てはあったのであろうか? 背筋の凍る話である。

 原発事故は、結論を言えば人災で、その人災は政治の問題になる。政争に不必要なエネルギーを消耗する時ではなかろう!

(追記)
 ソ連崩壊後の1994年にベラルーシの大統領になったルカシェンコは今も居座り、批判勢力への激しい弾圧で「ヨーロッパ最後の独裁者」の異名を取る。17年間の長期にわたり権力を維持し、反対派を押さえ込もうとするルカシェンコ大統領への批判は欧米で厳しいものがある。


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