世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
エボラ出血熱で想い出したリベリア・シエラレオネ・ギニアへの旅
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 西アフリカでエボラ出血熱が大流行だが、アフリカの根深い貧困が浮き彫りにされた複雑な背景が興味深い。地球儀俯瞰外交と積極的平和主義を掲げる我が日本の総理と側近の方々は、ご如才なく気付いておられるのであろうか?

 8月15日世界保健機関(WHO)は、ギニア、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリアの西アフリカ4ヵ国で感染が広がっているエボラ出血熱について、死者が1145人、感染の疑いを含む感染者は、2127人に達したと発表。
 死者の内訳はギニア 373人、リベリア 323人、シエラレオネ 315人、ナイジェリア 3人である(8月12日現在)。ナイジェリアの死者の中には米国籍の人がおり、リベリアで感染してラゴス空港に到着後に倒れ5日後に死亡した由。また、12日に西アフリカ以外でもスペインで初の死者が出た。シエラレオネでは中国人の医師ら8人が、感染の疑いで
隔離されている由。
 
 現地で医療支援に取り組む国際NGO「国境なき医師団」は戦争状態だと危機感を訴え、感染の封じ込めには少なくとも半年以上かかるとの見方を示している。一方、16日から中国・南京で開幕するユースオリンピックの組織委員会は、プールを使う競技と格闘技で感染者が出た国の選手の不参加を決めた。

 エボラ出血熱が最初に確認されたのは1976年で、中央アフリカのコンゴ民主(旧ザイール)で280人が死亡。また、ほぼ同時に現在の南スーダンでも流行し、151人が死んだ。その後ウガンダやコンゴでもあり、これまで中央アフリカ各地で20回ほど流行し、約1300人が犠牲になった由。筆者は勿論これら諸国を回っており、いずれも貧しい国ばかりだ。
 感染すると風邪に似た症状が出て、腎臓や肝臓がやられ、最後は目や鼻などから出血して死亡する。現時点ではこれと言った効果がある治療薬は無く、点滴を打ち体力低下を防ぐことぐらいのようだ。これはこの病気が散発的に貧困国で発生するため、開発に要する巨額のコストに見合うだけの新薬開発が出来ない事情による。しかし、WHOは「過去約40年で最大規模」として緊急事態宣言し、例外的に未承認薬の使用を容認した。

 
因みに、エボラウイルスの感染について、WHOによればコウモリがその自然宿主であると考えられている。具体的には、エボラウイルスに感染している人の体液や体液に汚染された物質(例えば注射針)に直接触れた際、ウイルスが傷口や粘膜から侵入することで感染する。また、西アフリカでは葬式で遺体に触る習慣があるため、患者の遺体に触れたことが大流行を誘因したらしい。
 この病気は空気で広く感染する病気ではない。
我が厚生労働省は、現地に比べ国内の医療体制や生活環境の高いレベルから考え合わせると、国内でエボラ出血熱が流行する可能性は現時点では低いとしているが、決して油断できまい。

  


 世界を股にかけて旅してきた私ことワールド・トラベラーは上記の流行国をすべて訪問済みである。今回はリベリア、シエラレオネ、ギニアの西アフリカ3ヵ国を簡単ながら紹介したい。確かに資源はあるが、依然として貧しいアフリカの実態や問題点などがお分かり願えれば幸甚である。

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 2005年12月に旅したリベリアはアフリカ最古の黒人国家で、1847年アメリカから移住した解放奴隷により建国された。当時米国のモンロー大統領の支持を受け、黒人奴隷を解放してリベリアの土地を買取り移住させた。初代のロバーツ大統領はアフリカ系黒人で、アメリコ・ライベリアンと呼ばれる子孫はリベリア全人口のわずか5%だが政財界を支配していた。一方、現地人も奴隷生活の中で「アフリカ文化を知らない黒い白人」と見做して軽蔑した。このため両者の衝突は絶えず、1980年クーデターでアメリコ・ライベリアン政権は倒され、アメリカ系黒人のリベリア支配は終わった。
 しかし政情は安定せず、1989年から2度も内戦に突入。終結したのは2003年で、この間15万人以上の死者が出た。2005年11月にアフリカ初の女性大統領サーリーフが誕生し、2011年にはノーベル平和賞を受賞した。同大統領は国際社会からの支援を得ながら、国家の再建と国民の生活向上に取り組み治安は安定化している。しかし、コートジボワールと国境を接する東部では、2010年のコートジボワール大統領選挙後の
混乱から大量の難民が流入。彼らに混ざり民兵や武器などが入ってきたとのことで、治安が悪化している。

 
 筆者は内戦が終わってから間もなく訪れたが、依然として治安が悪かった。いたる所で国連が派遣した国連リベリア・ミッション(UNMIL)のUN車両を見かけた。首都モンロビアはアメリカ南部の都市を彷彿させ、町の名前も当時のアメリカ大統領の名に因んだもの。市内を散策して目立つのが、あちこちで散見される内戦で破壊され荒廃した建物だ。特にアメリカ系黒人の聖地であったマゾニック寺院では、かつては立派であった建物が破壊されたまま放置され、内戦の深い傷跡を見て大いに不安を感じた。
 治安も悪く怖いくらいで、人々は写真撮影を嫌がる。時には写真を勝手に撮ったとして因縁をつけ、金をよこせと迫った。モンロビア最大の市場ウォーターサイドでは、売られている商品のほとんどが中国からの輸入品で、歩くのが困難なほど買い物客や通行人で賑わっていた。少々危険で汚いが、とにかくブラックアフリカのエネルギーを感じる。


  
  リベリア:モンロビアのマゾニック     リベリア:モンロビアの活気
   寺院を訪れたワールド・トラベラー    あるウォーターサイド市場


 リベリアに入る前に訪れたシエラレオネは1961年に英国から独立したが、シエラレオネ(獅子の山の意)という国名は15世紀に訪れたポルトガル人が名付けたとされる。ダイヤモンドを産出するが気候条件が最悪なため、「白人の墓場」と呼ばれた。東部のダイアモンド鉱山の支配権を巡り、1991年に反政府組織「革命統一戦線(RUF)」が政府と戦闘を開始した。1997年にはカーバ大統領を追放し、1999年に和平合意に至った。
 しかし、反政府ゲリラは次々に住民の手足を切るなど残虐な行為をしたため、1999年にPKOの国連シエラレオネ派遣団(UNAMSIL)がシエラレオネに入った。UNAMSILは反政府ゲリラの武装解除に努め2002年に戦争終結宣言が出たが、PKOが最終的に終了したのは筆者が現地入りした直後であった。

 現地に着いて先ず驚いたのが、内戦処理の復興で精一杯で貧しいため、道路や電力などのインフラが未整備なことである。ホテル、レストラン、お土産屋など観光客を受け入れる下地がまったくなく、地図すらも手に入らないので観光客は皆無に近かった。首都フリータウンは英国・カナダ・ジャマイカなどの解放奴隷の黒人たちが建設した街で、人口は100万人を超える大都会で欧米風の街並みが美しい。
 しかし、内戦の影響で発電所は破壊されたままで、慢性的な電力不足のため停電が多く、夜はどこも真っ暗になる。黒人ばかりの街頭を歩くと顔はよく見えないが、ギョロッとした目だけが光っているのがなんとも不気味であった。しかし、どこでも子供たちはカメラを持ったワールド・トラベラーを見かけると近寄り、写真撮影をせがまれた。貧しいが物乞いすることもなく、底抜けに明るい笑顔が印象的で心地良かった。


 
  シエラレオネ:フリータウン   シエラレオネ:フリータウン郊外で
     の市街地を俯瞰        小学生と仲良くする世界の旅人


 2001年10月に訪問したギニアはシエラレオネとリベリアを取り囲むような形をしており、両国より少し豊かである。「西アフリカのスイス」とか「西アフリカの水瓶」と言われ、ボーキサイトの埋蔵量も多い。旧フランス植民地の中でも、1958年に他の植民地に先駆けて国民投票で独立した国だ。
 首都コナクリはかつて「アフリカのパリ」と呼ばれたほど美しい街で、大西洋に突き出た細長い半島の先端に位置する港町だ。市場とは思えぬ立派な建物のマーケット、メインストリートの共和国通り、活気溢れるブルビニ漁港などが見逃せないスポットである。

 しかし、見どころはむしろ郊外だ。コナクリの北東300kmに位置するフータ・ジャロン高地は、雨量が多いため針葉樹林などがよく育つ。標高は1000m以上あり、「西アフリカのスイス」と言われ風光明媚である。大西洋から吹き付ける湿った空気は大量の雨をもたらし、ニジェール川やセネガル川の水源地になっている。いくつもの川は滔々と流れ、あるものは急流をつくって滝となり、豊かな水は西アフリカ最大の水力発電を産み出す。
 高地はキンディア付近から始まり、ダラバに向け高度を徐々に上げて行く。13kmほど行った途中に、大きくはないが清楚な美しさを持ち花嫁のベールのというヴォール・ド・ラ・マリエがある。朝晩が涼しいダラバはスイスの山間を彷彿させ、きのこのような形をした伝統的な茅葺屋根の集会場フーグーンバや知事宮殿、美しいモスク、近郊の素朴なグバ村などが必見である。

  −−− ギニアを旅するワールド・トラベラー −−−


 
ギニア:涼しいフータ・ジャロン高地  ギニア:ダラバ郊外の素朴なグバ村

 因みに、ギニアの名前がつく国が、アフリカにはなんと3つもある。ポルトガル植民地だったギニアビサウ、カメルーンと国境を接する旧スペイン植民地の赤道ギニア、そして旧フランス植民地のギニアである。ほかに東の方に目を向けると、インドネシアの東隣にパプアニューギニアがあり、これら4つのギニア諸国も1997年4月〜2007年3月にすべて訪問済みである。

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 最大で約90%という高い致死率の高い伝染病、エボラ出血熱の感染拡大が止まらない勢いである。医療設備や資金が不十分な西アフリカの流行国や周辺国は、感染予防措置を強化しているらしいが、万全の対策は困難ようである。隔離地域では支援の手が届かないほか、住民が食糧難に陥るなど二次的な影響も発生している。
 エボラという普段は聞き慣れない特殊な伝染病においても、アフリカの貧困が浮き彫りにされたが、実は特権階級の汚職などによる政治の貧困が大きな背景にあると言えよう。これはアフリカの全ての国を回り、熟知するワールド・トラベラーの率直な感想だ。「積極的平和主義」と声高に唱えるどこかの首脳も、このエボラ出血熱問題でメッセージを発信して頂きたいものである。

(後記)
 2015年5月8日現在の西アフリカ3ヵ国の死者数は、リベリア 4716人、シエラレオネ3904人、ギニア 2387人 合計 11007人に達した。翌9日WHO(世界保健機関)は、リベリアでのエボラ出血熱の終息宣言をした。


            ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

筆者(ペンネーム:高やすはる)が著した本が文芸社より発売中です。
書名は
私はワールド・トラベラー世界257ヵ国・地域を旅した男
定価は本体1、500円+税。お買い求めはインターネット(アマゾンや楽天ブックスなど)、または最寄の書店でどうぞ。
  なお、本書は単なるトラベル・ガイドブックではありません。日本の将来を憂い、 特に三流とも揶揄される日本外交に対し、ズバリ直球でもの申す本物志向の提言書であります。是非ともご愛読のほどお願いします。


 
     表紙カバー                       口絵
 
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