世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
世界の紛争地や辺境地を訪れてこそ、本当の世界が分かるー   272ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラー
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 去る6月19日、「グラン・レジデンス」というインテリジェント・マンションで講演した。総戸数は738戸もあり、千葉県内では有数の素晴らしい大規模マンションである。マンション内では各種のクラブ活動が活発で、シニア世代の「けやきクラブ」の依頼で講演した。2年半ほど前に講演を再開して9回目の講演であるが、マンションでの講演は今回は初めてであった。
 講演テーマは「世界の紛争地帯や辺境地を訪れてこそ、本当の世界が分かる」で、2時間近く約50名の参加者に熱心に聴講して頂いた。
 
 また、講演会場の受付のそばに、私ことワールド・トラベラーが運営するプライベートミュージアム「世界の人形館」が所蔵する世界の万華鏡を展示し、講演の前後に参加者の皆さんにご覧頂いた。 当日は収蔵品の一部だが、日本を初め、イタリア、アメリカ、ドイツ、イスラエル、ブータンなどのファンタジー溢れる海外作品に酔いしれて頂いたようである。

 では、当日配布した講演資料を以下紹介したい。


   
    グランレジデンスの外観          講演するワールド・トラベラー

   
       熱心な聴講者たち           講演後けやきクラブの皆さんと
                               記念撮影(筆者の横は妻)

1.はじおめに

 本日は千葉県内では有数の大規模なインテリジェントマンション、グラン・レジデンスでの講演にお招き頂き、またご多用にも拘わらず私の講演のためにこの様に多数お集まり頂き、誠に有難く光栄です。
 本年も早いものであと半年ほどになりましたが、77歳という後期高齢者の年甲斐も無く、また超多忙の1年になりそうです。私事的なお話で恐縮ですが、私の場合は年をとると共に忙しさに拍車がかかっています。これは今もなお海外旅行を続け、5年前からプライベート・ミュージアム「
世界の人形館」をオープンし、3年前から各地で講演や講義を続け、昨夏には本を出版したからです。因みに、商社マンからスタートした半世紀以上に及ぶ私のグローバル人生を総括し回顧した初の拙著、「私はワールド・トラベラー」は良書とか力作etcと高い評価を受けている様ですが、あまり売れません。受付に少々置いていますので、ご購入頂きますと大変嬉しいです。 

 さて、4分の3世紀以上の私のグローバル人生は、幼少時代から始まりました。この年代の人間としては異例でしょう。今から約70年前の小学生時代から、世界地図を見るのが大好きで、地図を見ながら寝入ることも度々でした。10歳頃から海外に出て世界を見聞したい強い気持ちが芽生え、私のグローバル志向が始まりました。そのため学生時代から英語などの外国語習得に注力し、外国語で商談をする総合商社に入社しました。待望の世界への初旅立ちは1969年1月で、酷寒の旧ソ連(現ロシア)の首都モスクワへの業務出張でした。1974年〜1984年にクウェートとインドネシアの駐在員として働き、リタイア後も海外旅行を続けました。
 この間、1995年1月には南極、5月は北朝鮮、7月は北極点、11月はネパールの世界の最高峰エベレスト山麓に出かけました。あの阪神大震災があったこの年は、旅好きの私にとっても正に画期的な年でした。北極点に到達した時は、一般にフランクだが尊大なアメリカ人の旅行者から、「お前こそ本物のワールド・トラベラーだ!」と呼ばれ、敬意を表してくれました。その後はこのニックネームを愛用する、外国旅行が大好きな世界の旅人、と言うよりも奇人、或いは変人かも知れません。

 本日は2ヵ月前に帰国した直近の旅の報告を皮切りに、過去20年間に渡り歩いた世界の紛争地帯の実情、南極、アフリカなどの辺境地や秘境など、生々しいノンフィクションの体験談をお話します。最後に少し重々しくお堅い話になりますが、真の世界平和とはいったい何か、聴講者の皆さんと一緒に今一度真摯に考えてみたいと思います。
 
2.最近の海外旅行&今まで訪れた国・地域の数
 
 15年ほど前から私の外国旅行は基本的にガイドや通訳を付けない個人旅行で、時には修行僧になったような心境の孤独で過酷な旅が多いです。旅費節減の意味もあり、唯一付けるのは現地調達のドライバーで時々ガイドも兼ねます。直近の一人旅は、去る3月20日に成田を出発し、1ヵ月後の4月18日に帰国しました。訪れたのはインド洋及び南太平洋に浮かぶ島々、インド領のアンダマン諸島、オーストラリア領のココス諸島とクリスマス島、ニュージーランド自治領のニウエ、フランス領のウォリスの5地域などです。この旅を終え
訪問した国・地域は272となり、世界最多訪問国・地域の自称ギネス世界記録を更新。この旅ではマレーシア航空機行方不明事故の影響が懸念されましたが、全般的に平穏な旅でした。

   −− インド洋と南太平洋の島巡りを楽しむワールド・トラベラー 
−−
  
 ニウエ:マタパ・ギャザム  シドニー:ハーバーブリッジ ココス諸島:美しいタートル・
                     を背にして           ビーチで泳ぐ筆者

 一方、昨年6月12日〜7月11日の1ヵ月の旅は相当リスクがありました。訪れたのは、モルドバ、謎の独立国(?)沿ドニエストル、ロシア連邦南部の2014年冬季五輪開催地ソチやクラスノダールなどの黒海とアゾフ海沿岸の諸都市、またロシアが実効支配する独立国(?)アブハジア、チェチェン・北オセアチア・ダゲスタンのロシア連邦内の共和国、アルメニアと同国が実効支配する独立国(?)ナゴルノ・カラバフ、グルジアなどのいわゆるコーカサス地方、そしてイラク北部のクルド自治区アラブ首長国連邦の首都アブダビです。これら旅先の大半は日本の外務省も渡航延期や退避の勧告を出すほどで、危険な地域ばかりでしたが、なんとか五体満足で無事に帰国しました。この旅で沿ドニエストル、アブハジア、ナゴルノ・カラバフの3つの事実上の独立国(国際的には未承認)、チェチェン、北オセアチア、ダゲスタン、アジャリア(グルジア)、イラク・クルド自治区の5地域を新たに加えました。
 
 過去約45年間に訪問した国・地域の最新データは、下表の通り国は199、地域は73で、合計272になります。昨年上梓しました「私はワールド・トラベラー」で紹介した257の数字も今や過去形になりました。周りの人たちから「何故ギネス世界記録に登録しないの?」と良く訊かれますが、まだまだ記録を更新したい気持ちが強く、記録達成が現在進行形であるからです。

 
大陸名 アフリカ アジア
(中東含む)
ヨーロッパ 米州
(北米・中南米)
大洋州
&極地
合計
55
1
48
12
47
21
35
17
14
22
199
73
 
 因みに、一応国際的に認められている世界の国の数は、2011年7月9日に独立した南スーダンを含め195で、日本を除くと194ヵ国になります。私は194すべての国と72地域を訪問済みですが、実際は199ヵ国を旅しています。5つも多いのは実効支配の国々、北キプロスと西サハラ、そして昨年に旅したアブハジア、沿ドニエストル、ナゴルノ・カラバフが存在する現実です。我が日本も中国・韓国・ロシアとの間で領土問題がありますが、この実効支配(Effective Control)が絡みます。実は世界に実効支配下にある国や地域が数多くあり、私は全部と言ってよいほど訪れており、これから具体的に且つ少々衝撃的なお話をします。
 
3.世界の紛争地帯を訪れた体験談
 
今や世界の総人口は70億人を超え、3人に1人は紛争地帯に住むと言われます。長年世界を股に掛けて旅してきた私の重要なキーワードは、「百聞は一見に如かず」の現場主義です。頭が優秀なエリートではありませんが、好奇心だけは普通の人の数倍はあるでしょう。この半世紀近く世界の表通りと裏通りを歩いてきましたが、どちらかと言えば裏通りが好きです。それは庶民の生活ぶりが分かり、その国の本当の姿が正しく理解できるからです。
 また、「ここに日本男児あり」の気概を持ちリスクを覚悟して、意識的に世界の紛争地帯を隈なく回りました。そのためにはあまりお勧めは出来ませんが、日本の外務省の危険情報も無視するほどです。日本人はもちろん、今や世界のどこでも見かける中国人の姿も見当たらない危険な地域に潜入し、時には死と背中合わせのリスキーで恐怖も感じた体験が多々あります。戦争や様々な争いがある紛争地域のほかに、深刻な病根を抱えた国々も紹介します。
 
(アフリカ)

●ソマリア :2007年2月訪問 
 「アフリカの角」と呼ばれるソマリアは1991年に長期軍事政権が崩壊して内戦状態になり、国連の平和維持活動も失敗に終わり内戦はその後も続いています。近年は海賊が頻繁に出没し、米国から世界で最も危険な国の一つと名指しされるが、この国を訪れない限り私のアフリカ大陸の完全制覇は不可能でした。偶々2007年のアフリカ旅行中にドイツ人観光客から1991年に独立宣言した北部のソマリランドの情報を入手し、急遽アジスアベバのソマリランド大使館でビザ取得して首府ハルゲイサへ飛びました。(以下省略)
 
●コンゴ民主(旧ザイール) :2002年2月訪問 
 ダイヤモンドや金などの鉱物資源が豊富ゆえに利権争いが激しく、「アフリカの火薬庫」と言われる。1965年クーデター後に就任したモブツ大統領が独裁を続け、1996年ツチ族の住民を中心とするコンゴ・ザイール解放民主勢力連合(ADFL)と、政府軍との間で戦闘が始まり、翌年同大統領はモロッコへ亡命。ADFLのカビラ議長が大統領に就くが暗殺され、息子のジョゼフ・カビラが大統領を引き継ぐも戦火が拡大。訪れた時は治安が悪いため日本大使館は閉鎖していました。散策した首都キンシャサの熱気と混沌にブラックアフリカのエネルギーを感じましたが、なんとなく(以下省略) 

●スーダン :2001年2月訪問 
 第一印象は「不気味な国」です。米国から「ならず者国家」と名指しされアル・カイダのリーダーであったオサマ・ビン・ラディンもかつてスーダンに住んでいました。北部はイスラム教徒のアラブ系住民が住み、南部はキリスト教徒の黒人系住民が多く、南スーダンが独立前は国土面積がアフリカで最大の国でした。アラブ系支配に反発した南部の黒人たちは1965年から自治と独立を求めて政府への武力抗争を始め、2011年7月に南スーダンとして独立。しかし、主に南スーダンで産出する石油に関し、南北スーダンの国境付近に帰属未定の油田地帯もあり、火種を残した独立でした。一方、2003年以降は西部のダルフール地方でも紛争が激化し、死者は40万人以上と聞く。私が入国した時は既に厳しい軍政下にあり、(以下省略)
 
●南スーダン :2011年11月訪問
 独立の僅か2ヵ月後、日本政府がPKOを派遣する前に現地入りしました。成田からドバイ経由でケニアの首都ナイロビに到着し、南スーダン大使館でビザ申請。しかし、ビザ取得出来ず、ビザ無しで南スーダンの入国を試みたところ、意外にもジュバの空港ですんなりと取得出来ました。首都ジュバはこれと言った観光スポットもなく、地方へのアクセスも悪路などで問題あるため同国滞在はわずか3日で切り上げました。短い滞在ながら、様々な出来事がありました。(以下省略) 

●アンゴラ :2007年2月訪問 
 1975年ポルトガルから独立後、旧ソ連・キューバvs米国・南アフリカという東西陣営の代理戦争の場として長く内戦状態が続き終結したのは27年後の2002年4月です。この間の死者は50万人以上で、約1200万個の地雷が埋設されたと由。内戦の真相は同国の有力資源「ダイアモンドを巡る汚れた戦い」でした。10年以上も前にアンゴラ旅行を企画しましたが、内戦中は入国ビザ取得が困難で、アンゴラ大使館があるパリまで赴くも断られた。内戦終結後に東京に大使館が開設されると、すぐにビザ申請しましたが発給されませんでした。ところが半年後に突然取得でき、異例の観光ビザ発給と告げられました。(以下省略) 

●ルワンダ :2000年9月訪問 
 1962年少数派民族のツチ族を中心にベルギーから独立したが、その後多数派のフツ族がツチ族を支配したため1990年に内戦が勃発。フツ族の過激派民兵らがツチ族とフツ族穏健派を襲う大量虐殺があり、80万〜100万人の死者が出た由。虐殺後にツチ族主体の新政権が樹立され、報復を恐れた約200万人のフツ族がコンゴなどに逃げました。結局1994年7月ルワンダ愛国戦線がツチ族保護を名目に全土を完全制圧し、国際的にも有名になった悲劇の紛争が終結。私が首都キガリを訪れたのは内戦終結後6年経っていましたが、大虐殺の影響のためか手や足の身障者の物乞いが多く治安が非常に悪かったです。(以下省略)

●シエラレオネ :2005年12月訪問 
 ダイヤモンドを産出するが気候条件が最悪で、「白人の墓場」と呼ばれました。ダイアモンド鉱山の支配権を巡り、1991年に反政府組織「革命統一戦線(RUF)」が政府との戦闘を開始し、1997年にはカーバ大統領を追放しました。その後反政府ゲリラは次々に住民の手足を切るなど残虐な行為をしたため、2001年にPKO(国連平和維持軍)がシエラレオネに入りました。ゲリラの武装解除に努めた結果、2002年に戦争終結宣言が出されました。それから3年ほどして現地入りしましたが、内戦の影響で夜間は真っ暗(以下省略) 

(中東・北アフリカ)

●シリア :1976年12月、2000年6月訪問 
 3年前からの内戦で世界的に耳目を集めているシリアですが、元々火種の多い中東では政情が比較的安定していました。むしろ1975年〜1990年に内戦が続いた隣国レバノンの方が深刻でした。アラブの春の影響はシリアも例外ではなかったものの、エジプトやリビアなどの長期政権崩壊に比べ、アサド政権はしぶとく居座っています。武力弾圧を続ける政府側に対し、反体制派も元軍兵士らが「自由シリア軍」などを組織して泥沼の内戦に陥っています。これまで死者16万人を超え、レバノン・ヨルダン・トルコ・エジプト・イラクなど周辺諸国へ脱出した難民は260万人以上と言われる。最初は一国の騒乱から、今では外国も巻き込んだ内戦は国際問題化。(以下省略)
 
●イスラエルとパレスチナ :1994年12月、2005年2月訪問 
 1つの国土に2つの民が相克する四千年の複雑な歴史がベースにあります。1948年のイスラエル建国により、元々パレスチナ地方に住んでいたアラブ人(パレスチナ人)は土地を追われて難民となりました。イスラエルVs周辺のアラブ諸国は、1948年〜1973年の間に4度の戦争を行い、イスラエルは東エルサレムを含む領域を占領。一方、パレスチナ人は1960年代にパレスチナ解放機構(PLO)を組織し、故アラファト議長を指導者としてパレスチナ国家の構築を目指した。1990年代に入りイスラエルのラビン首相とアラファト議長が交渉、一部地区でパレスチナの暫定自治を認めるというオスロ合意ができました。しかし、1995年にラビン首相暗殺後。(以下省略)
 
●イラク :1976年9月、2013年7月訪問
 2003年3月攻撃回避を訴える国際社会の声を無視し、米国のブッシュ政権はイラクの大量破壊兵器所有を理由にしてイラクを攻撃してフセイン政権を倒しました。2006年5月にイラクの正式政府が発足し、2011年末に駐留米軍が完全撤退後は、イスラム教の宗派(シーア派・スンニ派)関係が悪化し各地でテロが続いています。一方、北部の産油地帯があるクルド自治区は治安も安定し、経済が活況を呈しています。私の最初のイラク訪問は、商社マンとして隣国クウェートに駐在中(以下省略)。

●エジプト :1973年3月初訪以降5回訪問 
  およそ5000年の悠久の歴史を有するエジプトの現代史は、アラブの盟主として波乱含みです。1922年イギリスより独立後、1948年イスラエルとの第一次中東戦争を皮切りに1973年まで4度もイスラエルと戦いました。その間スエズ運河国有化やシナイ半島奪還があり、1981年サダト大統領暗殺後に大統領になったムバラクは30年もの長期政権でした。一方、チュニジアから端を発した「アラブの春」はエジプトにも波及し、2011年2月に辞任。2012年6月の大統領選挙でムスリム同胞団出身のムルシ政権が誕生(以下省略)
 
●イエメン :1998年3月、2011年12月訪問
 豊かな産油国が多い中東で石油生産が少なく貧しいですが、紀元前8世紀頃シバの女王が治めた国が繁栄した古い歴史があります。1990年5月に北イエメンと南イエメンが統一され、初代大統領サーレハの独裁政権が長く続きました。しかし、2011年1月チュニジアのジャスミン革命などの影響を受けて市民による反政府デモが頻発し、死傷者も多数出ました。このためサーレハ大統領は退陣し、副大統領が2012年2月の暫定大統領選挙で当選。その後は一応落ち着くが、アルカイダのテロリストの多くがイエメンにいると米国が警戒しています。南北イエメン統一してから5年後に初めて訪れましたが、依然として治安が悪いため銃を持った民兵を多く見かけた。(以下省略)
 
●リビア :1998年12月訪問
 カダフィ大佐抜きで国を語れないのがリビアです。最高指導者であった大佐は1969年クーデターで国王を追放し、軍事政権を樹立。革命指導評議会議長になっても大佐と名乗り続け、欧米への強硬姿勢から「アラブの狂犬」と呼ばれました。アラブの春はリビアにも飛び火し、反政権デモが起きると、独裁者のカダフィは外国からの傭兵を使い自国民殺害を続けました。しかし、2012年10月生地のシルトで反カダフィ派に見付かり、射殺された最後は凄惨であったようです。大佐の独裁的な専制統治の恐怖を実際に体験したのが、なんと私です。(以下省略)
 
●アルジェリア :2003年1月訪問 
 150万人ほど犠牲者を出し1962年フランスから独立も、1990年6月の総選挙で躍進したイスラム原理主義政党(FIS)を国は非合法化したため内戦状態に陥りました。1999年の大統領選挙で現大統領のブーテフリカ氏が当選し、選挙での争点は「テロの終結と国民和解」でした。しかし、イスラム原理主義組織の最強硬派「武装イスラム勢力(GIA)」は投降せず、過激派と政府軍の衝突が続き10万〜20万人とも言われる犠牲者を出した由。2013年1月16日イナメナスの天然ガスプラントを、GIAの分派の武装勢力「覆面旅団」が襲撃。日本人10人を含む37人が殺害され、(以下省略)

(アジア)

●北朝鮮:1995年5月訪問 
1948年の建国以来,共産主義の北朝鮮と自由主義の韓国は対立して来ました。特に,1950年6月に始まった朝鮮戦争では,同じ民族同士が直接戦火を交え,両国の溝は深くなりました。この戦争は1953年7月の休戦協定で事実上終結しましたが,あくまでも「休戦」で国際法的には戦争は終結していません。両国関係に大きな変化があったのは韓国の金大中大統領が就任した1997年で、強硬政策を改めて寛容の太陽政策を展開。2000年7月に北朝鮮の金正日総書記と初の首脳会談を行い、南北共同宣言を発表したが、その後は一進一退のようです。一方、日本とは拉致問題を抱え、アメリカなどの国際社会からは核兵器開発疑惑を指摘されて孤立した感があります。私の北朝鮮への旅は僅か5日間でしたが、(以下省略)
 
●中国 :1993年9月初訪以降合計20回訪問、ほかに1971年4月初以降8回訪問の台湾、1970年10月初訪以降10回訪問の香港・マカオ
 東西冷戦時代の米ソ支配時代が終わり、近年台頭著しいのが中国です。2010年にはGDPも日本を抜き、アメリカに次ぎ世界第2位になりました。しかし、共産党一党支配に批判的な国々も多く、内外共に問題が山積しているようです。例えば、中央アジアの新疆・ウィグル自治区は18世紀に中国の一部になりましたが、トルコ系のウイグル人など多数の少数民族が住んでいます。1950年代から中国人(漢族)の開拓集団が大勢住み始め、少数民族は貧しく裕福な漢族との経済格差が(以下省略)

●アフガニスタン :2007年4月訪問 
 1979年に旧ソ連がアフガニスタンに攻め込んだことで紛争が始まりました。1992年旧ソ連軍は敗北し撤退後は、様々な民族同士が争い始め、イスラムの過激派組織タリバンが支配しました。2001年9月11日アメリカで同時多発テロが起こると、首謀者ウサマ・ビンラディンをかくまったとしてアメリカはタリバン政権を崩壊させ、カルザイ政権が誕生。間もなく次の大統領に引継ぎますが、治安はまだ不安定とか。一方、私のアフガニスタン訪問は容易ではなく、渡航前から現地(首都カブール)の日本大使館より危険過ぎるとして旅行中止を求められたが、自己責任で訪れる(以下省略)
 
●カンボジア :1994年9月と2006年6月訪問 
 1953年フランスから独立しましたが、アメリカと南北ベトナムの介入によってカンボジア内戦が勃発。1975年から極端な共産主義を掲げるポル・ポト政権時代になり、約300万人の大虐殺などがありました。今のような平和なカンボジアができたのは1992年ですが、日本から自衛隊のPKOが派遣され復興を支援しました。内戦の後遺症がまだ重く残る1994年に現地を訪れ、驚いた場所が沢山あります。(以下省略)
 
●東ティモール :2003年11月訪問 
 かつてポルトガル植民地であった東ティモールは1974年に同国が去った後、インドネシアが島の東部を占領しました。しかし、住民との衝突が起こり、20万人の島民が死亡しました。その後、1999年に国連からミッションが派遣され、独立を問う住民投票が行われましたが、投票後にインドネシア軍による住民の虐殺や破壊が続きました。結局は国連の仲介で2002年5月に21世紀最初の独立国として独立し、私は間もなく訪れました。(以下省略)

(ヨーロッパ)

●ロシア :1969年1月初訪以降合計7回訪問
 ロシアの国土面積1707万k屬論こΠ譴如∈G3月に併合したクリミアを含め22の共和国がある多民族国家です。これらのうちチェチェン、サハ、タタールスタン、バシコルトスタンはソ連崩壊直後に分離独立宣言したが、ロシアは認めませんでした。特に「チェチェン戦争」にまでなったチェチェンは、今も紛争が続いています。ロシアが独立を認めないのはチェチェンに石油のパイプラインが通っているためで、1994年から続く戦闘で約8万人の犠牲者を出しました。2002年10月は独立を求める武装グループがモスクワの劇場を占拠し、100人以上の犠牲者が出ました。さらに2004年9月に北オセアチアのベスラン第一中学校を襲い、390人近くが死亡しました。一方、1992年7月ソチの東隣りのアブハジアがグルジアに対し独立宣言したため戦闘になり、ロシアの支援を得て勝利しました。国際的には未承認ですが、ロシアなど5ヵ国が独立を承認しています。昨年7月のロシア旅行でソチ訪問後(以下省略)
 
●ウクライナ :2001年7月訪問 
 歴史的に繋がりが深い兄弟国でありながら、ソ連崩壊後のロシアとウクライナの関係は良好ではない。しかし、ロシアのふるさとがウクライナであるとの説は案外知られていません。9世紀頃キエフを中心にして東スラブ人により、現在の ロシアのルーツとされるキエフ公国ができました。彼らは自分たちをルーシと呼び、「ロシア」の名はこれに由来するとか。日本人の口に合うボルシチなどのロシア料理も、実はウクライナが本家です。歴史的或はグルメ的には、「ウクライナが兄、ロシアは弟」と言えるかも知れません。(以下省略)
 
●ボスニア・ヘルツェゴビナ :1998年9月、2003年6月訪問 
 1991年〜2003年の旧ユーゴスラビア内戦で10万人の死者を出し、最も被害が大きく最後まで内戦終結が長引いたのがボスニア・ヘルツェゴビナです。首都サラエボの観光は内戦の傷跡見学という珍しいものでした。街の北外れの旧オリンピックスタジアム近くに墓標が一面に並ぶ墓地があり、元々スタジアムの補助グラウンド兼サッカー場でした。しかし紛争中に多数の犠牲者を埋葬する場所がなかったため、急遽グラウンドが墓地に転用されました。案内してくれたタクシー運転手も内戦で家族を失い、一家の墓が(以下省略) 

      −−− ワールド・トラベラーが紛争地を行く −−−

  
アフガニスタン:カブール市内    ボスニア:サラエボ    ソマリア:ハルゲイサ
内戦で破壊された建物と子供達  の地雷敷設地で    放置の戦車と民兵と筆者


●南北キプロス :1999年3月と2005年2月訪問 
 東地中海にポツンと浮かぶキプロス島は、古代文明の十字路になった太陽と神話の小さな島国です。1960年に英国よりキプロス共和国として独立しましたが、2013年3月のキプロス・ショックという金融危機で有名になりました。1974年ギリシャ軍事政権の支持を得たギリシャ系住民がクーデターを企んだことを機に、トルコ軍がトルコ系住民保護のため侵攻してキプロス北部(約37%)を占領しました。以降キプロスは島南部のキプロス共和国政府支配地域(ギリシャ系)と北部のトルコ支配地域(トルコ系)に分断(以下省略)
 
(北・中南米)

●キューバ :1997年6月訪問 
 米国のフロリダの南145kmほどに浮かぶキューバは、アメリカ大陸で初めて誕生した社会主義政権ゆえに「カリブに浮かぶ赤い島」とも呼ばれます。1902年スペインから独立後、今度はアメリカが宗主国のようになりました。しかし、1959年のキューバ革命で反米のフィデル・カストロ政権が誕生し、以降は米国から軍事侵攻、政権転覆やカストロ暗殺工作などの敵視政策を仕掛けられ、テロ支援国家に指定された。また、1962年のキューバ危機後は食料や医薬品を除く経済封鎖が続きます(以下省略) 
  
4.忘れ得ぬ辺境の地や秘境など
 
 数百ほどありますが時間に限りあり、そのごく一部を寸描紹介します。海外旅行好きの皆さんのご参考になれば幸甚です。なお、詳細は幣著「私はワールド・トラベラー」で紹介しています。是非ご愛読下さい。
 
南極:1995年1月訪問 
 イチオシの究極の海外旅行です。南米の南端よりクルーズ船で向かい、ペンギンや氷山などを観察し大感動。
 
エンジェル・フォール:1996年6月、2003年7月の2回訪問 
 南米ベネズエラの奥地に落差979mもある世界最長の滝は、なんと滝壺が無い。できれば遊覧飛行をオススメ。
 
マウンテンゴリラ探検:2000年9月訪問 
 アフリカ中部・ウガンダのブウィンディ国立公園の密林で、緊張の連続の野生ゴリラ探検は正に究極のサファリ。
 
ダニ族の村:2003年11月訪問 
 インドネシア・パプア州のワメナ近くに住むダニ族は原始生活を送る裸族。男はコテカというペニスケース着用。
 
ミャンマーの首長族:2008年7月 
 タイ北部に住むミャンマー難民カレン族の首長族村では首が長いのが美人。コイルを巻き付け首を長くする。
 
バンデ・アミール湖;2007年4月訪問  
 アフガニスタンの至宝バーミヤン大仏は破壊され失望したが、その奥地に佇むバンデ・アミール湖の絶景に感嘆。
 
アイツタキ島:2008年8月訪問 
 ニュージーランド自治領のクック諸島にあり、「天国に最も近い美しい島」のあまりの美しさに言葉を失った。
 
メロ江のピラミッド:2001年2月訪問 
 スーダン北部にある無名のピラミッドだが、荒涼たる砂漠に27基のピラミッドが林立する光景は比類なく美しい。
 
エベレストに最も近いホテル:1995年11月訪問 
 標高3880mの雲上のエベレスト・ビュー・ホテルに泊まり、世界最高峰8848mのエベレストをバッチリ眺望。 

グランド・キャニオンの谷底:1986年9月、1998年9月の2回訪問 
 14回の訪米で最も忘れ難いのが荒涼たる大渓谷グランド・キャニオン。しかし谷底は水と緑が豊かな楽園。
 
北極点:1995年7月訪問 
 原子力砕氷船で地球上で最北の北極点に到達して地球儀のてっぺんに立ち、南北両極を制覇して大興奮。

          ― ― ― ワールド・トラベラーが秘境を行く ― ― ―

   
  南極:アデリーペンギン      ウガンダ:マウンテン    ベネズエラ:エンジェル
 のコロニー(繁殖地)で   ゴリラの子供と仲良く(?)    ・フォールを背にして
 
5.真の世界の平和を考える
 
 世界大戦等があった20世紀が戦争の世紀に対し、21世紀は欧州の通貨統合や非政府組織NGOなど国境を越えたグローバル活動により平和への展望が開けたようでした。しかし、米国の同時多発テロ以来、世界で悲惨なテロ事件が相次ぎ、内戦や紛争も絶えません。2013年ノーベル平和賞は化学兵器禁止機関(OPCW) に授与されたが、同時にノーベル賞委員会は、化学兵器の大量保有国の米国とロシアに早急の廃棄を迫りました。シリアに対し2014年中頃まで化学兵器全廃を求めながら、他方で両国が国際条約に基づく廃棄期限(2012年4月)を守らなかったとは笑止千万です。
 これは北朝鮮に核開発を止めさせようとする裏で、1970年に発効した核不拡散条約NPTで取決めながら米ロなど核兵器先発保有国が核削減を実行しない事実に酷似します。それでも5年前のプラハ演説でオバマ米国大統領は「核兵器の無い世界」を訴え、抜け目なくノーベル平和賞を受賞。そして驚くなかれ、同国はニューメキシコ州のエネルギー国立研究所で、新しい核兵器の性能実験を繰り返しています。
 

 ウクライナがソ連崩壊前は核弾頭数千発を持ち米国とロシアに次ぐ世界第3の核保有国であった事ご存じですか? 同国は1994年にNPTに加盟し、1996年までに核弾頭を破棄又はロシアへ移管しました。もし、ウクライナが核放棄していなければロシアへの抑止力になり、今とは違った展開になっていたはずで馬鹿を見たのはウクライナです。世界を隈なく旅してきたワールド・ラベラーが旅先、特に紛争地帯で思うのは、言葉では世界平和を訴えながら、大国の実際の行動は正反対のドロドロとして魑魅魍魎であるのが世界の現実です。ノーベル平和賞にしても実績よりもオバマ大統領のように人気先行(?)型受賞が多い様で、本来の実績重視に戻って欲しいものです。

 微力な私ができる世界平和への小さな貢献は、草の根的な民間ベースの国際交流です。政府間の国際交流はちょっとした外交問題などで直ぐに断絶します。これを補うのが民間ベースの地道な国際交流、即ち民間外交です。これは「世界の人形館」に収蔵する各国の人形などのコレクションと共に、私の世界の旅の主目的です。
 
6.終わりに
 
 最近さかんにグローバル化が叫ばれますが、私は若い頃グローバル企業(世界企業)のパイオニアと言うべき総合商社で働き、既に半世紀以上も前からグローバル時代を生きてきました。少子高齢化が進み、国の人口減少に歯止めをかけることができない厳しい現実に直面し、国や自治体も、企業も、個人も、すべてが世界に目を向けざるを得ない時代です。交渉中のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)も、我が国のことだけを考えていては国際社会で生きて行けないことを意味します。
 特に、これからの日本を背負う若い世代の皆さんに、「若者よ 外志(外向き志向)を抱け!世界に雄飛せよ!」と熱く呼びかけたい。後期高齢者という人生の最終章を迎えた老兵の私ですら、「そこに世界があるから旅をする」と常に挑戦者精神を持って世界への旅を続けています。
 
 本日は長時間のご清聴まことに有難うございました。もっと私の話を聴きたいとのご希望があれば、前のマンションに住んでいますので、ご遠慮なくお気軽にお訪ね下さい。妻共々ご来館を大歓迎します。


 上記世界の紛争地帯を訪れた体験談」では最後まで紹介せず、(以下省略)と途中で打ち切ったが、もし続きが気になる読者はワールド・トラベラーの下記著書をご購読下さい。詳しく書いています。
● 「私はワールド・トラベラー世界257ヵ国・地域を旅した男」
 文芸社より出版
● 「272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった1人で紛争地を旅した」
  幻冬舎より2014年12月に出版予定


            ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

講演会のお知らせ

 ワールド・トラベラーこと癲々治がまた下記要領で講演します。
  お時間があれば、是非ご聴講下さい。

日時:9月13日(土)14:00〜16:00

場所:柏市中央公民館  5F講堂  (定員180名)

        柏市柏
5-8-12  TEL 04-7164-1811
    
講演テーマ:
ギネス級の272ヵ国・地域を旅したワールド・
               トラベラーが語るノンフィクション
     「イスラム世界に住み、働き、旅して41年」

 
※怖いイメージのあるイスラムを、かつて商社マンとして駐在し、
  熟知するワールド・トラベラーが分かりやすくお話します。


入場料:無料

主催者:伸光堂千葉販売(株)

お問い合わせ:世界の人形館 
                     TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
ko-yasu@maple.ocn.ne.jp


筆者(ペンネーム:高やすはる)が著した本が文芸社より発売中です。
書名は
私はワールド・トラベラー世界257ヵ国・地域を旅した男
定価は本体1、500円+税。お買い求めはインターネット(アマゾンや楽天ブックスなど)、または最寄の書店でどうぞ。
  なお、本書は単なるトラベル・ガイドブックではありません。日本の将来を憂い、 特に三流とも揶揄される日本外交に対し、ズバリ直球でもの申す本物志向の提言書でもあります。是非ともご愛読のほどお願いします。


 
     表紙カバー                  口絵
 

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