世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
 南北首脳が登った白頭山(長白山)の想い出
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     韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が、一昨日(9月18日)から今年3回目の南北首脳会談を平壌で行った。同大統領は記者会見で、「アメリカが敵対関係を終わらせるなら、追加的な非核化措置を北朝鮮が取る用意がある」と強調した。また、寧辺のような重要な核施設を永久廃棄すると金正恩氏が表明したとの由。

     だが、北朝鮮通の専門家によれば、今回の会談もお祭り騒ぎに終始し、金正恩委員長は前向きに非核化を進めるというイメージを広める当初の目的を果たしたようだ。そればかりか、非核化にはアメリカが先に行動すればとの条件も付けており、下駄を預けられた格好の同国にしては今後はんでぃ重荷になろう。結局今回の会談も、北朝鮮に実を取られた格好だ。

     

     最終日の昨日(9月20日)両首脳は、朝鮮民族の発祥の地と呼ばれる白頭山 ペクトウサンに登った。中国と北朝鮮の国境にまたがってそびえ、中国名は長白山である。標高は2744mもあり、朝鮮半島では最高峰だ。かつての抗日パルチザン闘争を展開した金日成主席の秘密拠点とされ、金正日総書記もこの地で誕生したとして金ファミリーの直系系統は「白頭系統」と呼ばれる。そんな由緒ある聖山を私ことワールド・トラベラーは2009年6月に中国側から登っており、その登山の模様を紹介しよう。

     

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     吉林省の東南部、延辺朝鮮族自治州安図県に位置する長白山(北朝鮮名:白頭山)は休火山で、今回の旅で何度も見かけた鴨緑江や図們江などの源流である。アクセス方法はいくつかあるが、確実で日帰りできる延吉からのツアーを選んだ。延吉は大連の北東およそ1100kmに位置し、延辺朝鮮族自治州の州都である。

     人口約45万人で朝鮮族が多く、長白山観光の拠点で知られる。長白山を登山する前日に市内を散策観光した。市内を流れる煙集河の畔には、カラフルで近代的なビルが建ち並び、とても北朝鮮国境に近い辺境の地とは思えない。また、延吉公園や青年湖公園などの公園も多く、内陸とは言え水と緑が豊かな情緒のある町である。

     

                               −−− 延吉 −−−

      

          煙集河     青年湖公園で遊ぶ筆者

     

     翌日は眠たい目を擦って早朝4時半にホテルを出発したが、あいにく雨が降っていた。ところが安図の町を通過して長白山自然保護区に入ると、幸運にも晴れ間が出てきた。午前10時ごろ山門に到着し、シャトルバスに乗り換えて3km南にある駐車場で降りた。その後また四輪駆動車に乗り換え、急カーブ連続の山道を一気に登って頂上近くの停車場に着いた。そこから天文峰の頂上を目指して登ること約30分、岩山の向こうの視界が急に開けた展望ポイントに着いた。

     滑り落ちはしないかと恐る恐る足元を見下ろすと、お目当ての天地が輝いていた。山頂に佇む南北約4.4km、東西約3.5km、面積10k屬曚匹竜霏腓焚仍蓋个澄8仗緻未粒と瓦2194mもあり、最大水深は313mに達する。澄み切った無色透明の湖水は青く見え、湖を取り囲む灰色の16の峰々とのコントラストは息を呑むほど鮮やかで美しい。偶々晴天に恵まれたとは言え、時々霧や雲は立ち込めて幻想的な雰囲気を醸し出していた。

     

         ーーー 白頭山(長白山)ーーー

      

          山門        天池を望む

     

      

          天池      天池を背にする筆者

     

     下山後は湖から流れ落ちた水が造り出す東北地方最大の滝、長白瀑布付近を散策したが、68mの落差はいささか物足りなさを感じた。やはりベネズエラのエンジェル・フォールやブラジル・アルゼンチンのイグアスの滝など、世界の大瀑布に見慣れているためかも知れない。この後は瀑布から800mほど下流の長白山温泉を訪れ、一風呂浴びて登山の疲れを取った。

     

     

         長白瀑布       長白山温泉

     

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    | 世界の旅ー中国など | 16:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    伊豆の温泉地巡りとシャッター通り化の地方衰退に想う
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     3年半前から長期入院中の妻のことが気懸りで、大好きな旅行、特に海外旅行もままならない。不完全燃焼の毎日が続き、体調のほうも持病が顕在化して良くない。そこで気晴らしにと数泊の国内旅行を思い付き、先ず次男の孫たちを誘ったが素気無く断られた。この間まで可愛がっていた彼らも20歳前後になり、独自の考えがあるのであろう。それは成長した証でもあるのだが一抹の寂しさを覚える。そこで已む無く一人旅をふと思い付いた。

     非常に強い台風と懸念されていた21号が関東から逸れることを見越し、今月の4日〜6日に伊豆半島の温泉地を旅した。JR東京駅から特急踊り子号に乗車したが、車内の乗客は僅か数人で赤字営業(?)のJRを案じた。さて、初日の宿を取ったのが熱海から約46km南の熱川温泉である。太田道灌が怪我を癒す猿の湯浴みを見て発見したのが発祥と伝えられる。駅を出てすぐ右の所に観光案内所があり、予約しようとしたが悉く断られ、やっと受け入れてくれたのがホテル・セタスロイヤルだ。

     

     駅を出て海沿いのホテルを目指して歩いたが、坂道がかなり急勾配である。途中で見かけたのが、熱川名物の熱い湯煙りが上がる櫓だ。温泉地としての雰囲気をいやが上にも盛り上げる。だが、なんとなく活気が無く、よく見るとシャッターを下ろしている店などが多い。ホテルのチェックインが午後4時を過ぎて遅かったこともあり、夕食は外食となった。予めホテルのレセプションから聞いていた居酒屋で刺身定食を頂いたが、お味のほうはもうひとつであった。

     

                            −−− 熱川温泉 −−−

      

         湯煙りを上げる櫓      ホテル近くのビーチ

     

     食事を終えてホテル付近をぶらついたが明るいネオンの灯は無く、ほとんどの店が営業しておらず、人気の無いシャッター通りに化していた。高度成長時代の華やかな温泉街の賑わいを知っているだけに、夜道は一層暗く感じて侘しくもなった。翌日はチェックアウト前に海岸通りを散策したが、台風の余波で海はまだ少し荒れていた。熱川ほっとぱあーく足湯の公園などを訪れた後、駅に向かった。だが、上り坂一方の道はきつく息も絶え絶えになり、81歳という老いを痛感させられた。

     

     熱川から電車で熱海に引き返し、下車後すぐに熱海港に向かった。初島行の高速船に乗ること30分で、首都圏から一番近い離島に着いた。熱海の南東10km沖合いに浮かぶ小島だ。港を出てすぐ左には漁師たちが営む食堂街が軒を連ねており、正午前でお腹も空いていたので一軒の食堂に入った。注文したのは久しく食べていない壺焼きの定食。まずまずのお味であったが、ご飯があまりにも少ないので御代わりを頼んだ。ところが、ご飯が無いとかで断られる始末で、何とも後味の悪い食堂であった。

     昼食後、近くの海岸通りや遊歩道などを散策した。伊豆半島東部の相模湾海上に浮かぶ島は南方からやってくる海流のお陰で冬も温暖で、亜熱帯植物が生い茂り、南国のリゾートアイランドの様なムードが漂う。小1時間ほど散歩して先述の食堂街近くの民宿を探したが、どこも宿が無いため早々と島を退去した。また、高速船で熱海に戻り、電車に乗って宿探しを始めた。

     

                                         −−− 初島 −−−

      

       初島港に着いた高速船   南国ムードの遊歩道を散策 

     

     熱海駅から約20分、3つ目の網代温泉なら宿があるだろうと期待して下車したが、駅員がいない無人駅であることを知った。こんなローカルなところに果たして泊まれる宿があるのかと不安になって小さな駅舎を出たが、ちょうど駅前に観光案内所(網代温泉観光協会)があったので飛び込んだ。丁寧に応対して頂いたのが中村さんという女性で、平鶴という海辺の湯の宿を紹介してもらった。お礼を言って案内所を出ようとすると、” 缶ビールと靴下を差し上げます "と言われて有難く頂戴した。初対面にも拘わらず実に親切な人である。

     このホテルもチェックインが遅かったので夕食が付かず、対面の磯料理店で新鮮な鯵の刺身定食を賞味した。食後、宿に戻ると名物の露天風呂に入浴したが、確かに眼下は海辺で波打ち際の露天風呂とは珍しい。遠くに熱海の灯が漁火の様に見え、少々暗いが幻想的な趣であった。翌日は周辺を散策後に駅に向かったが、この温泉地も駅前などの一部地域を除きシャッター商店街が目に入った。その後熱海に出て帰京した。

     

                                    −−− 網代温泉−−−

      

         平鶴付近のビーチ       網代港付近

     

     3日間の伊豆路の温泉巡りを終え、考えさせられる点が多々あった。例えば、温泉地の商店街がシャッター通り化し、まるでゴーストタウンの様になり活気が無い現実だ。2020年の東京五輪を控えて東京の一極化が加速するが、少し離れた地方に行くとガラッと雰囲気が変わる。地方ではアベノミクス効果の恩恵とは縁遠い様で、人口減少の一因にもなっている地方の衰退が気になる。

     また、筆者は海鮮料理が大好きで、新鮮な海の幸を堪能したいと出かけた訳だが、全くの期待外れであった。この旅で頂いた魚料理はただ高いだけで、ボリュームもなく満腹からは程遠かったことだ。後日談になるが、居住地近くの和食レストランで海鮮料理を食べたところ、新鮮で安くて且つボリューム満点だ。わざわざ遠方の海辺まで出かける必要が無く、近場の内陸でも美味しい魚が食べられることが分かった旅でもあった。

     

                                     ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇


    講演会のお知らせ
     

     筆者の ワールド・トラベラーこと癲々治が下記要領で講演します。お時間があれば、是非ご聴講下さい。

    主催者:JAPAN NOW 観光情報協会

        『第146回観光立国セミナー』

    日時:10月12日(金)12:00〜14:00  
    場所:海事センタービル2階 会議室

             東京都千代田区麹町4−5  TEL 03-3265-5481  
    演題:272ヵ国・地域を旅した

       ワールド・トラベラーが想う真の国際化
    入場料:有料
    お問い合わせ:観光情報協会事務局 TEL 
    03-5989-0902 or

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    | 国内旅行 | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    さまよえるイエメン難民と済州島
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     最近「世界最悪の人道危機」と呼ばれる内戦が続く国がある。それはシリアではなく、アラビア半島の最貧国イエメンである。国連などはイエメンの人道危機を世界でも最悪と指摘する。2015年3月頃に始まったハディ暫定大統領派とイスラム教シーア派の反政府勢力のフーシ派との内戦は、夫々の後ろ盾であるサウジアラビアとイランという中東の地域大国をも巻き込む。大国の代理戦争の場でもある構図は、アメリカ vs ロシアのシリアと酷似する。詳細は2017年12月19日付け幣ブログ『内戦が泥沼化するイエメンの幻想紀行(その1』をご参照。

     人口約2800万人のうち約1万人が死亡し、その約4分の1が幼い子供たちである。武装組織により徴兵された子供たちも、3000人近くにのぼるとか。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、イエメンから国外(サウジアラビア・オマーン・ソマリア・ジブチなど)への難民は約20万人で、国内避難民も約200万人に達する。さらに、長引く戦闘や空爆で食料品などが人々に届きにくくなり、2017年末の時点で約840万人が飢餓状態に苦しんでいる。

     

     さらにイエメンから国外に逃れた難民の一部は、韓国を代表するリゾート地の済州島まで押しかけて来ている。マレーシア経由で1万1000kmも離れた島へ、ビザなしでも入国できる済州島限定の特別な制度を利用して入島し、難民申請しようとするものだ。その数は500人を超え、支援する地元住民もいるが、韓国の世論は難民受け入れに不寛容でトラブルが相次いでいるようだ。

     因みに、我が日本の難民受け入れは、依然として鎖国状態にある。2017年の難民認定申請は1万9628人に対し、難民認定されたのは僅か20人で認定率は1000分の1という狭き門である。これほど難民受け入れに閉鎖的な国は世界でも珍しく、国際社会から厳しく非難されないのが不思議でならない。我が国のグローバル化、或いは真の国際化につき、大いなる疑念を持たざるを得ない。

     

     さて、成田から空路で約2時間で着く最も近い外国が済州島である。気候が温暖なところから別名「韓国のハワイ」or「東洋のハワイ」と称されるリゾートアイランドを、2004年5月に当時は元気であった妻と共に訪れている。その旅の模様を紹介しよう。

     

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     本土から約90km離れた韓国最南端の島は、人口は約65万人、面積1847k屬覇厩餾蚤腓療腓任△襦0貌θ湘腓魄豌鵑蠡腓くした広さの火山島は、全体的に沖縄に似た感じだ。暖流の対馬海流が運んで来る豊かな海の幸に恵まれるが、島の中央にそびえ標高が1950mもある休火山の漢拏山(ハルラ)は島の農業などを困難にした反面もある。古くは独立国・耽羅(タムナ)を名乗るなど、独自の文化・歴史・風俗を今も残している。

     

     島の最大都市は島東部にある済州市である。同市から東へ約45kmに、済州島を代表する景勝地、城山日出峰がある。まるで岬のように見えるが、実は約10万年前に島の最高峰ハルラ山の噴火口が海中にできたもの。城山日出峰の頂上までは、整備された階段などのトレッキングコースを登って行ける。40分ほどで階段を上り切りと、 高さ182mの頂上に着く。眼下は馬の放牧場になっており、緑の噴火口が広がり牧歌的だ。噴火口の深さは90m、東西約450m、南北約350mのほぼ円形である。

     

      

       ハルラ山の頂上    城山日出峰を俯瞰  妻と城山日出峰を背に

     

     頂上は360度の展望台のようになっており、ため息が出るほどの景観が広がる。海側は青々とした海と火山口に生えた草木の緑色とのコントラストが神秘的で、島側は遠く彼方にそびえたつハルラ山なども見渡せる。ここから西へ約20kmにはサングムプリ噴火口があり、ハルラ山の噴火によってできた巨大な穴がある。この噴火口から13mほど南東に向かうと城邑民族村があり、わら葺き屋根と石を積んだ島独特の家が建ち並び興味深い。

     

     島南部の西帰浦は人口約8万人の済州島第二の町で、この町の中心地から東へ歩いて約15分、切り立った崖から東シナ海に直接流れ落ちる正房瀑布が見えてくる。海に直接落ちる滝は韓国では唯一ここだけで、世界でも大変珍しい貴重な滝と言える。幅8m、高さ23mの落差はそれほど高くないが、優美な姿と数少ない海辺の滝がセールスポイントで観光客に人気がある。

     

        

         サングムプリ噴火口               城邑民族村                    正房瀑布

     

     また、この滝から西へ約15kmにあるのが天帝淵瀑布で、まるで天女の白い羽衣のように美しい。最初に高さ22mから深さ21mの池に流れ落ち、その下の第二、第三の滝に続いている。滝の上には7人の天女像を彫刻した仙臨橋と天帝楼という楼閣があり、ここから眺める滝は格別の美しさだ。一方、滝から海岸まで続く2kmの道には100余種の暖帯植物が自生している。

     

     島西部で見逃せないのは翰林公園で、ヤシの木が生い茂る南国ムードが溢れる済州島最大にして唯一のテーマパークだ。約10万坪の広大な園内に亜熱帯植物園、立派な椰子の木通り、開発中に偶然発見された溶岩洞窟の双龍窟 や石灰洞窟の挟才窟 、財岩民俗村、蓮の池庭園、サファリ鳥類園などがある。

     最も圧巻は済州石の盆栽園だ。ハルラ山の噴火で形成された溶岩や玄武岩の奇岩、そして樹齢300年のカリンも見どころである。公園前には白砂と溶岩でできた挟才海水浴場が広がり、作家、司馬遼太郎の記念碑もある。

     

     人口約30万人の島最大の町、済州市の中心は繁華街になっている中央ロータリー周辺だ。ロータリーから東へ約400m行くと、済州島最大の市場、東門市場がある。市場の表通りは色とりどりのフルーツを売る果物店が多いが、奥に入ると路地が迷路のように入り組んでおり、新鮮な魚介類やトルハルバン(火山岩を彫って作る守り神)を売る店がずらりと並ぶ。この市場から約1km南下すると三姓穴がある。済州島のルーツとされる耽羅の国を創始した三神人の神話が残る聖地である。

     

      

            −−− 翰林公園 −−−             三姓穴

         

     一方、西海岸にある龍頭岩という奇岩は、その名の通り龍の頭に似ている。ハルラ山から流出した溶岩が海で固まってできたもので、伝説のある岩は夕暮れ時が美しい。一方、約6km南郊外に耽羅木石苑というユニークな私設公園がある。敷地面積1万屬留狷發砲蓮奇妙な形の石や木の根っこなどが多数展示され興味深い。

     

     ところで四方を海に囲まれた済州島には、新鮮な海の幸を材料にした様々な料理がある。特にカルチ(太刀魚)、オクトム(アマダイ)、オブンジャッ(トコブシ)、チョンボッ(アワビ)など豊富な海の幸を使った鍋料理や汁物は、値段も手ごろで味も最高である。また、海産物以外にも、黒豚のオーギョッサル(豚の5枚肉)、キジ料理などの特産物がある。

     特に舌鼓を打ったのがキジのしゃぶしゃぶ・クォンヨリだ。クォンとはキジのことで、済州島の名物料理である。大侑狩猟場のレストランで賞味した脂身が全くないキジ肉のしゃぶしゃぶは、キジの骨で取ったダシ汁に、ネギ・シイタケ・セリ・ダイコンなどの野菜を入れて作る。あっさりとした味でなかなか美味かった。最後はオジヤで締めくくり、食後満腹で歩くのが困難なぐらいであったほど。

     

      

              龍頭岩     石苑のトルハルバン  キジのしゃぶしゃぶ

                             クォンヨリ 

     

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      まるでハネームーンを楽しんだかのようなパートナーの妻は、不治の病(認知症)に伏して4年近くになる。妻の病状を考えると、済州島での懐かしき夢のような想い出も遠く彼方に吹っ飛び、悲しく切なくもなる。

     

                  ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

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    | 世界の旅−アジア | 01:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    2018アジア大会の開催地ジャカルタとパレンバンの想い出
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     第18回アジア競技大会2018が、今月の18日からインドネシアの首都ジャカルタで始まった。当初はベトナムの首都ハノイ開催される予定であったが、ベトナム政府が財政難を理由として開催を辞退した。代わりにインドネシアのジャカルタとパレンバンで開催されることになったが、2都市での共同開催はアジア競技大会としては初めてだ。大会前半のハイライト種目では、競泳で池江璃花子選手など日本勢の活躍が目立ち、ライバルの中国とのメダル獲得争いは熾烈のようだ。

     前回のジャカルタ大会は筆者が若かりし頃の56年前に開かれたが、今でも少しだが記憶している。当時は17競技に約1500人が参加したが、今回は42競技に約1万1500人が競い夏季オリンピック並みの規模である。ホスト役の

     

    ジョコ・ウィドド大統領は国・インド・アメリカに次ぐ世界第4位の人口大国としての自負をのぞかせ、2億6000万人の国民を鼓舞する。そこには将来オリンピック招致を起爆剤とする国家の飛躍を目論む戦略が明白であり、来年の大統領選挙で再選を意識しているのであろう。

     

     そんな将来性があるインドネシアに、現役時代の1979年〜1984年に商社マンとしてジャカルタに駐在したことがある。当時は同地をベースにして広大なインドネシア各地を回り、パレンバンにも出かけたことがある。また、2003年11月にも訪れているジャカルタに就いては、2015年3月23日付け幣ブログ『インドネシア紀行(1) ワールド・トラベラーのジャカルタ駐在』と2016年1月20日付けブログ『テロで想起したイスタンブールとジャカルタ二都物語』で紹介済みだ。今回はさらに詳述し、パレンバンに就いても簡単だが触れたい。

     

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     ジャワ島の北西部に位置し、東南アジアを代表する大都市として発展する首都ジャカルタは、1619年から1942年までのオランダ支配時代はバタビアと呼ばれた。その後1945年8月まで日本軍が占領してジャカルタと改称された。日本とも古くから深い繋がりがある街は、北部のジャワ海に近く華僑系が多い旧市街と、南部の官庁・ビジネス街や高級住宅地などがある新市街から成る。

     旧市街で店やレストランを営業しているのは大半が華人だ。街の北側はジャワ海に向けて扇を半開きにしたような形をしており、その中央をチリウン川が蛇行する。商業地のコタを核とする旧市街が広がり、運河がある辺りはオランダ植民地時代の名残りを留めており情緒がある。南下すると新市街があり、官庁街などが広がる街の中心モナス周辺と、高級住宅地やショッピング街になっている南のクバヨラン・バルに分かれる。さらに南東近郊には大きなテーマパークがある。

     

     

     モナスとムルデカ広場 テーマパークのタマン   コタ地区の中心 

                ・ミニで寛ぐ筆者

     ジャカルタ観光のスタートは新市街にあり、インドネシアのヘソとも言うべきモナスという独立記念塔が一押しだ。ムルデカ広場の中央に高々とそびえる通称モナスは、高さ137mもあり街随一のランドマークになっている。この広場付近には、東南アジア最大級のイスラム寺院イスティクラル・モスク、外観が優美なカテドラル、ジャワ原人の化石などが展示される国立中央博物館がある。

     この広場からハヤム・ウルク通りとガジャ・マダ通りを北上 すると、旧バタビア地区のコタ(町という意味)に入る。かってオランダの植民地貿易の中心地で、運河の国から来たオランダ人が掘った運河がいくつかある。華人経営の商店などが軒を連ね、所々に商館風の建物や運河の跳ね橋が残り異国情緒を盛り上げる。コタから約3km東にはアンチョールという総合娯楽遊園地にはゴルフ場があり、駐在時代はよくゴルフを楽しんだものだ。

     

     

    イスティクラル・モスク  アンチョールのゴルフ場   コタの運河の跳ね橋

     

     一方、ムルデカ広場を出て新市街の大通り・タムリン通りとスディルマン通りを南下すると、スタジアムやゴルフ場があるスナヤンに入る。さらに南に向かうとジャカルタ南部の中心クバヨラン・バルに着く。ショッピング街のブロックMを中心にして高級住宅街が取り囲み、この付近には筆者も含め多くの日本人が住んでいた。

     ここから約10km南東にはタマン・ミニ・インドネシア・インダー、略称タマン・ミニというテーマパークがあり、週末は家族連れで賑わう。敷地内の中央に配した池にはインドネシアの各島が浮び、池の周りを各州の郷土館などが建ってインドネシア全体が俯瞰できる。数ある郷土館の中でも、スラウェシ島のトラジャ地方で船形の屋根を持つ伝統家屋トンコナンが抜きん出て異彩を放つ。

     

                                      −− タマン・ミニ −−

       

     タムリン通り付近     トラジャ館    妻・長男・次男と


     長さ1790km、幅最大435kmもあり日本より広いスマトラ島の南東部にあるパレンバンは、ジャカルタの北西約430kmに位置する。人口は100万人を超え、油田開発で発展する町である。町中を流れるムシ川によって南北に分かれ、両岸を繋ぐアンペラ橋は全長1117mもある。日本が戦後に賠償の一環として建設した橋は船が航行する時は橋桁が上昇する昇開橋で、この種の橋としては東南アジア最大級とか。

     この橋の下流約6Kmにクマロ島という三角州のような小島があり、島の中央に中国様式の見事な九重塔がある。この島はその昔中国の王子とシュリーヴィジャヤの王女のラブストーリーの舞台とされ、九層の塔のそばに生えている大木は「愛の木」と呼ばれ、そこを訪れると恋愛が成就すると言われる。ほかに、賑わう市場パサール、ムシ川河口近くにあるバンカ島などを訪れた。

     

     

      ムシ川とアンペラ橋    クマロ島の九重塔

     

      約5年間に及んだ駐在員生活で最大の想い出は、息子たちの教育の関係で強いられた単身生活であろう。しかし、筆者と同じ境遇の単身赴任者が数人集まって御殿のような豪邸で寮生活を送り、5〜6名の召使が何から何まですべて身の回りの世話をしてくれたので、特に不便さを感じることは無かった。さらに、勤務先から専用車と運転手を提供してくれ、平民出身の筆者としては、最初にして最後の王侯貴族の生活を満喫した訳だが、今から思えば異次元の夢物語であったようである。

     

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     アジア大会は昨日(2日)閉幕した。我が日本は中国に次ぐ75個の金メダルを獲得し、競泳女子で6冠に輝いた池江璃花子は最優秀選手(MVP)に選ばれた。一方、開催国のインドネシアのジョコ大統領大統領は、2032年のオリンピック開催国に立候補することを表明した。

     

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    公正が疑われる総選挙が行われたカンボジアの旅(1)
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     2週間もブログを更新しなかったので、何かあったのではと心配する読者がおられる。誠に有難いお気遣いである。実は最近貧血気味で、時々ふらつき寝込むことがあり体調は芳しくない。持病の腎臓機能低下の影響らしいが、人生100年時代の折柄この病と正面から付き合って行かざるを得ないであろう。つい前置きが長くなり恐縮だが、さて、

     

     カンボジアの国家選挙委員会が一昨日(8月15日)、かなり旧聞になるがさる7月29日に行われたカンボジアの下院議員選挙、いわゆる総選挙で、与党のフン・セン首相(写真下)率いるカンボジア人民党が125議席を獲得したと発表した。定数が125であるから、なんと全議席を獲得する文字通りの完勝である。人民党は2月の上院選でも全議席を占めており、事実上の一党独裁に国際社会の批判が高まりそうだ。

     5年前の前回総選挙で4割を超す票を得た最大野党の救カンボジア国党は、今回の総選挙前に解党に追い込まれた。また、政権に批判的なメディアも弾圧された。こうした異常な状況下で実施された選挙は、公正や自由とかけ離れたものである。欧米諸国などの国際社会はフン・セン政権による反対勢力弾圧を強く批判

    (ネットより転用)

    、政権への制裁にも動いている。因みに、確定投票率は83.02%であった。

     

     1993年に民主化への第一歩として内戦終結後初めての総選挙が実施されてから4半世紀が経ち、大きな節目の総選挙であった。この間一応民主化が進み、野党やメディアも育ってきたと言われる。しかし、逆行させたのは内戦時代から30年以上も首相を務めるフン・セン氏で、権力維持のための強権行使は批判されるべきである。同首相が斯かる声を無視するのは、欧米に頼らずとも経済支援で政権を支える中国の存在があるからであろう。

     中国は援助実施にあたり、欧米諸国のように民主化云々などの条件を付けない。カンボジアは中国と南シナ海問題を抱え対立するASEAN内にあって、むしろ中国の擁護者のようになっているのが実状だ。一方、我が日本は和平交渉からカンボジアに深く関与し、同国の国造りにも官民挙げて尽力してきた実績がある。日本だからこそできる現政権への関与のすべがある筈だが、菅義偉官房長官は明確なコメントを避ける。やはり外交は2〜3流と揶揄されるのは、的を得ているようだ。

     

     そんなカンボジアを筆者は1994年9月と2006年6月の2度訪れている。政治的には問題がある国のようだが、観光資源には恵まれた国である。世界的に有名なアンコール遺跡があるからだ。1992年〜1993年には自衛隊のカンボジア派遣(PKO)があり、未だ内戦の傷跡が深く残っていた1994年の旅の模様を紹介しよう。

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     内戦の後遺症がまだ重く残る現地を初めて訪れ、驚き考えさせられた場所がいくつかある。先ず首都プノンペンでは、かつてポル・ポト派が処刑した刑務所であったトゥールスレン博物館である。虐殺が行われた現場で、多数のしゃれこうべが山と積まれて展示されているのを見てギョッとした。この時のガイドがたどたどしい日本語を話す20歳ぐらいの青年で、後でぜひ案内したい場所があると言う。一緒に行ってみると、そこは青年が住む古いお寺であった。

     電灯も無く気味が悪いほど暗いお寺で聞かされた身の上話は、なんと両親がポル・ポト派に殺されて孤児になったとの由。確かに同じところで似たような境遇の若い男性たちが一緒に住んでいたので、青年の話は本当なのであろう。日本に帰ると直ぐにその青年に会話上達のためにと、日本語会話の本を送ってあげた。今や壮年になったであろう青年は、その後どうしているのか今も気掛かりだ。

     

            −−  トゥールスレン博物館 −−

       

        博物館の外観    館内の展示室と筆者   ポル・ポト

     

     ところで、プノンペンの市街地はメコン川、トンレッサプ川 、バサック川の3つの川が合流する地に広がる。内戦終結から3年しか経たず、街はまだ荒廃した感じであった。しかし、その後遺症をほとんど感じさせなかったのが王宮ウェアンである。立派な建物が多い王宮内でも、ひときわ人目を引くのが1870年落成の優美な即位殿である。また、この王宮の敷地内で異彩を放つのがナポレオン三世の館という洋館で、宗主国フランスのナポレオン3世の妻、ユージーヌ王妃からノロドム王に贈られたもの。

     王宮の南側に隣接するシルバー・パゴダでは、王室の仏教行事が行われる。エメラルド寺院と呼ばれるに相応しく、大理石の支柱とテラスが美しい。このパゴダの近くにノロドムス王のストゥーパがあり、精巧なレリーフが描かれている。王宮から約1km東にあるセントラル・マーケットはプノンペン最大の市場で、いつも活気があり巨大ドームを中心にして四方へ棟を延ばした姿がユニークである。

     

       

        王宮の即位殿    王宮前広場に立つ   シルバー・パゴダ   

     

     カンボジア観光のハイライトと言えば、文句無しに12世紀のクメール王朝時代に建てられた壮大なヒンドゥー教寺院アンコール・ワットと近くの仏教遺跡アンコール・トムであろう。首都プノンペンの北西250kmほどに位置し、アンコール遺跡群の観光拠点になっているのがシェムリアップだ。この町の中心部から北へ約3kmにアンコール・ワットがあり、気軽にバイタクに乗って出かけた。クメール語で「お寺の町」という語意を持つ寺院は、密林の中に忽然と現れる感じ。クメール王朝時代にヒンドゥー教の三大神ヴィシュヌ神に捧げる寺院として建立され、幅約190m、長さ約600mもある大寺院は単一遺跡としては世界最大だ。また、東西1500m、南北1300mもある広大な濠で囲まれる。

     さて、アンコール・ワットの唯一の入口である西参道の石畳の道を奥に向かうと、左右対称に釈迦が説いた教説の経蔵と2つの聖池(環濠)が配置されている。西参道を上ったところには蛇神ナーガの頭の像があり、これは雨の神様として崇められている。濠を渡り切ったところに横一列に広がる塀があり、目を凝らすと5つの門がある。中央が王が通り抜ける西塔門、そのすぐ両脇が庶民の門、最両端が象の門が並ぶ。西塔門テラスを過ぎていよいよ西塔門に入り進むと、十字回廊があり、1632年に祇園精舎と勘違いして訪れた森本右近太夫の書跡や4つの沐浴池跡がある。

     

      

     アンコール・ワット全景    参道        中央祠堂

     

     次に壮大なレリーフのギャラリーになっている第一回廊が、760mにも及び四方に広がる。インドの古代叙事詩『マハーバーラタ』や抒情詩『ラーマーヤナ』などが鮮やかに描かれている。更に進むと次の第二回廊では、妖艶なデバター(女性像)のレリーフが一面に彫られている。この回廊を出ると明るい空間が広がり、正面に第三回廊への階段と迫力ある中央祠堂が見える。中央祠堂では「神々の住む場所」としてアンコールワットの象徴である中央塔にもデバター像が残り、ここからの見晴らしが良く塔の上から見た雨上がりのアンコール・ワット遺跡の壮大さに感嘆した。

     

     他方、アンコール・ワットから北へ約1.5kmにあるアンコール・トムは、5つの門に囲まれた都城である。アンコール・ワットから続く道上に建つのが南大門で、顔の長さだけでも3mほどもある四面像が人目を引く。門をくぐって中に入ると遺跡の 中央には、 12世紀末に建設され、「バイヨンの微笑」と称される穏やかな微笑みをたたえた観世音菩薩のモチーフで有名なバイヨン が佇む。全体の構造は3層に分かれて高さ約43mの中央テラスを中心に、第一層に二重の回廊など、第二層は16の塔、第三層はテラスとなり、どの塔にも四面像が彫られいる。東門から入ると先ず第一回廊、次に第二回廊が取り囲み、中央テラスを囲む16基の尖塔が立つ。

     見どころは何と言っても観世音菩薩の四面像で全部で54もあり、優しい眼差しが何とも言えぬ独特の雰囲気だ。また、見る角度によって3つの菩薩が並んでいるように見える四面像がある。バイヨンの北には3層から成るピラミッド型寺院のバプーオンがある。11世紀中ごろに創建されたヒンドゥー教のシヴァ派の寺院で、長さ200mの円柱列に支えられた空中参道が続く。ここから少し北上すると12世紀末に造られた象のテラスがあり、王族たちが閲兵した王宮前にあるテラスで350mにも及び、外壁には象やガルーダの彫刻が連なる。ほかに付近の遺跡で見逃せないのが、南東2kmにあるタ・プロム遺跡だ。巨大に成長したガジョマロ(榕樹)がヘビのように建物や石に絡み、押しつぶされそう。

     

      

        バイヨン     四面像によじ登る     タ・プロム

     

     これらの素晴らしい遺跡を見学して痛感したのは、度重なる盗掘などにより顔や首がない仏像の浮彫りなどが多く、人間の愚かさに腹立たしく情けないと思ったことである。

     

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             ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇

     

     私ことワールド・トラベラーにはカンボジアに関する著書があり、ご関心ある方は是非ご購読下さい。

     

    ●『 272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーは

     たった1人で紛争地を旅した』 幻冬舎 定価1,400円+税

     

        

     

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    | 世界の旅−アジア | 23:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    変な最近の世相:日本ボクシング連盟会長の疑惑と日銀政策修正
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     危険過ぎ災害とも言われる今年の猛暑、と言うより酷暑が続く。暑苦しく鬱陶しい盛夏の折柄、依然としてスポーツ界で不祥事が続き一層不快さが増す。過日の日本大学の悪質タックル問題で監督とコーチが処分されて一応一段落したかと思ったら、今度は日本ボクシング連盟のカリスマ会長が内部告発された。オリンピック強化選手に支給される助成金の不正流用や、奈良判定という疑惑判定などが問題化し、300人超の都道府県連盟の幹部やオリンピック選手の連名で、告発文書が提出されている。因みに、日大の悪質タックルに就いては、5月26日付け幣ブログ『悪質タックルの日大は森友加計問題の安倍政権と似ている!?』で詳述済みだ。

     6年前から「終身会長」となった山根明日本ボクシング連盟会長は強化委員長も兼ね、その権力集中は異様と言われる。筆者よりも3歳若い(78歳)が、元暴力団組長と親交があった御仁だけに凄味があり、彼の貫禄に負けた取り巻き連中は何かと忖度せざるを得なかったのであろう。少し前には日本レスリング協会で発覚した前強化本部長による選手やコーチへのパワハラでも、組織の正常な機能が不能に陥っていることが明らかにされた。これらの不祥事に共通するのは強力なトップの下、旧態依然とも言うべき上意下達が当たり前になっていることだ。だが「男の山根」を強調する古い気質だけに、最終的には会長辞任は不可避であろう。

     

     全く別の話になるが、3日前(7月31日)に日銀はまた金融政策を修正した。一見もっともらしいが、アベノミクスを振りかざす安倍政権になってからの経緯を振り返ると、疑問が浮かび不信感が募る。当初は大見えを切った2%の物価上昇率目標が3年前に不達成となり、さらに今度は今から2年後の2020年でも手が届きそうにないとか。このエンドレスな夢物語(政策)をいつまで継続するのか?また、最終的に目標は達成できるのか?筆者はもちろん、多くの善良な国民が抱いている疑念に誠実に答えているとは思えない。

     それでも黒田東彦日銀総裁は辞めようとしないし、むしろ去る4月には再任される始末である。この5年以上にわたり状況に応じて度々政策を修正してきたが、どこに問題があるのか謙虚に振り返ったであろうか?常に正しかったと過信する政策は屋上屋を重ね、むしろ迷宮入りして泥沼化し、不透明さが増すばかりである。斯様なことを続けている限り出口は見えず、2%の物価上昇率達成のゴールは遠のくばかりであろう。

     

      上記に加え、東京医科大学の入学試験で女子受験者の点数を一律減点の問題が明るみに出たが、ほかの大学でも似たケースがあるようで必要悪と擁護する向きもある。いずれにせよ、最近の世相は変なことが多過ぎるようだ。特に政界では十分な説明責任を果たさず、森友・加計問題の幕引きを図ろうとする安倍長期政権下、ウソをついても、また忖度してもまかり通る風潮が蔓延して様々な不祥事が多発している。自然界でも過日の12号台風は、なんと逆走する始末だ。何かが狂っているとしか言いようがない。

     

     いつもは7月上〜中旬に開花する当家のカンナが、本日やっと咲いてくれた。花まで変になったのではと思うのは、いささか思い過ごしかも知れない。カンナは真夏の炎天下、大きな葉の間から色鮮やかな花を元気に咲かせる。花言葉は「情熱」で、真夏の強い日差しに負けない強さと華やかな姿に相応しい。暑くても花を愛でているとホッとする

    ものがあり、妙に汗もかかないから不思議だ。これがウソをつきがちな複雑怪奇な人間様と違うところであろう。

     

     2年後の東京五輪のことを考えると、諸外国にも批判されないようなスポーツ界の自浄を切望したき次第である。

     

    後記

     日本ボクシング連盟の山根会長は本日記者会見し、会長辞任を表明した。しかし、単なる会長を辞任しても理事に留まれば、連盟内での内紛は続こう。除名などの厳しい処分が無ければ、騒動は簡単に収束しないであろう。これが2年後の東京五輪にも影響することを懸念する。(8月8日)

     

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    | スポーツ | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    豪雨と猛暑をそっちのけの国会閉幕
    10

     第196通常国会が本日閉幕した。カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法が20日夜の参議院本会議で、自民党・公明党などの賛成多数で可決成立して事実上閉会していたのだが・・・。カジノの弊害などに就いては、筆者はかつて短期間とはいえ海外駐在員時代に嵌まった苦い経験をベースにし、2014年11月23日付け幣ブログ『 カジノの功罪を考える 』で言及済みである。

     この国会では他に、「高度プロフェッショナル制度」に批判が強かった働き方改革関連法や、人口減少の現実に背を向けるような参議院議員の定数を増やす改正公職選挙法まで成立させた。与党が数の力で強引に押し切った形は、誠に遺憾の極みである。それにしても、自民党のやりたい放題に対抗できない非力な野党の不甲斐ない対立構図はなんとかならないものか。81歳の老兵の言うことは、空しい遠吠えになるのであろうか?

     一方、森友学園問題の公文書の改ざんや破棄に加え、加計学園の獣医学部新設問題では安倍晋三首相と学園理事長との面会記録が明らかになるなど、安倍政権を揺るがす問題が続々と発覚した。だが、同首相は膿を出し切ると明言しながら十分に説明責任果たすことなく、まともに正面から答えないまま国会は時間切れとなり閉幕した。更に、過日の西日本豪雨や猛暑による混乱という国内問題を抱えながら、最終的には中止になったが欧州・中東外遊を強行しようとした同首相の能天気と無神経さには驚くほかない。客観的に見ても嘘をつき続け、国を私物化して開き直る首相夫妻の言動は異常以外の何物でもない。

     

     それにしても今年の命にも係わると言われる猛暑は異常すぎると言えよう。先ず、梅雨明けが史上最速となり、6月末からずっと猛暑が続く。もっとも世界気象機関(WMO)に依れば、猛暑は我が日本だけではなく、ノルウェー北部の北極圏では7月17日に7月としては史上最高の33・5度を記録したほか、グリーランド西部のインナーストート村では沿岸に巨大な氷山が接近しており、衝突して崩落すれば大規模な津波が発生する恐れもある。筆者は既に15前の2003年8月に現地近くのイルリサットを旅し、温暖化による氷山崩落を目の当たりにしている。因みに、世界の猛暑に就いては、2015年7月23付け幣ブログ『熱中症と世界の猛暑地を訪ねて』 で紹介済みだ

     

                     −−− グリーンランド西部で −−−

      

       インナーストートに迫る巨大氷山 イルリサットの氷山巡りする筆者

      (ネットより転用・加工)

     

     実は私ことワールド・トラベラーは、商社マンであった現役時代に約9年の海外駐在経験があり、赴任地はクウェートとインドネシアという猛暑地であった。特に、1974〜1977年に住んだクウェートは砂漠に囲まれ、夏場の気温はなんと50度ほどになる。体温をはるかにオーバーする酷暑の中で働く馬鹿はおらず、約4時間のシエスタを自宅で取るのが当たり前と言うより義務であった。件の働き方改革も、夏場はツーシフト制にしてシエスタを取り入れるなど斬新な発想があって然るべきなのだが・・・。

     

        −−− 懐かしきクウェート駐在時代のスナップ −−−

       

       クウェート市内の        イラク国境近くの砂漠   油田で長男・次男と

     モスク(礼拝所)前で

     

     発生してから3週間以上も経つ西日本豪雨の被害は、広島県・岡山県・愛媛県を中心に広範囲に及び、死者・行方不明者は240人に達した。以前筆者の近くで住んでいた広島県福山市在住の知人から提供して頂いた写真を見ると、なんとか床上浸水は逃れたものの、川の氾濫による冠水の被害は甚大のよう。また、猛暑も加わり、後片付けも大変と聞く。遅まきながらお見舞いと早急な復興を祈念したい次第だが、豪雨被災をそっちのけのような形で法案成立に必死になった与党国会議員の節操の無さに憤りを禁じ得ない。

     

        

        ご自宅の玄関附近   近くのショッピングセンター

     

     猛暑と言うよりも酷暑のほうが適切な折柄、西日本豪雨の復興には相当な時間もお金もかかろう。だが、自民党の国会議員の諸先生の眼中にあるのは、その復興よりも来る9月の総裁選であろう。誰が領袖になっても、大きな変革や刷新は望めそうもない。そう思い巡らすと、酷暑が一層老体にはこたえ暑苦しくもなる。

     

                                   ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

     

    無料講演を引き受けます。

      ワールド・トラベラーは講演・講義を全国各地で行っています。主目的は地域や街の活性化と真の国際化推進、そして三流とも揶揄される日本外交再生などの一助です。そのために世界に関することであれば、旅行、文化芸術、宗教、歴史、政治や外交に関する国際情勢、グルメ、環境、経済や産業などジャンルを問わずワールド・トラベラーとして恥ずかしくない講演をします。しかも272ヵ国・地域を旅した実体験をベースに、他人様の情報をコピペ(切り貼り)しない異色のノンフイクションをありのままにお話します。
     ご希望があれば、ご遠慮無くお申し出下さい。因みに、慈善活動のため謝礼は一切不要ですが、ご希望の主旨が筆者の平和的な理念などに反する場合は勝手ながらお断りすることもあります。予めお含み置き下さい。


                        ― ― ―  講演会風景 ― ― ―
      
     プロジェクターを駆使し講演     地球儀を前にして      満席の会場で熱心に聴講する
      するワールド・トラベラー       スピーチする筆者       多数の参加者たち 


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    | 国内政治 | 12:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    FIFAワールドカップの決勝に進むクロアチアの旅-アドリア海編
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     去る6月14日から始まった2018 FIFAワールドカップ・ロシアも終盤を迎え、決勝カードが決まった。決勝へ進出したのは、1998年以来の2度目の優勝を狙うフランス代表と、開催国のロシアやサッカーの母国イングランドを打ち破ったクロアチア代表である。クロアチア代表は決勝までに3試合連続で延長戦を戦うなどハードな戦いを制してきた訳だが、国中が一丸となって代表チームを懸命に応援しているようだ。因みに、FIFAへの参加は1998年大会が初出場で、わずか20年の浅い歴史を考えると大躍進である。

     実はクロアチアは1991年にユーゴスラビア連邦から離脱する以前は、ユーゴスラビア連邦の一共和国であり、ナショナルチームはユーゴスラビア代表に属していた。しかし、同代表は1980年代中頃からチームとして崩壊に向かっており、クロアチア出身の選手に対してユーゴスラビア代表に加わらないよう政治的圧力がかけられる事がしばしばであった。こうした状況下、1990年のワールドカップ直後にクロアチア代表が編成され、首都ザグレブにアメリカ代表を招きクロアチア代表初となる国際試合が行われた。

      愈々来る15日に強豪国フランスとの決勝戦がある。決勝トーナメントに入って3連勝するクロアチアだが、いずれも延長勝ちと薄氷を踏む辛勝であった。選手は疲労困憊で格上との対戦はどう見ても不利は否めないが、大番狂わせを演じて初優勝し東欧から初めての王者が誕生するというドラマが演出されるのであろうか。他国代表の試合とは言え興味津々である。また、興味津々と言えば、もう一つある。試合会場のピッチを見ると、中国系企業の広告看板が圧倒的に多いことだ。中国は予選で敗退してロシア大会に参加していないだけに、チャイナパワーの底力を再認識する次第だ。

     

     さて、クロアチアは「アドリア海の至宝」と呼ばれ、対岸国イタリアの影響を少なからず受ける。面積は5万6542k屬閥綵の約1.5倍、人口は約430万人という小国だが、今や世界が固唾をのんで注目するクロアチアを筆者はちょうど20年前の1998年9月に旅しており、今回はクロアチア観光の目玉と言われる風光明媚な多島海のアドリア海沿岸を紹介しよう。

     

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     何と言ってもクロアチア観光のハイライトはアドリア海沿岸であり、その代表はクロアチア最南端に位置するドブロブニクと断言できよう。「アドリア海の真珠」と謳われる城郭都市は人口は約4万人の小さな町だが、同国きっての観光地である。その最大の見どころは約500m四方の旧市街で、観光前に一押しのパノラマポイントがある。旧市街の北方向にある標高412mのスルディ山の中腹から眺める景観で、紺碧のアドリア海に映える赤い屋根瓦、旧市街を取り巻く白い城壁など見事なコントラストを描く絶景は宝石のように美しい。また、旧市街の西4kmほどに港や、フェリー乗り場があるグルーシュの丘からの眺めも捨てがたい。

     

         (スルディ山中腹からの眺め)   (グルーシュの丘より)

      

     旧市街と旧港を望む    筆者(右) 

     

     下山して旧市街の入口にあるピレ門をくぐると、「ドブロブニクの銀座」ともいうべき華やかな装いのプラツァ通りが中心部のルジャ広場まで約200m続く。旧港界隈も、港町らしい開放的な雰囲気が漂う。ここはドブロヴニクで最も古い歴史を持つ所で、中世には貿易都市として繁栄した海の玄関口であった。中世には自由都市と栄えた旧市街を肌で実感するなら、1周が1940m、高さが最高25mもある城壁の上を散策する城壁巡りがおススメだ。

     

       

    プラツァ通り散策する筆者  プラツァ通り   城壁の上巡りを楽しむ

     

     この城郭都市が城壁に囲まれたのは8世紀で、現在の姿になったのは16世紀頃である。鮮やかな赤屋根の家々、真っ青なアドリア海、7000m沖合いに浮かぶロクルム島が眺望できる。所々で1991年セルビア・モンテネグロによる激しい軍事攻撃を受けた弾痕跡などが残り、スルディ山からの眺めとは違う景観が広がる。一方、旧市街から南東約15kmのチャブタは、「ドブロブニクの父」と呼ばれ落ち着いた古い港町で、港通りの散策は最高のムードに浸れる。

     

         (旧市街の城壁の上より)

      

    旧市街とロクルム島望む 旧市街に迫るアドリア海  チャブタの港付近  

     

     クロアチア最大の港町リエカ〜ダルマチア地方のリゾート地の中心・スプリト間のアドリア海沿岸も景勝地が多い。特にドブロブニクの北西227kmほどにあるスプリトは人口約10万人の港町で、ローマ遺跡と中世の建物が混在するユニークな町だ。ローマ皇帝のディオクレティアヌス宮殿の上に築かれた古都だが、数あるローマ遺跡の中でもお目当ての有名な宮殿は、南北215m、東西180mの規模を誇る。しかし、外観が真っ黒で汚く少々期待外れであったが、近くの椰子が茂るクネズ・ドマゴイ通りでは南国ムードが溢れ、異国情緒と港町の雰囲気を盛り上げる。

     また、スプリットの東20kmにある小島のトロギールは南北に細長いクロアチアの真ん中に位置し、橋により本土やチオヴォ島と結ばれる。江戸時代の長崎の出島によく似た島の起源は、ギリシア時代に遡る。2400年ほど前はギリシャの植民地として島ではなく、本土と陸続きであった由。その後に防衛の観点から、本土と切り離して島にしたと言われる。様々な時代の歴史的建物が、東西700m、南北400mの狭い小島の旧市街にひしめく。中でも注目すべきは聖ロヴロ大聖堂だ。13世紀初めに着工されたが、完成したのは17世紀であったためか様々な建築様式が組み合わされている。特にライオンの上にのったアダムとイブの像が両端に彫られた門は、13世紀のクロアチア宗教美術の傑作と言われる。

     

       

        スプリトのディオ  トロギールの大聖堂の  トロギールを俯瞰

      クレティアヌス宮殿 ライオンとアダム・イブ像

     

     上述のアドリア海沿岸以外の内陸部(プリトヴィツェ、ザグレブ)でも必見の観光スポットがあり、いずれ紹介の機会を作りたいと思っている。

     

       ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

     

     FIFAランキングやこれまでの試合の疲労度などを想定すると、フランス代表の優位は濃厚だが、何が起こるのか分からないのが勝負である。もしクロアチア代表が勝てば、今年の世界の十大ニュースの一つになるのではなかろうか。

     

    (後記)

     クロアチア代表は健闘したが、やはり疲労が蓄積していたのであろうか、2−4でフランス代表に敗退した。これでフランス代表は2度もサッカーW杯で優勝を果たしたのだが、国民が歓喜に湧く中、各地で略奪や警察との衝突なども相次いでいる由(7月16日)。

     

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    | 世界の旅− ロシア・東欧 | 18:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    タイの洞窟で少年らが閉じ込められたチェンライとタイタンビカス開花
    12

     今朝起きて見ると、玄関ポーチのタイタンビカスが見事に開花していた。例年より約2〜3週間も早く、これも先月末に史上最速で梅雨明けした連日の猛暑の影響であろうか。しかも、今年は花の直径が20cm近い大輪が、何と8輪も乱舞する豪華さである。1日に精々3〜4輪咲くのが普通なのだが・・・。早速観にやって来た人たちがいた。

     この花を観賞していると常に想起するのが、今のところ不治とされる病(認知症)に臥して早や4年目を迎える妻である。彼女は殊の外タイタンビカスを愛好し、早朝に咲き始めるが夕

    刻には萎んでしまう切ない移ろいがの若かりし頃の残像にダブってしまうからだ。余命僅かの不帰の人にならんとしており、「花の命も人の命も共に短し」を痛感する毎日だ。

     

     さて、前置きが長くなり恐縮。寝不足の夜更かしを強いられるほど連日熱狂していたFIFAワールドカップも、我が日本代表は決勝トーナメントの初戦でベルギーに敗退したため急に静かになった感じである。代わりにテレビなどで大々的に報道されているのが、同じサッカー絡みの事故である。6月23日からタイ北部のチェンライの北郊外にあるタムルアン洞窟で、サッカーチームの少年12人とコーチ1人が行方不明になったことだ。

     幸い9日後の7月2日に洞窟の入口から5km近くの洞内で発見されたが、大雨による増水で閉じ込められたままだ。13人の命には別条無いようだが、大量の水が洞窟を塞いだままで、洞窟外への救出方法や時期などの見通しは立っていない由。加えて現地は豪雨に度々見舞われる雨期に入っており、浸水が更に酷くなる場合もあり救出の長期化が懸念される。

     

    洞窟内の少年たち

    (ネットより転用・加工)

     

       今やFIFAワールドカップと共に注目されるタムルアン洞窟があるチェンライを、筆者は2008年7月に訪れており、その時の模様を紹介しよう。

     

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     チェンライはタイの首都バンコクの北785kmほどに位置する、タイ最北部の中心都市で人口約10万人。かつて13世紀に栄えたラーンナー・タイ王国の都は現在もタイ最北の県都として発展し、北部観光の拠点として賑わいを見せる。ミャンマーやラオスとの国境に近い町々の入口に位置するため、少数民族が独特な風習を今も残すタイ北部観光のベースになっており、ヨーロッパなど欧米からの観光客が多いのに驚いた。

     

     ご多分にもれずこの町でもワットという寺が多いが、町の中心にあるエメラルド仏で有名なワット・プラケオや、14世紀創建の古いワット・プラ・シンよりも、郊外の新名所ワット・ロン・クンの方がずっと見応えがある。市内から南西14mにある寺は1997年の着工以来、いまだに完成していない(訪問当時)とかで、スペインはバルセロナのサグラダ・ファミリアのミニ版を思わせる。

     

              (ワット・ロン・クンと筆者)

     

     

     

            ワット・プラ・シン                    ワット・プラケオ

     

     チェンライ出身の仏教画家が設計した寺は純白のモダンな外観で、金ぴかの寺が圧倒的に多いタイではまさに異色だ。燃え盛る真っ白な火を彷彿させるような繊細で特徴的な屋根、本堂へと向かう橋のたもとにある手や足のオブジェ、他の寺とはひと味違う新時代的な本堂内部の仏像や仏画など、芸術と信仰が一緒になったような独創性溢れる白亜の寺院だ。
     

     古都のわりには見どころが多くない市内だが、タイの国民的英雄メンラーイの王像ポー・クン・メンライは見逃せないスポットである。ワット・プラ・シンから東へ徒歩約10分にあり、ラーンナー・タイ王国の建国者として現在も人々の信望を集める王像の周りには献花が絶えない。また夜のチェンライを楽しむなら、毎晩バスターミナル周辺で開かれるナイト

    メンラーイの王像

    バザールがイチ押しだ。山岳民族の民芸品などが売られているほか、野外のフードコートやライブステージもあり、深夜まで地元民や旅行者で賑わう。

     

     マニアックな旅人におススメしたいのが、チェンライ周辺に住む少数民族の村や集落だ。約35km北東にあるノンウェン村では女性はカブトのよう重い帽子を被って黒いミニスカートという姿のアカ族と、赤いモール襟が付いた厚手の濃紺の民族衣装を着用して頭には細かな刺繍入りの布を巻くヤオ族が住む。

     

             (少数民族と交流する筆者)

       

         アカ族          ヤオ族      パダウン・カレン族 

     

      また、チェンライから北西62kmのメ―サロンまで足を延ばすと、郊外のヤパ村で首長族のパダウン・カレン族が住む。元々彼らはミャンマーに居住する民族だが、約30年前の政府軍とカレン族の内戦から逃れてきた難民とされる。この村では女性は首が長いのが美人とされる異文化体験ができ、興味深々の世界が広がる。

     

       ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

     

     イギリスなど外国からも救援隊が現地入りして懸命に救出を急ぐ一方、自己責任を云々する空気もあるようだ(特に我が国では)。しかし、タイでは自己責任など問う声は無いそうで、さすが寛容な微笑みの仏教国というお国柄の違いなのであろう。

     

    後記

     8日から待望の救出が始まり、10日までに13人全員が洞窟内から脱出して病院に搬送された。6月23日に行方不明となってから18日目でに全員が奇跡の生還となった一方、救出作業していた元海軍特殊部隊員1人が洞窟内で死亡する犠牲者を出した。いずれ今回の救出劇は映画化されるであろう。今後とも注目したいものである(7月11日)。

     

                      ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇

     

     私ことワールド・トラベラーにはタイなどの少数民族に関する著書があり、ご関心ある方は是非ご購読下さい。

     

    ●『 世界を動かす少数民族 』

     少数民族の世界から現代世界の縮図と課題が見える

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    FIFAワールドカップ−日本代表のキャンプ地カザンを訪ねて
    11

     今月は10日ほど前から寝不足の毎日が続き、日中も何となく眠たくて仕様が無い。原因は FIFAワールドカップロシアによる。6月20日付け幣ブログ『2018 FIFAワールドカップの舞台ロシアの旅−モスクワの今昔』で紹介した通り、6月14日から開幕した1次予選で、H組の我が日本代表が突然の監督にも拘わらず快進撃を続けているのだ。サランスクで行われた初戦の対コロンビア戦で2−1で勝利し、更に本日未明(日本時間)エカテリンブルで行われたランキング上位のセネガルとの試合では、2−2で引き分ける大健闘をしたのである。

     このチーム一丸となった好調をキープし、来る28日にヴォルゴグラードで行われるポーランド戦で勝つか、或いは引き分ければ待望の決勝トーナメントに進出できる。現時点では日本はH組の1位で有利だが、油断はやはり禁物である。前回大会の王者であったドイツが初戦から敗れ、1次リーグ敗退の危機に晒されている例もあるからだ。引き分け狙いの守りではなく、あくまで積極的なプレーが望まれよう。

     

                 

     

     今回の思わぬ(?)日本代表の勝因として、西野朗監督の見事な采配のほかに、日本代表が大会期間中に練習するベースキャンプ地、カザンとの相性の良さも挙げられるのではなかろうか。その彼の地を知る読者は少数と思うのだが、実は3年前の2015年に世界水泳選手権が同地で開催され、かつて高校時代に水泳選手であった筆者はテレビ観戦に釘付けになったことを想起する。

     また、2002年9月にはカザンやエカテリンブルグなども訪れており、国土面積が日本の45倍もあるロシアの偉大さと底力を改めて痛感した次第だ。我が安倍晋三首相が足繁くプーチン(大統領)詣でをしても北方領土問題で相手にしてくれないのは、ロシアの強かさと実力をよく解っていないからであろう。その旅の模様を簡単に紹介しよう。

     

       ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

     

     ロマノフ王朝の終焉の地として知られるエカテリンブルグから夜行列車で到着したカザンは、首都モスクワから東およそ800kmに位置する。ロシア有数の大河、ボルガ川に臨む商工業都市で、人口は約112万人である。タタールスタン共和国の首都で、かってのモンゴル系カザン汗国の都であった。「ボルガの真珠」と称され、今も北方トルコ系住民のタタール人が多く住む。彼らの大半はイスラム教徒で、市内散策中にいくつかのモスクを見かけ、ロシアの町にしては珍しくエキゾチックな中東の雰囲気が漂う。

     

     

                   ボルガ川       カザン駅前の筆者

     

     見どころは、やはりクレムリンという要塞である。その城壁はモスクワやノヴゴロドのクレムリンに劣らず威風堂々だ。また他のクレムリンが赤レンガ色に対し、ここは白色で爽やかな感じが良い。更に素晴らしいのは、城内に立派な建物が多いことである。特に16世紀に建てられたブラゴヴェシェンスキー(生神女福音)大聖堂は、ブルーのドームが美しい教会で、内部のイコンやフレスコ画も見事と言うほかない。

     

     

       カザン川の橋より     クレムリンの城壁

       クレムリンを望む

     

     他方、市内の至るところにあるモスクの中でも、メチェティ・クル・シャリフがひときわ目立ち、青いドームのブルーが実に鮮やかで美しい。また、小さなモスクでは、グリーンの外壁が異彩を放つスルタン・モスクが見逃せない。

     

     

     クル・シャリフ・モスク  プラゴヴェシェンスキー大聖堂

     

     因みに、カザンを詳述した、ペンネームが高やすはると言う幣著書『 ワールド・トラベラーだけが知る 素顔のイスラム(新潮社)』があり、ご興味あれば是非ご愛読頂きたい。

     

       ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

     

     最新のFIFAランクに依れば、日本の61位に対し、28日に対戦するポーランドは8位である。1枚も2枚も役者が上のポーランドに対し、我がSAMURAI BLUEはどのように戦うのであろうか、また西野朗監督のマジック的な采配を期待したい。

     

    後記

    ポーランド代表と対戦した日本代表は0−1で敗れたが、勝ち点で並んでいたセネガルもコロンビアに負けたため、フェアプレーポイント数(反則ポイント)で上回ったことで幸運にも決勝トーナメント進出を決めた。しかし、その進出のために西野監督が選択したマジック的な采配は何と時間稼ぎをするだけのボールキープで、正直に言って見苦しく恥ずかしい戦法であった。一番馬鹿を見たのは高価なチケットを払い、入場して観戦していた観客であろう。

     手強い格上の他国代表と戦う決勝トーナメントでは、小細工を弄することなく挑戦者精神とスポーツマンシップを持ち、是非ともサムライジャパンらしい正々堂々とした爽やかなプレーを期待したい。日本に対する国際社会での評価を高めるためにも・・・。(6月29日)

    ポーランドとの決勝トーナメントに臨んだ日本代表は2点先取も空しく、後半にポーランドに3点を取られて逆転負けを喫した。念願の8強が叶わなかった訳だが、それまでの勝利が違反で10人選手と少なかったコロンビアとの試合の1勝のみであった戦歴を考えると、実力以上の善戦と言うべきが妥当であろう。いずれにせよ、我が代表ご苦労様でした。(7月3日)

      

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