世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
一国二制度が骨抜きにされつつある香港の今昔(1)
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 中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正案に反対する大規模デモが香港で行われた。主催者発表では103万人が参加したが、2003年の「国家安全条例」案に反対した50万人規模のデモを大きく上回わる返還後最大となる。条例改正案に反対の声は、学生や労働者、実業界など香港社会の幅広い層に広がっている。今回の改正案が成立すれば、香港市民んはもちろん、香港に住んだり渡航した外国人や中国人までもが、中国側からの要請があれば本土に引き渡されることになる。そうなれば日本人旅行者も対象になり、他人事では済まされない。

 

   激しい反対運動など国内外で圧力が強まる中で、逃亡犯条例改正案は6月12日から立法会で審議が始まる予定。現立法会は親中派の体制派が優勢で、法案は月内(20日ごろ)に可決される見通しだ。因みに、デモ参加者は「中国共産党政府が香港政府に犯罪者を中国に送ることを命

大規模な抗議デモ  

(ネットより転用加工)    

じるのは、香港人にとって非常に恐ろしい」と語っている。今後しばらくは抗議活動を行うデモ隊と、現地警察の間で激しい衝突が続き、最悪は死者も出しかねない雰囲気のようである。

 

 1997年に英国から中国に返還された香港の地位は、当初の50年間は現況を維持するものであった。つまり、社会主義制度を導入せず、従来の資本主義制度や生活様式を保持した状態での「高度の自治」を認めるもの。しかし、返還後は2017年の香港行政長官選挙で普通選挙の採用を決定したが、中国の中央政府に反対する人物の立候補を実質的に排除するなど、徐々に一国二制度が骨抜きにされ崩壊しつつある。もっともこの制度は最終的には台湾統一を視野に入れて構想されただけに、歴史的背景などが異なる香港では無理があったのであろう。

 斯様に騒々しい香港だが、およそ半世紀前は「東洋の真珠」と称えられ、「100万ドルの夜景」は世界的に有名になった。また、当時は大陸側の九龍でビルの中に縫製工場があり、当時商社マン(三井物産)として大阪で繊維を担当していた筆者は1970年10月の初訪以降6回も出張した。その後は旅行なども含め合計10度訪れているほど、大好きなかつての英国植民地だ。1977年7月にはクウェート勤務から帰国の途中、家族(妻・長男・次男)で訪れた。今回は大陸側の対岸にあり、先述の大規模デモが行われた香港島を紹介しよう。

 

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●英国植民地時代(約50年前)

 香港島観光のハイライトは、標高が551mもある最高地点のビクトリアピーク。登山電車の山頂駅(標高389m)の前にある展望台から、対岸の九龍など大陸側を含め香港の全景を見下ろす事ができる。それは壮観で美しく、特に100万ドルの夜景は幻想的だ。

次に、島の西南岸にあるアバディーン(香港仔)は、島陰の入江に住む水上生活者蛋民の基地。香港の水上生活者の大部分がここに集まり、多数の小舟とジャンクがびっしりとひしめき合っていた。人気のフローティング・レストラン「ジャンボ」で、海鮮料理に舌鼓を打った。

 

   ビクトリアピーク展望台

  

友人と一緒の筆者(左)  展望台よりの俯瞰  タイガーバウム庭園

 

                               (アバディーン) 

   

 家族で訪れ、水上生活者が     ジャンボレストラン

  住む小舟を背にして

 

 最も印象的であったのがタイガーバウム庭園である。万能家庭常備薬「万金薬」で巨富を築いた胡文虎という実業家が、1935年に巨費を投じて造った別邸だ。丘の斜面を利用して造った庭園には、仏教の故事から取り入れた仏像・怪物・様々な姿態の裸女などが現れ、地獄極楽の絵巻的パノラマはすべて極彩色でグロテスク。だが、かつては香港観光の代表的スポットも19年前に閉園し、その後は香港政府の管理下に置かれている由で時の移ろいを痛感する。

 

●返還後(2004年)

 中国へ返還後に最も変貌したのが、香港島中央部の北岸に位置するワンチャイ(湾仔)。特にシーサイド・プロムナードは、中環の高層ビル、ビクトリア湾、九龍半島などすべてが近くに見える絶好のロケーションだ。国際的な見本市会場の香港会議展覧中心を取り囲むように海沿いに良く整備された広い遊歩道が付けられ、潮の香りがする心地良い海風に吹かれて最高の気分になる。また、このセンターの前には香港が中国に返還された時に式典が行われた金紫荊広場がある。金色の金紫荊(香港の象徴的な花ハナズオウ)が立ち、観光客の記念撮影ポイントになっている。

 

 

湾仔の香港会議展覧中心など俯瞰 シーサイド・プロムナードを

                   散策する筆者

 

  

   金紫荊広場に立つ金紫荊       レパルスベイ

 

  また、アバディーンは昔の漁村のイメージがほとんど残っておらず、情緒が消え失せていた。さらに、映画「慕情」の舞台になったレパルスベイ、スタンレー・マーケットとビーチ、ビジネスセンターの中環(セントラル)広場、香港島の北端・北角(ノースポント)なども昔の面影は無い。一方、島の西部にあるビクトリアピークの展望台からは、足元は中環(セントラル)の高層ビル群、その後ろに広がるビクトリア湾、遠くに対岸の九龍半島を眺望できる。昼も夜も出かけたが、香港を代表する近代的な佇まいは昔と変わらぬ魅力がある。

 

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 この20年ほどで経済的にも軍事的にも大発展した中国は、米国と貿易摩擦で激しく対立し、国内でも香港、新疆ウイグル自治区やチベットなどの諸問題を抱える内憂外患、多事多難の様である。21世紀の巨龍の動静が何かと気懸りな昨今だ。

 

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| 世界の旅ー中国など | 22:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
世界最大の民主主義国・インドの旅(3)
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 「世界最大の民主主義国」はどこかご存じであろうか?それは表題の通り、なんと約9憶人の有権者がいるインドである。中国に次ぐ約13.6憶人の人口と日本の約9倍もある広大な国土を持つだけに、第17回インド下院総選挙は4月11日から5月19日まで地域ごとに7回に分けて投票が行われた。投票を分けたのは投票所がおよそ100万か所もあり、選挙スタッフや警察官などの要員確保が困難であったためとか。

 開票は一昨日(5月23日)一斉に行われ、現職のモディ首相が率いるインド人民党(BJP)が大勝した。BJPは前回の2014年総選挙の結果を上回り、単独で303議席、連立で348議席を獲得した。BJP単独でも下院議席数543の過半数を上回り、選挙前の下馬評を覆す圧勝となった。一方、かつて政権政党であった国民会議派(INC)も議席数では若干増えたが、単独で52議席、連立でも98議席を獲得するに留まり伸び悩んだ。我が国の安倍政権下の一強多弱に似ている。

 

 今回のインド人民党の大勝の背景には、モディ首相自身の強いリーダーシップとカリスマ性に負うところが大と言われる。同首相がテロへの報復として2019年2月に実施したパキスタン支配地域への空爆などに示された強い指導者像、低所得層に対する大幅減税や医療費

      モディ首相

保障の導入、小規模農家に対する補助金支給など、国民の過半数を占める農民層と低所得層に寄り添った政策が国民に広く受け入れられたようだ。一見混乱も無く終わった総選挙であったが、ヒンドゥー教の身分制度カーストが今も色濃く影を落とし、折角の投票を拒まれた人たちもいたよう。

   本来は有権者として記載されるべきところリストに名前が無い人たちが、驚くなかれおよそ1憶2000万人もいた由。その大部分は不可触民と呼ばれたダリトなどの下位カースト、女性やイスラム教徒だ。また、インドでは子供の出生届が徹底されず、自身の身分を証明できない国民も多い。種々問題を抱えていても、2人の大統領が実存するベネズエラや、大統領選挙の開票結果に抗議するデモと暴動があったインドネシアのような混乱が起こらない。さすがインドであり、故に世界最大の民主主義国と呼ばれるのであろう。

 

 因みに、モディ首相に就いては、2014年8月31日付の幣ブログ『インド首相来日に想うインドの旅(1)』で紹介済みである。また、インドが抱える深刻な大気汚染問題に関し、2016年2月23日付のブログ『PM2.5が世界最悪の国インドの旅(2)』で詳述している。これらブログで、インドの北部・西部・南部の都市や遺跡を紹介したが、今回は1996年3月と2003年4月に訪れた、ヒンドゥー教と仏教の聖地が多いインド北東部について触れてみよう。

 

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 世界の屋根ヒマラヤ山脈の南側、インド亜大陸の北東部を流れる母なる大河・ガンジス川流域の中心都市は、ヴァーラーナーシ(英語名ベナレス)である。人口120万人の都市はヒンドゥー教最大の聖地として有名で、静かに流れる悠久の大河ガンジス沿いにある。聖なる河の岸辺で沐浴すれば罪はすべて清められ、ガート(堤)で焼かれた遺体は灰となり、川に流されれば解脱できるとされる。これを信じてインド各地から多数の巡礼者が訪れる。

 

                    (ヴァーラーナーシ)

 

マニカルニカー・ガート付近  ガンジス川遊覧を少年と

                 共に楽しむ筆者

 

 火葬場にもなっているガートで知られるのは、ダシャーシュマメード・ガートとマニカルニカー・ガートである。夜明け前にホテルを出て、早朝のガンジス川の遊覧を楽しんだ。幻想的な日の出を鑑賞し、辺りが明るくなった後にガートを見やると、大勢の老若男女が沐浴に精を出していた。一方、北10km郊外にあるサルナートは仏教四大聖地の一つで、ブッダ(釈迦)が初めて説法した地である。ダメーク・ストゥーパという高さが43mほどある仏塔が立派だ。6世紀にアショカ王によって建てられた遺跡は一部破壊されているが、ストゥーパの外側には今も美しい模様がハッキリと残る。

 

 仏教の聖地と言えば、ヴァーラーナーシの東方郊外に多い。例えば約200km東方に位置するブッダガヤは、釈迦成道(悟り)の地として有名だ。釈迦が菩提樹の下で瞑想に耽り、仏教では最高の聖地のハイライトは、高さが52mもある美しい大塔がひときわ目立つマハーボディー寺院(大菩提寺)だ。ここから約80km北東にあるラジギールは5つの山々に囲まれた盆地にあり、岩山の一つラトナギリ(多宝山)の頂上には世界平和塔 が白く輝いていた.。ラジギールを出て北20kmのナーランダはイスラム教徒に破壊される12世紀まで仏教学の中心地となり、レンガ積みの巨大な仏塔がある仏教大学址が見ごたえがある。

 

  

ブッダガヤ:マハー  ラジギール:世界平和塔 ナーランダ:仏教大学址

 ボディー 寺院                            

 

 ナーランダからビハール州の州都パトナ経由で向かった北西150kmには、釈迦が娼婦から食を受けた地とされるヴァイシャリある。猿が掘ったとされる沐浴池ラーマ・クンドのそばに柱頭がライオンのアショカ王石柱がそびえ、大きなアーナンダ塚もあり夕陽に輝く景色が印象的だった。ヴァイシャリからさらに230kmほど北西に向かうと、釈迦入滅(涅槃)の地クシナガルに着く。釈迦が待者アーナンダに看取られ入滅した沙羅双樹と、綺麗な涅槃像が横たわるパリニルバナ寺が見どころだ。

 

 

   クシナガル:涅槃像     ヴァイシャリ:沐浴池 

 

 

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 中国に迫る大国でありながら、中国のように人権問題などで国際的な批判を浴びないのは、ヒンドゥー教や仏教の影響に依る穏やかな国民性がベースにあるようだ。

 

                ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

無料講演を引き受けます。

  筆者は講演・講義を全国各地で行っています。主目的は地域や街の活性化と真の国際化推進、そして三流とも揶揄される日本外交再生などの一助です。そのために世界に関することであれば、旅行、文化芸術、宗教、歴史、政治や外交に関する国際情勢、グルメ、環境、経済や産業などジャンルを問わずワールド・トラベラーとして恥ずかしくない講演をします。しかも272ヵ国・地域を旅した実体験をベースに、他人様の情報をコピペ(切り貼り)しない異色のノンフイクションをありのままにお話します。
 ご希望があれば、ご遠慮無くお申し出下さい。因みに、社会貢献活動のため謝礼は一切不要ですが、ご希望の主旨が筆者の平和的な理念などに反する場合は勝手ながらお断りすることもあります。予めお含み置き下さい。

 

 因みに、主な講演実績(2011年以降)は次の通りです。

2011年1月25日「ケニア」我孫子市立根戸小学校で 我孫子市教育委員会主催
2011年10月2日 「240国・地域を旅して」我孫子市生涯学習センターで 我孫子の文化を守る会主催
2012年4月14日 「PKO派遣の南スーダンと激動アラビアを旅して」 我孫子けやきプラザで 文化を守る会主催
2012年8月5日  「アジアの昔と今」横芝光町立図書館ハイビジョンホールで  横芝光町図書館主催
2012年11月3日 「世界255か国・地域を旅して」中央学院大学の学園祭で 中央学院大学主催
2013年8月10日 「世界の仮面など」けやきプラザで  我孫子南まちづくり協議会主催
2013年9月29日 「グローバル時代を生きる」あびこ市民プラザで  我孫子市国際交流協会主催
2013年11月9日 「世界の紛争地帯を訪れ、平和を語る」あびこ市民プラザで  我孫子の文化を守る会主催
2014年6月19日 「世界の辺境地や紛争地帯を訪れてこそ、本当の世界が分かる」 グラン・レジデンス主催
2014年9月13日 「イスラム世界に住み働き旅して41年」柏市中央公民館で  伸光堂千葉販売主催
2014年12月6日 「世界旅行のススメ」四街道市で 視覚障害者総合支援センターちば主催
2015年2月24日 「イスラムとの腐れ縁」柏市中央公民館で  柏南交友会主催
2018年10月12日 「272ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが想う真の国際化」東京海事センタービルで  JAPAN NOW 観光情報協会主催 

2019年7月3日  東京都内で講演予定   

                    ― ― ―  講演会風景 ― ― ―
  
プロジェクターを駆使し講演  地球儀を前にして   満席の会場で熱心に聴講
 するワールド・トラベラー スピーチする筆者  する多数の参加者たち 

 

お問い合わせ:世界の人形館 
                     TEL 04−7184−4745
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| 世界の旅−アジア | 19:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
チキンレース化した米中貿易摩擦
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 今世紀初の新しいタイプの大戦 ? or 新種の冷戦が勃発しようとしている。制裁関税で攻める一方のアメリカのトランプ大統領に対抗、懸命に報復関税で応酬する中国の習近平国家主席。下手をすれば共倒れになるかも知れない覇権争いを、2大国がなりふり構わず繰り広げている。アメリカのトランプ政権は昨日(10日)、中国からの2000憶ドル(約22兆円)分の輸入品に対する関税を引き上げる第3弾の追加制裁関税を発動した。かつて米中の貿易量は年間20憶ドルだったが、現在のそれは1日だけで20憶ドルに達している。

 対立を続けるアメリカと中国の閣僚級、米国側はライハイザー通商代表とムニューシン財務長官、中国側は劉鶴副首相が出席した交渉がワシントンで始まったが、不調に終わり10%の関税が25%に引き上げられた。さらに、対中国制裁の第4弾として追加関税が課されていない約3000億ドル(約33兆円)分にも課税するよう、トランプ大統領は通商代表部(USTR)に指示した。一時は沈静化していた米中貿易摩擦の再燃は避けがたく、世界経済に動揺が広がるチキンレースになりつつある様だ。

 

  

 

 因みに、加熱する米中貿易摩擦の序章は1918年7月6日の第1弾の発動で始まった。アメリカは中国からの輸入品340憶ドル分に対し25%の関税を上乗せしたが、対する中国は同額の報復関税を課した。続く第2弾として160憶ドル分の25%追加関税が同年8月23日に発動され、アメリカの制裁に対して中国も同様の報復をして対抗した。さらに9月24日に第3弾の関税措置が発表されたが、その後関税引き上げは一時的に見送られ、両国間で交渉が続けられていた。今回の突然とも言うべき暗転により、中国の習近平国家主席はこのまま引き下がるとは思えない。下手をすれば、習近平氏が強力に推進する一帯一路(幣ブログ『イタリアが参画する中国の一帯一路』参照)にも少なからず影響を与えるのでは?

 

   トランプ大統領が振り下ろした制裁の代償は、相手方の中国は勿論、アメリカ自体も負いかねないであろう。アメリカ国内でも困惑している様で、中国の報復関税を実際に払うのはアメリカ側の輸入業者であり、そのツケは同国の

 米国の港で陸揚げされた

 輸入貨物(ネットより)

企業や消費者に回ってくる。今回の第3弾は衣料品や食料品など生活必需品が多く、小売業界は閉店が続発するのではとの見方がある。また、中国がアメリカの農産品に報復の高関税を課すため、トランプ大統領の支持層である農家も困窮しているはずだ。

 一方、外野席にいる様な感じの我が日本だが、日本経済への悪い波及も不可避であろう。中国製品の部品の多くは今も日本から供給されており、アメリカ向けの中国製品の輸出が減れば日本からの輸出も減る悪循環に陥るからだ。長く続いている我が国の景気に最近陰りが出ているのは、米中摩擦に依るところが大のようである。従い、対岸の火事として傍観を続ける訳には行くまいが、むしろピンチはチャンスにもなる。外交力を発揮して両大国間の仲裁を買って出れば、意外な展開があるかも知れない。

 

 ところで、交渉が斯様に難航するのは、貿易摩擦だけでなく、先端技術や安全保障を巡る覇権争いも繰り広げているからだ。アメリカは中国による自国産業への補助金支給が外資との自由な競争を妨げているとして見直しを迫まる。まさにチキンレースを彷彿させる両大国の報復合戦がいつまで続くのか予測困難だが、この調子で推移すれば中国で最大1.5%、米国は0.6%、それぞれ国内総生産(GDP)が押し下げられるとの試算がある。いずれにせよ、両国間の交渉がこじれ、世界恐慌と言う最悪のシナリオにならないよう、米中両国の冷静な妥結交渉を期待したい。

 272の国・地域を旅した私ことワールド・トラベラーは駐在こそしていないが、中国(本土)はなんと20回、アメリカは15回も訪れたことがある大好きな国だ。両国は一見、水と油の様な関係だが、実は共通点も意外に多く、特にそれは若い世代に顕著だ。例えば、共にお金と力に頼る拝金主義者が多く、年長者をさほど大事にしないことだ。なんと言っても驚きは英語も中国語も語順などの文法が似ていることで、日本人よりも中国人のほうが英語が上手いと言われるのはこのためだ。
 

 世界の覇権争いでしのぎを削り、貿易戦争の様相を呈している米中摩擦など鬱陶しいことが多い世俗だが、拙宅(世界の人形館)で可愛いイラクの人形、麗しい花、華やかなランプなどを観ていると自然に癒され和む。これこそが令和と実感する次第である。

 

(後記)

 中国は今夜600憶ドル分に対し、6月1日に最大25%に引き上げる報復の追加関税を発表した。このエンドレスな米中の制裁合戦は日本の国内景気にも波及し、内閣府は景気の基調判断を6年2か月ぶりに「悪化」へと下方修正した。(5月13日)

 

             ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

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| 国際経済 | 21:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
10連休の大型GW格差に想う
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 4月27日から5月6日までの超長〜い10連休、史上初の大型GWが間もなく終わろうとしている。正直なところ、やっとと言う感じである。この間に改元があり、5月1日には元号が平成から令和に改められた。前回の30年前の改元時は天皇崩御もあり、むしろ重苦しいムードであったと記憶する。しかし、光格天皇以来202年ぶりに天皇が存命中退位される今回は、翌日に新天皇陛下即位の儀式があり、厳粛ながらも晴れやかな祝賀ムードが漂っていた。

 さて、昭和・平成・令和の3時代を生き抜き、先月82歳になった筆者だが、妻が不治の病(認知症)で4年ほど前から長期入院のため不便この上ない独居生活を強いられている。今まで経験したことが無い10連休をどう過ごすのか、率直に言って連休前は一抹の不安を抱いていた。しかし、それは取り越し苦労に終わったようだが、やはり長過ぎると言うのが偽らざる実感である。筆者的には休みの期間が長かっただけで、内容的にはさほど充実したものにならなかったと反省している。

 

 GWの前半、平成最後の良き想い出となったのが、4月29日〜30日に次男の嫁と唯一の孫娘と一緒に、名古屋と妻の実家がある奈良県の大宇陀に出かけたことだ。初日に新幹線で向かった名古屋では、先ずつつじが咲き誇る名古屋城を訪れた。高校3年生の孫娘とツーショットを撮った時、ふと14年前にシンガポール動物園で抱っこしてやったことを想起し、時の流れを痛感して些か感傷的になった。将来この孫娘が結婚し、出来れば曾孫を抱っこするまでは長生きせねばと想ったりもした。

 

  

 名古屋城の天守閣を    2005年7月シンガポール

  背にして孫娘と      動物園で孫娘を抱っこ

 

 

  つつじが咲き乱れる名古屋城       次男の嫁や孫娘と

 

 その後、伊勢神宮に次ぐ大宮と言われる熱田神宮や、庭園が見事な徳川園を訪れた。観光後は一旦ホテルに帰り、また外出して繁華街・栄の錦通りの台湾料理店で夕食を取った。翌朝は近鉄で奈良県・宇陀市の大宇陀に向かったが、市と言っても少々秘境めいたものすら感じる町である。妻の実兄や実弟に妻の病状説明するなどして去り、夜に帰宅した。因みに、新幹線は往復路共に満席で混雑していたが、嫁が手抜かりなくチケットを手配していたので助かった。感謝である。

 

 

    熱田神宮を参拝      大宇陀の妻の実家前で

 

 令和になったGWの後半は、体調を崩して2日間も寝込む最悪のスタートとなった。先月末に関西方面へ出かけ帰宅直後から両足が浮腫み、しかも体全体の関節が痛み、全く歩行困難になってしまったのだ。GW期間中の病院は休診していると諦めていたが、念のため電話してみると明日(3日)だけ診療を行うとの由。おめでたい令和の幕開けは病院通いから始まった訳だが、医師の診断結果は塩分の過剰摂取によるもので、特に病名は無いと聞かされたが納得しかねた。

 翌日は足の具合が少し良くなったので、都内で下宿する大学4年の初孫に久しぶりに会いたいと電話したところ、早速自宅に来てくれた。連休返上で就職活動中のようだが、幼少時はあれほどやんちゃで活発であった子がすっかり大人しくなり少々驚いた。今となっては14年前の2005年7月にインドネシアのバタム島へ連れて行き、一緒に泳いだことが懐かしくてならない。来春どんな社会人になるのか、期待感もある反面いささか気懸りでもある。

 

 

    世界の人形館で初孫の     インドネシアのバタム島で

     就職活動状況を聴く        一緒に遊泳する 

 

 誰もが初めて経験した10連休というスーパーGWであったが、いいこと尽くめばかりではなく、明暗もあったのではなかろうか?つまり、大型連休格差が生まれたのではなかろうか?GW期間中に数度入院中の妻を見舞ったが、病院で働く看護師や介護士の勤務ぶりは普段通りであった。彼らにとって10連休は無縁だったであろう。足が浮腫んで駆け込んだ病院も、多数の患者で混雑していた。長時間待たされたが、とにかく診てもらった時は有難くホッとした。時折立ち寄る青果店は営業していたが、好物のイチゴが品切れでガッカリした次第だ。

 政府は国民誰もがウィンウィンとなることを期待した今回の10連休と推察するが、現実にはその恩恵に浴することが出来ない人たちが意外に多かったのではなかろうか。医療や介護の関係者は患者を重んずれば長期の連休は取れないし、日給や時間給で働く人たちは収入減は不可避だ。確かに海外旅行組には良いが、その人数は総人口の1割にも満たない少数派であろう。今回の10連休のような半ば強制的な大型連休の推進よりも、むしろ欧米諸国のように各人が取りたい時に長期の連休が自由に取れるよう、社会制度を変革すべきではないかと思料する。

 

 最後にもう一つ気になることがある。新元号「令和」の選定過程などを振り返ってみると、安倍晋三首相が主導したと思われる強い政治色の臭いがすることだ。また、今回の長過ぎた10連休も、7月の参院選や10月の消費税値上げなどを意識した、安易なポピュリズムと受け取らざるを得ない。

 

(後記)

  大手百貨店の10連休の期間中の売上高の伸び率は、前年の同時期に比べて数%増と期待外れに終わったようだ。やはり「休みが長過ぎた」という声があった由。

 

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平成最後のブログ:春の東北路とインバウンド
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 少し旧聞になるが、10日前の4月16日から3日間、宮城県と山形県を回った。初日は新幹線で午前10時過ぎに仙台駅に着き、三月のひまわりの代表、星野真弓さんに合流した。去る2月下旬に宮城県の被災地、南三陸町を訪れた時にもお付き合いして頂いた彼女だが、今回は2日間ほぼフルアテンドをお願いした。駅には南三陸ホテル「観洋」の伊藤峻次長が迎えに来られ、以降ずっと車でご案内して頂いた。感謝、感謝である。

 

 3.11大震災後の東北復興のため社会貢献する星野さんの人脈を辿る最初の訪問先は、石巻市の「石巻珈琲工房いしかわ」の石川光晴社長。元々は義歯を作っておられたが、20年ほど前にコーヒー好きが高じて焙煎機を購入し、今や東北を代表するコーヒー屋さんになった異色の経営者だ。焙煎機がある工房で美味しいコーヒーを飲んだ後、石巻有数のレストラン・浜長で新鮮なお刺身料理をご馳走して頂くなど思いもよらぬ歓待に大感動。また、筆者は現役時代の商社マン時代にコーヒー豆を担当していただけに、懐かしく話が殊の外弾んだ。

 ちょうど工房いしかわで居合わせたのが、様々な木製品を制作する木工の工房、木遊木の遠藤伸一社長。東日本大震災で最愛の3人の子供さんを亡くし、大震災後の人々の姿を追ったドキュメンタリー映画「一陽来復」に主演格で出演している。被災者でありながら、被災者を支援する社会貢献活動家でもある。遠藤さんとお別れする時に木製のメモ・ペン立てのお土産を頂戴したが、温もりと安定感がある作品で、早速の自宅の書斎に置き愛用している。

 

  

 珈琲工房いしかわで、石川社長、 浜長で絶品の魚料理を賞味

遠藤社長、星野代表、伊藤次長と

 

 次に向かったのが、大震災で被害を受けたが壁新聞を発行したことで菊池寛賞を受賞した石巻日々新聞、児童74人と教職員10人が死亡した代表的な震災遺構の旧大川小学校、三男を亡くし大川小学校児童の遺族である佐藤和隆さんと水耕栽培の野菜工場などだが、特に小学校と水耕栽培が印象的であった。

 その後は石巻市に隣接する登米市のヘラブナの釣り場として知られている平筒沼に寄り、宿泊地の南三陸町に入りホテル観洋に投宿した。夜は前回(2月)と同様に齋藤左恵子さんも加わり楽しい夕食を取った後、なんと20年ぶりにカラオケを堪能したが、同席者は筆者の年相応の古い歌に辟易し困惑したであろう。

 

 

旧大川小学校を背にする筆者 佐藤さんの水耕栽培の野菜工場

 

 翌17日は 観洋の女将・阿部憲子さんと懇談後、石巻市に住む日野峻さんが運転する車で各地を回った。元教頭先生をされた人で、今は総合コンサルタントをしておられる本当に親切な方である。先ず、石巻市のお茶やおしゃべりを楽しめる図書館・百俵館を訪れた後、東松島市の防災体験型宿泊施設・KIBOCHA(キボッチャ)、松島町の奥松島と磯崎に寄った。磯崎ではホタテの浜焼きに舌鼓を打ち、近くの高城駅から電車に乗って仙台に向かった。

 同地では深松組の気鋭の深松社長を訪ね、ミャンマーなどの案件で情報交換した。その後は名残惜しかったが星野さんと別れ、体調が良かったので帰京せず、急遽隣の山形県の山形市へ電車で向かった。車窓から眺める風景は山また山で、奥羽山脈越えだ。山越えが終わると、急にパッと開けた山形盆地に出る。村山盆地とも言われる盆地に抱かれているのが、目的地の山形市だ。

 

 

平筒沼ふれあい橋で星野さんと  ホテル観洋で阿部女将、

 まるで親娘のよう!?     日野さん、星野さんと

 

 到着後は駅構内にある観光案内所で問い合わせたところ、南東郊外の蔵王温泉が面白いと聞きバスで向かった。乗ること小1時間で温泉に着いたが、既に午後7時近くになり宿探しで思いのほか手こずり、結局バスターミナル前の「つるや」という旅館で泊まった。自噴する自家源泉は蔵王特有の乳白色の強酸性で硫黄の香りがし、長旅の疲れを癒すことが出来たのが気に入り、翌朝まで3度も温泉に入るほどであった。翌18日は朝早くから、樹氷通りなど蔵王山麓の町をぶらぶらしたが、標高が880mもあるので残雪が見受けられて外気もヒンヤリだ。

 旅館から蔵王ロープウェイに乗ることを勧められ、乗ること約20分で標高1661mの地蔵山頂駅に着いた。そこは日本でも有数の蔵王温泉スキー場のゲレンデが広がり、スキーヤーが颯爽と滑っていた。駅舎の上には展望台があり、360度の素晴らしいパノラマが広がる。周りの蔵王連峰などの山並みは今も白く冠雪し、因みに厳冬期は見事な樹氷で知られる。展望台から下りてゲレンデを散策したが、積雪はまだ1m以上もあり歩くのが困難で何度も滑って転んだりもした。ここでタイから来た老夫婦と娘の親子3人連れに出会ったが、雪の無い南国から来ただけに初めて雪に触れたのであろうか大喜びで、記念写真を撮ってあげた。

 

                −−− 蔵王温泉スキー場 −−−

 

 未だ雪化粧の蔵王の山並み     ゲレンデで寛ぐ

 

 下山後は山形市に戻り、山形駅近くにある霞城公園(山形城跡)を訪れた。東大手門の手前から眺めると、ちょうど満開の桜がお堀に美しく倒映して絶景だ。城内に入ると広場になっており、中央付近には最上義光公の騎馬像が立つ。また、広場の南側は桜の木がずらりと並んで咲き誇り、桜並み木の下は花見客でいっぱい。筆者も近くの売店でお団子とイチゴを買い、賞味しながら暫し花見を堪能した。ここでもおやっと思ったのが、タイ人観光客の姿が目立ったことだ。午後2時過ぎに新幹線に乗り帰途に就いたが、車窓からも桜花爛漫を眺めることが出来た。

 

          −−− 山形市の霞城公園 −−−

 

     東大手門付近      城内に咲く見事な桜

 

 春の東北路を行くこの旅で、特に印象的なことが2つある。一つは大震災前は風光明媚であったろう奥松島の海岸が、見上げるように高い無機質なコンクリートの防潮堤に遮られ全く見えないことだ。いくら防災のためとは言え、巨費を投じて美しい自然を破壊してまでも無粋な防潮堤と言う箱物が果たして必要であったかどうか?疑問視せざるを得ない。

 もう一つは蔵王温泉スキー場や山形市の霞城公園で見かけた、タイ人観光客のなんと多いことか。近年のインバウンド(訪日外国人旅行)急増の効果は、大都市ばかりではなく地方でも波及している様だ。2020東京オリンピック・パラリンピックを控え、誠に喜ばしいことである。

 

 最後に、2日間まるで親子のように接して頂いた星野さんに多謝したい。私事で恐縮だが、筆者には2人の50代の息子がいる。だが、不運にも娘には恵まれなかっただけに、実の娘と一緒に旅しているのではないかと錯覚するぐらい、楽しい春の東北紀行を堪能した次第だ。この旅の数日前に誕生日を迎えた経緯もあり、いつまでも82歳の良き想い出として記憶に残ろう。

 

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連続爆発テロで緊迫するスリランカの旅(1)
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 昨日(4月21日)はキリスト教のイースター(復活祭)であったが、キリスト教徒や外国人を狙ったような残忍なテロがあった。スリランカの最大都市コロンボをはじめ3都市で、キリスト教会や高級ホテルなど8か所で連続爆破テロがあったのだ。日本人女性1人を含む253人が死亡、約500人(4人の日本人含む)が負傷した由。

 コロンボではシャングリラホテルやシナモン・グランドホテルなど4つの高級ホテル、聖アンソニー教会、デマタゴダ地区のほかに、コロンボ北郊外のネゴンボの聖セバスチャン教会や、東部のバティカロアのザイオン教会でほぼ同時に爆発があ

爆発が起きた教会内部

(ネットより転用・加工)

り、自爆テロと見られる。死者は日本人に加え、アメリカ・イギリス・インド・中国・ポルトガル・オランダなど外国人も多く含まれている模様。犯行声明は出ていないが、イスラム国(IS)とつながるイスラム過激派組織(ナショナル・タウヒード・ジャマアート」(NTJ))の関与が濃厚のよう。

 

 スリランカと言えば、昔から紅茶で有名だが、近年は26年間も続いた内戦が国際的に知られる。2009年に多数派で仏教徒のシンハラ人と少数派でヒンドゥー教徒のタミル人との内戦が終結し、経済成長が続いている。在留邦人は800人近くおり、日本からの旅行者も増加の一途で2016年には約45000人に達した。失うものはあっても、得るものが無いのが内戦である。その再発を誰も望むまい。

 そんなスリランカを危険な激しい内戦の最中、22年前の1997年12月に旅したが、コロンボはゴーストタウンと化していた。だが、美女のフレスコ画が鮮やかなシギリヤ・レディで有名な一枚岩のシギリヤ・ロック、「スリランカの京都」と呼ばれる古都キャンディ、グリーンカーペットのような広大な茶畑、インド洋に面した美しいビーチなど観光資源が素晴らしい。今回はコロンボとその以北を紹介する。

 

 

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 面積は日本の約6分の1の6万5525k屬如⊃邑は約2100万人であるから人口密度は日本と同じだ。首都は1985年にコロンボから遷都されたスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテ(通称コッテ)で、コロンボの中心部から南東約10kmに位置する。市街地はコロンボと隣接しており、実質的にコロンボの一部とも言えよう。人口約75万人のコロンボはスリランカ西岸に位置する同国最大の港町で、今も植民地時代の街並みが残る。

 

 街の中心は、コロンボ港とベイラ湖を繋ぐ運河を鋏んで西側に位置するフォート地区と、運河の東側にある庶民的な下町のペター地区から成る。官公庁やオフィスが多いフォートでひときわ目立つのが時計塔 で、この時計塔から300mほど北東、目抜き通りヨーク・ストリートに建つカーギルスは、1844年創業の老舗百貨店だ。大通りに面して堂々と建つ重厚な姿は、植民地時代の栄華を物語る。ただ、この辺りの高層ビル(世界貿易センターなど)は、内戦による爆弾テロで壁や窓が吹き飛ばされたままになっていた。

 

 

コロンボ市街地とインド洋俯瞰 カーギルス付近を散策する筆者  

 

 フォートの南、ゴール・ロード沿いに広がるインド洋に面しているのがゴール・フェイス・グリーンという緑地だ。広い芝生でホッケーなどに興じる人たちがいたが、日没時になると夕陽がインド洋を赤く染める。一方、ベイラ湖のすぐ南にはヴィハーラ・マハデーウィ公園があり、かつてはシナモンの栽培が行われていた。広い園内では花々が咲き乱れ、仏像も立っている。南郊外にあるデヒワラ動物園はアジア最大級の動物園と言われるが、オランウータン以外は物足りなかった。

 

 

ゴール・フェイス・グリーン ヴィハーラ・マハデーウィ公園

 

 スリランカで一番人気のある観光地と言えば、コロンボの北東163kmにあるシギリヤ・ロック。5世紀に狂気の王・カッサパ1世によって建造された都市遺跡で、ジャングルの中に忽然と立ちはだかる標高370mの岩山だ。エアーズロックに少し似ているが、頂上部分はライオンの頭の形をしている。蓮の水路というお濠を渡って岩山に向かっていくと、水の広場がある。そこには王の沐浴場などがあり、広い庭園になっている。そこを通り抜けていくと、愈々シギリヤ・ロック登山の始まりだ。

 

 

   シギリヤ・ロック    シギリヤ・ロック前に立つ

 

 初めは巨大な岩が折り重なる間を抜け、しばらく石の階段を登って行くと鉄製のらせん階段があった。その階段を上り西側の断崖の中腹に着くと、謎に満ちたシギリヤ・レディのフレスコ画が現れる。当初は岩肌に約500人の女性が描かれていたが、王宮の女性たちを描いたとも妖精の姿であるとも言われる。現在見ることができるのは18体のみだが、色彩は今も鮮やかで美しい。フレスコ画の下に位置する回廊の壁はミラー・ウォールと呼ばれ、鏡の回廊を見て進むとライオンの入口という踊り場に出る。

 巨大なライオンの爪の形をした宮殿の入口があり、断崖絶壁にへばりつくように延びる急な石段を登り切り頂上に辿り着いた。そこには王宮跡などがあり、天界へ昇ったような眺望が開けていた。周囲360度には見渡す限りの緑の樹海が広がり、その絶景に思わず息を呑んだ。

 

 

シギリヤ・レディを背にして      宮殿の入口付近

 

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 訪問時は内戦が続いていたため全般的に鬱陶しいムードの旅であったが、一つだけ心も体もリラックスできるものがあった。それはインド伝来の伝統的な医学であり究極の健康法であるアーユルベーダ を体験したことだ。マッサージ中はつい眠くなるほど気持ち良く、およそ1時間後に終わったが、心体ともに爽快であった。

 

              ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

 スリランカ内戦を詳述した筆者(ペンネーム:高やすはる)の著書がありますのでご案内します。

272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった1人で紛争地を旅した!

 

      

      幻冬舎 定価本体1,400円+税 

 

 最寄りの書店でお買い求め可能です。また、アマゾンなどインターネットショッピングもできます。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫十分な世界の人形館でお求めできます。ご連絡下さい。

お問い合わせ:世界の人形館 
                     TEL 04−7184−4745

       携帯 090-8726-5599
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| 世界の旅−アジア | 20:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
紙幣のデザイン刷新と、紙幣から世界が分かる
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 5年後の2024年に現在の1万円、5千円、千円の紙幣デザインが一新される。特に注目される紙幣の顔とも言うべき表面のデザイン(肖像画)は、1万円札は福沢諭吉 ⇒ 渋沢栄一、5千円札は樋口一葉 ⇒ 津田梅子、千円札は野口英世 ⇒ 北里柴三郎へとバトンタッチされる。渋沢栄一は「日本の資本主義の父」と呼ばれ数多くの銀行などの設立に関わった実業家、津田梅子は日本初の女子留学生となり津田塾大学を創立した教育者、北里柴三郎は血液中から抗体を発見した「日本の細菌学の父」として知られる。

 日本の紙幣の肖像画は政治色の強い政治家や軍人は外されて文化人から選ぶとされ、外国の紙幣と異なるのが特色だ。また、時代的には明治以降に絞られ、我が国初のノーベル賞を受賞した湯川秀樹など昭和の偉人は早すぎるとして人選から外されるようである。因みに、かつてお札の顔の決め手の一つになったのはヒゲとされ、伊藤博文はその代表例だった。現在のように偽造防止技術が高くなかった昔は、ヒゲの有無が肖像画の人物選定を左右したとか。

 

 さて、紙幣の表デザインは人物であるのが日本では定説だが、世界の紙幣に目を向けると、基本的には元首や政治家などの人物だ。しかし、一部の地域、特にアフリカ諸国は人間以外が多くユニークだ。例えば、南アフリカに棲息するライオン・ヒョウ・ゾウ・サイ・バッファローは「ビッグ5」と称され、紙幣の表デザインに全て採用されている。ほかに、コンゴ民主(旧ザイール)はゾウ・ライオン・サイ、タンザニアはキリン・ゾウ、ルワンダがシマウマ、ソマリランドはバッファロー、リビアのラクダが表デザインになっている。また、紙幣の裏面デザインでも野生動物になっている国がアフリカでは多い。

 

 

     南アフリカのライオン     タンザニアのキリン

 

 では、なぜアフリカでは野生動物が紙幣のデザインになるのであろうか?アフリカは野生動物の宝庫と言われ、外貨獲得のための重要な観光資源になっている。しかし、貧困による密猟や森林伐採、急速な人口増と経済発展などが原因で、野生動物の減少問題が深刻である。従い、関係国ではそれなりに問題意識を持ち、紙幣のデザインに採用するのであろう。因みに、アジアでも、インドネシアのサイ、スリランカのゾウ、ネパールのトラ、カンボジアの牛、ミャンマーや香港の獅子像などがある。

 

 

  スリランカの盛装したゾウ    インドネシアのサイ

 

 また意外に多いのが鳥類で、アフリカのウガンダ、ガンビア、サントメ・プリンシペ、シエラレオネ、ザンビアでは表デザインになっている。ほかに、オセアニアのパプアニューギニア、大西洋に浮かぶバミューダ、カリブ海のキュラソー(オランダ領)やトリニダード・トバゴ、シンガポールなどがある。さらに、ニュージーランドが発行した南極の1ドル札にはペンギンが登場する。

 

 

        キュラソーの鳥       南極のペンギン

 

 建造物や遺跡も結構多い。ヨーロッパ(CIS独立国家共同体含む)では共通通貨ユーロ、ロシア、ベラルーシ、沿ドニエストル、アゼルバイジャンの表デザインがそうだ。アジアでは北朝鮮、マカオ、カンボジア、ベトナム、バングラデシュ、アフガニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンなどがある。アフリカではモザンビーク、ブルンジ、スーダン、ケニア、ガーナ、ソマリランドがあるほか、中東でもアラブ首長国連邦、イエーメン、シリア、レバノン、エジプトがある。また、オセアニアではサモアやクック諸島、南米のスリナム、カリブ海のドミニカやハイチ、中米のエルサルバドルなどもある。

 因みに、日本でも戦前はよく採用され、近年では沖縄の守礼門がデザインになっている2千円札がある。

 

 

 ンボジアのアンコールワット レバノンのバールベック

 

 世界は広いと実感するのが、上記以外も紙幣の表面デザインになっている例だ。ジンバブエではなんと石が表デザインになっている。これは国名が現地語(ショナ語)で「石の家」を意味するほど、文字通り石が国のシンボルなのだ。南米のガイアナなど国土を表す地図、クック諸島は怖そうなサメ、ニューカレドニアはマンタや海亀、クウェートやモルディブは帆船、アラブ首長国連邦は半月刀がデザインになっており興味深い。

 

 

   ジンバブエの石       クック諸島のサメ

 

 全体的には世界の紙幣の表デザインは、やはり元首などの人物が多いが、その中には変わった肖像画がある。例えば、同一人物の肖像画が上下対称になっているブラジルの20レアル札、エベレスト初登頂したヒラリー卿のニュージーランドの5ドル札、少年が勉強するサモアの5ドル札が人目を引く。だが、最も多く肖像画になっているイギリスのエリザベス女王には敵わない。世界の約4分の1の国・地域の紙幣の肖像画は同女王が占め、かつて大英帝国として君臨した植民地時代の輝かしい名残を見ることができる。 

 

 

  ブラジルは人物が上下対称  ベリーズのエリザベス女王

 

 紙幣を見る度に想うのは、そのデザインなどから各国の政治・経済・歴史・文化などを窺い知ることが出来ることである。つまり、紙幣は単なるお金ではなく、世界の実態がよく分かる絶好の教材とも言えよう。

 以上、世界の紙幣をざっと紹介したが、興味ある方は世界の紙幣を多数所蔵する筆者のプライベートミュージアム「世界の人形館」をお訪ね下さい。272の国・地域を旅した私ことワールド・トラベラーが半世紀近くにわたり、現地で買い集めた紙幣がご覧になれます。

 

            ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者が館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。社会貢献活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−

  

 

 なお、セキュリティなどのため、下記要領で必ず事前に予約をお願いします。
TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp 

 

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| 国内経済 | 16:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
イタリアが参画する中国の一帯一路とトリエステ慕情
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 本日は朝からずっと待っていたことがあった。それは新元号の発表で、正午前に知らされたのは「令和」である。従来の元号は中国の古典からの出典であったが、今回は国書とも言うべき我が万葉集からの出典で、言わば初の国産元号となる。評価は種々あろうが、概ね良い新元号ではなかろうか。

 

 さて、我が国の改元にゆかりのある中国だが、2013年から同国の習近平国家主席の肝いりで始まった壮大なシルクロード経済圏構想「一帯一路」が、欧州連合(EU)をのみ込もうとしている。10日前の3月23日にイタリアのコンテ首相は、イタリアを訪問中の習近平国家主席と会談し、巨大な経済圏構想「一帯一路」に参画する旨の覚書に署名した。これはG7、いわゆる主要7ヵ国では初めての署名で、中国のヨーロッパ進出を加速させ、欧州連合(EU)の分断に油を注ぐ事態になりかねないとしてEUは警戒する。

 件の覚書は30ほどの分野で経済協力に合意し、イタリアが約70憶ユーロ(約8700憶円)のチャイナマネーを得ようというもの。さらに、地中海と中東欧を結ぶ拠点となるイタリアのトリエステ港の開発に対し、中国企業が参入する。実は覚書には既にEU加盟国の13ヵ国が署名済みで、例えばエストニア・ラトビア・リトアニア・ポーランド・チェコ・スロバキア・ハンガリー・スロベニア・クロアチア・ブルガリアの中東欧諸国に加え、ポルトガル・マルタ・ギリシャも参画している。

 

 因みに、一帯一路は略称で、正式名はシルクロード経済ベルトと21世紀海洋シルクロードだ。中国語では丝绸之路经济带和21世纪海上丝绸之路、英語では The Silk Road Economic Belt and the 21st-century Maritime Silk Roadと言う。具体的に「一帯」とは、中国西部から中央アジア(カザフスタンなど)を経由してヨーロッパへと続く「シルクロード経済ベルト」を指す。また、「一路」とは中国沿岸部から東南アジア、スリランカ、アラビア半島の沿岸部、アフリカ東岸、地中海を結ぶ「21世紀海上シルクロード」を指す。一帯一路の構想ルートはいくつかあるが、下図が主要ルートである。

 

 

 

 具体的には、中国とヨーロッパの間にある中央アジア・中東・アフリカの国々では、道路・鉄道・港・通信網などのインフラが不足している実情に鑑み、これらを整備して貿易や交通を便利にするのが狙いだ。この目的に必要な資金を出すため、中国は2015年にアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立したほか、シルクロード基金と呼ぶ特別資金も用意している。要するに、一帯一路に参加する国々の間で、貿易の自由化や投資を推進することを目指しているのだ。

 

 中国が描くその戦略の核心は、一帯一路を媒介にして世界経済を牽引 or 制覇しようと言う野望であろう。よって主要国の一つと目されるイタリアが、一帯一路のメンバーになった心理的なインパクトは大きいと言えよう。一方、アメリカのトランプ大統領から関税見直しなどを迫られ、同様にアメリカの圧力を受けるEUへの接近を目論む中国の強かな戦略を垣間見ることができる。また、中国は多国間主義や自由貿易をアピールするが、これはヨーロッパが本来理念とするものと一致し、一帯一路の推進に自信を持っているようだ。

 

 今や参加国は123ヵ国まで増え拡大する一途だが、種々問題点があることも顕在化している。例えば、中国から融資を受けた発展途上国が莫大な債務を負わされ、借金の肩代わりとして土地を取り上げられるなど問題になっているのだ。特にパキスタン、スリランカ、マレーシア、ミャンマー、ジブチ、モルディブ、ラオス、モンゴル、キルギスなどでは深刻で、港湾の運営権などを中国側に譲渡する始末だ。

 今回のイタリアの参画で脚光を浴びたのが、アドリア海に臨む港湾都市トリエステだ。世界的に有名な水の都ヴェネツィアに近く、また隣国のスロベニアとの国境近くにある港町である。272ヵ国・地域を旅した私ことワールド・トラベラーは2005年3月に訪れており、その旅の模様を紹介しよう。

 

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 イタリア北東部にあるトリエステは、スロベニアとの国境まで僅か12kmに位置するイタリア東端の港町である。人口は約20万人で、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア自治州の州都だ。ヴェネツィアから東へ157km、急行電車に乗ること2時間ほどで到着した。古代ローマ時代に源を発する町の歴史は、他国との国境近くにあるため目まぐるしい変遷を遂げてきた。中世はヴェネツィアの支配下に入り、その後は第一次世界大戦までオーストリア・ハンガリー帝国の統治下で繁栄した。

 この大戦後にイタリア王国領となったが、第二次世界大戦後はユーゴスラビアと帰属を巡って紛争し、1947年には国連管理による「トリエステ自由地域」になった。その後1954年に取り交わされたロンドン覚書により自由地域はイタリアとユーゴスラビアに分割され、地域の北側をイタリアが併合して今日に至っている。複雑な歴史的背景や特殊な地理的要因により、言葉も民族も多様で一種独特の雰囲気がある。風光明媚なアドリア海に面した坂が多い港町は、イタリアの他の都市には見られない解放感も漂う。

 

 

 トリエステの市街地と港 港を散策するワールド・トラベラー

 

 東ヨーロッパとの国境にあり、歴史的に多くの民族や国家の支配を受けてきたトリエステだが、とりわけ近代で最も影響力が強かったのがオーストリアのハプスブルク家だ。オーストリアの影響を色濃く受けた街には、中世から現代に至るまでの貴重な歴史的建築物を見ることができ、特にバロックやネオクラシックの建物が多い。

 必見は、先ず街の中心にあり、優雅な建物が囲むウニタ・ディタリア広場(イタリア統一広場)である。トリエステ中央駅から海沿いに歩いて10分ほどにあり、トリエステで一番大きな広場だ。市庁舎や州庁舎、ヴェルディ劇場、旧ローイド・トリエスティーノ宮殿などの立派な建築物が広場を囲み、細かな装飾が施された建物群が美しい。

 

 広場の北側にあるヴェルディ劇場は、イタリアの大作曲家ジュゼッペ ・ヴェルディを称えて名付けられた豪華な歌劇場だ。オーストリア統治下の1801年に創設されてから現在までトリエステの文化イベントの中心となっており、世界的に有名なバレエやオペラなどの公演を鑑賞できる。建物の正面は窓や柱頭などの細かな装飾が印象的で、上演ホールのシャンデリアや天井のフレスコ画などの内装も息を呑む美しさだ。

 広場の南側に位置する市庁舎は1870年代に建てられたもので、正面にあるバルコニーはかつて独裁者ムッソリーニが演説した時に使われた。ヴェネツィア・トスカーナ・フランス・ドイツの各様式が取り入れられ、特に注目すべきは左右対称のデザインになっているファサードだ。またゴシック様式の窓なども特徴的で、中央の建物の上にある時計台は毎正時になると2 体の青銅製の人形が時計の鐘を鳴らす。

 

  

 市庁舎を背にしてウニタ・     ヴェルディ劇場

 ディタリア広場に立つ筆者 

 

 ほかに見逃せないスポットとして、ウニタ・ディタリア広場から南東約600mにあるサン・ジュスト大聖堂がある。ロマネスク様式の2つの聖堂が合体したもので、正面にはバラの形をした窓がはめ込まれている。内部はフレスコ画が描かれた天井や床のモザイクが目を引き、また傍にある15〜17世紀に築城のサン・ジュスト城からはトリエステ市内が一望でき絶景だ。

 一方、郊外ではトリエステ中心部から北西に8kmほど、アドリア海岸沿いに建つミラマーレ城がお勧めだ。19世紀に建てられた優雅な城は、外壁が白く美しいことから「白亜の城」として知られる。重厚で赤を基調とした豪華な造りになっている城の内装や、温室を含めた庭園も素晴らしい。

 

 さらに、カフェと言う意外な見どころがある。トリエステには素敵なカフェが多く、カフェ・サン・マルコなど150年以上もの長年にわたり多くの文化人たちに愛されてきた老舗カフェが街中に点在する。また、イタリアのコーヒーメーカーを代表する「illy」の本社があるのも、ここトリエステである。

 

 

       ミラマーレ城      カフェ・サン・マルコ

 

 「コーヒーの街」とも呼ばれるルーツは18世紀に遡る。当時の町はアフリカからヨーロッパに運ばれるコーヒーの経由地点として発展し、19世紀には多くのウィーン風のカフェが造られた。ドイツの詩人リルケなど各国の文豪が集まった国際的な「カフェの街」として発展し、今もその名残で素敵なカフェが多い。

 

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 世界的なスケールで一帯一路を主導する中国に対し、我が日本は環太平洋パートナーシップ(TPP)を主導る。だが、その規模から言えば、当初は参加予定であったアメリカが抜けたため、TPPは一帯一路の足元にも及ばない。一方、順風満帆のように見える一帯一路だが、同時にリスクも抱えているようだ。そのリスクヘッジのため、いずれ狡猾な中国は日本を誘い込むであろう。その時に日本政府はどのように対応するのか注視したい。

 

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ニュージーランド銃乱射事件で想起したNZ南島の旅(1)
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 少し旧聞になるが、1週間前(3月15日)に美しい自然に恵まれ、治安が良く移民にも寛容なニュージーランドで痛ましい事件が起きた。ニュージーランドは北島と南島から成る島国だが、南島にある中核都市クライストチャーチでイスラム教の礼拝所(モスク)2か所(ヌールモスク&リンウッドモスク)が武装した男に襲われたのだ。4

 2人がヌールモスク、8人がリンウッドモスクで合わせて50人が死亡、48人が負傷した。犠牲者はニュージーランド人・パキスタン人・ヨルダン人・インド人・アフガニスタン人・バングラデシュ人・エジプト人・インドネシア人・フィジー人など12か国・地域に及ぶ。

 

  

  ニュージーランド全土図      ヌールモスク

               (ネットより転用・加工)

 

 殺人罪で起訴された被告は28歳の白人オーストラリア人で、以前からヨーロッパなど世界各地を旅行していたとか。特に2年前からはクライストチャーチの南西360kmほどにあるダニーデンで住み、1年前から射撃クラブで射撃練習をしていた由。また、被告は5丁の銃を合法所持し、同地の銃販売店でも購入していたようだ。名実ともに平和な同国だが、460万人の人口に対して120万丁もの所持される隠れたる銃大国とは意外である。その背景として、同国には狩猟を趣味とする銃愛好家が多いことが挙げられる。

 

 被告の犯行声明によれば、旅行したヨーロッパで多くの非白人、いわゆる有色人種の移民や難民を見て彼らへの反撃を企てたとされる。今世紀に入り世界は益々グローバル化が進む一方、今もなお白人の優越を信じる思想が根強く残っている。それが白人vs非白人の闘いにまで飛躍する危機感を煽るようだが、斯様な差別思想を育んだものは何であったか考察する要があろう。

 現実の事象として、近年欧米諸国では政治家たちが深刻な社会問題を移民問題にすり替え、人気取りを狙うポピュリズムが目立ち気懸りである。その好例がアメリカのトランプ大統領で、中南米から来た移民を犯罪者呼ばわりしたり、高い壁の国境線を作ろうとする。また、白人至上主義に同調するような同大統領の発言もあり、この事件の被告がなんとトランプ支持者だとか。

 

 観光や留学などで多数の日本人が訪れるニュージーランドランドを、筆者は1982年10月の初訪問を皮切りに、1996年11月、2008年8月〜9月、2012年4月に旅するほど大好きな国の一つである。国土面積の約6割を占め、今回の事件があった南島の旅、都市編を紹介しよう。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━

 

 クライストチャーチは南島最大の都市で、人口は約35万人。1996年の旅では「英国以外で最も英国的な町」と称えられる街は盛夏を迎え、ガーデン・シティに相応しく花が咲き乱れていた。英国の雰囲気が漂う街の中心地はクライストチャーチの象徴と言われる大聖堂が建つ大聖堂スクエア。高さ63mの尖塔を持つ大聖堂は1904年完成の壮麗なゴシック建築で、内部は特にステンドグラスが目を引く。133段の階段を上って高さ36mの展望台に出ると、市街中心部のクラシックな街並みが見渡せる。12年後の旅では大聖堂の斜め向かいに銀色に光る斬新なモニュメントを見かけたが、チェリスと言い古い街並みの中でむしろ新鮮さを感じた。

 

             −−− 大聖堂スクエア −−−

 

 大聖堂(左)とチェリス     スクエアの筆者

 

 この街のもう一つのシンボルと言えば、街中を蛇行して流れるエイボン川。南島のアルプスの雪解け水が平野部で泉となって湧き出し、それを集めて流れる清らかな水だ。天に伸びるほどのポプラ並木や柳が水面に映り、緑豊かな美しい風景が広がる。パンティング(舟遊び)をするゴンドラが時折行き交い、ゆったりと流れ下って行く情景はそこはかとなく旅情を誘う。因みに、この水辺の美しさが最大限に活かされているのが、約2km郊外にあり19世紀末のビクトリア様式が優雅なモナ・ベイル邸だ。

 

                      −−− エイボン川 −−−

  

    妻と河畔を散策     パンティングするゴンドラ 

 

 一方、ダニーデンはクライストチャーチに次ぐ南島第2の都市で、人口は約13万人。スコットランド風の名残りを留める落ち着いた街並みだ。19世紀中頃の金鉱発見に沸いた時に活躍したのがスコットランドからの移民で、彼らが祖国を懐かしみ石造りの立派な建築を再現した町がダニーデンだ。「南海のエディンバラ」と呼ばれる街を散策していると、一瞬スコットランドのエジンバラ辺りにいるのではないかと錯覚する。町のヘソとなるのはオクタゴンと呼ばれ、八角形をした広場は緑地帯になっており、歴史的建造物が周辺に集中している。

 例えば、広場のほぼ真ん中に堂々と建つセントポ−ル大聖堂lは、1915年から4年かけて建てられたネオゴシック様式のアングリカン(英国国教会)だ。オマルストーンという良質の石灰岩造りで、訪れたのが日曜日で厳粛なミサが行われていた。この大聖堂から東へ約700mには宮殿風でもあり城塞風でもあるダニーデン鉄道駅がある。1906年に建てられた壮麗な外観も素晴らしいが、内部はエントランス・ホールなども見応えがある。ほかにギネスブックにも載っている世界一の急坂があるボルドウィン・ストリートなど、見どころはクライストチャーチよりも多いかも知れない。

 

 

       オクタゴン       セントポ−ル大聖堂

 

 ダニーデン鉄道駅を背にして   ボルドウィン・ストリート  

 

 過去4度のニュージーランド訪問で、1度だけ妻と一緒に旅したことがある。1996年の旅行だが、当時はまだ彼女は元気であった。私事になるが、その後15年ほどしてから不治の病(認知症)の症状が出始めた。その後4年前から入院し、間もなく延命医療を受け始め今日に至っている。特にクライストチャーチ滞在中、エイボン河畔を一緒に散策した想い出が走馬灯のように駆け巡り忘れ難い。

 

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 今回の事件の犠牲者の中には、シリア難民の家族も含まれる。やっと辿り着いたであろう幸せの新天地が地獄になろうとは、全く想定外であったであろう。非情な乱射事件がもたらした悲しみに思いを馳せ、差別や分断のない平和な世界を構築したいものである。

 

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インドとパキスタンが領有権を争うカシミールの桃源紀行
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 先月(2月)下旬はずっと、ベトナム・ハノイで開催されたアメリカと北朝鮮の首脳会談に関する話題で持ちきりであった。その焦点は北朝鮮の非核化であったが、その陰に隠れるように勃発したのが、核兵器を持つインド・パキスタン両国の軍事衝突。そのきっかけは、インドとパキスタンが領有権を争うカシミール地方で2月中旬に起きたテロ事件だ。インド側のジャム・カシミール州の州都スリナガルの郊外プルマワで、インドの治安部隊40人が殺害されたのだ。

 インド政府はパキスタンから越境してきたイスラム過激派組織、ジャイシェ・ムハマド(JeM)の犯行と主張し、拠点とされるパキスタンの首都イスラマバードから北約100kmのバラコットを空爆した。その後はカシミールの実効支配線になっている停戦ラインを挟んで両国戦機による空中戦となり、インドは相手の1機、パキスタンは同2機撃墜した由。カシミールを巡りこれまで時々地上で砲撃戦があったが、空軍機が打ち合うのは極めて異例である。

 懸念されるのは両国の現政権が国内の支持固めのため、強硬な手段に訴え兼ねないことだ。インドのモディ首相は4〜5月に総選挙を控えてパキスタンに弱腰を見せられず、昨年8月に就任したパキスタンのカーン首相も総選挙で「インドに絶対譲歩しない」と訴えていたからだ。

 

 

 

 長年懸案になっているカシミールの帰属は、1947年に両国がイギリスから独立以来の争いの根源と言えよう。特に、1971年まで3度もインド・パキスタン戦争が起きたが、その当時と現在では情勢が全く違う。つまり、1998年に両国は競うように核実験を繰り返し、インド約130、パキスタン約140の核弾頭を持つ核武装国になっているのだ。このまま両国の武力衝突がエスカレートすれば、アジアは勿論、世界の安全保障にとっても大きな脅威となろう。

 早速インドとパキスタンの夫々の友好国、アメリカと中国が憂慮し、仲裁に乗り出す構えを見せている。しかし、超大国の関与は不必要な内政干渉にもなり、シリアなどの例を見るごとく代理戦争 or 内戦を誘発するリスクをはらんでいる。やはり、国連を中心にして国際社会は一致協力して両国に圧力をかけ、危機を未然に回避するため速やかなアクションが望まれよう。

 

 そんな危険極まりないと見做されるインド側とパキスタン側のカシミールを、私ことワールド・トラベラーは既に何度も訪れているが、特に印象深かった2008年7月に出かけたインドが実効支配するジャム・カシミールの旅の模様を紹介しよう。

 

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 灼熱の太陽が照りつける平地に位置するインドの首都、ニューデリーからカシミールの最大都市スリナガルに着くと、清涼な空気と桃源郷を思わせるような美しい景観が広がる。しかし、最初に足を踏み入れた空港はまるで空軍基地のように殺風景で、なんとなく物々しい雰囲気だった。タクシーを拾い市内に向かうと、沿道ではおよそ500m毎に銃を持った兵士が立つ。この不気味な光景はスリナガル郊外でも似たり寄ったりで、ずっと東寄りにあるレーでも軍事基地が多いので緊張感が漂う。

 

 先ず、これがインドかと疑いたくなる最北の地、スリナガルは海抜1730mに位置し、まさに桃源郷のような別天地だ。涼風が香る山の空気と鮮やかな緑が長旅の疲れを癒してくれた。ヒマラヤに流れを発して大河インダスに合流するジェラーム川が広い谷を形成し、この盆地状の渓谷の中央に大小3つの湖に囲まれた市街地が広がる。観光のスタートは、町の東にある大きなダル湖がイチ押し。水草が生えて透明度が高い水を湛える湖には無数とも言うべきハウスボートが浮び、周りには緑濃い山々が連なる。名物の手漕ぎの小舟シカラで約3時間の湖上遊覧を楽しんだ。

 

 

     ダル湖とハウスボート   湖上遊覧を楽しむ筆者

 

 ネルー公園になっている小島、スイレンなどが咲く水上庭園、水上マーケットなどを回り、情緒たっぷりのクルーズを満喫した。少しイタリアのヴェニスと雰囲気が似ているダル湖の東岸沿いには、ムガール帝国の皇帝たちが造った庭園がいくつかある。中でもジャハーン・ギール皇帝が王妃のために造ったシャーリマール・バーグが素晴らしく、多くの噴水と背後の山並みが美しい。また、イスラム教徒の街だけにモスクも目立ち、カシミール様式のモスク建築が興味深い。数ある中でも1400年創建のジャマー・モスクは、砂岩造りの荘重なインド・サラセン様式のモスクとして知られる。

 

 

 シャーリマール・バーグ   ジャマー・モスクを背にして 

 

 郊外も見どころが多く、スリナガルの東80kmほどにあるソーナマルグが特におススメだ。標高が2740mもあるので肌寒く、少し走ると息苦しくなる。ポニーに乗って約3kmの先にある氷河近くまで行ったが、緑の草原の背後に聳えるヒマラヤ山脈の雪山が白く輝き感動的であった。

 それはまさに平和そのものの桃源郷を彷彿させる佇まいだが、一方では沿道のあちこちに国境兵士がものものしく警備していた。記念にと一人の兵士と仲良く写真を撮ったものの、やはり積年の紛争の地と気づくと直ぐに我に返った。

 

 

  ソーナマルグで乗馬する    兵士と仲良くなった

                ワールド・トラベラー

 

 イスラム文化が息づくスリナガルから空路で東へ飛び、約45分後に行政的には同じジャム・カシミール州に属するが、チベット的な風土を持つラダック地方の中心都市レーに到着した。飛行中に機内から眺める風景も、緑豊かなスリナガル盆地から厳しく荒涼たるラダック山地に変わる。チベットが源流でインダス河の上流に位置するラダック地方は、「小チベット」とも呼ばれるほどチベット仏教(ラマ教)の世界が広がる。その中心的な役割を担うのがラマ教の僧院ゴンパで、その規模や豪華さは本場チベットの寺院を凌ぐものもあるほどだ。

 レーを拠点にしてインダス河沿いの各地のゴンパを巡ったが、南東郊外43kmにあるヘミス・ゴンパが最も有名だ。17世紀前半に創建されたラダック最大のゴンパで、僧が神々の仮面をつけて豪壮に踊るヘミスの大祭で知られる。レーとヘミス・ゴンパの中間にあるティクセ・ゴンパは15世紀に険しい岩山に砦のように築かれ、ラサのポタラ宮を彷彿させる。ほかに、西郊外約60kmのリキール・ゴンパ、町の北外れの丘にそびえ建つ白亜のシャンティ・シャンカル・ゴンパも見逃せない。なお、レー市内では、町の北背後の岩山に建つ旧レー王宮が必見で、16世紀築の威風堂々の建物だ。

 

 

            ヘミス・ゴンパ                      ティクセ・ゴンパ

 

レ―郊外のマト・ゴンパ付近 シャンティ・シャンカル・ゴンパ

   で少年僧と共に

 

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 仁義なき戦いのような争いを永年続けるインドとパキスタン両国だが、独立前は英領のインド帝国を形成していた仲間だ。お互いに信奉する宗教(ヒンドゥー教とイスラム教)の違いは深刻だが、いわゆる本来は兄弟国である。だが、肉親間の相克は一旦こじれると、修復が至難であるとされるのは古今東西を問わないようだ。

 

                             ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

 カシミール問題を詳述した筆者(ペンネーム:高やすはる)の著書がありますのでご案内します。

272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった1人で紛争地を旅した!

      

      幻冬舎 定価本体1,400円+税 

 

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お問い合わせ:世界の人形館 
                     TEL 04−7184−4745

       携帯 090-8726-5599
        E−MAIL  ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

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