世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
イスラエルと国交正常化したバーレーンの想い出
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 アメリカのトランプ大統領は、11日にイスラエルと中東のバーレーンが国交正常化に合意したと発表した。過去1ヵ月間でアラブ首長国連邦(UAE)に続き、イスラエルと和平合意した2番目のアラブ国である。中東諸国は何十年もの間、パレスチナ問題が解決するまではイスラエルと国交を樹立しない姿勢を貫いてきた。イスラエルは1948年の建国後、アラブ諸国では隣国のエジプトとヨルダンとの間でのみ、平和条約を結んでいる。バーレーンはUAEに続き、イスラエルと外交関係を持つ4番目の国となる。

 トランプ大統領は今年1月、中東和平計画としてイスラエルとパレスチナの紛争解決を打ち出し仲介役を務めて来た。4日後の8月15日には、イスラエルとUAE&バーレーンの両国は、アメリカのホワイトハウスで国交を正常化させる合意文書に署名した。トランプ大統領は他の中東諸国も後に続くことを期待

した一方、イスラエルと対立しているパレスチナ自治政府は、同様の合意をしないよう他国に働きかけている。

 

 さて、話題になったバーレーンだが、筆者は商社マンとしてクウェート駐在時代の1974年5月に初訪問以降、実に16回も訪れているお馴染みの国である。面積は706k屬斑枯島とほぼ同じで、人口が約100万人の小さな島国だ。かつては中東の金融センターであったレバノンのベイルートに代わる地位を得ており、またペルシャ湾地域(現地ではガルフと呼ぶ)では小国とは言え要衝国になっている。我が日本ではあまり知られていないバーレーンが、どんな国かを以下紹介しよう。

 

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 最後にバーレーンを訪れたのは2002年1月で、この時は昨年暮れに他界した妻が同行した。バーレーンの首都マナーマの旧市街玄関のバーレーン門をくぐると、目の前にスークが広がる。迷路状の細い道に、ゴールドショップなどあらゆる店が軒を連ね、雑多な感じだが活気が溢れる光景は、前回訪問時とあまり変わっていないのが嬉しかった。昔足繁く通ったインド出身の合繊織物商店を訪れたが、オーナーは健在で25年ぶりの懐かしの再会を果たした。その後自宅に招かれ食事をしたが、旧知のオーナーの兄が死去したことを知り時の流れを痛感。

 

     −−−バーレーンの旧市街のスーク(市場)−−−

 

 1975年に訪れた筆者   2002年に散策する筆者と妻 

 

 スークがマナーマの古いシンボルなら、新しいランドマークはアフマド・アル・ファティ・モスク。6000人が同時参拝できるグランド・モスクとして知られ、イタリア産の大理石がふんだんに使われるなど、大きくて優美なモスクは世界有数と言える。案内してくれたガイドがなんとドイツ人の女性で、しかもムスリム(回教徒)なので驚いた。空港からシェイク・ハマド・コーズウェイを渡って市内に入りすぐ目に入るのが、白亜の斬新なデザインのバーレーン国立博物館だ。石器時代からイスラム時代にいたるバーレーン史が見学でき、特に古墳や民族衣装関係の展示が見どころ。

 

−−−亡き妻と訪れたアフマド・アル・ファティ・モスク−−−

 

     モスク前で      モスク内

 

 郊外では、1974年〜1977年クウェート駐在時代に頻繁に出張した頃に比べ、バーレーン最大の変貌は、サウジアラビアとバーレーンを結ぶ架け橋キング・ファハド・コーズウェイができたこと。総延長25kmの中間にある展望台から 、アラビア湾を横切り春霞のように煙るアラビア側を遠望できる。当時のサウジアラビアは簡単に入国できず、鎖国状態であった。駐在時代には想像もしなかっただけに、隔世の感があり感無量になった。

 石油が発見される以前のバーレーンの暮らしぶりを知りたいなら、空港近くのムハラク地区と、16世紀に建てられた砦の跡アラッド・フォートが見どころ。砦の前は遠浅の海で、遠くにコーズウェイのモダンな橋が展望でき眺めが良い。

 

 

キング・ファハド・コーズウェイ アラッド・フォート

 

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| 世界の旅−中東・北アフリカ | 10:03 | comments(0) | - | - | - | ↑TOP
1,500万円寄付
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 一昨日(28日)また大輪の花、タイタンビカスが咲いているのを愛でた後、我孫子市役所の市長室で寄付金贈呈式に臨んだ。このたび些少だが、1,500万円を我孫子市に寄付したの

だが、星野順一郎市長より過分の感謝状を頂戴した。今回の寄付の動機だが、83歳の高齢を考えて進めている終活の一つである社会貢献活動。特に新型コロナウイルスの感染拡大は経済や生活に大きなダメージを与え、社会全体が暗い流れにある中、敢えてこのような状況だからこそ地域や社会を元気に明るくしたいという特別な思いから同市へ寄付することになった経緯がある。

 因みに、長年にわたり我孫子市に対し、筆者のプライベートミュージアム「世界の人形館」を通して地域の活性化やグローバル化に取り組むと共に、寄付活動や地域を支える活動にも取り組んできた。例えば、市内の小学校・大学や市民団体での講演・講義、市民団体への活動資金の支援、市内小中学校への地球儀寄贈、「語らいベンチ」の寄付など。一方、昨年妻を亡くして不便な独居生活を送る筆者に対し、毎日当市の社会福祉協議会より安否を確かめる「もしもしコールサービス」を頂いており、持ちつ持たれつの関係にある。今回の大口寄付は一応その集大成になり、我が愛する街に少しでもお役に立つであろう善行ができホッとしている。

 

      (寄付金贈呈式:星野市長と)

   

 

  

 

 格別に裕福とは言えないが、あの世にお金を持って行くつもりは毛頭無い。この世で使いきりたいと言う思いがあり、母校(大阪大学)への寄付を考えていた矢先の6月下旬、我孫子市議の睫攅┝氏と人形館で

人形館で星野市長と高木市議

飲み会を持った。当日の雑談が発展して同市議を通し、我孫子市と寄付の話を進めた経緯がある。正に「瓢箪から駒」であろう。早速、朝日新聞、読売新聞、産経新聞などの全国紙など数社の取材があった。最近のコロナ禍の不況時代に、なぜ多額の寄付をするのかとの質問を多々受けた。「他人がやらない事を敢えてする」のが、取柄もない私の真骨頂かも知れない。なお、記事は来月に掲載報道される予定。

 

 ところで、寄付も大事な案件だが、余生がそう長くはないであろう私ことワールド・トラベラーには最も気懸りなものがある。分身と言えるプライベート・ミュージアム、「世界の人形館」の行く末である。身内に後継者がいないため、今まで外部の個人・団体と話してきた。しかし、収蔵品が世界の人形のほかに紙幣・コインなど10万点超もあるため、圧倒的な数にしり込みしてしまう様だ。中には当方の財産目当ての詐欺師紛いもおり、引き受け手探しに苦労している実情である。我が人形館の継承につきご興味ある方は、☎ 04-7184-4745 または 09087265599へ是非ご一報下さい。宜しくお願いします。

 

    ーーー 世界の人形館の内部 ーーー

 

    メインホール        和室

 

後記

 今回の筆者の寄付に関し、早速9月2日付の朝日新聞朝刊20面(第2千葉)で紹介された。比較的小さな掲載だが、今後は読売新聞、産経新聞、千葉日報などで大々的に報道される。

 

 

 

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| 社会貢献 | 11:31 | comments(0) | - | - | - | ↑TOP
ヨーロッパ最後の独裁国家ベラルーシの旅
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 ロシアとポーランドに挟まれた国、ベラルーシはヨーロッパ最後の独裁国家と呼ばれ、最近大規模なデモが続いている。その原因となったのは、今月9日に行われた大統領選挙。26年間の長期にわたり大統領を務める現職のルカシェンコ氏(65歳)と、対立候補の037歳の主婦が争った。選挙前の予想では、対立候補が優勢だったようだが、いざ発表された選挙結果はルカシェンコ大統領の圧勝であった。そこで、納得しない国民は選挙で不正があったと抗議し、ベラルーシ独立後最大となる抗議活動に発展した。

 

 1991年に旧ソ連から独立後、1994年に大統領になったルカシェンコ氏は隣国の後ろ盾のロシアを大胆に批判したり、欧州連合(EU)に接近したりするなどコウモリ外交外交を続けて来た。そのため双方から愛想を付かされたため国内経済は低迷し、悪化するばかりであった。更に新型コロナ

ルカシェンコ大統領                  (ネット転用加工)

ウイルス感染拡大についてもロックダウン(都市封鎖)を拒否し、三密を助長するような戦勝記念日のパレードも強硬するほど。そのなりふり構わない姿勢に、欧州の大半の国々は厳しく批判している。

 

 そんな話題の国、ベラルーシを筆者は2001年7月に訪れている。その旅の模様を紹介しよう。

 

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 成田を飛び立ってモスクワ経由で、深い森と400の湖を持つが原発事故の被害が大きいスラブ民族発祥の地ベラルーシの首都ミンスクに着いた。国土面積20万7595k屬脇本の半分強で、人口は約940万人。かつては白ロシアとも呼ばれた。モスクワから西690kmほど、ベラルーシーのほぼ中央に位置する、人口約190万人の首都。ロシアなどの旧独立国家共同体(CIS)の本部がある水と緑が豊かな近代都市で、ヴァイキング時代からバルト海と黒海を結ぶ交通の要衝や貿易の中継点として栄えた歴史がある。モスクワとワルシャワを中間にあるため、昔から戦乱の度に軍隊が往来して戦火の地となった。

 第二次世界大戦でも徹底的に破壊され、戦前の面影を留める歴史的な古い建物がほとんどない。しかし戦後完全とも言うべき都市計画に基づき復興された街並みは、緑が多くて整然としている。端正な建物が多い中で、ひときわ目立つのが美しい教会だ。街中を流れるスヴィスラチ川を見下ろす丘の上に、美しい白亜の精霊大聖堂が建つ。1642年に建てられたバロック様式の教会で、内部は数々のイコン(聖像画)で飾られている。特に北側の礼拝堂に収められた聖母マリアと幼いキリストのイコンは、奇跡を起こすと信じる人が多いとか。

 

      −−− ミンスクの精霊大聖堂 −−−

 

 

 街の中心にあるネザヴィーシモスチ(独立)広場に建つ聖シモン・聖エレーナ教会は、赤レンガの建物が青空に見事に映えるが、カトリック教会なので内部にはイコンがない。市内ではほかに、戦前の家並みを復元したトラエツカエ旧市街区、ネザヴィーシモスチ(独立)広場、勝利の塔広場、アフガン戦没記念碑、スカリナ大通り、グム百貨店などを訪れた。

 

 

聖シモン・聖エレーナ教会  勝利の塔広場

 


 郊外では、約60km北の村にあるハトィニ第二次世界大戦記念遺跡に向かった。1943年3月22日ナチスドイツ軍が村を包囲して、老人・婦女・子供など149人を銃殺。かって農家があった所にコンクリートの鐘楼などが造られ、1分毎に電気仕掛けで一斉に鐘が鳴り重苦しい雰囲気が漂っていた。ほかに、ドゥドゥトキー村の野外民族博物館を見学し、ティプチ川岸を散策した。

 

 

 ハトィニ大戦記念遺跡   ドゥドゥトキー村の

              野外民族博物館

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 欧州連合(EU)はベラルーシ大統領選挙の結果を受け入れない姿勢を示したが、再選挙を求めることは控えた。ドイツのメルケル首相はルカシェンコ大統領に電話したが、連絡が付かなかったとか。ヨーロッパ最後の暴君の去就が今後とも注目される。

 

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| 世界の旅−ヨーロッパ(西欧・中欧) | 13:24 | comments(0) | - | - | - | ↑TOP
 座礁船の重油が流出したモーリシャスの想い出
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 インド洋に浮かぶ楽園の島国、モーリシャスは、豊かな自然と多様な生物で有名だ。沖合で座礁した日本の貨物船から流出した重油が沿岸一帯に漂着し、島民の暮らしや自然への影響が深刻である。座礁した貨物船は岡山県の長鋪汽船が所有し、商船三井が運航していた「WAKASHIO」。6月に中国を出港してブラジルに向かっていた船は、7月25日にモーリシャス沖のサンゴ礁に衝突して座礁した。8月6日から重油が漏れ始め、積んでいた重油3800トンのうち約1000トンが流出したと見られる。

 

 

  

      座礁した貨物船

    (ネットより転用・加工)

 

 外電の報道によれば、座礁した沿岸一帯は黒く染まり、多数の魚やカニ、海鳥などが重油にまみれて死に絶えたとか。ボランティアを含めた多数の住民が海岸を清掃し、バケツで重油を汲みだしている。また、べっとりした重油の拡散を防止するため、人の頭髪やサトウキビの葉などを詰めた手製のオイルフェンスを作り、海上に浮かべている。現場はラムサール条約にも指定されおり、野生生物や植物の回復には20年かかる由。主要産業である観光業への打撃も免れないようだ。

 

 深刻な環境破壊につき、大きな一石が投じられたモーリシャスを、私ことワールド・トラベラーは1998年2月に訪れており、その旅の模様を紹介しよう。

 

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 モーリシャスはインド系の入植者が開墾したサトウキビ畑が島一面を覆い、標高600〜700mの切り立った山が所々そびえる。国土面積は東京都とほぼ同じ2040k屬如⊃邑は約125万人。首都ポートルイスはヨーロッパ風のお洒落な雰囲気がある町で、ブルードンネ総督によって建設された。人口は約15万人の近代的な町並みだ。 市内では中心地の広場プラス・ダルム、活気溢れる中央マーケット、通称シタデルと呼ばれポートルイスの町を一望できるアデレード砦、世界で2番目に古いシャン・ドマルス競馬場、絶滅の巨鳥トドの複製が目玉の自然歴史博物館を訪れた。

 

 

ポートルイスの市街地俯瞰 町の中心地プラス・ダルム

              付近を散策する筆者

 

 だが、見どころは郊外のほうがが多い。島の南西部にエメラルド・ブルーのラグーンに突出したブラバン半島がある。その半島の先端にある高級ホテルのル・パラディ付近のビーチが美しい。背後にモーリシャスきっての山岳地帯、通称ブラック・リバー渓谷がひかえ、一幅の絵を観るような美しさだ。7色の大地と呼ばれるシャマレルは、実際には茶・黒・茶の絵の具をほんの少し混ぜ合わせたようになっているように見えるだけで期待外れだった。むしろ近くの100mほどの落差を持って流れ落ちるカスカデ滝のほうが、はるかに見応えがあった。

 

      −−− ブラバン半島 −−−

 

  半島を俯瞰、手前が  ル・パラディ・ビーチで泳ぐ

 ル・パラディ・ビーチ   ワールド・トラベラー 

 

  カスカデ滝を背にして                 シャマレル

 

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| 世界の旅ーアフリカ | 15:52 | comments(0) | - | - | - | ↑TOP
モスクに変わったアヤソフィアの想い出
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 トルコ最大の商都イスタンブールにあるアヤソフィアは、世界遺産の博物館として有名である。支配者が変わるたびにその用途が変更されてきた数奇な運命を持ち、何と一昨日(7月24日)モスクに変わってしまったのだ。86年ぶりとなる金曜日の集団礼拝が行われたが、イスラム教の価値観を重んじるトルコのエルドアン大統領の決定には特にキリスト教圏から失望の声が上がった。今後はキリスト教徒が多い欧米諸国などとの溝が深まることも懸念され、トルコが念願とする欧州連合(EU)加盟も遠のくのではなかろうか?

 アヤソフィアはビザンツ帝国時代の537年に当時のコンスタンチノープル、現在のイスタンブールにキリスト教の大聖堂として創建され、1000年近くギリシャ正教の総本山であった。しかし、1453年にオスマン帝国のもとでイスラム教のモスクに改修され、ミナレットという4つの塔が立てられ、内部には「預言者ムハンマド」などと書かれた円盤状の飾りが設置された。その後アタチュルク初代大統領による近代トルコ建国後の1934年に博物館に変更され、異なる宗教や文化の共存の象徴とも呼ばれてきた。

 

 

  アヤソフィアを俯瞰    アヤソフィアの内部

 

 礼拝は新型コロナウイルス対策として、マスクを着用して互いに距離をとって行われた。エルドアン大統領は礼拝の間に限り、キリスト教を題材にしたモザイク画などを布で覆うが、普段は従来通り公開するとしている。ところで同大統領の意図は、政教分離や世俗主義を掲げてきた国是に対し、イスラム教の価値観を重視する政策を進めてきた。以前は禁じられていた公の場でのスカーフの着用を解禁したほか、この度アヤソフィアのモスク化に踏み切った背景には政治的な動機もあるようだ。
 実はエルドアン大統領が率いる政権与党は昨年首都アンカラやイスタンブールの市長選挙で相次いで敗れるなど、最近人気に陰りも見えている。さらに新型コロナウイルスの影響で国内経済が大打撃を受け、国民の不満も多い。斯様な情勢下、アヤソフィアをモスクに戻すことで、保守的な支持層を繋ぎ止める狙いがあったのではと憶測されている。キリスト教圏からの失望の声に対して同大統領は、「アヤソフィアをどう使用するかはトルコの主権に関わることだが、今後とも誰もが訪問できるようにする」と述べて理解を求めている。

 

 世界で唯一アジアとヨーロッパという2つの大陸にまたがるイスタンブールを、筆者は1973年3月の初訪以降10度も訪れている。1975年9月には、家族(妻・長男・次男)を連れて行ったことがある。多彩な魅力に溢れた街は香港などに似た情緒もあり、旅情を誘う見どころが実に多いので何度訪れても飽きる事がない。トプカプ宮殿、ブルーモスク、アヤソフィヤ博物館、グランド・バザールの4点セットは、誰もが知っている必見の定番スポットだ。

 

 

 長男・次男と共に    1996年に訪れた筆者

  (1975年)

 

 中でも大好きな観光スポットが、数奇な運命を辿ってきたアヤソフィアである。トプカプ宮殿の隣に建っているアヤソフィアは、赤茶色の外壁が印象的だ。「ビザンチン建築の最高傑作」と評されるほど当初ギリシア正教の大本山として君臨しながら、後にイスラム勢力の拡大で回教寺院に姿を変えた。1932年にはケマル・アタチュルクが初代大統領になると、博物館として衣替えした流転の歴史がまず興味深い。

 1931年にアメリカ人調査隊により、内壁の中のモザイク画が発見後、ビザンチン時代の遺跡として注目されるようになった。必見はギリシャのロードス島で産出された軽レンガでできた直径31m、高さ56mの大ドーム屋根、マリア像やユスチニアヌス大帝などが描かれた多数のモザイク画、大ドームの中に掲げられ金色のアラビア文字で書かれた黒の円板、6本もある高いミナレット(尖塔)などがある。何度訪れても、見飽きない魅力がある。

 

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| 世界の旅−中東・北アフリカ | 18:03 | comments(0) | - | - | - | ↑TOP
乱舞する大輪の花タイタンビカス
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 第2波を迎えた感のある新型コロナ感染拡大が気懸りな昨今だが、もう一つこの時期になると気になるのが大輪の花タイタンビカスである。アメリカフヨウとモミジアオイの交配種の花姿は、何となくハイビスカスに似ている。8年前から夏になると咲き乱れる愛しの花だが、今年も拙宅(世界の人形館)で1週間前の7月10日に開花した。今年は長梅雨の様相で遅れると思っていたのだが、意外に早く咲いてくれた。

 花径、つまり花の直径だが、例年の約20センチが今年は21〜22センチぐらいと大きい。数十メートル離れたところから見ても目立ち、筆者の手や顔と比べてもあまり変わらない。今年の特徴はなんと言っても、一日に30輪もの大量に咲くことである。その様は赤やピンク色の大きな蝶が乱舞するかのようで、豪華絢爛である。

 

 

  乱舞するように咲き乱れる 手のひらと同じ大きさ

 

花径が21センチ以上もある タイタンビカスに囲まれた筆者

 

 この花を観ると必ず想起するのが、昨年暮れに不治の病により77歳で永眠した妻である。55年間連れ添った彼女は、殊のほかタイタンビカスを愛好した。早朝に咲き始めるが、夕刻には萎んでしまうかりそめの移ろいが、走馬灯のように若かりし頃の彼女の残像と重なる。そう想うと寂しく切なくなる。

 また、3年前では拙宅によく遊びに来ていた孫のような「ことはちゃん」という女の子も、今や小学4年生になりスッカリ大人びた感じになった。この8年の間に鉢もどんどん増え、7人の人たちに株分けした。色々な夢を与えてくれ、想い出が尽きないタイタンビカスは、妻がいない今は私のパートナーのような存在かも知れない。

 

  

   亡き妻と(2013年7月)ことはちゃんと(2017年7月)

 

 因みに、タイタンビカスの開花模様については、以下の幣ブログで紹介しており、ご参考までに再度ご覧頂きたい。

2012年9月8日付け大輪の花を咲かせるタイタンビカスと琉球朝顔

●2014年7月9日付け『ギネス級!? ワールド・トラベラーが訪れた272ヵ国・地域を祝うタイタンビカス開花

●2015年9月1日付け『大輪の花タイタンビカスの二期作開花

●2016年7月18日付け『花の命は短しタイタンビカスと、人の命は短いニースのテロ

●2017年8月6日付『夏の花と花火を愛で過ぎ行く夏を想う

 

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| ガーデニング | 16:00 | comments(0) | - | - | - | ↑TOP
一国二制度が骨抜きにされた香港の今昔(2)
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 コロナ禍で世界が混乱するどさくさに紛れ込むように、「香港は死んだ」とか、「次の標的は台湾か」と言うような事態になった。一昨日(7月1日)は、香港返還23周年を迎えた。1997年のこの日に、英国の植民地であった香港は中国に返還された。中国として香港を英国から取り戻すことを決めたのは、1984年の中英共同声明。その後、1990年に香港特別行政区基本法が公布され、1997年の香港返還及び基本法施行と続き、一国二制度が正式にスタートした。しかし、1997年の返還から50年は一国二制度は変えないと言う中国の約束は、23年しか経たないのに、ものの見事に破られた。

 6月30日に開かれた中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会で、香港での反体制的な言動を厳重に取り締まる「香港国家安全維持法」が成立し、即刻施行されたのである。この国家安全法により香港の治安維持のために中国政府が直接介入することなり、50年間は高度な自治を認めると言う一国二制度が完全に骨抜きにされたのだ。開放的な自由をベースに長年繁栄を謳歌してきた香港だが、今後は特に経済への深刻な影響が懸念される。

 

 275ヵ国・地域を旅した私ことワールド・トラベラーは1970年10月の初訪以降6回も出張し、その後は旅行なども含め合計10度訪れている。また1977年7月にクウェート勤務から帰国途中、妻・長男・次男を帯同して訪れたことがある。今世紀に入り斯様に大変貌する香港につき、2019年6月9日付幣ブログ『一国二制度が骨抜きにされつつある香港の今昔(1)』で香港島側を紹介済みである。今回は大陸側の香港を詳述しよう。

 

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英国植民地時代(約50年前)

 中国名は彌敦道 ネイトントウというネイザン・ロードは香港随一の目抜き通りで、九竜 カウロンにある。尖沙咀 チャムシャツォイから旺角 ウォンコッまで南北に走る大通りでは、通りにせり出すような派手な看板が有名だ。尖沙咀の突き当りにはスターフェリー乗り場があり、対岸は香港島で情緒的風景が広がる。また、英国植民地の影響を受け、ロンドンで走っているような2階建てバスが香港でも見られた。ただし、本場のバスとの大きな相違点は、派手な色と漢字が入った車体であった。

 

        −−− スターフェリー乗り場 −−−

 

   対岸は香港島      長男・次男と共に

 

 一方、旺角から東方に向かうと、旧香港空港の啓徳空港 カイタックがあった。空港付近には多くの高層ビルが建ち、ビル内には商社マン時代に頻繁に訪れた縫製工場もあった。また、鉛筆のような高層ビルが林立する九龍の上空を飛行機がかすめるように離発着した古い啓徳空港は騒音問題などがあり、1998年7月にランタオ島に新しい空港がオープンし移転した。

 郊外は中国との国境に近い新界 サンカイの錦田 カムティンでは、のんびりした昔の中国ムードが溢れる田園地帯が広がっていた。道の両側には白油樹が立つ並木道を、天秤棒に鶏を入れた百姓たちが往来していた。そこは農耕する牛、道を横切るアヒルの群れなど、香港島や九竜にはないタイムスリップしたような別世界であった。

 

 

 ネイザン・ロード付近     啓徳空港近く

  

返還後(2004年)

 中国返還後に大きく変貌したのが、尖沙咀 チムシャツォイの南端にある海浜公園プロムナードである。ビクトリア湾と対岸の香港島がバッチリ展望でき、旧正月花火大会もここからの観覧が最高であった。ほかに見どころとしては、レンガ造りの旧九龍駅時計塔、スターフェリー乗り場、ビルが圧倒的に多い香港では正にオアシスで2つの噴水が美しい九龍公園などがあり、散策に絶好だ。

 香港随一の目抜き通りネイザン・ロードの佇まいは昔に比べてお洒落な感じになったが、派手な看板が目立つ雰囲気はあまり変わっていない。この通りの中ほどにある少々異様な建物が、イスラム教徒が信仰する九龍清真寺 カウロンチンチェンジー。お祈りの時間になると、多くのムスリムが礼拝に来る。このイスラム寺院から東へ向かうと、道教寺院の黄大仙廟 ウォンタイシンミウがある。香港の数ある道教寺院でも最も有名で、熱心な信者の参拝が絶えない。

 

 

 九龍半島の尖沙咀(手前)   旧九龍駅時計塔をバックに

   など俯瞰

 

 

ネイザン・ロードを     黄大仙廟

 散策する筆者

 

 郊外では、新界の高層アパートが建ち並ぶ沙田 シャティンの変わり様が人目を引いた。以前は数軒の家しか無かった寒村だったが、戦後大々的に埋め立てられ、高層アパート群の大団地に変わってしまったのだ。

 

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 早速、香港国家安全維持法の施行後の翌日(7月1日)、香港警察は香港独立を主張する抗議デモをした男女9人を逮捕した。今後は香港で逮捕された容疑者が中国本土で裁かれたり、或いは拘束されたりするかが焦点になろう。また、民主派団体が香港の将来を懸て相次いで解散する動きが見られ、民主活動家も香港を離れた。中国の強引なやり方に対し、欧米諸国が批判を強めており注目される。

 

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世界で最も新型コロナウイルス感染死亡率が高いベルギーの想い出
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 世界では今もなお、新型コロナウイルス感染拡大の勢いが止まらない。ついに本日(6月29日)、感染者数は大台の1000万人を超え、死者数も50万人に達した。特に人口100万人あたりの死者数は、ヨーロッパ諸国やアメリカなどの先進国が上位を占め、中南米がこれに続く。一方、日本をはじめアジア諸国の死者数は欧米に比べ、約100倍の差、つまり2桁ほども少ない。斯様に欧米に比べて非常に少ないのは、彼の地では驚きを持たれ、一種のミステリーとして不思議がられているようだ。

 その原因などに就いては、生活慣習や文化の違いが挙げられる。例えば、我が日本では元々マスクを着用する習慣があったし、室内では靴を脱ぐ文化がある。またハグやキスという体を接触させることが少ないのも、飛沫感染や接触感染を抑えているようである。だが、これらの要因以外として、遺伝子の違い、BCG接種、交差免疫(過去に似たウイルスに感染して得た免疫)などが囁かれている。

 

 さて、本題に戻り人口100万人あたりの新型コロナウイルス感染死亡率が最も高い国はどこか、ご存じであろうか?それはアメリカではなく、イタリアやスペインでもない。実はベルギーで、100万人感染すれば837人も死亡している。一方、我が国はわずか7.5人で、ベルギーの実に100分の1以下である。そんな新型コロナ感染大国のベルギーを筆者は1975年8月の初訪以降3度も訪れており、うち2度は故人になった妻・長男・次男を引率した懐かしい家族旅行であった。その旅の模様は2016年3月23日付幣ブログ『連続テロがあったベルギーの旅』で紹介済み。一部重複するが、同国への旅を再び回想しよう。

 

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 国土面積は日本の約12分の1、人口は約1140万人の小国だが、3つの公用語が使われる多様性たっぷりのが溢れる国である。先ず、首都ブリュッセルだが、1000年以上の歴史を持つ古都には見所が多い。ハイライトは古色蒼然たる石畳の大広場、縦110m、横65mもあるグラン・プラス一帯に集中している。文豪ジャン・コクトーに「絢爛たる劇場」と言わしめるほど、この広場ゆかりの形容詞は多い。その中心が広場の南側に建つ、高さ96mの市庁舎。ゴシック・フランボワイヤン様式の壮麗な建物は15世紀に建てられ、内部ではマクシミリエンヌの間のタペストリーが見ものだ。
 ほかに目ぼしい建物として、市庁舎の対面に建つ王の家は市立博物館になっており、実際には王様が住んだことが無い。広場の東側にあるブラバン公爵の館、その西側にあるスペイン王が庇護したギルドハウス(同業組合)であったビール博物館も見逃せない。現在ではこれら建物の大部分は、レストラン・カフェ・チョコレート屋・銀行・事務所になっている。因みに、市庁舎の東脇の道を250mほど歩くと、左角にジュリアン君という別名を持つ小便小僧 が立っているが、意外に小さいので少々驚かされる。郊外では、13km南東にあるナポレオンゆかりの古戦場ワーテルローが必見だ。


    
  ブリュッセル:市庁舎    ワーテルローの丘    ブリュッセル:小便小僧前
(妻とのツーショット)                   1975年妻・長男・次男と


 ブリュッセルに次ぎ絶対見逃せないのが、88km西北郊外にある「フランドルの水の都」と呼ばれるブルージュである。カリヨンが鳴り響き観光馬車が行き交う古都は、ハンザ同盟の町として「北のベニス」とも称えられる。この水郷に足を踏み入れると、時の流れを止めてしまったようなタイムスリップを覚える。「橋」を意味するブルージュはその名の通り、縦横に巡らされた運河に50以上の美しい橋が架かる。水都の中心にあるマルクト広場はヨーロッパでも美しい広場として5指に入り、その周りには47個のカリヨンがヨーロッパ随一の音色を響かせる市庁舎、町のシンボルになっている高さ88mの鐘楼を切妻屋根の建物が囲むようにして建つ。
 運河の写真を撮るなら、市庁舎裏の運河付近が一押しだ。町の南外れのベギン会修道院は、1245年フランドル伯夫人によって設立され、15世紀当時の修道服を身にまとったベネディクト派の修道女がひっそりと質素に暮らしている。この修道院のすぐ近くにロマンチックな愛の湖公園が広がり、豊かな緑に包まれた湖に白鳥が戯れる光景はまさに一幅の絵を観るよう。他界した妻と一緒の散策が忘れ難い。


 ブリュッセルの北西55kmほどに位置するゲントは、「青い鳥」の作者メーテルリンクの故郷として知られる。ブルージュのライバルとして張り合っただけに、多少似たところがある。20の島に70もの橋が架かるほど運河も多い古い町だが、東フランドル地方の中心都市として市街地規模は大きく現代的だ。最大の見どころは、16世紀に完成した旧市街にある聖バーフ寺院。数々の有名なフランドル絵画が収蔵されており、特にファン・アイクの祭壇画「神秘の子羊」が有名だ。町のほぼ真ん中を南北に流れるレイエ川の川岸沿いの通りには、中世の栄華を伝える壮麗なギルドハウスなどが建ち並び壮観である。


   
  ブルージュ:運河の畔    ゲント:ギルドハウス   ディナン:ムーズ河畔


 ブリュッセルの南東約82kmに位置するディナンは、北海に注ぐムーズ川沿いの町である。この川が造った絶壁の下に細長く開けた町は、断崖の下から見ても上から見ても美しい絵葉書のように風光明媚だ。ロープウェイで高さ100mの切り立つような断崖を上ると、1050年に築かれた城砦シタデルに着く。17世紀以降波乱に富んだ血なまぐさい歴史がとても信じがたいほど、ディナンの平穏な町並みと悠々と流れるムーズ川の大パノラマが広がる。それは息を呑むほど絶景である。断崖を下りてムーズ川の左岸(西側)を歩くと、対岸に建つノートルダム教会 がひときわ人目を引き、タマネギ型の尖塔が美しい。その背後に堅固なシタデルが堂々とそびえる。

 

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 1830年にオランダから独立したベルギーはフラマンとワロンの両民族が言語対立を繰り返しながら、現在の「ヨーロッパの心臓」とも呼ばれる地位を得た。27カ国が加盟し、総人口が約4億4700万人の欧州連合(EU)は、ブリュッセルに本部を置いている。ベルギーを抜きにしてヨーロッパの魅力は語れない。

 

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中印衝突の地・ラダックの想い出
12

 米国との貿易摩擦や新型コロナウイルス感染の震源地になった中国が、ひょっとすれば戦争を起こすかもしれないとの懸念が世界中にかなり広がっている様だ。最も懸念されるのは米中の偶発的な衝突だが、それよりも意外に風雲急を告げそうなのが中国とインドの国境紛争問題かも知れない。

 両国間の緊張は5月から続いていたが、ついに一昨日(6月15日)に起きた衝突では、中国とインド両軍合わせ60人以上の死傷者が出た。国境付近での両国紛争で死者が出たのは、1975年以来の45年ぶりのこと。新型コロナのパンデミックなど不安定な世界情勢下、このままでは1962年の中印国境紛争のような危機になるのではないかと憂慮される。

 

 今回の両国衝突は、インドが支配するジャンムー・カシミール州東部のラダック地区のギャルワン渓谷あたりで勃発した。現地はヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれた標高4300メートルの険しい高地だ。15日夜に衝突が起こり、インド軍側に大佐を含む3人の即死者が出たほか、負傷者17人が翌日夜までに亡くなった。さらに数十人が行方不明で、中国側の捕虜となっている模様。

 両国は共に核兵器保有国であるだけに、斯様な緊張が今後どのような軍事力行使に進展するかどうか予断を許さない。15日の衝突では双方は火器銃器を使用せず殴り合いや投石などによる戦闘があったよう。インドのテレビ報道によれば、中国兵士もかなり殺害されたようだが中国側からは発表はない。

 

 

 

 インドは中国のほかに、パキスタンとも対峙するジャンムー・カシミールに就いては、筆者は2008年7月に訪れている。その旅の模様は、2019年3月12日付け幣ブログ『インドとパキスタンが領有権を争うカシミールの桃源紀行』で紹介済みだ。今回は中印両軍が衝突したラダック地方を、一部重複するが詳述しよう。

 

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 イスラム文化が息づくスリナガルから空路で東へ飛び、約45分後に行政的には同じジャム・カシミール州に属するが、チベット的な風土を持つラダック地方の中心都市レーに到着した。飛行中に機内から眺める風景も、緑豊かなスリナガル盆地から厳しく荒涼たるラダック山地に変わる。チベットが源流でインダス河の上流に位置するラダック地方は、「小チベット」とも呼ばれるほどチベット仏教(ラマ教)の世界が広がる。その中心的な役割を担うのがラマ教の僧院ゴンパで、その規模や豪華さは本場チベットの寺院を凌ぐものもあるほどだ。

 

 レーは本国インドの首都デリーの北およそ1040km、シュリナガルの西約430kmに位置し、パキスタンや中国との国境に近い。標高は3505mで、人口は約10万人。旧ラダック王国の都として栄え、僧院ゴンパなどがチベット仏教文化の影響を今も残す辺境の町である。今も中世の面影を残す市内では、旧レー王宮が必見である。

 

 

      旧レー王宮               レ―郊外で少年僧と共に

 

 町の北背後の岩山に聳える威風堂々の建物で、ラダック王国が繁栄した16世紀に築かれた。この王宮を眺める絶好ポイントのひとつは、旧市街の中心にあるメイン・バザール付近をお勧めだ。ほかにツェモ・ゴンパ、眺望抜群の丘の上に建つシャンカル・ゴンパ、目抜き通りのフォート通り、ソマ・ゴンパ、ジャミア・マスジッドなどを訪ねた。 

 

 レーを拠点にしてインダス河沿いの各地のゴンパを巡ったが、南東郊外43kmにあるヘミス・ゴンパが最も有名だ。17世紀前半に創建されたラダック最大のゴンパで、僧が神々の仮面をつけて豪壮に踊るヘミスの大祭で知られる。レーとヘミス・ゴンパの中間にあるティクセ・ゴンパは15世紀に険しい岩山に砦のように築かれ、チベット・ラサのポタラ宮を彷彿させる。

 

 

       ヘミス・ゴンパ                      ティクセ・ゴンパ

 

 ほかに、西郊外約60kmのリキール・ゴンパ、町の北外れの丘にそびえ建つ白亜のシャンティ・シャンカル・ゴンパも見逃せない。また、殺伐として不毛の感のあるラダック地方に潤いを与えるのがインダス河だ。レーの西郊外のゴンパ巡りは雄大で険しい渓谷を育むインダス河沿いに進み、特にザンスカル川がインダスに合流するポイントが絶景だ。

 

 

シャンティ・シャンカル・ゴンパ      インダス河

 

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 中国外務省によれば、本日に両国の外相は中印両軍間で15日発生した衝突を巡り電話会談し、国境付近の安定を維持することで一致したよう。だが、両軍は度々衝突を繰り返しており、直ぐに緊張緩和するかは不透明である。中米摩擦に加え、中印衝突の今後も注視する要があろう。

 

                ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

 カシミール問題を詳述した筆者(ペンネーム:高やすはる)の著書がありますのでご案内します。

272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった1人で紛争地を旅した!

      

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       携帯 090-8726-5599
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| 世界の旅−アジア | 10:49 | comments(0) | - | - | - | ↑TOP
全米に拡大した暴動の震源地ミネアポリスの想い出
11

 また起きてしまったのが、アメリカで社会問題になっている黒人市民に対する白人警官の暴行致死事件である。5月25日アメリカのミネソタ州ミネアポリスで、白人警官が黒人男性の首を膝で8分間にわたって押さえつけ、後に死亡させた。黒人が警官に押さえられた時に「息ができない」と訴え、殺害されるまでを撮影した動画が拡散した。同国では警官の暴行事件が、以前から問題視されていた。特に白人警官による黒人への暴行事件は人種差別問題もはらみ、事件が起きる度に大きな関心と波紋を呼んできた。

 例えば、2014年7月17日にはニューヨーク州のスタッテン・アイランドで、黒人男性が白人警官から絞め技を使われて逮捕され、死亡する事件が発生した。また、同年8月9日にミズーリ州ファーガソンでは、18歳の黒人青年が白人警官から射殺される事件も起きた。

 5月25日の事件翌日から警官の暴行に憤ったミネアポリス市民が抗議デモを続け、28日にはそのデモが大暴動に発展した。市民は警察署に火をつけ、同署は火の海と化した。この死に至らしめた非道極まりない事

警察の人種差別的な

暴行への抗議デモ

件は、今や全米の30ヵ所以上で警察に対する抗議デモや暴動へと発展し、死傷者も出るほどだ。

 

 今回の「ミネアポリス暴動」ですっかり有名になった街を、筆者は2004年7月に訪れている。その旅と忘れ難いトラブルの模様を紹介しよう。

 

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 ミネアポリスはアメリカ中西部の北、シカゴの北西約670kmに位置し、古くから製粉業が盛んなミネソタ州最大の都市だ。ミシシッピー川を挟んで、人口が約38万人のミネアポリスと、州都で人口約29万人のセントポールは「ツイン・シティズ(双子の都市)」を形成する。無数の湖と豊かな緑に囲まれた双子都市は町の規模などは似ているが、両都市の個性は正反対である。前衛的な建築の町ミネアポリスが開放的に対し、行政の町セントポールは保守的である。双子の両者に共通するのはミシシッピー川沿いにあり、観光の方もミシシッピー河畔に焦点を定めた。

 ミネアポリスのダウンタウンの北にミシシッピー川が滔々と流れ、ヘネピン橋の少し下流にセント・アンソニー滝という人工の滝が流れ落ちている。落差はあまりないが水量が豊富で、滝の幅も138mもあってなり迫力がある。橋を渡るとセントポール側に入り、しばらく東方向に進むとワバシャ橋付近のミシシッピー河畔に出る。河畔からリバークルーズの船着場があり、早速遊覧船に乗った。川岸にそびえ建つ高層ビル群のスカイラインがなかなか調和が取れ優美だ。製粉業が盛んなため製粉工場なども見られ、牧歌的な田園風景が広がり時計が止まったような、ノンビリとしたクルーズを満喫した。

 

         −−−ミネアポリスの市街地を俯瞰−−

 

 

 

 ミシシッピー川に架かる  セントポールのリバークルーズ

  ヘネピン橋付近    船着場(対岸はミネアポリス)  

 

 ミネアポリス側で絶対見逃せない見どころがもう1つある。ミネアポリス彫刻庭園は40以上の彫刻彫像が点在する庭園で、全米でも最大規模を誇る。奇抜な作品が多い中で抜きん出るのが、大きなスプーンにサクランボがのった噴水のオブジェ、スプーンブリッジとチェリー。スプーンは長さ15m、高さ6mもあるジャンボサイズ。訪れた時は暑かったので、サクランボの茎の先から流れる水がとても涼しげに感じた。

 

     −−− ミネアポリスの彫刻公園 −−−

  

 

 ところで、ツイン・シティズの観光も霞んでしまうようなトラブルがあった。ラピッドシティからミネアポリスに向かうフライトの機内で、それまでに蓄積された疲労か或いは厳しい保安検査のストレスか、吐いた上に下痢をした。ホテルに着いて数時間休息したが、体調回復しないため急きょ近くの病院に駆け込んだ。受付に病状を説明し、待っている患者が、ほとんどいないのですぐ検査・治療してもらえるものと思っていた。しかしその後、医者・看護婦・検査技師など5〜6人からまったく同様の質問を受け、検査が始まったのは1時間後。さらに心臓病でもないのに念入りな心電図をとられたり、超スローな対応にイライラしっ放し。

 近代的でスピーディと思っていたアメリカの病院は、意外に官僚的なタテ社会の体質にガッカリ。トラブルの余波は帰国後も続き、現地病院から突然治療費1500ドルほどを払うようにとの請求

 書が届いた。出発前に海外旅行保険に入り、病院には保険手続きを告げて相手も了承したはず。どうも先に病院は保険会社に請求したが、高額過ぎるとして支払いを拒否され、筆者に請求して来たらしい。最終的に保険会社と病院との話合いで決着したらしいが、いずれにせよ僅か数時間病院にいただけで治療費が1500ドルとは驚きである。改めてアメリカは怖い国と想った。

 

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 キング牧師が1963年に行った「私には夢がある」という演説の中で、平等という夢を実現させようと訴えたように、息子マーティン・ルーサー・キング3世も声をあげ続ける。中国の急速な台頭があるとは言え、依然として超大国と自認するアメリカだが、人種差別問題を未だに解決できない「アメリカの闇」垣間見ることができる。強気のトランプ大統領は暴動の収束を図るどころか、来る11月の大統領選挙を見据えて暴動をむしろ煽るような言動も見受けられ遺憾である。

 

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| 世界の旅−北米 | 10:44 | comments(0) | - | - | - | ↑TOP
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