世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
ブログ更新お休みのお知らせ
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        ブログ更新お休みのお知らせ

 

 いつも幣ブログをご愛読いただき、誠に有難うございます。実は急遽入院・手術することになり、11月いっぱいは更新をお休みとします。また、筆者のプライベートミュージアム「世界の人形館」も同様に休館します悪しからずご了承下さい。

 

        私ことワールド・トラベラー

 

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世界最強になった日本のパスポートと 苦労したアンゴラ旅行
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 英国のコンサルティング会社、ヘンリー&パートナーズが最近公表した資料によれば、ビザなしで渡航できる国・地域の数を基準にしたパスポート(旅券)の強さ指数で我が日本が世界一になった由。即ち、日本のパスポートを所持していれば、ビザ(査証)なし或いは到着時のビザ申請で入国できる国・地域が190にもなり、今年の7月時点まで並んでいたシンガポールを追い抜いて単独1位になったのである。次に同指数の3位は188ヵ国・地域のドイツ・フランス・韓国、6位は186のアメリカ・イギリスだ。

 因みに、中国は74ヵ国・地域で71位、北朝鮮は42ヵ国・地域と制裁を受けている割には少なくはない。また、調査した199ヵ国・地域の最下位はイラクとアフガニスタンの30ヵ国・地域であった。一方、日本への入国時にビザが免除されているのは68ヵ国・地域に過ぎず、従来より難民や移民受け入れに消極的な閉鎖性を如実に物語っている。2年後に東京オリンピック・パラリンピックを控え、もっと大胆に門戸開放するグローバル化の推進が喫緊の課題であろう。

 

  ところで、パスポートの強さ指数とは、具体的にどう言うことを意味するのであろうか?この指数が高いほど国際社会での信用度が高く、信頼されていることに他ならない。国が経済的に豊かであるのは勿論、日本人の勤勉さやマナーの良さ、治安が良好で人権問題を抱えていない、国際的な協調性なども考慮されての事であろう。他方、発展途上国や独裁国家では上記の諸点で問題があるようで、全般的に指数は低い。

 今では日本人の海外旅行は当たり前になり、お金と時間があり健康であれば誰でも外国へ出かけられる時代だ。しかし、筆者が初めて異国の地を踏んだ半世紀前は、外国への旅立ちは様々な制約があった。第一は携行できる外貨は500米ドルと言う制限があり、筆者のような輸出で外貨を稼いで国に貢献していた商社マンにもこの外貨持ち出し制限が適用された。第二は渡航国のビザ取得で、敗戦の後遺症で国自体が貧しく国際的地位も低かったため、昔は日本に対してビザ取得を求める国が多く渡航前に苦労したものだ。

 

 因みに、筆者は過去半世紀にわたり272ヵ国・地域を旅した故に、外務省発行のパスポートは合計13冊にもなり、うち12冊を所持している。しかも、年間20回近く出国した年もあり、増補した分厚いパスポートが数冊もある。このパスポートで目を引くのが渡航国・地域のスタンプで、その通常の形は円・正方形・長方形・楕円形などである。しかし、最も印象的であったのが、南太平洋に浮かぶクック諸島のアイツタキ島に入島した時に押されたスタンプだ。なんと足の形をしており、ワンフットと言う名前の絶景の島まであるのだ。

 

    

     筆者が所持するパスポート  クック諸島のアイツタキ島

                    のスタンプ   

 

 日本のパスポートが世界最強になったとは言え、今もビザ取得を求める国が多く、またその取得が容易でないのがアフリカである。特にビザ問題で最も苦労し、さらに滞在中はトラブル続きであったのがアフリカ南西部に位置するアンゴラだ。2007年2月に訪れた苦難連続の旅の模様を紹介しよう。

 

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 ワールド・トラベラーと呼ばれる筆者は、一旦ある国の旅を決断したら、概ね1年以内に実行し訪問する。だが、唯一の例外はアンゴラであった。この国の旅行を企画したのは20年以上も前であったが、1975年にポルトガルから独立間もなくから内戦になり入国ビザ取得が困難であった。そこであらゆる手段を講じ、その究極はアンゴラ大使館があるパリまで赴いたが、フランスでの保証人がいないため断られた。

 2002年内戦終結後に東京に大使館が開設されると、すかさずビザを申請したが発給されなかった。やはりダメかと半ば諦めていたところ、半年後に突然取得できたが、異例の観光ビザ発給であったらしい。2007年にやっと念

アンゴラの入国ビザ

願のアンゴラ入国を果たしたが、内戦の傷跡は想定以上に深刻であった。観光どころでないのが実情で、他国ではあり得ない様々なトラブルに遭遇した。

 

 首都ルアンダには27年も続いた内戦の影響で内陸地域から避難民が大量に流入し、都市計画の7倍ほどの人口(約400万人)が集中していた。極端なホテル不足に加え、鉄道やバスなどの公共交通機関が無い。また、驚くなかれタクシーも営業していないため、移動は極めて困難であった。空路で地方へも出かけたいと思ったが、ルアンダ市内の航空会社オフィスも空港の切符売場も窓口は人だかりでいっぱいで簡単にチケットが買えないことが分かった。結局、ホテルのレセプションに知り合いの白タクの手配を頼み、ルアンダ市内と南郊外のムスロ島やクワンザ川などを観光した。

 

  

   ルアンダの中心バイシャ地区 メインストリートの2月4日通り

                   を散策する筆者

 

 しかし、運転手は普段は会社勤めをしており、仕事が終わってから、或は仕事の合間を利用して白タクをするので何時に来るのか分からない。待ちに待ってやっと来た運転手にルアンダ市内と周辺の各地を案内してもらったが、車を降りる時に請求された金額が時間当たり驚くなかれ100ドルだ。物価高とは言えと法外に高いので、値下げ交渉を試みた。ホテルのレセプションマネージャーの仲介で鋭意交渉し、一般相場の時間当たり30ドルで手を打った。高いのは白タクばかりでなく、ホテルやレストランの料金も異常なほど高い。

 

 滞在中はほかにも体調不調のトラブルがあった。蒸し暑くて日差しの強いルアンダ市内を約3時間も休まず歩き続け、ポルトガル植民地時代の名残りを留めるバイシャ地区の2月4日通りなどを散策した。しかし、その間に水分補給を全然しなかったため、宿泊していたホテルの50m手前の路上でぶっ倒れて暫らく意識不明になった。日射病にかかり脱水症状になった模様で、思いのほか坂道が多いのも老体にこたえたらしい。

 突然のハプニングに近所の人々が驚き、大勢集まって来たのであろう。気が付いてみると、見知らぬ親切な人たちに取り囲まれていた。冷たい水をくれるなど、思いも寄らぬ手厚い介護に大感激し、洋の東西を問わない人々の親切に感謝した。お陰ですぐに回復したので病院に行かずに済んだが、古希(70歳)を迎える直前の体力の限界を痛感した。

 

  

  ムスロ島のビーチを散策   路上で倒れ意識不明になる

 

 アンゴラ訪問の主目的であった観光は、ルアンダの旧市街がポルトガル植民地時代の面影を残し情緒がある。だが、ルアンダの郊外も含め、旧市街以外は見どころが少ないのでがっかりした。実際に現地に来てみて、東京のアンゴラ大使館が簡単に観光ビザを発給しない理由がやっと分かった。長引いた内戦の影響で余裕が無く、観光どころでないのが実情であった

 

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               ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

 筆者にはアンゴラに関する次の著書があり、ご関心ある方は是非ご購読下さい。

 

●『 272の国と地域を制覇した ●『トラベル・イズ・トラブル

  77歳のワールド・トラベラーは  安全な旅は退屈だ!!  

 たった1人で紛争地を旅した』  ルネッサンス・アイ

 幻冬舎 定価1,400円+税     定価1,300円+税

     

 

 幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫がある世界の人形館でお求めください。

お問い合わせ:
世界の人形館 TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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| 世界の旅ーアフリカ | 00:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
久しぶりのワールド・トラベラー講演
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  昨日(10月12日)は朝から夜まで多忙を極めた。場所は居住する地元(千葉県)ではなく、現役時代に通勤した東京都内の心臓部である。先ず正午前から午後2時過ぎまで、千代田区麹町にある海事センタービルの会議室で開催されたセミナーで講演した。

JAPAN NOW 観光情報協会 主催の「第146回観光立国セミナー」で、演題は『272ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが想う真の国際化』だ。2年後の東京五輪を念頭に入れ、スピーチしたのは言うまでもない。

 講演会後は聴講者に誘われて近くの喫茶店で歓談した後、大手町のJAビルで午後5時半から始まる懇親会に出かけた。現役時代に勤めていた商社(三井物産)の食料部門のパーティーで、約70人のOB・OGが集まった。筆者は事情あって長きにわたり不出席であったので、面識の無い参加者が多かった。しかし、見覚えのある人もいたので名札を見て確認後に懐かしく歓談したが、お互いに老いを痛感し些か感傷的になった。

 

  

   海事センタービル(真ん中)    セミナー会場入口    

  

    JAビル            懇親会

 

 さて、本題のセミナーの話を続けよう。認知症を患う妻が入院した約4年近く前までは年に3~4回は講演するほど、ちょっとした人気の講師であった様である。講演の規模も200〜100人が集まり、随分盛大であった。しかし、妻が入院後は見舞い・介護などに追われ、中断を余儀なくされた経緯がある。今回の聴講者は約40人で、こじんまりとしたものだが、その割には熱気が感じられた。当方もかなり講演慣れしているので、会場の様子が手に取るように分かる。確か居眠りをしていたのは僅か1人だけであった。

 講演開始前から聴講者と一緒にお弁当の昼食を済ませ後、約2時間の講演を始めた。私ことワールド・トラベラーの講演スタイルは独創的であろう。今回もA4で14ページの大部に及ぶ資料を配布したが、これを逐一説明していたのでは時間切れになる。そこで50枚ほどの写真を紹介するスライドショーを見せながら説明し、最後の15分間は熱心な質問を受けた。手応えのある講演を終えた後は、買い求めて頂いた著書にサインしたり或いは立ち話したり、一息つく間も無かった。

                         −−− セミナー会場 −−−

 

 

 

 今回の講演でも他人様の支えが必要であること知らされ感謝したい。特に同行して頂いた元我孫子市議会議長の澤田愛子さん、都内に住む著名なクロスステッチャー(刺繍家)の星野真弓さんには写真撮影で随分お世話になった次第だ。勿論、このセミナーの講師として声を掛けて頂いた観光情報協会にも謝意を表したい。

 超多忙な1日を終えて帰宅し受信メールをチェックすると、なんと講演依頼.com (株)ペルソンから岐阜市での講演依頼が来ているではないか。実は上記の講演直後に2件の依頼の話があり、81歳の老兵に1日で3件の講演依頼が集中するとは驚くことばかりであった。出来れば全部を引き受けたいが、終末期を迎えた妻の見舞い・介護もあることを踏まえて最終検討したい。

 

 

 講演するワールド・トラベラー 澤田さんと星野さんの美女!に囲まれ

 

 最後に、筆者が講演した『272ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが想う真の国際化』の要旨を以下紹介する。

 

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1.はじめに 

 ワールド・トラベラーというニックネームを持つ私の世界の旅のデビューは、総合商社(三井物産)勤務時代の1969年、酷寒の1月に旧ソ連(ロシア)のモスクワへの出張でした。以来2014年4月まで45年間も続けてきましたが、(私事で恐縮ですが)その後は認知症を患う妻の見舞い・介護などに追われ海外旅行は中断しています。この間、様々なハプニングがあった世界放浪の旅でしたが、世界の旅人として今日あるのは、1974年〜1977年は中東のクウェート、1979年〜1984年は世界最大のイスラム教国インドネシアのイスラム圏で生活した海外駐在経験に負うところが大です。

 海外出張から始まり、その後の2度の外国駐在、そしてリタイア後の海外旅行(前半は団体旅行、後半は個人旅行)を通じて変わらぬものがあります。それは、私の旅が趣味とする世界の民俗人形、紙幣やコインなどの収集も兼ねていることです。また、日本人には馴染みが薄いイスラムとも縁が深く、普通の海外旅行者とは大きく異なるものでした。世界の表裏を半世紀近く直に見聞して来ました数々の実体験をベースにし、世界がよく分かるノンフィクションをお話し、真の国際化などにつき考えてみたいと思います。

 

2.今まで訪れた国と地域の数

 この世に生を受けてから約4分の3世紀にわたる私のグローバル人生は、幼少時代から始まりました。この年代の人間として異例でしょう。70数年も前の小学生時代から、少年雑誌や漫画よりも世界地図を見るのが大好きなオタクでした。このため地図を見ながら寝入ることも度々で、10歳頃から外国に出かけ世界を見聞したい強い気持ちが芽生え、グローバル志向が強くなりました。従い、学生時代から英語など外国語習得に注力し、幸い外国語で商談する総合商社に入社しました。待望の世界への旅立ちは先述の通り1969年のロシア出張で、その後クウェートとジャカルタの駐在員として働き、リタイア後も海外旅行を続けました。

 この間、1995年1月は南極、5月は北朝鮮、7月は北極点、11月はネパールの世界の最高峰エベレスト山麓に出かけました。この年は阪神大震災があり、大阪生まれで旅好きの私にとっても忘れ得ぬ年でした。因みに北極点に到達した時は、アメリカの旅行者から「お前こそ本物のワールド・トラベラーだ」と呼ばれて最敬礼してくれ、以来このニックネームを愛用しています。  

 手前味噌になり恐縮ですが、英検1級の英語をベースに片言程度を含めると数ヵ国の会話ができます。そのため、20年ほど前から私の外国旅行は、基本的にガイドや通訳を付けない完全な個人旅行です。旅費節減の意味もあり、唯一付けるのは現地調達のドライバーで時々ガイドも兼ねます。

 過去約45年間に訪問した国・地域は、国は201、地域は71で、合計272になります。なお、地域は南極、北極、香港、台湾などで、詳細は別表をご参照。因みに、国際的に認められている世界の国の数は、197です。従って、日本を除くと、196ヵ国になります。私はすべての国を訪問済みですが、実際は201ヵ国を旅しています。5つも多いのは実効支配の国々、例えば北キプロス、西サハラ、アブハジア、沿ドニエストル、ナゴルノ・カラバフがある現実です。日中韓で長年争点になっている尖閣諸島や竹島問題も、実効支配が絡みます。実は世界には実効支配下にある国や地域が数多くあり、その大半を巡り熟知しています。ご関心があれば、別の機会にお話します。

 

3、忘れ得ぬ印象的な国・地域・スポットなど

 それらの一部を思いつくまま、順不同で紹介します。皆様の今後の旅行などのご参考になれば幸甚です。

南極、クウェート、インドネシア、エンジェル・フォール、死海、中国、ナミビア、アフガニスタン、ロシアとシベリア鉄道、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ペリト・モレノ氷河、クック諸島のアイツタキ島、北朝鮮、ソマリア(ソマリランド)、グランドキャニオンの谷底、マウンテンゴリラ探検、リビア、オーストラリア、イエメン、グアテマラ、韓国、ラトビア、エチオピア、北極点(詳細は省略)

 

4.外国から見た日本(人)の長所と短所

 大学卒業後に商社マンになった私は、世界の人たちを相手に国際的な仕事をするグローバル人生が始まりました。様々な国の人たちとの交流から、外国人は日本(人)をどのように評価しているかをビジネスを通して知ることができました、昔(1980年代前半頃まで)の日本に対する外国の一般的なイメージは、サムライ、ゲイシャ、フジヤマ、ホンダ&ソニー、てんぷらなどでした。また、壊滅的な痛手を受けた敗戦にも拘わらず、奇跡的な戦後復興と経済発展、日本製品の高品質が賞賛されました。海外へ出かけても、私を見かけると「日本人か」と確かめ、敬礼をしてくれるなど尊敬してくれました。       

 その後、コストの安い韓国そして中国などアジアの製品が世界市場で売られるようになり、「Made in Japanは少なくなりました。多分20年ほど前から私が世界を旅しても、「中国人 or 韓国人か?」と声をかけられ、日本人とは思ってくれません。国連分担金の最大スポンサーは米国ですが、2番目の国は?それは我が日本ですが、その割に評価されていません。我が国の国際的な地位の低下が残念です。この半世紀以上にわたり、外国(あるいは外国での私)から見た日本(人)の長所と短所は次の通りです(詳細は省略)。

 

5.真の国際化とは? 

 前置きの自慢話が長くなり、誠に恐縮です。本日の講演の本題に入ります。2年後に東京オリンピック・パラリンピック開催をひかえ、インバウンド(訪日外国人旅行)が好調です。昨年の訪日外国人観光客数は2869万人で、過去最多を更新しました。本年も1月〜6月の上半期だけで1589万人となり、年間3000万人は確実です。このペースで推移すれば、東京五輪がある2020年の目標4000万人も達成可能でしょう。

 一方、テレビでは毎日のように海外取材番組がありますが、一般的に非日常的且つ誇張気味です。その国の実態にそぐわない報道が多く、あまり参考になりません。敢えて推奨できる番組としては、31年間も続く『日立 世界・ふしぎ発見』と、池上彰の報道番組ぐらいでしょう。他方、外国では日本人のように他国に対する関心は高くなく、あっても日常生活の視点でドキュメンタリー風に取り上げる番組が普通のようです。

 また、日本人はパフォーマンスという英語を多用しますが、マイナスイメージの口先の派手な言動を揶揄する場合が多いようです。しかし、本来は演劇や音楽などで「上演」「演奏」、ビジネスで「実績」「効果」などを意味し、プラスイメージの良い意味です。英語好きの私には、政治家などのパフォーマンス発言に違和感を覚えます。

 さらに、大国に躍進した中国の人名や地名などにつき、未だに日本語読みをします。しかし、中国国内を個人旅行しますと、日本語読みが通用しません。メディア等は率先し、現地の中国語読みで呼ぶべきです。

 このように日本では当たり前の常識が、世界では非常識になる事が多々あります。これらの例を考察しますと、我が国の国際化レベルは決して高くはありません。200年以上も続いた鎖国制度のDNAを引継いでいるのでしょう。真の国際化 or グローバル化につき、特にこれからの日本を変革する若い世代へ次のメッセージを送ります。

 

(1) 先ず、外志を抱け! 願わくば、世界に雄飛せよ!

 人生には希望と夢が不可欠ですが、人口減少や長引くデフレなどに直面する日本では明るい将来像を描くのは困難な趨勢です。従い、世界に目を向けざるを得ない厳しい現実です。これからの日本を背負って行かれる若い世代は内向きマインドではなく、先ず外向きのグローバル志向、つまり外志を持って頂きたい。そして、可能なら世界に雄飛してください。多様で変貌する世界をもっと知るため、チャンスがあれば外国で学び、働き、旅をしてください。世界への雄飛は決して日本を捨てることではありません。外国へ出かけると、きっと日本の長所と短所、素晴らしさと改善すべき点などが客観的に分かるでしょう。また、様々な異文化に触れることにより偏見の垣根を取り払い、国際的な視野も広角化し、国際人として人間的にも大きく成長するでしょう。

 

(2) 口先だけではない、真の国際交流や世界平和を考え、実行しよう!

 私は8歳、国民学校(小学校)2年生の時に、1945年8月の終戦を迎えました。生地の大阪市は同年3月から米軍の空襲が始まり、両親の出身地、徳島市へ学童疎開しました。しかし、同年7月3日に米軍の大空襲があり、水田などを必死になって走り抜け逃げ延びました。私と弟妹は無事でしたが、子供たちをかばった両親は焼夷弾で負傷、特に母は左腕の肉が半分えぐられ骨が見えるほどの重傷。息子の私すらも直視できない傷跡は終生消えませんでした。戦地には行っていませんが、悲惨な戦争体験があり、終戦後は平和の尊さを実感しました。

 米国のオバマ前大統領がチェコのプラハで「核のない世界」を訴え、ノーベル平和賞を受賞して9年経ちますが、核軍縮に向けた具体的な取り組みは遅々として進みません。むしろ現在のトランプ大統領は自国第一を貫き、核兵器を近代化して維持しようとしています。同盟国の我が国は唯一の被爆国にも拘わらず、米国の核の傘に雨宿りして同調し、核兵器禁止条約に反対しています。半世紀近く世界を駆け巡り、危険な紛争国や地域にまで踏み込んでいった私から見れば、魑魅魍魎で溢れ笑止千万な話がこの世界に多過ぎるのが現実です。口先では世界平和と言っても、その実現は容易ではありません。国民一人ひとり、或いは民間ベースによる地道な国際交流や親善を通じ、真の世界平和が実現するものと祈り、ワールド・トラベラーは世界の旅を続けて来ました。

 

6.終わりに

 長寿社会とは言え、後期高齢者という人生の最終章を迎えながら、なぜ私は世界の旅を続けることに未練があるのか?答えは 「其処に世界があるから」です。世界は時には狭いが、やはり広いのが世界です。私の世界放浪の旅は、この世に命ある限り続けざるを得ない宿命かも知れません。また、私の分身であるプライベート・ミュージアム「世界の人形館」を彩る世界の民俗人形や紙幣・コインなど、コレクション収集の旅も来世に行く直前まで続くでしょう。時間がありましたら、真の国際化推進を目指し、ささやかな国際交流の実践の場である世界の人形館を是非お訪ね下さい。ご来館を熱烈歓迎致します。

 

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 上記講演の資料一式をご希望の方は、筆者が運営するプライベートミュージアム、世界の人形館まで受け取りに来て下さい。ただし、事前予約が必要です。

 TEL 04-7184-4745
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| 講演会 | 16:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
待望の大臣に就任した政治家との交流
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 櫻田義孝氏は懇意にしている(と自分では思っている)政治家だが、本日改造された第4次安倍内閣でめでたく大臣に就任した。衆議院議員当選7回のキャリアを持つが初入閣で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当の国務大臣、いわゆる五輪担当相に起用された。同氏はこの朗報をここ数年ずっと鶴首して待ち続けたであろう。筆者は同大臣のほかに、中央と地方の議員の諸先生数十人とお付き合いがあるが、大臣にまで上り詰める大願を成就したのは同氏が初めてである 。ご立派というほかない

 櫻田大臣と知り合ったのは、2009年の衆議院議員選挙で落選後の辛い雌伏時代である。今から10年近く前のことで、支援していた市議の紹介でご縁ができ、筆者が社会貢献として無料公開する個人博物館「世界の人形館」に何度も足を運んで頂いた。単に人形館の見学に終わらず、272ヵ国・地域を旅した私ことワールド・トラベラーが語る世界の話(自慢話で迷惑されたであろう)に熱心に傾聴して頂いたのが忘れ難い。これを機に外交に強く度胸のある政治家になると見込み、全幅の信頼を寄せて支援してきた次第だ。

 

  

 2011年11月世界の人形館で   2012年1 月世界の人形館で

  元気な頃の妻を交え     テレビ収録(右から2人目) 

 

 筆者よりも一回り以上若い68歳だが、なかなかの苦労人である。高校卒業後は大工になり学費を稼ぎながら大学に通った異色の努力家だけに、優等生タイプではないが腰の低い気さくな御仁である。3年3ヵ月続いた民主党政権時代でも様々に親交を続け、テレビ番組にも一緒に出演したことがある。この頃の捲土重来を期した地道な活動は、幣著書『 はワールド・トラベラー 』で簡単ながら紹介済みだ。また、ご夫人やお嬢さんなどの家族も人形館を訪れており、10年という交流期間の割には密度の濃いお付き合いになる。

 

  

 2012年1月地元のパーティー    2012年12月の衆議院選挙で応援

    で夫人と共に

 

 2012年の衆議院議員選挙で返り咲いた櫻田氏は第2次安倍内閣で文部科学副大臣、自民党千葉県連会長、自民党教育再生実行本部長など順調に要職を務めてきた。2017年の衆議院議員選挙で7選を果たし、大臣就任は時間の問題と言われたが本音で語る率直な発言が時々誤解や曲解を招くことがあった様だ。その間、地元(千葉県柏市・我孫子市)で毎年の年初に行われる「新春の集い」、年に数回開催されるセミナー「平成目安塾」、随時ある「支援者の集い」などのほかに、東京で開催されるパーティーにも筆者は欠かさず出席してきた。これらの集まりで時々顔を合わせたのが、今回の内閣改造で唯一の女性入閣を果たした片山さつき氏である。

 

  

 2013年2月南房総で一緒に花摘み   2012年1月東京のパーティーで

                      片山さつき氏を交え

 

   

   2013年7月地元の夏祭りで    2014年11月東京の集いで

                猪口邦子元大臣らを交え

 

 一方、この第4次安倍改造内閣に対し、野党各党は特にモリカケ問題で不評を買った麻生太郎副総理兼財務相が留任したことに一斉に反発した。また、例の如く批判が続出し、「閉店セール内閣」「自民党総裁選の論功行賞や滞貨一掃の感じが拭えない」などの酷評が目立った。これらの批判は多少割引が必要であろうが、謙虚にして真摯な受け止めが政権側に望まれよう。

 本題に戻るが、櫻田大臣は恵まれた2世や3世の国会議員が多い政界にあって、自力で切り拓いてきた立志伝中の人物と言えよう。政治家としては珍しく金銭的にクリーンで、明るい性格が持ち味である。国家国民のため、活力みなぎる国造りのため、そして来る2020東京五輪の大成功のために、格別の尽力をお願いしたい次第だ。また、健康に加え、周囲が心配する発言にも留意され、益々のご活躍を祈念したいものである。

 

               ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇


講演会のお知らせ
 

 筆者の ワールド・トラベラーこと癲々治が下記要領で講演します。お時間があれば、是非ご聴講下さい。

主催者:JAPAN NOW 観光情報協会

    『第146回観光立国セミナー』

日時:10月12日(金)12:00〜14:00  
場所:海事センタービル2階 会議室

         東京都千代田区麹町4−5  TEL 03-3265-5481  
演題:272ヵ国・地域を旅した

   ワールド・トラベラーが想う真の国際化
入場料:有料
お問い合わせ:観光情報協会事務局 TEL 
03-5989-0902 or

       世界の人形館 TEL 04-7184-4745
        E−MAIL  ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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| 国内政治 | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
 南北首脳が登った白頭山(長白山)の想い出
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 韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が、9月18日から今年3回目の南北首脳会談を平壌で行った。同大統領は記者会見で、「アメリカが敵対関係を終わらせるなら、追加的な非核化措置を北朝鮮が取る用意があろう。」と強調した。また、寧辺のような重要な核施設を永久廃棄すると金正恩氏が表明したとの由。

 だが、北朝鮮通の専門家によれば、今回の会談も結局お祭り騒ぎに終始し、金正恩委員長は前向きに非核化を進めるというイメージを広める当初の目的を果たしたようだ。そればかりか、非核化にはアメリカが先に行動すればとの条件も付けており、下駄を預けられた格好の同国にしては今後は却って重荷になろう。やはり今回の会談も、北朝鮮に実を取られた格好のようだ。
白頭山を登山した両首脳(ネットより転用・加工)

 

 さて、最終日の昨20日両首脳は、朝鮮民族の発祥の地と呼ばれる白頭山 ペクトウサンに登った。中国と北朝鮮の国境にまたがってそびえ、中国名は長白山である。標高は2744mもあり、朝鮮半島では最高峰だ。両首脳は平壌から空路で白頭山近くの三池淵空港に向かい、車とケーブルカー

に乗り山頂付近にあるカルデラ湖「天池」に着いた。因みに、白頭山はかつての抗日パルチザン闘争を展開した金日成主席の秘密拠点とされ、金正日総書記もこの地で誕生したとして金ファミリーの直系系統は「白頭系統」と呼ばれる。そんな由緒ある聖山を私ことワールド・トラベラーは2009年6月に中国側から登っており、その登山の模様などを紹介しよう。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 吉林省の東南部、延辺朝鮮族自治州安図県に位置する長白山 チャンパイシャン(北朝鮮名:白頭山)は休火山で、今回の旅で何度も見かけた鴨緑江や図們江などの源流である。アクセス方法はいくつかあるが、確実で日帰りできる延吉からのツアーを選んだ。延吉 イェンチーは北朝鮮との国境の町、丹東の北東およそ550kmに位置し、延辺朝鮮族自治州の州都である。

 人口約45万人で朝鮮族が多く、長白山観光の拠点で知られる。長白山は延吉の南やく西290kmほどに位置しており、登山する前日に市内を散策観光した。市内を流れる煙集河の畔には、カラフルで近代的なビルが建ち並び、とても北朝鮮国境に近い辺境の地とは思えない。また、延吉公園や青年湖公園などの公園も多く、内陸とは言え水と緑が豊かな情緒のある町である。

 

                           −−− 延吉 −−−

  

      煙集河     青年湖公園で遊ぶ筆者

 

 翌日は眠たい目を擦って早朝4時半にホテルを出発したが、あいにく雨が降っていた。ところが安図の町を通過して長白山自然保護区に入ると、幸運にも晴れ間が出てきた。午前10時ごろ山門に到着し、シャトルバスに乗り換えて3km南にある駐車場で降りた。その後また四輪駆動車に乗り換え、急カーブが連続する山道を一気に登って頂上近くの広い停車場に着いた。そこから天文峰の頂上を目指して登ること約30分、岩山の向こうの視界が急に開けた展望ポイントに着いた。

 滑り落ちはしないかと恐る恐る足元を見下ろすと、お目当ての天地が輝いていた。山頂に佇む南北約4.4km、東西約3.5km、面積10k屬曚匹竜霏腓淵ルデラ湖だ。湖水面の海抜は2194mもあり、最大水深は313mに達する。澄み切った無色透明の湖水は青く見え、湖を取り囲む灰色の16の峰々とのコントラストは息を呑むほど鮮やかで美しい。偶々晴天に恵まれたとは言え、時々霧や雲が立ち込めて幻想的な雰囲気を醸し出していた。対岸は勿論、神秘と謎の国、北朝鮮である。

 

     ーーー 長白山(白頭山)ーーー

  

      山門        天池を望む

 

  

  天池(対岸は北朝鮮)  天池を背にする筆者

 

 下山後は湖から流れ落ちた水が造り出す東北地方最大の滝、長白瀑布付近を散策したが、68mの落差はいささか物足りなさを感じた。やはりベネズエラのエンジェル・フォールやブラジル・アルゼンチンのイグアスの滝など、世界の大瀑布に見慣れているためかも知れない。この後は瀑布から800mほど下流の長白山温泉を訪れ、一風呂浴びて登山の疲れを癒した。

 

 

     長白瀑布       長白山温泉

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 金正恩委員長はなぜ文大統領を白頭山に誘ったのであろうか?実は国家プロジェクトとして、白頭山を含む日本海側地域を大々的に再開発する壮大な目論見があるようだ。多数の登山客が訪れる中国側に比べ北朝鮮側は整備されていないため、訪れる人たちはほとんどいないとか。もし、中国や韓国などから大勢の観光客が来れば、相当な外貨を稼げると皮算用しているようである。実際に白頭山の風光明媚さは、登山客を十分過ぎるほど魅了するものがあるからだ

 

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| 世界の旅ー中国など | 16:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
伊豆の温泉地巡りとシャッター通り化の地方衰退に想う
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 3年半前から長期入院中の妻のことが気懸りで、大好きな旅行、特に海外旅行もままならない。不完全燃焼の毎日が続き、体調のほうも持病が顕在化して良くない。そこで気晴らしにと数泊の国内旅行を思い付き、先ず次男の孫たちを誘ったが素気無く断られた。この間まで可愛がっていた彼らも20歳前後になり、独自の考えがあるのであろう。それは成長した証でもあるのだが一抹の寂しさを覚える。そこで已む無く一人旅をふと思い付いた。

 非常に強い台風と懸念されていた21号が関東から逸れることを見越し、今月の4日〜6日に伊豆半島の温泉地を旅した。JR東京駅から特急踊り子号に乗車したが、車内の乗客は僅か数人で赤字営業(?)のJRを案じた。さて、初日の宿を取ったのが熱海から約46km南の熱川温泉である。太田道灌が怪我を癒す猿の湯浴みを見て発見したのが発祥と伝えられる。駅を出てすぐ右の所に観光案内所があり、予約しようとしたが悉く断られ、やっと受け入れてくれたのがホテル・セタスロイヤルだ。

 

 駅を出て海沿いのホテルを目指して歩いたが、坂道がかなり急勾配である。途中で見かけたのが、熱川名物の熱い湯煙りが上がる櫓だ。温泉地としての雰囲気をいやが上にも盛り上げる。だが、なんとなく活気が無く、よく見るとシャッターを下ろしている店などが多い。ホテルのチェックインが午後4時を過ぎて遅かったこともあり、夕食は外食となった。予めホテルのレセプションから聞いていた居酒屋で刺身定食を頂いたが、お味のほうはもうひとつであった。

 

                        −−− 熱川温泉 −−−

  

     湯煙りを上げる櫓      ホテル近くのビーチ

 

 食事を終えてホテル付近をぶらついたが明るいネオンの灯は無く、ほとんどの店が営業しておらず、人気の無いシャッター通りに化していた。高度成長時代の華やかな温泉街の賑わいを知っているだけに、夜道は一層暗く感じて侘しくもなった。翌日はチェックアウト前に海岸通りを散策したが、台風の余波で海はまだ少し荒れていた。熱川ほっとぱあーく足湯の公園などを訪れた後、駅に向かった。だが、上り坂一方の道はきつく息も絶え絶えになり、81歳という老いを痛感させられた。

 

 熱川から電車で熱海に引き返し、下車後すぐに熱海港に向かった。初島行の高速船に乗ること30分で、首都圏から一番近い離島に着いた。熱海の南東10km沖合いに浮かぶ小島だ。港を出てすぐ左には漁師たちが営む食堂街が軒を連ねており、正午前でお腹も空いていたので一軒の食堂に入った。注文したのは久しく食べていない壺焼きの定食。まずまずのお味であったが、ご飯があまりにも少ないので御代わりを頼んだ。ところが、ご飯が無いとかで断られる始末で、何とも後味の悪い食堂であった。

 昼食後、近くの海岸通りや遊歩道などを散策した。伊豆半島東部の相模湾海上に浮かぶ島は南方からやってくる海流のお陰で冬も温暖で、亜熱帯植物が生い茂り、南国のリゾートアイランドの様なムードが漂う。小1時間ほど散歩して先述の食堂街近くの民宿を探したが、どこも宿が無いため早々と島を退去した。また、高速船で熱海に戻り、電車に乗って宿探しを始めた。

 

                                     −−− 初島 −−−

  

   初島港に着いた高速船   南国ムードの遊歩道を散策 

 

 熱海駅から約20分、3つ目の網代温泉なら宿があるだろうと期待して下車したが、駅員がいない無人駅であることを知った。こんなローカルなところに果たして泊まれる宿があるのかと不安になって小さな駅舎を出たが、ちょうど駅前に観光案内所(網代温泉観光協会)があったので飛び込んだ。丁寧に応対して頂いたのが中村さんという女性で、平鶴という海辺の湯の宿を紹介してもらった。お礼を言って案内所を出ようとすると、” 缶ビールと靴下を差し上げます "と言われて有難く頂戴した。初対面にも拘わらず実に親切な人である。

 このホテルもチェックインが遅かったので夕食が付かず、対面の磯料理店で新鮮な鯵の刺身定食を賞味した。食後、宿に戻ると名物の露天風呂に入浴したが、確かに眼下は海辺で波打ち際の露天風呂とは珍しい。遠くに熱海の灯が漁火の様に見え、少々暗いが幻想的な趣であった。翌日は周辺を散策後に駅に向かったが、この温泉地も駅前などの一部地域を除きシャッター商店街が目に入った。その後熱海に出て帰京した。

 

                                −−− 網代温泉−−−

  

     平鶴付近のビーチ       網代港付近

 

 3日間の伊豆路の温泉巡りを終え、考えさせられる点が多々あった。例えば、温泉地の商店街がシャッター通り化し、まるでゴーストタウンの様になり活気が無い現実だ。2020年の東京五輪を控えて東京の一極化が加速するが、少し離れた地方に行くとガラッと雰囲気が変わる。地方ではアベノミクス効果の恩恵とは縁遠い様で、人口減少の一因にもなっている地方の衰退が気になる。

 また、筆者は海鮮料理が大好きで、新鮮な海の幸を堪能したいと出かけた訳だが、全くの期待外れであった。この旅で頂いた魚料理はただ高いだけで、ボリュームもなく満腹からは程遠かったことだ。後日談になるが、居住地近くの和食レストランで海鮮料理を食べたところ、新鮮で安くて且つボリューム満点だ。わざわざ遠方の海辺まで出かける必要が無く、近場の内陸でも美味しい魚が食べられることが分かった旅でもあった。

 

                                 ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇


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演題:272ヵ国・地域を旅した

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| 国内旅行 | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
さまよえるイエメン難民と済州島
9

 最近「世界最悪の人道危機」と呼ばれる内戦が続く国がある。それはシリアではなく、アラビア半島の最貧国イエメンである。国連などはイエメンの人道危機を世界でも最悪と指摘する。2015年3月頃に始まったハディ暫定大統領派とイスラム教シーア派の反政府勢力のフーシ派との内戦は、夫々の後ろ盾であるサウジアラビアとイランという中東の地域大国をも巻き込む。大国の代理戦争の場でもある構図は、アメリカ vs ロシアのシリアと酷似する。詳細は2017年12月19日付け幣ブログ『内戦が泥沼化するイエメンの幻想紀行(その1』をご参照。

 人口約2800万人のうち約1万人が死亡し、その約4分の1が幼い子供たちである。武装組織により徴兵された子供たちも、3000人近くにのぼるとか。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、イエメンから国外(サウジアラビア・オマーン・ソマリア・ジブチなど)への難民は約20万人で、国内避難民も約200万人に達する。さらに、長引く戦闘や空爆で食料品などが人々に届きにくくなり、2017年末の時点で約840万人が飢餓状態に苦しんでいる。

 

 さらにイエメンから国外に逃れた難民の一部は、韓国を代表するリゾート地の済州島まで押しかけて来ている。マレーシア経由で1万1000kmも離れた島へ、ビザなしでも入国できる済州島限定の特別な制度を利用して入島し、難民申請しようとするものだ。その数は500人を超え、支援する地元住民もいるが、韓国の世論は難民受け入れに不寛容でトラブルが相次いでいるようだ。

 因みに、我が日本の難民受け入れは、依然として鎖国状態にある。2017年の難民認定申請は1万9628人に対し、難民認定されたのは僅か20人で認定率は1000分の1という狭き門である。これほど難民受け入れに閉鎖的な国は世界でも珍しく、国際社会から厳しく非難されないのが不思議でならない。我が国のグローバル化、或いは真の国際化につき、大いなる疑念を持たざるを得ない。

 

 さて、成田から空路で約2時間で着く最も近い外国が済州島である。気候が温暖なところから別名「韓国のハワイ」or「東洋のハワイ」と称されるリゾートアイランドを、2004年5月に当時は元気であった妻と共に訪れている。その旅の模様を紹介しよう。

 

    ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 本土から約90km離れた韓国最南端の島は、人口は約65万人、面積1847k屬覇厩餾蚤腓療腓任△襦0貌θ湘腓魄豌鵑蠡腓くした広さの火山島は、全体的に沖縄に似た感じだ。暖流の対馬海流が運んで来る豊かな海の幸に恵まれるが、島の中央にそびえ標高が1950mもある休火山の漢拏山(ハルラ)は島の農業などを困難にした反面もある。古くは独立国・耽羅(タムナ)を名乗るなど、独自の文化・歴史・風俗を今も残している。

 

 島の最大都市は島東部にある済州市である。同市から東へ約45kmに、済州島を代表する景勝地、城山日出峰がある。まるで岬のように見えるが、実は約10万年前に島の最高峰ハルラ山の噴火口が海中にできたもの。城山日出峰の頂上までは、整備された階段などのトレッキングコースを登って行ける。40分ほどで階段を上り切りと、 高さ182mの頂上に着く。眼下は馬の放牧場になっており、緑の噴火口が広がり牧歌的だ。噴火口の深さは90m、東西約450m、南北約350mのほぼ円形である。

 

  

   ハルラ山の頂上    城山日出峰を俯瞰  妻と城山日出峰を背に

 

 頂上は360度の展望台のようになっており、ため息が出るほどの景観が広がる。海側は青々とした海と火山口に生えた草木の緑色とのコントラストが神秘的で、島側は遠く彼方にそびえたつハルラ山なども見渡せる。ここから西へ約20kmにはサングムプリ噴火口があり、ハルラ山の噴火によってできた巨大な穴がある。この噴火口から13mほど南東に向かうと城邑民族村があり、わら葺き屋根と石を積んだ島独特の家が建ち並び興味深い。

 

 島南部の西帰浦は人口約8万人の済州島第二の町で、この町の中心地から東へ歩いて約15分、切り立った崖から東シナ海に直接流れ落ちる正房瀑布が見えてくる。海に直接落ちる滝は韓国では唯一ここだけで、世界でも大変珍しい貴重な滝と言える。幅8m、高さ23mの落差はそれほど高くないが、優美な姿と数少ない海辺の滝がセールスポイントで観光客に人気がある。

 

    

     サングムプリ噴火口               城邑民族村                    正房瀑布

 

 また、この滝から西へ約15kmにあるのが天帝淵瀑布で、まるで天女の白い羽衣のように美しい。最初に高さ22mから深さ21mの池に流れ落ち、その下の第二、第三の滝に続いている。滝の上には7人の天女像を彫刻した仙臨橋と天帝楼という楼閣があり、ここから眺める滝は格別の美しさだ。一方、滝から海岸まで続く2kmの道には100余種の暖帯植物が自生している。

 

 島西部で見逃せないのは翰林公園で、ヤシの木が生い茂る南国ムードが溢れる済州島最大にして唯一のテーマパークだ。約10万坪の広大な園内に亜熱帯植物園、立派な椰子の木通り、開発中に偶然発見された溶岩洞窟の双龍窟 や石灰洞窟の挟才窟 、財岩民俗村、蓮の池庭園、サファリ鳥類園などがある。

 最も圧巻は済州石の盆栽園だ。ハルラ山の噴火で形成された溶岩や玄武岩の奇岩、そして樹齢300年のカリンも見どころである。公園前には白砂と溶岩でできた挟才海水浴場が広がり、作家、司馬遼太郎の記念碑もある。

 

 人口約30万人の島最大の町、済州市の中心は繁華街になっている中央ロータリー周辺だ。ロータリーから東へ約400m行くと、済州島最大の市場、東門市場がある。市場の表通りは色とりどりのフルーツを売る果物店が多いが、奥に入ると路地が迷路のように入り組んでおり、新鮮な魚介類やトルハルバン(火山岩を彫って作る守り神)を売る店がずらりと並ぶ。この市場から約1km南下すると三姓穴がある。済州島のルーツとされる耽羅の国を創始した三神人の神話が残る聖地である。

 

  

        −−− 翰林公園 −−−             三姓穴

     

 一方、西海岸にある龍頭岩という奇岩は、その名の通り龍の頭に似ている。ハルラ山から流出した溶岩が海で固まってできたもので、伝説のある岩は夕暮れ時が美しい。一方、約6km南郊外に耽羅木石苑というユニークな私設公園がある。敷地面積1万屬留狷發砲蓮奇妙な形の石や木の根っこなどが多数展示され興味深い。

 

 ところで四方を海に囲まれた済州島には、新鮮な海の幸を材料にした様々な料理がある。特にカルチ(太刀魚)、オクトム(アマダイ)、オブンジャッ(トコブシ)、チョンボッ(アワビ)など豊富な海の幸を使った鍋料理や汁物は、値段も手ごろで味も最高である。また、海産物以外にも、黒豚のオーギョッサル(豚の5枚肉)、キジ料理などの特産物がある。

 特に舌鼓を打ったのがキジのしゃぶしゃぶ・クォンヨリだ。クォンとはキジのことで、済州島の名物料理である。大侑狩猟場のレストランで賞味した脂身が全くないキジ肉のしゃぶしゃぶは、キジの骨で取ったダシ汁に、ネギ・シイタケ・セリ・ダイコンなどの野菜を入れて作る。あっさりとした味でなかなか美味かった。最後はオジヤで締めくくり、食後満腹で歩くのが困難なぐらいであったほど。

 

  

          龍頭岩     石苑のトルハルバン  キジのしゃぶしゃぶ

                         クォンヨリ 

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆ 

 

  まるでハネームーンを楽しんだかのようなパートナーの妻は、不治の病(認知症)に伏して4年近くになる。妻の病状を考えると、済州島での懐かしき夢のような想い出も遠く彼方に吹っ飛び、悲しく切なくもなる。

 

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| 世界の旅−アジア | 01:58 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
2018アジア大会の開催地ジャカルタとパレンバンの想い出
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 第18回アジア競技大会2018が、今月の18日からインドネシアの首都ジャカルタで始まった。当初はベトナムの首都ハノイ開催される予定であったが、ベトナム政府が財政難を理由として開催を辞退した。代わりにインドネシアのジャカルタとパレンバンで開催されることになったが、2都市での共同開催はアジア競技大会としては初めてだ。大会前半のハイライト種目では、競泳で池江璃花子選手など日本勢の活躍が目立ち、ライバルの中国とのメダル獲得争いは熾烈のようだ。

 前回のジャカルタ大会は筆者が若かりし頃の56年前に開かれたが、今でも少しだが記憶している。当時は17競技に約1500人が参加したが、今回は42競技に約1万1500人が競い夏季オリンピック並みの規模である。ホスト役の

 

ジョコ・ウィドド大統領は国・インド・アメリカに次ぐ世界第4位の人口大国としての自負をのぞかせ、2億6000万人の国民を鼓舞する。そこには将来オリンピック招致を起爆剤とする国家の飛躍を目論む戦略が明白であり、来年の大統領選挙で再選を意識しているのであろう。

 

 そんな将来性があるインドネシアに、現役時代の1979年〜1984年に商社マンとしてジャカルタに駐在したことがある。当時は同地をベースにして広大なインドネシア各地を回り、パレンバンにも出かけたことがある。また、2003年11月にも訪れているジャカルタに就いては、2015年3月23日付け幣ブログ『インドネシア紀行(1) ワールド・トラベラーのジャカルタ駐在』と2016年1月20日付けブログ『テロで想起したイスタンブールとジャカルタ二都物語』で紹介済みだ。今回はさらに詳述し、パレンバンに就いても簡単だが触れたい。

 

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 ジャワ島の北西部に位置し、東南アジアを代表する大都市として発展する首都ジャカルタは、1619年から1942年までのオランダ支配時代はバタビアと呼ばれた。その後1945年8月まで日本軍が占領してジャカルタと改称された。日本とも古くから深い繋がりがある街は、北部のジャワ海に近く華僑系が多い旧市街と、南部の官庁・ビジネス街や高級住宅地などがある新市街から成る。

 旧市街で店やレストランを営業しているのは大半が華人だ。街の北側はジャワ海に向けて扇を半開きにしたような形をしており、その中央をチリウン川が蛇行する。商業地のコタを核とする旧市街が広がり、運河がある辺りはオランダ植民地時代の名残りを留めており情緒がある。南下すると新市街があり、官庁街などが広がる街の中心モナス周辺と、高級住宅地やショッピング街になっている南のクバヨラン・バルに分かれる。さらに南東近郊には大きなテーマパークがある。

 

 

 モナスとムルデカ広場 テーマパークのタマン   コタ地区の中心 

            ・ミニで寛ぐ筆者

 ジャカルタ観光のスタートは新市街にあり、インドネシアのヘソとも言うべきモナスという独立記念塔が一押しだ。ムルデカ広場の中央に高々とそびえる通称モナスは、高さ137mもあり街随一のランドマークになっている。この広場付近には、東南アジア最大級のイスラム寺院イスティクラル・モスク、外観が優美なカテドラル、ジャワ原人の化石などが展示される国立中央博物館がある。

 この広場からハヤム・ウルク通りとガジャ・マダ通りを北上 すると、旧バタビア地区のコタ(町という意味)に入る。かってオランダの植民地貿易の中心地で、運河の国から来たオランダ人が掘った運河がいくつかある。華人経営の商店などが軒を連ね、所々に商館風の建物や運河の跳ね橋が残り異国情緒を盛り上げる。コタから約3km東にはアンチョールという総合娯楽遊園地にはゴルフ場があり、駐在時代はよくゴルフを楽しんだものだ。

 

 

イスティクラル・モスク  アンチョールのゴルフ場   コタの運河の跳ね橋

 

 一方、ムルデカ広場を出て新市街の大通り・タムリン通りとスディルマン通りを南下すると、スタジアムやゴルフ場があるスナヤンに入る。さらに南に向かうとジャカルタ南部の中心クバヨラン・バルに着く。ショッピング街のブロックMを中心にして高級住宅街が取り囲み、この付近には筆者も含め多くの日本人が住んでいた。

 ここから約10km南東にはタマン・ミニ・インドネシア・インダー、略称タマン・ミニというテーマパークがあり、週末は家族連れで賑わう。敷地内の中央に配した池にはインドネシアの各島が浮び、池の周りを各州の郷土館などが建ってインドネシア全体が俯瞰できる。数ある郷土館の中でも、スラウェシ島のトラジャ地方で船形の屋根を持つ伝統家屋トンコナンが抜きん出て異彩を放つ。

 

                                  −− タマン・ミニ −−

   

 タムリン通り付近     トラジャ館    妻・長男・次男と


 長さ1790km、幅最大435kmもあり日本より広いスマトラ島の南東部にあるパレンバンは、ジャカルタの北西約430kmに位置する。人口は100万人を超え、油田開発で発展する町である。町中を流れるムシ川によって南北に分かれ、両岸を繋ぐアンペラ橋は全長1117mもある。日本が戦後に賠償の一環として建設した橋は船が航行する時は橋桁が上昇する昇開橋で、この種の橋としては東南アジア最大級とか。

 この橋の下流約6Kmにクマロ島という三角州のような小島があり、島の中央に中国様式の見事な九重塔がある。この島はその昔中国の王子とシュリーヴィジャヤの王女のラブストーリーの舞台とされ、九層の塔のそばに生えている大木は「愛の木」と呼ばれ、そこを訪れると恋愛が成就すると言われる。ほかに、賑わう市場パサール、ムシ川河口近くにあるバンカ島などを訪れた。

 

 

  ムシ川とアンペラ橋    クマロ島の九重塔

 

  約5年間に及んだ駐在員生活で最大の想い出は、息子たちの教育の関係で強いられた単身生活であろう。しかし、筆者と同じ境遇の単身赴任者が数人集まって御殿のような豪邸で寮生活を送り、5〜6名の召使が何から何まですべて身の回りの世話をしてくれたので、特に不便さを感じることは無かった。さらに、勤務先から専用車と運転手を提供してくれ、平民出身の筆者としては、最初にして最後の王侯貴族の生活を満喫した訳だが、今から思えば異次元の夢物語であったようである。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 アジア大会は昨日(2日)閉幕した。我が日本は中国に次ぐ75個の金メダルを獲得し、競泳女子で6冠に輝いた池江璃花子は最優秀選手(MVP)に選ばれた。一方、開催国のインドネシアのジョコ大統領大統領は、2032年のオリンピック開催国に立候補することを表明した。

 

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| 世界の旅−アジア | 12:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
公正が疑われる総選挙が行われたカンボジアの旅(1)
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 2週間もブログを更新しなかったので、何かあったのではと心配する読者がおられる。誠に有難いお気遣いである。実は最近貧血気味で、時々ふらつき寝込むことがあり体調は芳しくない。持病の腎臓機能低下の影響らしいが、人生100年時代の折柄この病と正面から付き合って行かざるを得ないであろう。つい前置きが長くなり恐縮だが、さて、

 

 カンボジアの国家選挙委員会が一昨日(8月15日)、かなり旧聞になるがさる7月29日に行われたカンボジアの下院議員選挙、いわゆる総選挙で、与党のフン・セン首相(写真下)率いるカンボジア人民党が125議席を獲得したと発表した。定数が125であるから、なんと全議席を獲得する文字通りの完勝である。人民党は2月の上院選でも全議席を占めており、事実上の一党独裁に国際社会の批判が高まりそうだ。

 5年前の前回総選挙で4割を超す票を得た最大野党の救カンボジア国党は、今回の総選挙前に解党に追い込まれた。また、政権に批判的なメディアも弾圧された。こうした異常な状況下で実施された選挙は、公正や自由とかけ離れたものである。欧米諸国などの国際社会はフン・セン政権による反対勢力弾圧を強く批判

(ネットより転用)

、政権への制裁にも動いている。因みに、確定投票率は83.02%であった。

 

 1993年に民主化への第一歩として内戦終結後初めての総選挙が実施されてから4半世紀が経ち、大きな節目の総選挙であった。この間一応民主化が進み、野党やメディアも育ってきたと言われる。しかし、逆行させたのは内戦時代から30年以上も首相を務めるフン・セン氏で、権力維持のための強権行使は批判されるべきである。同首相が斯かる声を無視するのは、欧米に頼らずとも経済支援で政権を支える中国の存在があるからであろう。

 中国は援助実施にあたり、欧米諸国のように民主化云々などの条件を付けない。カンボジアは中国と南シナ海問題を抱え対立するASEAN内にあって、むしろ中国の擁護者のようになっているのが実状だ。一方、我が日本は和平交渉からカンボジアに深く関与し、同国の国造りにも官民挙げて尽力してきた実績がある。日本だからこそできる現政権への関与のすべがある筈だが、菅義偉官房長官は明確なコメントを避ける。やはり外交は2〜3流と揶揄されるのは、的を得ているようだ。

 

 そんなカンボジアを筆者は1994年9月と2006年6月の2度訪れている。政治的には問題がある国のようだが、観光資源には恵まれた国である。世界的に有名なアンコール遺跡があるからだ。1992年〜1993年には自衛隊のカンボジア派遣(PKO)があり、未だ内戦の傷跡が深く残っていた1994年の旅の模様を紹介しよう。

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 内戦の後遺症がまだ重く残る現地を初めて訪れ、驚き考えさせられた場所がいくつかある。先ず首都プノンペンでは、かつてポル・ポト派が処刑した刑務所であったトゥールスレン博物館である。虐殺が行われた現場で、多数のしゃれこうべが山と積まれて展示されているのを見てギョッとした。この時のガイドがたどたどしい日本語を話す20歳ぐらいの青年で、後でぜひ案内したい場所があると言う。一緒に行ってみると、そこは青年が住む古いお寺であった。

 電灯も無く気味が悪いほど暗いお寺で聞かされた身の上話は、なんと両親がポル・ポト派に殺されて孤児になったとの由。確かに同じところで似たような境遇の若い男性たちが一緒に住んでいたので、青年の話は本当なのであろう。日本に帰ると直ぐにその青年に会話上達のためにと、日本語会話の本を送ってあげた。今や壮年になったであろう青年は、その後どうしているのか今も気掛かりだ。

 

        −−  トゥールスレン博物館 −−

   

    博物館の外観    館内の展示室と筆者   ポル・ポト

 

 ところで、プノンペンの市街地はメコン川、トンレッサプ川 、バサック川の3つの川が合流する地に広がる。内戦終結から3年しか経たず、街はまだ荒廃した感じであった。しかし、その後遺症をほとんど感じさせなかったのが王宮ウェアンである。立派な建物が多い王宮内でも、ひときわ人目を引くのが1870年落成の優美な即位殿である。また、この王宮の敷地内で異彩を放つのがナポレオン三世の館という洋館で、宗主国フランスのナポレオン3世の妻、ユージーヌ王妃からノロドム王に贈られたもの。

 王宮の南側に隣接するシルバー・パゴダでは、王室の仏教行事が行われる。エメラルド寺院と呼ばれるに相応しく、大理石の支柱とテラスが美しい。このパゴダの近くにノロドムス王のストゥーパがあり、精巧なレリーフが描かれている。王宮から約1km東にあるセントラル・マーケットはプノンペン最大の市場で、いつも活気があり巨大ドームを中心にして四方へ棟を延ばした姿がユニークである。

 

   

    王宮の即位殿    王宮前広場に立つ   シルバー・パゴダ   

 

 カンボジア観光のハイライトと言えば、文句無しに12世紀のクメール王朝時代に建てられた壮大なヒンドゥー教寺院アンコール・ワットと近くの仏教遺跡アンコール・トムであろう。首都プノンペンの北西250kmほどに位置し、アンコール遺跡群の観光拠点になっているのがシェムリアップだ。この町の中心部から北へ約3kmにアンコール・ワットがあり、気軽にバイタクに乗って出かけた。クメール語で「お寺の町」という語意を持つ寺院は、密林の中に忽然と現れる感じ。クメール王朝時代にヒンドゥー教の三大神ヴィシュヌ神に捧げる寺院として建立され、幅約190m、長さ約600mもある大寺院は単一遺跡としては世界最大だ。また、東西1500m、南北1300mもある広大な濠で囲まれる。

 さて、アンコール・ワットの唯一の入口である西参道の石畳の道を奥に向かうと、左右対称に釈迦が説いた教説の経蔵と2つの聖池(環濠)が配置されている。西参道を上ったところには蛇神ナーガの頭の像があり、これは雨の神様として崇められている。濠を渡り切ったところに横一列に広がる塀があり、目を凝らすと5つの門がある。中央が王が通り抜ける西塔門、そのすぐ両脇が庶民の門、最両端が象の門が並ぶ。西塔門テラスを過ぎていよいよ西塔門に入り進むと、十字回廊があり、1632年に祇園精舎と勘違いして訪れた森本右近太夫の書跡や4つの沐浴池跡がある。

 

  

 アンコール・ワット全景    参道        中央祠堂

 

 次に壮大なレリーフのギャラリーになっている第一回廊が、760mにも及び四方に広がる。インドの古代叙事詩『マハーバーラタ』や抒情詩『ラーマーヤナ』などが鮮やかに描かれている。更に進むと次の第二回廊では、妖艶なデバター(女性像)のレリーフが一面に彫られている。この回廊を出ると明るい空間が広がり、正面に第三回廊への階段と迫力ある中央祠堂が見える。中央祠堂では「神々の住む場所」としてアンコールワットの象徴である中央塔にもデバター像が残り、ここからの見晴らしが良く塔の上から見た雨上がりのアンコール・ワット遺跡の壮大さに感嘆した。

 

 他方、アンコール・ワットから北へ約1.5kmにあるアンコール・トムは、5つの門に囲まれた都城である。アンコール・ワットから続く道上に建つのが南大門で、顔の長さだけでも3mほどもある四面像が人目を引く。門をくぐって中に入ると遺跡の 中央には、 12世紀末に建設され、「バイヨンの微笑」と称される穏やかな微笑みをたたえた観世音菩薩のモチーフで有名なバイヨン が佇む。全体の構造は3層に分かれて高さ約43mの中央テラスを中心に、第一層に二重の回廊など、第二層は16の塔、第三層はテラスとなり、どの塔にも四面像が彫られいる。東門から入ると先ず第一回廊、次に第二回廊が取り囲み、中央テラスを囲む16基の尖塔が立つ。

 見どころは何と言っても観世音菩薩の四面像で全部で54もあり、優しい眼差しが何とも言えぬ独特の雰囲気だ。また、見る角度によって3つの菩薩が並んでいるように見える四面像がある。バイヨンの北には3層から成るピラミッド型寺院のバプーオンがある。11世紀中ごろに創建されたヒンドゥー教のシヴァ派の寺院で、長さ200mの円柱列に支えられた空中参道が続く。ここから少し北上すると12世紀末に造られた象のテラスがあり、王族たちが閲兵した王宮前にあるテラスで350mにも及び、外壁には象やガルーダの彫刻が連なる。ほかに付近の遺跡で見逃せないのが、南東2kmにあるタ・プロム遺跡だ。巨大に成長したガジョマロ(榕樹)がヘビのように建物や石に絡み、押しつぶされそう。

 

  

    バイヨン     四面像によじ登る     タ・プロム

 

 これらの素晴らしい遺跡を見学して痛感したのは、度重なる盗掘などにより顔や首がない仏像の浮彫りなどが多く、人間の愚かさに腹立たしく情けないと思ったことである。

 

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変な最近の世相:日本ボクシング連盟会長の疑惑と日銀政策修正
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 危険過ぎ災害とも言われる今年の猛暑、と言うより酷暑が続く。暑苦しく鬱陶しい盛夏の折柄、依然としてスポーツ界で不祥事が続き一層不快さが増す。過日の日本大学の悪質タックル問題で監督とコーチが処分されて一応一段落したかと思ったら、今度は日本ボクシング連盟のカリスマ会長が内部告発された。オリンピック強化選手に支給される助成金の不正流用や、奈良判定という疑惑判定などが問題化し、300人超の都道府県連盟の幹部やオリンピック選手の連名で、告発文書が提出されている。因みに、日大の悪質タックルに就いては、5月26日付け幣ブログ『悪質タックルの日大は森友加計問題の安倍政権と似ている!?』で詳述済みだ。

 6年前から「終身会長」となった山根明日本ボクシング連盟会長は強化委員長も兼ね、その権力集中は異様と言われる。筆者よりも3歳若い(78歳)が、元暴力団組長と親交があった御仁だけに凄味があり、彼の貫禄に負けた取り巻き連中は何かと忖度せざるを得なかったのであろう。少し前には日本レスリング協会で発覚した前強化本部長による選手やコーチへのパワハラでも、組織の正常な機能が不能に陥っていることが明らかにされた。これらの不祥事に共通するのは強力なトップの下、旧態依然とも言うべき上意下達が当たり前になっていることだ。だが「男の山根」を強調する古い気質だけに、最終的には会長辞任は不可避であろう。

 

 全く別の話になるが、3日前(7月31日)に日銀はまた金融政策を修正した。一見もっともらしいが、アベノミクスを振りかざす安倍政権になってからの経緯を振り返ると、疑問が浮かび不信感が募る。当初は大見えを切った2%の物価上昇率目標が3年前に不達成となり、さらに今度は今から2年後の2020年でも手が届きそうにないとか。このエンドレスな夢物語(政策)をいつまで継続するのか?また、最終的に目標は達成できるのか?筆者はもちろん、多くの善良な国民が抱いている疑念に誠実に答えているとは思えない。

 それでも黒田東彦日銀総裁は辞めようとしないし、むしろ去る4月には再任される始末である。この5年以上にわたり状況に応じて度々政策を修正してきたが、どこに問題があるのか謙虚に振り返ったであろうか?常に正しかったと過信する政策は屋上屋を重ね、むしろ迷宮入りして泥沼化し、不透明さが増すばかりである。斯様なことを続けている限り出口は見えず、2%の物価上昇率達成のゴールは遠のくばかりであろう。

 

  上記に加え、東京医科大学の入学試験で女子受験者の点数を一律減点の問題が明るみに出たが、ほかの大学でも似たケースがあるようで必要悪と擁護する向きもある。いずれにせよ、最近の世相は変なことが多過ぎるようだ。特に政界では十分な説明責任を果たさず、森友・加計問題の幕引きを図ろうとする安倍長期政権下、ウソをついても、また忖度してもまかり通る風潮が蔓延して様々な不祥事が多発している。自然界でも過日の12号台風は、なんと逆走する始末だ。何かが狂っているとしか言いようがない。

 

 いつもは7月上〜中旬に開花する当家のカンナが、本日やっと咲いてくれた。花まで変になったのではと思うのは、いささか思い過ごしかも知れない。カンナは真夏の炎天下、大きな葉の間から色鮮やかな花を元気に咲かせる。花言葉は「情熱」で、真夏の強い日差しに負けない強さと華やかな姿に相応しい。暑くても花を愛でているとホッとする

ものがあり、妙に汗もかかないから不思議だ。これがウソをつきがちな複雑怪奇な人間様と違うところであろう。

 

 2年後の東京五輪のことを考えると、諸外国にも批判されないようなスポーツ界の自浄を切望したき次第である。

 

後記

 日本ボクシング連盟の山根会長は本日記者会見し、会長辞任を表明した。しかし、単なる会長を辞任しても理事に留まれば、連盟内での内紛は続こう。除名などの厳しい処分が無ければ、騒動は簡単に収束しないであろう。これが2年後の東京五輪にも影響することを懸念する。(8月8日)

 

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