世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
外国人受け入れ拡大で期待される国ベトナムの旅(2)
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 一昨日(10日)に閉幕した第197臨時国会では、最大の焦点であった外国人労働者の受け入れを拡大する改正出入国管理法など、政府が提出した法案全てが成立した。特に来年4月から施行される改正入管法の採決強行ぶりは正視に耐えないもので、明らかに審議時間不足の消化不良法案以外の何物でもない。いくら人出不足問題が喫緊とは言え、拙速主義の禍根を残したのではないかとの疑念は消えそうもない。

 この法案成立によって「特定技能」という新たな在留資格は、技能水準によって2段階になる。在留期限は最長5年で家族帯同が認められない特定技能1号と、在留期限は上限が無く免許制で家族帯同が可能な特定技能2号である。政府は5年間で最大34万5000人の受け入れを見込み、建設や介護など14業種を検討の対象とするが、下手をすれば「取らぬ狸の皮算用」にも成りかねない。

 と言うのは、我が政府が期待したほどの人材が集まらないリスクもあるのだ。人出不足は日本だけのものではなく、他のアジアの経済成長が著しい新興国などでも深刻で、人材の奪い合いが熾烈なようだ。外国人に求められる技能の中でも、彼らにとってハードルが高いのは日本語習得であろう。日本以外ではあまり使えない日本語ゆえに、むしろ日本を敬遠して他国で働きたいとの希望者が多いと聞く。

 

 さて、外国人材で特に期待されているのは、働き者のベトナム人であろう。外食で出かけて入ったレストランの多くでは、ベトナム人が甲斐甲斐しく働く。計画経済から市場経済への転換後は経済発展が目覚ましいベトナムは1994年9月、1996年10月、2002年12月の3度も訪れており、既に2017年3月2日の幣ブログ『天皇、皇后両陛下ご訪問のベトナムの旅(1)−古都ハノイとフエ』で紹介済みだ。今回はホーチミン以南の南部につき、触れてみたい。

 

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 サイゴン川沿いに広がるベトナム最大の経済都市ホーチミンは、フランス植民地時代のシックなコロニアル様式の建物が点在する情緒ある街並みを形成する。一方では、解放後の急速な発展による開発ラッシュで、どこも人、人、人、バイク、バイクで溢れエネルギーが充満する。観光のスタートはホーチミン市人民委員会庁舎 の公園広場がおススメだ。通称ホーチミン市庁舎は1908年に当時のサイゴン市庁舎として建てられ、優雅なフレンチコロニアル様式の建物は観光客に人気がある。建物正面前の公園広場には建国の父ホー・チ・ミン像が設置され、腰かけた「ホーおじさん」と寄りそう少女の像が立つ。

 

 

    ホーチミン市人民委員会庁舎         庁舎前の公園広場

 

 この公園からサイゴン川に向かって東に延びるメインストリートがグエンフエ通りで、この通りの北側を平行するのがドンコイ通り。土産物店やレストランなどが多く、散策にも良い。市庁舎から約700m西に行くと統一会堂(旧大統領官邸)がある。1966年築のかなり豪華な建物は、南ベトナム政権時代に独立宮殿と呼ばれた旧大統領官邸だ。1975年4月30日に解放軍の戦車が官邸に無血入城し、ベトナム戦争は終わった。大統領作戦室で記念撮影した。ここから北西500mほどにあるのが、1880年に建てられたネオゴシック様式が見事なサイゴン大教会だ。尖塔の高さ58が、実際よりもひときわ高く見える。この大教会の対面にあるのがサイゴン中央郵便局で、パリのオルセー美術館はモデルにしたと言われ、内部の半円形の天井が素晴らしくクラシックな雰囲気を醸し出す。

 

   

        旧大統領官邸      サイゴン大教会前の筆者  

 

 市の中心部から西へ約5m行くと、在ホーチミンの華僑の大半が住むチョロンというチャイナタウンがある。見どころは1914年に完成したチョロン最大の中央市場、ベンタイン市場だ。生鮮食品、繊維、雑貨など品揃えが豊富で、ベトナムにいながら中国のムードが漂う。街にはいくつかの仏教寺院があるが、南部ベトナム一の規模を誇るのがヴィンギエム寺(永源寺)で日本とも縁が深い。日本留学の僧が開いた寺は1971年と新しいが、、石段を上がった右手にある「平和の鐘」と称される鐘楼は日本の曽洞宗の寺から寄贈されたもの。ベトナム伝統の一つとして知られる水上人形劇はロンヴァン水上人形劇 を鑑賞した。会場は統一会堂の西側にあり、初めて観るショーに魅入られた。

 

 

  ベンタイン市場を散策         水上人形劇

 

 市庁舎前の公園からメインストリートのレロイ通りに出て約200m北上すると、繁華街ドンコイ通りと交差する近くにサイゴン・オペラハウスとも呼ばれるホーチミン市民劇場がある。1900年にオープンした建物はやはり フレンチ・コロニアル様式で、パリのプティ・パレ美術館に似たファサード(建築物の正面部分)がひときわ目立つ。市民劇場からサイゴン川に向かう途中で、色彩溢れるユニークな建物が目に入った。黄色の壁に囲まれたヒンドゥー教寺院のスリ・タンディ・ユッタ・バニで、中に入ると青やピンクの世界が広がる。回廊の柱には神様を描いた絵があり、壁や床に貼られたアンティーク調のタイルが美しい。サイゴン川に出るとそこは港になっており、約2時間のクルーズを楽しんだ。ハイカラな船上ホテルがある一方、今も水上集落に暮らす貧しい人たちの姿も見かけた。

 

 ホーチミンから車で国道1号線を南西に向かう事およそ2時間、メコン川クルーズの拠点となるメコンデルタ河口の町ミトーに着いた。竜眼やマンゴーなど果物の産地、或いは米粉で作られるフーティウ麺の本場として知られる。町の東側にあるミトー市場に少し寄った後、船乗り場から小さなモーター付きの木造船に乗り込みメコンクルーズに出かけた。全長4000km、遥かチベットを源流に持つメコン川が長い旅路の末に辿り着くのがベトナム南部である。この地域を流れる頃には川幅はなんと3kmほどにも及び、多くの支流を縦横に延ばす大河となる。日本ではちょっと体験できない大河の魅力を楽しめるのがメコン川クルーズだ。

 

 

   ミトー付近のメコン川   ジャングルクルーズを楽しむ

 

 両岸のジャングルを眺め、のんびりと川風に吹かれ茶色く濁ったメコン川の雄大な流れの中を行く。その間甘いココナッツのジュースを飲みながら、寛ぐのがなんとも心地良かった。メコン川の周囲ではココナッツの栽培も盛んで、そのヤシやマングローブの林を小さな手漕ぎボートでくぐって行くのが熱帯ジャングルクルーズ。覆いかぶさるようなヤシの葉の中をくぐって行く一方、観光客を載せた小舟が次々とやって来るので、衝突しないように避けながら進んで行く少々リスキー体験が楽しめる。その後は中州にあるタイソン島に上陸し、果樹園を散策した。島のレストランでは、パイナップル・バナナ・竜眼・ランブータン・ドラゴンフルーツなど色々なトロピカル・フルーツ付きのランチを堪能した。 

 

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 現行の技能実習制度では、実習生を送り出す国での悪質なブローカーの暗躍が問題になっている。この点では先輩格の韓国を見習うべきであろう。政府間で情報を共有し、悪質ブローカーが関与した労働者は入国させないシステムが確立しているからだ。

 

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| 世界の旅−アジア | 12:20 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
移民キャラバンの中心国・ホンジュラスの旅
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 国内では外国人労働者の受け入れ拡大を目指す出入国管理法が衆議院で強引に可決され、参議院で審議中だが、この法案が移民法ではないかと懸念する向きもある。一方国外では、1万人近い移民キャラバンがアメリカを目指しているのが話題になっている。中米諸国からアメリカへの移民を目指す移民キャラバンという一団を、15年ほど前から移住労働者を支援する非営利団体が案内してきた。

 貧困や治安悪化などから逃れようとアメリカとメキシコ国境に移動し難民申請する訳だが、これまでの参加者は数百人〜千人と小規模であった。そのうちアメリカとの国境に到達するのは1割程度に過ぎず、しかも難民申請が認められるのは僅かで大半がメキシコに残留するとの由。

 

 今年は10月13日に出発したホンジュラスの先頭グループをはじめ、エルサルバドルからもキャラバン参加が加わり、グアテマラやメキシコを経てアメリカ国境を目指している。既に先頭集団はアメリカと国境を接するメキシコ北部の町ティファナに到着し、高さ6mほどもある高い国境の壁をよじ登り不法入国を試みる

(写真)が、アメリカ側は排除に懸命だ。自国第一主義を唱えるトランプ政権は国境管理を強化しており全米から集めた約5000人の兵士を配し、後方で国境警備隊をサポートする。

 しかし一方では、移民労働力に依存してきたアメリカ経済への影響を懸念する意見もある。と言うのは中米諸国からの移民は、アメリカの農園などで貴重な労働力になってきたのだ。トランプ大統領の厳しい政策は、アメリカ国内に数多くいるメキシコ系移民にも多大の不安感を与えている。さて、筆者は移民キャラバンの中心になっているホンジュラスを、19981年と2000年12月に訪れている。その旅の模様を紹介しよう。

 

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 ホンジュラスの面積は日本の約3分の1の11万2492k屐⊃邑は約740万人。中米では珍しく内戦が無かった国だが、中米ではニカラグアと並んで最も貧しい国である。産業の中心は農業で、高原地帯で生産されるコーヒーの多くは輸出され、バナナの生産やエビの養殖も盛んだ。

 

 首都テグシガルパは海抜990mのテグシガルパ谷中に位置し、朝晩は少し寒いくらい冷える。丘が多くて細い坂道が続き、家々がびっしり建て込むさまは、ペルーのクスコを10倍ほど大きくした感じだ。壮麗な教会群が目立つ街中は、クリスマスをひかえて活気があった。コロニアル調の建物が多い街の中心は、立派な外観のカテドラルが建つ中央公園だ。このカテドラルの見どころは、スペイン・コロニアル芸術の傑作と言われる細工が美しい祭壇である。

 

       −−− テグシガルパ −−−

 

     市街地を俯瞰        カテドラル前の筆者

 

 中央公園から北西方向に歩いて約5分の所に建つドローレス教会も、なかなか優美である。この両教会の周辺はホテルやレストランの多い商業地区で、華やかさがあり賑わう。新市街から南下してチキート川を渡ると旧市街に入るが、川に架かる橋のたもとなどが風情があった。家々が建て込んで坂が多い市街地を一望するなら、街の北外れにあるピカッチョの丘が一押し。丘の上からの眺望が素晴らしく、カフェや小さな動物園があるので市民憩いの場でもある。

 

   

 中央公園で地元民と交流     チキート川に架かる橋

 

 郊外では、街から東へ車で40分ほどにあるバジェ・デ・アンヘレスが見逃せない。名前の通り天使が住んでいるような感じの穏やかな町で、標高1310mの高原にありテグシガルパに比べるとヒンヤリする。民芸品の里として素焼きの食器など素朴な味わいの民芸品が売られ、のどかな佇まいが良い。

 

                      −−− バジェ・デ・アンヘレス −−−

 

 

 ホンジュラスのマヤ遺跡と言えば、西部にあるコパン遺跡が一押しだ。グアテマラとの国境からわずか10kmほどにあり、代表的なマヤ文明都市遺跡で石碑や神殿階段装飾が見事だ。最盛期は西暦450〜800年頃と言われ、何よりも遺跡を有名にしているのは深い彫りの美しい彫刻群だ。遺跡に入ると、まず、広々としたグラン・プラザという広場に出る。ここには多くの石碑が置かれているが、大半はコパンの絶頂期の18ウサギ王(695〜738)が建てたもの。彫りの深い立体的な石像(ステラ)が数多く作られ、特にステラBが、双頭の蛇や亀などの祭壇と共に興味深く見応えがある。

 広場の南側には球戯場があり、日本の蹴鞠のようなボクアトクという奉納競技がプレーされたとか。この球戯場の東南に高さ約30mの神聖文字の階段 があり、コパン朝の歴史絵巻が2500余の象形文字刻まれている。この階段の南にあるアクロポリスを通り過ぎて更に南に進むと、西広場に出る。その一角にある祭壇Qと呼ばれる四角い石の彫刻は、マヤ暦に関するものと言われる。

 

 

 コパン遺跡:ステラB     コパン遺跡:球戯場

 

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| 世界の旅−中米・カリブ海 | 13:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
逮捕されたゴーン前日産会長を育んだレバノンを懐かしむ(1)
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 ゴーンショックというトランプ大統領も影が薄くなるほどの経済事件が、連日大きく報道されている。コストカッターとして名を馳せ日産自動車再生の救世主と言われたカルロス・ゴーン代表取締役会長が、腹心のグレッグ・ケリー代表取締役と共に、金融商品取引法の違反、つまり有価証券報告書の虚偽記載容疑で東京地検特捜部に逮捕されたのだ。同容疑者の約10億円という高額の役員年報酬については以前から賛否があり、直近の過去8年間だけでも約80億円の過小申告があったよう。因みに、ゴーン容疑者に対する容疑は、日産社内の内部通報に基づき固められ、司法取引を利用した由。 

 加えてジーア(Zi-a)という子会社を

通してブラジル・リオデジャネイロ、レバノン・ベイルート(写真)、フランス・パリ、オランダ・アムステルダムに約20億円の高級住宅を購入させ、無償で提供を受けていたなど、他にも絶対的な権力をバックにして過度の

 公私混同があったとされる。これを受けて 日産自動車は一昨日(22日)に臨時取締役会を開き、ゴーン容疑者の会長職を解任して代表権を外し、ケリー容疑者の代表権も外すことを決めた。また、兼務している三菱自動車の会長職も、近々開かれる臨時取締役会で同様の提案がされる見通しである。

 

 しかし、ゴーン容疑者が会長兼最高経営責任者(CEO)を兼務するフランスのルノーは、取締役会でCEO職の暫定的な代行を置くことにしたものの、会長兼CEO職の解任は見送り、日本側の日産と三菱自動車と対応が全く異なっている。また、ルノー側はむしろ同社に統合されるのを嫌う「日産のクーデター」と捉えている様で、ルノーに15%出資し最大株主であるフランス政府もマクロン大統領が乗り出すなど、かつて国営企業であった同社を擁護する動きがある。

 因みに、約20年前の日産は倒産寸前であったが、ルノーの出資を仰ぎゴーン前会長が最高執行経営者(COO)として派遣され、同社の傘下に入り更生を図った。その後日産は前会長の強力なリーダーシップの下、V字回復して2003年には2兆円の負債を完済した。更に2017年には、ルノー&三菱自と合わせた世界販売台数は1060万台超と世界一を達成した。 なお、ルノーは日産に43%出資して議決権を持つが、同社の売上高は日産の6割ほどに過ぎないねじれとなっており、このねじれがルノーと日産の主導権争いの主因になっているのでは?

 

 今回の事件の主役になっているゴーン容疑者が、ブラジル・フランス・レバノン3ヵ国の国籍を持つ多重国籍者であることも興味深い。1954年にブラジルで生まれ、約10年間の少年期はレバノンで育ち、その後フランスのパリで学び、フランスの大手タイヤメーカー、ミシュランに入社後ルノーにスカウトされた経歴を持つ。両親はレバノン人で、現地名の発音はゴーンでなくゴスンで、高名な一族として知られる。1974年〜1977年に近くのクウェートに商社マンとして駐在経験のある筆者は、レバノン人と取引した事もあり彼らの商才を熟知している。

 カリスマ性を感じるオーバーアクション気味の言動と、英仏語やアラビア語など数か国語を操るバイリンガルは正しくレバノン人である。更に遡れば海上交易に従事し、優れた商人であったフェニキア人の末裔である。クウェート駐在時代に彼の祖国とも言うべきレバノンへ8度も出張しており、リタイア後の2000年6月と2005年1月にも旅しており、中東諸国の中でも大好きな国の一つだ。イスラム教徒が圧倒的に多い中東では、珍しくキリスト教徒も多い多様なモザイク国家である。かつて「中東のパリ」と称えられた美しき首都ベイルートと、その郊外を紹介しよう。

 

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 1970年代中頃までのベイルートは政情が安定し、冬は温暖で夏もあまり暑くなく、嬉しい事にお酒も飲めるため日本の駐在員が多数住んでいた。当時担当していた取引先の合繊メーカー(東レ)の中東事務所がベイルートにあり、クウェートから打ち合わせのために年に数回も出張した。実は打ち合わせとは表向きで、勤務地のクウェートが禁酒国で娯楽も少なく、戒律が厳しいイスラム教国から一時的に逃避するのが主目的の出張であった。また時々家族(妻・長男・次男)を引率して旅行した。

 レバノンの面積は岐阜県と同じ10400k屬閥垢い、荒涼たる砂漠が多い中東では珍しく緑が多い。2000〜3000級のレバノン山脈とアンティレバノン山脈が、地中海沿いとシリアとの国境近くを走る。気候は地中海性で、一年中さんさんと陽光が降り注ぎ快適そのものだ。その歴史もアルファベットが生み、ギリシアやローマ以前に

      港よりレバノン山脈を望む

フェニキア人が活躍した輝かしい時代を持つ。

 20世紀後半に油開発ブームが到来すると、周辺の中東産油国のサウジアラビアやクウェートなどがレバノンに多額の投資をしたお陰で、中東最大の金融センターに成長した。小国とは言え実に変化に富み多様性がある、魅力満載の観光立国であった。しかし、宗教的に複雑な「モザイク国家」は、1975年頃から始まった内戦で美しい町並みや国土が無残にも破壊されてしまった。
     

 南ヨーロッパの港町を彷彿させるような開放的なベイルートは、西側は紺碧の地中海沿いの海岸、東側は「中東のスイス」と呼ばれ冬には冠雪して白銀の世界となる山岳地帯が広がる。街はイスラム教徒が多く住む西ベイルートと、キリスト教徒が多い東ベイルートに大別されるが、見どころは西ベイルートの方が多くて面白い。例えば、ラウシェ地区の地中海沿いの風光明媚な海岸通りコルニーシュには、多くのカフェやレストランが並んで活気があり、陽光あふれる南欧風の開放的なムードが漂う。この近くにはベイルートのランドマーク、鳩の岩と呼ばれる2つの巨大な岩がある。真っ青な地中海に立っており、記念撮影には絶好のポイントだ。

 

  

 地中海に面した ベイルート俯瞰 海岸通りコルニーシュで長男・次男と 

 

    −−−ベイルートの名所・地中海に浮かぶ鳩の岩−−−

 

1975年家族(妻・長男・次男)と   2005年に訪れた筆者

 

 ほかに、見逃せないスポットとして、ショッピングのメッカとして賑わうのがメインストリートのハムラ通りでホテルなども集中しており、かつては夜のお相手もしてくれるヨーロッパの女性たちが多い歓楽街でもあった。また、白砂海岸ラムレッタル・バイダ、庶民的な下町バルビール、内戦時(1975年〜1990年)は戦場になり往時の面影がほとんど残らない旧市街(エトワール広場、ローマ浴場跡、マロン派教会、マーサー広場)などがある。一方、東ベイルートは、教会が点在し高級住宅街が続くが、観光面では若干魅力を欠く。

 

 郊外は市内から北へ約24kmにあるカジノ・ドゥ・リバンは、ヨーロッパ的な雰囲気が漂う。豪華なショーが名物で、特に巨象が舞台をのっしのっしと歩き迫力満点だった。南48kmほどにある宮殿ベイト・エディーンはシューフ山地の中に静かに佇む。19世紀にレバノンを統治した支配者が建てたものでイスラム伝統建築の集大成として知られ、訪問当時は大統領の夏の宮殿として使われていた。中央に噴水のある中庭が美しい宮殿に囲まれ、ハマーム(浴場)の装飾が素晴らしく、宮殿内にあるモザイク博物館も見逃せない。

 

   

     エトワール広場        下町バルビール

 

 

ハムラ通り付近を長男と次男と共に    ベイト・エディーン

  散策中に地元民に囲まれる   

 

 豪華で魅惑的なカジノとショー、海と山の幸が堪能できオレンジが最高に美味しいグルメ、すぐかっとなるが開放的でお人好しなレバノン人気質、商売上手なレバシリ商人など、今となれば夢物語のような楽しい思い出ばかりが懐かしく残像のように残る。

 

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  東京地検特捜部の厳しい取り調べに対し、逮捕されたゴーン前日産会長は徹底的に容疑を否認するであろう。だが、前会長の私物化は日を追うごとに明らかにされ、約40億円のストック・アプリシエーション・ライトという株価連動報酬(SAR)も有価証券報告書に記載していなかった様だ。

 今後フランス政府を巻き込んで紛糾すれば、場合に依っては日本とフランスの外交関係にも影響しよう。日産とルノーの両社は生産と部品調達の統合や経営合理化を業界では前例のないレベルまで進めてきただけに、提携を解消するという「離婚」は極めて至難であろう。クリスマスを間近に控え、今後の成り行きが注目される。

 

                                 ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

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  私ことワールド・トラベラーは講演・講義を全国各地で行っています。主目的は地域や街の活性化と真の国際化推進、そして三流とも揶揄される日本外交再生などの一助です。そのために世界に関することであれば、旅行、文化芸術、宗教、歴史、政治や外交に関する国際情勢、グルメ、環境、経済や産業などジャンルを問わずワールド・トラベラーとして恥ずかしくない講演をします。しかも272ヵ国・地域を旅した実体験をベースに、他人様の情報をコピペ(切り貼り)しない異色のノンフイクションをありのままにお話します。
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                    ― ― ―  講演会風景 ― ― ―
  
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| 世界の旅−中東・北アフリカ | 14:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
APEC首脳宣言が採択されなかったパプアニューギニアの幻想紀行
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 日本、米国、中国など21ヵ国・地域が参加し、パプアニューギニアの首都ポートモレスビーで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議が昨18日閉幕した。会議では本年に入り過熱化する一方の米中貿易戦争の尾が引き、米中両国の首脳(ペンス副大統領と習近平国家主席)が通商政策を巡り批判合戦を応酬し、対立したまま首脳宣言の採択を断念した。この不採択は1993年のAPEC首脳会議の発足後、初めての異例のことだ。

 具体的には、会議で米国は中国が国有企業に巨額の補助金を出しており、外資規制や行政審査を通じて外国からの進出企業に技術移転を強要していることを批判した。一方、中国もトランプ政権の自国第一主義に反発し、米国の保護主義や一国主義を非難した。これに同調する国もあったとみられ、議長国ではあるが力不足の弱小国であるパプアニューギニアは調整出来なかったようである。11月末からアルゼンチンでG20首脳会議が予定されているが、米中対立を和らげる妙案があるのであろうか?

 

 因みに、パプアニューギニアがこれほどの大きな国際会議を開くのは初めてで、ホテルや移動用の車両も不足していた。しかし、各国の様々な支援を受け何とか開催に漕ぎ着けたようだ。例えば、ポートモレスビー港には3隻の大きなクルーズ船が停泊し、各国の代表団や海外メディアなどの宿泊施設

 ホテルになったクルーズ船

 (ネットより転用・加工)

となった。また、政府は1台約1000万円はするイタリアの高級車を40台も購入したため、国民の約4割が貧困層である同国では、貧しい国民の暮らしに予算を使うべきとの批判も呼んだようだ。一方、我が日本はバス、救急車、消防車を合計74台供与したとか。

 

 さて、米中摩擦の余波が押し寄せてきた平和な南太平洋の島国、パプアニューギニアを、筆者は1997年4月〜5月に訪れている。1960年頃までは石器時代より営まれて来た文化を持ち、現代文明に頑なに抵抗して伝統・風習を守り続ける部族が多い。 数百とも言われる様々な民族が混在する「地上の楽園」では昔ながらの生活が今も息付き、極彩色の祝宴に魅せられた原色のパラダイス旅行は、他の国では体験できない興味津々の連続であった。原色に彩られたハイランド王国周遊を紹介しよう。

 

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 成田から関空経由で、ニューギニア航空に乗り継ぎパプア・ニューギニアの首都ポートモレスビーへ飛んだ。到着後すぐに国内線で広大なハイランド(高原)の西端近くに位置するタリに向かい、同地で独特の伝統を守るフリ族の村々を訪ねて華やかで勇壮な踊りシンシンなどを楽しんだ。その後また、小型機に乗って東進し、ハイランドを代表する町マウントハーゲンに着いた。パプア最大のマーケットや特異な踊りを観賞後、バスでハイウェイをさらに東へ走行し、コーヒーの産地やハイランドショーで有名なゴロカに到着後、ポートモレスビーに戻った。

  赤道直下に近く鬱蒼としたジャングルが生い茂る秘境のイメージが強く、だが実際にはパプアの中央部に緑豊かでなだらかな高原のハイランドが広がっているとは、旅行前に全く想像だにしなかったことである。標高3000m級の山々に囲まれた海抜1500〜2000mの涼しい高原は  、まるで軽井沢のようで快適そのものの楽園であった。

タリ付近のハイランド

 

 ポートモレスビーから空路で西へ1時間半かけて着いたタリ村は、周囲が3000級の山々に囲まれた手付かずの大自然が美しい。この村では西洋文明との接触が1960年代と遅かったせいもあり、パプア・ニューギニアの中で最も独特で古い文化を守っている少数民族、フリ族が住む。特に男性は人毛のかつらを付けるので、ウィッグマンと呼ばれる。その大きなかつらは極楽鳥などの色鮮やかな羽飾りをあしらい、顔には赤・黄・青の鮮やかなフェイスペインティングが施されて個性的だ。

 タリに着いて先ず訪れたのが、シンシンという踊りを楽しんだアロカンバ村だ。黄色や赤の原色使いの化粧をしたり、鳥の羽でできた髪飾りをした男たち10人ほどが、太鼓や槍を手に繰り広げる踊りは実にダイナミックで勇壮だ。その後、静的なスピリットダンスを観賞したカガナル村、ウィッグマンのかつら作りを見るためにキギタ村を訪れた。因みに、タリ付近は紙幣のモデルにもなっている国鳥の極楽鳥の生息地としても有名で、高さが20〜30mもある高木のてっぺんにいるのを観察した。

 

         −−− アロカンバ村で鑑賞した踊りシンシン −−−

 

    勇壮なシンシンの踊り子たち アロカンバ村民と交流する筆者

 

 

キギタ村のウィッグマンと仲良く 2キナ紙幣で紹介されている極楽鳥

 

 タリの東約180kmに位置するマウントハーゲンではチンブー族の村クプヌン・クーを訪れ、ガイコツ踊りを観賞した。踊り子は体全体を黒く、骨だけは白く塗った姿で現れた。昔はこのような格好で土中に埋まり、敵が来襲した時にいきなり出て来て驚かしたそうである。筆者も踊るような仕草で、ガイコツ踊りに参加した。この村で忘れ難い動物に出会ったのがクスクスと言う体長70cm、尾長50cm位の可愛い有袋類で、コアラやカンガルーと同じ仲間だ。

 一方、ウィルヘルム山麓の町では茶栽培が盛んで、紅茶工場を見学した。マウントハーゲンの名物と言えば、何と言っても国内最大の規模を持つと言われるマーケットである。近隣の村々から農作物や果物、日用品、工芸品などあらゆるものが持ち込まれる。特に土曜日の市場は賑わい、遠くの村からも伝統的な服装をして参加する。

 

            −−− チンブー族のガイコツ踊り−−−

   

 

 マウントハーゲンの西115kmほどあるゴロカは、ハイランドショーで国際的にも有名な高原都市だ。郊外のミンディマ村ではアサロ族のマッドマン泥人間)の踊りを見学したが、全身に泥を塗りたくり、顔を全部覆う泥でできたマスクを被っている。これは怪奇な仮面をつけて相手を怯えさせる踊りである。元々泥人間は森の精霊を表しており、死体が生き返ったふりをして敵を驚かす戦いの方法であったとの由。筆者も試しにマッドマンになってみたが、泥の仮面が重すぎて首が痛かった。

 町の北外れにはゴロカ特産のコーヒーの半官半民会社があり、そのコーヒー工場で焙煎工程などを見学した。パプア国民の半分近くが何かしらコーヒー産業に関わり、生産の95%が良質のアラビカ種とか。空港の西南にあるJ.Kマッカーシー博物館は、1942年から40年間パプア政府関係で働いたオーストラリア人によって設立されたもの。ハイランド地方の文化や生活を示す壁画や展示品のほかに、第2次世界大戦での武器や米空軍戦闘機も展示され興味深い。

  

ミンディマ村でアサロ族の泥人間 マッドマンになろうとしたが・・

 

 さて、首都ポートモレスビー は人口約25万人は同国最大の都市で、近代的なビルが建ち並びパプア湾に臨む港町だ。公官庁が点在するワイガニ地区、商業地区のボロコ地区、港に隣接しショッピングセンターやレストランが建ち並ぶタウン地区に分かれる。近代的な街並みと伝統的な暮らしが同居する街全体を一望するなら、タウン地区の海に突き出たパガヒルがイチオシ。標高99mの丘の上には旧日本軍の砲台跡が残り、眼下のタウン地区や美しいエラ・ビーチなどが見晴らせる。

 パガヒルを下りて東へ向かい海岸通りを進むと、コキ・マーケットに着く。活気のあるこの市場では、内陸部のハイランドで見かけなかった様々な魚介類が目に付く。マーケットの近くにはモツ族の水上部落があり、ここではトイレはそのまま海へ流される。一方、街の北部にあるワイガニ地区では、精霊が宿ると言われるハウスタンバラン様式の国会議事堂が見逃せない。正面のモザイクが見事な近代建築で、内部は約200の壁画が描かれている。

 

              ( ポートモレスビー )

 

     市内を俯瞰          モツ族の水上部落

 

 ほかに、思いがけない東ハイランド州知事との面談、石蒸し焼き料理ムームーなどを賞味したグルメ、各地で出会った人懐っこい子供たちの触れ合いなど、今までの旅で経験しなかった新鮮な出来事が多々あった幻想紀行を堪能した。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 米中両大国が睨み合う中で、経済力ナンバー3の我が日本はただ傍観するのみで終わった様である。こう言う修羅場でこそ外交力を発揮し、日本の真の実力を世界に認めさせる絶好の機会を逸したのは残念である。もったいない!

 

                                  ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

 筆者にはパプアニューギニアに関する次の著書があり、ご関心ある方は是非ご購読下さい。

 

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 超大国アメリカの真の実力者は誰?台頭著しい中国を支える東南アジア経済界の覇者は誰?知られざる数々の少数民族から現代世界の縮図と課題が克明に分かる。幻冬舎 定価本体1,350円+税


    

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| 世界の旅―オセアニア | 23:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
世界最強になった日本のパスポートと苦労したアンゴラ旅行
10

 英国のコンサルティング会社、ヘンリー&パートナーズが最近公表した資料によれば、ビザなしで渡航できる国・地域の数を基準にしたパスポート(旅券)の強さ指数で我が日本が世界一になった由。即ち、日本のパスポートを所持していれば、ビザ(査証)なし或いは到着時のビザ申請で入国できる国・地域が190にもなり、今年の7月時点まで並んでいたシンガポールを追い抜いて単独1位になったのである。次に同指数の3位は188ヵ国・地域のドイツ・フランス・韓国、6位は186のアメリカ・イギリスだ。

 因みに、中国は74ヵ国・地域で71位、北朝鮮は42ヵ国・地域と制裁を受けている割には少なくはない。また、調査した199ヵ国・地域の最下位はイラクとアフガニスタンの30ヵ国・地域であった。一方、日本への入国時にビザが免除されているのは68ヵ国・地域に過ぎず、従来より難民や移民受け入れに消極的な閉鎖性を如実に物語っている。2年後に東京オリンピック・パラリンピックを控え、もっと大胆に門戸開放するグローバル化の推進が喫緊の課題であろう。

 

  ところで、パスポートの強さ指数とは、具体的にどう言うことを意味するのであろうか?この指数が高いほど国際社会での信用度が高く、信頼されていることに他ならない。国が経済的に豊かであるのは勿論、日本人の勤勉さやマナーの良さ、治安が良好で人権問題を抱えていない、国際的な協調性なども考慮されての事であろう。他方、発展途上国や独裁国家では上記の諸点で問題があるようで、全般的に指数は低い。

 今では日本人の海外旅行は当たり前になり、お金と時間があり健康であれば誰でも外国へ出かけられる時代だ。しかし、筆者が初めて異国の地を踏んだ半世紀前は、外国への旅立ちは様々な制約があった。第一は携行できる外貨は500米ドルと言う制限があり、筆者のような輸出で外貨を稼いで国に貢献していた商社マンにもこの外貨持ち出し制限が適用された。第二は渡航国のビザ取得で、敗戦の後遺症で国自体が貧しく国際的地位も低かったため、昔は日本に対してビザ取得を求める国が多く渡航前に苦労したものだ。

 

 因みに、筆者は過去半世紀にわたり272ヵ国・地域を旅した故に、外務省発行のパスポートは合計13冊にもなり、うち12冊を所持している。しかも、年間20回近く出国した年もあり、増補した分厚いパスポートが数冊もある。このパスポートで目を引くのが渡航国・地域のスタンプで、その通常の形は円・正方形・長方形・楕円形などである。しかし、最も印象的であったのが、南太平洋に浮かぶクック諸島のアイツタキ島に入島した時に押されたスタンプだ。なんと足の形をしており、ワンフットと言う名前の絶景の島まであるのだ。

 

    

     筆者が所持するパスポート  クック諸島のアイツタキ島

                    のスタンプ   

 

 日本のパスポートが世界最強になったとは言え、今もビザ取得を求める国が多く、またその取得が容易でないのがアフリカである。特にビザ問題で最も苦労し、さらに滞在中はトラブル続きであったのがアフリカ南西部に位置するアンゴラだ。2007年2月に訪れた苦難連続の旅の模様を紹介しよう。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 ワールド・トラベラーと呼ばれる筆者は、一旦ある国の旅を決断したら、概ね1年以内に実行し訪問する。だが、唯一の例外はアンゴラであった。この国の旅行を企画したのは20年以上も前であったが、1975年にポルトガルから独立間もなくから内戦になり入国ビザ取得が困難であった。そこであらゆる手段を講じ、その究極はアンゴラ大使館があるパリまで赴いたが、フランスでの保証人がいないため断られた。

 2002年内戦終結後に東京に大使館が開設されると、すかさずビザを申請したが発給されなかった。やはりダメかと半ば諦めていたところ、半年後に突然取得できたが、異例の観光ビザ発給であったらしい。2007年にやっと念

アンゴラの入国ビザ

願のアンゴラ入国を果たしたが、内戦の傷跡は想定以上に深刻であった。観光どころでないのが実情で、他国ではあり得ない様々なトラブルに遭遇した。

 

 首都ルアンダには27年も続いた内戦の影響で内陸地域から避難民が大量に流入し、都市計画の7倍ほどの人口(約400万人)が集中していた。極端なホテル不足に加え、鉄道やバスなどの公共交通機関が無い。また、驚くなかれタクシーも営業していないため、移動は極めて困難であった。空路で地方へも出かけたいと思ったが、ルアンダ市内の航空会社オフィスも空港の切符売場も窓口は人だかりでいっぱいで簡単にチケットが買えないことが分かった。結局、ホテルのレセプションに知り合いの白タクの手配を頼み、ルアンダ市内と南郊外のムスロ島やクワンザ川などを観光した。

 

  

   ルアンダの中心バイシャ地区 メインストリートの2月4日通り

                   を散策する筆者

 

 しかし、運転手は普段は会社勤めをしており、仕事が終わってから、或は仕事の合間を利用して白タクをするので何時に来るのか分からない。待ちに待ってやっと来た運転手にルアンダ市内と周辺の各地を案内してもらったが、車を降りる時に請求された金額が時間当たり驚くなかれ100ドルだ。物価高とは言えと法外に高いので、値下げ交渉を試みた。ホテルのレセプションマネージャーの仲介で鋭意交渉し、一般相場の時間当たり30ドルで手を打った。高いのは白タクばかりでなく、ホテルやレストランの料金も異常なほど高い。

 

 滞在中はほかにも体調不調のトラブルがあった。蒸し暑くて日差しの強いルアンダ市内を約3時間も休まず歩き続け、ポルトガル植民地時代の名残りを留めるバイシャ地区の2月4日通りなどを散策した。しかし、その間に水分補給を全然しなかったため、宿泊していたホテルの50m手前の路上でぶっ倒れて暫らく意識不明になった。日射病にかかり脱水症状になった模様で、思いのほか坂道が多いのも老体にこたえたらしい。

 突然のハプニングに近所の人々が驚き、大勢集まって来たのであろう。気が付いてみると、見知らぬ親切な人たちに取り囲まれていた。冷たい水をくれるなど、思いも寄らぬ手厚い介護に大感激し、洋の東西を問わない人々の親切に感謝した。お陰ですぐに回復したので病院に行かずに済んだが、古希(70歳)を迎える直前の体力の限界を痛感した。

 

  

  ムスロ島のビーチを散策   路上で倒れ意識不明になる

 

 アンゴラ訪問の主目的であった観光は、ルアンダの旧市街がポルトガル植民地時代の面影を残し情緒がある。だが、ルアンダの郊外も含め、旧市街以外は見どころが少ないのでがっかりした。実際に現地に来てみて、東京のアンゴラ大使館が簡単に観光ビザを発給しない理由がやっと分かった。長引いた内戦の影響で余裕が無く、観光どころでないのが実情であった

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

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●『 272の国と地域を制覇した ●『トラベル・イズ・トラブル

  77歳のワールド・トラベラーは  安全な旅は退屈だ!!  

 たった1人で紛争地を旅した』  ルネッサンス・アイ

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| 世界の旅ーアフリカ | 00:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
真の国際化とは?を語った久しぶりのワールド・トラベラー講演
11

 昨日(10月12日)は朝から夜まで多忙を極めた。場所は居住する地元(千葉県)ではなく、現役時代に通勤した東京都内の心臓部である。先ず正午前から午後2時過ぎまで、千代田区麹町にある海事センタービルの会議室で開催されたセミナーで講演した。

JAPAN NOW 観光情報協会 主催の「第146回観光立国セミナー」で、演題は『272ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが想う真の国際化』だ。2年後の東京五輪を念頭に入れ、スピーチしたのは言うまでもない。

 講演会後は聴講者に誘われて近くの喫茶店で歓談した後、大手町のJAビルで午後5時半から始まる懇親会に出かけた。現役時代に勤めていた商社(三井物産)の食料部門のパーティーで、約70人のOB・OGが集まった。筆者は事情あって長きにわたり不出席であったので、面識の無い参加者が多かった。しかし、見覚えのある人もいたので名札を見て確認後に懐かしく歓談したが、お互いに老いを痛感し些か感傷的になった。

 

  

   海事センタービル(真ん中)    セミナー会場入口    

  

    JAビル            懇親会

 

 さて、本題のセミナーの話を続けよう。認知症を患う妻が入院した約4年近く前までは年に3~4回は講演するほど、ちょっとした人気の講師であった様である。講演の規模も200〜100人が集まり、随分盛大であった。しかし、妻が入院後は見舞い・介護などに追われ、中断を余儀なくされた経緯がある。今回の聴講者は約40人で、こじんまりとしたものだが、その割には熱気が感じられた。当方もかなり講演慣れしているので、会場の様子が手に取るように分かる。確か居眠りをしていたのは僅か1人だけであった。

 講演開始前から聴講者と一緒にお弁当の昼食を済ませ後、約2時間の講演を始めた。私ことワールド・トラベラーの講演スタイルは独創的であろう。今回もA4で14ページの大部に及ぶ資料を配布したが、これを逐一説明していたのでは時間切れになる。そこで50枚ほどの写真を紹介するスライドショーを見せながら説明し、最後の15分間は熱心な質問を受けた。手応えのある講演を終えた後は、買い求めて頂いた著書にサインしたり或いは立ち話したり、一息つく間も無かった。

                         −−− セミナー会場 −−−

 

 

 

 今回の講演でも他人様の支えが必要であること知らされ感謝したい。特に同行して頂いた元我孫子市議会議長の澤田愛子さん、都内に住む著名なクロスステッチャー(刺繍家)の星野真弓さんには写真撮影で随分お世話になった次第だ。勿論、このセミナーの講師として声を掛けて頂いた観光情報協会にも謝意を表したい。

 超多忙な1日を終えて帰宅し受信メールをチェックすると、なんと講演依頼.com (株)ペルソンから岐阜市での講演依頼が来ているではないか。実は上記の講演直後に2件の依頼の話があり、81歳の老兵に1日で3件の講演依頼が集中するとは驚くことばかりであった。出来れば全部を引き受けたいが、終末期を迎えた妻の見舞い・介護もあることを踏まえて最終検討したい。

 

 

 講演するワールド・トラベラー 澤田さんと星野さんの美女!に囲まれ

 

 最後に、筆者が講演した『272ヵ国・地域を旅したワールド・トラベラーが想う真の国際化』の要旨を以下紹介する。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

1.はじめに 

 ワールド・トラベラーというニックネームを持つ私の世界の旅のデビューは、総合商社(三井物産)勤務時代の1969年、酷寒の1月に旧ソ連(ロシア)のモスクワへの出張でした。以来2014年4月まで45年間も続けてきましたが、(私事で恐縮ですが)その後は認知症を患う妻の見舞い・介護などに追われ海外旅行は中断しています。この間、様々なハプニングがあった世界放浪の旅でしたが、世界の旅人として今日あるのは、1974年〜1977年は中東のクウェート、1979年〜1984年は世界最大のイスラム教国インドネシアのイスラム圏で生活した海外駐在経験に負うところが大です。

 海外出張から始まり、その後の2度の外国駐在、そしてリタイア後の海外旅行(前半は団体旅行、後半は個人旅行)を通じて変わらぬものがあります。それは、私の旅が趣味とする世界の民俗人形、紙幣やコインなどの収集も兼ねていることです。また、日本人には馴染みが薄いイスラムとも縁が深く、普通の海外旅行者とは大きく異なるものでした。世界の表裏を半世紀近く直に見聞して来ました数々の実体験をベースにし、世界がよく分かるノンフィクションをお話し、真の国際化などにつき考えてみたいと思います。

 

2.今まで訪れた国と地域の数

 この世に生を受けてから約4分の3世紀にわたる私のグローバル人生は、幼少時代から始まりました。この年代の人間として異例でしょう。70数年も前の小学生時代から、少年雑誌や漫画よりも世界地図を見るのが大好きなオタクでした。このため地図を見ながら寝入ることも度々で、10歳頃から外国に出かけ世界を見聞したい強い気持ちが芽生え、グローバル志向が強くなりました。従い、学生時代から英語など外国語習得に注力し、幸い外国語で商談する総合商社に入社しました。待望の世界への旅立ちは先述の通り1969年のロシア出張で、その後クウェートとジャカルタの駐在員として働き、リタイア後も海外旅行を続けました。

 この間、1995年1月は南極、5月は北朝鮮、7月は北極点、11月はネパールの世界の最高峰エベレスト山麓に出かけました。この年は阪神大震災があり、大阪生まれで旅好きの私にとっても忘れ得ぬ年でした。因みに北極点に到達した時は、アメリカの旅行者から「お前こそ本物のワールド・トラベラーだ」と呼ばれて最敬礼してくれ、以来このニックネームを愛用しています。  

 手前味噌になり恐縮ですが、英検1級の英語をベースに片言程度を含めると数ヵ国の会話ができます。そのため、20年ほど前から私の外国旅行は、基本的にガイドや通訳を付けない完全な個人旅行です。旅費節減の意味もあり、唯一付けるのは現地調達のドライバーで時々ガイドも兼ねます。

 過去約45年間に訪問した国・地域は、国は201、地域は71で、合計272になります。なお、地域は南極、北極、香港、台湾などで、詳細は別表をご参照。因みに、国際的に認められている世界の国の数は、197です。従って、日本を除くと、196ヵ国になります。私はすべての国を訪問済みですが、実際は201ヵ国を旅しています。5つも多いのは実効支配の国々、例えば北キプロス、西サハラ、アブハジア、沿ドニエストル、ナゴルノ・カラバフがある現実です。日中韓で長年争点になっている尖閣諸島や竹島問題も、実効支配が絡みます。実は世界には実効支配下にある国や地域が数多くあり、その大半を巡り熟知しています。ご関心があれば、別の機会にお話します。

 

3、忘れ得ぬ印象的な国・地域・スポットなど

 それらの一部を思いつくまま、順不同で紹介します。皆様の今後の旅行などのご参考になれば幸甚です。

南極、クウェート、インドネシア、エンジェル・フォール、死海、中国、ナミビア、アフガニスタン、ロシアとシベリア鉄道、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ペリト・モレノ氷河、クック諸島のアイツタキ島、北朝鮮、ソマリア(ソマリランド)、グランドキャニオンの谷底、マウンテンゴリラ探検、リビア、オーストラリア、イエメン、グアテマラ、韓国、ラトビア、エチオピア、北極点(詳細は省略)

 

4.外国から見た日本(人)の長所と短所

 大学卒業後に商社マンになった私は、世界の人たちを相手に国際的な仕事をするグローバル人生が始まりました。様々な国の人たちとの交流から、外国人は日本(人)をどのように評価しているかをビジネスを通して知ることができました、昔(1980年代前半頃まで)の日本に対する外国の一般的なイメージは、サムライ、ゲイシャ、フジヤマ、ホンダ&ソニー、てんぷらなどでした。また、壊滅的な痛手を受けた敗戦にも拘わらず、奇跡的な戦後復興と経済発展、日本製品の高品質が賞賛されました。海外へ出かけても、私を見かけると「日本人か」と確かめ、敬礼をしてくれるなど尊敬してくれました。       

 その後、コストの安い韓国そして中国などアジアの製品が世界市場で売られるようになり、「Made in Japanは少なくなりました。多分20年ほど前から私が世界を旅しても、「中国人 or 韓国人か?」と声をかけられ、日本人とは思ってくれません。国連分担金の最大スポンサーは米国ですが、2番目の国は?それは我が日本ですが、その割に評価されていません。我が国の国際的な地位の低下が残念です。この半世紀以上にわたり、外国(あるいは外国での私)から見た日本(人)の長所と短所は次の通りです(詳細は省略)。

 

5.真の国際化とは? 

 前置きの自慢話が長くなり、誠に恐縮です。本日の講演の本題に入ります。2年後に東京オリンピック・パラリンピック開催をひかえ、インバウンド(訪日外国人旅行)が好調です。昨年の訪日外国人観光客数は2869万人で、過去最多を更新しました。本年も1月〜6月の上半期だけで1589万人となり、年間3000万人は確実です。このペースで推移すれば、東京五輪がある2020年の目標4000万人も達成可能でしょう。

 一方、テレビでは毎日のように海外取材番組がありますが、一般的に非日常的且つ誇張気味です。その国の実態にそぐわない報道が多く、あまり参考になりません。敢えて推奨できる番組としては、31年間も続く『日立 世界・ふしぎ発見』と、池上彰の報道番組ぐらいでしょう。他方、外国では日本人のように他国に対する関心は高くなく、あっても日常生活の視点でドキュメンタリー風に取り上げる番組が普通のようです。

 また、日本人はパフォーマンスという英語を多用しますが、マイナスイメージの口先の派手な言動を揶揄する場合が多いようです。しかし、本来は演劇や音楽などで「上演」「演奏」、ビジネスで「実績」「効果」などを意味し、プラスイメージの良い意味です。英語好きの私には、政治家などのパフォーマンス発言に違和感を覚えます。

 さらに、大国に躍進した中国の人名や地名などにつき、未だに日本語読みをします。しかし、中国国内を個人旅行しますと、日本語読みが通用しません。メディア等は率先し、現地の中国語読みで呼ぶべきです。

 このように日本では当たり前の常識が、世界では非常識になる事が多々あります。これらの例を考察しますと、我が国の国際化レベルは決して高くはありません。200年以上も続いた鎖国制度のDNAを引継いでいるのでしょう。真の国際化 or グローバル化につき、特にこれからの日本を変革する若い世代へ次のメッセージを送ります。

 

(1) 先ず、外志を抱け! 願わくば、世界に雄飛せよ!

 人生には希望と夢が不可欠ですが、人口減少や長引くデフレなどに直面する日本では明るい将来像を描くのは困難な趨勢です。従い、世界に目を向けざるを得ない厳しい現実です。これからの日本を背負って行かれる若い世代は内向きマインドではなく、先ず外向きのグローバル志向、つまり外志を持って頂きたい。そして、可能なら世界に雄飛してください。多様で変貌する世界をもっと知るため、チャンスがあれば外国で学び、働き、旅をしてください。世界への雄飛は決して日本を捨てることではありません。外国へ出かけると、きっと日本の長所と短所、素晴らしさと改善すべき点などが客観的に分かるでしょう。また、様々な異文化に触れることにより偏見の垣根を取り払い、国際的な視野も広角化し、国際人として人間的にも大きく成長するでしょう。

 

(2) 口先だけではない、真の国際交流や世界平和を考え、実行しよう!

 私は8歳、国民学校(小学校)2年生の時に、1945年8月の終戦を迎えました。生地の大阪市は同年3月から米軍の空襲が始まり、両親の出身地、徳島市へ学童疎開しました。しかし、同年7月3日に米軍の大空襲があり、水田などを必死になって走り抜け逃げ延びました。私と弟妹は無事でしたが、子供たちをかばった両親は焼夷弾で負傷、特に母は左腕の肉が半分えぐられ骨が見えるほどの重傷。息子の私すらも直視できない傷跡は終生消えませんでした。戦地には行っていませんが、悲惨な戦争体験があり、終戦後は平和の尊さを実感しました。

 米国のオバマ前大統領がチェコのプラハで「核のない世界」を訴え、ノーベル平和賞を受賞して9年経ちますが、核軍縮に向けた具体的な取り組みは遅々として進みません。むしろ現在のトランプ大統領は自国第一を貫き、核兵器を近代化して維持しようとしています。同盟国の我が国は唯一の被爆国にも拘わらず、米国の核の傘に雨宿りして同調し、核兵器禁止条約に反対しています。半世紀近く世界を駆け巡り、危険な紛争国や地域にまで踏み込んでいった私から見れば、魑魅魍魎で溢れ笑止千万な話がこの世界に多過ぎるのが現実です。口先では世界平和と言っても、その実現は容易ではありません。国民一人ひとり、或いは民間ベースによる地道な国際交流や親善を通じ、真の世界平和が実現するものと祈り、ワールド・トラベラーは世界の旅を続けて来ました。

 

6.終わりに

 長寿社会とは言え、後期高齢者という人生の最終章を迎えながら、なぜ私は世界の旅を続けることに未練があるのか?答えは 「其処に世界があるから」です。世界は時には狭いが、やはり広いのが世界です。私の世界放浪の旅は、この世に命ある限り続けざるを得ない宿命かも知れません。また、私の分身であるプライベート・ミュージアム「世界の人形館」を彩る世界の民俗人形や紙幣・コインなど、コレクション収集の旅も来世に行く直前まで続くでしょう。時間がありましたら、真の国際化推進を目指し、ささやかな国際交流の実践の場である世界の人形館を是非お訪ね下さい。ご来館を熱烈歓迎致します。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 上記講演の資料一式をご希望の方は、筆者が運営するプライベートミュージアム、世界の人形館まで受け取りに来て下さい。ただし、事前予約が必要です。

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| 講演会 | 16:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
待望の大臣に就任した政治家との交流:櫻田大臣表敬訪問など
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 櫻田義孝氏は懇意にしている(と自分では思っている)政治家だが、本日改造された第4次安倍内閣でめでたく大臣に就任した。衆議院議員当選7回のキャリアを持つが初入閣で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当の国務大臣、いわゆる五輪担当相に起用された。同氏はこの朗報をここ数年ずっと鶴首して待ち続けたであろう。筆者は同大臣のほかに、中央と地方の議員の諸先生数十人とお付き合いがあるが、大臣にまで上り詰める大願を成就したのは同氏が初めてである 。ご立派というほかない

 櫻田大臣と知り合ったのは、2009年の衆議院議員選挙で落選後の辛い雌伏時代である。今から10年近く前のことで、支援していた市議の紹介でご縁ができ、筆者が社会貢献として無料公開する個人博物館「世界の人形館」に何度も足を運んで頂いた。単に人形館の見学に終わらず、272ヵ国・地域を旅した私ことワールド・トラベラーが語る世界の話(自慢話で迷惑されたであろう)に熱心に傾聴して頂いたのが忘れ難い。これを機に外交に強く度胸のある政治家になると見込み、全幅の信頼を寄せて支援してきた次第だ。

 

  

 2011年11月世界の人形館で   2012年1 月世界の人形館で

  元気な頃の妻を交え     テレビ収録(右から2人目) 

 

 筆者よりも一回り以上若い68歳だが、なかなかの苦労人である。高校卒業後は大工になり学費を稼ぎながら大学に通った異色の努力家だけに、優等生タイプではないが腰の低い気さくな御仁である。3年3ヵ月続いた民主党政権時代でも様々に親交を続け、テレビ番組にも一緒に出演したことがある。この頃の捲土重来を期した地道な活動は、幣著書『 はワールド・トラベラー 』で簡単ながら紹介済みだ。また、ご夫人やお嬢さんなどの家族も人形館を訪れており、10年という交流期間の割には密度の濃いお付き合いになる。

 

  

 2012年1月地元のパーティー    2012年12月の衆議院選挙で応援

    で夫人と共に

 

 2012年の衆議院議員選挙で返り咲いた櫻田氏は第2次安倍内閣で文部科学副大臣、自民党千葉県連会長、自民党教育再生実行本部長など順調に要職を務めてきた。2017年の衆議院議員選挙で7選を果たし、大臣就任は時間の問題と言われたが本音で語る率直な発言が時々誤解や曲解を招くことがあった様だ。その間、地元(千葉県柏市・我孫子市)で毎年の年初に行われる「新春の集い」、年に数回開催されるセミナー「平成目安塾」、随時ある「支援者の集い」などのほかに、東京で開催されるパーティーにも筆者は欠かさず出席してきた。これらの集まりで時々顔を合わせたのが、今回の内閣改造で唯一の女性入閣を果たした片山さつき氏である。

 

  

 2013年2月南房総で一緒に花摘み   2012年1月東京のパーティーで

                      片山さつき氏を交え

 

   

   2013年7月地元の夏祭りで    2014年11月東京の集いで

                猪口邦子元大臣らを交え

 

 一方、この第4次安倍改造内閣に対し、野党各党は特にモリカケ問題で不評を買った麻生太郎副総理兼財務相が留任したことに一斉に反発した。また、例の如く批判が続出し、「閉店セール内閣」「自民党総裁選の論功行賞や滞貨一掃の感じが拭えない」などの酷評が目立った。これらの批判は多少割引が必要であろうが、謙虚にして真摯な受け止めが政権側に望まれよう。

 本題に戻るが、櫻田大臣は恵まれた2世や3世の国会議員が多い政界にあって、自力で切り拓いてきた立志伝中の人物と言えよう。政治家としては珍しく金銭的にクリーンで、明るい性格が持ち味である。国家国民のため、活力みなぎる国造りのため、そして来る2020東京五輪の大成功のために、格別の尽力をお願いしたい次第だ。また、健康に加え、周囲が心配する発言にも留意され、益々のご活躍を祈念したいものである。

 

(後記

 本日は久し振りに都内に出かけ、終日多忙であった。先ず麹町のセミナーに出席後、永田町の内閣府の合同庁舎に向かった。東京オリンピック・パラリンピック大臣室で、懇意にしている櫻田義孝大臣を表敬訪問した。最近メディアでよく報道され、時には揶揄される大臣の素顔は、明るく気さくな御仁である。筆者よりも一回り若い御仁だが、何かと波長が合う間柄だ。大臣就任祝いとして贈呈した地球儀と共に記念写真を撮った。地球儀を俯瞰しながら国を想い、世界を多角志向して頂きたい。(12月14日)

 

                (櫻田大臣を表敬訪問)

  

 

               ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇


講演会のお知らせ
 

 筆者の ワールド・トラベラーこと癲々治が下記要領で講演します。お時間があれば、是非ご聴講下さい。

主催者:JAPAN NOW 観光情報協会

    『第146回観光立国セミナー』

日時:10月12日(金)12:00〜14:00  
場所:海事センタービル2階 会議室

         東京都千代田区麹町4−5  TEL 03-3265-5481  
演題:272ヵ国・地域を旅した

   ワールド・トラベラーが想う真の国際化
入場料:有料
お問い合わせ:観光情報協会事務局 TEL 
03-5989-0902 or

       世界の人形館 TEL 04-7184-4745
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| 国内政治 | 23:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
 南北首脳が登った白頭山(長白山)の想い出
10

 韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領と北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長が、9月18日から今年3回目の南北首脳会談を平壌で行った。同大統領は記者会見で、「アメリカが敵対関係を終わらせるなら、追加的な非核化措置を北朝鮮が取る用意があろう。」と強調した。また、寧辺のような重要な核施設を永久廃棄すると金正恩氏が表明したとの由。

 だが、北朝鮮通の専門家によれば、今回の会談も結局お祭り騒ぎに終始し、金正恩委員長は前向きに非核化を進めるというイメージを広める当初の目的を果たしたようだ。そればかりか、非核化にはアメリカが先に行動すればとの条件も付けており、下駄を預けられた格好の同国にしては今後は却って重荷になろう。やはり今回の会談も、北朝鮮に実を取られた格好のようだ。
白頭山を登山した両首脳(ネットより転用・加工)

 

 さて、最終日の昨20日両首脳は、朝鮮民族の発祥の地と呼ばれる白頭山 ペクトウサンに登った。中国と北朝鮮の国境にまたがってそびえ、中国名は長白山である。標高は2744mもあり、朝鮮半島では最高峰だ。両首脳は平壌から空路で白頭山近くの三池淵空港に向かい、車とケーブルカー

に乗り山頂付近にあるカルデラ湖「天池」に着いた。因みに、白頭山はかつての抗日パルチザン闘争を展開した金日成主席の秘密拠点とされ、金正日総書記もこの地で誕生したとして金ファミリーの直系系統は「白頭系統」と呼ばれる。そんな由緒ある聖山を私ことワールド・トラベラーは2009年6月に中国側から登っており、その登山の模様などを紹介しよう。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 吉林省の東南部、延辺朝鮮族自治州安図県に位置する長白山 チャンパイシャン(北朝鮮名:白頭山)は休火山で、今回の旅で何度も見かけた鴨緑江や図們江などの源流である。アクセス方法はいくつかあるが、確実で日帰りできる延吉からのツアーを選んだ。延吉 イェンチーは北朝鮮との国境の町、丹東の北東およそ550kmに位置し、延辺朝鮮族自治州の州都である。

 人口約45万人で朝鮮族が多く、長白山観光の拠点で知られる。長白山は延吉の南やく西290kmほどに位置しており、登山する前日に市内を散策観光した。市内を流れる煙集河の畔には、カラフルで近代的なビルが建ち並び、とても北朝鮮国境に近い辺境の地とは思えない。また、延吉公園や青年湖公園などの公園も多く、内陸とは言え水と緑が豊かな情緒のある町である。

 

                           −−− 延吉 −−−

  

      煙集河     青年湖公園で遊ぶ筆者

 

 翌日は眠たい目を擦って早朝4時半にホテルを出発したが、あいにく雨が降っていた。ところが安図の町を通過して長白山自然保護区に入ると、幸運にも晴れ間が出てきた。午前10時ごろ山門に到着し、シャトルバスに乗り換えて3km南にある駐車場で降りた。その後また四輪駆動車に乗り換え、急カーブが連続する山道を一気に登って頂上近くの広い停車場に着いた。そこから天文峰の頂上を目指して登ること約30分、岩山の向こうの視界が急に開けた展望ポイントに着いた。

 滑り落ちはしないかと恐る恐る足元を見下ろすと、お目当ての天地が輝いていた。山頂に佇む南北約4.4km、東西約3.5km、面積10k屬曚匹竜霏腓淵ルデラ湖だ。湖水面の海抜は2194mもあり、最大水深は313mに達する。澄み切った無色透明の湖水は青く見え、湖を取り囲む灰色の16の峰々とのコントラストは息を呑むほど鮮やかで美しい。偶々晴天に恵まれたとは言え、時々霧や雲が立ち込めて幻想的な雰囲気を醸し出していた。対岸は勿論、神秘と謎の国、北朝鮮である。

 

     ーーー 長白山(白頭山)ーーー

  

      山門        天池を望む

 

  

  天池(対岸は北朝鮮)  天池を背にする筆者

 

 下山後は湖から流れ落ちた水が造り出す東北地方最大の滝、長白瀑布付近を散策したが、68mの落差はいささか物足りなさを感じた。やはりベネズエラのエンジェル・フォールやブラジル・アルゼンチンのイグアスの滝など、世界の大瀑布に見慣れているためかも知れない。この後は瀑布から800mほど下流の長白山温泉を訪れ、一風呂浴びて登山の疲れを癒した。

 

 

     長白瀑布       長白山温泉

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 金正恩委員長はなぜ文大統領を白頭山に誘ったのであろうか?実は国家プロジェクトとして、白頭山を含む日本海側地域を大々的に再開発する壮大な目論見があるようだ。多数の登山客が訪れる中国側に比べ北朝鮮側は整備されていないため、訪れる人たちはほとんどいないとか。もし、中国や韓国などから大勢の観光客が来れば、相当な外貨を稼げると皮算用しているようである。実際に白頭山の風光明媚さは、登山客を十分過ぎるほど魅了するものがあるからだ

 

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| 世界の旅ー中国など | 16:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
伊豆の温泉地巡りとシャッター通り化の地方衰退に想う
10

 3年半前から長期入院中の妻のことが気懸りで、大好きな旅行、特に海外旅行もままならない。不完全燃焼の毎日が続き、体調のほうも持病が顕在化して良くない。そこで気晴らしにと数泊の国内旅行を思い付き、先ず次男の孫たちを誘ったが素気無く断られた。この間まで可愛がっていた彼らも20歳前後になり、独自の考えがあるのであろう。それは成長した証でもあるのだが一抹の寂しさを覚える。そこで已む無く一人旅をふと思い付いた。

 非常に強い台風と懸念されていた21号が関東から逸れることを見越し、今月の4日〜6日に伊豆半島の温泉地を旅した。JR東京駅から特急踊り子号に乗車したが、車内の乗客は僅か数人で赤字営業(?)のJRを案じた。さて、初日の宿を取ったのが熱海から約46km南の熱川温泉である。太田道灌が怪我を癒す猿の湯浴みを見て発見したのが発祥と伝えられる。駅を出てすぐ右の所に観光案内所があり、予約しようとしたが悉く断られ、やっと受け入れてくれたのがホテル・セタスロイヤルだ。

 

 駅を出て海沿いのホテルを目指して歩いたが、坂道がかなり急勾配である。途中で見かけたのが、熱川名物の熱い湯煙りが上がる櫓だ。温泉地としての雰囲気をいやが上にも盛り上げる。だが、なんとなく活気が無く、よく見るとシャッターを下ろしている店などが多い。ホテルのチェックインが午後4時を過ぎて遅かったこともあり、夕食は外食となった。予めホテルのレセプションから聞いていた居酒屋で刺身定食を頂いたが、お味のほうはもうひとつであった。

 

                        −−− 熱川温泉 −−−

  

     湯煙りを上げる櫓      ホテル近くのビーチ

 

 食事を終えてホテル付近をぶらついたが明るいネオンの灯は無く、ほとんどの店が営業しておらず、人気の無いシャッター通りに化していた。高度成長時代の華やかな温泉街の賑わいを知っているだけに、夜道は一層暗く感じて侘しくもなった。翌日はチェックアウト前に海岸通りを散策したが、台風の余波で海はまだ少し荒れていた。熱川ほっとぱあーく足湯の公園などを訪れた後、駅に向かった。だが、上り坂一方の道はきつく息も絶え絶えになり、81歳という老いを痛感させられた。

 

 熱川から電車で熱海に引き返し、下車後すぐに熱海港に向かった。初島行の高速船に乗ること30分で、首都圏から一番近い離島に着いた。熱海の南東10km沖合いに浮かぶ小島だ。港を出てすぐ左には漁師たちが営む食堂街が軒を連ねており、正午前でお腹も空いていたので一軒の食堂に入った。注文したのは久しく食べていない壺焼きの定食。まずまずのお味であったが、ご飯があまりにも少ないので御代わりを頼んだ。ところが、ご飯が無いとかで断られる始末で、何とも後味の悪い食堂であった。

 昼食後、近くの海岸通りや遊歩道などを散策した。伊豆半島東部の相模湾海上に浮かぶ島は南方からやってくる海流のお陰で冬も温暖で、亜熱帯植物が生い茂り、南国のリゾートアイランドの様なムードが漂う。小1時間ほど散歩して先述の食堂街近くの民宿を探したが、どこも宿が無いため早々と島を退去した。また、高速船で熱海に戻り、電車に乗って宿探しを始めた。

 

                                     −−− 初島 −−−

  

   初島港に着いた高速船   南国ムードの遊歩道を散策 

 

 熱海駅から約20分、3つ目の網代温泉なら宿があるだろうと期待して下車したが、駅員がいない無人駅であることを知った。こんなローカルなところに果たして泊まれる宿があるのかと不安になって小さな駅舎を出たが、ちょうど駅前に観光案内所(網代温泉観光協会)があったので飛び込んだ。丁寧に応対して頂いたのが中村さんという女性で、平鶴という海辺の湯の宿を紹介してもらった。お礼を言って案内所を出ようとすると、” 缶ビールと靴下を差し上げます "と言われて有難く頂戴した。初対面にも拘わらず実に親切な人である。

 このホテルもチェックインが遅かったので夕食が付かず、対面の磯料理店で新鮮な鯵の刺身定食を賞味した。食後、宿に戻ると名物の露天風呂に入浴したが、確かに眼下は海辺で波打ち際の露天風呂とは珍しい。遠くに熱海の灯が漁火の様に見え、少々暗いが幻想的な趣であった。翌日は周辺を散策後に駅に向かったが、この温泉地も駅前などの一部地域を除きシャッター商店街が目に入った。その後熱海に出て帰京した。

 

                                −−− 網代温泉−−−

  

     平鶴付近のビーチ       網代港付近

 

 3日間の伊豆路の温泉巡りを終え、考えさせられる点が多々あった。例えば、温泉地の商店街がシャッター通り化し、まるでゴーストタウンの様になり活気が無い現実だ。2020年の東京五輪を控えて東京の一極化が加速するが、少し離れた地方に行くとガラッと雰囲気が変わる。地方ではアベノミクス効果の恩恵とは縁遠い様で、人口減少の一因にもなっている地方の衰退が気になる。

 また、筆者は海鮮料理が大好きで、新鮮な海の幸を堪能したいと出かけた訳だが、全くの期待外れであった。この旅で頂いた魚料理はただ高いだけで、ボリュームもなく満腹からは程遠かったことだ。後日談になるが、居住地近くの和食レストランで海鮮料理を食べたところ、新鮮で安くて且つボリューム満点だ。わざわざ遠方の海辺まで出かける必要が無く、近場の内陸でも美味しい魚が食べられることが分かった旅でもあった。

 

                                 ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇


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| 国内旅行 | 01:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
さまよえるイエメン難民と済州島
9

 最近「世界最悪の人道危機」と呼ばれる内戦が続く国がある。それはシリアではなく、アラビア半島の最貧国イエメンである。国連などはイエメンの人道危機を世界でも最悪と指摘する。2015年3月頃に始まったハディ暫定大統領派とイスラム教シーア派の反政府勢力のフーシ派との内戦は、夫々の後ろ盾であるサウジアラビアとイランという中東の地域大国をも巻き込む。大国の代理戦争の場でもある構図は、アメリカ vs ロシアのシリアと酷似する。詳細は2017年12月19日付け幣ブログ『内戦が泥沼化するイエメンの幻想紀行(その1』をご参照。

 人口約2800万人のうち約1万人が死亡し、その約4分の1が幼い子供たちである。武装組織により徴兵された子供たちも、3000人近くにのぼるとか。また、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば、イエメンから国外(サウジアラビア・オマーン・ソマリア・ジブチなど)への難民は約20万人で、国内避難民も約200万人に達する。さらに、長引く戦闘や空爆で食料品などが人々に届きにくくなり、2017年末の時点で約840万人が飢餓状態に苦しんでいる。

 

 さらにイエメンから国外に逃れた難民の一部は、韓国を代表するリゾート地の済州島まで押しかけて来ている。マレーシア経由で1万1000kmも離れた島へ、ビザなしでも入国できる済州島限定の特別な制度を利用して入島し、難民申請しようとするものだ。その数は500人を超え、支援する地元住民もいるが、韓国の世論は難民受け入れに不寛容でトラブルが相次いでいるようだ。

 因みに、我が日本の難民受け入れは、依然として鎖国状態にある。2017年の難民認定申請は1万9628人に対し、難民認定されたのは僅か20人で認定率は1000分の1という狭き門である。これほど難民受け入れに閉鎖的な国は世界でも珍しく、国際社会から厳しく非難されないのが不思議でならない。我が国のグローバル化、或いは真の国際化につき、大いなる疑念を持たざるを得ない。

 

 さて、成田から空路で約2時間で着く最も近い外国が済州島である。気候が温暖なところから別名「韓国のハワイ」or「東洋のハワイ」と称されるリゾートアイランドを、2004年5月に当時は元気であった妻と共に訪れている。その旅の模様を紹介しよう。

 

    ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 本土から約90km離れた韓国最南端の島は、人口は約65万人、面積1847k屬覇厩餾蚤腓療腓任△襦0貌θ湘腓魄豌鵑蠡腓くした広さの火山島は、全体的に沖縄に似た感じだ。暖流の対馬海流が運んで来る豊かな海の幸に恵まれるが、島の中央にそびえ標高が1950mもある休火山の漢拏山(ハルラ)は島の農業などを困難にした反面もある。古くは独立国・耽羅(タムナ)を名乗るなど、独自の文化・歴史・風俗を今も残している。

 

 島の最大都市は島東部にある済州市である。同市から東へ約45kmに、済州島を代表する景勝地、城山日出峰がある。まるで岬のように見えるが、実は約10万年前に島の最高峰ハルラ山の噴火口が海中にできたもの。城山日出峰の頂上までは、整備された階段などのトレッキングコースを登って行ける。40分ほどで階段を上り切りと、 高さ182mの頂上に着く。眼下は馬の放牧場になっており、緑の噴火口が広がり牧歌的だ。噴火口の深さは90m、東西約450m、南北約350mのほぼ円形である。

 

  

   ハルラ山の頂上    城山日出峰を俯瞰  妻と城山日出峰を背に

 

 頂上は360度の展望台のようになっており、ため息が出るほどの景観が広がる。海側は青々とした海と火山口に生えた草木の緑色とのコントラストが神秘的で、島側は遠く彼方にそびえたつハルラ山なども見渡せる。ここから西へ約20kmにはサングムプリ噴火口があり、ハルラ山の噴火によってできた巨大な穴がある。この噴火口から13mほど南東に向かうと城邑民族村があり、わら葺き屋根と石を積んだ島独特の家が建ち並び興味深い。

 

 島南部の西帰浦は人口約8万人の済州島第二の町で、この町の中心地から東へ歩いて約15分、切り立った崖から東シナ海に直接流れ落ちる正房瀑布が見えてくる。海に直接落ちる滝は韓国では唯一ここだけで、世界でも大変珍しい貴重な滝と言える。幅8m、高さ23mの落差はそれほど高くないが、優美な姿と数少ない海辺の滝がセールスポイントで観光客に人気がある。

 

    

     サングムプリ噴火口               城邑民族村                    正房瀑布

 

 また、この滝から西へ約15kmにあるのが天帝淵瀑布で、まるで天女の白い羽衣のように美しい。最初に高さ22mから深さ21mの池に流れ落ち、その下の第二、第三の滝に続いている。滝の上には7人の天女像を彫刻した仙臨橋と天帝楼という楼閣があり、ここから眺める滝は格別の美しさだ。一方、滝から海岸まで続く2kmの道には100余種の暖帯植物が自生している。

 

 島西部で見逃せないのは翰林公園で、ヤシの木が生い茂る南国ムードが溢れる済州島最大にして唯一のテーマパークだ。約10万坪の広大な園内に亜熱帯植物園、立派な椰子の木通り、開発中に偶然発見された溶岩洞窟の双龍窟 や石灰洞窟の挟才窟 、財岩民俗村、蓮の池庭園、サファリ鳥類園などがある。

 最も圧巻は済州石の盆栽園だ。ハルラ山の噴火で形成された溶岩や玄武岩の奇岩、そして樹齢300年のカリンも見どころである。公園前には白砂と溶岩でできた挟才海水浴場が広がり、作家、司馬遼太郎の記念碑もある。

 

 人口約30万人の島最大の町、済州市の中心は繁華街になっている中央ロータリー周辺だ。ロータリーから東へ約400m行くと、済州島最大の市場、東門市場がある。市場の表通りは色とりどりのフルーツを売る果物店が多いが、奥に入ると路地が迷路のように入り組んでおり、新鮮な魚介類やトルハルバン(火山岩を彫って作る守り神)を売る店がずらりと並ぶ。この市場から約1km南下すると三姓穴がある。済州島のルーツとされる耽羅の国を創始した三神人の神話が残る聖地である。

 

  

        −−− 翰林公園 −−−             三姓穴

     

 一方、西海岸にある龍頭岩という奇岩は、その名の通り龍の頭に似ている。ハルラ山から流出した溶岩が海で固まってできたもので、伝説のある岩は夕暮れ時が美しい。一方、約6km南郊外に耽羅木石苑というユニークな私設公園がある。敷地面積1万屬留狷發砲蓮奇妙な形の石や木の根っこなどが多数展示され興味深い。

 

 ところで四方を海に囲まれた済州島には、新鮮な海の幸を材料にした様々な料理がある。特にカルチ(太刀魚)、オクトム(アマダイ)、オブンジャッ(トコブシ)、チョンボッ(アワビ)など豊富な海の幸を使った鍋料理や汁物は、値段も手ごろで味も最高である。また、海産物以外にも、黒豚のオーギョッサル(豚の5枚肉)、キジ料理などの特産物がある。

 特に舌鼓を打ったのがキジのしゃぶしゃぶ・クォンヨリだ。クォンとはキジのことで、済州島の名物料理である。大侑狩猟場のレストランで賞味した脂身が全くないキジ肉のしゃぶしゃぶは、キジの骨で取ったダシ汁に、ネギ・シイタケ・セリ・ダイコンなどの野菜を入れて作る。あっさりとした味でなかなか美味かった。最後はオジヤで締めくくり、食後満腹で歩くのが困難なぐらいであったほど。

 

  

          龍頭岩     石苑のトルハルバン  キジのしゃぶしゃぶ

                         クォンヨリ 

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆ 

 

  まるでハネームーンを楽しんだかのようなパートナーの妻は、不治の病(認知症)に伏して4年近くになる。妻の病状を考えると、済州島での懐かしき夢のような想い出も遠く彼方に吹っ飛び、悲しく切なくもなる。

 

              ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

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