世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
公正が疑われる総選挙が行われたカンボジアの旅(1)
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     カンボジアの国家選挙委員会が一昨日(8月15日)、かなり旧聞になるがさる7月29日に行われたカンボジアの下院議員選挙、いわゆる総選挙で、与党のフン・セン首相率いるカンボジア人民党が125議席を獲得したと発表した。定数が125であるから、なんと全議席を獲得する文字通りの完勝である。人民党は2月の上院選でも全議席を占めており、事実上の一党独裁に国際社会の批判が高まりそうだ。

     5年前の前回総選挙で4割を超す票を得た最大野党の救カンボジア国党は、今回の総選挙前に解党に追い込まれた。また、政権に批判的なメディアも弾圧された。こうした異常な状況下で実施された選挙は、公正や自由とかけ離れたものである。欧米諸国などの国際社会はフン・セン政権による反対勢力弾圧を強く批判し、政権への制裁にも動いている。因みに、確定投票率は83.02%であった。

     

     1993年に民主化への第一歩として内戦終結後初めての総選挙が実施されてから4半世紀が経ち、大きな節目の総選挙であった。この間一応民主化が進み、野党やメディアも育ってきたと言われる。しかし、逆行させたのは内戦時代から30年以上も首相を務めるフン・セン氏で、権力維持のための強権行使は批判されるべきである。同首相が斯かる声を無視するのは、欧米に頼らずとも経済支援で政権を支える中国の存在があるからであろう。

     中国は援助実施にあたり、欧米諸国のように民主化云々などの条件を付けない。カンボジアは中国と南シナ海問題を抱え対立するASEAN内にあって、むしろ中国の代弁者のようになっているのが実状だ。一方、我が日本は和平交渉からカンボジアに深く関与し、同国の国造りにも官民挙げて尽力してきた。日本だからこそできる現政権への関与のすべがある筈だが、菅義偉官房長官は明確なコメントを避ける。やはり外交は2〜3流と揶揄されるのは、的を得ているようだ。

     

     さて、そんなカンボジアを筆者は1994年9月と2006年6月の2度訪れている。政治的には問題がある国のようだが、観光資源には恵まれた国である。世界的に有名なアンコール遺跡があるからだ。1992年〜1993年には自衛隊のカンボジア派遣(PKO)があり、未だ内戦の傷跡が深く残っていた1994年の旅の模様を紹介しよう。

     

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     内戦の後遺症がまだ重く残る現地を初めて訪れ、驚き考えさせられた場所がいくつかある。先ず首都プノンペンでは、かつてポルポト派が処刑した刑務所であったトゥールスレン博物館である。虐殺が行われた現場で、多数のしゃれこうべが山と積まれて展示されているのを見てギョッとした。この時のガイドがたどたどしい日本語を話す20歳ぐらいの青年で、後でぜひ案内したい場所があると言う。一緒に行ってみると、そこは青年が住む古いお寺であった。

     電灯も無く気味が悪いほど暗いお寺で聞かされた身の上話は、なんと両親がポルポト派に殺されて孤児になったとの由。確かに同じところで似たような境遇の若い男性たちが一緒に住んでいたので、青年の話は本当なのであろう。日本に帰ると直ぐにその青年に会話上達のためにと、日本語会話の本を送ってあげた。今や壮年になったであろう青年は、その後どうしているのか今も気掛かりだ。

     

            −−  トゥールスレン博物館 −−

       

        博物館の外観    館内の展示室と筆者    ポルポト

     

     ところで、プノンペンはメコン川、トンレッサプ川 、バサック川の3つの川が合流する地に広がる。内戦終結から3年しか経たず、街はまだ荒廃した感じであった。しかし、その後遺症をほとんど感じさせなかったのが王宮ウェアンである。立派な建物が多い王宮内でも、ひときわ人目を引くのが1870年落成の優美な即位殿である。また、この王宮の敷地内で異彩を放つのがナポレオン三世の館という洋館で、宗主国フランスのナポレオン3世の妻、ユージーヌ王妃からノロドム王に贈られたもの。

     王宮の南側に隣接するシルバー・パゴダでは、王室の仏教行事が行われる。エメラルド寺院と呼ばれるに相応しく、大理石の支柱とテラスが美しい。このパゴダの近くにノロドムス王のストゥーパがあり、精巧なレリーフが描かれている。王宮から約1km東にあるセントラル・マーケットはプノンペン最大の市場で、いつも活気があり巨大ドームを中心にして四方へ棟を延ばした姿がユニークである。

     

       

        王宮の即位殿    王宮前広場に立つ   シルバー・パゴダ   

     

     カンボジア観光のハイライトと言えば、文句無しに12世紀のクメール王朝時代に建てられた壮大なヒンドゥー教寺院アンコール・ワットと近くの仏教遺跡アンコール・トムであろう。首都プノンペンの北西250kmほどに位置し、アンコール遺跡群の観光拠点になっているのがシェムリアップだ。この町の中心部から北へ約3kmにアンコール・ワットがあり、気軽にバイタクに乗って出かけた。クメール語で「お寺の町」という語意を持つ寺院は、密林の中に忽然と現れる感じだ。クメール王朝時代に、ヒンドゥー教の三大神ヴィシュヌ神に捧げる寺院として建立され、幅約190m、長さ約600mもある大寺院は単一遺跡としては世界最大だ。また、東西1500m、南北1300mもある広大な濠で囲まれている。

     さて、アンコール・ワットの唯一の入口である西参道の石畳の道を奥に向かうと、左右対称に釈迦が説いた教説の経蔵と2つの聖池(環濠)が配置されている。西参道を上ったところには蛇神ナーガの頭の像があり、これは雨の神様として崇められている。濠を渡り切ったところに横一列に広がる塀があり、目を凝らすと5つの門がある。中央が王が通り抜ける西塔門、そのすぐ両脇が庶民の門、最両端が象の門が並ぶ。西塔門テラスを過ぎていよいよ西塔門に入り進むと、十字回廊があり、1632年に祇園精舎と勘違いして訪れた森本右近太夫の書跡や4つの沐浴池跡がある。

     

      

     アンコール・ワット全景    参道        中央祠堂

     

     次に壮大なレリーフのギャラリーになっている第一回廊が、760mにも及び四方に広がる。インドの古代叙事詩『マハーバーラタ』や抒情詩『ラーマーヤナ』などが鮮やかに描かれている。更に進むと次の第二回廊では、妖艶なデバター(女性像)のレリーフが一面に彫られている。この回廊を出ると明るい空間が広がり、正面に第三回廊への階段と迫力ある中央祠堂が見える。中央祠堂では「神々の住む場所」としてアンコールワットの象徴である中央塔にもデバター像が残り、ここからの見晴らしが良く塔の上から見た雨上がりのアンコール・ワット遺跡の壮大さに感嘆した。

     

     他方、アンコール・ワットから北へ約1.5kmにあるアンコール・トムは、5つの門に囲まれた都城である。アンコール・ワットから続く道上に建つのが南大門で、顔の長さだけでも3mほどもある四面像が人目を引く。門をくぐって中に入ると遺跡の 中央には、 12世紀末に建設され、「バイヨンの微笑」と称される穏やかな微笑みをたたえた観世音菩薩のモチーフで有名なバイヨン が佇む。全体の構造は3層に分かれて高さ約43mの中央テラスを中心に、第一層に二重の回廊など、第二層は16の塔、第三層はテラスとなり、どの塔にも四面像が彫られいる。東門から入ると先ず第一回廊、次に第二回廊が取り囲み、中央テラスを囲む16基の尖塔が立つ。

     見どころは何と言っても観世音菩薩の四面像で全部で54もあり、優しい眼差しが何とも言えぬ独特の雰囲気だ。また、見る角度によって3つの菩薩が並んでいるように見える四面像がある。バイヨンの北には3層から成るピラミッド型寺院のバプーオンがある。11世紀中ごろに創建されたヒンドゥー教のシヴァ派の寺院で、長さ200mの円柱列に支えられた空中参道が続く。ここから少し北上すると12世紀末に造られた象のテラスがあり、王族たちが閲兵した王宮前にあるテラスで350mにも及び、外壁には象やガルーダの彫刻が連なる。ほかに付近の遺跡で見逃せないのが、南東2kmにあるタ・プロム遺跡だ。巨大に成長したガジョマロ(榕樹)が、まるでヘビのように建物や石に絡み押しつぶされそう。

     

      

        バイヨン     四面像によじ登る     タ・プロム

     

     これらの素晴らしい遺跡を見学して痛感したのは、度重なる盗掘などにより顔や首がない仏像の浮彫りなどが多く、腹立たしく思ったことである。

     

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    変な最近の世相:日本ボクシング連盟会長の疑惑と日銀政策修正
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     危険過ぎ災害とも言われる今年の猛暑、と言うより酷暑が続く。暑苦しく鬱陶しい盛夏の折柄、依然としてスポーツ界で不祥事が続き一層不快さが増す。過日の日本大学の悪質タックル問題で監督とコーチが処分されて一応一段落したかと思ったら、今度は日本ボクシング連盟のカリスマ会長が内部告発された。オリンピック強化選手に支給される助成金の不正流用や、奈良判定という疑惑判定などが問題化し、300人超の都道府県連盟の幹部やオリンピック選手の連名で、告発文書が提出されている。因みに、日大の悪質タックルに就いては、5月26日付け幣ブログ『悪質タックルの日大は森友加計問題の安倍政権と似ている!?』で詳述済みだ。

     6年前から「終身会長」となった山根明日本ボクシング連盟会長は強化委員長も兼ね、その権力集中は異様と言われる。筆者よりも3歳若い(78歳)が、元暴力団組長と親交があった御仁だけに凄味があり、彼の貫禄に負けた取り巻き連中は何かと忖度せざるを得なかったのであろう。少し前には日本レスリング協会で発覚した前強化本部長による選手やコーチへのパワハラでも、組織の正常な機能が不能に陥っていることが明らかにされた。これらの不祥事に共通するのは強力なトップの下、旧態依然とも言うべき上意下達が当たり前になっていることだ。だが「男の山根」を強調する古い気質だけに、最終的には会長辞任は不可避であろう。

     

     全く別の話になるが、3日前(7月31日)に日銀はまた金融政策を修正した。一見もっともらしいが、アベノミクスを振りかざす安倍政権になってからの経緯を振り返ると、疑問が浮かび不信感が募る。当初は大見えを切った2%の物価上昇率目標が3年前に不達成となり、さらに今度は今から2年後の2020年でも手が届きそうにないとか。このエンドレスな夢物語(政策)をいつまで継続するのか?また、最終的に目標は達成できるのか?筆者はもちろん、多くの善良な国民が抱いている疑念に誠実に答えているとは思えない。

     それでも黒田東彦日銀総裁は辞めようとしないし、むしろ去る4月には再任される始末である。この5年以上にわたり状況に応じて度々政策を修正してきたが、どこに問題があるのか謙虚に振り返ったであろうか?常に正しかったと過信する政策は屋上屋を重ね、むしろ迷宮入りして泥沼化し、不透明さが増すばかりである。斯様なことを続けている限り出口は見えず、2%の物価上昇率達成のゴールは遠のくばかりであろう。

     

      上記に加え、東京医科大学の入学試験で女子受験者の点数を一律減点の問題が明るみに出たが、ほかの大学でも似たケースがあるようで必要悪と擁護する向きもある。いずれにせよ、最近の世相は変なことが多過ぎるようだ。特に政界では十分な説明責任を果たさず、森友・加計問題の幕引きを図ろうとする安倍長期政権下、ウソをついても、また忖度してもまかり通る風潮が蔓延して様々な不祥事が多発している。自然界でも過日の12号台風は、なんと逆走する始末だ。何かが狂っているとしか言いようがない。

     

     いつもは7月上〜中旬に開花する当家のカンナが、本日やっと咲いてくれた。花まで変になったのではと思うのは、いささか思い過ごしかも知れない。カンナは真夏の炎天下、大きな葉の間から色鮮やかな花を元気に咲かせる。花言葉は「情熱」で、真夏の強い日差しに負けない強さと華やかな姿に相応しい。暑くても花を愛でているとホッとする

    ものがあり、妙に汗もかかないから不思議だ。これがウソをつきがちな複雑怪奇な人間様と違うところであろう。

     

     2年後の東京五輪のことを考えると、諸外国にも批判されないようなスポーツ界の自浄を切望したき次第である。

     

    後記

     日本ボクシング連盟の山根会長は本日記者会見し、会長辞任を表明した。しかし、単なる会長を辞任しても理事に留まれば、連盟内での内紛は続こう。除名などの厳しい処分が無ければ、騒動は簡単に収束しないであろう。これが2年後の東京五輪にも影響することを懸念する。(8月8日)

     

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    | スポーツ | 23:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    豪雨と猛暑をそっちのけの国会閉幕
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     第196通常国会が本日閉幕した。カジノを含む統合型リゾート(IR)実施法が20日夜の参議院本会議で、自民党・公明党などの賛成多数で可決成立して事実上閉会していたのだが・・・。カジノの弊害などに就いては、筆者はかつて短期間とはいえ海外駐在員時代に嵌まった苦い経験をベースにし、2014年11月23日付け幣ブログ『 カジノの功罪を考える 』で言及済みである。

     この国会では他に、「高度プロフェッショナル制度」に批判が強かった働き方改革関連法や、人口減少の現実に背を向けるような参議院議員の定数を増やす改正公職選挙法まで成立させた。与党が数の力で強引に押し切った形は、誠に遺憾の極みである。それにしても、自民党のやりたい放題に対抗できない非力な野党の不甲斐ない対立構図はなんとかならないものか。81歳の老兵の言うことは、空しい遠吠えになるのであろうか?

     一方、森友学園問題の公文書の改ざんや破棄に加え、加計学園の獣医学部新設問題では安倍晋三首相と学園理事長との面会記録が明らかになるなど、安倍政権を揺るがす問題が続々と発覚した。だが、同首相は膿を出し切ると明言しながら十分に説明責任果たすことなく、まともに正面から答えないまま国会は時間切れとなり閉幕した。更に、過日の西日本豪雨や猛暑による混乱という国内問題を抱えながら、最終的には中止になったが欧州・中東外遊を強行しようとした同首相の能天気と無神経さには驚くほかない。客観的に見ても嘘をつき続け、国を私物化して開き直る首相夫妻の言動は異常以外の何物でもない。

     

     それにしても今年の命にも係わると言われる猛暑は異常すぎると言えよう。先ず、梅雨明けが史上最速となり、6月末からずっと猛暑が続く。もっとも世界気象機関(WMO)に依れば、猛暑は我が日本だけではなく、ノルウェー北部の北極圏では7月17日に7月としては史上最高の33・5度を記録したほか、グリーランド西部のインナーストート村では沿岸に巨大な氷山が接近しており、衝突して崩落すれば大規模な津波が発生する恐れもある。筆者は既に15前の2003年8月に現地近くのイルリサットを旅し、温暖化による氷山崩落を目の当たりにしている。因みに、世界の猛暑に就いては、2015年7月23付け幣ブログ『熱中症と世界の猛暑地を訪ねて』 で紹介済みだ

     

                     −−− グリーンランド西部で −−−

      

       インナーストートに迫る巨大氷山 イルリサットの氷山巡りする筆者

      (ネットより転用・加工)

     

     実は私ことワールド・トラベラーは、商社マンであった現役時代に約9年の海外駐在経験があり、赴任地はクウェートとインドネシアという猛暑地であった。特に、1974〜1977年に住んだクウェートは砂漠に囲まれ、夏場の気温はなんと50度ほどになる。体温をはるかにオーバーする酷暑の中で働く馬鹿はおらず、約4時間のシエスタを自宅で取るのが当たり前と言うより義務であった。件の働き方改革も、夏場はツーシフト制にしてシエスタを取り入れるなど斬新な発想があって然るべきなのだが・・・。

     

        −−− 懐かしきクウェート駐在時代のスナップ −−−

       

       クウェート市内の        イラク国境近くの砂漠   油田で長男・次男と

     モスク(礼拝所)前で

     

     発生してから3週間以上も経つ西日本豪雨の被害は、広島県・岡山県・愛媛県を中心に広範囲に及び、死者・行方不明者は240人に達した。以前筆者の近くで住んでいた広島県福山市在住の知人から提供して頂いた写真を見ると、なんとか床上浸水は逃れたものの、川の氾濫による冠水の被害は甚大のよう。また、猛暑も加わり、後片付けも大変と聞く。遅まきながらお見舞いと早急な復興を祈念したい次第だが、豪雨被災をそっちのけのような形で法案成立に必死になった与党国会議員の節操の無さに憤りを禁じ得ない。

     

        

        ご自宅の玄関附近   近くのショッピングセンター

     

     猛暑と言うよりも酷暑のほうが適切な折柄、西日本豪雨の復興には相当な時間もお金もかかろう。だが、自民党の国会議員の諸先生の眼中にあるのは、その復興よりも来る9月の総裁選であろう。誰が領袖になっても、大きな変革や刷新は望めそうもない。そう思い巡らすと、酷暑が一層老体にはこたえ暑苦しくもなる。

     

                                   ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

     

    無料講演を引き受けます。

      ワールド・トラベラーは講演・講義を全国各地で行っています。主目的は地域や街の活性化と真の国際化推進、そして三流とも揶揄される日本外交再生などの一助です。そのために世界に関することであれば、旅行、文化芸術、宗教、歴史、政治や外交に関する国際情勢、グルメ、環境、経済や産業などジャンルを問わずワールド・トラベラーとして恥ずかしくない講演をします。しかも272ヵ国・地域を旅した実体験をベースに、他人様の情報をコピペ(切り貼り)しない異色のノンフイクションをありのままにお話します。
     ご希望があれば、ご遠慮無くお申し出下さい。因みに、慈善活動のため謝礼は一切不要ですが、ご希望の主旨が筆者の平和的な理念などに反する場合は勝手ながらお断りすることもあります。予めお含み置き下さい。


                        ― ― ―  講演会風景 ― ― ―
      
     プロジェクターを駆使し講演     地球儀を前にして      満席の会場で熱心に聴講する
      するワールド・トラベラー       スピーチする筆者       多数の参加者たち 


    お問い合わせ:世界の人形館 
                         TEL 04−7184−4745
          E−MAIL 
     ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

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    | 国内政治 | 12:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    FIFAワールドカップの決勝に進むクロアチアの旅-アドリア海編
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     去る6月14日から始まった2018 FIFAワールドカップ・ロシアも終盤を迎え、決勝カードが決まった。決勝へ進出したのは、1998年以来の2度目の優勝を狙うフランス代表と、開催国のロシアやサッカーの母国イングランドを打ち破ったクロアチア代表である。クロアチア代表は決勝までに3試合連続で延長戦を戦うなどハードな戦いを制してきた訳だが、国中が一丸となって代表チームを懸命に応援しているようだ。因みに、FIFAへの参加は1998年大会が初出場で、わずか20年の浅い歴史を考えると大躍進である。

     実はクロアチアは1991年にユーゴスラビア連邦から離脱する以前は、ユーゴスラビア連邦の一共和国であり、ナショナルチームはユーゴスラビア代表に属していた。しかし、同代表は1980年代中頃からチームとして崩壊に向かっており、クロアチア出身の選手に対してユーゴスラビア代表に加わらないよう政治的圧力がかけられる事がしばしばであった。こうした状況下、1990年のワールドカップ直後にクロアチア代表が編成され、首都ザグレブにアメリカ代表を招きクロアチア代表初となる国際試合が行われた。

      愈々来る15日に強豪国フランスとの決勝戦がある。決勝トーナメントに入って3連勝するクロアチアだが、いずれも延長勝ちと薄氷を踏む辛勝であった。選手は疲労困憊で格上との対戦はどう見ても不利は否めないが、大番狂わせを演じて初優勝し東欧から初めての王者が誕生するというドラマが演出されるのであろうか。他国代表の試合とは言え興味津々である。また、興味津々と言えば、もう一つある。試合会場のピッチを見ると、中国系企業の広告看板が圧倒的に多いことだ。中国は予選で敗退してロシア大会に参加していないだけに、チャイナパワーの底力を再認識する次第だ。

     

     さて、クロアチアは「アドリア海の至宝」と呼ばれ、対岸国イタリアの影響を少なからず受ける。面積は5万6542k屬閥綵の約1.5倍、人口は約430万人という小国だが、今や世界が固唾をのんで注目するクロアチアを筆者はちょうど20年前の1998年9月に旅しており、今回はクロアチア観光の目玉と言われる風光明媚な多島海のアドリア海沿岸を紹介しよう。

     

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     何と言ってもクロアチア観光のハイライトはアドリア海沿岸であり、その代表はクロアチア最南端に位置するドブロブニクと断言できよう。「アドリア海の真珠」と謳われる城郭都市は人口は約4万人の小さな町だが、同国きっての観光地である。その最大の見どころは約500m四方の旧市街で、観光前に一押しのパノラマポイントがある。旧市街の北方向にある標高412mのスルディ山の中腹から眺める景観で、紺碧のアドリア海に映える赤い屋根瓦、旧市街を取り巻く白い城壁など見事なコントラストを描く絶景は宝石のように美しい。また、旧市街の西4kmほどに港や、フェリー乗り場があるグルーシュの丘からの眺めも捨てがたい。

     

         (スルディ山中腹からの眺め)   (グルーシュの丘より)

      

     旧市街と旧港を望む    筆者(右) 

     

     下山して旧市街の入口にあるピレ門をくぐると、「ドブロブニクの銀座」ともいうべき華やかな装いのプラツァ通りが中心部のルジャ広場まで約200m続く。旧港界隈も、港町らしい開放的な雰囲気が漂う。ここはドブロヴニクで最も古い歴史を持つ所で、中世には貿易都市として繁栄した海の玄関口であった。中世には自由都市と栄えた旧市街を肌で実感するなら、1周が1940m、高さが最高25mもある城壁の上を散策する城壁巡りがおススメだ。

     

       

    プラツァ通り散策する筆者  プラツァ通り   城壁の上巡りを楽しむ

     

     この城郭都市が城壁に囲まれたのは8世紀で、現在の姿になったのは16世紀頃である。鮮やかな赤屋根の家々、真っ青なアドリア海、7000m沖合いに浮かぶロクルム島が眺望できる。所々で1991年セルビア・モンテネグロによる激しい軍事攻撃を受けた弾痕跡などが残り、スルディ山からの眺めとは違う景観が広がる。一方、旧市街から南東約15kmのチャブタは、「ドブロブニクの父」と呼ばれ落ち着いた古い港町で、港通りの散策は最高のムードに浸れる。

     

         (旧市街の城壁の上より)

      

    旧市街とロクルム島望む 旧市街に迫るアドリア海  チャブタの港付近  

     

     クロアチア最大の港町リエカ〜ダルマチア地方のリゾート地の中心・スプリト間のアドリア海沿岸も景勝地が多い。特にドブロブニクの北西227kmほどにあるスプリトは人口約10万人の港町で、ローマ遺跡と中世の建物が混在するユニークな町だ。ローマ皇帝のディオクレティアヌス宮殿の上に築かれた古都だが、数あるローマ遺跡の中でもお目当ての有名な宮殿は、南北215m、東西180mの規模を誇る。しかし、外観が真っ黒で汚く少々期待外れであったが、近くの椰子が茂るクネズ・ドマゴイ通りでは南国ムードが溢れ、異国情緒と港町の雰囲気を盛り上げる。

     また、スプリットの東20kmにある小島のトロギールは南北に細長いクロアチアの真ん中に位置し、橋により本土やチオヴォ島と結ばれる。江戸時代の長崎の出島によく似た島の起源は、ギリシア時代に遡る。2400年ほど前はギリシャの植民地として島ではなく、本土と陸続きであった由。その後に防衛の観点から、本土と切り離して島にしたと言われる。様々な時代の歴史的建物が、東西700m、南北400mの狭い小島の旧市街にひしめく。中でも注目すべきは聖ロヴロ大聖堂だ。13世紀初めに着工されたが、完成したのは17世紀であったためか様々な建築様式が組み合わされている。特にライオンの上にのったアダムとイブの像が両端に彫られた門は、13世紀のクロアチア宗教美術の傑作と言われる。

     

       

        スプリトのディオ  トロギールの大聖堂の  トロギールを俯瞰

      クレティアヌス宮殿 ライオンとアダム・イブ像

     

     上述のアドリア海沿岸以外の内陸部(プリトヴィツェ、ザグレブ)でも必見の観光スポットがあり、いずれ紹介の機会を作りたいと思っている。

     

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     FIFAランキングやこれまでの試合の疲労度などを想定すると、フランス代表の優位は濃厚だが、何が起こるのか分からないのが勝負である。もしクロアチア代表が勝てば、今年の世界の十大ニュースの一つになるのではなかろうか。

     

    (後記)

     クロアチア代表は健闘したが、やはり疲労が蓄積していたのであろうか、2−4でフランス代表に敗退した。これでフランス代表は2度もサッカーW杯で優勝を果たしたのだが、国民が歓喜に湧く中、各地で略奪や警察との衝突なども相次いでいる由(7月16日)。

     

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    | 世界の旅− ロシア・東欧 | 18:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    タイの洞窟で少年らが閉じ込められたチェンライとタイタンビカス開花
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     今朝起きて見ると、玄関ポーチのタイタンビカスが見事に開花していた。例年より約2〜3週間も早く、これも先月末に史上最速で梅雨明けした連日の猛暑の影響であろうか。しかも、今年は花の直径が20cm近い大輪が、何と8輪も乱舞する豪華さである。1日に精々3〜4輪咲くのが普通なのだが・・・。早速観にやって来た人たちがいた。

     この花を観賞していると常に想起するのが、今のところ不治とされる病(認知症)に臥して早や4年目を迎える妻である。彼女は殊の外タイタンビカスを愛好し、早朝に咲き始めるが夕

    刻には萎んでしまう切ない移ろいがの若かりし頃の残像にダブってしまうからだ。余命僅かの不帰の人にならんとしており、「花の命も人の命も共に短し」を痛感する毎日だ。

     

     さて、前置きが長くなり恐縮。寝不足の夜更かしを強いられるほど連日熱狂していたFIFAワールドカップも、我が日本代表は決勝トーナメントの初戦でベルギーに敗退したため急に静かになった感じである。代わりにテレビなどで大々的に報道されているのが、同じサッカー絡みの事故である。6月23日からタイ北部のチェンライの北郊外にあるタムルアン洞窟で、サッカーチームの少年12人とコーチ1人が行方不明になったことだ。

     幸い9日後の7月2日に洞窟の入口から5km近くの洞内で発見されたが、大雨による増水で閉じ込められたままだ。13人の命には別条無いようだが、大量の水が洞窟を塞いだままで、洞窟外への救出方法や時期などの見通しは立っていない由。加えて現地は豪雨に度々見舞われる雨期に入っており、浸水が更に酷くなる場合もあり救出の長期化が懸念される。

     

    洞窟内の少年たち

    (ネットより転用・加工)

     

       今やFIFAワールドカップと共に注目されるタムルアン洞窟があるチェンライを、筆者は2008年7月に訪れており、その時の模様を紹介しよう。

     

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     チェンライはタイの首都バンコクの北785kmほどに位置する、タイ最北部の中心都市で人口約10万人。かつて13世紀に栄えたラーンナー・タイ王国の都は現在もタイ最北の県都として発展し、北部観光の拠点として賑わいを見せる。ミャンマーやラオスとの国境に近い町々の入口に位置するため、少数民族が独特な風習を今も残すタイ北部観光のベースになっており、ヨーロッパなど欧米からの観光客が多いのに驚いた。

     

     ご多分にもれずこの町でもワットという寺が多いが、町の中心にあるエメラルド仏で有名なワット・プラケオや、14世紀創建の古いワット・プラ・シンよりも、郊外の新名所ワット・ロン・クンの方がずっと見応えがある。市内から南西14mにある寺は1997年の着工以来、いまだに完成していない(訪問当時)とかで、スペインはバルセロナのサグラダ・ファミリアのミニ版を思わせる。

     

              (ワット・ロン・クンと筆者)

     

     

     

            ワット・プラ・シン                    ワット・プラケオ

     

     チェンライ出身の仏教画家が設計した寺は純白のモダンな外観で、金ぴかの寺が圧倒的に多いタイではまさに異色だ。燃え盛る真っ白な火を彷彿させるような繊細で特徴的な屋根、本堂へと向かう橋のたもとにある手や足のオブジェ、他の寺とはひと味違う新時代的な本堂内部の仏像や仏画など、芸術と信仰が一緒になったような独創性溢れる白亜の寺院だ。
     

     古都のわりには見どころが多くない市内だが、タイの国民的英雄メンラーイの王像ポー・クン・メンライは見逃せないスポットである。ワット・プラ・シンから東へ徒歩約10分にあり、ラーンナー・タイ王国の建国者として現在も人々の信望を集める王像の周りには献花が絶えない。また夜のチェンライを楽しむなら、毎晩バスターミナル周辺で開かれるナイト

    メンラーイの王像

    バザールがイチ押しだ。山岳民族の民芸品などが売られているほか、野外のフードコートやライブステージもあり、深夜まで地元民や旅行者で賑わう。

     

     マニアックな旅人におススメしたいのが、チェンライ周辺に住む少数民族の村や集落だ。約35km北東にあるノンウェン村では女性はカブトのよう重い帽子を被って黒いミニスカートという姿のアカ族と、赤いモール襟が付いた厚手の濃紺の民族衣装を着用して頭には細かな刺繍入りの布を巻くヤオ族が住む。

     

             (少数民族と交流する筆者)

       

         アカ族          ヤオ族      パダウン・カレン族 

     

      また、チェンライから北西62kmのメ―サロンまで足を延ばすと、郊外のヤパ村で首長族のパダウン・カレン族が住む。元々彼らはミャンマーに居住する民族だが、約30年前の政府軍とカレン族の内戦から逃れてきた難民とされる。この村では女性は首が長いのが美人とされる異文化体験ができ、興味深々の世界が広がる。

     

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     イギリスなど外国からも救援隊が現地入りして懸命に救出を急ぐ一方、自己責任を云々する空気もあるようだ(特に我が国では)。しかし、タイでは自己責任など問う声は無いそうで、さすが寛容な微笑みの仏教国というお国柄の違いなのであろう。

     

    後記

     8日から待望の救出が始まり、10日までに13人全員が洞窟内から脱出して病院に搬送された。6月23日に行方不明となってから18日目でに全員が奇跡の生還となった一方、救出作業していた元海軍特殊部隊員1人が洞窟内で死亡する犠牲者を出した。いずれ今回の救出劇は映画化されるであろう。今後とも注目したいものである(7月11日)。

     

                      ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇

     

     私ことワールド・トラベラーにはタイなどの少数民族に関する著書があり、ご関心ある方は是非ご購読下さい。

     

    ●『 世界を動かす少数民族 』

     少数民族の世界から現代世界の縮図と課題が見える

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    | 世界の旅−アジア | 13:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    FIFAワールドカップ−日本代表のキャンプ地カザンを訪ねて
    10

     今月は10日ほど前から寝不足の毎日が続き、日中も何となく眠たくて仕様が無い。原因は FIFAワールドカップロシアによる。6月20日付け幣ブログ『2018 FIFAワールドカップの舞台ロシアの旅−モスクワの今昔』で紹介した通り、6月14日から開幕した1次予選で、H組の我が日本代表が突然の監督にも拘わらず快進撃を続けているのだ。サランスクで行われた初戦の対コロンビア戦で2−1で勝利し、更に本日未明(日本時間)エカテリンブルで行われたランキング上位のセネガルとの試合では、2−2で引き分ける大健闘をしたのである。

     このチーム一丸となった好調をキープし、来る28日にヴォルゴグラードで行われるポーランド戦で勝つか、或いは引き分ければ待望の決勝トーナメントに進出できる。現時点では日本はH組の1位で有利だが、油断はやはり禁物である。前回大会の王者であったドイツが初戦から敗れ、1次リーグ敗退の危機に晒されている例もあるからだ。引き分け狙いの守りではなく、あくまで積極的なプレーが望まれよう。

     

                 

     

     今回の思わぬ(?)日本代表の勝因として、西野朗監督の見事な采配のほかに、日本代表が大会期間中に練習するベースキャンプ地、カザンとの相性の良さも挙げられるのではなかろうか。その彼の地を知る読者は少数と思うのだが、実は3年前の2015年に世界水泳選手権が同地で開催され、かつて高校時代に水泳選手であった筆者はテレビ観戦に釘付けになったことを想起する。

     また、2002年9月にはカザンやエカテリンブルグなども訪れており、国土面積が日本の45倍もあるロシアの偉大さと底力を改めて痛感した次第だ。我が安倍晋三首相が足繁くプーチン(大統領)詣でをしても北方領土問題で相手にしてくれないのは、ロシアの強かさと実力をよく解っていないからであろう。その旅の模様を簡単に紹介しよう。

     

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     ロマノフ王朝の終焉の地として知られるエカテリンブルグから夜行列車で到着したカザンは、首都モスクワから東およそ800kmに位置する。ロシア有数の大河、ボルガ川に臨む商工業都市で、人口は約112万人である。タタールスタン共和国の首都で、かってのモンゴル系カザン汗国の都であった。「ボルガの真珠」と称され、今も北方トルコ系住民のタタール人が多く住む。彼らの大半はイスラム教徒で、市内散策中にいくつかのモスクを見かけ、ロシアの町にしては珍しくエキゾチックな中東の雰囲気が漂う。

     

     

                   ボルガ川       カザン駅前の筆者

     

     見どころは、やはりクレムリンという要塞である。その城壁はモスクワやノヴゴロドのクレムリンに劣らず威風堂々だ。また他のクレムリンが赤レンガ色に対し、ここは白色で爽やかな感じが良い。更に素晴らしいのは、城内に立派な建物が多いことである。特に16世紀に建てられたブラゴヴェシェンスキー(生神女福音)大聖堂は、ブルーのドームが美しい教会で、内部のイコンやフレスコ画も見事と言うほかない。

     

     

       カザン川の橋より     クレムリンの城壁

       クレムリンを望む

     

     他方、市内の至るところにあるモスクの中でも、メチェティ・クル・シャリフがひときわ目立ち、青いドームのブルーが実に鮮やかで美しい。また、小さなモスクでは、グリーンの外壁が異彩を放つスルタン・モスクが見逃せない。

     

     

     クル・シャリフ・モスク  プラゴヴェシェンスキー大聖堂

     

     因みに、カザンを詳述した、ペンネームが高やすはると言う幣著書『 ワールド・トラベラーだけが知る 素顔のイスラム(新潮社)』があり、ご興味あれば是非ご愛読頂きたい。

     

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     最新のFIFAランクに依れば、日本の61位に対し、28日に対戦するポーランドは8位である。1枚も2枚も役者が上のポーランドに対し、我がSAMURAI BLUEはどのように戦うのであろうか、また西野朗監督のマジック的な采配を期待したい。

     

    後記

    ポーランド代表と対戦した日本代表は0−1で敗れたが、勝ち点で並んでいたセネガルもコロンビアに負けたため、フェアプレーポイント数(反則ポイント)で上回ったことで幸運にも決勝トーナメント進出を決めた。しかし、その進出のために西野監督が選択したマジック的な采配は何と時間稼ぎをするだけのボールキープで、正直に言って見苦しく恥ずかしい戦法であった。一番馬鹿を見たのは高価なチケットを払い、入場して観戦していた観客であろう。

     手強い格上の他国代表と戦う決勝トーナメントでは、小細工を弄することなく挑戦者精神とスポーツマンシップを持ち、是非ともサムライジャパンらしい正々堂々とした爽やかなプレーを期待したい。日本に対する国際社会での評価を高めるためにも・・・。(6月29日)

    ポーランドとの決勝トーナメントに臨んだ日本代表は2点先取も空しく、後半にポーランドに3点を取られて逆転負けを喫した。念願の8強が叶わなかった訳だが、それまでの勝利が違反で10人選手と少なかったコロンビアとの試合の1勝のみであった戦歴を考えると、実力以上の善戦と言うべきが妥当であろう。いずれにせよ、我が代表ご苦労様でした。(7月3日)

      

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    | 世界の旅− ロシア・東欧 | 23:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    2018 FIFAワールドカップの舞台ロシアの旅−モスクワの今昔
    9

     サッカーの2018FIFAワールドカップが6日前の6月14日からロシア各地で始まっている。東ヨーロッパでは初めての開催で、開幕の試合、グループAのロシア vs サウジアラビアはモスクワのルジニキスタジアムで行われた。開催国のロシアが5−0と圧勝し、観戦したプーチン大統領はご満悦であった。一方、グループHの我が日本は昨日(20日)サランスクで格上の強豪国コロンビアと対戦し、なんと2−1の番狂わせ(?)で勝利した。大金星である。

     このワールドカップの参加チームは全部で32で、開催都市は首都モスクワをはじめ、サンクトペテルブルグ、カリーニングラード、カザン、ニジニ・ノブゴロド、サマーラ、ヴォルゴグラード、サランスク、ロストフ・ナ・ドヌ、ソチ、エカテリンブルグの合計11都市である。特にモスクワは先述のルジニキ・スタジアムに加え、スパルタク・スタジアムでも試合が行われ、会場は合計12である。筆者はサマーラとサランスクを除き、9都市を訪問済みである。

     

      

        モスクワのルジニキスタジアム   サランスクのモルドヴィア・アリーナ

                                                                   (ネットより転用・加工済み)

     

     実は272ヵ国・地域を制覇した私ことワールド・トラベラーが初めて異国の地に足跡を残したのは、商社マン時代で今から49年前の1969年1月〜2月、当時はソ連の首都であったモスクワへの業務出張であった。その後2013年6月までに5度も同地を訪れており、数あるロシアの都市から今回はモスクワに絞ってその今昔などを紹介したい。

     

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     初めてモスクワを訪問した1969年の頃はソビエト連邦という社会主義国家体制下にあり、東西冷戦下の厳しい暗黒の時代であった。モスクワ以外の他の都市や地方へ出かける事も許されず、泊まったホテルのロビーでは秘密警察のKGBが絶えず外国人を監視チェックしていた。また、物不足がひどく国営百貨店グムの商品棚には売るべき商品がほとんど無く、値段は高いが品物が豊富な外貨ショップに人気があった。
          週末や平日の暇な時を利用した市内見物は、格好の気分転換になったが、趣味の写真撮影は厳しく制限され、橋や工場などを撮影しようとすると注意された。寒くて長く感じた夜は、ウォッカを飲んで体を温めたり、本場のバレエ鑑賞などをして退屈を凌いだ。観光したスポットは、クレムリン、赤の広場、グム百貨店、聖ワシリー寺院、レーニン丘、ボリショイ劇場、全ロシア展覧会センター、アルバート通りなど。

     

        −−− 1969年モスクワ滞在中の懐かしきスナップ −−−

      

          赤の広場    クレムリン(勤務先の     レーニン丘

                 現地事務所の秘書と)

     

     モスクワ 観光のハイライトは、何と言っても赤の広場である。狭い日本から来ると、長さ695m、平均幅130の広大な広場と、全長2kmを越す城壁に囲まれ広場に面する巨大な建物クレムリンのスケールの大きさにただ驚くばかりであった。当時アメリカと並ぶ超大国、ソ連の力を改めて思い知らされた。広場の南側に建つ聖ワシリー寺院は、生まれて初めて見るねぎ坊主型の教会だ。高さが47mもある1本のネギ坊主の周りに、8本のネギ坊主がぐるりと取り巻く。一見アンバランスに映るが、それでいて妙に調和が取れているのが面白く、なんとも不思議でならなかった。しかもちょっと恐ろしい逸話が残っており、完成した美しい聖堂を見た雷帝は、2度と同じものが造れないようにと設計者の目をくり抜いたと言うのだから驚きである。

     

     終生忘れ難いのは、バレエを鑑賞するために訪れたボリショイ劇場だ。ある日マイナス30度の酷寒を吹き飛ばそうと、夕刻の早い時間からウォッカをたらふく、しかもストレートで飲んだ。アルコール度数は60度、いや70度はあろうか、マッチの火を近づけると燃えるほ

    どで「火酒」とも呼ばれる。その後あの有名なボリショイ劇場で「白鳥の湖」のバレエを鑑賞を終えて外に出た。 

     ところが、飲み過ぎていたのか足元がふらつき、凍った路面でしたたか頭を強打した。幸い大怪我に至らずホッとしたが、転んだ時に痛くも何にも感じなかったのは、強烈なウォッカが持つ魔力であったかも知れない。本話の詳細は幣著書『トラベル・イズ・トラブル』をご覧頂きたい。

     

     さて、1991年12月のソ連崩壊後にロシアを27年ぶりに再訪したのは、1996年9月の旅であった。モスクワの象徴的なスポット、赤の広場は昔のままの佇まいでホッとした。赤の広場に面し熾烈な権力闘争が広げられて来たクレムリンは、 ロシア語で”城塞”を意味する。広場からその外観だけを観光する人が多いが、この時は赤い城壁内を隈なく見学した。クレムリンは1156年に木造の砦を築いたのが始まりで、その後14世紀と15世紀に拡張されて現在の姿になった。見どころは多いが、ロシアの歴史を収蔵する武器庫と称される宝物殿や、1479年に完成したかつてのロシア帝国の国教大聖堂とされたウスペンスキー大聖堂の見事なフレスコ画、イワン雷帝の個人礼拝堂であったブラゴヴェッシェンスキー聖堂などが必見だ。

     

      

       聖ワシリー寺院   ウスペンスキー大聖堂     グム百貨店

      前に立つ筆者

     

     広場の東側に建つ1893年築のグム百貨店も久し振りに訪れたが、冷戦時代に比べ品数が随分豊富になり店内は華やかになっていた。広場を挟んで百貨店の対面にあるのがソ連を誕生させた革命家レーニンの墓所、レーニン廟である。廟内に入り階段を下りると、ガラス棺に安置されたレーニンの遺体がある。広場の北側には国立歴史博物館があり、その裏はマネージ広場で人通りが多く賑やかだ。因みに、モスクワ市街の一望は、クレムリンから南西6kmほど、モスクワ川が大きく蛇行する所の右岸にあるヴァラビョーヴィ丘(雀が丘)が一押しだ。ソ連時代はレーニン丘と呼ばれたが、すぐ近くに建物が壮観なモスクワ大学のキャンパスがある。

     

      2001年7月以降の3度の旅では、主に赤の広場一帯以外のスポットを回った。モスクワは環状道路が発達した、投げ矢のダーツ・ゲーム盤のような構造の大都会である。街の中心を蛇行するように貫流するモスクワ川に架かるボリシャヤ・カーメンヌィ橋は、威容を誇るクレムリンや聖ワシリー寺院がバッチリ眺望できる絶好ポイントだ。橋の反対側は、ロシア最大の大聖堂である救世主キリスト聖堂が間近に見える。モスクワ川を挟んでこの聖堂から東600mほどにあるのがトレチャコフ美術館(旧館)で、ロシアの美術館ではエルミタージュ美術館と双璧をなす。12世紀以降のロシア美術の名作が数多く収集され、レーピンの「イワン雷帝と息子」などが有名だ。

     

       

    ボリシャヤ・カーメンヌィ トレチャコフ美術館   ヴォデヴィッチ修道院

    橋よりクレムリンを望む    (旧館)

     

     ノヴァラビョーヴィ丘の北約1m北にあるヴォデヴィッチ修道院は、元来はクレムリンの出城であった。16〜17世紀のロシア建築を代表する建物が集まっており、特に美しい5つのドームを持つスモーレンスキー聖堂と鐘塔が目を引く。意外な見所は修道院の裏にある墓地である。ゴーゴリー、チェーホフなどのほか、フルシチョフなどの大統領や家族も眠っている。また、故人が得意のポーズを取って今でも生きているような錯覚を起こさせるのが、なんともユニークで面白い。

     

     モスクワの今昔で一つ気になることがある。空港の入国審査や預けた荷物の受け取りで長時間待たされ、また空港内の照明が暗いことは、1969年の最初の訪問でも2013年の直近訪問でも全く同じであった。その後は出かけていないので知るよしも無いが、最近は少しでも良くなったのであろうか?去る5月に通算4期目の長期政権をスタートさせたプーチン大統領は現代版のロシア皇帝ツアーを彷彿させるが、同大統領が本気になれば空港問題は即刻改善されるのではと思うのだが・・・。現状は如何に?
     

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     次回のブログは日本代表のベースキャンプ地になっており、筆者が2005年9月に旅したカザンを紹介予定である。乞うご期待! 

     

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    | 世界の旅− ロシア・東欧 | 20:29 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    米朝首脳会談の舞台セントーサ島と我が総理の外交に想う
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     果たして予定通り会談が行われるのか、或いは中止するのではと一時は気をもませた史上初の米朝首脳、トランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長による会談が、愈々2日後の6月12日に開催される。本件については、既に5月16日付けの幣ブログ『史上初の米朝首脳会談が開催されるシンガポールの今昔』でアップ済みだ。注目の会談の場所は、シンガポール島のすぐ南に浮かぶセントーサ島にあるカペラホテル(下写真)決まった。2009年にオープンした新しいホテルだが、島随一の最高級リゾートホテルと言われる。

     ほぼ逆三角形をした島の北側では様々なレジャー施設やアトラクションが楽しめる一方、南側はシロソ・ビーチやパラワン・ビーチという静かなビーチが広がる。カペラホテルは島のほぼ中心に位置し、南欧でよく見かけるような赤い屋根が印象的で、何となくトランプ大統領のフロリダの別荘、マー・ア・ラゴに似ているような気もするのだが・・・。因みに、宿泊ホテルはトランプ大統領はシャングリラホテル、金委員長はセントレジスになるようで、共にシンガポール島にあり近接している。

     

       

                      

     さて、会談のほうだが、想定外 or 規格外とも言うべきビジネス第一の大統領らしからぬトランプ大統領に対し、34歳の若輩ながら体制維持のため強かな金正恩委員長の2人の御仁が話し合う。親子ほども違う年長者のトランプ大統領のほうが主導権を握っているように見えるが、実を取ろうとしているのはむしろ金正恩委員長であろう。両者に共通するのはビジネスであり、北朝鮮が我が国に求めるのは先ず経済支援であり、拉致問題はその後であろう。

     明らかにノーベル平和賞平和賞狙いの同大統領は非核化で煮詰めるほか、朝鮮戦争終結の合意に調印する可能性も示唆したが、果たして思惑通り事が運ぶであろうか。口癖であった「最大限の圧力」も北朝鮮を刺激するとして封印しており、根っからのビジネスマンらしい如才無い処世術である。他方、同委員長もシンガポール滞在中にカジノなどを視察し、不足気味な外貨獲得のため北朝鮮国内にカジノ特区を造るなど様々な外資導入を目論むであろう。 

     

     一方、外交が大好きな我が総理、安倍晋三首相は最近でも2度もトランプ詣でをし、米朝会談で 懸案の拉致問題を議題にしてもらおうと懸命だが、どうもボタンの掛け違いをしているようで笑止千万でならない。せっせと政府専用機に乗り高額の国費を使って外交に勤しむが、空回りするだけで実績や成果などは皆無に等しい。確かに外交キャリアだけはドイツのメルケル首相に次ぐが、長年対応してきた北朝鮮の拉致問題やロシアとの北方領土問題などは少しでも進展したのであろうか?かつて国会で「外交交渉において政治は結果だ」と同首相は答弁したが、その結果がきちんと出ているであろうか?反論があれば、是非ともお伺いしたいものである。

      またこれほど頻繁に夫人同伴で外遊する首脳は、世界でも類を見ないであろう。その夫人が森友疑惑に関与していなかったら、特に問題にはならなかったのだが・・・。外交に熱心なことに敬意を表したいが、お友達のトランプ大統領を見習いコストパフォーマンスを考えた実りのある外交を実践願いたき次第だ。そのためには北朝鮮に対して金太郎飴のように「圧力を続ける」という対北強硬姿勢をアピールし続けるのではなく、また同大統領に頼る他力本願ではなく、自らが金正恩朝鮮労働党委員長と腹を割った直談判が出来る度胸と実力が望まれよう。もし、トランプ大統領の口添えで拉致問題が解決しても、そのお返しは通商問題などで随分高い代償を払うことを覚悟せねばなるまい。

     

    (後記)

     2018年最大とも言うべき政治ショーは、予定通り昨日セントーサ島で行われた。一応トランプ大統領と金正恩委員長は共同声明に署名したが、最重要の非核化は骨抜きにされ、アメリカが主張していたCVID(完全かつ検証可能で不可逆的な核放棄)には言及されなかった。また、声明には朝鮮戦争終結も盛り込まれず、さらに金正恩体制を保証すると言う、実質的に北朝鮮に利する会談に終始したようだ。元々中間選挙を意識しノーベル平和賞狙いの大統領にして見れば、委員長と会って握手するだけで大半の目的を達成したのであろう。

     一方、恥をさらした格好になったのは我が総理である。確かに会談でトランプ大統領から北朝鮮の拉致問題が提起されたが、極めて短時間の会合で相手方から良い返事が出るはずが無い。もっと、もっと真摯に当事者意識を持ち他国任せにせず、命を挺するぐらいの覚悟で金正恩委員長との直接対話を実践願いたいものである。(6月13日)

     

     ところで、セントーサ島は東西4km、南北1.5km、面積は4.71㎢の小さな島だ。東京・台東区の3分の1に過ぎないが、1972年からシンガポール政府肝いりの観光政策で開発されてきた。島名はマレー語で「平和と静けさ」を意味し、豊かな自然にも恵まれている。両首脳が非核化=平和につき話し合うには、まさに絶好の場所である。島は橋で本島と繋がれているほか、島に行く手段はモノレールやケーブルカー等がある。従い、これらのアクセスを遮断すれば警備し易く、これが会談場所として選ばれたのであろう。

     小島ではあるが歴史的な場所になろうとしているセントーサ島を、筆者は1977年7月と、ちょうど28年後の2005年7月に訪れている。30年足らずの間に島はどのように変貌したか、島の今昔を中心にして紹介しよう。

     

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     1977年の最初のセントーサ島訪問は、商社マン(三井物産)として駐在していたクウェート勤務を終えて帰国途中で立ち寄ったものだ。その時は妻、小学生の長男と次男を帯同していた。取引先のシンガポール駐在員などの案内で島を訪れたが、政府による開発が始まってから間もないため、テーマパークも少なく観光客もまばらであった。むしろまだまだ豊かな自然が残る静かな佇まいの未開発の島であった。

     当時は美しい庭園のほかに、スイミング・カヌー・ヨット・ゴルフ・博物館などが楽しめる程度のリゾート・アイランドであった。しかし、緑の少ない沙漠の国クウェートで3年余り過ごしていただけに、長男と次男の子供たちはオアシスのような広い庭園のなかで伸びやかに寛いでいた。

     

    (1977年セントーサ島で家族と共に楽しんだ懐かしいスナップ)

      

    シンガポール島を結ぶ橋  島内を走る循環バス    美しい庭園

     

      それから28年後の2005年には妻のほかに、次男に家族ができて嫁と2人の孫たちを引率する3世代旅行を堪能した。島は驚愕するほど大変貌し、見どころ満載のレジャーアイランドに変身していた。島内の移動は前回の訪問時には無かったモノレールやシャトルバスを利用したが、随分便利になったものだ。島の全てがファンタジー溢れる娯楽島は、老若男女を問わず昼も夜も楽しめる。アジアで唯一と言われるバタフライ・パークという世界昆虫館は、世界一大きなカブトムシをはじめ、4000匹以上の昆虫の標本を持つ博物館である。特に約50種、2500匹という蝶のコレクションは世界有数だ。

     アンダーウォーター・ワールドという水族館では、海底5mに造られた全長83mの透明なアクリルトンネルを進んで行くと、すっかり海中散歩しているような気分になる。ミュージカル・ファウンテンは、噴水とレーザー光線、音楽が世界屈指のハイテク技術により一体化した、水と音楽と光の芸術ショーだ。バタフライ・パークのそばにそびえ立ち、ひときわ目立つのが高さ37mのマーライオン・タワーである。マリーナ・ベイに面する本家の小さなマーライオン像に比べ、巨大で野性味が溢れ迫力がある。エレベーターで口と頭上にある展望台まで上ると、抜群の眺望が堪能できる。

     

      (28年ぶりに再訪した2005年セントーサ島への3世代旅行)

      

     マーライオン・タワー バタフライ・パーク ファウンテン・ガーデンズ

      

    幻想的なミュージカル・   シロソ・ビーチ パラワン・ビーチで孫たち

      ファウンテン              (今は大学生と高校生)と泳ぐ

     

     2度目のセントーサ島訪問から早や13年が経つ。島の開発がさらに加速し、今やカジノやユニバーサルスタジオまであるから更なる驚きである。今回の首脳会談開催により一層知名度が上がり、世界的なリゾートアイランドとして益々発展しよう。

     

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     あれほど家族と至福のセントーサ島旅行を楽しんだ我が家だが、その後は如何であろうか。私事で恐縮だが、認知症を患う妻は4年近く闘病中で、延命医療を受け不帰の人にならんとしている。悲しく、やりきれないほど切ない。また、50代の長男と次男の家族は親の教育が悪かったのか、或いは筆者の不徳の致す所か、孫たちも含めほとんど寄り付かない。家庭崩壊の実情が恥ずかしくてならない。81歳になって送る独居生活は実に侘しく、世の無常を痛感する毎日だ。自業自得とは言え・・・。

     

                                  ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇

     

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    | 国際政治 | 01:15 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    大関昇進の栃ノ心を生んだジョージアの旅(その1)
    9

     「親方の教えを守り、力士の手本となるように、稽古に精進します」と伝達式で今時にしては珍しい古風な口上を述べた。昔の大相撲力士のような、日本人よりも日本人力士らしい風格の外国人力士がいる。一昨日(5月30日)大関昇進が決定したジョージアのムツヘタ出身の栃ノ心(30歳)がその人で、外国出身では11人目の大関誕生である。

     その相撲ぶりは相手力士とがっぷりと組み、力強く投げたり押し出したり、時には怪力に任せて吊り上げる。そのけれんみの無い取り組みは、ダイナミックで爽やかである。新入幕から大関に昇進するまで60場所もかかったが、これは大相撲史上で最もスローな昇進だ。加えて30歳7か月の大関昇進は3番目の高齢記録

       (ネットより転用)

    だ。しかし、稽古熱心だし相撲ぶりも若々しく、今後の精進次第では横綱もなれるのではと期待したい。

     

     さて、栃ノ心の母国、ジョージアは国土面積が日本の5分の1弱の6万9700㎢の小国だが、旧ソ連の有名な指導者だったスターリンが生まれた地として有名だ。また、カフカス山麓にありワインが美味いので知られ、栃ノ心の実家もワイン農家である。我が国ではさほど知られていない同国を筆者は1998年5月と2013年7月に旅しており、その時の国名はグルジアであった。ジョージアに国名変更したのは2015年4月で、2018年3月7日付け幣ブログ『国名変更で揺れるマケドニア紀行触れている

     

      

                                                                 ムツヘタを俯瞰

     

     変更の理由は2008年8月にロシアと戦争して負けた訳だが、ロシア語読みの「グルジア」と呼ばれるのを嫌ったのであろう。また、同国を訪れた時の模様は、2013年7月31日付け幣ブログ『 ギネス更新(!?)265ヵ国・地域を旅し, Travel is Trouble 痛感 』で簡単に紹介済みである。今回は栃ノ心の生まれ故郷、ムツヘタと、首都トビリシを詳述する。

     

      ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

     

     ムツヘタトビリシの北西約20km、人口は7600人の古都である。ムトゥクヴァリ川とアラグヴィ川の合流地点にあり、ロシアへと続いていくグルジア軍用道路の通過点でもある。紀元前4〜5世紀の間、グルジア南東部にあったイベリア王国の都として5世紀に首都がトビリシに遷都するまで栄えた。小さい町だが、世界遺産になっている歴史的なスポットがある。

     一つは町の東外れにあるジョージア最古の教会、スヴェテイ・ツホヴェリ大聖堂である。4世紀に聖女ニノがメリアーニー王の妃の目を治したことから、キリスト教がイベリア王国の国教となった。王宮に小さな木造教会が建てられたとされ、現在の建物は11世紀ごろに再建された。その後もグルジア正教の中心地であり続け、教会内のフレスコが素晴らしい。もう一つはトビリシから町に入る手前、右側に見える丘の上にポツンと建つジュワリ修道院だ。6世紀に建てられた修道院の名前は「十字架」を意味し、真上から見ると十字架の形をしている。装飾も少ない素朴な教会だが、丘からはムツヘタの町が一望でき絶景だ。

     

              −−− ムツヘタ3景 −−−

      

    スヴェテイ・ツホヴェリ  ジュワリ修道院前に     旧市街

         大聖堂       立つ筆者

     

     一方、トビリシはトルコから流れるムトゥクヴァリ川流域の町で、人口は約110万人。標高は453mで三方を山に囲まれ、肩を寄せ合うように家々が山の斜面にへばり付く。民族間争いが絶えないコーカサス地方にしては珍しく、グルジア人以外の民族も共存する国際的な都市だ。マルコ・ポーロが「絵に描いたように美しい」と称賛した町は、コーカサス地方では出色のエキゾチックな雰囲気が漂う。特に旧市街は、木造の建物の上階にバルコニーがしつらえられ、手すりに透かし彫りが施された家々が多い。かってこの地を支配したペルシャの香りもする。

     ムトゥクヴァリ川の畔にあるメテヒ教会は小高い丘のに建つ小さな教会だが、テラスや近くのダルジャン王妃の王宮跡から眺める対岸の旧市街やナリカラ要塞のパノラマが素晴らしい。教会の上の高台にあるメテヒ・パラスホテルからも似たような展望が楽しめる。町で一番高い標高727mの見晴らしの良いムタツミンダ山の展望台からは、正反対の角度から町の全景は勿論、万年雪を頂いたカフカス山脈が見渡せる。この展望台から北西1kmほどにある民族野外博物館は昔のグルジアの農家などを移築して展示しており、古き良き時代が偲ばれて興味深い。

     

                  −−− マルコ・ポーロも称賛したトビリシ −−−

     

    ナリカラ要塞を背にして    メテヒ教会     民族野外博物館 

     

     この旅では各地で大勢の子供たちに出会い、人懐っこい彼らの暖かい歓迎を受けた。顔立ちの綺麗な子が多く、服装など身なりも小ざっぱりしていた。今から20年前のことだから、本名がレバニ・ゴルガゼという栃ノ心が10歳の頃のことだ。ひょっとしたら会った子供たちの中にレバニ君が、或いは彼の友達がいたかも知れない。と想うと、地球は広いようだが、同時に狭いようでもある。

     

     因みに、2013年に15年ぶりに再訪したが、唯一の例外を除いて街はあまり変貌していなかった。その例外とはトルコから流れる風情あるムトゥクヴァリ川に架かる平和橋で、2010年5月に開設された歩行者用の橋である。イタリア人建築家の設計による斬新で未来的なデザインは今まで見たことも無く、その斬新さは昔の街並みの雰囲気を残すトビリシでひときわ群を抜いていた。この橋を歩いて渡ると、眼前に良く整備され花が咲き乱れるリケ公園が広がる。

     

      

    可愛い少年・少女と交流 ムトゥクヴァリ川に架かる 平和橋を背にして

                   ユニークな平和橋 

     

          ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

     

     日本人横綱の稀勢の里が休場続きで、このままでは引退もやむを得ないであろう。栃ノ心にとってはその後釜を狙う絶好の機会であり、大関昇進の伝達式で述べた「力士の手本となるように、稽古に精進します。」に励めば、更に上の最高位も狙えよう。

     

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    | 世界の旅− ロシア・東欧 | 13:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
    悪質タックルの日大は森友加計問題の安倍政権と似ている!?
    11
      GW連休を過ぎ6月近くになると、湿度の高いスッキリしないお天気が多くなってきた。やはり暦通り、間もなく梅雨入りではないかと思わせる。そのためであろうか、何となく体がだるくて倦怠感を覚える。それを癒してくれるのが玄関ポーチで咲く移り気な紫陽花(写真下)であり、北米東部が原産のカシワバアジサイ(写真上)と競うように咲き誇る。

     鬱陶しいのはお天気ばかりではなく「疑惑」という厚い雲が、国会を中心にずっと垂れ込める変な世相である。後期高齢者の筆者にとり、妻の見舞い・介護、持病の通院、買い物などで外出する以外は在宅する訳だが、最近テレビを視聴する時間が以前より多くなったようだ。これも認知症予防に良いかも知れない。

     

     だが、2018年4月9日付け幣ブログ『 It's Sho-Time ! 二刀流の大谷翔平選手が活躍するロサンゼルスを懐かしむ 』で紹介したメージャーリーグ野球の明るい話題以外は、混迷する我が国会の審議など疑惑だらけの諸問題が山積である。加えて反則や八百長などが無いフェアプレイを尊ぶスポーツ界で最近大きな問題になっているのが、日本大学の悪質タックル問題だ。今月6日の試合後2週間ほど経って問題が表面化したのである。

     

     アメリカンフットボールの日本大学と関西学院大学の定期戦で、日大選手が関学大選手に悪質なタックルをして負傷させた問題で、タックルをした日大選手が26日に謝罪会見をした。一種異様とも思える会見の模様をテレビで観ていたが、時系列的に詳しく説明して「悪質タックルは監督やコーチの指示による」などと述べた。悪質な反則は理由の如何を問わず責められるべきものだが、敢えて顔と名前を公にした姿勢は今の若者には無いもので、むしろ潔い清々しさに感動すらした。

     しかし、翌日に会見した監督は会見前に監督を辞任したとは言え、関学大選手を負傷させる指示を出していないと同席のコーチと共に否定した。監督から言われたと反則選手が語った「(けがをさせる)やらなきゃ意味ないよ」などとは、真逆の弁明である。また、日大のアメフト部監督であったばかりではなく、日本大学の常務理事で実質トップ2とも言われる前監督をかばうコーチの発言は釈然としないものであった。更に昨日も日大学長が会見したが、特に目新しい発言はなかった。この際、監督らには男の美学と言うものを一考してもらいたい。

     

     他方、国会では相変わらず低次元の空虚な審議が続く。長引く森友学園問題に加え、この4月に開学して収まりかけた加計学園の問題で、地元の愛媛県が提出した文書で安倍晋三首相の関与が再び浮上したのだ。よく考察してみると、森友・加計(モリカケ)問題は日大アメフト部の悪質タックルと実によく似ている。日大(前)監督は選手に反則を指示していないと頑なに否定するが、反則選手が悪質タックルで相手選手をけがさせたのは事実だ。モリカケに置き換えてみれば、上からの命令や上に対する忖度は無いと言うが、現実には国会を愚弄するような悪質な公文書の改ざんが行われた。

     正に国民を馬鹿にするような、絶対してはならないことを、公僕たる財務省が2年もやり続けるのは万死に値しよう。官僚に責任転嫁して逃げ回る行政の長である安倍首相と財務省の最高責任者たる麻生太郎大臣の連帯責任は、絶対に免れないであろう。口癖のように言っている膿を出して頂くのは、張本人の首相ご自身に他ならない。本日も夫人と仲良く手を繋いで機上の人となりロシアへ向かったが、我が総理は国会での厳正な追及をかわすように頻繁に外遊する。外交が得意と自負するが、拉致や北方領土などの諸問題は未解決のままで外交成果は皆無に等しいと言わざるを得ない。

     

     先述の男の美学と言えば、3月16日付け幣ブログ『 森友文書の改ざんと男の美学 』で居座り続ける安倍政権に進言済みである。また僭越ながら、同政権の官邸や、文書の隠蔽・捏造・改ざんが常態化する財務省などにアドバイス申し上げたいことがある。適材適所と膿を出し切る観点から、悪質タックルをしたが潔く非を認めた選手のような人材を採用されては如何と思料する。これこそ真の財務省改革に寄与するのではと・・・。

     最後に勝つのはウソや不正ではなく、正直や正義であるべき世直しを安倍政権は率先して実践してもらいたい。また、見掛け倒しの外交は暫く封印して頂きたい。それらが出来なければ、政権の安定を口実にしていたずらに居座るのではなく、男らしく一刻も早く出処進退を決めることを願わざるを得ない。人材不足の不甲斐ない野党に比べ、人材豊富な自民党には相応しい後釜は何人かおり、政権交代は問題無かろうと思うのだが・・・。 

     

    後記

     関東学生アメリカンフットボール連盟(関東学連)は本日に臨時理事会を開き、悪質タックル問題で揺れる日大への処分を発表した。日大の前監督と前コーチが反則選手に悪質なタックルを指示したと認定し、両者を最も重い事実上の永久追放にあたる除名をした。一方、反則選手と日大アメフト部には2018年度シーズン終了までの出場資格停止が課されたが、反省文の提出等を条件に年度内でも理事会の承認を経て解除される条件付きだ。正直に陳述した反則選手に対する一種の温情とも受け取れ、連盟の真面な自浄力が機能した妥当で立派な裁定である。

     日大の悪質タックル問題が1か月足らずで膿を出したのに対し、森友加計問題の安倍政権は何年かけても膿を出し切るどころか、益々膿が溜まる一途だ。最近では首相経験者とは言え、辞任しないで居座り続ける財務大臣の横柄な失言や暴言にはうんざりする。この際は関東学連のようなスピーディーな対処を真摯に見習ってもらい、常識のある偽りの無い国会運営を望みたい。また、頻繁に首相交代が行われたとは言え、昔の自民党にはそれなりの自浄力があった。願わくば、疑惑まみれの安倍内閣の早期退陣の処分が出ることを!(5月29日)

     

                  ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

     

    世界の人形館のご見学

     筆者が館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

     

       −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−

      

     但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
    TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp 

     

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