世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
仏大統領選とフランス紀行−2(南仏編)
6

  その後もトランプ・ショックに揺れる世界だが、挑発を続ける異次元の北朝鮮はさておき、次なる焦点はヨーロッパの雄フランスの動向であろう。愈々4月23日にフランス大統領選挙(一回目)が行われるが、今回の選挙で台風の目となるのは、大統領の座が視野に入るところまできたと言われる極右政党・国民戦線の女性党首マリーヌ・ルペン氏であろう。反移民・反EU(欧州連合)を掲げる同氏が政権を手にすれば、宗教や民族の違いを克服できないまま、後戻りできない分断に陥る可能性がある。

 また、トランプ米大統領と共通項が多く、ヨーロッパの共存共栄の象徴でもあるEUの土台が根元から揺らぐことになる。フランスは、ドイツとともにEUの最大の支え手であるだだけに、そのショックはイギリスのEU離脱を上回るかも知れない。フランス抜きのEUは、片肺飛行を余儀なくされた危険極まりない航空機のようなものだ。一国のリーダー選びに留まらず、国際社会のパワーバランスをも大きく変えそうなフランス大統領選挙である。ルペン氏がトップを走るのか、或いは反ルペン勢力が阻止するのか世界が注目する。

 

 ところが、ごく最新の世論調査では超党派のマクロン候補と極右政党のルペン候補がトップを争い、中道右派のフィヨン候補と急進左派のメランション候補が僅差で追い上げる展開になっているとか。ここに来てマクロン、ルペン両候補の支持率が減少し、四者横並びの混戦らしい。特に、先行していた2人を急追しているのが、もう一つの台風の目となりそうな急進左派のメランション候補だ。

 得意の話術で各候補を論破し、説得力のある候補としてテレビ討論でトップの支持を獲得したのがメランション候補である。メディアを巧みに利用する手法をとり、話題性にも事欠かないところは何となくトランプ米大統領と酷似する。5月7日の決選投票(あった場合)に進出する2つの席を争うのは、共にトランプ似のルペン候補とメランション候補になればEUの崩壊のシナリオが現実味を帯びてこよう。

 

 

  マクロン候補   フィヨン候補  ルペン候補  メランション候補

          (ネットより転用・加工済み)

 

 さて、当分は国際政治の耳目を集めそうなフランスの旅の模様を紹介しよう。筆者は1974年12月に初めてフランスを訪れて以降、合計8回も旅した大好きな国の一つだ。首都のパリについては、2015年1月12日付け幣ブログ『Je Sui Charlie とフランス紀行−1(パリ編』で紹介済みである。

 今回はプロヴァンスとコートダジュール地方の南フランスにつき触れてみたい。なお、ニースについては、2016年7月18日付け幣ブログ『花の命は短しタイタンビカスと、人の命は短いニースのテロ』で紹介済みのため割愛する。

 

       ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 南フランス最大の都市マルセイユを起点にし、話を進めよう。人口は約85万人とフランス第2の大都市は、地中海に面するフランス最大の港湾都市である。紀元前600年頃ギリシアの植民地になった古い歴史を持ち、アフリカ大陸に近く様々な人種が往来する港町だ。出会いと別れが交差するフランスで最もエキゾチックで混沌とした雰囲気があり、異国情緒を盛り上げる。街のランドマークは海抜162mの丘の上にあるノートルダム・ド・ラ・ギャルド聖堂で、ローマ・ビザンチン様式の教会は19世紀後半築と比較的新しい。

 航海の無事を祈る船の模型がたくさんある内部よりも、素晴らしいのが聖堂の外側だ。丘の上から眼下の旧港はもちろん、アレクサンドル・デュマの「岩窟島」で有名なイフ島が浮かぶ青い地中海が、はるか彼方まで見渡せ絶景である。一方、この街で最も活気があり華やかなマルセイユらしい香りがするのが、聖堂から約1km下りヨットや遊覧船が停泊する旧港。その中央にあるベルジュ埠頭では、漁師が威勢の良いかけ声で獲り立ての魚を売る。

 

 マルセイユの北約30kmにあるエクス・アン・プロヴァンスは画家セザンヌの故郷として知られ、人口は約15万人。古くからプロヴァンス地方の政治と学問の中心地になった町のハイライトと言えば、この町で生まれ息を引き取ったセザンヌの足跡であろう。町の北外れにあるアトリエは、1901年に彼が設計して建てたものだ。画材になった果物やビンなどの小道具が展示されている。この付近から彼が一生涯描き続けた山、サント・ヴィクトワールが遠くに見える。セザンヌは天気の良い日は1.5kmほど先にあるレ・ローブの丘へ通い、体調に関係なく山を描き続けたとか。

 旧市街の北端にあるサン・ソヴール大聖堂は、2世紀から17世紀までの異なる建築様式が入り組んでいる。中でも洗練された落ち着きのあるロマネスクの回廊、15世紀の画家ニコラ・フロマンの絵が見どころ。散策にもってこいのルートとしてお勧めしたいのは、プラタナスの並み道が美しいメインストリートのミラボー通りと、その突き当たりに町一番の大噴水があるドゴール広場だ。

 

  

マルセイユ:旧港と遠くに マルセイユ:港を    エクス・アン・プロヴァンス

 聖堂を俯瞰         背景にする筆者       :セザンヌのアトリエ

 

 マルセイユから西北98kmに位置するアルルは、ローマ時代の遺跡が多く残る人口5万人ほどの町である。フランス有数の大河ローヌ川が町中を流れ、オランダ出身の画家ゴッホも住んでいた。古代ローマの遺跡が多い町だが、その代表が紀元75年頃建設された円形闘技場で、最大直径は136m、収容人員は約2万人の規模はフランスで一番大きな闘技場である。闘技場のてっぺんに上がると、アルルの赤い町並みと青いローヌ川のコントラストが素晴らしいパノラマが楽しめる。

 一方、近くにある大きな古代劇場は往時の面影もなく、現在は数本の大理石の柱が残るだけで少々期待外れ。遠くスイスに源を発し、町の左岸を流れるローヌ川の畔を散策したが、初秋の風が吹き心地良かった。郊外で見逃せないのは、町から南へ約3km離れた運河に架かるゴッホの跳ね橋だ。橋の周りは牧歌的な風景が広がり情緒がある。

 

 アルルの北西32kmにあるニームはフランス最古のローマ人都市で、人口14万人の中規模の町である。町名は泉の精ネマウススに由来し、いたる所にローマ遺跡が点在する。例えば奴隷同士の闘技も行われた古代闘技場は、現存するローマ闘技場としては中規模だが、アルルの闘技場に劣らず保存状態が良い。また、紀元5年に造られたメゾン・カレは、ギリシア風の神殿でほぼ原形を留める。因みに、デニムの生まれ故郷がこの町である事はあまり知られていない。

 ニームの北東26kmにあるポン・デユ・ガールは、約2000年前のローマ時代の水道橋の一部である。ガール川に架かる橋の長さは275m、3層アーチの高さは49mもあり、周囲の緑濃い大自然との調和が見事だ。また、水源からニームまでの全長は50km、その間の高低差はわずか17mとは驚きで、天才的であった古代ローマ人の水利技術の高さがうかがえる。なお、最下層のアーチは今では道路として使われている。

 

  

  アルル:円形闘技場  ニーム:メゾン・カレ ポン・デユ・ガール:水道橋

                                                

 アルルの北38kmにあるアヴィニョンは、人口約9万人の古都である。中世の城壁に囲まれ、演劇祭で有名な演劇の都の夏は、世界中から訪れる観光客で賑わう。見どころは、 高台にそびえ建つ巨大な法王庁宮殿だ。1334年〜1952年にかけて建てられた巨大なゴシック宮殿はまるで要塞のようで、厚さが4mの強固な外壁の高さは50mもある。その城壁の外に出ると、「輪になって踊ろう」の歌で有名なローヌ川に架かるサンベネゼ橋が見える。
 この町からさらに北29kmにある
オランジェは人口約3万人の田舎町で、かってローマ帝国の町として繁栄した世界で最も保存状態が良いローマ遺跡が残る。旧市街にある古代劇場の舞台背後の石壁は、2000年前と同じ状態という貴重な遺跡である。また、巨石を積み上げた壁面の全長は103m、高さは36mもある。紀元前20年ごろに造られ、
小さな門だがレリーフが美しい凱旋門も見逃せない。

 

 一方、マルセイユから東へ約150kmに位置するカンヌは、コート・ダジュールに臨む高級リゾート地である。人口は約7万人で、映画祭や夏の音楽祭で知られる。見どころは、夜景が美しいカンヌ湾ビーチ、丘の上にあり町を一望できるノートルダム・デスペランス教会と、映画祭の舞台となるパレ・デ・フェスティヴァル。また、散策には全長3kmのクロワゼット大通りが絶好だ。

 

    

アヴィニョン:法王庁宮殿    エズ    カンヌ:カンヌ湾ビーチ散策

 

 カンヌから約43km北東にあるエズは、地中海を望む高い丘の孤立した頂上に城壁を巡らした小さな要塞村だ。鷲の巣のような町並みは、この地方独特の「鷲の村」と呼ばれる。白い石で舗装された迷路のように入り組んだ狭い通りと、石造りの家々のコントラストが特徴的。まるでおとぎの国に迷い込んだかのような錯覚に陥る。かつて村の中心であった高台の城跡は植物園になっており、眼下の地中海の眺望が素晴らしい。

 

       ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 昨日パリの凱旋門付近でで警官3名が死傷する襲撃事件があり、過激派IS(イスラム国)の関係者と見られる犯人は射殺された。選挙直前の不穏な動きが大統領選にどのような影響を与えるのであろうか、少々気掛かりである。

 

                 ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇     

 

 私ことワールド・トラベラーにはフランスに関する下記著書があり、ご関心ある方は是非ご愛読下さい。 

 

書名 出版社 定価 表紙

私はワールド・トラベラー
世界257ヵ国・地域を

旅した男

文芸社 1,500円
トラベル・イズ・トラブル 
安全な旅は退屈だ!!
ルネッサンス

・アイ 

1,300円

 

 幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。
お問い合わせ:
世界の人形館 TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved

| - | 20:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
傘寿を迎えて想う
9

 今からちょうど80年前の今日、1937年4月13日に厚かましくもこの世に生を受けた。そして72年前の終戦をはさんで5分の4世紀を生き抜き、正真正銘の傘寿を迎えた。本来の傘寿は数え年で80歳を指すようだが、筆者の場合は現代風の満年齢の80歳である。それにしても月日の経つのが速いことを改めて痛感する昨今だ。

 私たちはある年齢になると、長寿祝いをされるような年齢を迎える年がある。先ず、最初の節目が還暦(60歳)である。以降は古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)、百寿(100歳)がある。大相撲の番付で言えば、傘寿は幕下か十両あたりに相当するのであろうか。 

 

 長寿と言えば、長寿を迎えた人を何らかの形でお祝いする、いわゆる長寿祝いがある。しかし、常日頃の精進が悪いのか、或いは人徳が無いためであろうか、筆者の周りにはそのような動きは皆無のようだ。もっとも、長寿祝いをすると、それ以上は長生きしなくなると言うことでお祝いをしない人もいるようである。見栄を張る訳ではないが、出来れば長生きしたい筆者もその類になろう。

 実は、オメデタイ長寿祝いどころでない事情もある。度々幣ブログで触れている通りパートナーである妻が2年前より認知症で入院しており、不帰の人になるのが時間の問題という冷酷な現実がある。最近も肺炎を併発し、点滴を受けるなど少々危篤状態が続くので心配な毎日だ。加えて、2人の息子夫婦と孫5人の合計9人の身内がいるが、恥ずかしながらほとんど没交渉である。親として己の教育が悪かったと、因果応報を全面的に受け入れざるを得ない不甲斐なさだ。

 

 不快な思いをする人がいるかも知れないが、80年の人生をサッと回顧してみよう。大阪市で産声を上げたのは戦前の1937年(昭和12年)で、7月には日中戦争の発端となった盧溝橋事件があった年である。その後第二次世界大戦が勃発し(1939年)、太平洋戦争に突入した(1941年)。1944年に大阪市の国民学校(現小学校)に入学したが戦時色が強くなり、翌年にアメリカ軍の激しい空襲を逃れるため両親の故郷である徳島市へ学童疎開した。

 

 

    5歳の頃

 

 だが、皮肉にも疎開先で大空襲に遭い、幼心ながら戦争の怖さと悲惨さを実体験し、1945年8月15日にあの終生忘れ難い終戦の日を迎えたのである。これを機に戦後の日本は全てが変わったと言っても過言ではない。徳島市の小学校を卒業後、中学校1年の時に大阪市に戻り、同市の中学校、高校、大学を出て憧れの世界に飛躍する商社マンになった。

 その頃から我が日本は右肩上がりの高度経済成長時代に入り、その先兵となって貢献したのが担当の合成繊維の輸出であった。頻繁な海外出張のほかに、1974年〜1984年にはクウェートとインドネシアに駐在した。後にワールド・トラベラーと呼ばれるようになった礎は、この時代に築かれたと言えよう。

 

   

   大学生時代     クウェート駐在時代   インドネシア駐在時代

            右端が筆者、左端が妻
 

 リタイア後も世界各地をかけ巡り、1995年に南極・北極点・北朝鮮、2007年にアフガニスタン・ソマリア、2011年には最新の独立国、南スーダンを訪れた。今まで旅した国・地域は272にもなる。その間、2009年からプライベート・ミュージアム「世界の人形館」を無料公開し、講演活動も含めささやかな社会貢献活動に残り限られた余生を捧げている。主たる目的は、地域の活性化と国際化推進である。 

 「世界の人形館」の運営を支えてくれた妻の姿が消えてから早や2年が経つ。人間死は避けて通れないものとか、会うは別れの始めと分かっていながら、さてその当事者になると切なく悲しくもなる。実のところ、孤独死だけは避けたいと、世代を問わず他人様との交流に心がけている。特にご近所に住む小学校1年生の利発で可愛い女の子、塚本采花(ことは)ちゃんが毎週訪ねて来るのが嬉しく、長生きに必要な元気をもらった上に生甲斐にもなっており誠に有難い。

 

   

  南極でペンギンと仲良く   北極点に立つ       小学校に入学した

                            采花ちゃんと


 80歳と言えば日本の男性の平均寿命だ。今後は余禄と思って気楽に余生を送りたいのだが、入院病床を全国的に1割減らす計画があることを知らされ不安である。各都道府県がまとめた地域医療構想によれば、年間40兆円を超える国民医療費を減らすため入院患者を在宅医療に移行を目指すらしい。

 しかし、病床減に伴う受け皿確保、例えば、どのようにして訪問医などを確保するのであろうか。昔はいざと言う時に駆けつけてくれる町医者が多く、在宅医療や介護は可能であった。しかし、今は訪問医が皆無に近く、課題は多いようだ。筆者もいずれはお世話になろうことでもあり、先行きが気掛かりである。

 

 また、我が国にも深刻な影響を与えそうなアメリカによる北朝鮮への武力行使が囁かれ、国内では森友学園問題などの対応で真相究明に背を向けて無視する安倍政権の傲慢さなど、内外共に穏やかならぬ情勢下では安寧な余生は望めそうもないようだ。

 今後の唯一の楽しみは、やはり認知症防止にもなる執筆活動になろう。昨夏以降は筆を休めているが、ぼちぼち再始動したいと思っている。もっとも売れない本をいつまでも懲りずに書くのは、いささか気恥ずかしいのだが・・・。

 

追記 

 先刻件の女の子、ことはちゃんが来館し、傘寿祝いにとケーキをプレゼントしてくれた。早速一緒に食べてお祝いをしてくれたが、何の血のつながりも無い子供と、ケーキを買って下さったママさん(恵美さん)の優しい心根に感涙した次第である。(4月13日夜)

                 ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇     

 

私ことワールド・トラベラーには下記著書があり、ご関心ある方は是非ご愛読下さい。 

 

書名 出版社 定価 表紙

私はワールド・トラベラー
世界257ヵ国・地域を

旅した男

 文芸社 1,500円

272の国と地域を制覇した77歳のワールド・トラベラーはたった1人で紛争地を旅した

 幻冬舎 1,400円

トラベル・イズ・トラブル 
安全な旅は退屈だ!!

 ルネッサンス

・アイ 

1,300円

ワールド・トラベラーだけが知る素顔のイスラム

シリア内戦等も詳しく紹介

 新潮社 1,500円

世界を動かす少数民族

少数民族の世界から現代世界の縮図と課題が見える

 幻冬舎 1,350円

 

トラベル・イズ・トラブル

パート2 
楽でない旅こそ最高だ!!

 ルネッサンス

・アイ

1,300円

 

 幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。
お問い合わせ:
世界の人形館 TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp


Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved 

| - | 07:55 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
爆破テロがあったサンクト・ペテルブルクの旅
9

 一昨日(4月5日)首都モスクワに次ぐロシア第二の大都市サンクト・ペテルブルクで、街の中心部を走る地下鉄の車両内で爆発があった。テレビで見た映像によれば、紺色の車両は扉付近が吹き飛ばされたような形でひしゃげ(下の写真、駅構内は煙が立ち込めていた。爆破テロがあった現場は、あの世界的なエルミタージュ美術館から遠からぬ場所だ。本日現在で死者は14人、負傷者は60人以上。容疑者は22歳の中央アジア・キルギス生まれの男が割り出されたが、ほかにも共犯者がいるのであろうか?

 サンクト・ペテルブルクと言えば、先ず思い浮かぶのはこの街出身のウラジーミル・プーチン大統領である。しかも、同大統領は事件当日、ベラルーシ―のルカシェンコ大統領と会談のため同地に滞在していた。常日頃からテロ対策に躍起になっているプーチン氏にしてみれば、お膝元での事件だけに全く面子をつぶされた思いであろう。今世紀に入りロシアで起きた主なテロ事件は、北カフカス地方を除くとモスクワが圧倒的に多い。

 

 それだけに今回サンクト・ペテルブルクが標的になったことは、プーチン大統領をはじめ平和な佇まいの同市に住む市民にとってもショッキングであろう。帝政ロシア時代(1721年〜1917年)に長く首都が置かれた街は、今もなお北の首都と呼ばれる。また、ロシア文化と芸術の都として名高く、日本人の観光客にも人気がある。筆者も大好きな街だ。

 一方、2018年の大統領選挙で4選を目指すプーチン大統領の重要課題は、圧倒的な当選であろう。ソ連が崩壊後に混乱し低迷したロシアを安定・発展させた功績をベースに、「プーチン大帝」という名を後世に残したい野望があるはずだ。この爆破テロを契機にプーチン政権が危機感を煽り、反体制派に対する圧力を強めることもあり得よう。

 

 さて、ロシアには2つの心臓があると言われる。内陸部にある首都モスクワと、バルト海に面した港町サンクト・ペテルブルグだ。高層ビルが林立する無機質な感じの前者に対し、後者は華麗なロマノフ王朝の面影を今も残す。今回の爆破テロ事件の舞台となった街を、私ことワールド・トラベラーは1996年9月と2005年9月に訪れている。

 広大なロシアの最西端近くに位置する一方、バルト海東部のフィンランド湾に注ぐネヴァ川の河口デルタにあるのがサンクト・ペテルブルグである。人口は500万人を超え、ソ連時代はレニングラードと呼ばれた。「北方のベニス」とも称えられ、文化の香りがたっぷり漂う水の都をここで紹介しよう。

 

  ロシア文化を代表するスポットと言えば、ロシアが世界に誇る美術館、エルミタージュ国立美術館がネヴァ川沿いにある。「冬の宮殿」と4つの建物が廊下で結ばれ、なんと1050の部屋を持つ。この巨大な建物内に収蔵されている絵画・彫刻・発掘品などのコレクションは、実に約270万点にのぼる。帝政ロシアの財力をつぎ込み全世界から集めらた収蔵品の内容も、超一流で豪華絢爛である。特に見応えあるのが、琥珀の間、黄金の間、大広間だ。

 因みに、この美術館の創設者は女帝と言われた、エカテリーナ2世(左上の写真、1729年〜1796年)である。ドイツ貴族出身のエカテリーナは皇帝ピョートル3世の妃となるが、クーデーターを起こして即位した。賢明で野心家の彼女は、近隣諸国に侵略して領土拡大する一方、教育や芸術の発展に尽力した。特に絵画については、1764年に国際紛争の影響で行き場を失ったベルリンの実業家の絵画コレクション317点を入手し、展示する場所として造ったのがエルミタージュ美術館とされる。 

 

 この美術館から西へ700mほど行くと、金色の丸屋根が輝く高さ102mの聖イサク寺院が威風堂々として建つ。必見は寺院内部で、特に有名なモザイク画や多数のレリーフなどが見逃せない。南の入り口から階段を上るとドームの展望台に出られ、ここから眺める市街地のパノラマが素晴らしい。

 

  

 エルミタージュ美術館   エルミタージュ美術館   聖イサク聖堂 

     とネヴァ川      とワールド・トラベラー

 

 この街が文句なしの水の都であるのを実感するなら、遊覧船による運河巡りが一押しだ。アンチコフ橋で乗船し、フォンタンカ運河・エカテリーナ運河・モイカ運河を通過し、市庁舎前で下船した。遊覧途中で見かけた最も印象的な建物は、モスクワの聖ワシリー寺院に似た血の上の救世主教会である。教会はアレクサンドル2世の暗殺というロマノフ王朝の悲劇がきっかけで建立されたので、内部は悲劇的な雰囲気のモザイク画が壁面を飾る。

 一方、街の象徴として知られるのが、ネヴァ川を挟んでエルミタージュ国立美術館の対岸にあるペトロパブロスク要塞。1703年5月に要塞建設が始まったが、この日はサンクト・ペテルブルグ誕生の日でもあるのだ。この堅固な要塞を眺めるなら、トロイッキー橋が架かる付近のネヴァ川南岸をお薦めしたい。この界隈を散策すると、この街が「水の都」と呼ばれる由縁が改めて分かる。

 

 近郊のペトロドヴァリェツにある夏の宮殿も必見である。エルミタージュ美術館前のネヴァ川の船着場から高速艇で40分ほどで着く。約1000ヘクタールの敷地に180の噴水を持ち、特に滝と噴水で飾られた下の公園は、「芸術の真珠」と言われるほど美しい。また300mもある大宮殿の正面は壮観で、明るい黄色の壁は白い彫像で飾られている。

 

  

 ペトロパブロスク要塞   血の上の救世主教会  夏の宮殿を訪れた筆者(中央)

 

 ロマノフ王朝の名残を今も残す街には、ほかにも見どころが多い。例えば、ピョートル大帝の像「青銅の騎士」で有名なデカブリスト広場、エカテリーナ2世によって建てられたスモーリヌイ修道院、チャイコフスキーやドフトエフスキーなど著名人の墓があるアレクサンドルネフスキー寺院とチテフビン墓地、オペラとバレエ専用の劇場であるマリインスキー劇場 など。機会があれば、再訪したくなる魅力を秘めた麗しの古都である。

 

ネットより転用・加工済み

 

                            ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者ことワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−    

      

 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved                        

| - | 19:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
英国紀行(その2)−EU離脱を正式通告したイギリス
9

 英国のメイ首相は3月29日、欧州連合(EU)のトゥスク大統領にEUからの離脱を正式通告した。離脱を決めた昨年6月の国民投票結果に基づくもので、加盟国の離脱は欧州統合史上で初めてだ。原則2年間とされる交渉が今月にも開始され、期間延長がなければ英国は2019年3月末に離脱する。EUは4月29日に英国を除く27カ国の首脳会議を開き、ガイドラインを決定する。

 指針案は英国の未払い分担金支払いなどの離脱協定と、英EU間の新たな自由貿易協定(FTA)など将来協定に大別される。交渉はかなり難航するとみられ、特に7兆円にもなる手切れ金(分担金などの支払)と、英国に住むEU加盟国明とEUに住む英国人の権利保障が最大の焦点になりそうだ。また、英国に欧州のベースを置く我が日本企業も、FTAなどにつき交渉の行方を重視している。


 メイ首相は経済への影響を最小限に抑える一方、移民流入制限の権限を取り戻す完全離脱を模索するものとみられる。一方、EU側は欧州単一市場に残る場合、「移動の自由」の受け入れを条件とし、他の加盟国にEU離脱の動きが拡散しないよう交渉には厳格姿勢で臨む見通しのようだ。交渉では離脱協定と共に、貿易ルールなどを定める包括的な通商協定を結ぶ必要がある。

 もし、2年以内に合意に達しなければ英国はEU加盟国として享受してきた人、モノ、金融、サービスの4つの移動の自由を失い、関税が一気に引き上げられる。因みに、離脱通告はEU基本条約であるリスボン条約50条に基づく手続きである。全加盟国が同意すれば延長も可能で、早くも延長を予測する見方もあるようだ。

 

 イギリスは歴史と伝統のある国である一方、古くは産業革命など新しいものをいつの時代にも生み出してきた。初のEU離脱をやっとのけるのも、同国らしく面目躍如だ。新しいものに飛び付く傾向がある筆者にとっては大好きな国のひとつで、1974年12月の初訪問を皮切りに合計6回も旅している。その時の模様は既に幣ブログ、2013年4月10日付け『 英国紀行(その1)−「鉄の女」サッチャー逝く 』や2012年7月28日付け『 ロンドンオリンピック2012開会式に想う−参加地域と古都ロンドン 』で、ロンドンやイングランドの景勝地、湖水地方を紹介済みだ。

 今回はロンドンより南のイングランド南東部について触れてみたい。訪れたのは1997年8月、2004年10月、2010年8月で、(東から西へ)ドーバー、カンタベリー、ライ、ヘイスティングズ、セブン・シスターズなどだ。特に忘れがたいのは1997年の妻との旅で、今から20年前の彼女は胃がんの手術から5年経っていたが元気であった。しかし、2年前より不治の病、認知症で長期入院中である。永遠の不帰が時間の問題という切なくも悲しい現実だ。妻との出会いは別れの始め、また死は避けて通れないとは言え・・・。

 

 さて、ロンドンの南東100kmにあるカンタベリーは英国最大の巡礼地で、英国国教会の総本山カンタベリー大聖堂がある。6世紀キリスト教布教でローマから派遣された聖アウグスティヌスが修道院を建てたのがきっかけ。以降2度も火事に見舞われ、現在の壮麗なゴシック様式の建物が完成したのは中世。その間1170年王権と教会の争いで、対立したヘンリー2世の騎士がベケット大司教を刺殺、あの「カンタベリー物語」になった。聖堂内の見どころは、殺害現場の中庭と、礼拝堂にある「聖書の窓」と呼ばれる見事なステンドグラス。

 

                                        ( 懐かしい妻とのツーショット )

  

    −− カンタベリーの大聖堂 −−        リーズ城

 

 カンタベリーから南西へ35kmの所にあるリーズ城は857年創建とイギリスの城の中では最古を誇る。13〜16世紀には王宮として使われ、英国歴代の女王たちが多く住んだ事から、「貴婦人の城」として知られる。城自体はそれほど大きくないが、美しい湖の中にあり、緑豊かな庭園に囲まれてその優美な姿を湖面に映す光景はまるで一幅の絵のよう。この町から約30km南東に行くと、ドーバー海峡に面するドーバーがあり白い石灰層の崖ホワイト・クリフとドーバー城が有名だ。

 

 ドーバーから南西約90kmのヘイスティングズは英国屈指のマリン・リゾート地として知られ、古くは1066年の英仏戦いの舞台で有名だ。特別な見どころは無いが、ヘイスティングズ城跡が残るウェスト・ヒルという丘がおススメだ。ケーブルカーに乗ること5分で、丘の頂上に着く。緑地が広がる丘の上からは、対岸がフランスになる紺碧のドーバ「ー海峡、ヘイスティングズの旧市街や港などが一望でき絶景である。この華やかな港町を離れると、牧場が広がるのどかな田園風景が続き、古い民家が点在する。

 一昔前のイングランドに迷い込んだかのような場所が多く、その代表が約25km北東郊外にあるライ。イギリスで最も美しい町の一つに数えられ、町全体がアンティークの世界から抜け出したような雰囲気が漂う。町の中心となるのは1150年頃築の聖メアリー教会で英国最古の時計が残されており、教会の塔の上からは可愛らしい屋根の家々が建て込む絵のような風景が広がる。また、この教会付近のライオン・ストリートなどの道の両側には、チューダー朝様式の漆喰壁の木造家屋やイタリア流のジョージ朝様式の建物が融合して建ち並ぶ。

 

  

  ヘイスティングズ:  ライ:ライオン・ストリート  ライ:イプラ・タワー

    旧市街を俯瞰

 

 ロンドンの南120kmほど、イギリス海峡に臨む海岸線にあるのが、7つの断崖絶壁セブン・シスターズ。英国有数のウォーキングコースとして人気があるが、現地に到達するまでのアクセスはかなり大変であった。時間節約のためにとロンドンからブライトンまでは鉄道、そこからセブン・シスターズへはタクシーを使った。ブライトンとイーストボーンとのほぼ中間を流れるカックミア川の河口近くで下車し、川の西岸沿いのあぜ道を歩くこと約3km、40分近くでチョーク(白亜)の断崖が見える海岸にやっとたどり着いた。

 途中の路傍で美しい野花を見かけたが、可憐に咲く姿が非常に印象的であった。その海岸からは白い屏風のような断崖が海に迫っているのが良く見えるが、接近して白い断崖を見上げるなら川の東岸沿いの道を行くのがベターだ。高さ200m近くはあろうか、切り立つようにしてそびえ立つ断崖絶壁を間近に見る絶好のポイントがある。カックミア川河口より東へ数km、イーストボーンの南西5kmほどにあるビーチー・ヘッドである。恐る恐る崖の上から見下ろすと、もろいチョークの崖が今にも崩れ落ちそうでスリル満点。

 

             −−− セブン・シスターズ3景 −−−

  

     アクセス道       文字通りの断崖絶壁   危険!強風に吹き

                          飛ばされて落ちそう

 

 なお、次回の英国紀行(その3)はイングランド南西部を紹介のつもりだ。

 

                 ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇     

 

私ことワールド・トラベラーには下記著書があり、ご関心ある方は是非ご愛読下さい。 

 

書名 出版社 定価
私はワールド・トラベラー
世界257ヵ国・地域を旅した男
 文芸社 1,500円

272の国と地域を制覇した

77歳のワールド・トラベラーは
たった1人で紛争地を旅した

 幻冬舎 1,400円
トラベル・イズ・トラブル 
安全な旅は退屈だ!!

 ルネッサンス・アイ 

1,300円

ワールド・トラベラーだけが知る

素顔のイスラム

イスラム国(IS)やシリア内戦も詳述

 新潮社 1,500円

世界を動かす少数民族

知られざる少数民族の世界から

現代世界の縮図と課題が見えてくる

 幻冬舎 1,350円
トラベル・イズ・トラブル パート2 
楽でない旅こそ最高だ!!
 ルネッサンス・アイ 1,300円

 

 幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。
お問い合わせ:
世界の人形館 TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp


Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved 

| - | 01:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
安倍首相、森友学園に絡むアッキード事件で辞任か
32

 間もなく傘寿を迎える高齢の身だが、長年サラリーマンをしていた性であろうか、今もなお現役時代の失敗談を夢見ることがある。例えば、取引先との名刺交換だが、夢では自分の名刺を相手側に容易に渡せないのだ。だが昨夜は、まことに奇妙な夢を見た。それは一強と呼ばれて久しい安倍晋三首相が国会で何度も断言した通り、森友学園への国有地売却問題で責任を取った潔い辞任であった。

 いつの世も魑魅魍魎で溢れているのが政界のようだ。まるでバナナの叩き売りをするような不透明な国有地売却問題が発覚してから1ヵ月以上が経つが、真相の解明が進むどころか逆に疑惑は深まる一方である。民意に背を向けるかのように、傲慢とも思える自民・公明両党は頑なに籠池学園理事長などの参考人招致を拒否してきた。

 

 しかし、籠池氏が「安倍首相から妻の昭惠夫人を通じて100万円の寄付を受けた」と爆弾発言したことから急転直下し、3月23日に同氏の証人喚問が行われる。対する首相側は、首相自身はもちろん、妻や事務所なども多額の寄付はしていないと言い切る。両者の言い分が真向から違う以上は、公の場で黒白を付けていただく他ない。大体この種の話は、「火の気のない所に煙りは立たぬ」に落ち着くのではなかろうか?

 公人か私人で物議を醸している昭惠夫人だが、諸外国の例を見てもファーストレディーとして限りなく公人に近いと見るのが妥当であろう。奔放と言われる同夫人が籠池夫人とさかんにメール交信していたのも、首相側と籠池氏側両者の親密ぶりを立証するに足りよう。件の寄付も昭惠夫人は記憶にないとのことだが、第三者から見れば寄付に関与したと疑わざるを得ない。こうした中で森友問題は、ロッキード事件になぞられ「アッキード事件」とも巷間では囁かれている。

 

       

      疑惑の舞台:森友学園が進めていた小学校建設現場

           (ネットより転用・加工)

 

 森友学園問題の火の粉を払うようにして、安倍晋三首相は昨日(3月19日)欧州歴訪に旅立った。ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー4ヵ国を訪問し、ドイツのメルケル首相らと首脳会談をして22日に帰国する。2012年12月に首相に再登板してから4年3ヵ月で52回目の外遊となり、歴代最多となる。訪問国数も歴代首相では最多の66ヵ国に上り、筆者の272ヵ国・地域に遠く及ばないが、ご立派な記録である。

 安倍政権は発足直後から威勢よく、アベノミクス、デフレ脱却、1億総活躍プランなど次々と政策をぶち上げてきた。だが、肝心の実績や成果は皆無に近いと言っても過言ではなかろう。また、ごり押した安保法制を正当化しようと、駆けつけ警護を付与した南スーダンのPKOも近々撤退する。このように大半の案件が中途半端で挫折、と言うより途中で投げ出しており、首相の外遊回数最多が数少ない実績とはお粗末ではないかと思うのだが・・・。

 

 過日自民党は総裁の任期を3期9年としたが、安倍一強ありきの任期延長と受け取らざるを得ない。金ファミリーを神格化し、世襲を続ける独裁国家の北朝鮮と何か似ているようである。今回の魑魅魍魎とした森友問題は、長期政権の腐敗と驕りによる弊害に他ならない。また、この森友学園疑惑は巨悪の氷山の一角とも言われ、他にも「第2の森友事件」と囁かれる加計学園の土地120億円の無償譲渡問題などという火薬庫が今後注目されよう。

 外遊から帰国の翌日、注目の籠池氏の証人喚問が行われる。同氏の過日の爆弾発言が、さらに炸裂するのであろうか?筆者が見た冒頭の夢は本当に正夢になるのであろうか、興味深々である。「私や妻は一切関わっていない。もし関わっていたら、首相も国会議員も辞任する」と啖呵を切る首相だけに、言い逃れしない堂々とした対応を期待したい。前大統領が厳しく裁かれようとしている隣の韓国に比べ、国家を私物化しているのではないかと疑われても安泰である我が日本。どこまでも平和でオメデタイ稀有の国である。

 

(追記)

 籠池理事長への証人喚問が本日午前は参議院、午後は衆議院で行われ、安倍首相から妻の昭惠夫人を通じて100万円の寄付を受けたことを改めて強調した。こうなれば一つしかない真実を明らかにするため、安倍昭恵夫人の証人喚問も不可欠である。早期実現を望みたい(3月23日)。 

 

             ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者ことワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−    

      

 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved 

| - | 02:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
46年ぶりに国王が来日のサウジアラビアの旅
9

الله أكبر 

 神アッラーは偉大なりを日々信奉するイスラムの守護者の国王が来日する。日産1050万バーレルの世界最大級の石油産出量を誇るサウジアラビアの国王が、明日(3月12日)約半世紀ぶりに日本を訪れる。15日まで滞在し、安倍晋三首相とも13日に会談する予定である。今回のサルマン国王(81)の訪日は、1971年のファイサル国王以来46年ぶりのこと。

 因みに、国王と言っても、日本の天皇陛下などのような象徴的なものではない。サウジアラビアはサウード家を国王に戴く政教一致の絶対君主国家で、世界でも数少ない統治王家の名前を国名にする。従い、サルマン国王は大統領も兼ねているような文字通りの実力者であり大富豪でもある。 

 

 中東アラブの産油国の首長の外遊は、超豪勢なことで有名だ。今回も王子と閣僚それぞれ約10人のほかに、王族や企業幹部なども同行し総勢1200人とみられる。お陰で東京都内の高級ホテルの客室は予約で埋まり、移動のための高級ハイヤーが400台も確保されるなど、ちょっとした「サウジ特需」になっているようだ。

 

  サウジアラビアは産油国が多いアラブ諸国の中でも最大の経済規模を誇り、世界でも第20位である。国土面積は世界13位の約215万k屐米本の約6倍)で、人口は約3200万人の大国である。しかし、長引く原油安で財政状況は悪化しており、石油に代わる産業として製造業やサービス業の成長を目論んでいる。 

 (サウジアラビア国旗)

  サウジアラビア・日本の両国首脳会談では「日・サウジ・ビジョン2030」を発表し、海水の淡水化や太陽光発電などで数十件の協力事業を盛り込む。このビジョン2030のサウジ側の推進者が、サルマン国王の七男のムハンマド副皇太子(31)だ。一方、日本側は同国の石油依存か

らの脱オイル改革を支援しながら、ビジネスチャンスの拡大を画策する。

 

 サウジアラビアと言えば、すぐに石油を思い浮かぶ人が多いが、もう一つ忘れてならないのは聖地メッカを擁するイスラム発祥の地であること。私ことワールド・トラベラーは1974年〜1977年に商社マン(三井物産)として隣国のクウェートに駐在したが、ビザ問題や同国が観光の鎖国政策によりサウジ訪問は叶わなかった。

 しかし、1999年11月に経済視察団の一員と称し、業務ビザを取得し入国する特殊なツアーに参加することができた。このツアーの全責任を負うサウジアラビア航空のフライトに搭乗し、首都リヤドの空港に着いた。約2週間にわたる特別な意味を持つ観光旅行の模様を紹介しよう。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

   聖地メッカを擁するイスラムの発祥地であるイスラム世界の顔、そして現代は世界有数の石油大国になったが、今もベールに包まれた知られざる沙漠の国をほぼ一周した。サウジアラビア航空便で成田空港から出発し、バンコク経由で首都リヤドの空港に着いた。到着早々成田の数十倍はありそうな世界最大級の規模を持つ、豪華なキング・ハリッド空港に度肝を抜かされた。 

 リヤドや近郊の遺跡などを訪れた後、東部のアラビア湾沿いの町ダーランへ向かい、同地をベースにして国営石油会社やアラビア半島で最も古い町などを訪ねた。その後空路でイエメン国境に近い南部の高原都市アブハへ飛び、サウジアラビア最大の国立公園を観光後、今度はリヤド経由でヨルダン国境に近い北部のタブクへ飛んだ。

 

            (サウジアラビア各地を巡るワールド・トラベラー)

  

リヤド:キング・ファハド ダーラン郊外:世界  アブハ:アシール国立

   ・スタジアム    最大のナツメヤシ林   公園のアルマ博物館前

 

 この後聖地メディナに向け、「アラビアのローレンス」で知られるへジャズ鉄道沿いの砂漠道路を南下した。途中今回の旅のハイライト、およそ2000年前にナパテア人が築いた壮大で美しい岩窟墓遺跡マダイン・サーリをたっぷり見学。その後も南下を続けてイスラム第二の聖地メディナに入り、ドライバーの機転で異教徒は禁止されている神聖なスポットを車窓より眺めることができた。

 最終訪問地は、サウジ最大の街、商都ジェッダであった。到着後は紅海に面した港町の情緒豊かな旧市街などを散策したが、同国の他の町々にはない魅力がある。偶々日本のプロサッカーチーム(ジュビロ磐田)の試合があったので急遽応援に出かけ、中山雅史選手らと面会して激励した。観戦後すぐにバンコク経由で帰国した。

   

    マダイン・サーリ遺跡      メディナ:預言者モスク      リヤド:内務省ビル

 

 さて、ベールを脱いでくれたサウジアラビアは、予期以上に観光資源が豊富な国である。たとえば、絶対に見逃せないものとして、リヤドの充実した博物館と奇抜なデザインの建物、近郊の砂漠で楽しんだ乗馬、サウジアラビアとバーレーンを結ぶ長大な海上大橋、世界最大のナツメヤシ林、イエメンとの国境に近い2500m前後の険しい山岳地帯と独特のストーンハウス、かって巡礼で賑わったであろうヒジャズ鉄道夢の跡、奇岩が多い山々に囲まれ彫られた壮麗にして広大なマダイン・サーリ遺跡、最もアラブらしい雰囲気が漂うジェッダの旧市街と特徴的な出窓などが挙げられる。

 ほかに、枯れた海藻で赤く染まるという名前の由来とは違ってどこまでも青かった紅海、その海に浮かぶ白亜のモスク、アラブ料理ではサウジ風炊き込みご飯「カプサ」を賞味したグルメ、男性ばかりでお色気がなかったが素朴さがかえって良かった民族舞踊なども印象的であった。良き思い出が満載で、期待以上に楽しい旅となった。一方、アルコール類はご法度、女性にアバヤという黒いマントやニカブというスカーフを着用させる服装規定があるなど、敬虔なコーランの国の厳しい制約は、隣国クウェートに在住したことがあり違和感は無かった。

   

   

ダーラン:海上大橋キング・  ジェッダ:旧市街   アブハ近郊:観光村で

  ファハド・コーズウェイ             民族舞踊ショー出演者と

 

 しかし、突然のフライトキャンセル、完成済みと聞かされていた新築ホテルが実は未完成のため強いられた数々の不便、一部のスポットでは写真撮影制限で思う存分撮れなかったことなど、想定外のトラブルに困惑し失望もした。やはりアラブはアラブである。まだまだ観光後進国の実情を認識したが、サウジ旅行の最たる特徴である「異文化体験」を実感する貴重な旅となったのは確かだ。特に紀元前3世紀から紀元後1世紀ごろにアラビア半島を中心に、栄華を極めた隊商民族ナバテア人の古代遺跡マダイン・サーリーは見事というほかなかい。

 北の首都がヨルダンのぺトラ、対する南の首都はマダイン・サーリであったナバテアの壮大な栄華が偲ばれた。荒涼たる砂漠の中に佇む壮麗な古代遺跡は、かの有名なヨルダンのぺトラにも劣らない。巨大な岩山を削って造られた墳墓群の壮大さと美しさは圧倒的で、「呪われた都」の伝説が人々を寄せ付けず、妖しく謎めいた魅力を持つ遺跡だ。これほどのスケールの遺跡なら、他国ならとっくに観光化されるのが普通。だが、この遺跡には遺跡内を一周する遊歩道と説明の看板がぽつんと立つだけで、勿体ないことこの上ない。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

  筆者がクウェート駐在時代からずっと懸念してきた産油国でのポストオイルの件だが、サウジアラビアの将来はどうなるのであろうか? サルマン国王と同年配で間もなく80歳を迎える身として、存命中はやはり本件がいつまでも気掛かりである。

 

               ◇◇◇ お知らせ ◇◇◇

             (筆者の著書紹介)
     
ワールド・トラベラーだけが知る素顔のイスラム

 

            イスラムの本質と変質を分かり易く詳述し、サウジアラビア、

    シリア、イスラム国のことも詳しく紹介するイスラムの手引書

     

  定価本体1,500円+税 最寄りの書店でお買い求め又は注文可能 アマゾンなどインターネットショッピングもできます。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫十分な世界の人形館でお買い求めできます。ご連絡下さい。

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved     

| - | 12:28 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
天皇、皇后両陛下ご訪問のベトナムの旅(1)−古都ハノイとフエ
8

 世界で南米のチリに次ぎ、南北に細長い国はどこであろうか?それは東南アジアのベトナムであり、天皇、皇后両陛下が一昨日(2月28日)から3月5日までそのベトナムを初めて訪問中である。第二次世界大戦中は旧日本軍が同国を支配した歴史があり、その後の東西冷戦下では国交の無い時代もあったが、今は重要な友好国だ。両陛下はこの後タイに立ち寄り、昨年10月に死去したプミポン前国王の弔問をされる。

 今回の外国訪問は、天皇陛下の即位後20回目である。これで訪問先はアジアや欧米など36ヵ国になる。天皇、皇后両陛下の外国訪問は、政治的な交渉などを行う外交とは一線を画した純粋な国際親善活動と位置づけられ、各国の国民などとの交流を通じて友好関係を築く姿勢を一貫して来られた。最近話題の退位云々の件はさて置き、ご立派と言うほかない。

 

 S字状の天秤棒のような形をしたベトナムの国土面積は日本とほぼ同じだが、南北が実に2,300kmもある。東西は平均で300kmほどしかなく、最も狭い東西幅はわずか50kmに過ぎない。我々日本人にとっては、得意のゲリラ戦を武器にして超大国アメリカを苦しめたベトナム戦争や、豊かな稲作地帯が広がるお米の国というイメ

ハノイの国家主席府の歓迎式典

(ネットより転用・加工)

ージ以外は馴染みが薄いようである。

 

 因みに、1976年に南北ベトナムが統一後、同国は共産党を軸にした社会主義の政治体制を構築し、官僚主義的な分配経済を進めてきた。だが、10年間の社会主義体制下で新しい国づくりが進まず、1986年の第6回ベトナム共産党大会で ー匆饉腟創線の見直し ∋唆叛策の見直し 市場経済導入 す餾欟力への参加を進めるという4つのスローガンが決定され、「ドイモイ(刷新)」という言葉が作られた。

 ドイモイの特徴は、従来型の社会主義(マルクス・レーニン主義)を捨て、新しい国づくりの変化の模索を開始したことである。また、ドイモイ政策の目玉とも言えるのが計画経済から市場経済への転換だ。これによって国営や公営以外の私企業の存在を認めるだけでなく、私有財産についても一部認めることになった。これにより国民のやる気を大いに喚起し、ベトナム経済活性化の最大の原動力となっている。

 

 私ことワールド・トラベラーはベトナムの経済発展が目覚ましくなった1994年9月から2002年12月まで3度も訪れており、南北に細長いベトナム全土をほぼ周遊済みである。今回は両陛下が滞在する首都ハノイと古都フエを紹介する。南部にある同国最大の都市ホーチミンや、多様なベトナムを如実に物語るその他の地方、例えば古都ホイアン、天下の絶景ハロン湾などについては後日としたい。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 ダイナミックなベトナム南部の大都市ホーチミンと対照的に、1760kmも北に位置するハノイは落ち着きのある古都で人口は約450万人。11〜13世紀の李朝の都になった街には、由緒ある寺も多い。ベトナム有数の川・ホン川(紅河)の右岸にあり、この川の近くにあるのがホアンキエム湖 で街のほぼ中心にある。度々ホン川の氾濫でできた湖は、かつて川とも繋がっていた。

 湖の北岸近くにある島では、18世紀に建てられた玉山祠が建っている。岸から赤く塗装された木製の太鼓橋・フク橋を渡ると、島に着く。そこでは文学の神スオン王や、13世紀モンゴルの侵略を撃退し活躍したチャンフンダオなどが祭られている。また、湖の中央に浮かぶ小島には亀の塔が建つ。湖の北側は古い家並みが続く旧市街になっており、一帯はハノイ36通りと呼ばれて様々な店が並ぶ。

  

     ホアンキエム湖       玉山祠       文廟前に立つ筆者

 

 ホアンキエム湖から西へ約2km行くと、1070年建立の文廟(孔子廟)がある。1076年には国内初の大学・国子監が敷地内に置かれ、王族と貴族の子弟や官僚が学んだ。学問にご利益のある場所として、観光客だけでなく多くのベトナム人が訪れる。必見はハノイの象徴の一つになっており、19世紀の阮(グエン)朝時代に出来た奎文閣の池の両側に、82の石碑がずらりと並ぶ。昔の官僚登用試験、科挙の合格者の名前と出身地が刻まれた石碑が、石造りの亀の上に乗っている。

 文廟から1kmほど北上すると、一柱寺がある。李王朝時代の11世紀に建てられた小さな寺は一本柱で支えられ、池に浮かぶ蓮の花のようと形容される。そのユニークな外観からフランス統治時代の建物と並び、ハノイを代表する歴史建造物として有名だ。李朝の王が世継ぎに恵まれていなかった頃、蓮の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見て待望の子供を授かったとされ、王が謝恩にと建てた由。子宝に恵まれるご利益を祈願する人々で賑わう。

 

  

   文廟の奎文閣       一柱寺    ホー・チ・ミン博物館 

 

 一柱寺の南側には、1990年に建てられたホー・チ・ミン博物館がある。ベトナム人指導者の故ホー・チ・ミン主席および外国の支配に抵抗するベトナムの革命闘争に捧げられた博物館で、主席の遺品や革命の歴史などを展示している。一方、北側には1975年に建てられたホー・チ・ミン廟がある。総大理石造りの堂々たる建物がひときわ目立ち、廟内には主席の遺体が安置されている。

 ほかに、ベトナム名物として有名なタンロン水上人形劇場が、ホアンキエム湖の玉山祠の近くにある。会場はホーチミンのような屋外ではなく屋内で、水をはったステージが設置され華やかなショーを堪能した。またグルメでは、ハノイが本場と言われるベトナム風うどんの米麺、フォーに舌鼓を打った。特に鶏がらスープに鶏肉が入ったフォーガーが格別に美味く、ハノイ滞在中は毎日食べたほどだ。

 

  

  ホー・チ・ミン廟     水上人形劇       フォーガー

 

 次にフエだが、ハノイの南およそ700kmにあり、ベトナム最後王朝、グエン朝(1802年〜1945年)の都であった。町はフォン川を挟んで北側の旧市街と南側の新市街に分かれるが、見どころは旧市街が多い。新市街から橋を渡って旧市街に入ると、先ず目に入るのが高さ約30mのフラッグタワーである。この後ろに阮(グエン)朝王宮があり、一辺が2.2kmの方形で、高さ6.6m、幅21mもある堅固な城壁に囲まれ、その外には濠が掘られている。

 先ず、入口になっている王宮門から入ると、右側にザーロン帝時代の1804年に造られた大砲がある。入門後すぐに門の上に上がり見渡すと王宮全体の概要が良く分かる。特に目立つのが正面にある大きな赤い屋根の大和殿で、中国の紫禁城を模しているが規模はずっと小さい。大和殿の左には、阮朝の菩提寺である顕臨閣がある。王宮の見学を終えてフォン川に架かるチャンティエン橋に向かうと、そばに賑わいを見せるドンバ市場がある。

 

       −− フエを散策するワールド・トラベラー −−

  

     阮朝王宮の王宮門     王宮門前       ウォック・ホック高校

 

 橋を渡って新市街に戻り訪れたのがホー・チ・ミンも通ったクオック・ホックという高校。男女の高校生たちに出会ったが、女性の制服はきれいなアオザイであった。古都の情緒を盛り上げるフォン川遊覧は、川の流れがゆったりとしているためか時が止まったかのような錯覚に陥った。この遊覧で見かけたのがティエンムー寺で、高さ21mほどの7層八角形の塔が川面に映す姿が美しい。ほかに、約4km南郊外には別荘風のトゥドゥック廟、12km南郊外には中国風のミンマン帝廟がある。

 古都フエで最も忘れ難いのは、フォンザンホテルのレストランで煌びやかな宮廷衣装を着て宮廷音楽を聴きながら、名物の宮廷料理を賞味したことだ。阮朝時代にタイムスリップしたかのような気分になった。阮朝時代の皇帝や皇族が食べていた料理は「宮廷料理」と呼ばれ、現在では高級料理の一つとしてベトナム人や外国人観光客から親しまれている。日本料理と似た点があり、見た目の飾りつけがポイントとされる。

 

  

フォン川とティエンムー寺  宮廷衣装を着る筆者  飾付が美しい宮廷料理 

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 天皇、皇后両陛下がご高齢だけに、旅の安寧を祈念するのみである。

 

 

                ◇◇◇ お知らせ ◇◇◇

         (ワールド・トラベラーの著書紹介)
           
世界を動かす少数民族


 超大国アメリカの真の実力者は誰か?台頭著しい中国を支える東南アジア経済界の覇者は誰か?イスラム国に敢然と立ち向かう勇者は誰か?ベトナムの少数民族も詳述し、少数民族から現代世界の縮図と課題が克明に分かる。詳しくは好評発売中の『世界を動かす少数民族(幻冬舎)』をご購読下さい。定価本体1,350円+税

    

 お買い求め又はご注文は、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。
お問い合わせ:

世界の人形館 TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved 

| - | 00:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
北朝鮮の政変−金正恩体制の崩壊近し!?
10

 ひょっとすれば、今後どんでん返しがあるかも知れないミステリーな事件だ。まるでサスペンスドラマを観ているような想いである。この謎めいた事件については、既に2月15日付け幣ブログ「金正男氏が殺害されたマレーシアの旅(2)クアラルンプール編」で紹介済みだ。

 

 2月13日に北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長の異母兄である金正男(キム・ジョンナム)氏が、マレーシアのクアラルンプール空港で猛毒の神経剤VXで襲撃され殺害された。弟の金正恩氏の関与(と言うより指示)は99.999%の確率で間違いないであろう。組織ぐるみ、いや北朝鮮と言う国家ぐるみの非情な暗殺である。

 韓国・北朝鮮を問わず朝鮮半島では、今も長幼を重んじる儒教思想が根付いていると言われる。たとえ腹違いの兄弟とはいえ、また仮に兄が放蕩であったといえ、弟が敬うべき兄を葬り去るとは儒教社会ではあり得ない事なのであろう。恐ろしい暗殺事件と言える。

  現時点では故人の身元確認などにつき、北朝鮮側の妨害により確認されたことが未だ少なく、捜査は遅れ難航している。一方では、正男氏の腹部には刺青があるらしいが、公開された遺体には見当たらない。刺青の有無次第では、北朝鮮側が主張する別人(影武者)説が正しいことにもなり、マレーシア警察もDNA鑑定による身元確認を急いでいる。

遺体のみが真実を知る

(ネットより転用・加工)

 

 いずれにせよ、金正恩委員長にしてみれば、兄を抹殺する目的は一応達成したものの、想定外のこともあったようだ。例えば、北朝鮮の国内では無名に近いらしいが、国外では有名人である金正男氏の殺害事件の国際的な波紋である。暗殺の直接的な動機は脱北者による亡命政権樹立構想の阻止と、血統では「白頭」と言われる正統な直系の兄、正男氏への個人的な妬みであろうか。

 因みに、白頭とは北朝鮮と中国国境にまたがる標高2744mの火山・白頭山を指し、北朝鮮にとりシンボリックな「聖山」である。中国名は長白山といい、2009年6月に登ったことがある。底にあるカルデラ湖・天池が青く輝き、その神秘的な美しさは言葉を失うほど。南北約4.4km、東西約3.5kmの巨大な火山湖と、湖を取り囲む灰色の16の峰々とのコントラストが鮮やか。

 

 また、故金正日総書記と二番目の妻であった成薫琳の間に平壌で生まれた正男氏に対し、大阪生まれの在日朝鮮人二世で三番目の妻であった高英姫を母として生まれた弟の正恩氏の出生地は定かではないとのこと。実は大阪生まれの筆者の姓(高)が正恩氏の母と同じで、彼女が生活拠点とした大阪・鶴橋のコリアタウンへ若かりし10代の頃によく出かけたものだ。街角で見かけたあの小さな可愛い女の子が、今にして思えば高英姫であったかも・・・。

 

   

     金正男氏の正統な血統・白頭の    金正恩氏の母、高英姫が生まれ

    舞台・白頭山に抱かれた天池     育った大阪・鶴橋のコリアタウン

 

 一方、今まで金正男氏を保護下に置いて来たと言われる中国は、北朝鮮とマレーシア両国の友好国だけに板挟みになっているフシがある。特に、北朝鮮とは朝鮮戦争以来の「血の同盟」という特殊な友好関係があるほか、アメリカ軍が駐留する韓国との間にある緩衝地帯としての戦略的な価値がある。

 だが、近年の北朝鮮は中国の忠告や苦言を聞き入れず、核・ミサイル開発を続けるので黙認できない存在になりつつあるようだ。もし、今後も核実験などで北朝鮮の挑発が更にエスカレートするようであれば、彼らが金正恩を消して現在の独裁体制が崩壊することもあり得よう。

 

 金正恩政権は決して盤石ではない見方もあり、中国が本気で北朝鮮の政権交代を望めば可能であろう。その時期は意外に早く来るかも知れない。彼らの戦略目標はあくまで北朝鮮国家自体の維持であり、いずれ北朝鮮でクーデターが発生して内戦の末に新政権が発足するというシナリオも書いているのではなかろうか。我々が想像も付かないような政変が起きるのが、北朝鮮であり中国でもある。

 加えて国際的な圧力、例えば奇想天外なことを平然とやってのける米国のトランプ大統領による金正恩体制の転覆工作も、その選択肢の一つになるのでは・・・。また、伝統的な友好国だが不気味に沈黙するロシアも、策略家のプーチン大統領の動きが気になる次第である。

 

(後記)

●マレーシア警察は、殺害された遺体が金正男氏本人であることを確認した。今後は誰が遺体を引き取るのか、また北朝鮮が息子の金ハンソル氏を次のターゲットにするのか注目される。(3月9日)

●最終的に金正男氏の遺体は北朝鮮に引き渡しされ、暗殺事件は闇に葬り去られた形で収束しそうである。(3月30日)

 

                ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇ 

 

 北朝鮮を訪問したことがある筆者(ペンネーム:高 やすはる)には、北朝鮮に関する下記著書があります。ご興味があれば是非ご愛読ください。

 

   私はワールド・トラベラー      272の国と地域を制覇した77歳のワールド

     世界257ヵ国・地域を旅した男    ・トラベラーは たった1人で紛争地を旅した   

      文芸社 定価1,500円+税          幻冬舎  定価1,400円+税

  

 

 なお、幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。
お問い合わせ:
世界の人形館 TEL 04−7184−4745
        E−MAIL  
ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved

| - | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
外国人初のプロ棋士を生んだポーランドの旅(1)‐ワルシャワ編
8

 本日の朝日新聞でオヤッと思う記事が目に留まった。東欧・ポーランド出身の女流棋士カロリーナ・ステチェンスカさん(25)が、昨日(2月20日)東京の将棋会館で行われた対局で勝利したのである。日本将棋連盟の規定により、正規の女流棋士として認められる女流2級への昇級を決めた。男性棋士も含めて外国人が将棋のプロになるのは初めてという快挙だ。

 

 彼女は16歳の時に大好きな漫画「NARUTO」の登場人物が将棋を指しているのを見て興味を持ったとか。その後インターネットで将棋のルールを覚え、ネット対局で腕を上げ2013年に来日して2年後に女流3級になった。彼女にとって将棋は、チェスと違い相手から取った駒が使え、終盤がダイナックなことが面白く大きな魅力らしい。彼女のプロデビューによって日本の将棋も、チェスのように国際化が進むのであろうか?

 

 因みに、将棋のルーツは諸説あるが、紀元前200〜300年ごろ古代インドで遊ばれたチャトランガという四人制のさいころ将棋と言われる。このチャトランガが西方に伝わりチェスに、東方は中国将棋や日本将棋に姿を変えて世界各国に広まったとされる。インド ⇒ 東南アジア ⇒ 中国を経て平安時代に日本に伝わったようで、貴族の間で将棋が遊ばれていたこととか。

 

 さて、ステチェンスカ棋士の母国ポーランドはドイツとロシアの二大国に挟まれ、国名は「平原、牧草地」を意味する広大で肥沃な平原を持つが故に絶えず他国の支配を受けてきた。東西ヨーロッパの間で揺れた悲劇の歴史を刻んだバルト海の国で、彼女が生まれたのは首都ワルシャワである。今回は同国の最大都市でもあるワルシャワを紹介し、その他の地方は後日としたい。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 私ことワールド・トラベラーは米ソ間の東西冷戦の最中であった1975年8月、商社マンとして中東のクウェート駐在時代に家族(妻と2人の息子)を連れて1か月もヨーロッパを周遊し、その途中初めてワルシャワを訪れた。2度目は1977年4月、駐在地のクウェートからルーマニアやブルガリアへ業務出張した時に寄ったものだ。

 3度目は44年もの続いた東西冷戦が終わり、平和を取り戻した2002年5月に2週間近いポーランド周遊のツアーに参加した際に立ち寄った。実に25年振りの再訪となったが、1989年民主化後に加速した街の大変貌に驚き、魅力的なポーランドを再発見する懐かしのセンチメンタル・ジャーニーでもあった。

 

 度重なる他国の占領にも屈せず「不死鳥」と言われるワルシャワは、人口約180万人の東欧随一の大都市である。ヴィスワ川が市内を南北に貫通する。13世紀に建造された街は、1596年ポーランド王国の都となって以来、破壊と再生を繰り返してきた。異民族や敵国による侵攻とそれに対する抵抗によって造られたポーランドの歴史の縮図を、この首都で見ることができる。

 4半世紀前に比べて3度目の訪問で見た街並みは、第二次世界大戦の傷跡を全く感じさせないほど完璧に復元されていた。市民は壊滅状態にあった第二次世界大戦後も不屈の精神で、特にクラコフから遷都された16世紀末以来の古い建物が残っていた旧市街をレンガのひびに至るまで忠実に原状回復したのだ。1980年には、「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録された。

 

 石畳の路地にガス灯、バロック風の家々が往時を偲ばせる珠玉の旧市街の歴史地区は、中世そのままの雰囲気が満ち溢れている。その中心となるのがレンガ造りの美しい建物で囲まれた市場広場だ。剣を振り上げる人魚像が中央に立ち、周囲には露店のカフェや画商などが並び活気がある。1975年に初訪問時した時にはこの広場で、絵を売ってその日暮らしをしていた貧しい画家から水彩画を買ったが、その絵は今も我が家で飾られている。

 

          −−− ワルシャワ旧市街 −−− 

   

   市場広場の中心  1975年家族と散策   市場広場で買った

                                                                 王宮広場を描いた絵

 

 この広場から少し南へ歩くと、14世紀に建てられたワルシャワ最古の教会、聖ヤン大聖堂がある。歴代王の戴冠式など、多くの歴史的行事が行われた。ここから更に南下すると王宮広場があり、その一角に観光案内所を兼ねるワルシャワ歴史博物館がある。この脇の道を入って行くと、赤レンガ造りの円形をしたバロック様式の砦バルバカンが現れる。旧市街を守るために造られた15〜16世紀の城壁で、かって牢獄や火薬庫として使われたこともある。

 

 ヴィスワ川沿いの旧市街の西側や南側に広がるのが新市街である。旧市街のすぐ北側にはキュリー夫人博物館がある。ノーベル賞学者のキュリー夫人の生家で、実際に使用した実験道具などが展示されている。旧市街から1kmほど南にある聖十字架教会は、ショパンの心臓が納められていることで有名だ。

 ワルシャワの中心部で最も目立つのが、高さ234mもある37階建ての高層ビル、文化科学宮殿である。ソ連のスターリンのプレゼントで1952年から4年を要して建てられ、部屋数は3300近くもある。高層ビルが比較的少ない街では不釣合いな感じで、「ソ連の墓石」と揶揄されて市民には不評のようだ。

  

   バルバカン前の筆者  キュリー夫人博物館    文化科学宮殿

           

 近郊では、約5km南にあるワジェンキ公園が見逃せない。ヨーロッパで最も美しい公園の一つとして知られ、ワルシャワ市民の憩いの場にもなっている。この公園はポーランド最後の王となったポニャトフスキにより、30年の歳月を経て1796年に完成した。見どころは王の夏の離宮として建てられたワジェンキ宮殿で、池の水面に優美な姿を投影する。

 郊外では、ワルシャワから西54kmのジェラゾヴァ・ヴォーラにあるショパンの生家が必見だ。ポプラ並木が続く公園の中に佇み、意外なほど質素な建物は博物館になっている。ショパンの出生や洗礼証明書、少年時代に書いた楽譜(複製)などが展示され、興味深いものが多い。約30分のピアノコンサートを聴いたが、聞き惚れて時間が経つのも忘れるほどであった。

 

  

       ヴィスワ川     ワジェンキ宮殿   ジェラゾヴァ・ヴォーラ

                        にあるショパンの生家

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 以上ワルシャワを概説したが、ポーランドの地方へ行くと、この街に劣らない観光スポットが多々ある。例えば、古都クラコフ、アウシュヴィッツ収容所などがあり、次回に紹介したい。乞うご期待! 

 

                ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者ことワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−    

      

 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved 

| - | 14:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
金正男氏が殺害されたマレーシアの旅(2)クアラルンプール編
10

 以前からずっと抱いていた懸念が現実のもになる事件が発生した。北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の異母兄になる金正男 キムジョンナム氏(45)が、一昨日の2月13日マレーシアで殺害されたのである。クアラルンプール国際空港内でスプレー噴射され、一瞬で毒殺されたらしい。犯人は2人の女で、1人は逮捕されたが、残り1人は男4人(北朝鮮工作員の関係者であろう)と共に逃走中。

 弟の金正恩政権になってから、北朝鮮では粛清が相次いでいるようだ。その最たる例は叔父でかつて北朝鮮ナンバー2と言われた張成沢氏の処刑だが、同氏は金正男氏を金正日総書記の後継者にしようと画策したためマークされたらしい。腹違いとは言え、兄を葬り去るとは33歳の若輩ながら恐ろしき人物である。虚勢を張り気味の金王朝の栄華はいつまで続くのであろうか?意外に早い結末が来るかも知れない。

 

           (クアラルンプール国際空港)

    

      ターミナルビル内       買い物する筆者(2014年)

 

 弟の金正恩氏との後継者争いに敗れた金正男氏だが、2000年頃から中国の保護下に入った。中国当局から護衛されながら、北京、マカオと東南アジアを行き来する生活を送っていた。中国政府系の企業から生活費の一部を提供されていたと言われ、中国にとって正男氏は対北朝鮮外交の重要な切り札だった。父の金正日氏が健在な時代には一種の人質となり、正恩時代に入ると朝鮮半島での有事に備えるため「いつでも首をすげ替えられるトップの代役」という存在でもあったようだ。

 しかし、正男氏を庇護していることは正恩氏の対中不信を募らせ、中朝関係悪化の一因ともなった。シンガポールやマレーシアなど東南アジアで移動する際には、中国は護衛チームを送り、万全の態勢を敷いたとされる。しかし、中国当局はなぜ今回守れなかったのであろうか。暗殺情報を知りながら、中国が北朝鮮との関係修復のため正男氏を見捨てた可能性さえも見え隠れする。

 

 さて、金正恩氏が殺害された舞台のマレーシアは1978年11月に初訪問以降、6回も訪れている大好きな国の一つである。その最大の理由は、商社マンとして1979年〜1984年に隣国のインドネシアのジャカルタ駐在時代に習得したインドネシア語が、マレーシアのどこへ行っても通用するからだ。

 既に2015年6月7日付けのブログ「キナバルの地震と悲劇(?)」で、コタ・キナバルなどのサバ州を紹介ずみである。今回は4回滞在したことがある首都クアラルンプールに絞り、エキゾチックな多民族の街に触れてみたい。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 1978年に初めてクアラルンプールを訪れてから4回目の訪問となった2008年6月までの30年間は、近代的な超高層ビルが増えたとは言え、変わらないものが多い不思議で魅力的な大都会である。マレー系、華僑系、インド系など多民族が平和的に共存するマレーシアの首都らしく、世界有数の摩天楼、英国統治時代の面影を残す歴史地区、イスラム建築、チャイナタウンなど様々な文化が混ざり合った独特の雰囲気を持っている。

 

 クアラルンプール観光のスタート地点して是非おススメしたいのが、国営の石油公社ペトロナスが所有するオフィスビル、ペトロナス・ツイン・タワーである。1998年に完成した2本のトウモロコシ形の超高層ビルは452mの高さを誇り、市内で最も目立つ建物である。タワーのちょうど中間付近の41階には2つのビルを繋ぐ渡り廊下があり、地上より170mのスカイブリッジと呼ばれる展望フロアから発展を続けるクアラルンプールの壮大なパノラマが眺望できる。

 

    

  ツインタワーやKLタワーがそびえる   ツインタワーを背にする

    クアラルンプールの摩天楼  

 

 イギリス統治時代の面影が残る歴史地区の中心は、1957年に独立宣言されたムルデカ・スクエアという独立広場だ。広々とした芝生で整備された広場の東向かいに建つのが、近代的な街中でエキゾチックな顔をのぞかせるスルタン・アブドゥル・サマド・ビル(旧連邦庁舎)である 。1894年築のムーア様式のレンガ造りで、中央にある時計塔の高さは40mで街のシンボルになっている。

 

  

         ムルデカ・スクエア        旧連邦庁舎付近

 

 ムルデカ広場の南東にある2階建てのショッピングセンターはセントラル・マーケットで、 かつての生鮮市場を改装したものだ。マレーシア各地の民芸品や雑貨などの店がずらりと並び、2階の奥にあるフードコートでは地方料理も食べられるなど、マレーシアが凝縮されたスポットだ。

 このマーケットの南に隣接するチャイナ・タウンは、雑然としている中国系住民の町である。プタリン通りやハン・レキル通りの目抜き通りを中心にして、細い路地が入り組む。数多くの屋台や安食堂、庶民的なショッピングセンターやホテルなどがひしめき、夜遅くまで人通りが絶えず活況を呈している。

 

 

   セントラル・マーケット     チャイナタウンのプタリン通り

 

 ほかに、イスラム教国としてモスクがあるが、この街のそれは意外に小さい、むしろ、地方で立派なモスクが多い(例えばアロースター)ので、別の機会に紹介したい。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 金正男氏殺害現場となったクアラルンプール国際空港第2ターミナルは、アジアで台頭著しい格安航空会社(LCC)のために2014年6月にオープンした。第1ターミナルをしのぐ年間3千万人の利用者があり、24時間休むことなく開かれた空港という看板の裏をかいた犯行のようだ。

 実は2014年3月〜4月、インドの離島、シンガポール、太平洋の島々巡りをした時にトランジットでクアラルンプール国際空港に寄ったことがある。クアラルンプールの市街地から57kmも外れ少々不便だが、その規模の大きさや設備の素晴らしさに驚いた。金正男氏殺害でふと同空港のことを懐かしく想い出した次第だ。

 

後記

金正男氏を殺害した実行犯の2人目の女性も逮捕された。インドネシア国籍で、先に逮捕された女性はベトナムのパスポートを持っているが容貌から国籍は不明のようだ。一方、男たち4人の行方は依然として分からない。いずれにせよ、巧妙な北朝鮮による嘱託暗殺であろう(2月16日)。

その後、マレーシア在住の北朝鮮国籍の男が逮捕され、さらに北朝鮮国籍の男4人を容疑者として特定したが、事件当日に出国して平壌に戻ったらしい。マレーシア警察はさらに北朝鮮国籍の人物3人が事件に関与していると見ており、また猛毒の神経剤VXによって殺害されたと発表した。ここまでくると北朝鮮の組織的な関与があり、それは最高指導者である金正恩朝鮮労働党委員長の指示に基づくものであろう(2月25日)。 

  

                   ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇ 

 

 私ことワールド・トラベラーには、北朝鮮に関する下記著書があります。ご興味があればご愛読ください。

 

   私はワールド・トラベラー      272の国と地域を制覇した77歳のワールド

     世界257ヵ国・地域を旅した男    ・トラベラーは たった1人で紛争地を旅した   

      文芸社 定価1,500円+税          幻冬舎  定価1,400円+税

    

 

 なお、幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。
お問い合わせ:
世界の人形館 TEL 04−7184−4745
        E−MAIL  
ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

Copyright ©The World Doll Museum WDM. All Rights Reserved   

| - | 14:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
PR
PROFILE
LINKS
CALENDAR
S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< April 2017 >>
SELECTED ENTRIES
CATEGORIES
ARCHIVES
新着コメント
MOBILE
qrcode