世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
米国史上最悪の銃乱射事件があったラスベガスの旅
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 1週間前の10月1日、アメリカのネバダ州ラスベガスで男が無差別に銃を乱射し、58人が死亡する大量殺人事件があった。男はマンダレイ・ベイ・ホテルの32階から、目抜き通りのラスベガス・ブルーバード(ザ・ストリップ)沿いで開かれていた野外コンサート会場に向け銃を乱射した。負傷者も489人に達し、昨年のフロリダ銃乱射の犠牲者数を超える史上最悪の被害となった。一方、犯人はホテルの部屋で警察官の突入前に自殺したとみられる。

 事件後警察が捜査したところ、宿泊していたホテルの部屋内は勿論、ラスベガス北東約130kmのメスキートにある容疑者の自宅でも多数の銃や数千発の銃弾が見付かった。男はスティーブン・パドック(64歳)と言い、不動産投資に成功した資産家でカジノに取りつかれた男であったようだ。

 

 凶悪な事件を受けてトランプ大統領は「まぎれもない悪の所業」と非難し、国民に結束を呼び掛けた。しかし、「銃規制は時が来たら議論する」とも語り、銃器の取締まりに対し慎重というよりも歯切れが悪い。歴代の大統領の時代でも、銃による重大犯罪が発生すると規制強化を求める声が上がるが、結局は立ち消えになる。市民が銃を取って英国の専制支配と戦い独立を勝ち取った歴史などがあり、独特の「銃文化」が根付いているのであろう。

 アメリカの銃規制は、世界全体にとっても軽視できない深刻な問題と言えよう。しかし、合衆国憲法には「市民の武装する権利」が明記され、また銃規制に反対する全米ライフル協会(NRA)のような影響力のある政治団体まである。アメリカの銃規制の緩さが国内で外国人を含む多数の民間人が殺傷される事件の背景となっているばかりではなく、銃の国際的な流通を促してテロや各国での内戦・紛争にも関わってくるから厄介だ。

 

  

 マンダレイ・ベイ・ホテル        銃乱射の犯人   銃乱射から逃れる聴衆

                 (ネットより転用・加工済み) 

 

 国際的なカジノ都市に加え、今回の凶悪な銃乱射事件でまた有名になったラスベガスを、筆者は1986年9月、1998年9月、2000年8月の3度訪れている。カジノ抜きでは語れない不夜城の都だが、ギャンブラーだけでなく家族連れも多く訪れるエンターテインメント・シティに変貌している。実際に1998年の旅では、妻や孫たちを引率した家族旅行を楽しんだ。その時に元気であった妻は今や終末期を迎え、また当時4歳であった孫は大学生に成長し、その旅のことを想うと懐かしくもあり切なくもなる。

 さて、ラスベガスはネバダ州南部にあり、人口約60万人は同州最大の都市である。市内でカジノを含めて様々な見どころがあるほかに、グランド・キャニオン、モニュメントバレー、ザイオン国立公園、パウエル湖など、世界的に有名な観光地へ出かける拠点にもなっている。街の概要は2016年12月15日付けブログ『 ギャンブル超大国になるカジノ法案成立 』で少し触れているが、今回はより詳しく紹介しよう。

 

 到着したラスベガス(マッカラン)空港内にもスロットマシンが置かれている光景は、やはりカジノの街らしい。乾いた砂漠に忽然と現れるオアシス都市は、この地にしかない人工的で不可思議な雰囲気を持つ。また、ラスベガスの歴史はそれほど古くない。1931年ネバダ州はギャンブルを合法化したが、今日のような賑わいを見せ始めたのは1950年代以降である。

 

              −−− ラスベガス市内を俯瞰 −−−

   

スロットマシンがある空港    日中         夕刻  

  で妻・次男の嫁・孫と

 

 当初はマフィアが関与するカジノホテルが多かったと言われるが、その後カジノライセンス法の改正や会計監査基準が一層厳しくなり、1980年代にはマフィアが完全撤退した。代わりに大手上場企業が参入し、多様な一大娯楽都市へと変貌して今日のようになった。

 

 豪華なテーマホテル&カジノが建ち並ぶメインストリートのザ・ストリップでは、夜は超一流のエンターテイナー達によるショーが堪能でき、夜が更けるのも忘れるほどだ。特にイタリアのベニスを模したゴージャスなベネチアンでは、内部に造られた運河をゴンドラに乗って遊覧や買い物ができる。フットボールのグランドが4面ほど入る超巨大ホテルMGMグランドは、ショップやレストランに加えテーマパークまであり、まるでホテル内が一つの町のよう。

 ほかに異彩を放つのが、半世紀ほど前のマンハッタンの摩天楼を再現したニューヨーク・ニューヨーク、36階建てピラミッドの頂上から放つ光線が宇宙からも見えるルクソール、噴水ショーで知られるベラージオ、火山のアトラクションが売り物のミラージュ・ホテル、F1ラスベガスグランプリが開催されるシーザーズ・パレスなど目白押しだ。

 

 

   ザ・ストリップの夕景    ルクソール前  ニューヨーク・ニューヨーク前

 

 見どころが多い郊外は、ラスベガスの東約430kmにあるグランド・キャニオンが一押し。アリゾナ州北部に広がる全長460kmの雄大なスケールの大峡谷で、平均標高は約2000mもある。コロラド高原がコロラド川の急流による侵食作用で削られ、数億年の歳月が創り上げた大峡谷は、遠く宇宙からも見える地上唯一の自然が刻み込んだ造形だ。まさに大自然の驚異であり、壮大なスケールと美しさは圧巻という他ない。時間毎に表情を変えて光と影が織り成す絶景は、特に太陽が低い朝夕が素晴らしい。

 広大な峡谷にはいくつかの絶対見逃せないスポットがあるが、とりわけサウスリムのヤバパイ・ポイント、ウェストリムのホピ・ポイントやハーミッツ・レストの景観が素晴らしい。大峡谷の縁に立ち足元の景色を目の当たりにすると、ただ立ちすくんで己の小ささに唖然としてしまう。1000m以上の深い谷底を見下ろすため小型セスナ機で遊覧飛行したが、大揺れして墜落するのではないかと肝を冷やした。一方、2000年の旅ではヘリで谷底まで下り、荒涼とした地上とは違い水と緑が豊かな別世界の楽園が広がり驚いた。

 

  

     グランド・キャニオンのサウスリム付近      谷底でラバに乗り

                            移動する筆者(右)

 

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クルド独立の住民投票が強行されたイラク・クルド自治区の旅
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 イラク中央政府は勿論、トルコ、イラン、アメリカなど国際社会が猛反対する中、少数民族のクルド人を主体とするイラク北部の自治政府「クルディスタン地域政府(KRG)」が、去る9月25日に独立の賛否を問う住民投票を強行した。クルド人住民の多くは賛成票を投じ、独立に賛成が92.73%に達した。早速KRGのバルザニ大統領は政府に独立に向け協議に応じるよう求めたが、政府は住民投票は無効として応じない。住民投票結果に法的拘束力が無いとは言え、KRG、つまりクルド自治区とイラク政府の対立は激しくなる一方だ。

 対抗措置としてイラク政府はクルド自治区内にある2空港(アルビルとスレイマニア)を管理する権限を政府に移譲しなければ、両空港での国際便の発着を禁止するとし各国の航空会社に通知したが、KRGは移譲を拒絶した。今後陸路も封鎖されれば、同自治区の孤立が深刻化しそうだ。また、イラクの国民議会はKRGが実効支配する油田地帯の北部キルクーク州など係争地への軍派遣と、自治区内の在外公館の閉鎖を求める決議した。四面楚歌に追い込まれた感じの自治区だが、中東諸国と対立するイスラエルが支持する唯一の国とは皮肉である。

 

 因みに、クルド人だが、「国を持たない最大の民族」と呼ばれる。総人口は約3000万人で、独自の言葉と文化を持つ。第一次世界大戦後にオスマン帝国の領土の一部は、イギリス・フランス・ロシア間の交渉で一方的に国境線が引かれた。クルド人が住む地域はトルコ南東部、イラン北西部、イラク北部、シリア北東部に分断された。その後は各国で少数民族として迫害され、同化を強要された。苦難の歴史であったが故に、各国で自治要求や独立運動を展開する。しかし、自国内にクルド人を抱える関係国は警戒を強める。

 

  

住民投票終了後にKRG旗  イラク・クルド自治区とクルド人の分布図

 を振り喜ぶクルド人

(ネットより転用・加工)

 

 特に国内のクルド人独立機運が強い隣国のトルコとの緊張が高まっている。実はトルコには人口の約2割、約1500万人がクルド人とされ、独立を目指すクルド人の非合法組織「クルディスタン労働者党(PKK)」が武装闘争を続ける。今も内戦が続くシリアの北部でも、クルド人の台頭が著しい。同国のクルド人組織・民主統一党(PYD)は過激派組織イスラム国(IS)の拠点を攻め、支配地域を拡大中だ。詳しいことは幣著書『ワールド・トラベラーだけが知る素顔のイスラム』をご購読願いたい。

 

 筆者はそんな注目を集めるイラクのクルド自治区を2013年7月に訪れ、旅の概要は2013年7月31日付け幣ブログ『ギネス更新(!?)265ヵ国・地域を旅し, Travel is Trouble 痛感』で触れている。面積は日本の1/5強の8万k、人口は約550万人。1970年イラク北部で設置された自治区で石油を産出し、サダム・フセイン大統領政権崩壊後は経済発展が著しい。東京にある日本クルド友好協会の紹介状のお陰で特別入国できたが、滞在中の外出や移動は自治区内に限定され、治安問題もありバグダッドやモスール行きなどは諦めざるを得なかった。

 

アルビル空港で出国の際に三脚を武器と見做され没収されるトラブルはあったものの、自治区内の治安は概ね良かった。特にクルド人は老若男女を問わず友好的で人懐っこく、こちらが日本人だと分かると一層親日的になる。撮影中の筆者を見ると近づき、必ずと言って良いほど一緒に写真を撮って欲しいとせがまれるほど。また、

クルド人家族と仲良く)

アルビルのホテルオーナー、ザイトナ氏が親身になって相談に乗っていただき、意外に快適な滞在を楽しめたのも忘れがたい。滞在中に訪れた3主要都市を紹介しよう。

 

 先ず自治区の主都になっているアルビルは、バグダードの北およそ350kmに位置する。人口は約150万人の大都市だが、紀元1世紀アッシリア人のアディアバネ王国の都であった古い歴史を持つ。自治政府が独自に進める油田開発から得る豊富な資金をベースに好調な経済成長が続いており、「第2のドバイ」とも呼ばれるほど活況を呈する。街の至る所で建設ラッシュが見られ、特に市街地周辺の幹線道路沿いは高層ビルなどの建設が目立つ。

 旧市街地の中心には、シタデルと呼ばれる巨大な古い城塞がそびえる。約1400年前に建造され人々が住むようになったが、2013年から保存修復工事が進められていた。シタデルの南側は大きな中央広場があり家族連れで賑わい、広場を囲むようにして大きなバザールが広がる。市内にモスクが数多くあるが、最も目立つのは壮麗なジャーメ・ジャリール・ハイヤット・モスクだ。他に街の西外れにあるサーミ・アブドラ・ラフマン・パークという街最大の公園と、東外れにあるファミリー・モールという巨大なショッピングセンターも見逃せない。

 

                              −− アルビルを散策観光する筆者 −−

  

アルビルの象徴・世界最大級 ジャーメ・ジャリール ファミリモールで

  のシタデル(城塞)   ・ハイヤット・モスク  クルドの若者たちと
   

 アルビルの南東200kmほどにあるスレイマニアは、人口が約100万人の自治区第2の都市だ。タクシーを拾って出かけたが、途中でイラク最大の人造湖であるドゥカーン湖を見かけ、遠くに霞むようにザグロス山脈が連なり、その向こうはイランである。峠を下りる前に小高い丘があり、眼下を見るとドゥカーン湖を水源とするレッサー・ザーブ川が流れ、濃紺の川と周囲の赤茶けた不毛の山地とのコントラストが目にも鮮やかで、この川の両岸にドゥカーという町の家々が見える。

 さてスレイマニアだが、特に見どころも無さそうな特色のない街で期待外れであった。敢えて言えば、街の中心にあり、買物客で賑わいを見せるバザールと、その心臓部に建つモスクぐらいであった。当初は1泊する予定であったが、適当なホテルが無いため、急遽アルビルへ戻る日帰りツアーとなった。

 

  

    スレイマニアの新市街の    レッサー・ザーブ川が流れる

    中心を散策する筆者       ドゥカーンの町並み

 

 一方、アルビルの北西153km、トルコ国境まで60kmと近いドホークは、自治区第3の町で人口は約50万人。アルビルを車で出て1時間ほど走ると、チグリス川の支流であるアッパー・ザーブ川が見えてきた。橋を渡って西進すればモスルに出るが、過激派組織・イスラム国(IS)の支配下に入る直前で危険なため右折して北上した。その後高度がどんどん上がり峠を登りつめ盆地に入ると、急に視界が開けてドホークの市街地が広がっていた。

 北側と南側に山々が見えるが、特に北斜面は標高が約2000mの山並みが町に迫り、山の斜面にへばり付くようにして建つ建物も多い。町から南西へ25kmほどにはチグリス川が流れる。東西に細長い町の東部は新市街で、その一角にあるグランド・モスクはかなり立派で、中に入ると直ぐに冷たいお水飲ませてくれホッとした。町の西側は旧市街になっているが、中東独特の大きなバザールが無いようであった。

 

  

     ドホークの市街地を俯瞰     チグリス川の支流を散策

 

 イラクのクルド自治区の独立を問う住民投票は、本日(10月1日)に行われるスペインのカタルーニャ自治州の住民投票にも多大の影響を与えそうだ。カタルーニャ自治州の方は投票結果が拘束力を持つだけに、スペイン中央政府は投票阻止に躍起のようだ。イラク以上の混乱が起こりそうである。

 

                ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

私ことワールドトラベラーにはクルド人に関する次の著書があるので、ご関心ある方は是非ご愛読頂きたい。

世界を動かす少数民族』幻冬舎 1,350円+税

 

   

 

 なお、幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。

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大地震が頻発するメキシコの旅(1)−メキシコシティ編
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 思ったことを直言し、したい放題の感があるアメリカのトランプ大統領にハッキリと反発するリーダーが世界には2人いる。一人は北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長であり、もう一人はメキシコのエンリケ・ペニャ・ニエト大統領である。前者は若干33歳ながらの強面だが、後者はなかなかのイケメンだ。そんなハンサムな大統領の国、メキシコで大地震が続く。

 

 4日前の9月19日(日本時間20日未明)、メキシコ中部のプエブラでマグニチュード7.1の大地震が発生した。この地震により300人以上が犠牲(本日現在)になり、数十の建物が倒壊し、何百万人もの人々が停電の影響を受けた。特に首都のメキシコシティでは、学校が崩壊して子供たちががれきの下に取り残されるなど大きな被害が出ている。

 因みに、近年メキシコでは地震が頻発しており、つい最近も今月の7日に南部のチアパス州でマグニチュード8.2の大地震が発生した。隣接するオアハカ州なども含め、少なくとも60人の死者を出した。また本日(23日)もマグニチュード6.2のかなり強い地震があり、震源地のオアハカ州は7日に起きた大地震の被災地でもある。

 

  

          建物が倒壊した現場     救助活動する日本の緊急援助隊

         (インターネットより転用・加工済み)

 

 さらに、32年前のちょうど同じ日(1985年9月19日)には東部の太平洋沖でマグニチュード8.0大地震が発生し、死亡者は約1万人、全半壊した建物は約10万棟に達した。特に被害が大きかったのは震源から300km以上も離れたメキシコシティで、これは同市がテスココ湖の埋め立て地で地盤が軟弱であったためだ。地震が多いメキシコではあるが、観光面では実に見どころが多い魅力的な国である

 アメリカの南に位置し、我が日本から1万1000kmも離れた遠い国だが、スペイン人と先住民インディオの2つの文化が妙に混じりあう。旅人をタップリ魅了するそんな国を、私ことワールド・トラベラーは、1993年11月、2001年3月、2004年6月の3度にわたり訪れている。今回は首都メキシコシティと近郊を紹介したい。

 

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 人口が900万人近いメキシコシティは標高2240mに位置する、ラテンアメリカを代表する大都市である。14~16世紀のアステカ時代にテスココ湖を埋め立てて築き上げたアステカ王国の首都は、今や超過密な中南米最大の都市に発展した。古代・近代・現代が渾然一体となったユニークな街並みは、躍動感とエネルギーが満ち溢れる。

 街の中心地にある憲法広場、通称ソカロは、「メキシコのヘソ」と言われ、アステカの都テノチティラトンの政治・宗教の中心地であった。広場の北には、メトロポリタン・カテドラルが威風堂々として建つ。1563年に着工して118年後に完成した教会内部は、重厚なバロック様式の装飾で覆われる。メキシコ独特の文物が描かれ、宗教絵画の名画「市会礼拝堂」も飾られている。

 

  

  ソカロを中心にした、 ソカロに立つ筆者 メトロポリタン・カテドラル 

    メキシコシティ俯瞰

 

 ソカロの東にある国立宮殿は、かってアステカ時代には君主の居城があった所。アステカのスペイン人征服者コルテスが壊し、植民地の本拠として建てた後に改築された。この宮殿のハイライトは、ディエゴ・リベラが広大な宮殿の回廊などの壁に描いた「メキシコの歴史」の大壁画だ。アステカ時代から現代までを、巨大なパノラマで物語るリベラの最高傑作が素晴らしい。

 一方、市街地の北外れにあるグアダルーペ寺院は、聖母の奇跡で有名なカトリック寺院である。黒い髪と褐色の肌を持つグアダルーペの聖母が祭られ、国民の精神的な拠り所になっているとか。傾いた1709年築の旧聖堂の左手にある新聖堂は1976年に建てられ、現代的なデザインがひときわ目を引く。

 

    

国立宮殿内の壁画を鑑賞  国立宮殿の外観    グアダルーペの聖母

 

 郊外では、テオティワカン遺跡が一押し。メキシコシティの北約50km、紀元前2世紀頃建設されたラテンアメリカ最大の宗教都市国家だ。2度も訪れたが、エジプトのピラミッドに及ばずともスケールの大きさに改めて驚きを禁じ得ない。平城京とほぼ同じ23k屬箸い広さに20万人が住んでいたとされる遺跡は7世紀頃まで繁栄したが、8世紀に謎に包まれたまま滅亡した。

 遺跡の中央に底辺が216mX228mもある、世界で3番目に大きいピラミッドと言われる太陽のピラミッドがそびえる。高さでは130mを超えるエジプト・ギザのクフ王やカフラー王のピラミッドの半分しかないが、底辺の長さは世界最大のクフ王のピラミッドにほぼ匹敵する。248段の相当急な階段を上ると、北の方に紀元前350年頃に造られた月のピラミッドが見える。底辺は150X120mと太陽のピラミッドより一回り小さいが、遺跡全体の展望は低い月のピラミッドの頂上の方が良い。ここからは、眼下にテオティワカンを南北に貫く使者の道など遺跡全体が見え、息を呑む絶景である。

 

  

    太陽のピラミッド  太陽のピラミッドを背に  月のピラミッドを望む

                       (太陽のピラミッド より)

 

 因みに、この遺跡の標高が2000m以上のため、上り下りは見た目よりも思いの外きつく、息も絶え絶えになり顎が上がった。マイペースでゆっくりと登るほかに、十分な水補給などの対策が必要であろう。

 

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 地震発生後すぐに日本緊急援助隊が派遣され、建物が倒壊した現場で懸命の救助作業を続けている。これこそ日本が求められている真の国際貢献であり、隊員諸氏の奮闘ぶりにご苦労様と申し上げたい。

 

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ロヒンギャ難民を取り巻くミャンマーとバングラデシュの少数民族
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  去る8月25日にミャンマー西部のラカイン州で、治安部隊がイスラム系の少数民族ロヒンギャの武装勢力に対する軍事作戦を開始以来、これまでに隣国のバングラデシュのコックスバザールなどに約41万人が避難している。ミャンマーから暴力を逃れるため仮設キャンプに身を寄せているが、モンスーンの豪雨による新たな苦難に見舞われている。難民は食料や水が不足し悲惨な生活を送っているが、追い打ちをかけるのが豪雨で避難地が沼地と化したことだ。

 この様な深刻な事態を受け、本日(9月19日)ミャンマーの国家顧問のアウン・サン・スー・チー氏が、” 私たちはミャンマーが宗教や民族、政治的思想で分断された国になることを望んでいない。 ”と演説した。さらに” 政府は解決に向け真摯に取り組んでいる ”と強調した上で、国連の調査を受け入れる用意があることを示唆した。しかし、軍に対する遠慮からであろうか、ロヒンギャ問題の根本的な解決に及び腰の感は否めない様だ。これではミャンマー民主化の旗手の看板を下ろさなければなるまい。

 

 もっとも難民や移民問題は、あの豊かな超大国アメリカでも若干似たような問題を抱えているから厄介だ。最近(9月5日)トランプ大統領は、オバマ前政権が導入した移民救済制度DACA(ダカ、幼少期にアメリカに到着した移民への執行延期措置)の廃止を打ち出した。幼少時に親に連れられアメリカにやって来たドリーマーと呼ばれる不法移民の若者約80万人が、6ヵ月以内に強制送還される恐れがある。この問題でも「アメリカ第一」が背景にあり、根が深い。

 

  

バングラデシュに避難 演説するスー・チー氏

 したロヒンギャ族

    (ネットより転用・加工済み)

 

 因みに、ミャンマーの民族問題に触れよう。世界有数の多民族国家である同国は、人口の7割近くの68%をビルマ族が占めるが、ほかにシャン族9%、カレン族7%、ラカイン族3.5%、ビルマ華人2.5%、モン族2%、カチン族1.5%、ビルマ印僑1.3%、その他5.2%(カヤー族やコーカン族など)など多数の少数民族がいる。

 少数民族で注目されるのはカレン族だ。ミャンマーの東部と南部から、タイの北西部にかけて居住する。総人口はおよそ400万人で、そのうちミャンマーは約350万人、タイは約40万人だ。独立闘争を行う彼らに対する政府の民族浄化は厳しく、隣国のタイに逃れたミャンマー難民は10万人ほどと言われる。いくつかのグループに分かれ、赤カレン、白カレン、黒カレンなどがある。過度な装飾をする首長族は赤カレンの一族で、筆者は2008年7月にタイ最北部で会ったことがある。

 

 次に近年、国際社会で話題になるのが無国籍のミャンマー難民、ロヒンギャ族だ。彼らはバングラデシュと国境を接するミャンマー西部のラカイン州で、100万人ほど住む。仏教徒が圧倒的に多いミャンマーでは少数のイスラム教徒で、バングラデシュの国語、ベンガル語の方言を話す。ミャンマーのほかに、バングラデシュに40万人、サウジアラビアに40万人、パキスタンに40万人、タイに10万人などが住み、総人口は200万人以上とか。

 ミャンマー独立後から彼らはロヒンギャ族と名乗っているが、国内ではバングラデシュからやって来た不法移民と見なされ、ミャンマー国籍も与えられていない。2012年以降はラカイン州で彼らとミャンマーでは多数派の仏教徒との対立が激化し、多くのロヒンギャ族が周辺国に船で漂着するなどしている。

 

 一方、バングラデシュの民族構成はベンガル人が大部分の98%を占め、残り2%は少数民族である。彼らはアディバシと呼ばれ、45民族の200万人ほどがいる。おもにミャンマーやインドと国境を接する北部の平野や、南東部に広がるチッタゴン丘陵地帯に住む。主な少数民族は、チャクマ族、マルマ族、トルプラ族、トンチョンギャ族などで、チャクマ族などは1999年12月のバングラデシュ旅行で出会ったことがある。

 

   

  首が長いのが美人の  首長族の少女と       チャクマ族の少女たち

   カレン族        仲良くの筆者

 

 ほかに、特筆すべき少数民族としては以前ミャンマーのアラカン州から逃れてきたロヒンギャ難民で、南東部のコックスバザール近くのキャンプに滞留している。ミャンマー政府が難民の帰還を拒否しているため、UNHCR国連難民高等弁務官事務所)はバングラデシュ国内での定住を提案している。

 因みに、筆者は1999年の旅でコックスバザールも訪れた。かつてはラカイン族が支配したアラカン王国の町であったが、18世紀末に英国の東インド会社のコックスがバザールを開いたので「コックス・バザール」と名付けされた。125kmもある世界最長の砂浜ロングビーチと、ラカイン族の仏教僧院であるアッガメダ仏教僧院が印象的であった。

 

          −−− コックスバザール3景 −−−

  

     ロングビーチ     ビーチを散策     アッガメダ仏教僧院

 

 ロヒンギャの容貌や宗教(イスラム教)などから、バングラデシュ系であることは明々白々であり、敬虔な仏教徒が多いミャンマーで住み付くのは少々無理があるのであろう。ロヒンギャ迫害に対する国際社会からの批判が高まるが、その矛先はノーベル平和賞受賞者のアウン・サン・スー・チー氏に向けられ、平和賞没収を呼びかける署名が進む。だが、彼らに対するミャンマー国民の反感は根強く、帰還を受け入れるか否かが難民問題解決の焦点の一つになろう。

 日本人という単一民族から構成される我が国から見れば、多数の少数民族を抱えた多民族国家(世界では意外に多い)ならではの悩みはピンと来ないし無関心にもなりがちだ。さりとて、無視したり、傍観するのは如何であろうか? 平和ボケしている我が国としても、ロヒンギャ難民問題で何か国際貢献できるものはないか、一考したいものである

 

    因みに、私ことワールドトラベラーには少数民族に関する次の著書があるので、ご関心ある方は是非ご愛読頂きたい。

世界を動かす少数民族』幻冬舎 1,350円+税 ※ロヒンギャ族やカレン族に就いても詳述しています。

 

  

 

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「世界の人形館」の近況:Japanese World Doll Museum [Abiko Japan]
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 筆者が運営するプライベート・ミュージアム「世界の人形館」は、無料公開して早や9年ほど経つ。この間に当館を取り巻く環境が大きく変わったことは、2016年12月4日付け幣ブログ『世界の人形館」の現況と行く末 』で紹介済みである。私事を繰り返すようで誠に恐縮だが、半世紀以上に及ぶ人生のパートナーであり、かつて人形館のアシスタントでもあった妻が、2年半の入院闘病も空しく愈々終末を迎えようとしている。

 彼女を欠く片肺飛行を余儀なくされながらも、ほぼ無休で細々とオープンしているが、妻が手伝ってくれていた当時の賑わいは無い。しかし、来館者数が激減しても最近はオヤッと思うような珍客の来訪があり、質的には低下していない。今年に入り当館が世界最大の旅行サイト、トリップアドバイザーで紹介されて以降は、サイトを見てくる国内外の見学者が増えていることだ。彼らの中には「とても良い」との口コミ投稿をして頂ける親切な人もおり、世界の人形館の良きPRに貢献している。有難く嬉しい限りだ。

 

 数ある訪問者の中で、特に印象に残った異色の人物を紹介しよう。Ozと言う30代のカナダ人男性で、親しみと愛嬌感が漂う独り者である。在日1年で千葉市に住んでおり、英語を教える傍らビデオカメラを担いであちこち神出鬼没しているようだ。人形館の訪問も通常の事前予約ではなく、訪問当日になって見学したいと電話してきた次第だ。

 

           ーーー 「世界の人形館」の館内 ーーー

  

   メインホール    カナダ人のOz(右)と   イスラムルーム

              談笑する筆者(左)

 

 来館するなり、いきなり英語でインタビューが始まり、かなり立派そうなビデオカメラで撮影を始めた。約1時間半の滞在中は絶えず撮影とインタビュー(すべて英語)が続き、満足し切った表情を見せながら退去した。一昨日その彼からメールが届き、YouTube動画に投稿したと書かれていた。早速そのビデオ Japanese World Doll Museum! [Abiko Japan] (クリックして是非ご覧下さい)を観たが、約15分に上手く編集されており、プロも顔負けの腕前に舌を巻いた次第だ。

 

 因みに、言葉の問題を心配される読者がいるかも知れないが、傘寿を過ぎたが若かりし現役時は商社マンとして約9年の海外駐在経験がある。英語などの外国語は格別に上手いとは思わないが、話すのは特に苦にもならない。272の国・地域を制覇した私ことワールド・トラベラーの英語力の評価だが、先述の動画の中に” His English is pretty good (彼の英語はなかなか良い)”のコメントがあり、ネイティブスピーカーにも一応通用するようだ。

 

 最初は今年も暑いと思った夏も、その後は低温の長雨が続いた。天候の不順も手伝ってか風邪を引き、数日寝込むこともあった夏も終わろうとしている。7月中旬に大輪の花を咲かせたタイタンビカスがこの数日来また咲き誇っているが、間もなく見納めになるであろう。また、今年は玄関ポーチに置いているプランターに植えたゴーヤと朝顔がよく育ち、見事な緑のカーテンができ涼しくしてくれた。このカーテンも少しずつ枯れ、日毎に小さくなって行く。意外に短かった過ぎ行く夏と、来世への旅立ちが間もないであろう妻が一層愛しくもなる。

 

             −−−「世界の人形館」の入口・ポーチ −−− 

   

    入口     タイタンビカスが再び咲く  緑のカーテンで

                         覆われたポーチ 

 

               ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者が館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−

  

 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp   

 

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大洪水に見舞われたテキサスの旅
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 先ずは半月もの本ブログ更新をお休みしていたこと、お詫び申し上げたい。実は不覚にも夏風邪を引いてしまい、寝込むこともあったためだ。2年以上にわたる妻の長期入院で強いられている独居生活の限界が、傘寿を過ぎた老体を襲ったようである。

 

 さて、5日前の25日深夜にアメリカ南部のテキサス州の沿岸部に上陸した大型ハリケーン「ハービー」は熱帯低気圧に変わった後も記録的な大雨をもたらし、大規模な洪水が州内で発生した。最大積算雨量はなんと1300mmを超えたとかで、本日現在(8月30日)で死者は35人、被災家屋は5万戸に達した。今後も被害は拡大し、壊滅的なものになる模様。

 特に被害が甚大な被災地、全米第4の都市ヒューストンは大洪水に見舞われ、数十万人が停電による影響を受けた。またこの一帯は石油とガス産業の中枢でもあるため、ハリケーンの影響が心配される。既にガソリン価格は値上がりし始めており、特に懸念されるのは、世界有数の交通量がある運河、ヒューストン・シップ・チャネルの船舶航行への影響があるようだ。

 

 就任後も依然として低支持率に喘ぎ、「米国第一」を先導した参謀などの側近も次々と去って行くトランプ大統領は、早速被災地を見舞い100万ドルの寄付を申出るなど点数稼ぎに懸命のようだ。上手く処理すればトランプ政権浮揚のきっかけになろうが、逆のケースになれば政権運営が益々困難になりかねないであろう。

 

       

    大規模洪水が発生したヒューストン(ネットより転用・加工済み)

 

   

 

 ところでテキサス州についてだが、名前は聞いたがイメージが湧かない人が意外に多いかも知れない。実はメキシコとの国境にある同州は人口・面積共に全米第2位の巨大な州で、特に面積は日本の2倍近い696,241km²もあり広大だ。また、経済的な地位も全米屈指で、AT&T、エクソンモービル、デル、アメリカン航空、コンチネンタル航空などの世界的な企業の本社がある。

 一方、歴史的にかつてテキサス共和国として独立していた事もあり、愛州心が高い人たちが多い。また、政界で多くの優秀な人材を輩出し、第36代のリンドン・B・ジョンソン、第41代のジョージ・H・w・ブッシュ、第43代のジョージ・w・ブッシュは同州ゆかりの米国大統領であった。そんな魅力あるテキサスを2001年3月、2002年4月、2002年6月の3度も旅しており、忘れ難い同州の観光スポットを紹介しよう。

 

 先ず、年間1000万人以上が訪れる大観光地として有名なのがサンアントニオである。テキサス州南部に位置し、ヒューストンの西およそ320km、メキシコ国境まで僅か300kmと近い。人口約130万人は全米第7位の大都市は商工業が盛んで、テキサス独立戦争の戦跡があるなど全米有数の観光として知られる。旧き良き西部とメキシコの持ち味を混ぜ合わせ、現代的なお洒落なムードも加わった街だ。

 代表的なスポットは2つあり、先ずジョン・ウェイン主演の映画「アラモ」の舞台になったアラモ砦はテキサス独立戦争中にメキシコ軍と独立派が戦った地で、テキサスの自由を勝ち取るために命を賭けて戦った悲劇として有名だ。もう一つは、「アメリカのヴェニス」と呼ばれる街に相応しいリバーウォークである。サンアントニオ川がダウンタウンの中心部を曲がりくねり流れ、川岸には様々なレストランや店などが軒を連ねる。昼間はリバーボートに乗り、夜は川沿いの遊歩道の散策を満喫した。ほかに、4つの伝道館巡りをするミッション・トレイルも興味深い。

 

                         (懐かしのサンアントニオ)

    

    アラモ砦     砦の碑前に立つ筆者   リバー・ウォーク

 

 次に、ヒューストンの北370kmほど、テキサス州北部に位置するダラスは、全米9位の都市で人口約120万人。テキサスの大平原の真っ只中に輝く、「コンベンション・シティ」として有名だ。比較的歴史が浅いため歴史的建造物もあまりないが、1963年11月22日の第35代大統領ジョン・F・ケネディ(JFK)暗殺でその知名度を一気に高めた。その暗殺現場がアムトラックのユニオン駅の北にあるシックス・フロア博物館だが、射殺犯人が事件後すぐ殺されるなど謎の多い暗殺であった。

 力強くアメリカらしい都市の全体を把握するなら、高さ約160mを誇るリユニオンタワーがピッタリだ。ユニオン駅の西にあるダラスの象徴で、展望台から360度のパノラマが楽しめ、手前のダウンタウンの摩天楼や遠くのテキサスの大地が見渡せる。この若い街でノスタルジアを実感できるのが、昔のダラスの建造物が復元されたオールド・シティ・パーク。緑豊かな芝生に囲まれたダラス歴史村には19世紀中頃〜20世紀初頭の草創期に建てられた民家・教会・商店などが野外展示されている。

 

                        (JFK暗殺の舞台になったダラス)

   

 ダウンタウンを俯瞰    暗殺現場の路上  シックス・フロア前に立つ

 

 ヒューストンから西へ約1100kmも離れたエル・パソはメキシコとすぐ国境を接する町で、テキサス州最西端に位置する。人口約62万人で、砂漠に囲まれ標高が1127mもある高原都市だ。住民の大半はメキシコ系のアメリカ人で、のんびりとした陽気なメキシカンのような人々が多い。観光のほうはむしろ郊外で、何と言っても世界最大級の鍾乳洞群カールスバッド洞穴群国立公園が一押し。エルパソより東へ約300km、延々と続く砂漠の道を車で走行すること3時間半ほどで着いた。

 奥行き30km、最深部は312mもある巨大洞穴は約2億年前に海底であったものが隆起し侵食され洞穴として形成されたとか。約233mもの地底までユックリと歩きながら、大自然が育んだ造形美を堪能。見どころは天井の高さが約80mもあるビッグ・ルームで、アメリカンフットボール場なら10面以上はありそうな巨大な地下空間だ。大小様々な鍾乳石が多彩なシルエットを描くが、中でもジャイアント・ドームなどの大石柱はまるでトルコのカッパドキアのよう。洞穴観光を終えてエルパソに帰る途中、ひときわ目立つテーブルマウンテンを見かけた。グアダルーペ・ピークと呼ぶ標高が2667mの美しい山だ。

 

       (カールスバッド洞穴群国立公園)

  

    ビッグ・ルーム     洞穴内を観光  グアダルーペ山を背にして

 

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北朝鮮のミサイル発射計画の標的になったグアムの旅(2)
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 この8月は世界どこでもバカンスシーズンで、各国首脳も夏休みをエンジョイしているようだ。中国屈指の観光地・九塞溝の大地震以外は平穏に推移するかと思った矢先、北朝鮮の弾道ミサイルを巡りアメリカとの緊張が高まり両国による威嚇の応酬が続いている

 

 国連安保理は7月5日に北朝鮮に追加制裁を行うことを決めたが、これに対し北朝鮮は9日にアメリカ領である太平洋のグアム島周辺に4発のミサイルを撃ち込む計画を発表した。両国の緊張は中国でも大きな注目を集めており、同国国営の中国中央電視台(CCTV)は、北朝鮮がグアムを名指ししたのは「アメリカにとってグアムは太平洋の軍事戦略上で非常に重要であると同時に、北朝鮮にとっても脅威」と報じた。

 因みに、グアムから北朝鮮までの距離は約3300kmで、グアムのアメリカ軍基地に配備されている戦略爆撃機「B−1B」やステルス戦略爆撃機「B−2」ならば最短2時間で朝鮮半島に向かうことができるという。また、韓国でアメリカ軍との合同軍事演習が行われるたびに戦略爆撃機がグアムから飛来しており、北朝鮮は米国による北朝鮮侵略の最前線基地であるグアムに対して圧力と牽制をかける必要性があるとか。

 

 ミサイル発射計画が明るみになってから、米朝間でお互いに威嚇のラリーが続くが、もし北朝鮮の計画が実行されれば、戦場となるのはグアムよりも、韓国や我が日本であろう。今回の発射計画によれば、島根県・広島県・高知県の上空を通過するらしい。ただ、両国が理性的に判断すれば、戦争が起きる可能性は大きくはない。その理由は、米国にとり北朝鮮と戦争で得るメリットはほとんどなく、北朝鮮もあくまでも米国との交渉が目的であるため、戦争に向けて最後の一歩を踏み出すことはなかろう。

 

  一方、アメリカが頼りにしている中国は相変わらず冷静で、米朝の緊張を緩和するためむしろ「中国は無力」として一定の距離を保つ姿勢を続ける。また、北朝鮮が先制のミサイル攻撃を行い、対するアメリカから報復を受けるとしても中国は中立を保つようだ。しかし、アメリカと韓国が北朝鮮の政権転覆を図り、朝鮮半島の政治的なバランスを変えようとするならば、同国は断固として阻止しよう。

 

(後記)

 その後北朝鮮側が少々自制する動きはあるが、アメリカ・北朝鮮のチキンレースは続くようだ。8月29には北海道上空を越えるミサイルを発射し、襟裳未岬の東方約1180kmの太平洋上に落下した。ミサイルの方向はグアムではなかったが、距離的にはグアム向けに近い。さらに、本日午後に北朝鮮は第6回目の核実験を行い、過去最大の爆発規模の大陸間弾道ミサイル(ICBM)用水爆であった由。中国にして見れば、また顔の泥を塗られた形だが、これによって本当に中朝関係は悪化するのであろうか?アメリカvs北朝鮮よりも、中国vs北朝鮮になるほうが国際社会に与える影響が大になるのではなかろうか?その行方が見ものである(9月3日)。

 

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 さて、北朝鮮のミサイル発射計画で一躍注目されているグアムだが、アンダーソン空軍基地を抱える基地の島である一方、海が綺麗なリゾートアイランドとして知られる。ミサイル発射は島の屋台骨になっている観光に与える影響は大であろうし、島民も憂慮しているようだ。そんなグアム島を1992年8月に初めて訪れて以降4回も旅しており、その模様の一部は2013年2月14日付け幣ブログ『グアムの旅(1)−南海の平和な島での無差別殺傷事件』で紹介しているが、今回はその続きを披露しよう。

 

 淡路島より少し狭いグアムは、ニュージーランドの南島と形が酷似する。極東最大のアメリカ空軍基地、アンダーソン空軍基地とグアム国際空港でほぼ占められる島の北部以外は、観光客が訪れる美しいビーチとジャングルなどが広がるリゾートエリアになっている。

 

 先ず、島の中央部、北海岸沿いにあるタモン地区は島の中心地で、活気があり楽しくなるエリアだ。タモン湾に面した遠浅の白砂ビーチ、タモンベイ・ビーチが一流ホテル街のすぐ目の前に広がり、ハワイあたりのビーチよりもずっときれいだ。リーフに囲まれた静かな内海は波も穏やかで、各種マリーンスポーツをするのに最適。遠くにチャモロの悲恋伝説を秘めた恋人岬が望め、海抜約122mもある石灰岩の断崖絶壁の岬にある展望台からの眺めは息を呑むほどだ。

 

   

   タモン湾に面したホテル群  タモンベイ・ビーチで泳ぐ筆者

 

 グアム随一の目抜き通りは、別名「ホテルロード」と呼ばれるサン・ビトレス・ロードだ。グアムを代表するホテル群が建ち、特に賑わうのがプレジャーアイランドと呼ばれるプレイスポットである。世界のブランド品からお土産品まで豊富に揃うDFSギャラリアやマイクロネシア・モールなどのショッピングセンター、レストラン、水族館などが並び、夜遅くまで人通りが絶えない。

 

 一方、島のほぼ中央部にあるハガニアには、今もスペイン統治時代の面影を残す歴史地区がある。アプガン砦はチャモロ族がスペイン支配に抵抗して起こした大反乱ではスペイン軍の拠点となり、別名サンタ・アグエダ砦とも呼ばれる。1671年にスペイン総督によって造られ、太平洋戦争では日本軍の砲台として使われた。アガニア湾やハガニアの町並み、遠くにはタモン湾の眺望が素晴らしく、恋人岬と共にグアムを代表する展望スポットである。

 この砦から約700m東進すると、18世紀から19世紀にかけてスペイン総督邸があったスペイン広場がある。その広場に建つチョコレートハウスは、スペイン統治時代は貴婦人の社交場であった。現在の建物は復元されたもので、名前の由来は総督の夫人達がチョコレートドリンクで来客をもてなしたためと言われる。ほかに、白い六角形の音楽堂がある。

 

   

         サン・ビトレス・ロードを         アフガン砦     

    妻と散歩する筆者

 

 島の南西部では、タモンの南西37kmほどにあるソレダッド砦は、とんがり屋根のガードハウスがひときわ目立つ。1680年から130年の間にスペインは3つの砦を築いたが、原型を留めるのは「孤独の聖母」と呼ばれるこの砦のみである。現在は石造りの見張り小屋だけが残り、そばに3つの大砲が置かれている。この砦の見どころは丘からの眺望で、美しいウマタック湾を眼下に見下ろし、なだらかな山並みに目をやれば最高峰ラムラム山がそびえる。

 砦をしばらく南下すると、下り坂の途中で前方の視界が大きく開ける小高い丘がある。この名もなき丘から、遠くにフィリピン海に面するビレ湾が輝くように美しい景観が広がる。まるで砂漠が風紋を描くように、幾重にも白波が緑濃い海岸に打ち寄せる光景はウットリするほどで、グアム随一の景勝を誇る海岸線といっても過言ではなかろう。

 

 島の南海岸では、タモンから南へ約28kmのタロフォフォの滝が見逃せない。リゾートパーク内にあり、ケーブルカーに乗ってジャングルに囲まれた滝を見下ろしながら入口に着く。滝は2つあり、上段の第一の滝は高さ約12m、幅28mでグアム有数の大きさである。下段は第二の滝と呼ばれ、大きさは第一の滝とほぼ同じだ。2つの滝の間には吊り橋が架かり、少しスリル感が味わえる。

 

      

ソレダッド砦からウマタック湾を望む  タロフォフォの滝で孫らと

 

 因みに、滝の奥には元日本兵が戦後28年間隠れていた洞窟、横井ケーブがあるが、観光客が見学するのはレプリカのほうで本物ではない。また第二の滝のすぐそばに、グアムの歴史を分かり易くまとめた博物館があり、なかなか興味深い。

 

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 最後に私事で恐縮だが、グアムを2度も一緒に旅した妻が2年以上も前から認知症で入院中で、つい最近主治医より時間の問題と告げられた。今から52年以上も前に結婚してできた縁であるが、「会うは別れの始め」を痛感する毎日である。

 

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夏の花と花火を愛で過ぎ行く夏を想う
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 5年前から夏になると咲き乱れるタイタンビカスが、今年も連日大輪の花を咲かせている。だが、その咲きっぷりが例年と少し違うのだ。先ず、開花日だが、いつもの7月10日ごろが今年は約1週間遅れの7月16日であった。次に花の直径が最大20センチのところが精々18センチ止まりで、若干小粒である。一方、1日に最多6輪咲いたのが、今年はなんと10輪もの日もあって驚いている。

 因みに、過去5年間の開花模様を以下の幣ブログで紹介しており、ご参考までに再度ご覧頂きたい。

2012年9月8日付け『大輪の花を咲かせるタイタンビカスと琉球朝顔

●2014年7月9日付け『ギネス級!? ワールド・トラベラーが訪れた272ヵ国・地域を祝うタイタンビカス開花

●2015年9月1日付け『大輪の花タイタンビカスの二期作開花

●2016年7月18日付け『花の命は短しタイタンビカスと、人の命は短いニースのテロ

 

  

  7月18日に咲いたタイタンビカスと近所に  5日後のタイタンビカス

 住む孫のようなことはちゃんとのツーショット

 

 2013年からは株分けして過去10数人の友人らにプレゼントしており、今年も3人に差し上げて数日前には開花したとの連絡を受けた。このニュースを聞くのが楽しみでもある訳だが、同時に入院中の妻の病状についても尋ねられる。実は2年以上も前から認知症で入院中だが依然として脳の萎縮が止まらず、残念ながら経口摂取が出来ない終末期を迎えている。彼女はタイタンビカスビカスが殊のほか好きで、この花が咲くと否応なしに妻のことを想起せざるを得ない。

 せめて花の様に華やかに逝って欲しいと、今年は原色が鮮やかな夏の花をたくさん咲かせようと精を出した。おかげでカンナ、ヒマワリ、グラジオラス、ハイビスカスなども仲間入りし、筆者のプライベートミュージアム・世界の人形館のポーチやルーフバルコニーを彩っている。そして脇役として主役のタイタンビカスなど夏の花を引き立たせようとするのが、ゴーヤや朝顔などの緑のカーテンだ。

 

  

タイタンビカス、ヒマワリ タイタンビカスとヒマワリ ゴーヤ、朝顔など

とカンナ(手前)の三重奏             から成る緑のカーテン

 

 ところで、夏の風物詩の代表と言えば花火であろう。昨夜(7月5日)も千葉県・手賀沼で花火大会が開催され、妻が入院中の病院駐車場で親しい友人の澤田夫妻らと観覧した。ほぼ寝たきりの妻だが、気分転換になればと病室から無理矢理のような形で引っ張り出した。アルコール以外は何でも揃った屋台でアイスクリームをもらい、妻に食べさせようとしたがダメであった。やはり経口摂取は無理なのだ。と思うと悲しく、30分ほどで病室へ戻ってしまった。恐らくこれが見納めの送り花火となろう。

 豪華だがパッと散る花火を観終わった後は、満足感と一種の空虚感が漂うようだ。私ことワールド・トラベラーは世界の様々な花火を観てきたが、どこでも同じような感慨に浸る。忘れ難い花火を列挙すると、2004年1月下旬の旧正月に訪れた香港やマカオ、同年7月4日の米国独立記念日に滞在したアメリカ・テネシー州のノックスビルなどがある。特に、香港では大陸側の九龍側で鑑賞した花火は、夜景そのものが花火のような対岸の香港島をバックに打ち上げられ、幾重にも華麗に散った幻想的な花火であった。

 

  

       香港の花火     手賀沼の花火  病身の妻らと花火を観覧

 

 確か東西冷戦時代は日本を除き、世界を旅しても花火を見かけた記憶が無い。今では世界どこでも花火が打ち上げられている。一部の国・地域で内戦やテロがあるものの、相対的には平和であり、経済的にも豊かになり花火を打ち上げる余裕があるからであろう。北朝鮮のミサイル発射の連発はご免被りたいが、平和な花火はどんどん打ち上げた方が景気づけにもなろう。

 

               ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

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大横綱、白鵬を育んだ草原の国モンゴルの旅(1)&子ども落語会
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 大相撲の第69代横綱、白鵬が昨日(7月21日)、名古屋場所で通算1048勝目を挙げ、元大関・魁皇の歴代最多記録を抜いて単独1位となった。魁皇の場合は場所数が140で1047勝であったが、白鵬はわずか98場所で最多記録を更新したのだから誠に立派と言う他ない。本名はムンフバティーン・ダワージャルガルと言い、モンゴルは首都ウランバートルの出身。だが、メディアのインタビューでも日本人並みの日本語を話し、考え方も相撲道に徹しシッカリしており参考になることが多々ある。

 通算勝利のほかに、数々の記録を持つレコードホルダーでもある。例えば、優勝回数38、横綱勝利760、幕内勝利954、全勝優勝13、横綱連続出場722など(7月21日現在)。この調子でいけば通算勝利は1500ぐらいまで伸びそうだし、他の記録も今後破られそうもない大記録ばかりだ。後は白鵬が日本国籍を取得するかが焦点だが、母国のモンゴルに住む家族が苦悩するであろう。特にかつてモンゴル相撲の大横綱でオリンピックの銀メダリストの父は、息子の国籍変更には反対とか。

 

        

   1048勝目を挙げた対高安戦     ウランバートルのスフバートル広場

   (ネットより転用・加工)       で見かけた白鵬の広告看板と筆者 

 

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、我が国のグロ−バル化が一層望まれる折柄、モンゴルなどの外国人力士が大活躍する大相撲の貢献度は大なるものがある。その先頭に立つのが白鵬だが、一方では横綱稀勢の里などの日本人力士の頑張りにも大いに期待したい。

 

 さて、筆者は1996年5月と2006年8月の2度、モンゴルを旅している。綿雲がぽっかりと浮かぶ真っ青な天空と見渡す限りの草原が見事に融合する大地、満天のスターダストの素晴らしさに息を呑んだ漆黒の草原の天空やゴビ砂漠の星空、草原の中に忽然と現れた豪華絢爛なチベット仏教寺院、伝統的な移動式住居・ゲルに招いてくれた親切な人々、哀愁と透明さがある音楽、豪華で重厚な民族衣装デールなどモンゴルならではの大自然、文化や民俗などを思う存分堪能した。

 一方では、市場経済化は進んだが社会保障が大幅に縮小されたため、首都のスラムに多数の遊牧民が流れ込み、貧富の格差拡大による治安悪化と犯罪増加、失業や離婚の多さ、国民所得が低いのに不釣合いな物価高など、深刻な社会問題が増えている。実際にモンゴル滞在中のわずか1週間ほどで、カメラ2台が盗まれたほかに2件の盗難未遂という信じられないようなショッキングな事件があった。白鵬の出身地ウランバートルを中心に、旅の概要を紹介しよう。

 

     ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…☆━…━☆━…━☆━…━

 

 先ず1996年の最初の旅では、開港して間もない関西空港からモンゴル航空で中国の天津経由にてウランバートルに到着後、同地をベースにしてモンゴル各地を回った。まず空路で半砂漠が広がり「恐竜のふるさと」と言われる南ゴビのダランサドガドに飛んだが、滑走路も何もない空港に着陸してモンゴルは単に草原の国ではない事を学んだ。その夜は生まれて初めて移動式テント小屋のゲルに泊まって遊牧民気取りをし、砂丘や雪渓などを観光してウランバートルに引き返した。

 同地で半日観光後、陸路で西へ向かい、モンゴル名物の道なき道の未舗装の悪路を走った。ゲルに宿泊するツーリストキャンプがあるブルドで旅装を解き、同キャンプを基点にして旧モンゴル帝国の遺跡カラコルムや一般のゲルなどを訪れた後、また悪路を引き返してウランバートルに戻った。帰国のフライトは関西空港への直行便で、飛行時間は約3時間半で意外に近い国だと実感した。

 

    

 ブルド:ツーリスト    ブルド郊外:   カラコルム:エルデニ 

  キャンプのゲル    モンゴル馬に乗る ・ゾー寺院のゴルバンゾー


  2度目の旅は2006年。史上最大の帝国と言われるモンゴル帝国が建国されて800年の節目に、10年ぶりに再訪した。それは単なる物見遊山ではなく、1992年に社会主義を放棄して民主化と市場経済化を推進する現代モンゴルの国策の実情、特に変貌ぶりを見届けたいとの特別な目的を持った視察旅行でもあった。
   モンゴルとの国境に近い中国の東北部に位置する甘粛省や寧夏回族自治区を訪れた後、北京経由でウランバートルに着いた。到着後は同地をベースにして陸路および空路で各地を回り、ウランバートルはもちろん、モンゴル有数の保養地テルジ、同国第2の都市ダルハンと郊外の僧院、さらにカザフスタン国境に近い辺境地まで足を伸ばした。その間、今回の旅の主目的である建国800周年記念祭を見学したり、有名なチベット仏教寺院や景勝地などを訪れた。

 

   

  テレルジ:亀岩   ダルハン郊外:僧院      僧院近くの牧場

             アマルバヤスガラント


  さて、首都のウランバートルだが、上空から眺めると広大な草原の真ん中にポツンと浮かんでいる感じで東西に細長い街だ。市内の中心にあるスフバートル広場の中央にはモンゴル革命を指導した英雄・スフバートルの騎馬像が立つ。広場の周りには政府庁舎、市庁舎、証券取引所、オペラ劇場などが並び、ヨーロッパ風のオシャレな佇まいだ。2006年の旅では、この広場の南西にあるビルで白鵬をモデルにした大きな広告看板があった。白鵬が大関時代のことで、この頃から母国でも将来が期待されていたようだ。

 広場の北側にある自然史博物館では、モンゴルの鉱物や動植物に関する豊富な展示物があるが、目玉は何といっても恐竜タルボサウルスの骨格標本だ。また、広場の南1.5mにあるボグド・ハーン宮殿博物館は、1919年に造られた第8代活仏のボグド・ハーンの冬の宮殿。実は釘1本も使われていない木組み方式が見事な寺で、チベット仏教の曼荼羅や仏像などが展示されている。

 

 一方、人口集中が著しいウランバートルの急速な発展振りを確かめたいならスフバートル広場から南へ約4km行った丘のザイサン・トルゴイが一押し。丘の頂上には伝統的なモンゴルの灯「トルガ」と立派なモザイク壁画があり、頂上から市街地のパノラマが一望できて絶景だ。また南郊に広がるボグド・ハーン山国立公園内の特設会場では、建国800周年記念騎馬軍ショーが行われた。イベントのハイライトはモンゴル国防省の軍人で構成される騎馬軍団500騎による迫力あるスペクタクルショー。それは怒涛のごときスピードがあり、まさに圧巻で見応え十分であった。

 

 

ウランバートルのへそ   ウランバートル:ザイサン  ウランバートル郊外:建国

  スフバートル広場    ・トルゴイより市街地俯瞰  800周年記念騎馬軍ショー

 

     ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…☆━…━☆━…━☆━…━

 

(追記)

 名古屋場所で優勝した白鵬は通算勝利数を1050、また優勝回数も39まで伸ばした。未来永劫に破られそうもない前人未到の大記録である。今後とも節制を続け、さらに記録更新を目指して頂きたい。

 

                                     ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

我孫子市「夏休み!子ども落語会」

 筆者の友人、著名なクロスステッチアーティストの星野真弓さんが主宰する「三月のひまわり」の協力により、我孫子市のアビスタホールで「夏休み!子ども落語会」が開催されます。講師として、女性真打の桂右團治師匠が子どもたちへ落語を披露します。入場料は無料で、親子で落語に親しむことも出来ます。なお、当日は落語会のほかに、16ミリアミメ映画会などもあります。奮ってご参加下さい。

●日時:8月2日(水)13:30〜(落語会は40分間の予定)

●場所:千葉県我孫子市生涯学習センター・アビスタ(我孫子市若松26ー4  Tel 03-7182-0515)

●主催:我孫子市教育委員会

 

  

                                       世界の人形館で桂右團治師匠(左から2番目)

                  を囲み、星野さん(右から2番目)らと歓談

 

(後記)

 こども落語会は多数の子供と若いママさんなどの参加があり、楽しく大盛況であった。子供たちは桂右團治師匠のユーモアたっぷりの落語に傾聴したほかに、舞台に上がって師匠の指導を受け、扇子と手ぬぐいを使う所作をして落語家気分に浸った。きっと夏休みの良き想い出になろう。

 落語会が終わった後、星野さんらの案内で桂右團治師匠はご丁寧にも筆者のプライベート・ミュージアム「世界の人形館」にお立ち寄り頂いた。世界の人形のほかに万華鏡、地球儀、世界の紙幣などを熱心に見学後、歓談のひと時を過ごした(上右の写真)。多謝!多謝!(8月2日)

 

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上野動物園パンダの赤ちゃんとパンダの故郷・四川省の旅
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 東京の上野動物園で生まれたジャイアントパンダ(以下パンダ)の赤ちゃん(メス)が、本日(7月12日)で1か月を迎えた。誕生時の体長は約14センチ、体重は約150グラムであったが、それぞれ約30センチ、1.1キロ以上となり特に体重は実に8倍も増えた。順調に成長すれば体長は約130センチ、体重は約100キロにもなろう。生まれた時は人間の手のひらに乗りそうな小さな体から想像できない、巨体に成長するとは驚くほかない。

 一方、生まれたばかりの頃はピンク色の皮膚が白い毛に覆われていたが、成長するに連れて目の周りや肩の辺りの皮膚がうっすらと黒くなってきた。そして1か月後には独特の白と黒の「パンダカラー」もハッキリしており、可愛いパンダらしくなってきた。東京都は今月28日から名前を公募する予定で、順調に育てば生後半年を迎える12月頃に母親のシンシンと共に公開される見通しだ。その公開が待ち遠しくてならない。

 

                             (成都パンダ教育研究基地で見かけたパンダたち)

  

 上野動物園の生後1か月  生後間もない赤ちゃん   仲睦まじい母子 

 の赤ちゃんパンダ

 

  ところで、パンダと言えば、中国である。1869年に欧米人としてパンダを初めて発見したのはフランス人宣教師で、中国の四川省西部で地元の猟師が持っていた白黒模様のパンダの毛皮であった。これが契機となり、その存在が世界で知られるようになった。体長は約120〜150センチ、体重はオスが約100〜150キロ、メスが約80〜120キロ。現在の生息地は四川省や陝西省の竹林で、頭数はわずかである。分類はクマ科に属し、中国語では大熊猫と呼ばれる。

 主食は竹のほかに、小型哺乳類、昆虫、魚、果物などを食べることもある。行動は基本的に単独で群れや家族をつくらず、他のクマ科動物と異なり冬眠しない。外見は愛らしいが、やはりクマ科動物として気性の荒い一面も持ち合わせ、動物園の飼育員や入園者が襲われる事件が発生している。因みに、レッサーパンダというもう一つのパンダがいるが、体長は約50〜60センチ、体重は5キロ前後とずっと小柄で、中国のほかにネパールやブータンなどに分布する。

 

 さて、私ことワールド・トラベラーはパンダの故郷と言われる四川省を2000年7月と2002年9月に旅し、2度もパンダの繁殖センターを訪れている。その時の模様と四川省の代表的な観光地を紹介しよう。

 

 中国政府はパンダを保護するため全国で40か所ほど保護区を設けており、四川省西北部のアバ・チベット族チャン族自治州にある臥龍自然保護区が最大のものである。筆者は面積が2000k屬發△詁永欷邏茲砲△臥龍パンダ保護研究センターを訪れ、パンダに直接触れあう機会があった。四川省の省都・成都の西133kmほど、車で3時間で着いたが、同センター内では30頭が飼育されていた。そのうちの1頭、生後8か月で体重が6kmほどのパンダを抱っこしたが、当時4歳の初孫をふと想起した。

 

   (臥龍パンダ保護研究センター)

  

パンダの飼育舎前の筆者     パンダを抱っこ    成都:武候祠の門

 

 成都市内の北外れにある成都パンダ教育研究基地も見学したが、ここではジャイアントパンダの繁殖・保護・研究などが行われている。特に、広大な敷地をパンダの生息地に模し、自然に近い環境でパンダの研究が行われている。生後間もない赤ちゃんパンダを見ることができたが、臥龍パンダ保護センターのように抱っこできず少々物足りなかった。因みに、成都で見逃せないのは、三国志時代の諸葛孔明や劉備玄徳が祀られている武候祠、唐の詩聖杜甫が住んでいた杜甫草堂であろう。

 

 チベットに近く、山が多い四川省には世界遺産に登録されている見どころが実に多い。その代表は成都の北およそ450kmに位置する九塞溝で、神話の世界が広がる仙境だ。標高約2000〜3100mの景観地区に大小の滝とコバルトブルーの湖沼群が点在し、その神秘美は筆舌に尽くしがたい。一方、九塞溝の約50km手前にあるのが黄龍で、トルコのパムッカレに似た階段状の石灰棚が人目を引く。平均海抜は3000mを越え、自然が造形した棚田のような風景が幻想的だ。

 

  

  九塞溝:諾日朗瀑布 九塞溝:神秘的な火花海 黄龍:棚田に似た石灰棚

 

 一方、成都から南西160kmほどにある標高3099mの峨眉山は、中国の仏教四大名山の一つに数えられる聖地である。古来より仙人が住んでいるとされ、山中に数多くの寺院がある。例えば、標高3077mの金頂にある華蔵寺と臥雲庵、白い巨象に乗った普賢菩薩像で知られる万年寺、最大規模の寺院・報国寺など。

  次に、南約170kmの楽山は世界最大という大仏の町で知られ、長江の支流・岷江沿いの岸壁に高さが71mもある石刻座仏がどっしりと座る。頭の直径が10mもあるほか、足の甲だけでも100人が座れる巨大さには驚きを禁じ得ない。 

 また、先述の臥龍をさらに西進して標高4523mの巴朗山峠を越えると、標高6250mの四姑娘山の麓の町、日隆に着いた。この辺りはチベット族が多く住んでおり、高山植物が咲き乱れる美しい渓谷の長坪溝や双橋溝などをハイキングした。

 

  

    峨眉山:金頂    楽山大仏:巨大な   四姑娘山を望む

              足の甲と筆者

 

(後記)

 去る6月12日に生まれた赤ちゃんパンダの名前は、香香(シャンシャン)に決まった。わずか150グラムであった体重も6キロを超え、よちよち歩きができるほど順調に成長している(9月26日)。

 

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