世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
G7タオルミーナ・サミット2017開催のシチリア島の旅(イタリア紀行-2)
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 地中海で最大の島はどこか、ご存知であろうか?広さは北海道の3分の1ほど、2万5702km2の面積を持つイタリアのシチリア島である。

 

 5月26日〜27日、G7サミット首脳会議がシチリア島のタオルミーナで開催される。出席者は我が日本の安倍晋三首相をはじめ、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、アメリカのドナルド・トランプ大統領、フランスのエマニュエル・マクロン大統領、イギリスのテリーザ・メイ首相、イタリアのパオロ・ジェンティローニ首相、カナダのジャスティン・トルドー首相の7ヵ国のリーダーたちだ。ほかに、欧州連合(EU)から大統領と欧州委員会委員長が加わる。

  この1年間で各国首脳陣の顔ぶれが大幅に替わり、アメリカ、フランス、イギリス、イタリアは新顔になった。一方、森友学園や加計学園の疑惑問題を抱えながらも相変わらず一強を続ける安倍首相は、メルケル首相に次ぐ古参になった。最近では共謀罪法案や憲法9条の改憲などで世論を無視した強引な政治手法が気懸かりだが、来年のサミットでもその名があるであろうか?

 

   

 

 今年のサミットで主人公になるのは、やはりトランプ大統領であろう。既にサミット前から種々話題を提供し、大いに注目されている。例えば、就任後初の外遊先は歴代大統領たちが出かけたカナダやメキシコではなく、5月20日に訪問したサウジアラビアや22日に入るイスラエル、いわゆる中東である。特に、サウジアラビアでは約1100億ドル(約12兆円)の武器売却を決めるなど、得意のビジネスで商談をまとめてご満悦だ。自身はロシア・ゲート疑惑など様々な内憂を抱えながらの外交デビューだが、三大宗教(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教)ゆかりの聖地を訪ねてイスラエルとパレスチナの中東和平の仲介に乗り出すよう。

 中東に加え、ローマ法王と会見するバチカン、北大西洋条約機構(NATO)と話し合うベルギーを訪問後にG7サミットに臨むわけだが、圧力を続ける北朝鮮問題などでは国際的な指導力を発揮したい目論みもあるようである。筆者の私見としては、近年は形骸化して仲良しクラブになり無力化したG7を、トランプ大統領辺りが問題提起(中国やロシアの参加など)して再構築してもらいたいものだ。また、その一部をG7でのキャリアを活かして安倍首相にも担って欲しいが、果たしてその度量があるのであろうか? 

 

  さて、本題のG7サミットに戻ろう。首脳会議はシチリア島随一の景勝地と言われるタオルミーナで開催される。私ことワールド・トラベラーは2000年4月に妻と共に麗しのシチリア島を周遊したことがある。実は2年前より認症で入院中の妻だが、第2のハ

ニームーンを楽しんだかのような彼女との懐かしき想い出はあたかも走馬灯に映る影のよう。以下、その旅の模様を紹介しよう。

 

    ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…☆━…━☆

 

 地中海文明の十字路に位置するシチリア島(州)はかつてマフィアで恐れられたが、今は保存状況も良好な古代遺跡も残る平和なリゾートアイランドである。最大都市は島の北西岸にある州都のパレルモで、人口は約68万人はイタリア第5の大都市だ。かつてフェニキアの植民都市がその起源で、ドイツの文豪ゲーテは「世界で最も美しいイスラム都市」と称えた。ビザンチン・アラブ・ノルマン様式が巧く溶け合う街は、旧市街と新市街に分かれるが、見どころは歴史遺産が集中する旧市街だ。

 パレルモの歴代王の墓がある大聖堂カテドラーレは、12世紀末に建てられたシチリア・ノルマン様式の壮麗な教会だ。世界最大級のパイプオルガンや、大聖堂と鐘楼をつなぐゴシック式のアーチがひときわ目立つ。12世紀中頃建立のサン・ジョヴァン二・デリ・エレミティ教会は、アラブ・ノルマン様式の赤いドームが愛らしく、イタリアらしからぬ雰囲気が漂う。「4つ辻」を意味するクワトロ・カウンティーという交差角では、外壁がスペイン・バロック様式の彫刻で飾られた建物が並び興味深い。

 

                                 −−− パレルモ −−−

   

カテドラーレ前の筆者と妻  サン・ジョヴァン二・ モンレアーレの回廊 

             デリ・エレミティ教会  キオストロと中庭

 

 郊外では、パレルモ市街から南西8km、カプート山の中腹にあるモンアーレが一押し。1176年に完成したノルマン・アラブ様式のドゥオモは、聖堂内部がアダムとイブなどのモザイクで覆われ、その美しさは溜め息が出るほど。また、聖堂の横にあるベネディティーニ修道院では、モザイクで彩られた回廊キオストロが中庭を囲み、イスラム風でスペインのアルハンブラに似た感じだ。

 

 次に、サミットが行われるタオルミーナはパレルモから東240kmほど、島の北東部に位置する人口約1万人の小さな町である。エトナ山とイオニア海を望むシチリア島きっての風光明媚なリゾート地で、観光名所の旧市街は標高206mの高台にある。前にはエメラルド色のイオニア海に面し、美しく湾曲する海岸線が遠くまで見渡せ、背後には雄大なエトナ山を望むパノラマが最高に素晴らしい。メインストリートのウンベルト通りでは、洒落たレストランやお店が軒を連ねる。

 ハイネやバイロンも絶賛したギリシア劇場は、シチリアで2番目に大きい収容人員4400人の劇場で保存状態が良好である。劇場舞台の後ろには、シチリアの最高峰3323mのエトナ山がそびえ絶景だ。見晴らし抜群のもうひとつのポイントしてお薦めしたいのが、町の南側の崖の上にある市民公園。ブーゲンビリアなどの熱帯植物も茂る公園テラスから眺めるイオニア海と海岸線は、言葉を失うほどの美しさだ。旧市街がある高台以外では、イオニア海に面したマッファーロ海岸がゆったりと寛げる穴場だ。

 

                                     −−−  タオルミーナ −−−

  

ギリシア劇場とエトナ山  イオニア海を背にする イオニア海沿いの海岸

            妻とワールド・トラベラー

 

 上述のほかに、ギリシア神殿遺跡が残る神殿の谷があるアグリジェント、幾何学者アルキメデスが生まれたシラクーサの古代ギリシア劇場やディオニシオの耳という洞窟、セジェスタのギリシア神殿などが見逃せない。

 

  

    アグリジェント:    シラクーサ: シラクーサ:古代ギリシア劇場  

  コンコルディア神殿    ディオニシオの耳

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…☆━…━☆

 

 1975年にスタートしたG7は、 最盛期には世界全体の国内総生産(GDP)の7割近くを占めたが、近年のG7シェアは半分以下に低下してしまった。一方、ロシアや中国、インドなどの新興国も参加する20カ国・地域(G20)の発足で、G7は単なる「先進国の社交クラブ」と揶揄される始末だ。また、トランプ大統領が自説の「米国第一」に拘るあまりG7で指導力を発揮できなければ、形骸化はさらに進んで無用論が声高に上がろう。

 

(後記)

 G7タオルミーナ・サミットは27日に首脳宣言を採択して閉幕した。「米国第一主義」をとるトランプ米国大統領の初参加で、北朝鮮問題やテロ対策などでは足並みは揃ったが、自由貿易や地球温暖化では意見調整は難航した。米国は最終的に「開かれた市場を堅持し、保護主義と闘う」との文言を首脳宣言に盛り込むことを受け入れたが、G7の形骸化に歯止めをかけることは出来なかったようだ(5月27日)。

 

                   ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者ことワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−    

      

 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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アリタリア航空の破綻と麗しのイタリア紀行(1)ローマ編
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 世界遺産が最も多い国をご存知であろうか?答えは51もあるイタリアだ。少し旧聞になるが、そのイタリアの象徴の一つが風前の灯火である。2000年以上も前から歴史と夢を織り成してきた「永遠の都」と呼ばれるローマへ飛ぶフライトと言えば、すぐに思い浮かぶのがイタリアの大手航空会社、アリタリア航空だ。実は同航空が今月初め(5月2日)に、特別管財人の下で事業再建の手続きを政府に申請することを決めたのだ。事実上の経営破綻である。

 因みに、アリタリア航空は慢性的な赤字がずっと続き、2008年にも経営破綻している。2014年にはアラブ首長国連邦(UAE)のエティハド航空の出資を受けて再建に取り組んだが、格安航空などとの競争激化もあり業績が改善しなかった。3月中旬には経営陣から大幅な人員削減を含む再建策が示されたが、従業員側が拒否した。リストラを前提とした増資の見通しも立たなくなり、自力再建を断念したものだ。当面は予定通り運航を続け今後はリストラによる事業継続や売却を目指すが、前途は多難で清算に追い込まれる可能性もある。

 

 一見華やかな航空業界も、近年は格安航空LCC(Low Cost Carrier)の伸びもあり経営環境が厳しいようである。古くはアメリカを代表する企業の一つであったパンナム(Pan Am)航空が、1991年12月に倒産した例が有名だ。全盛時は世界中に路線を張り、一時は米国繁栄の象徴にもなった黄金時代があった。しかし、日本航空(JAL)のような国営会社ではなかったため、様々な悪条件に対処できなかったのが命取りになった。

 同社はインター・コンチネンタル・ホテル系列や、ニューヨークのPan Am ビルの売却を始め、太平洋路線を同業他社(UAL)に売却するなど、様々な手段を講じて生き延びようとした矢先に、援助を申し出ていたデルタ航空が土壇場で約束を翻したのが致命傷で倒産を余儀なくされた。パンナムが営業停止を宣言した時には、世界各地に停泊中であったパイロットや客室乗務員はそのまま置いてきぼりにされたとか。まさに突然の倒産劇は、25年以上経った今でも当時のショックを筆者は鮮明に脳裏に焼き付いている。

 

  

 空港駐機のアリタリア機 飛行するアリタリア機  パンナム本社を背に

                        する筆者(1983年)

 

 さて、アリタリア航空の本拠地イタリアへは1974年12月の初訪問以降、直近の2010年8月まで6回も訪れているほど大好きな国だ。今回は同国観光のハイライトであるローマの旅の想い出などを綴ってみよう。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…☆━…━☆

 

 イタリアの地を初めて踏んだのは商社マン時代の1974年12月で、駐在地のクウェートから家族(妻と当時小学生であった2人の息子)を引率して旅行したものだ。首都ローマは夢誘う大都会の華やかな装いの中にも、2000年の歴史と伝統が脈打つ。古代ローマ帝国から、中世・ルネッサンスを経て現代まで膨大な遺産が、街のあちこちに残されている。

 2000年4月の旅は、妻と26年ぶりに訪れたセンチメンタル・ジャーニーであった。「街そのものが博物館」「ファッションと芸術の故郷」など、様々な形容詞で飾られるが、あまり変貌しておらずホッとした。2005年3月に一人で訪れた時は、従来観光しなかった所を回った。どこから見学したらよいのか頭を悩ますほど、見どころが実に多いのがローマの魅力である。必見のスポットを筆者の独断と偏見で紹介しよう。

 

 何度観てもスケールが大きいと実感するのが、「コロッセオがある限りローマはえ、コロッセオが滅びる時はローマが滅びる」の諺で知られるコロッセオだ。西暦80年に完成した楕円形のローマ帝国の競技場は、高さ57mの4階建て、周囲527m、収容人員5万人と、とにかく圧倒されるほど巨大である。またアーチが重なる外観は迫力があり、すり鉢上の観客席を囲う壁の頂上高は48mで、登るだけで息が切れるほどだ。

 

           −−− コロッセオ3景 −−−

  

家族と共に(1974年)    コロッセオ全景      妻と剣闘士(?)

                         と筆者(2000年)

 

 古代ローマ遺跡の壮大さについては、広場という意味を持つフォロ・ロマーノも見劣りしない。広い敷地内に円柱が並ぶ商取引の場エミリアのバジリカ、レンガ造りの4階建ての元老院、高さ23mの堂々としたセヴェルス帝の凱旋門、フォロの中央部を抜けるメインストリートの聖なる道など、見どころが目白押しだ。古代ローマの民主政治の中心であったフォロ・ロマーノは、元老院・凱旋門・神殿の保存状況が良く、パラティーノの丘からこの遺跡全体が一望できる。

 世界最大の浴場、カラカラ浴場もなかなかスケールが大きい。217年に完成したカラカラ帝の浴場の今は廃墟化しているが、随所に往時の面影を残す。入口から中に入ると広大な庭園が広がり、正面に見える石垣はかつての水道施設だ。浴場と言えども場内には、図書館・体育館・礼拝堂などがある。いわゆる社交場にもなっていたようだ。

 

  

 フォロ・ロマーノ全景  妻とフォロ・ロマーノ散策   カラカラ浴場

 

  ローマ有数の観光名所とされるスペイン広場では、ピンクや白の鮮やかな花で飾られたスペイン階段に大勢の若い人達が座り込み、華やかで明るい雰囲気が心地良い。この広場の近くにあるトレヴィの泉は、肩越しにコインを泉に投げ入れると再度ローマに来ることができるというエピソードがある。宮殿をバックに海神ネプチューンとトリトーネが躍動する泉は、記念撮影をする人たちでいっぱいだ。

 街の西側を南北に蛇行するように流れるのがテヴェレ川である。パラティーノ橋付近と、川に浮かぶ船のようなティベリーナ島を散策したが、静かで落ち着いた風情が最高であった。ローマのランドマークと言われるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂は、16の円柱が弧を描くコロナーデがネオ・クラシック様式で圧巻だ。

 

  

   トレヴィの泉         真実の口  ヴィットリオ・エマヌエーレ

                          2世記念堂

 

 「すべての道はローマンに通ず」のひとつアッピア街道沿いにあるサン・カッリストのカタコンベは、地下4層で長さ10km以上もあり、約10万人が葬られている最大の地下墓地である。歴代の法王などが祭られており、内部のフレスコ画や装飾は見逃せない。ほかに、映画「ローマの休日」で有名になった真実の口、内部モザイクが必見のサンタマリア・マッジョーレ大聖堂も見逃せない。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…☆━…━☆

 

 上記の写真で筆者のパートナーが4度も元気な頃の姿をお披露目した。だが、2年前より不治の病、認知症を患い、来世への旅立ちは時間の問題という悲しく切ない現実だ。アリタリア航空の破綻といい、会社も人も未来永劫ではないのが世の常なのであろう。

 

                ◇◇◇ お知らせ ◇◇◇
              

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私はワールド・トラベラー
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トラベル・イズ・トラブル 
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緊迫する北朝鮮情勢と平壌の今昔
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 その後も北朝鮮の一触即発の挑発は止む気配が無く、朝鮮半島はもちろん我が日本でも緊張度が増す昨今である。特に去る4月25日に行われた金日成国家主席生誕105周年祝いを挟み、北朝鮮は(作為的に?)失敗したものの度々弾道ミサイルの発射を続ける。過日傘寿を迎えた筆者から見れば弱冠33歳は孫に等しいが、超大国の米国に臆することなく敢然と立ち向かう金正恩朝鮮労働党委員長の度胸には、むしろ畏敬の念すら持たざるを得ない。

 彼らのもっともな言い分として、最近では米韓合同軍事演習や米軍による韓国での弾道弾迎撃ミサイルシステム・THAAD配備などに対抗するためとする。国際社会では北朝鮮が悪者視されているようだが、果たして真相はそうであろうか?同国の後ろ盾になっている中国もさすがに手を焼いている模様だが、真意はそうであろうか?もし、中国が北朝鮮を見放せば、手ぐすねを引いて自陣に引き込もうとする抜け目ないパトロンがいるはずだ。例えば、ロシアのプーチン大統領である。

 

 過去の米国政権は北朝鮮問題につき、6者協議などのソフトな対話路線を採ってきた。しかし、核実験を繰り返し、ミサイルも米国本土まで飛ぶ恐れが出てきた。そこでトランプ米国大統領は従前の対話は失敗であったとし、「全ての選択肢がテーブル上にある」という転換をしようとしている。具体的には、北朝鮮の核・ミサイル施設への先制攻撃や金正恩政権崩壊が検討されているとか。また、米国は北朝鮮に大きな影響力を持つ中国の協力を期待するが、中国が真剣に取り組むか極めて疑問が残る。

 

           北朝鮮の弾道ミサイル射程図(韓国国防省資料等から) 

   

 

 昨日(5月1日)トランプ政権は発足後100日を迎えたが、大統領選で公約した案件がほとんど実現されていないのが現実のようだ。いわゆる、内政の失敗(と決めつけるのは早計だが)を外交で一気に挽回しようとするのであろうか?もし、米軍が先制攻撃すれば、北朝鮮は先ず韓国や日本にある米軍基地などに反撃するであろう。そうなれば多数の死傷者を出すのは不可避であり、米国も簡単に攻撃できず戦争に至らないであろう。楽観的な見方かも知れないが・・・。

 

 それにしても我が国の反応は些か過敏すぎるようだ。4月29日の北朝鮮ミサイル発射(失敗したが)後に東京の地下鉄などが一時運行を見合わせたが、一方では同時刻の韓国のソウルは普段通りで変わらなかったと聞く。また、米国は北朝鮮に圧力を強めるため、巨大な原子力空母カール・ビンソンを日本海に派遣したが、我が海上自衛隊は護衛艦「あしがら」と「さみだれ」を日米共同訓練と称して護衛させた。

 さらに昨日には安全保障関連法に基づく任務として米艦防護を行うため、海上自衛隊最大級のヘリコプター搭載型護衛艦「いずも」が横須賀基地を出港し米国の補給艦と合流した。昨年11月には南スーダン国連平和維持活動(PKO)に派遣された陸上自衛隊の部隊に駆け付け警護が付与されたのに続く実任務で、安保法に基づく自衛隊の活動がいよいよ本格化する。しかし、米国と北朝鮮との軍事的緊張が高まりつつあるだけに、米軍との一体化は北朝鮮の我が国への攻撃の懸念が一層強まったと言えよう。

 

 さて、物騒な事この上ない北朝鮮だが、今から22年前の1995年の今日、私ことワールド・トラベラーは同国に滞在していた。ちょうど訪問時に平壌で「平和のための国際スポーツ及び文化祭典」が開催され、アントニオ猪木が米国のレスラーとプロレスの試合をして祭典を盛り上げていた。

 その時の模様は2012年1月2日付け幣ブログ『北朝鮮−「社会主義の化石」国家への旅』で詳しく紹介済みである。あれから20年以上も経ち、テレビや新聞など報道される首都・平壌の変貌ぶり、つまりビフォーアフターなどに触れてみたい。

 

 先ず、空の玄関口だが、順安空港という空港が平壌市内から北に約24kmのところにある。しかし、それは驚くほど小さくて貧弱で、1本の滑走路と金日成の肖像画が掲げられたこじんまりとしたターミナルビルがあるだけ。これが一国を代表する国際空港かと目を疑いたくなるほどで、まるで地方空港のような佇まいであった。

 しかし、インターネットなどで調べると、現在は2本の滑走路を持つ立派な平壌国際空港になった。また、国内線と国際線の合計2つの新しいターミナルができ、2階建ての建物は明るく開放的な雰囲気である由。因みに、筆者がかつて降り立った1階建てが寂しかった旧ターミナルは、2011年まで利用されていた。

 

           −−− 平壌空港の今昔 −−−

  

       ビフォー            アフター 

 (1995年4月に訪れた筆者)

 

 さて、市内観光で最初に訪れたのが、都心を流れる大同江西岸の高台に位置する万寿台である。前年の1994年に死去した金日成主席の高さが33mもある堂々たる銅像が立ち、泣きながら献花する人々が絶えなかった。銅像の左右には2つの大記念碑、背景には革命伝統を象徴する白頭山壁画がある。その巨大な壁画(石モザイク)の幅は70m、高さは13m近い。

 一方、現在の万寿台は金日成主席の銅像の左に2011年に死去した息子の金正日総書記の銅像が立ち、親子2代の指導者像が並ぶ。因みに、革命の象徴とも言われる万寿台の付近には、立法機関である最高人民会議が開かれる万寿台議事堂、北朝鮮の芸術の中心地的存在である万寿台芸術劇場、千里馬(チョンリマ)銅像などがある。

 

              (万寿台の今昔)  

           

      ビフォー            アフター   

 

 一方、対岸にある大同江の東岸では、以前は北朝鮮の公式イデオロギーを表現するチュチェ(主体)思想塔以外に特筆すべき建物が無かった。しかし、近年は高層ビルが建ち並び、特に最近話題になっているのが、大同江沿いに建設された未来科学者通りの高層住宅群である。この超モダンなニュータウンには約4000所帯の住宅と150余りの商業施設が設けられ、国家の科学研究機関もあると言うから凄い。

 因みに、この通りの命名者は金正恩委員長自らであるとされ、北朝鮮当局は未来科学者通りの宣伝に余念がない。平壌市内の大学や科学技術研究機関の研究者が入居対象となっているが、彼らは引っ越しをためらっているらしい。理由は冬が寒くて不可欠の暖房設備がなく、温水も出ないという噂が広まっているためだ。さらに、53階建てのアパートがわずか1年で建てられたが、何か大事故が起きるのではないかと懸念の声も出ているとか。

 

         −−− 大同江沿いの今昔 −−−

   

                    ビフォー            アフター

 

 以上、平壌の変貌を簡単に紹介したが、全般的には筆者が訪れた22年前とあまり変わっていないようだ。最も変貌したのは、金正恩委員長により米国や中国が手を焼くほどの超危険な国家になったと言うことであろう。しかし、誰が北朝鮮をかくも変質させたのかにつき、誰も発言しない国際社会の摩訶不思議が気掛かりでならない。

 

             ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇     

 

 私ことワールド・トラベラーには北朝鮮に関する下記著書があり、ご関心ある方は是非ご愛読下さい。 

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私はワールド・トラベラー 
世界257ヵ国・地域を

旅した男

文芸社    1,500円  

272の国と地域を制覇した

77歳のワールド・トラベラー

たった1人で紛争地を旅した 

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仏大統領選とフランス紀行−2(南仏編)
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  その後もトランプ・ショックに揺れる世界だが、挑発を続ける異次元の北朝鮮はさておき、次なる焦点はヨーロッパの雄フランスの動向であろう。愈々4月23日にフランス大統領選挙(一回目)が行われるが、今回の選挙で台風の目となるのは、大統領の座が視野に入るところまできたと言われる極右政党・国民戦線の女性党首マリーヌ・ルペン氏であろう。もし反移民・反EU(欧州連合)を掲げる同氏が政権を手にすれば、宗教や民族の違いを克服できないまま、後戻りできない分断に陥る可能性がある。

 また、自国第一を唱えるトランプ米大統領と共通項が多く、ヨーロッパの共存共栄の象徴でもあるEUの土台が根元から揺らぐことになる。フランスは、ドイツとともにEUの最大の支え手であるだだけに、そのショックはイギリスのEU離脱を上回るかも知れない。フランス抜きのEUは、片肺飛行を余儀なくされた危険極まりない航空機のようなものだ。一国のリーダー選びに留まらず、国際社会のパワーバランスをも大きく変えそうなフランス大統領選挙である。ルペン氏がトップを走るのか、或いは反ルペン勢力が阻止するのか世界が注目する。

 

 ところが、ごく最新の世論調査では中道・超党派のマクロン候補と極右政党のルペン候補がトップを争い、中道右派のフィヨン候補と急進左派のメランション候補が僅差で追い上げる展開になっていたが、ここに来てマクロン、ルペン両候補の支持率が減り、四者横並びの混戦らしい。特に、先行していた2人を急追しているのが、もう一つの台風の目となりそうな急進左派のメランション候補だ。得意の話術で各候補を論破し、テレビ討論で最も多くの支持を獲得した。

 順調なら先行しているマクロン候補とルペン候補が5月7日の決選投票(あった場合)に進む趨勢であるが、仮ににトランプ似のルペン候補とメランション候補になる波乱が起これば、EUの崩壊のシナリオが現実味を帯びてこよう。もちろん、その前に国民投票が行われるという高いハードルくぐり抜けなければならないが・・・。

 

 

  マクロン候補   フィヨン候補  ルペン候補  メランション候補

          (ネットより転用・加工済み)

 

 さて、当分は国際政治の耳目を集めそうなフランスの旅の模様を紹介しよう。筆者は1974年12月に初めてフランスを訪れて以降、合計8回も旅した大好きな国の一つだ。首都のパリについては、2015年1月12日付け幣ブログ『Je Sui Charlie とフランス紀行−1(パリ編』で紹介済みである。

 今回はプロヴァンスとコートダジュール地方の南フランスにつき触れてみたい。なお、ニースについては、2016年7月18日付け幣ブログ『花の命は短しタイタンビカスと、人の命は短いニースのテロ』で紹介済みのため割愛する。

 

       ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 南フランス最大の都市マルセイユを起点にし、話を進めよう。人口は約85万人とフランス第2の大都市は、地中海に面するフランス最大の港湾都市である。紀元前600年頃ギリシアの植民地になった古い歴史を持ち、アフリカ大陸に近く様々な人種が往来する港町だ。出会いと別れが交差するフランスで最もエキゾチックで混沌とした雰囲気があり、異国情緒を盛り上げる。街のランドマークは海抜162mの丘の上にあるノートルダム・ド・ラ・ギャルド聖堂で、ローマ・ビザンチン様式の教会は19世紀後半築と比較的新しい。

 航海の無事を祈る船の模型がたくさんある内部よりも、素晴らしいのが聖堂の外側だ。丘の上から眼下の旧港はもちろん、アレクサンドル・デュマの「岩窟島」で有名なイフ島が浮かぶ青い地中海が、はるか彼方まで見渡せ絶景である。一方、この街で最も活気があり華やかなマルセイユらしい香りがするのが、聖堂から約1km下りヨットや遊覧船が停泊する旧港。その中央にあるベルジュ埠頭では、漁師が威勢の良いかけ声で獲り立ての魚を売る。

 

 マルセイユの北約30kmにあるエクス・アン・プロヴァンスは画家セザンヌの故郷として知られ、人口は約15万人。古くからプロヴァンス地方の政治と学問の中心地になった町のハイライトと言えば、この町で生まれ息を引き取ったセザンヌの足跡であろう。町の北外れにあるアトリエは、1901年に彼が設計して建てたものだ。画材になった果物やビンなどの小道具が展示されている。この付近から彼が一生涯描き続けた山、サント・ヴィクトワールが遠くに見える。セザンヌは天気の良い日は1.5kmほど先にあるレ・ローブの丘へ通い、体調に関係なく山を描き続けたとか。

 旧市街の北端にあるサン・ソヴール大聖堂は、2世紀から17世紀までの異なる建築様式が入り組んでいる。中でも洗練された落ち着きのあるロマネスクの回廊、15世紀の画家ニコラ・フロマンの絵が見どころ。散策にもってこいのルートとしてお勧めしたいのは、プラタナスの並み道が美しいメインストリートのミラボー通りと、その突き当たりに町一番の大噴水があるドゴール広場だ。

 

  

マルセイユ:旧港と遠くに マルセイユ:港を    エクス・アン・プロヴァンス

 聖堂を俯瞰         背景にする筆者       :セザンヌのアトリエ

 

 マルセイユから西北98kmに位置するアルルは、ローマ時代の遺跡が多く残る人口5万人ほどの町である。フランス有数の大河ローヌ川が町中を流れ、オランダ出身の画家ゴッホも住んでいた。古代ローマの遺跡が多い町だが、その代表が紀元75年頃建設された円形闘技場で、最大直径は136m、収容人員は約2万人の規模はフランスで一番大きな闘技場である。闘技場のてっぺんに上がると、アルルの赤い町並みと青いローヌ川のコントラストが素晴らしいパノラマが楽しめる。

 一方、近くにある大きな古代劇場は往時の面影もなく、現在は数本の大理石の柱が残るだけで少々期待外れ。遠くスイスに源を発し、町の左岸を流れるローヌ川の畔を散策したが、初秋の風が吹き心地良かった。郊外で見逃せないのは、町から南へ約3km離れた運河に架かるゴッホの跳ね橋だ。橋の周りは牧歌的な風景が広がり情緒がある。

 

 アルルの北西32kmにあるニームはフランス最古のローマ人都市で、人口14万人の中規模の町である。町名は泉の精ネマウススに由来し、いたる所にローマ遺跡が点在する。例えば奴隷同士の闘技も行われた古代闘技場は、現存するローマ闘技場としては中規模だが、アルルの闘技場に劣らず保存状態が良い。また、紀元5年に造られたメゾン・カレは、ギリシア風の神殿でほぼ原形を留める。因みに、デニムの生まれ故郷がこの町である事はあまり知られていない。

 ニームの北東26kmにあるポン・デユ・ガールは、約2000年前のローマ時代の水道橋の一部である。ガール川に架かる橋の長さは275m、3層アーチの高さは49mもあり、周囲の緑濃い大自然との調和が見事だ。また、水源からニームまでの全長は50km、その間の高低差はわずか17mとは驚きで、天才的であった古代ローマ人の水利技術の高さがうかがえる。なお、最下層のアーチは今では道路として使われている。

 

  

  アルル:円形闘技場  ニーム:メゾン・カレ ポン・デユ・ガール:水道橋

                                                

 アルルの北38kmにあるアヴィニョンは、人口約9万人の古都である。中世の城壁に囲まれ、演劇祭で有名な演劇の都の夏は、世界中から訪れる観光客で賑わう。見どころは、 高台にそびえ建つ巨大な法王庁宮殿だ。1334年〜1952年にかけて建てられた巨大なゴシック宮殿はまるで要塞のようで、厚さが4mの強固な外壁の高さは50mもある。その城壁の外に出ると、「輪になって踊ろう」の歌で有名なローヌ川に架かるサンベネゼ橋が見える。
 この町からさらに北29kmにある
オランジェは人口約3万人の田舎町で、かってローマ帝国の町として繁栄した世界で最も保存状態が良いローマ遺跡が残る。旧市街にある古代劇場の舞台背後の石壁は、2000年前と同じ状態という貴重な遺跡である。また、巨石を積み上げた壁面の全長は103m、高さは36mもある。紀元前20年ごろに造られ、
小さな門だがレリーフが美しい凱旋門も見逃せない。

 

 一方、マルセイユから東へ約150kmに位置するカンヌは、コート・ダジュールに臨む高級リゾート地である。人口は約7万人で、映画祭や夏の音楽祭で知られる。見どころは、夜景が美しいカンヌ湾ビーチ、丘の上にあり町を一望できるノートルダム・デスペランス教会と、映画祭の舞台となるパレ・デ・フェスティヴァル。また、散策には全長3kmのクロワゼット大通りが絶好だ。

 

    

アヴィニョン:法王庁宮殿    エズ    カンヌ:カンヌ湾ビーチ散策

 

 カンヌから約43km北東にあるエズは、地中海を望む高い丘の孤立した頂上に城壁を巡らした小さな要塞村だ。鷲の巣のような町並みは、この地方独特の「鷲の村」と呼ばれる。白い石で舗装された迷路のように入り組んだ狭い通りと、石造りの家々のコントラストが特徴的。まるでおとぎの国に迷い込んだかのような錯覚に陥る。かつて村の中心であった高台の城跡は植物園になっており、眼下の地中海の眺望が素晴らしい。

 

       ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 昨日パリの凱旋門付近でで警官3名が死傷する襲撃事件があり、過激派IS(イスラム国)の関係者と見られる犯人は射殺された。選挙直前の不穏な動きが大統領選にどのような影響を与えるのであろうか、少々気掛かりである。

 

(後記)

昨日の大統領選で予想通り4者の僅差激戦となったが、中道のマクロン候補と極右のルペン候補が決戦投票に進むことになった。下馬評ではマクロン候補が優勢のようだが、果たしてトランプ米大統領のような大逆転があるのであろうか?興味深々である(4月23日)。

 昨日の決戦投票でマクロン候補が極右のルペン候補に圧勝した。39歳の最年少の大統領誕生だが、ファーストレディーとなるのは24歳8カ月も年上の妻も話題になっている。リベラルな社会と国際協調を重視する政策が孤立主義や排外主義を掲げる極右を退けた形だが、果たして政権運営は上手く行くのであろうか?(5月8日)。

 

                 ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇     

 

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傘寿を迎えて想う
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 今からちょうど80年前の今日、1937年4月13日に厚かましくもこの世に生を受けた。そして72年前の終戦をはさんで5分の4世紀を生き抜き、正真正銘の傘寿を迎えた。本来の傘寿は数え年で80歳を指すようだが、筆者の場合は現代風の満年齢の80歳である。それにしても月日の経つのが速いことを改めて痛感する昨今だ。

 私たちはある年齢になると、長寿祝いをされるような年齢を迎える年がある。先ず、最初の節目が還暦(60歳)である。以降は古希(70歳)、喜寿(77歳)、傘寿、米寿(88歳)、卒寿(90歳)、白寿(99歳)、百寿(100歳)がある。大相撲の番付で言えば、傘寿は幕下か十両あたりに相当するのであろうか。 

 

 長寿と言えば、長寿を迎えた人を何らかの形でお祝いする、いわゆる長寿祝いがある。しかし、常日頃の精進が悪いのか、或いは人徳が無いためであろうか、筆者の周りにはそのような動きは皆無のようだ。もっとも、長寿祝いをすると、それ以上は長生きしなくなると言うことでお祝いをしない人もいるようである。見栄を張る訳ではないが、出来れば長生きしたい筆者もその類になろう。

 実は、オメデタイ長寿祝いどころでない事情もある。度々幣ブログで触れている通りパートナーである妻が2年前より認知症で入院しており、不帰の人になるのが時間の問題という冷酷な現実がある。最近も肺炎を併発し、点滴を受けるなど少々危篤状態が続くので心配な毎日だ。加えて、2人の息子夫婦と孫5人の合計9人の身内がいるが、恥ずかしながらほとんど没交渉である。親として己の教育が悪かったと、因果応報を全面的に受け入れざるを得ない不甲斐なさだ。

 

 不快な思いをする人がいるかも知れないが、80年の人生をサッと回顧してみよう。大阪市で産声を上げたのは戦前の1937年(昭和12年)で、7月には日中戦争の発端となった盧溝橋事件があった年である。その後第二次世界大戦が勃発し(1939年)、太平洋戦争に突入した(1941年)。1944年に大阪市の国民学校(現小学校)に入学したが戦時色が強くなり、翌年にアメリカ軍の激しい空襲を逃れるため両親の故郷である徳島市へ学童疎開した。

 

 

    5歳の頃

 

 だが、皮肉にも疎開先で大空襲に遭い、幼心ながら戦争の怖さと悲惨さを実体験し、1945年8月15日にあの終生忘れ難い終戦の日を迎えたのである。これを機に戦後の日本は全てが変わったと言っても過言ではない。徳島市の小学校を卒業後、中学校1年の時に大阪市に戻り、同市の中学校、高校、大学を出て憧れの世界に飛躍する商社マンになった。

 その頃から我が日本は右肩上がりの高度経済成長時代に入り、その先兵となって貢献したのが担当の合成繊維の輸出であった。頻繁な海外出張のほかに、1974年〜1984年にはクウェートとインドネシアに駐在した。後にワールド・トラベラーと呼ばれるようになった礎は、この時代に築かれたと言えよう。

 

   

   大学生時代     クウェート駐在時代   インドネシア駐在時代

            右端が筆者、左端が妻
 

 リタイア後も世界各地をかけ巡り、1995年に南極・北極点・北朝鮮、2007年にアフガニスタン・ソマリア、2011年には最新の独立国、南スーダンを訪れた。今まで旅した国・地域は272にもなる。その間、2009年からプライベート・ミュージアム「世界の人形館」を無料公開し、講演活動も含めささやかな社会貢献活動に残り限られた余生を捧げている。主たる目的は、地域の活性化と国際化推進である。 

 「世界の人形館」の運営を支えてくれた妻の姿が消えてから早や2年が経つ。人間死は避けて通れないものとか、会うは別れの始めと分かっていながら、さてその当事者になると切なく悲しくもなる。実のところ、孤独死だけは避けたいと、世代を問わず他人様との交流に心がけている。特にご近所に住む小学校1年生の利発で可愛い女の子、塚本采花(ことは)ちゃんが毎週訪ねて来るのが嬉しく、長生きに必要な元気をもらった上に生甲斐にもなっており誠に有難い。

 

   

  南極でペンギンと仲良く   北極点に立つ       小学校に入学した

                            采花ちゃんと


 80歳と言えば日本の男性の平均寿命だ。今後は余禄と思って気楽に余生を送りたいのだが、入院病床を全国的に1割減らす計画があることを知らされ不安である。各都道府県がまとめた地域医療構想によれば、年間40兆円を超える国民医療費を減らすため入院患者を在宅医療に移行を目指すらしい。

 しかし、病床減に伴う受け皿確保、例えば、どのようにして訪問医などを確保するのであろうか。昔はいざと言う時に駆けつけてくれる町医者が多く、在宅医療や介護は可能であった。しかし、今は訪問医が皆無に近く、課題は多いようだ。筆者もいずれはお世話になろうことでもあり、先行きが気掛かりである。

 

 また、我が国にも深刻な影響を与えそうなアメリカによる北朝鮮への武力行使が囁かれ、国内では森友学園問題などの対応で真相究明に背を向けて無視する安倍政権の傲慢さなど、内外共に穏やかならぬ情勢下では安寧な余生は望めそうもないようだ。

 今後の唯一の楽しみは、やはり認知症防止にもなる執筆活動になろう。昨夏以降は筆を休めているが、ぼちぼち再始動したいと思っている。もっとも売れない本をいつまでも懲りずに書くのは、いささか気恥ずかしいのだが・・・。

 

追記 

 先刻件の女の子、ことはちゃんが来館し、傘寿祝いにとケーキをプレゼントしてくれた。早速一緒に食べてお祝いをしてくれたが、何の血のつながりも無い子供と、ケーキを買って下さったママさん(恵美さん)の優しい心根に感涙した次第である。(4月13日夜)

                 ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇     

 

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爆破テロがあったサンクト・ペテルブルクの旅
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 一昨日(4月5日)首都モスクワに次ぐロシア第二の大都市サンクト・ペテルブルクで、街の中心部を走る地下鉄の車両内で爆発があった。テレビで見た映像によれば、紺色の車両は扉付近が吹き飛ばされたような形でひしゃげ(下の写真、駅構内は煙が立ち込めていた。爆破テロがあった現場は、あの世界的なエルミタージュ美術館から遠からぬ場所だ。本日現在で死者は14人、負傷者は60人以上。容疑者は22歳の中央アジア・キルギス生まれの男が割り出されたが、ほかにも共犯者がいるのであろうか?

 サンクト・ペテルブルクと言えば、先ず思い浮かぶのはこの街出身のウラジーミル・プーチン大統領である。しかも、同大統領は事件当日、ベラルーシ―のルカシェンコ大統領と会談のため同地に滞在していた。常日頃からテロ対策に躍起になっているプーチン氏にしてみれば、お膝元での事件だけに全く面子をつぶされた思いであろう。今世紀に入りロシアで起きた主なテロ事件は、北カフカス地方を除くとモスクワが圧倒的に多い。

 

 それだけに今回サンクト・ペテルブルクが標的になったことは、プーチン大統領をはじめ平和な佇まいの同市に住む市民にとってもショッキングであろう。帝政ロシア時代(1721年〜1917年)に長く首都が置かれた街は、今もなお北の首都と呼ばれる。また、ロシア文化と芸術の都として名高く、日本人の観光客にも人気がある。筆者も大好きな街だ。

 一方、2018年の大統領選挙で4選を目指すプーチン大統領の重要課題は、圧倒的な当選であろう。ソ連が崩壊後に混乱し低迷したロシアを安定・発展させた功績をベースに、「プーチン大帝」という名を後世に残したい野望があるはずだ。この爆破テロを契機にプーチン政権が危機感を煽り、反体制派に対する圧力を強めることもあり得よう。

 

 さて、ロシアには2つの心臓があると言われる。内陸部にある首都モスクワと、バルト海に面した港町サンクト・ペテルブルグだ。高層ビルが林立する無機質な感じの前者に対し、後者は華麗なロマノフ王朝の面影を今も残す。今回の爆破テロ事件の舞台となった街を、私ことワールド・トラベラーは1996年9月と2005年9月に訪れている。

 広大なロシアの最西端近くに位置する一方、バルト海東部のフィンランド湾に注ぐネヴァ川の河口デルタにあるのがサンクト・ペテルブルグである。人口は500万人を超え、ソ連時代はレニングラードと呼ばれた。「北方のベニス」とも称えられ、文化の香りがたっぷり漂う水の都をここで紹介しよう。

 

  ロシア文化を代表するスポットと言えば、ロシアが世界に誇る美術館、エルミタージュ国立美術館がネヴァ川沿いにある。「冬の宮殿」と4つの建物が廊下で結ばれ、なんと1050の部屋を持つ。この巨大な建物内に収蔵されている絵画・彫刻・発掘品などのコレクションは、実に約270万点にのぼる。帝政ロシアの財力をつぎ込み全世界から集めらた収蔵品の内容も、超一流で豪華絢爛である。特に見応えあるのが、琥珀の間、黄金の間、大広間だ。

 因みに、この美術館の創設者は女帝と言われた、エカテリーナ2世(左上の写真、1729年〜1796年)である。ドイツ貴族出身のエカテリーナは皇帝ピョートル3世の妃となるが、クーデーターを起こして即位した。賢明で野心家の彼女は、近隣諸国に侵略して領土拡大する一方、教育や芸術の発展に尽力した。特に絵画については、1764年に国際紛争の影響で行き場を失ったベルリンの実業家の絵画コレクション317点を入手し、展示する場所として造ったのがエルミタージュ美術館とされる。 

 

 この美術館から西へ700mほど行くと、金色の丸屋根が輝く高さ102mの聖イサク寺院が威風堂々として建つ。必見は寺院内部で、特に有名なモザイク画や多数のレリーフなどが見逃せない。南の入り口から階段を上るとドームの展望台に出られ、ここから眺める市街地のパノラマが素晴らしい。

 

  

 エルミタージュ美術館   エルミタージュ美術館   聖イサク聖堂 

     とネヴァ川      とワールド・トラベラー

 

 この街が文句なしの水の都であるのを実感するなら、遊覧船による運河巡りが一押しだ。アンチコフ橋で乗船し、フォンタンカ運河・エカテリーナ運河・モイカ運河を通過し、市庁舎前で下船した。遊覧途中で見かけた最も印象的な建物は、モスクワの聖ワシリー寺院に似た血の上の救世主教会である。教会はアレクサンドル2世の暗殺というロマノフ王朝の悲劇がきっかけで建立されたので、内部は悲劇的な雰囲気のモザイク画が壁面を飾る。

 一方、街の象徴として知られるのが、ネヴァ川を挟んでエルミタージュ国立美術館の対岸にあるペトロパブロスク要塞。1703年5月に要塞建設が始まったが、この日はサンクト・ペテルブルグ誕生の日でもあるのだ。この堅固な要塞を眺めるなら、トロイッキー橋が架かる付近のネヴァ川南岸をお薦めしたい。この界隈を散策すると、この街が「水の都」と呼ばれる由縁が改めて分かる。

 

 近郊のペトロドヴァリェツにある夏の宮殿も必見である。エルミタージュ美術館前のネヴァ川の船着場から高速艇で40分ほどで着く。約1000ヘクタールの敷地に180の噴水を持ち、特に滝と噴水で飾られた下の公園は、「芸術の真珠」と言われるほど美しい。また300mもある大宮殿の正面は壮観で、明るい黄色の壁は白い彫像で飾られている。

 

  

 ペトロパブロスク要塞   血の上の救世主教会  夏の宮殿を訪れた筆者(中央)

 

 ロマノフ王朝の名残を今も残す街には、ほかにも見どころが多い。例えば、ピョートル大帝の像「青銅の騎士」で有名なデカブリスト広場、エカテリーナ2世によって建てられたスモーリヌイ修道院、チャイコフスキーやドフトエフスキーなど著名人の墓があるアレクサンドルネフスキー寺院とチテフビン墓地、オペラとバレエ専用の劇場であるマリインスキー劇場 など。機会があれば、再訪したくなる魅力を秘めた麗しの古都である。

 

ネットより転用・加工済み

 

                            ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者ことワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−    

      

 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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英国紀行(その2)−EU離脱を正式通告したイギリス
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 英国のメイ首相は3月29日、欧州連合(EU)のトゥスク大統領にEUからの離脱を正式通告した。離脱を決めた昨年6月の国民投票結果に基づくもので、加盟国の離脱は欧州統合史上で初めてだ。原則2年間とされる交渉が今月にも開始され、期間延長がなければ英国は2019年3月末に離脱する。EUは4月29日に英国を除く27カ国の首脳会議を開き、ガイドラインを決定する。

 指針案は英国の未払い分担金支払いなどの離脱協定と、英EU間の新たな自由貿易協定(FTA)など将来協定に大別される。交渉はかなり難航するとみられ、特に7兆円にもなる手切れ金(分担金などの支払)と、英国に住むEU加盟国明とEUに住む英国人の権利保障が最大の焦点になりそうだ。また、英国に欧州のベースを置く我が日本企業も、FTAなどにつき交渉の行方を重視している。


 メイ首相は経済への影響を最小限に抑える一方、移民流入制限の権限を取り戻す完全離脱を模索するものとみられる。一方、EU側は欧州単一市場に残る場合、「移動の自由」の受け入れを条件とし、他の加盟国にEU離脱の動きが拡散しないよう交渉には厳格姿勢で臨む見通しのようだ。交渉では離脱協定と共に、貿易ルールなどを定める包括的な通商協定を結ぶ必要がある。

 もし、2年以内に合意に達しなければ英国はEU加盟国として享受してきた人、モノ、金融、サービスの4つの移動の自由を失い、関税が一気に引き上げられる。因みに、離脱通告はEU基本条約であるリスボン条約50条に基づく手続きである。全加盟国が同意すれば延長も可能で、早くも延長を予測する見方もあるようだ。

 

 イギリスは歴史と伝統のある国である一方、古くは産業革命など新しいものをいつの時代にも生み出してきた。初のEU離脱をやっとのけるのも、同国らしく面目躍如だ。新しいものに飛び付く傾向がある筆者にとっては大好きな国のひとつで、1974年12月の初訪問を皮切りに合計6回も旅している。その時の模様は既に幣ブログ、2013年4月10日付け『 英国紀行(その1)−「鉄の女」サッチャー逝く 』や2012年7月28日付け『 ロンドンオリンピック2012開会式に想う−参加地域と古都ロンドン 』で、ロンドンやイングランドの景勝地、湖水地方を紹介済みだ。

 今回はロンドンより南のイングランド南東部について触れてみたい。訪れたのは1997年8月、2004年10月、2010年8月で、(東から西へ)ドーバー、カンタベリー、ライ、ヘイスティングズ、セブン・シスターズなどだ。特に忘れがたいのは1997年の妻との旅で、今から20年前の彼女は胃がんの手術から5年経っていたが元気であった。しかし、2年前より不治の病、認知症で長期入院中である。永遠の不帰が時間の問題という切なくも悲しい現実だ。妻との出会いは別れの始め、また死は避けて通れないとは言え・・・。

 

 さて、ロンドンの南東100kmにあるカンタベリーは英国最大の巡礼地で、英国国教会の総本山カンタベリー大聖堂がある。6世紀キリスト教布教でローマから派遣された聖アウグスティヌスが修道院を建てたのがきっかけ。以降2度も火事に見舞われ、現在の壮麗なゴシック様式の建物が完成したのは中世。その間1170年王権と教会の争いで、対立したヘンリー2世の騎士がベケット大司教を刺殺、あの「カンタベリー物語」になった。聖堂内の見どころは、殺害現場の中庭と、礼拝堂にある「聖書の窓」と呼ばれる見事なステンドグラス。

 

                                        ( 懐かしい妻とのツーショット )

  

    −− カンタベリーの大聖堂 −−        リーズ城

 

 カンタベリーから南西へ35kmの所にあるリーズ城は857年創建とイギリスの城の中では最古を誇る。13〜16世紀には王宮として使われ、英国歴代の女王たちが多く住んだ事から、「貴婦人の城」として知られる。城自体はそれほど大きくないが、美しい湖の中にあり、緑豊かな庭園に囲まれてその優美な姿を湖面に映す光景はまるで一幅の絵のよう。この町から約30km南東に行くと、ドーバー海峡に面するドーバーがあり白い石灰層の崖ホワイト・クリフとドーバー城が有名だ。

 

 ドーバーから南西約90kmのヘイスティングズは英国屈指のマリン・リゾート地として知られ、古くは1066年の英仏戦いの舞台で有名だ。特別な見どころは無いが、ヘイスティングズ城跡が残るウェスト・ヒルという丘がおススメだ。ケーブルカーに乗ること5分で、丘の頂上に着く。緑地が広がる丘の上からは、対岸がフランスになる紺碧のドーバ「ー海峡、ヘイスティングズの旧市街や港などが一望でき絶景である。この華やかな港町を離れると、牧場が広がるのどかな田園風景が続き、古い民家が点在する。

 一昔前のイングランドに迷い込んだかのような場所が多く、その代表が約25km北東郊外にあるライ。イギリスで最も美しい町の一つに数えられ、町全体がアンティークの世界から抜け出したような雰囲気が漂う。町の中心となるのは1150年頃築の聖メアリー教会で英国最古の時計が残されており、教会の塔の上からは可愛らしい屋根の家々が建て込む絵のような風景が広がる。また、この教会付近のライオン・ストリートなどの道の両側には、チューダー朝様式の漆喰壁の木造家屋やイタリア流のジョージ朝様式の建物が融合して建ち並ぶ。

 

  

  ヘイスティングズ:  ライ:ライオン・ストリート  ライ:イプラ・タワー

    旧市街を俯瞰

 

 ロンドンの南120kmほど、イギリス海峡に臨む海岸線にあるのが、7つの断崖絶壁セブン・シスターズ。英国有数のウォーキングコースとして人気があるが、現地に到達するまでのアクセスはかなり大変であった。時間節約のためにとロンドンからブライトンまでは鉄道、そこからセブン・シスターズへはタクシーを使った。ブライトンとイーストボーンとのほぼ中間を流れるカックミア川の河口近くで下車し、川の西岸沿いのあぜ道を歩くこと約3km、40分近くでチョーク(白亜)の断崖が見える海岸にやっとたどり着いた。

 途中の路傍で美しい野花を見かけたが、可憐に咲く姿が非常に印象的であった。その海岸からは白い屏風のような断崖が海に迫っているのが良く見えるが、接近して白い断崖を見上げるなら川の東岸沿いの道を行くのがベターだ。高さ200m近くはあろうか、切り立つようにしてそびえ立つ断崖絶壁を間近に見る絶好のポイントがある。カックミア川河口より東へ数km、イーストボーンの南西5kmほどにあるビーチー・ヘッドである。恐る恐る崖の上から見下ろすと、もろいチョークの崖が今にも崩れ落ちそうでスリル満点。

 

             −−− セブン・シスターズ3景 −−−

  

     アクセス道       文字通りの断崖絶壁   危険!強風に吹き

                          飛ばされて落ちそう

 

 なお、次回の英国紀行(その3)はイングランド南西部を紹介のつもりだ。

 

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私ことワールド・トラベラーには下記著書があり、ご関心ある方は是非ご愛読下さい。 

 

書名 出版社 定価
私はワールド・トラベラー
世界257ヵ国・地域を旅した男
 文芸社 1,500円

272の国と地域を制覇した

77歳のワールド・トラベラーは
たった1人で紛争地を旅した

 幻冬舎 1,400円
トラベル・イズ・トラブル 
安全な旅は退屈だ!!

 ルネッサンス・アイ 

1,300円

ワールド・トラベラーだけが知る

素顔のイスラム

イスラム国(IS)やシリア内戦も詳述

 新潮社 1,500円

世界を動かす少数民族

知られざる少数民族の世界から

現代世界の縮図と課題が見えてくる

 幻冬舎 1,350円
トラベル・イズ・トラブル パート2 
楽でない旅こそ最高だ!!
 ルネッサンス・アイ 1,300円

 

 幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。
お問い合わせ:
世界の人形館 TEL 04−7184−4745
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安倍首相、森友学園に絡むアッキード事件で辞任か
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 間もなく傘寿を迎える高齢の身だが、長年サラリーマンをしていた性であろうか、今もなお現役時代の失敗談を夢見ることがある。例えば、取引先との名刺交換だが、夢では自分の名刺を相手側に容易に渡せないのだ。だが昨夜は、まことに奇妙な夢を見た。それは一強と呼ばれて久しい安倍晋三首相が国会で何度も断言した通り、森友学園への国有地売却問題で責任を取った潔い辞任であった。

 いつの世も魑魅魍魎で溢れているのが政界のようだ。まるでバナナの叩き売りをするような不透明な国有地売却問題が発覚してから1ヵ月以上が経つが、真相の解明が進むどころか逆に疑惑は深まる一方である。民意に背を向けるかのように、傲慢とも思える自民・公明両党は頑なに籠池学園理事長などの参考人招致を拒否してきた。

 

 しかし、籠池氏が「安倍首相から妻の昭惠夫人を通じて100万円の寄付を受けた」と爆弾発言したことから急転直下し、3月23日に同氏の証人喚問が行われる。対する首相側は、首相自身はもちろん、妻や事務所なども多額の寄付はしていないと言い切る。両者の言い分が真向から違う以上は、公の場で黒白を付けていただく他ない。大体この種の話は、「火の気のない所に煙りは立たぬ」に落ち着くのではなかろうか?

 公人か私人で物議を醸している昭惠夫人だが、諸外国の例を見てもファーストレディーとして限りなく公人に近いと見るのが妥当であろう。奔放と言われる同夫人が籠池夫人とさかんにメール交信していたのも、首相側と籠池氏側両者の親密ぶりを立証するに足りよう。件の寄付も昭惠夫人は記憶にないとのことだが、第三者から見れば寄付に関与したと疑わざるを得ない。こうした中で森友問題は、ロッキード事件になぞられ「アッキード事件」とも巷間では囁かれている。

 

       

      疑惑の舞台:森友学園が進めていた小学校建設現場

           (ネットより転用・加工)

 

 森友学園問題の火の粉を払うようにして、安倍晋三首相は昨日(3月19日)欧州歴訪に旅立った。ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー4ヵ国を訪問し、ドイツのメルケル首相らと首脳会談をして22日に帰国する。2012年12月に首相に再登板してから4年3ヵ月で52回目の外遊となり、歴代最多となる。訪問国数も歴代首相では最多の66ヵ国に上り、筆者の272ヵ国・地域に遠く及ばないが、ご立派な記録である。

 安倍政権は発足直後から威勢よく、アベノミクス、デフレ脱却、1億総活躍プランなど次々と政策をぶち上げてきた。だが、肝心の実績や成果は皆無に近いと言っても過言ではなかろう。また、ごり押した安保法制を正当化しようと、駆けつけ警護を付与した南スーダンのPKOも近々撤退する。このように大半の案件が中途半端で挫折、と言うより途中で投げ出しており、首相の外遊回数最多が数少ない実績とはお粗末ではないかと思うのだが・・・。

 

 過日自民党は総裁の任期を3期9年としたが、安倍一強ありきの任期延長と受け取らざるを得ない。金ファミリーを神格化し、世襲を続ける独裁国家の北朝鮮と何か似ているようである。今回の魑魅魍魎とした森友問題は、長期政権の腐敗と驕りによる弊害に他ならない。また、この森友学園疑惑は巨悪の氷山の一角とも言われ、他にも「第2の森友事件」と囁かれる加計学園の土地120億円の無償譲渡問題などという火薬庫が今後注目されよう。

 外遊から帰国の翌日、注目の籠池氏の証人喚問が行われる。同氏の過日の爆弾発言が、さらに炸裂するのであろうか?筆者が見た冒頭の夢は本当に正夢になるのであろうか、興味深々である。「私や妻は一切関わっていない。もし関わっていたら、首相も国会議員も辞任する」と啖呵を切る首相だけに、言い逃れしない堂々とした対応を期待したい。前大統領が厳しく裁かれようとしている隣の韓国に比べ、国家を私物化しているのではないかと疑われても安泰である我が日本。どこまでも平和でオメデタイ稀有の国である。

 

(追記)

 籠池理事長への証人喚問が本日午前は参議院、午後は衆議院で行われ、安倍首相から妻の昭惠夫人を通じて100万円の寄付を受けたことを改めて強調した。こうなれば一つしかない真実を明らかにするため、安倍昭恵夫人の証人喚問も不可欠である。早期実現を望みたい(3月23日)。 

 

             ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者ことワールド・トラベラーが館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−    

      

 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
 TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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46年ぶりに国王が来日のサウジアラビアの旅
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الله أكبر 

 神アッラーは偉大なりを日々信奉するイスラムの守護者の国王が来日する。日産1050万バーレルの世界最大級の石油産出量を誇るサウジアラビアの国王が、明日(3月12日)約半世紀ぶりに日本を訪れる。15日まで滞在し、安倍晋三首相とも13日に会談する予定である。今回のサルマン国王(81)の訪日は、1971年のファイサル国王以来46年ぶりのこと。

 因みに、国王と言っても、日本の天皇陛下などのような象徴的なものではない。サウジアラビアはサウード家を国王に戴く政教一致の絶対君主国家で、世界でも数少ない統治王家の名前を国名にする。従い、サルマン国王は大統領も兼ねているような文字通りの実力者であり大富豪でもある。 

 

 中東アラブの産油国の首長の外遊は、超豪勢なことで有名だ。今回も王子と閣僚それぞれ約10人のほかに、王族や企業幹部なども同行し総勢1200人とみられる。お陰で東京都内の高級ホテルの客室は予約で埋まり、移動のための高級ハイヤーが400台も確保されるなど、ちょっとした「サウジ特需」になっているようだ。

 

  サウジアラビアは産油国が多いアラブ諸国の中でも最大の経済規模を誇り、世界でも第20位である。国土面積は世界13位の約215万k屐米本の約6倍)で、人口は約3200万人の大国である。しかし、長引く原油安で財政状況は悪化しており、石油に代わる産業として製造業やサービス業の成長を目論んでいる。 

 (サウジアラビア国旗)

  サウジアラビア・日本の両国首脳会談では「日・サウジ・ビジョン2030」を発表し、海水の淡水化や太陽光発電などで数十件の協力事業を盛り込む。このビジョン2030のサウジ側の推進者が、サルマン国王の七男のムハンマド副皇太子(31)だ。一方、日本側は同国の石油依存か

らの脱オイル改革を支援しながら、ビジネスチャンスの拡大を画策する。

 

 サウジアラビアと言えば、すぐに石油を思い浮かぶ人が多いが、もう一つ忘れてならないのは聖地メッカを擁するイスラム発祥の地であること。私ことワールド・トラベラーは1974年〜1977年に商社マン(三井物産)として隣国のクウェートに駐在したが、ビザ問題や同国が観光の鎖国政策によりサウジ訪問は叶わなかった。

 しかし、1999年11月に経済視察団の一員と称し、業務ビザを取得し入国する特殊なツアーに参加することができた。このツアーの全責任を負うサウジアラビア航空のフライトに搭乗し、首都リヤドの空港に着いた。約2週間にわたる特別な意味を持つ観光旅行の模様を紹介しよう。

 

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   聖地メッカを擁するイスラムの発祥地であるイスラム世界の顔、そして現代は世界有数の石油大国になったが、今もベールに包まれた知られざる沙漠の国をほぼ一周した。サウジアラビア航空便で成田空港から出発し、バンコク経由で首都リヤドの空港に着いた。到着早々成田の数十倍はありそうな世界最大級の規模を持つ、豪華なキング・ハリッド空港に度肝を抜かされた。 

 リヤドや近郊の遺跡などを訪れた後、東部のアラビア湾沿いの町ダーランへ向かい、同地をベースにして国営石油会社やアラビア半島で最も古い町などを訪ねた。その後空路でイエメン国境に近い南部の高原都市アブハへ飛び、サウジアラビア最大の国立公園を観光後、今度はリヤド経由でヨルダン国境に近い北部のタブクへ飛んだ。

 

            (サウジアラビア各地を巡るワールド・トラベラー)

  

リヤド:キング・ファハド ダーラン郊外:世界  アブハ:アシール国立

   ・スタジアム    最大のナツメヤシ林   公園のアルマ博物館前

 

 この後聖地メディナに向け、「アラビアのローレンス」で知られるへジャズ鉄道沿いの砂漠道路を南下した。途中今回の旅のハイライト、およそ2000年前にナパテア人が築いた壮大で美しい岩窟墓遺跡マダイン・サーリをたっぷり見学。その後も南下を続けてイスラム第二の聖地メディナに入り、ドライバーの機転で異教徒は禁止されている神聖なスポットを車窓より眺めることができた。

 最終訪問地は、サウジ最大の街、商都ジェッダであった。到着後は紅海に面した港町の情緒豊かな旧市街などを散策したが、同国の他の町々にはない魅力がある。偶々日本のプロサッカーチーム(ジュビロ磐田)の試合があったので急遽応援に出かけ、中山雅史選手らと面会して激励した。観戦後すぐにバンコク経由で帰国した。

   

    マダイン・サーリ遺跡      メディナ:預言者モスク      リヤド:内務省ビル

 

 さて、ベールを脱いでくれたサウジアラビアは、予期以上に観光資源が豊富な国である。たとえば、絶対に見逃せないものとして、リヤドの充実した博物館と奇抜なデザインの建物、近郊の砂漠で楽しんだ乗馬、サウジアラビアとバーレーンを結ぶ長大な海上大橋、世界最大のナツメヤシ林、イエメンとの国境に近い2500m前後の険しい山岳地帯と独特のストーンハウス、かって巡礼で賑わったであろうヒジャズ鉄道夢の跡、奇岩が多い山々に囲まれ彫られた壮麗にして広大なマダイン・サーリ遺跡、最もアラブらしい雰囲気が漂うジェッダの旧市街と特徴的な出窓などが挙げられる。

 ほかに、枯れた海藻で赤く染まるという名前の由来とは違ってどこまでも青かった紅海、その海に浮かぶ白亜のモスク、アラブ料理ではサウジ風炊き込みご飯「カプサ」を賞味したグルメ、男性ばかりでお色気がなかったが素朴さがかえって良かった民族舞踊なども印象的であった。良き思い出が満載で、期待以上に楽しい旅となった。一方、アルコール類はご法度、女性にアバヤという黒いマントやニカブというスカーフを着用させる服装規定があるなど、敬虔なコーランの国の厳しい制約は、隣国クウェートに在住したことがあり違和感は無かった。

   

   

ダーラン:海上大橋キング・  ジェッダ:旧市街   アブハ近郊:観光村で

  ファハド・コーズウェイ             民族舞踊ショー出演者と

 

 しかし、突然のフライトキャンセル、完成済みと聞かされていた新築ホテルが実は未完成のため強いられた数々の不便、一部のスポットでは写真撮影制限で思う存分撮れなかったことなど、想定外のトラブルに困惑し失望もした。やはりアラブはアラブである。まだまだ観光後進国の実情を認識したが、サウジ旅行の最たる特徴である「異文化体験」を実感する貴重な旅となったのは確かだ。特に紀元前3世紀から紀元後1世紀ごろにアラビア半島を中心に、栄華を極めた隊商民族ナバテア人の古代遺跡マダイン・サーリーは見事というほかなかい。

 北の首都がヨルダンのぺトラ、対する南の首都はマダイン・サーリであったナバテアの壮大な栄華が偲ばれた。荒涼たる砂漠の中に佇む壮麗な古代遺跡は、かの有名なヨルダンのぺトラにも劣らない。巨大な岩山を削って造られた墳墓群の壮大さと美しさは圧倒的で、「呪われた都」の伝説が人々を寄せ付けず、妖しく謎めいた魅力を持つ遺跡だ。これほどのスケールの遺跡なら、他国ならとっくに観光化されるのが普通。だが、この遺跡には遺跡内を一周する遊歩道と説明の看板がぽつんと立つだけで、勿体ないことこの上ない。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

  筆者がクウェート駐在時代からずっと懸念してきた産油国でのポストオイルの件だが、サウジアラビアの将来はどうなるのであろうか? サルマン国王と同年配で間もなく80歳を迎える身として、存命中はやはり本件がいつまでも気掛かりである。

 

               ◇◇◇ お知らせ ◇◇◇

             (筆者の著書紹介)
     
ワールド・トラベラーだけが知る素顔のイスラム

 

            イスラムの本質と変質を分かり易く詳述し、サウジアラビア、

    シリア、イスラム国のことも詳しく紹介するイスラムの手引書

     

  定価本体1,500円+税 最寄りの書店でお買い求め又は注文可能 アマゾンなどインターネットショッピングもできます。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫十分な世界の人形館でお買い求めできます。ご連絡下さい。

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天皇、皇后両陛下ご訪問のベトナムの旅(1)−古都ハノイとフエ
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 世界で南米のチリに次ぎ、南北に細長い国はどこであろうか?それは東南アジアのベトナムであり、天皇、皇后両陛下が一昨日(2月28日)から3月5日までそのベトナムを初めて訪問中である。第二次世界大戦中は旧日本軍が同国を支配した歴史があり、その後の東西冷戦下では国交の無い時代もあったが、今は重要な友好国だ。両陛下はこの後タイに立ち寄り、昨年10月に死去したプミポン前国王の弔問をされる。

 今回の外国訪問は、天皇陛下の即位後20回目である。これで訪問先はアジアや欧米など36ヵ国になる。天皇、皇后両陛下の外国訪問は、政治的な交渉などを行う外交とは一線を画した純粋な国際親善活動と位置づけられ、各国の国民などとの交流を通じて友好関係を築く姿勢を一貫して来られた。最近話題の退位云々の件はさて置き、ご立派と言うほかない。

 

 S字状の天秤棒のような形をしたベトナムの国土面積は日本とほぼ同じだが、南北が実に2,300kmもある。東西は平均で300kmほどしかなく、最も狭い東西幅はわずか50kmに過ぎない。我々日本人にとっては、得意のゲリラ戦を武器にして超大国アメリカを苦しめたベトナム戦争や、豊かな稲作地帯が広がるお米の国というイメ

ハノイの国家主席府の歓迎式典

(ネットより転用・加工)

ージ以外は馴染みが薄いようである。

 

 因みに、1976年に南北ベトナムが統一後、同国は共産党を軸にした社会主義の政治体制を構築し、官僚主義的な分配経済を進めてきた。だが、10年間の社会主義体制下で新しい国づくりが進まず、1986年の第6回ベトナム共産党大会で ー匆饉腟創線の見直し ∋唆叛策の見直し 市場経済導入 す餾欟力への参加を進めるという4つのスローガンが決定され、「ドイモイ(刷新)」という言葉が作られた。

 ドイモイの特徴は、従来型の社会主義(マルクス・レーニン主義)を捨て、新しい国づくりの変化の模索を開始したことである。また、ドイモイ政策の目玉とも言えるのが計画経済から市場経済への転換だ。これによって国営や公営以外の私企業の存在を認めるだけでなく、私有財産についても一部認めることになった。これにより国民のやる気を大いに喚起し、ベトナム経済活性化の最大の原動力となっている。

 

 私ことワールド・トラベラーはベトナムの経済発展が目覚ましくなった1994年9月から2002年12月まで3度も訪れており、南北に細長いベトナム全土をほぼ周遊済みである。今回は両陛下が滞在する首都ハノイと古都フエを紹介する。南部にある同国最大の都市ホーチミンや、多様なベトナムを如実に物語るその他の地方、例えば古都ホイアン、天下の絶景ハロン湾などについては後日としたい。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 ダイナミックなベトナム南部の大都市ホーチミンと対照的に、1760kmも北に位置するハノイは落ち着きのある古都で人口は約450万人。11〜13世紀の李朝の都になった街には、由緒ある寺も多い。ベトナム有数の川・ホン川(紅河)の右岸にあり、この川の近くにあるのがホアンキエム湖 で街のほぼ中心にある。度々ホン川の氾濫でできた湖は、かつて川とも繋がっていた。

 湖の北岸近くにある島では、18世紀に建てられた玉山祠が建っている。岸から赤く塗装された木製の太鼓橋・フク橋を渡ると、島に着く。そこでは文学の神スオン王や、13世紀モンゴルの侵略を撃退し活躍したチャンフンダオなどが祭られている。また、湖の中央に浮かぶ小島には亀の塔が建つ。湖の北側は古い家並みが続く旧市街になっており、一帯はハノイ36通りと呼ばれて様々な店が並ぶ。

  

     ホアンキエム湖       玉山祠       文廟前に立つ筆者

 

 ホアンキエム湖から西へ約2km行くと、1070年建立の文廟(孔子廟)がある。1076年には国内初の大学・国子監が敷地内に置かれ、王族と貴族の子弟や官僚が学んだ。学問にご利益のある場所として、観光客だけでなく多くのベトナム人が訪れる。必見はハノイの象徴の一つになっており、19世紀の阮(グエン)朝時代に出来た奎文閣の池の両側に、82の石碑がずらりと並ぶ。昔の官僚登用試験、科挙の合格者の名前と出身地が刻まれた石碑が、石造りの亀の上に乗っている。

 文廟から1kmほど北上すると、一柱寺がある。李王朝時代の11世紀に建てられた小さな寺は一本柱で支えられ、池に浮かぶ蓮の花のようと形容される。そのユニークな外観からフランス統治時代の建物と並び、ハノイを代表する歴史建造物として有名だ。李朝の王が世継ぎに恵まれていなかった頃、蓮の上で子供を抱いた観音菩薩の夢を見て待望の子供を授かったとされ、王が謝恩にと建てた由。子宝に恵まれるご利益を祈願する人々で賑わう。

 

  

   文廟の奎文閣       一柱寺    ホー・チ・ミン博物館 

 

 一柱寺の南側には、1990年に建てられたホー・チ・ミン博物館がある。ベトナム人指導者の故ホー・チ・ミン主席および外国の支配に抵抗するベトナムの革命闘争に捧げられた博物館で、主席の遺品や革命の歴史などを展示している。一方、北側には1975年に建てられたホー・チ・ミン廟がある。総大理石造りの堂々たる建物がひときわ目立ち、廟内には主席の遺体が安置されている。

 ほかに、ベトナム名物として有名なタンロン水上人形劇場が、ホアンキエム湖の玉山祠の近くにある。会場はホーチミンのような屋外ではなく屋内で、水をはったステージが設置され華やかなショーを堪能した。またグルメでは、ハノイが本場と言われるベトナム風うどんの米麺、フォーに舌鼓を打った。特に鶏がらスープに鶏肉が入ったフォーガーが格別に美味く、ハノイ滞在中は毎日食べたほどだ。

 

  

  ホー・チ・ミン廟     水上人形劇       フォーガー

 

 次にフエだが、ハノイの南およそ700kmにあり、ベトナム最後王朝、グエン朝(1802年〜1945年)の都であった。町はフォン川を挟んで北側の旧市街と南側の新市街に分かれるが、見どころは旧市街が多い。新市街から橋を渡って旧市街に入ると、先ず目に入るのが高さ約30mのフラッグタワーである。この後ろに阮(グエン)朝王宮があり、一辺が2.2kmの方形で、高さ6.6m、幅21mもある堅固な城壁に囲まれ、その外には濠が掘られている。

 先ず、入口になっている王宮門から入ると、右側にザーロン帝時代の1804年に造られた大砲がある。入門後すぐに門の上に上がり見渡すと王宮全体の概要が良く分かる。特に目立つのが正面にある大きな赤い屋根の大和殿で、中国の紫禁城を模しているが規模はずっと小さい。大和殿の左には、阮朝の菩提寺である顕臨閣がある。王宮の見学を終えてフォン川に架かるチャンティエン橋に向かうと、そばに賑わいを見せるドンバ市場がある。

 

       −− フエを散策するワールド・トラベラー −−

  

     阮朝王宮の王宮門     王宮門前       ウォック・ホック高校

 

 橋を渡って新市街に戻り訪れたのがホー・チ・ミンも通ったクオック・ホックという高校。男女の高校生たちに出会ったが、女性の制服はきれいなアオザイであった。古都の情緒を盛り上げるフォン川遊覧は、川の流れがゆったりとしているためか時が止まったかのような錯覚に陥った。この遊覧で見かけたのがティエンムー寺で、高さ21mほどの7層八角形の塔が川面に映す姿が美しい。ほかに、約4km南郊外には別荘風のトゥドゥック廟、12km南郊外には中国風のミンマン帝廟がある。

 古都フエで最も忘れ難いのは、フォンザンホテルのレストランで煌びやかな宮廷衣装を着て宮廷音楽を聴きながら、名物の宮廷料理を賞味したことだ。阮朝時代にタイムスリップしたかのような気分になった。阮朝時代の皇帝や皇族が食べていた料理は「宮廷料理」と呼ばれ、現在では高級料理の一つとしてベトナム人や外国人観光客から親しまれている。日本料理と似た点があり、見た目の飾りつけがポイントとされる。

 

  

フォン川とティエンムー寺  宮廷衣装を着る筆者  飾付が美しい宮廷料理 

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 天皇、皇后両陛下がご高齢だけに、旅の安寧を祈念するのみである。

 

 

                ◇◇◇ お知らせ ◇◇◇

         (ワールド・トラベラーの著書紹介)
           
世界を動かす少数民族


 超大国アメリカの真の実力者は誰か?台頭著しい中国を支える東南アジア経済界の覇者は誰か?イスラム国に敢然と立ち向かう勇者は誰か?ベトナムの少数民族も詳述し、少数民族から現代世界の縮図と課題が克明に分かる。詳しくは好評発売中の『世界を動かす少数民族(幻冬舎)』をご購読下さい。定価本体1,350円+税

    

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