世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
トランプ大統領が首都と認定したエルサレムの想い出
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 3つの宗教の聖地が集中する都市をご存知であろうか? 火種の絶えない中東で一時は猛威を振るったイスラム国(IS)がやっと崩壊したのも束の間、今度は宗教対立という新たな火種ができた。それは一昨日(12月6日)アメリカのトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定し、大使館を現在のテルアビブから移転することを決めたのである。昨年の大統領選での公約を順守することで、支持基盤の親イスラエル系の保守勢力などをつなぎ留めたい国内向けの政治判断が強いとの由。

 在イスラエル米国大使館の移転はクリントン政権下の1995年に制定の米国内法で義務付けられて入るが、歴代大統領は中東の安全保障への影響に配慮し、半年ごとに移転判断を先延ばしする大統領令に署名してきた。しかし、トランプ大統領の娘婿でユダヤ教徒でもあるクシュナー大統領上級顧問が取り組んでいる中東和平交渉を軌道に乗せるため、同大統領は一度は表明した「移転の先延ばし」を撤回してエルサレムの首都認定という「パンドラの箱」を開けてしまったようだ。 

  トランプ政権は「過去22年間、米国が大使館の移転を自制したにもかかわらず中東和平は進展しなかった」と述べ、今回の措置は中東和平の行方には影響しないと主張する。また、パレスチナ自治政府が将来の首都と位置づける 東エルサレムについては

 「パレスチナの支配地域だ」と述べ、エルサレム全体がイスラエルの首都だとするイスラエル政府の立場を追認したわけではないと釈明する。さらに、最近はアラブ諸国がイスラエルへの接近姿勢を強める中、今回の措置をアラブ諸国が受け入れ、自治政府も結果として追認するとの計算もあったとみられる。


 だが、現実には身内のティラーソン国務長官やマティス国防長官が懸念していた通り、即座に中東各地で反発が噴出し、クシュナー氏が主導する中東和平交渉は頓挫する公算が大との見方が強まっている。また、アメリカの情報機関も今回の措置がパレスチナやイスラム過激派による反イスラエル闘争に火をつける可能性が大きいほか、中東での米国権益がテロ攻撃の標的にされかねないとの情勢分析を強めているとか。国際社会もパレスチナ自治区をはじめとする中東諸国はもちろん欧州もこぞって反対しており、北朝鮮までが批判する始末だ。

 

 ここで中東通でない限り理解しがたいエルサレムにつき纏めてみよう。イスラエルは1948年の第一次中東戦争で西エルサレム、1967年の第三次中東戦争で東エルサレムを占領して市全体を同国の首都として宣言したが、国際的に認められていない。と言うのは、1948年にイスラエルが建国宣言すると、当時住んでいた多数のパレスチナ人が難民になった。彼らはイスラム教徒が多く、東エルサレムを将来の独立国家の首都と主張する。国際社会もアメリカの歴代政権も、「エルサレムの地位はイスラエルとパレスチナの和平交渉で決めるべき」としてきた。このため各国はテルアビブを事実上の首都とみなし大使館を置く。

 因みに、エルサレムの約1km四方の壁に囲まれた旧市街には、古代ユダヤ王国の神殿の一部とされる嘆きの壁、キリストの墓と言われる場所に建てられた聖墳墓教会、イスラム教の預言者ムハンマドが昇天したとされる岩のドームがある。要するに狭い場所にユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地が混在するのだ。もし、アメリカがエルサレムを最終的に首都として認め大使館を移転すると、特に聖地を大切にするイスラム教徒の反発を招き、ひいては中東全体を混沌化し不安定にする懸念が大であるからだ。

 

             −−− 嘆きの壁での2人 −−−

  

     トランプ大統領       ワールド・トラベラー

   (ネットより転用・加工)

 

 斯様に複雑な街エルサレムを私こワールド・トラベラーは1994年12月に訪れており、その時の模様は2017年 1月 24日付け幣ブログ「 トランプ大統領ゆかりのユダヤ教の国、イスラエルの旅 」で述べている。一部重複するかも知れないが、今一度エルサレムはどんな都市か紹介しよう。

 

 神の名の下に4000年の昔から民族の興亡を賭けて数え切れない戦いの舞台となる歴史を刻んで来た街は、標高790mの小高い丘の上に位置し、丘と坂が多く変化に富む。見どころが多い旧市街の東にある、ケデロンの谷上にあるのがオリーブ山である。標高825mの丘はユダヤ教徒にとっては聖地巡礼の最終ゴールであり、ここからエルサレムの街並みがばっちり見下ろせる。なだらかないくつもの丘にまたがり、その斜面に薄いベージュのエルサレム石で統一された建物がびっしり建つ。

 訪れたのは朝日が出て間もなくで、街全体が神秘的に輝くような中で、ひときわ目立つのが黄金色が眩い岩のドーム。預言者ムハンマドが天馬に乗り昇天したと伝えられる聖なる岩の上に建ち、預言者の足跡も残る。このドームはユダヤ教も、ダビデ王と神との契約が収められた箱を祀った場所として譲らない。後ほど岩のドームに行き見学し、黄金色のドームを支える八面体の建物のブルータイルの美しさに見惚れたが、ドーム全体の写真を撮るならオリーブ山の方が一押しだ

 

  

  オリーブ山より旧市街を望む筆者 嘆きの壁(手前)と岩のドーム(後方)

 

 岩のドームが建つ神殿の丘は古くはソロモンの神殿があった場所とされ、ユダヤ・イスラム・キリストの3宗教の聖地になっている。岩のドームと共にイスラム教徒にとって重要なのが、銀色のドームを持つアル・アクサー寺院だ。ムハンマドが神と共に夜空を旅した地とされる。この丘を囲む西側の外壁が、ユダヤ民族の永遠の故郷と有名な嘆きの壁である。壁の前で正装姿で聖書を読む人や、壁に顔を押し付けるように祈る人など熱心な信者が絶えない。この壁がある広場で壁の上を見ると、岩のドームが黄金色に輝いていた。

  この嘆きの壁から西北へ600mほど、キリストが十字架の刑場へ最期の道を歩んだヴィア・ドロローサ(苦難の道)進むと、キリスト教徒にとり重要な聖墳墓教会がある。新約聖書には、弟子のユダに裏切られたイエス・キリストが十字架に磔にされたと書かれている場所だ。現在この教会はカトリック教会、アルメニ使徒教会、東方正教会、シリア正教会、コプト正教会の教派により共同管理されており、一日中それぞれ何らかの教派によるなどの祈祷が行われている。

  

神殿の丘、中央に岩のドーム ヴィア・ドロローサ   聖墳墓教会 

 手前がアル・アクサー寺院

 

 我々日本人は一般的に宗教に無関心だが、外国、特にイスラム教やユダヤ教などを信仰する教徒にとっては、宗教は日常生活のベースになっている。それだけに宗教対立は国家間の争いにまでなることが往々にしてあり、その点では我が日本は天下泰平の平和な国と言えよう。 

 

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「世界の人形館」の近況−多様な来館者を迎えて
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 「光陰矢の如し」の通り、今年もあと僅か1か月を切った。筆者が無料公開しているプライベート・ミュージアム「世界の人形館」も、オープンして9年近くになる。当館の実情は1年前の2016年12月4日付け幣ブログ『「世界の人形館」の現況と行く末 』で詳述しているが、近況は昨年と大差が無い。

 つまり、今も入院中で且つ終末期を迎えている妻のことを想うと、積極的に来館者を受け入れる気持ちになり難く、またその体制にもなっていない。往時の盛況ぶりに比べれば、閑古鳥が鳴き開店休業の侘しい趣だ。だが、どうしてもと頼まれれば、万難を排してでも見学を引き受けるように努めている。

 

 例えば、最近(11月24日)も昨年と同様に、我孫子市立我孫子第三小学校の4年生の子供たちと保護者の計9名が来館した。見学の主目的は、前回と同じく総合的な学習「ぼく・わたしの我孫子自慢」の調査である。しかし、受け入れる当方の状況は全く異なり、最近手術した前立腺肥大の予後が思わしくなく、閉尿と頻尿を繰り返す始末。

 入院の1か月ほど前から予約が入っていたが、運悪く再入院直後に子供たちの見学が重なってしまった。滅多にない大ピンチに瀕した訳だが、病院の担当医に事情を説明し、特別許可を得て3時間ほど外出して人形館に戻った。子供たちの夢を壊さず、彼らとの約束をなんとか果たした後はすぐに病室に引き返した。それはまさに綱渡りをするような、ギリギリの対応であった。

 

       

          我孫子第三小学校の子供らと仲良く

 

 さて、いずれも聡明そうな7人の子供たちから矢継ぎ早に熱心な質問が出たが、声が小さいのが少々気懸りであった。そこで差し出がましいとは思ったが、彼らにもう少し大きな声を出すよう促した。その序に英語などの外国語会話上達のコツは、先ず母国語の日本語をハッキリと発音するのが望ましいとアドバイスした。

 一方、単に世界の民俗人形などの展示品を観るだけでなく、世界の様々なことを知り見聞を広めようとの子供たちの意欲は旺盛であった。記帳してもらったコメントで多かったのは、人形以外にも多岐にわたる展示品があるのに驚き、特に紙幣やコイン・地球儀・仮面・万華鏡・絵画・螺鈿・絵皿が印象に残ったようだ。

 

 また、一昨日(11月30日)は久しぶりに外国人の珍客があった。タヘルさんと言うパキスタン人で、東京の東麻布で手織りペルシャ絨毯などの商売をしている物静かな御仁である。筆者の友人である東京在住の著名なクロスステッチ刺繍家、星野真弓さんに案内して頂き来館したが、長らくご無沙汰していた英語と少々のウルドゥー語(パキスタンの国語)を駆使して会話が弾んだ。

 

     

                       中央がタヘルさん、その右が星野真弓さん

 

 同氏は2011年3月11日の東日本大震災の被災者を支援する社会貢献を通じ、彼女と知り合った篤志家と聞く。被災者の自立支援を主目的とする活動を続ける一般財団法人、連帯 東北・西南の評議員をしており、大震災直後から宮城県に入って支援活動を続けているとか。一般的に平和ボケしている我々日本人も見習うことを教えられた、貴重な同氏との出会いであった。

 

 生来元気者と言われてきた筆者だが、傘寿を過ぎると体力的にも衰えを感じ、妻不在の長期の独居生活が孤独感を増幅させる。加えて、親の(己の)教育が悪かったのであろう、恥ずかしながら2人の息子をはじめ身内のアプローチもほとんど無い。その救いとなっているのが、今もなお世界の人形館を訪ねて来る見学者かも知れない。誠に有難い次第だ。

 たとえ体調が少々悪くても、或いは妻の見舞い・介護、家事などで多忙であっても、命ある限り来館者の受け入れを続けたいと念じている。ささやかではあるが世界の人形館という舞台を通し、我が日本のグローバル化推進の一助になりたいとの想いがある限り・・・。

 

 最後に、上記2件の来訪者を迎えて種々お手伝いして頂いたのが、常日頃お世話になっている澤田愛子元我孫子市議会議長(上掲写真2葉の左から2番目)である。この場を借りて謝意を表したい。

 

後記

  本日我孫子第三小学校の子供たちより、丁寧なお礼状を頂いた。いずれもシッカリとした字で書いており、世界を見据え心温まる文面で、筆者にとり宝物のようなものである。来年の3学期に発表会があるそうでだが、是非出かけてみたいものだ。7通の中から2通を抜粋して紹介しよう。我孫子第三小学校の子供たちよ、有難う!世界に羽ばたけ!

(12月7日)

 

   

 

               ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇ 

 

           ★★★ 展示会 『 美と癒しの世界 』  ☆☆☆

 

 筆者が運営しているプライベート・ミュージアム「世界の人形館」の見学者は実に多彩です。過日渡仏しフランス・パリ美術展で受賞した星野真弓さんもその一人。彼女がタヘルさんと共同企画する展示会が、東京・銀座で近々開催されますのでご案内します。

 因みに、世界の人形館はこの素晴らしい展示会の趣旨に賛同し後援します。当館の照明などの所蔵品も展示され、会場に彩を添えるでしょう。向寒の折柄ですがご来場の上、繊細で歴史あるペルシャ絨毯と、幻想的な刺繍画の美しいコラボレーションをお楽しみ下さい。

 

        

 

日時: 2017年12月12日(水)〜17日(日) 11:30〜18:30

    但し、初日の12日は13:00よりオープン、

    最終日の17日は16:30閉場    
場所:銀座扶桑ギャラリー(東京都中央区銀座1−7−16 扶桑ビル1F)

   TEL・FAX 03−3561−7908 
アクセス:東京メトロ有楽町線「銀座1丁目駅」6番出口より徒歩1分

     銀座線「銀座駅」A13番出口より徒歩5分

     中央通りから1本有楽町寄りのガス灯通り

 

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ムガベ大統領辞任で国民が歓喜するジンバブエの想い出
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 冒頭に私事で誠に恐縮だが、最近気掛かりで仕様が無いことが2つある。1つはこのブログで度々取り上げている終末期を迎えている妻の病状であり、もう1つは今月初めに80歳の人生で初めて入院・手術した前立腺肥大である。その予後が思わしくなく、入退院を度々繰り返していることだ。病院の担当医を信じ、気長く治療に専念する他あるまい。

 

 さて、我が国では必ずしも知名度高くはないが、欧米では「世界最悪の独裁者」として知られるのが、南部アフリカのジンバブエのロバート・ムガベ大統領である。御年がなんと93歳、37年間の長きにわたり独裁者として君臨してきた大統領が、ついに一昨日(11月21日)辞任した。その高齢で最高権力者の地位に長くあることが、腐敗し歪んだジンバブエ政治を象徴していると言えよう。近年は悪評だらけの独裁者と酷評されるムガベ氏だが、かつては多くのジンバブエ国民にとって英雄であり、欧米諸国との関係も良好であった。

 因みに、ジンバブエは19世紀に入植した英国系白人の子孫が支配し1923年に英国の植民地になった後、1965年に少数派の白人がローデシアとして独立した。しかし、1960年代から白人支配に抵抗する黒人ゲリラ組織、ジンバブエ・アフリカ民族同盟・愛国戦線(ZANU-PF)が台頭し、そのリーダーがムガベ氏であった。白人政権とZANU-PFは最終的に、英国政府が仲介して1979年に和平合意し、1980年にジンバブエとして英国から独立した。首相に就任したムガベ氏独立後に欧米諸国との友好関係を確立する一方、国内的には黒人と白人の共存を模索した。

 

 当時のジンバブエは、人口の1%にすぎない白人入植者の子孫が耕作可能な土地の約半分を所有していた。このいびつな社会構造を解消するため政府は希望する白人地主から土地を買い上げ、黒人に配分する政策を実施した。1987年にムガベ氏は大統領に就任し政治や社会の安定をベースにした経済成長は「ジンバブエの奇跡」と呼ばれ、欧米諸国からも高く評価された。しかし、1990年代の末頃から、同大統領には権力の私物化が目につくようになった。例えば、40歳以上も若い妻のグレース夫人による、海外の高級ブランドショップでの爆買いだ。また最近では、妻を副大統領に指名しようとした。

 

   

   大統領を辞任したムガベ氏  天文学的な数字の100兆ジンバブエ・ドル

 (ネットより転用・加工済)

 

 また、2000年に白人の財産を保障なしに没収する法案を議会が可決し、個人の私有財産の侵害という人権問題に欧米は強く反発し、多くの国が経済制裁を科した。その後経済状況は悪化し、膨らんだ財政赤字を解消するため通貨ジンバブエ・ドルを乱発した結果、2009年には2億3千万パーセント以上のハイパーインフレが発生した。100円の缶ジュースが700億円に暴騰する始末で、ジンバブエ・ドルの発行が停止された。だが、ムガベ氏は経済崩壊の責任は自らの失政ではなく、欧米の経済制裁を口実にし欧米諸国との対立は益々深まった。

 

 このような背景のもと反旗を翻したのが軍で政権中枢を掌握し、新大統領には前副大統領であったムナンガグワ氏が就任する。独立の英雄が長期支配の間に強権政治を進めたため独裁者と批判され、挙句の果てはZANU-PFがムガベ大統領の党首解任を決め大統領の座を追われた訳だが、「一強他弱」が続き長期政権を目論むどこかの国の領袖も他人事ではなかろう。筆者はそんな政変劇があったジンバブエを1994年7月と1999年2月に訪れており、その旅の模様を紹介しよう。

 

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  ジンバブエはアフリカ南部にあり、ザンビア・南アフリカ・モザンビーク・ボツワナに囲まれた内陸国である。面積は日本より少し広い39万k嵳召世、人口は我が国の9分の1の約1450万人に過ぎない。綿花やタバコなどの農業が盛んで、金・ダイヤモンド・プラチナなどの鉱物資源にも恵まれている。経済制裁を科す欧米に対し、経済的結び付きを強化して接近するのが中国である。

 見どころは、なんと言ってもザンビアとの国境にあるビクトリアの滝であろう。南米のイグアス滝、北米のナイアガラ滝と共に世界三大瀑布に数えられ、最大幅は約1700m、最大落差は108mもある。1855年イギリス人探検家デビッド・リビングストン によって発見され、現地名はモシ・オ・トゥニャと言う。「雷鳴の轟く水煙」の意味で、見ごろの時期は水量の多い3月〜7月。

 

  

                ビクトリアの滝                  ビクトリアの滝を背にする筆者

 

 滝の全景はジンバブエから見た方が迫力あるが、ザンビア側では中州まで歩いて行け滝壷を眺めることができる。大地の割れ目に落ちる「水のカーテン」と、轟音と共に150m以上も舞い上がる水煙が圧巻だ。また、水煙の中に綺麗な虹がかかり幻想的で、大自然の営みの素晴らしさを肌で感じることができる。一方、緑濃いザンベジ川をゆったりと下るサンセット・クルーズは、夕日に染まる大河の時が止まったかのような悠久の流れに身を任せるような情緒に浸れ、至福のひと時を満喫した。

 

 標高1484mの高原に位置し、人口が200万人を超える近代的な首都ハラレは、南ローデシア時代はソールスベリーと呼ばれた。英国風の街並が美しい高原都市は、夏でも平均気温は20度程度と涼しい。意外と思えるくらい近代的な高層建築物が建つハラレ市内のパノラマを楽しむなら、ザ・コピーという丘が最適だ。オランダ語で「丘」を意味し、ハラレ発祥の地である。ジンバブエ紙幣のデザインになっているチレンバ・バランシング・ロックは、東郊外のエプワース にあり、微妙なバランスを保つ3つの団子状の岩などが見どころ。

 

   

     コピーの丘よりハラレ市内を望む  チレンバ・バランシング・ロック

 

 一方、ハラレの南約310kmの山中にあるジンバブエ大遺跡は黄金伝説を生み、11〜18世紀に栄えた黒人王国、モノマタバ王国時代の独特な石造建築遺跡である。ジンバブエとはショナ族の言葉で「石の家」という意味で、国名はこの遺跡に因んでいる。 丘の上にある高さ120mの精巧な石壁がめぐらされたアクロポリス神殿、50ジンバブエ・ドル紙幣のデザインになっている円錐塔、住居跡であった谷の遺構、ショナ族の文化村ショナ・ビレッジなどがあるが、特に見逃せないのが周囲240mの巨大な囲構エンクロージャーだ。

 

    

        ジンバブエ大遺跡を俯瞰       囲構エンクロージャー

 

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                   ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者が館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

    −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−

  

 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp 

 

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パラダイス文書の主な流出元があるバミューダ諸島の旅
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 タックスヘイブン、つまり租税回避地については、幣ブログで度々取り上げている。例えば、

◎2012年3月4日付『天国に近いケイマン諸島−タックスヘイブンの裏表

◎2013年2月12日付『資産家夫妻殺害事件簿:ファンドマネージャーとタックスヘイブン

◎2016年4月6日付『パナマ文書で騒然のタックス・ヘイブンとパナマの旅』などである。

 そのタックスヘイブンを覆うベールがまた取り払われようとしている。それは南ドイツ新聞と国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が入手した、新たな疑惑の鉱脈とも言うべきパラダイス文書だ。

 

 まるでいくら掘っても掘っても付きそうもない無尽蔵の鉱脈か、或いは底なしの泥沼と言った様相で世界中に大きな波紋が広がっている。文書数は約1340万件と史上最大のリークと呼ばれた昨年のパナマ文書と比べると、190万件多いとか。その内訳は

バミューダ諸島などにある大手法律事務所アップルビー(上の写真はバミューダ諸島のハミルトンにある事務所)の内部文書が683万件、シンガポールの法人設立サービス会社「アジアシティ」の内部文書56万6000件、マルタなど19の国・地域の登記文書604万件だ。

 

 パラダイス文書に掲載された各国の政治家・君主らセレブの名前は47ヵ国の127人で、著名人が多い。例えば、イギリスのエリザベス女王、カナダのトルドー首相、アフリカ・リベリアのサーリーフ大統領、コロンビアのサントス大統領、日本の鳩山元首相、パキスタンのアジズ元首相、カタールの元首長や元首相、ヨルダンのヌール王妃、アメリカのロス商務長官、ブラジルのメイレレス財務相、アメリカの投資家ソロス氏、ローマカトリック教会の神父、歌手のマドンナなどである。ほかに、アップルやナイキなど有名な多国籍企業の名前もある。

 

 今回のパラダイス文書の主な流出元は、イギリス領のバミューダ諸島など世界10ヵ所に事務所を持ち、タックスヘイブンの法人設立や口座開設をサポートして来た大手法律事務所「アップルビー」である。同社のオフィスがあるバミューダ諸島を筆者は2012年9月に訪れており、その旅の模様を紹介しよう。

 

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 バミューダと言えばショーツぐらいで、知っている人は少ないであろう。分かり易く説明すれば、次の通りである。

大西洋に浮かぶ諸島で、面積は東京都・三宅島とほぼ同じ53k屐⊃邑は約7万人。イギリス領の島だが、地理的に米国に近いためかアメリカナイズされている。

「バミューダショーツ」といわれる短パンとロングソックスは島の正装で、ビジネスでも問題ない。

タックス・ヘイブンの島であるため、保険、資産運用をはじめ様々な会社が狭い島内に存在する。

バミューダドルと米ドルが等価のため米ドルがそのまま使える。

物価やホテル代は非常に高く、2005年には1人当たりのGDPが76403ドルとなり世界最高を記録。

常夏のイメージが強いが暑いのは6月〜9月で,2月頃の冬の海は泳げるような気温ではない。

人種構成は黒人40%、白人40%。因みに、白人は英国系とポルトガル系が占めるが、経済的な実権を握るのはポルトガル系と言われる。

 因みに、「バミューダ・トライアングル」と言うホラ話があるらしい。バミューダ、プエルト・リコ、フロリダを結ぶ三角形の海域は「魔のバミューダ海域」と呼ばれている。この海域では、船や航空機が何の痕跡も残さずに消失す

ることで世界的に有名だ。しかし、ハリケーン以外は別に危険な海域ではなく、伝説は100年以上も解けることなく謎のままである。

 

 小さな諸島だが、見どころは意外に多い。先ず首都のハミルトンの人口は約1万4000人と聞くが、町の規模はこの数字よりも大きい感じだ。町の中心は銀行やタックス・ヘイヴンなどの金融業などの建物が並び、ビジネス客に加え観光客も多いため活気がある。パステルカラーに塗られた家々や建造物が多く美しい町並みを眺望するなら、町の東外れの高台にあるハミルトン砦がおススメ。砦からは真っ白な屋根の建物と、青い内海(ハミルトン・ハーバー)のコントラストが見事だ。フロント・ストリート は町の中心にあるカラフルな建物が並ぶ繁華街で、免税店が数多くあるため多くの観光客で賑わう。

 また、小さな町だが、歴史的建造物が数多く残る歴史ある町だ。その代表は1969年に建てられた三位一体大聖堂 で、ローマ法王パウロ6世が訪れた事がある。堂々たるネオ・ゴシック様式はひときわ人目を引き、内部は14人の使徒が並ぶ説教壇やステンドグラスが見どころ。カテドラルから約100m西へ進むとシティホール&アートセンターがあり、フロント・ストリートに面するフェリー・ターミナルからの眺めも捨てがたいものがある。ほかに、見逃せないのが、1927年築のセント・テレサス・カテドラルだ。

 

                             −−− ハミルトン −−−

    

  フロント・ストリート  セント・テレサス・   ハミルトン砦

             カテドラルと筆者

 

 一方、セント・ジョージは1815年ハミルトンに遷都まで、バミューダの首都として繁栄した。17世紀からの古い建物が残り、当時の面影を今も残す古都である。町の中心は港近くのキングス広場。広場の東側にはタウン・ホール、港に面した南側には大砲が置かれている。広場から南へ橋を渡るとオーデネンス島がある。島には1609年に上陸したイギリスの移住船隊のソマーズ船長の銅像と当時の船を再現したデリバランス号が置かれている。この島からの町並みとセント−・ジョージ・ハーバーの眺めが素晴らしい。

 広場から約200m北上すると、セント・ピーターズ教会 がある。1612年に最初に建てられた教会は西半球では最古の英国国教会と言われる。100年後にハリケーンで倒壊したが、その後現在の清楚な建物に再建された。広場から北へ約20分歩くと、大西洋に面した美しいビーチ、タバコ・ビーチ に出る。砂浜と岩場が隣り合うビーチでは、地元民の家族連れの海水浴客で賑わっていた。このビーチは案内してくれたのが、セント・ジョージの寿司店で働く日本人板前の洲鎌さん。親切で感じの良い青年で、このような若者が増えると日本の将来は明るいと思った。

 

    ハミルトン       −−− セント・ジョージ −−−

  

  三位一体大聖堂   オーデネンス島を散策    オーデネンス島と

                         デリバランス号

 

 ほかにバミューダ諸島内の見どころとして、バミューダ島の西部にあるギブス・ヒル灯台が一押しだ。複雑な地形をした諸島全体の感じを掴み、バミューダが持つ自然の魅力も実感できる。1846年に建てられた灯台の185の階段を息も絶え絶えになって上り切ると、眼下に360度のパノラマが広がる。真っ白な屋根の建物や濃淡のある外海(大西洋)と内海(ラグーン)のコントラストなど、言葉を失うほど美しく筆舌に尽くしがたい。バミューダには白砂のビーチは意外に少ないが、バミューダ島の サウス・ロード沿いの南岸サウスショーには美しいビーチがいくつかある。

 諸島の西端にある北アイルランド島のロイヤル・ネイバル・ドックヤード一帯も見逃せないエリアである。かって造船所であったが、アメリカに近いこともあり、英国は海軍の基地と要塞を建設した。1809年に始め、20世紀の初めまで工事が続いた。造船所の一部はその後ショッピングモールやレストランなどになっており、訪れる観光客などで賑わっていた。また、ドックヤードの先端に建つコミッショナーズ・ハウスにはバミューダ海洋博物館があり、数多くの展示品の中でもコイン・コレクション部屋が興味深かった。

 

   

 セント・ジョージ付近を ギブス・ヒル灯台   サウスショーのココ

  航行するクルーズ船             リーフ・ビーチで泳ぐ

 

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  世界的なタックスヘイブンは何故か知らぬがイギリス領の島が多い。私ことワールド・トラベラーはマン島や英領ヴァージン諸島なども訪れており、いずれ近い内に紹介したいと考えている。乞うご期待を!

 

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80歳にして人生初の入院と手術
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 幣ブログの前号(10月21日付け)で予告した通り、今月1日から9日間も入院していた。頻尿が苦痛の前立腺肥大の手術を受けるためだが、80年の人生で初めての入院は他人から珍しいのではと言われる。手術と言えば数年前の白内障があるが、日帰りで入院しなかった。また、戦前の国民小学校時代に学童疎開した徳島市で蓄膿の手術を受けたが、定かではないが確か日帰りだったと記憶している。たとえ入院であったとしても、1泊程度ではと・・・。 

 因みに、当初は1週間の入院予定であったが、2日遅れに加え完治していない条件付きの退院を強いられた。理由は前立腺肥大の手術そのものは成功したものの、膀胱の機能が弱いため肝心のおしっこが出ないのだ。そのため(人工)尿管を付けたまま退院して自宅療養することにしたが、暫くは通院が必要な見通しである。認知症で終末期を迎えている妻を案じるあまり入院・手術をずっと見合わせてきたのが、結果的には遅過ぎて機を逸したかも知れない。しかし、今更ぼやいても得るものは無く、時間を掛けてでも全治を目指し前向きに頑張る他あるまい。

 

 生来じっとしていられない性格だけに9日間の入院生活は実に退屈で、しかも苦痛すら伴うものであった。2年半も寝たきりの入院生活を送っている妻の心境や如何にと想うと、それは残酷という言葉以外は見出せず切なくなる。斯かることを想定して本を5冊ほど病室に持ち込み読書に勤しんだが、すっきりとした心境になるには程遠かった。だが、単調になりがちなルーティンを救ってくれたのが、多用にも拘わらず訪れて頂いた多数の見舞客である。中には独居生活を送っている筆者を気遣い、入院時に車で病院まで送ってくれたり、また連日見舞いに来て励まして頂いた方もいた。

 私事で誠に恐縮だが2人の実の息子たちがいながら、不徳の致す故か見放された感があっただけに、人の情けを有難く感じた次第だ。「情けは人の為ならず」を実感したわけだが、人に対して損得を抜きにして情けを掛けておけば,巡り巡って自分に良い報いが返ってくることを知らされた有意義な初入院でもあった。また、普段あまり気にも留めなかった健康の有難みを噛みしめながら、条件付きの退院に対しリハビリに懸命である。この機を活かして80年の人生をリセットし、最近話題になっている人生100年時代に備えたいものだ。

 

 さて、入院と言えば、私ことワールド・トラベラーにも外国で忘れ得ぬ想い出が2つある。共に一旦は入院しかけたのだが、結局はその日に退院したのである。その一は、2004年6月下旬から1ヵ月余りアメリカをほぼ一周する長旅であった。後半の7月中旬には中西部を巡り、ラピッドシティからミネアポリスに向かうフライトの機内でトラブルが発生した。それまでに蓄積された疲労か、或いは厳しい保安検査のストレスか、吐いた上に下痢をした。ミネアポリスのホテルに着くと直ぐに数時間休息したが、体調が回復しないため急遽近くの病院に駆け込んだ。

 

   

 

 受付に病状を説明し、待っている患者がほとんどいないのですぐ検査と治療をしてもらえるものと思った。しかし、その後、医者・看護師・検査技師など5〜6人が入れ代わり立ち代わり現れるが、全員が金太郎飴のような同じ質問をするではないか!結局、検査が始まったのは1時間後で、超スローな対応にイライラしっ放しで筆者もこれには業を煮やした。

 その後病状も少し良くなったようなので、3時間後に「次の予定があるからユックリできない」と言い残し、薬ももらえないまま病院を出た。いかにも近代的でスピーディと思っていたアメリカの病院は、患者本位ではない、とんでもない所であった。詳細は幣著書『トラベル・イズ・トラブル パート2』を!

 

 その二は、2008年8月〜9月にオーストラリア、ニュージーランド、米領サモア、クック諸島、サモアを訪れる南太平洋巡りをした時のこと。全般的に平穏な旅で終わりそうであったが、九死に一生の大ピンチがニュージーランドであった。オークランドからレンタカーで約450km北西に位置する北島の最北端、レインガ岬を目指した時だ。

 運転直後から車のどこかで異常音がして気にはなっていたが、夕刻には岬の手前まで行きたいと思い、ランチも休憩も十分取らずにひたすら急いだ。道路は平坦に見えるが比較的細い道が多く、加えて九十九折のようにくねくねしアップダウンも多い。そのためであろうか何度も車はスピンするほど危険なドライブとなり、疲労も重なってウトウトしかけた。

 

           

 

 もうすぐレインガ岬という岬の直前で、目の前にトラックのような大型車両が迫り、目の前が真っ白になったところで気を失った。暫らくして正気に戻り、レンタカーの前部を大破する事故を起こしたことを知った。先ほどの真っ白に見えたのは、実はエアバッグが破裂した瞬間だ。このバッグとシートベルトのお蔭で助かったわけだが、胸が圧迫されたように息苦しくほとんど身動きできなかった。

 間もなく救急車が来て近くの町カイタイアの病院に運ばれたが、検査結果は骨折ではなく打撲傷と分かった。旅行スケジュールもタイトなため入院せず、薬をもらって当夜は近くのモーテルで泊まった。翌朝バスを乗り継いでオークランドに戻り、幸運にも打撲傷で済み旅を続けたが、それでも完治するまで1ヶ月以上を要した。詳細は幣著書『トラベル・イズ・トラブル』を!

 

(後記)

退院してから5日後に病院に出かけ、件の尿管を外してもらったところ、おしっこが勢いよく出たので安堵した。と思ったのも束の間、今度は1時間ごとに尿意を催すではないか?手術前の2時間ごとのトイレよりも超酷い頻尿で、特に夜は全く熟睡できず不快きわまりなかった。

 そこで翌日また病院に駆け込んだところ、尿道炎と膀胱炎を併発していることが分かり、これが頻尿の原因である。全治までには少なくとも数週間は要する見込みで、手術そのものは上手く行っても合併症を伴うリスクをある事を思い知らされた。人生初めての入院はトラブル続きのほろ苦い体験であった。(11月17日)

その後、頻尿に加えておしっこが出ないではないか?すぐに病院に駆け込み診てもらったところ、今度は尿道がふさがる尿閉を起こしていることが分かり、即再入院となった。妻や家のことが気掛かりで3日後に再退院したが、今回の手術に伴うトラブルはいつまで続くのであろうか不安でならない。(11月25日)

 

               ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

 上記の幣著書:

  『トラベル・イズ・トラブル』 『 トラベル・イズ・トラブル パート2

   安全な旅は退屈だ!!     楽でない旅こそ最高だ!!     

  ルネッサンス・アイ 1,300円+税    ルネッサンス・アイ 1,300円+税

  

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中国共産党大会が開幕した北京の想い出
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 去る8日に本ブログを更新して2週間近く経ってしまった。少し更新の間隔を開けると、なかなかアップするための筆が進まず億劫になる。何故そうなったのであろうか?私事で恐縮ながら、実は80歳の人生で初めて手術(前立腺肥大)のため近々1週間ほど入院するからだ。加えて2年半近く妻が長期入院のため独居生活を送っており、種々準備のためブログまで手が回らない次第である。

 

 さて、本題に入ろう。3日前の18日に北京の人民大会堂で、5年ぶりに中国共産党第19回党大会が開幕した。習近平総書記(国家主席)が行った政治報告は3時間半近くの長きに及んだが、反腐敗闘争を通じて党内の権力基盤を固めてきた総書記の自信の表れとも言えそうだ。もっとも長時間にわたる報告に、壇上に並んだ党代表たちの中にはトイレに行ったりするためか中座したり、大きなあくびをしたりする御仁もいたようだ。

 同総書記は報告で「偉大」という言葉を75回使って大国化した強国・中国を自画自賛し、「夢」という言葉も28回使い中国が世界を主導する有望な未来像を描いてみせた。実際にこの5年間でGDP(国内総生産)は、54兆元(約918兆円)から80兆元(約1360兆円)と30%以上の大幅増になった。また、国際的な実績では、アジアインフラ投資銀行(AIIB)開業と壮大な「一帯一路」というシルクロード経済圏構想のスタートがある。

 

 

    中国共産党第19回党大会               一帯一路構想図

     (ネットより転用・加工)

 

 だが、中国共産党大会の裏側を覗けば、熾烈な権力闘争の場になっているとかで、習総書記は2期目の政権基盤を一層堅固にするため、存在感を誇示するような報告になった感は否めない。習氏は先達の毛沢東や小平越え、そして2期以上の長期政権を目論んでいるのであろうか?筆者はそんな舞台になった北京を、1993年9月に初訪問以降4回も訪れている。今や世界第二の超大国になった中国の首都の横顔を紹介しよう。

 

(後記)

 上記の中国共産党大会が昨日閉幕し、習近平総書記の政治理念が党規約に明記され、習一強体制を愈々確立した感がある。また、本日発表された新しい指導部の政治局常務委員(7人)、いわゆるチャイナセブンには、習総書記と李克強首相に加え60代の5氏が新たに選ばれた。しかし、5年後の最高指導者を明確にしないという慣例を破る人事となり、習政権の長期化を暗示しているようだ(10月25日)。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 2008年に開催されたオリンピックを契機に、街では次々と大規模な開発が行われた。日々変貌を遂げる直轄市の人口は今や2100万人を超え、中国では上海に次ぐ第二のメガシティである。北京が都として歴史上に登場するのは約3000年前の周の時代で、以降は春秋戦国時代、秦・漢代、元代、明代、清代などの都として栄えてきた。それ故に長い歴史の中で築かれた貴重な文化遺産が、北京の大きな魅力と言えよう。

 

 首都の観光名所はいずれもスケールが大きいが、その筆頭が万里の長城である。その全長はなんと6,6350kmにも及び、月からでも見える唯一の建造物とされる。唐時代に北方騎馬民族の侵入を防ぐ目的で築いた城壁だが、実際に登ってみるとその壮大さが納得できる。北京付近では3ヵ所あるが、北70kmほどにある明代に築かれた八達嶺長城に登ったみた。登城口に着いて右側はなだらかで楽だが、階段が急勾配の左側を選んだ。北八楼からの景色は雄大で最高の気分に浸ったが、登城は思いの外きつかった。急勾配に加え向かい風が強く容易に前に進めず、息切れすることが度々であった。

 一方、慕田峪長城は北京市内から北東へ約73km、八達嶺の長城の東に位置し、緑豊かな山間にある。南北朝時代に建設されたが、明時代に造り直されたと言われる。1404年に関が設けられたので、慕田峪関と名付けられた。その後戦略的に重要なことから何度も修復され、慕田峪長城は明の長城の中で状態が良いものの一つとなっている。全長は2250mほどあり、谷底にある入口からルートは東西の2つに分かれる。低い地形の西ルートより、急坂だが見晴らしの良い東ルートを選び、上りも下りもロープウェイを利用した。

 

              −−− 八達嶺長城 −−−

  

  八達嶺長城を俯瞰    長城を登る筆者      慕田峪長城  

 

 次に、北京市内の中心にある故宮は紫禁城とも呼ばれ、1420年に建てられた中国三大建築のひとつと言われる。部屋数が9,000以上もある明・清朝時代の皇宮であり、大中華帝国の中心がそのまま故宮博物院となっている。収蔵する文化財は93万点余りもあり、超一級の宝物揃いである。外朝の中核の太和殿・中和殿・保和殿のほかに、神武門・乾清門・珍宝館・九龍壁などがあり、鮮やかなオレンジ色の瓦屋根が続き、その広大さに当時の皇帝の権力の大きさがうかがい知れる。

 故宮を出て南下すると外城壁があり、その正門が天安門である。国章にも描かれるほど中国のシンボルになっており、1949年10月1日に毛沢東はこの門の楼閣から中華人民共和国の成立を宣言した歴史的な場所として有名だ。この門から道路を挟んで対面にあるのが天安門広場である。南北880m、東西300mの大広場で、100万人とも言われる大規模集会が可能な世界最大級の広場だ。また、政治運動の中心地になり、あの1989年の天安門事件で一躍世界的になった。因みに、広場の西側には共産党大会などが行われる人民大会堂がある。

 

    −−− 北京観光を楽しむ私ことワールド・トラベラー −−−

  

 故宮の大和殿を背にして  天安門前に立つ     天安門広場で


 ほかに見逃せないスポットとして、 中国最大の祭祀施設である天檀、清代に建てられた北京で最大のチベット仏教寺院である雍和宮、北京の代表的な繁華街・王府井大街、故宮の北に位置するノスタルジックな鼓楼と鐘楼一帯、55もある中国の少数民族を学びたいなら一押しの中華民族園、西南50km郊外にある紀元前18000〜12000年の北京原人で有名な周口店猿人遺址、北京市の西南はずれにある日中戦争ゆかりの盧溝橋を是非お勧めしたい。

 

  

           天檀                           周口店猿人遺址                      盧溝橋    

 

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 冒頭に触れたように10日もすれば入院する予定につき、暫しブログはお休みとしたい。読者の皆さん!乞うご了承を。

 

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米国史上最悪の銃乱射事件があったラスベガスの旅
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 1週間前の10月1日、アメリカのネバダ州ラスベガスで男が無差別に銃を乱射し、58人が死亡する大量殺人事件があった。男はマンダレイ・ベイ・ホテルの32階から、目抜き通りのラスベガス・ブルーバード(ザ・ストリップ)沿いで開かれていた野外コンサート会場に向け銃を乱射した。負傷者も489人に達し、昨年のフロリダ銃乱射の犠牲者数を超える史上最悪の被害となった。一方、犯人はホテルの部屋で警察官の突入前に自殺したとみられる。

 事件後警察が捜査したところ、宿泊していたホテルの部屋内は勿論、ラスベガス北東約130kmのメスキートにある容疑者の自宅でも多数の銃や数千発の銃弾が見付かった。男はスティーブン・パドック(64歳)と言い、不動産投資に成功した資産家でカジノに取りつかれた男であったようだ。

 

 凶悪な事件を受けてトランプ大統領は「まぎれもない悪の所業」と非難し、国民に結束を呼び掛けた。しかし、「銃規制は時が来たら議論する」とも語り、銃器の取締まりに対し慎重というよりも歯切れが悪い。歴代の大統領の時代でも、銃による重大犯罪が発生すると規制強化を求める声が上がるが、結局は立ち消えになる。市民が銃を取って英国の専制支配と戦い独立を勝ち取った歴史などがあり、独特の「銃文化」が根付いているのであろう。

 アメリカの銃規制は、世界全体にとっても軽視できない深刻な問題と言えよう。しかし、合衆国憲法には「市民の武装する権利」が明記され、また銃規制に反対する全米ライフル協会(NRA)のような影響力のある政治団体まである。アメリカの銃規制の緩さが国内で外国人を含む多数の民間人が殺傷される事件の背景となっているばかりではなく、銃の国際的な流通を促してテロや各国での内戦・紛争にも関わってくるから厄介だ。

 

  

 マンダレイ・ベイ・ホテル        銃乱射の犯人   銃乱射から逃れる聴衆

                 (ネットより転用・加工済み) 

 

 国際的なカジノ都市に加え、今回の凶悪な銃乱射事件でまた有名になったラスベガスを、筆者は1986年9月、1998年9月、2000年8月の3度訪れている。カジノ抜きでは語れない不夜城の都だが、ギャンブラーだけでなく家族連れも多く訪れるエンターテインメント・シティに変貌している。実際に1998年の旅では、妻や孫たちを引率した家族旅行を楽しんだ。その時に元気であった妻は今や終末期を迎え、また当時4歳であった孫は大学生に成長し、その旅のことを想うと懐かしくもあり切なくもなる。

 さて、ラスベガスはネバダ州南部にあり、人口約60万人は同州最大の都市である。市内でカジノを含めて様々な見どころがあるほかに、グランド・キャニオン、モニュメントバレー、ザイオン国立公園、パウエル湖など、世界的に有名な観光地へ出かける拠点にもなっている。街の概要は2016年12月15日付けブログ『 ギャンブル超大国になるカジノ法案成立 』で少し触れているが、今回はより詳しく紹介しよう。

 

 到着したラスベガス(マッカラン)空港内にもスロットマシンが置かれている光景は、やはりカジノの街らしい。乾いた砂漠に忽然と現れるオアシス都市は、この地にしかない人工的で不可思議な雰囲気を持つ。また、ラスベガスの歴史はそれほど古くない。1931年ネバダ州はギャンブルを合法化したが、今日のような賑わいを見せ始めたのは1950年代以降である。

 

              −−− ラスベガス市内を俯瞰 −−−

   

スロットマシンがある空港    日中         夕刻  

  で妻・次男の嫁・孫と

 

 当初はマフィアが関与するカジノホテルが多かったと言われるが、その後カジノライセンス法の改正や会計監査基準が一層厳しくなり、1980年代にはマフィアが完全撤退した。代わりに大手上場企業が参入し、多様な一大娯楽都市へと変貌して今日のようになった。

 

 豪華なテーマホテル&カジノが建ち並ぶメインストリートのザ・ストリップでは、夜は超一流のエンターテイナー達によるショーが堪能でき、夜が更けるのも忘れるほどだ。特にイタリアのベニスを模したゴージャスなベネチアンでは、内部に造られた運河をゴンドラに乗って遊覧や買い物ができる。フットボールのグランドが4面ほど入る超巨大ホテルMGMグランドは、ショップやレストランに加えテーマパークまであり、まるでホテル内が一つの町のよう。

 ほかに異彩を放つのが、半世紀ほど前のマンハッタンの摩天楼を再現したニューヨーク・ニューヨーク、36階建てピラミッドの頂上から放つ光線が宇宙からも見えるルクソール、噴水ショーで知られるベラージオ、火山のアトラクションが売り物のミラージュ・ホテル、F1ラスベガスグランプリが開催されるシーザーズ・パレスなど目白押しだ。

 

 

   ザ・ストリップの夕景    ルクソール前  ニューヨーク・ニューヨーク前

 

 見どころが多い郊外は、ラスベガスの東約430kmにあるグランド・キャニオンが一押し。アリゾナ州北部に広がる全長460kmの雄大なスケールの大峡谷で、平均標高は約2000mもある。コロラド高原がコロラド川の急流による侵食作用で削られ、数億年の歳月が創り上げた大峡谷は、遠く宇宙からも見える地上唯一の自然が刻み込んだ造形だ。まさに大自然の驚異であり、壮大なスケールと美しさは圧巻という他ない。時間毎に表情を変えて光と影が織り成す絶景は、特に太陽が低い朝夕が素晴らしい。

 広大な峡谷にはいくつかの絶対見逃せないスポットがあるが、とりわけサウスリムのヤバパイ・ポイント、ウェストリムのホピ・ポイントやハーミッツ・レストの景観が素晴らしい。大峡谷の縁に立ち足元の景色を目の当たりにすると、ただ立ちすくんで己の小ささに唖然としてしまう。1000m以上の深い谷底を見下ろすため小型セスナ機で遊覧飛行したが、大揺れして墜落するのではないかと肝を冷やした。一方、2000年の旅ではヘリで谷底まで下り、荒涼とした地上とは違い水と緑が豊かな別世界の楽園が広がり驚いた。

 

  

     グランド・キャニオンのサウスリム付近      谷底でラバに乗り

                            移動する筆者(右)

 

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クルド独立の住民投票が強行されたイラク・クルド自治区の旅
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 イラク中央政府は勿論、トルコ、イラン、アメリカなど国際社会が猛反対する中、少数民族のクルド人を主体とするイラク北部の自治政府「クルディスタン地域政府(KRG)」が、去る9月25日に独立の賛否を問う住民投票を強行した。クルド人住民の多くは賛成票を投じ、独立に賛成が92.73%に達した。早速KRGのバルザニ大統領は政府に独立に向け協議に応じるよう求めたが、政府は住民投票は無効として応じない。住民投票結果に法的拘束力が無いとは言え、KRG、つまりクルド自治区とイラク政府の対立は激しくなる一方だ。

 対抗措置としてイラク政府はクルド自治区内にある2空港(アルビルとスレイマニア)を管理する権限を政府に移譲しなければ、両空港での国際便の発着を禁止するとし各国の航空会社に通知したが、KRGは移譲を拒絶した。今後陸路も封鎖されれば、同自治区の孤立が深刻化しそうだ。また、イラクの国民議会はKRGが実効支配する油田地帯の北部キルクーク州など係争地への軍派遣と、自治区内の在外公館の閉鎖を求める決議した。四面楚歌に追い込まれた感じの自治区だが、中東諸国と対立するイスラエルが支持する唯一の国とは皮肉である。

 

 因みに、クルド人だが、「国を持たない最大の民族」と呼ばれる。総人口は約3000万人で、独自の言葉と文化を持つ。第一次世界大戦後にオスマン帝国の領土の一部は、イギリス・フランス・ロシア間の交渉で一方的に国境線が引かれた。クルド人が住む地域はトルコ南東部、イラン北西部、イラク北部、シリア北東部に分断された。その後は各国で少数民族として迫害され、同化を強要された。苦難の歴史であったが故に、各国で自治要求や独立運動を展開する。しかし、自国内にクルド人を抱える関係国は警戒を強める。

 

  

住民投票終了後にKRG旗  イラク・クルド自治区とクルド人の分布図

 を振り喜ぶクルド人

(ネットより転用・加工)

 

 特に国内のクルド人独立機運が強い隣国のトルコとの緊張が高まっている。実はトルコには人口の約2割、約1500万人がクルド人とされ、独立を目指すクルド人の非合法組織「クルディスタン労働者党(PKK)」が武装闘争を続ける。今も内戦が続くシリアの北部でも、クルド人の台頭が著しい。同国のクルド人組織・民主統一党(PYD)は過激派組織イスラム国(IS)の拠点を攻め、支配地域を拡大中だ。詳しいことは幣著書『ワールド・トラベラーだけが知る素顔のイスラム』をご購読願いたい。

 

 筆者はそんな注目を集めるイラクのクルド自治区を2013年7月に訪れ、旅の概要は2013年7月31日付け幣ブログ『ギネス更新(!?)265ヵ国・地域を旅し, Travel is Trouble 痛感』で触れている。面積は日本の1/5強の8万k、人口は約550万人。1970年イラク北部で設置された自治区で石油を産出し、サダム・フセイン大統領政権崩壊後は経済発展が著しい。東京にある日本クルド友好協会の紹介状のお陰で特別入国できたが、滞在中の外出や移動は自治区内に限定され、治安問題もありバグダッドやモスール行きなどは諦めざるを得なかった。

 

アルビル空港で出国の際に三脚を武器と見做され没収されるトラブルはあったものの、自治区内の治安は概ね良かった。特にクルド人は老若男女を問わず友好的で人懐っこく、こちらが日本人だと分かると一層親日的になる。撮影中の筆者を見ると近づき、必ずと言って良いほど一緒に写真を撮って欲しいとせがまれるほど。また、

クルド人家族と仲良く)

アルビルのホテルオーナー、ザイトナ氏が親身になって相談に乗っていただき、意外に快適な滞在を楽しめたのも忘れがたい。滞在中に訪れた3主要都市を紹介しよう。

 

 先ず自治区の主都になっているアルビルは、バグダードの北およそ350kmに位置する。人口は約150万人の大都市だが、紀元1世紀アッシリア人のアディアバネ王国の都であった古い歴史を持つ。自治政府が独自に進める油田開発から得る豊富な資金をベースに好調な経済成長が続いており、「第2のドバイ」とも呼ばれるほど活況を呈する。街の至る所で建設ラッシュが見られ、特に市街地周辺の幹線道路沿いは高層ビルなどの建設が目立つ。

 旧市街地の中心には、シタデルと呼ばれる巨大な古い城塞がそびえる。約1400年前に建造され人々が住むようになったが、2013年から保存修復工事が進められていた。シタデルの南側は大きな中央広場があり家族連れで賑わい、広場を囲むようにして大きなバザールが広がる。市内にモスクが数多くあるが、最も目立つのは壮麗なジャーメ・ジャリール・ハイヤット・モスクだ。他に街の西外れにあるサーミ・アブドラ・ラフマン・パークという街最大の公園と、東外れにあるファミリー・モールという巨大なショッピングセンターも見逃せない。

 

                              −− アルビルを散策観光する筆者 −−

  

アルビルの象徴・世界最大級 ジャーメ・ジャリール ファミリモールで

  のシタデル(城塞)   ・ハイヤット・モスク  クルドの若者たちと
   

 アルビルの南東200kmほどにあるスレイマニアは、人口が約100万人の自治区第2の都市だ。タクシーを拾って出かけたが、途中でイラク最大の人造湖であるドゥカーン湖を見かけ、遠くに霞むようにザグロス山脈が連なり、その向こうはイランである。峠を下りる前に小高い丘があり、眼下を見るとドゥカーン湖を水源とするレッサー・ザーブ川が流れ、濃紺の川と周囲の赤茶けた不毛の山地とのコントラストが目にも鮮やかで、この川の両岸にドゥカーという町の家々が見える。

 さてスレイマニアだが、特に見どころも無さそうな特色のない街で期待外れであった。敢えて言えば、街の中心にあり、買物客で賑わいを見せるバザールと、その心臓部に建つモスクぐらいであった。当初は1泊する予定であったが、適当なホテルが無いため、急遽アルビルへ戻る日帰りツアーとなった。

 

  

    スレイマニアの新市街の    レッサー・ザーブ川が流れる

    中心を散策する筆者       ドゥカーンの町並み

 

 一方、アルビルの北西153km、トルコ国境まで60kmと近いドホークは、自治区第3の町で人口は約50万人。アルビルを車で出て1時間ほど走ると、チグリス川の支流であるアッパー・ザーブ川が見えてきた。橋を渡って西進すればモスルに出るが、過激派組織・イスラム国(IS)の支配下に入る直前で危険なため右折して北上した。その後高度がどんどん上がり峠を登りつめ盆地に入ると、急に視界が開けてドホークの市街地が広がっていた。

 北側と南側に山々が見えるが、特に北斜面は標高が約2000mの山並みが町に迫り、山の斜面にへばり付くようにして建つ建物も多い。町から南西へ25kmほどにはチグリス川が流れる。東西に細長い町の東部は新市街で、その一角にあるグランド・モスクはかなり立派で、中に入ると直ぐに冷たいお水飲ませてくれホッとした。町の西側は旧市街になっているが、中東独特の大きなバザールが無いようであった。

 

  

     ドホークの市街地を俯瞰     チグリス川の支流を散策

 

 イラクのクルド自治区の独立を問う住民投票は、本日(10月1日)に行われるスペインのカタルーニャ自治州の住民投票にも多大の影響を与えそうだ。カタルーニャ自治州の方は投票結果が拘束力を持つだけに、スペイン中央政府は投票阻止に躍起のようだ。イラク以上の混乱が起こりそうである。

 

(後記)

 クルド独立の夢ははかなく消えたようである。クルディスタン地域政府(KRG)自治区の独立の賛否を問う住民投票から3週間の10月中旬、イラク軍侵攻により油田地帯キルクーク州の実効支配地域を失った。原因はKRGの軍事組織ペシュメルガの一部部隊の裏切りだ。KRGはタラバニ元大統領が創設した「クルディスタン愛国同盟」とバルザニ全KRG大統領派の「クルディスタン民主党」から成るが、KRG独立を望まないイランがイラク政府と組んでタラバニ派に働きかけ、内部から崩した模様だ。

 

                ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

私ことワールドトラベラーにはクルド人に関する次の著書があるので、ご関心ある方は是非ご愛読頂きたい。

世界を動かす少数民族』幻冬舎 1,350円+税

 

   

 

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大地震が頻発するメキシコの旅(1)−メキシコシティ編
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 思ったことを直言し、したい放題の感があるアメリカのトランプ大統領にハッキリと反発するリーダーが世界には2人いる。一人は北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長であり、もう一人はメキシコのエンリケ・ペニャ・ニエト大統領である。前者は若干33歳ながらの強面だが、後者はなかなかのイケメンだ。そんなハンサムな大統領の国、メキシコで大地震が続く。

 

 4日前の9月19日(日本時間20日未明)、メキシコ中部のプエブラでマグニチュード7.1の大地震が発生した。この地震により300人以上が犠牲(本日現在)になり、数十の建物が倒壊し、何百万人もの人々が停電の影響を受けた。特に首都のメキシコシティでは、学校が崩壊して子供たちががれきの下に取り残されるなど大きな被害が出ている。

 因みに、近年メキシコでは地震が頻発しており、つい最近も今月の7日に南部のチアパス州でマグニチュード8.2の大地震が発生した。隣接するオアハカ州なども含め、少なくとも60人の死者を出した。また本日(23日)もマグニチュード6.2のかなり強い地震があり、震源地のオアハカ州は7日に起きた大地震の被災地でもある。

 

  

          建物が倒壊した現場     救助活動する日本の緊急援助隊

         (インターネットより転用・加工済み)

 

 さらに、32年前のちょうど同じ日(1985年9月19日)には東部の太平洋沖でマグニチュード8.0大地震が発生し、死亡者は約1万人、全半壊した建物は約10万棟に達した。特に被害が大きかったのは震源から300km以上も離れたメキシコシティで、これは同市がテスココ湖の埋め立て地で地盤が軟弱であったためだ。地震が多いメキシコではあるが、観光面では実に見どころが多い魅力的な国である

 アメリカの南に位置し、我が日本から1万1000kmも離れた遠い国だが、スペイン人と先住民インディオの2つの文化が妙に混じりあう。旅人をタップリ魅了するそんな国を、私ことワールド・トラベラーは、1993年11月、2001年3月、2004年6月の3度にわたり訪れている。今回は首都メキシコシティと近郊を紹介したい。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 人口が900万人近いメキシコシティは標高2240mに位置する、ラテンアメリカを代表する大都市である。14~16世紀のアステカ時代にテスココ湖を埋め立てて築き上げたアステカ王国の首都は、今や超過密な中南米最大の都市に発展した。古代・近代・現代が渾然一体となったユニークな街並みは、躍動感とエネルギーが満ち溢れる。

 街の中心地にある憲法広場、通称ソカロは、「メキシコのヘソ」と言われ、アステカの都テノチティラトンの政治・宗教の中心地であった。広場の北には、メトロポリタン・カテドラルが威風堂々として建つ。1563年に着工して118年後に完成した教会内部は、重厚なバロック様式の装飾で覆われる。メキシコ独特の文物が描かれ、宗教絵画の名画「市会礼拝堂」も飾られている。

 

  

  ソカロを中心にした、 ソカロに立つ筆者 メトロポリタン・カテドラル 

    メキシコシティ俯瞰

 

 ソカロの東にある国立宮殿は、かってアステカ時代には君主の居城があった所。アステカのスペイン人征服者コルテスが壊し、植民地の本拠として建てた後に改築された。この宮殿のハイライトは、ディエゴ・リベラが広大な宮殿の回廊などの壁に描いた「メキシコの歴史」の大壁画だ。アステカ時代から現代までを、巨大なパノラマで物語るリベラの最高傑作が素晴らしい。

 一方、市街地の北外れにあるグアダルーペ寺院は、聖母の奇跡で有名なカトリック寺院である。黒い髪と褐色の肌を持つグアダルーペの聖母が祭られ、国民の精神的な拠り所になっているとか。傾いた1709年築の旧聖堂の左手にある新聖堂は1976年に建てられ、現代的なデザインがひときわ目を引く。

 

    

国立宮殿内の壁画を鑑賞  国立宮殿の外観    グアダルーペの聖母

 

 郊外では、テオティワカン遺跡が一押し。メキシコシティの北約50km、紀元前2世紀頃建設されたラテンアメリカ最大の宗教都市国家だ。2度も訪れたが、エジプトのピラミッドに及ばずともスケールの大きさに改めて驚きを禁じ得ない。平城京とほぼ同じ23k屬箸い広さに20万人が住んでいたとされる遺跡は7世紀頃まで繁栄したが、8世紀に謎に包まれたまま滅亡した。

 遺跡の中央に底辺が216mX228mもある、世界で3番目に大きいピラミッドと言われる太陽のピラミッドがそびえる。高さでは130mを超えるエジプト・ギザのクフ王やカフラー王のピラミッドの半分しかないが、底辺の長さは世界最大のクフ王のピラミッドにほぼ匹敵する。248段の相当急な階段を上ると、北の方に紀元前350年頃に造られた月のピラミッドが見える。底辺は150X120mと太陽のピラミッドより一回り小さいが、遺跡全体の展望は低い月のピラミッドの頂上の方が良い。ここからは、眼下にテオティワカンを南北に貫く使者の道など遺跡全体が見え、息を呑む絶景である。

 

  

    太陽のピラミッド  太陽のピラミッドを背に  月のピラミッドを望む

                       (太陽のピラミッド より)

 

 因みに、この遺跡の標高が2000m以上のため、上り下りは見た目よりも思いの外きつく、息も絶え絶えになり顎が上がった。マイペースでゆっくりと登るほかに、十分な水補給などの対策が必要であろう。

 

  ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 地震発生後すぐに日本緊急援助隊が派遣され、建物が倒壊した現場で懸命の救助作業を続けている。これこそ日本が求められている真の国際貢献であり、隊員諸氏の奮闘ぶりにご苦労様と申し上げたい。

 

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ロヒンギャ難民を取り巻くミャンマーとバングラデシュの少数民族
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  去る8月25日にミャンマー西部のラカイン州で、治安部隊がイスラム系の少数民族ロヒンギャの武装勢力に対する軍事作戦を開始以来、これまでに隣国のバングラデシュのコックスバザールなどに約41万人が避難している。ミャンマーから暴力を逃れるため仮設キャンプに身を寄せているが、モンスーンの豪雨による新たな苦難に見舞われている。難民は食料や水が不足し悲惨な生活を送っているが、追い打ちをかけるのが豪雨で避難地が沼地と化したことだ。

 この様な深刻な事態を受け、本日(9月19日)ミャンマーの国家顧問のアウン・サン・スー・チー氏が、” 私たちはミャンマーが宗教や民族、政治的思想で分断された国になることを望んでいない。 ”と演説した。さらに” 政府は解決に向け真摯に取り組んでいる ”と強調した上で、国連の調査を受け入れる用意があることを示唆した。しかし、軍に対する遠慮からであろうか、ロヒンギャ問題の根本的な解決に及び腰の感は否めない様だ。これではミャンマー民主化の旗手の看板を下ろさなければなるまい。

 

 もっとも難民や移民問題は、あの豊かな超大国アメリカでも若干似たような問題を抱えているから厄介だ。最近(9月5日)トランプ大統領は、オバマ前政権が導入した移民救済制度DACA(ダカ、幼少期にアメリカに到着した移民への執行延期措置)の廃止を打ち出した。幼少時に親に連れられアメリカにやって来たドリーマーと呼ばれる不法移民の若者約80万人が、6ヵ月以内に強制送還される恐れがある。この問題でも「アメリカ第一」が背景にあり、根が深い。

 

  

バングラデシュに避難 演説するスー・チー氏

 したロヒンギャ族

    (ネットより転用・加工済み)

 

 因みに、ミャンマーの民族問題に触れよう。世界有数の多民族国家である同国は、人口の7割近くの68%をビルマ族が占めるが、ほかにシャン族9%、カレン族7%、ラカイン族3.5%、ビルマ華人2.5%、モン族2%、カチン族1.5%、ビルマ印僑1.3%、その他5.2%(カヤー族やコーカン族など)など多数の少数民族がいる。

 少数民族で注目されるのはカレン族だ。ミャンマーの東部と南部から、タイの北西部にかけて居住する。総人口はおよそ400万人で、そのうちミャンマーは約350万人、タイは約40万人だ。独立闘争を行う彼らに対する政府の民族浄化は厳しく、隣国のタイに逃れたミャンマー難民は10万人ほどと言われる。いくつかのグループに分かれ、赤カレン、白カレン、黒カレンなどがある。過度な装飾をする首長族は赤カレンの一族で、筆者は2008年7月にタイ最北部で会ったことがある。

 

 次に近年、国際社会で話題になるのが無国籍のミャンマー難民、ロヒンギャ族だ。彼らはバングラデシュと国境を接するミャンマー西部のラカイン州で、100万人ほど住む。仏教徒が圧倒的に多いミャンマーでは少数のイスラム教徒で、バングラデシュの国語、ベンガル語の方言を話す。ミャンマーのほかに、バングラデシュに40万人、サウジアラビアに40万人、パキスタンに40万人、タイに10万人などが住み、総人口は200万人以上とか。

 ミャンマー独立後から彼らはロヒンギャ族と名乗っているが、国内ではバングラデシュからやって来た不法移民と見なされ、ミャンマー国籍も与えられていない。2012年以降はラカイン州で彼らとミャンマーでは多数派の仏教徒との対立が激化し、多くのロヒンギャ族が周辺国に船で漂着するなどしている。

 

 一方、バングラデシュの民族構成はベンガル人が大部分の98%を占め、残り2%は少数民族である。彼らはアディバシと呼ばれ、45民族の200万人ほどがいる。おもにミャンマーやインドと国境を接する北部の平野や、南東部に広がるチッタゴン丘陵地帯に住む。主な少数民族は、チャクマ族、マルマ族、トルプラ族、トンチョンギャ族などで、チャクマ族などは1999年12月のバングラデシュ旅行で出会ったことがある。

 

   

  首が長いのが美人の  首長族の少女と       チャクマ族の少女たち

   カレン族        仲良くの筆者

 

 ほかに、特筆すべき少数民族としては以前ミャンマーのアラカン州から逃れてきたロヒンギャ難民で、南東部のコックスバザール近くのキャンプに滞留している。ミャンマー政府が難民の帰還を拒否しているため、UNHCR国連難民高等弁務官事務所)はバングラデシュ国内での定住を提案している。

 因みに、筆者は1999年の旅でコックスバザールも訪れた。かつてはラカイン族が支配したアラカン王国の町であったが、18世紀末に英国の東インド会社のコックスがバザールを開いたので「コックス・バザール」と名付けされた。125kmもある世界最長の砂浜ロングビーチと、ラカイン族の仏教僧院であるアッガメダ仏教僧院が印象的であった。

 

          −−− コックスバザール3景 −−−

  

     ロングビーチ     ビーチを散策     アッガメダ仏教僧院

 

 ロヒンギャの容貌や宗教(イスラム教)などから、バングラデシュ系であることは明々白々であり、敬虔な仏教徒が多いミャンマーで住み付くのは少々無理があるのであろう。ロヒンギャ迫害に対する国際社会からの批判が高まるが、その矛先はノーベル平和賞受賞者のアウン・サン・スー・チー氏に向けられ、平和賞没収を呼びかける署名が進む。だが、彼らに対するミャンマー国民の反感は根強く、帰還を受け入れるか否かが難民問題解決の焦点の一つになろう。

 日本人という単一民族から構成される我が国から見れば、多数の少数民族を抱えた多民族国家(世界では意外に多い)ならではの悩みはピンと来ないし無関心にもなりがちだ。さりとて、無視したり、傍観するのは如何であろうか? 平和ボケしている我が国としても、ロヒンギャ難民問題で何か国際貢献できるものはないか、一考したいものである

 

    因みに、私ことワールドトラベラーには少数民族に関する次の著書があるので、ご関心ある方は是非ご愛読頂きたい。

世界を動かす少数民族』幻冬舎 1,350円+税 ※ロヒンギャ族やカレン族に就いても詳述しています。

 

  

 

 なお、幣著書のお買い求めは、アマゾンなどインターネットショッピンや、最寄りの書店で可能です。なお、書店やネットショッピングで入手不可能の場合は、在庫が十分な世界の人形館でお求めできます。

お問い合わせ:
世界の人形館 
TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
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