世界の人形館からの夢メッセージ

夢と寛ぎを紡ぐワールドスクエア
2018 FIFAワールドカップの舞台ロシアの旅−モスクワの今昔
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 サッカーの2018FIFAワールドカップが6日前の6月14日からロシア各地で始まっている。東ヨーロッパでは初めての開催で、最初の試合、グループAのロシア vs サウジアラビアはモスクワのルジニキスタジアムで行われた。開催国のロシアが5−0と圧勝し、観戦したプーチン大統領はご満悦であった。一方、グループHの我が日本は昨日(20日)サランスクで格上の強豪国コロンビアと対戦し、なんと2−1の番狂わせ(?)で勝利した。大金星である。

 このワールドカップの参加チームは全部で32で、開催都市は首都モスクワをはじめ、サンクトペテルブルグ、カリーニングラード、カザン、ニジニ・ノブゴロド、サマーラ、ヴォルゴグラード、サランスク、ロストフ・ナ・ドヌ、ソチ、エカテリンブルグの合計11都市である。特にモスクワは先述のルジニキ・スタジアムに加え、スパルタク・スタジアムでも試合が行われ、会場は合計12である。筆者はサマーラとサランスクを除き、9都市を訪問済みである。

 

  

    モスクワのルジニキスタジアム   サランスクのモルドヴィア・アリーナ

                                                               (ネットより転用・加工済み)

 

 実は272ヵ国・地域を制覇した私ことワールド・トラベラーが初めて異国の地に足跡を残したのは、商社マン時代で今から49年前の1969年1月〜2月、当時はソ連の首都であったモスクワへの業務出張であった。その後2013年6月までに5度も同地を訪れており、数あるロシアの都市から今回はモスクワに絞ってその今昔などを紹介したい。

 

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 初めてモスクワを訪問した1969年の頃はソビエト連邦という社会主義国家体制下にあり、東西冷戦下の厳しい暗黒の時代であった。モスクワ以外の他の都市や地方へ出かける事も許されず、泊まったホテルのロビーでは秘密警察のKGBが絶えず外国人を監視チェックしていた。また、物不足がひどく国営百貨店グムの商品棚には売るべき商品がほとんど無く、値段は高いが品物が豊富な外貨ショップに人気があった。
      週末や平日の暇な時を利用した市内見物は、格好の気分転換になったが、趣味の写真撮影は厳しく制限され、橋や工場などを撮影しようとすると注意された。寒くて長く感じた夜は、ウォッカを飲んで体を温めたり、本場のバレエ鑑賞などをして退屈を凌いだ。観光したスポットは、クレムリン、赤の広場、グム百貨店、聖ワシリー寺院、レーニン丘、ボリショイ劇場、全ロシア展覧会センター、アルバート通りなど。

 

    −−− 1969年モスクワ滞在中の懐かしきスナップ −−−

  

      赤の広場    クレムリン(勤務先の      レーニン丘

             現地事務所の秘書と)

 

 モスクワ 観光のハイライトは、何と言っても赤の広場である。狭い日本から来ると、長さ695m、平均幅130の広大な広場と、全長2kmを越す城壁に囲まれ広場に面する巨大な建物クレムリンのスケールの大きさにただ驚くばかりであった。当時アメリカと並ぶ超大国、ソ連の力を改めて思い知らされた。広場の南側に建つ聖ワシリー寺院は、生まれて初めて見るねぎ坊主型の教会だ。高さが47mもある1本のネギ坊主の周りに、8本のネギ坊主がぐるりと取り巻く。一見アンバランスに映るが、それでいて妙に調和が取れているのが面白く、なんとも不思議でならなかった。しかもちょっと恐ろしい逸話が残っており、完成した美しい聖堂を見た雷帝は、2度と同じものが造れないようにと設計者の目をくり抜いたと言うのだから驚きである。

 

 終生忘れ難いのは、バレエを鑑賞するために訪れたボリショイ劇場だ。ある日マイナス30度の酷寒を吹き飛ばそうと、夕刻の早い時間からウォッカをたらふく、しかもストレートで飲んだ。アルコール度数は60度、いや70度はあろうか、マッチの火を近づけると燃えるほ

どで「火酒」とも呼ばれる。その後あの有名なボリショイ劇場で「白鳥の湖」のバレエを鑑賞を終えて外に出た。 

ところが、飲み過ぎていたのか足元がふらつき、凍った路面でしたたか頭を強打した。幸い大怪我に至らずホッとしたが、転んだ時に痛くも何にも感じなかったのは、強烈なウォッカが持つ魔力であったかも知れない。本話の詳細は幣著書『トラベル・イズ・トラブル』をご覧頂きたい。

 

 さて、1991年12月のソ連崩壊後にロシアを27年ぶりに再訪したのは、1996年9月の旅であった。モスクワの象徴的なスポット、赤の広場は昔のままの佇まいでホッとした。赤の広場に面し権力闘争が広げられて来たクレムリンは、 ロシア語で”城塞”を意味する。広場からその外観だけを観光する人が多いが、この時は赤い城壁内を隈なく見学した。クレムリンは1156年に木造の砦を築いたのが始まりで、その後14世紀と15世紀に拡張されて現在の姿になった。見どころは多いが、ロシアの歴史を収蔵する武器庫と称される宝物殿や、1479年に完成したかつてのロシア帝国の国教大聖堂とされたウスペンスキー大聖堂の見事なフレスコ画、イワン雷帝の個人礼拝堂であったブラゴヴェッシェンスキー聖堂などが必見だ。

 

  

   聖ワシリー寺院   ウスペンスキー大聖堂     グム百貨店

  前に立つ筆者

 

 広場の東側に建つ1893年築のグム百貨店も久し振りに訪れたが、冷戦時代に比べ品数が豊富になり店内は華やかになっていた。広場を挟んで百貨店の対面にあるのがソ連を誕生させた革命家レーニンの墓所、レーニン廟である。廟内に入り階段を下りると、ガラス棺に安置されたレーニンの遺体がある。広場の北側には国立歴史博物館があり、その裏はマネージ広場で人通りが多く賑やかだ。因みに、モスクワ市街の一望は、クレムリンから南西6kmほど、モスクワ川が大きく蛇行する所の右岸にあるヴァラビョーヴィ丘(雀が丘)が一押しだ。ソ連時代はレーニン丘と呼ばれたが、すぐ近くに建物が壮観なモスクワ大学のキャンパスがある。

 

  2001年7月以降の3度の旅では、主に赤の広場一帯以外のスポットを回った。モスクワは環状道路が発達した、投げ矢のダーツ・ゲーム盤のような構造の大都会である。街の中心を蛇行するように貫流するモスクワ川に架かるボリシャヤ・カーメンヌィ橋は、威容を誇るクレムリンや聖ワシリー寺院がバッチリ眺望できる絶好ポイントだ。橋の反対側は、ロシア最大の大聖堂である救世主キリスト聖堂が間近に見える。モスクワ川を挟んでこの聖堂から東600mほどにあるのがトレチャコフ美術館(旧館)で、ロシアの美術館ではエルミタージュと双璧をなす。12世紀以降のロシア美術の名作が数多く収集され、レーピンの「イワン雷帝と息子」などが有名だ。

 

   

ボリシャヤ・カーメンヌィ トレチャコフ美術館   ヴォデヴィッチ修道院

橋よりクレムリンを望む    (旧館)

 

 ノヴァラビョーヴィ丘の北約1m北にあるヴォデヴィッチ修道院は、元来はクレムリンの出城であった。16〜17世紀のロシア建築を代表する建物が集まっており、特に美しい5つのドームを持つスモーレンスキー聖堂と鐘塔が目を引く。意外な見所は修道院の裏にある墓地である。ゴーゴリー、チェーホフなどのほか、フルシチョフなどの大統領や家族も眠っている。また、故人が得意のポーズを取って今でも生きているような錯覚を起こさせるのが、なんともユニークで面白い。

 

 モスクワの今昔で一つ気になることがある。空港の入国審査や預けた荷物の受け取りで長時間待たされ、また空港内の照明が暗いことは、1969年の最初の訪問でも2013年の直近訪問でも全く同じであった。その後は出かけていないので知るよしも無いが、最近は少しでも良くなったのであろうか?去る5月に通算4期目の長期政権をスタートさせたプーチン大統領は現代版のロシア皇帝ツアーを彷彿させるが、同大統領が本気になれば空港問題は即刻改善されるのではと思うのだが・・・。現状は如何に?
 

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 次回のブログは日本チームのキャンプ地になっており、筆者が2005年9月に旅したカザンを紹介予定である。乞うご期待! 

 

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米朝首脳会談の舞台セントーサ島と我が総理の外交に想う
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 果たして予定通り会談が行われるのか、或いは中止するのではと一時は気をもませた史上初の米朝首脳、トランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長による会談が、愈々2日後の6月12日に開催される。本件については、既に5月16日付けの幣ブログ『史上初の米朝首脳会談が開催されるシンガポールの今昔』でアップ済みだ。注目の会談の場所は、シンガポール島のすぐ南に浮かぶセントーサ島にあるカペラホテル(下写真)決まった。2009年にオープンした新しいホテルだが、島随一の最高級リゾートホテルと言われる。

 ほぼ逆三角形をした島の北側では様々なレジャー施設やアトラクションが楽しめる一方、南側はシロソ・ビーチやパラワン・ビーチという静かなビーチが広がる。カペラホテルは島のほぼ中心に位置し、南欧でよく見かけるような赤い屋根が印象的で、何となくトランプ大統領のフロリダの別荘、マー・ア・ラゴに似ているような気もするのだが・・・。因みに、宿泊ホテルはトランプ大統領はシャングリラホテル、金委員長はセントレジスになるようで、共にシンガポール島にあり近接している。

 

   

                  

 さて、会談のほうだが、想定外 or 規格外とも言うべきビジネス第一の大統領らしからぬトランプ大統領に対し、34歳の若輩ながら体制維持のため強かな金正恩委員長の2人の御仁が話し合う。親子ほども違う年長者のトランプ大統領のほうが主導権を握っているように見えるが、実を取ろうとしているのはむしろ金正恩委員長であろう。両者に共通するのはビジネスであり、北朝鮮が我が国に求めるのは先ず経済支援であり、拉致問題はその後であろう。

 明らかにノーベル平和賞平和賞狙いの同大統領は非核化で煮詰めるほか、朝鮮戦争終結の合意に調印する可能性も示唆したが、果たして思惑通り事が運ぶであろうか。口癖であった「最大限の圧力」も北朝鮮を刺激するとして封印しており、根っからのビジネスマンらしい如才無い処世術である。他方、同委員長もシンガポール滞在中にカジノなどを視察し、不足気味な外貨獲得のため北朝鮮国内にカジノ特区を造るなど様々な外資導入を目論むであろう。 

 

 一方、外交が大好きな我が総理、安倍晋三首相は最近でも2度もトランプ詣でをし、米朝会談で 懸案の拉致問題を議題にしてもらおうと懸命だが、どうもボタンの掛け違いをしているようで笑止千万でならない。せっせと政府専用機に乗り高額の国費を使って外交に勤しむが、空回りするだけで実績や成果などは皆無に等しい。確かに外交キャリアだけはドイツのメルケル首相に次ぐが、長年対応してきた北朝鮮の拉致問題やロシアとの北方領土問題などは少しでも進展したのであろうか?かつて国会で「外交交渉において政治は結果だ」と同首相は答弁したが、その結果がきちんと出ているであろうか?反論があれば、是非ともお伺いしたいものである。

  またこれほど頻繁に夫人同伴で外遊する首脳は、世界でも類を見ないであろう。その夫人が森友疑惑に関与していなかったら、特に問題にはならなかったのだが・・・。外交に熱心なことに敬意を表したいが、お友達のトランプ大統領を見習いコストパフォーマンスを考えた実りのある外交を実践願いたき次第だ。そのためには北朝鮮に対して金太郎飴のように「圧力を続ける」という対北強硬姿勢をアピールし続けるのではなく、また同大統領に頼る他力本願ではなく、自らが金正恩朝鮮労働党委員長と腹を割った直談判が出来る度胸と実力が望まれよう。もし、トランプ大統領の口添えで拉致問題が解決しても、そのお返しは通商問題などで随分高い代償を払うことを覚悟せねばなるまい。

 

(後記)

 2018年最大とも言うべき政治ショーは、予定通り昨日セントーサ島で行われた。一応トランプ大統領と金正恩委員長は共同声明に署名したが、最重要の非核化は骨抜きにされ、アメリカが主張していたCVID(完全かつ検証可能で不可逆的な核放棄)には言及されなかった。また、声明には朝鮮戦争終結も盛り込まれず、さらに金正恩体制を保証すると言う、実質的に北朝鮮に利する会談に終始したようだ。元々中間選挙を意識しノーベル平和賞狙いの大統領にして見れば、委員長と会って握手するだけで大半の目的を達成したのであろう。

 一方、恥をさらした格好になったのは我が総理である。確かに会談でトランプ大統領から北朝鮮の拉致問題が提起されたが、極めて短時間の会合で相手方から良い返事が出るはずが無い。もっと、もっと真摯に当事者意識を持ち他国任せにせず、命を挺するぐらいの覚悟で金正恩委員長との直接対話を実践願いたいものである。(6月13日)

 

 ところで、セントーサ島は東西4km、南北1.5km、面積は4.71㎢の小さな島だ。東京・台東区の3分の1に過ぎないが、1972年からシンガポール政府肝いりの観光政策で開発されてきた。島名はマレー語で「平和と静けさ」を意味し、豊かな自然にも恵まれている。両首脳が非核化=平和につき話し合うには、まさに絶好の場所である。島は橋で本島と繋がれているほか、島に行く手段はモノレールやケーブルカー等がある。従い、これらのアクセスを遮断すれば警備し易く、これが会談場所として選ばれたのであろう。

 小島ではあるが歴史的な場所になろうとしているセントーサ島を、筆者は1977年7月と、ちょうど28年後の2005年7月に訪れている。30年足らずの間に島はどのように変貌したか、島の今昔を中心にして紹介しよう。

 

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 1977年の最初のセントーサ島訪問は、商社マン(三井物産)として駐在していたクウェート勤務を終えて帰国途中で立ち寄ったものだ。その時は妻、小学生の長男と次男を帯同していた。取引先のシンガポール駐在員などの案内で島を訪れたが、政府による開発が始まってから間もないため、テーマパークも少なく観光客もまばらであった。むしろまだまだ豊かな自然が残る静かな佇まいの未開発の島であった。

 当時は美しい庭園のほかに、スイミング・カヌー・ヨット・ゴルフ・博物館などが楽しめる程度のリゾート・アイランドであった。しかし、緑の少ない沙漠の国クウェートで3年余り過ごしていただけに、長男と次男の子供たちはオアシスのような広い庭園のなかで伸びやかに寛いでいた。

 

(1977年セントーサ島で家族と共に楽しんだ懐かしいスナップ)

  

シンガポール島を結ぶ橋  島内を走る循環バス    美しい庭園

 

  それから28年後の2005年には妻のほかに、次男に家族ができて嫁と2人の孫たちを引率する3世代旅行を堪能した。島は驚愕するほど大変貌し、見どころ満載のレジャーアイランドに変身していた。島内の移動は前回の訪問時には無かったモノレールやシャトルバスを利用したが、随分便利になったものだ。島の全てがファンタジー溢れる娯楽島は、老若男女を問わず昼も夜も楽しめる。アジアで唯一と言われるバタフライ・パークという世界昆虫館は、世界一大きなカブトムシをはじめ、4000匹以上の昆虫の標本を持つ博物館である。特に約50種、2500匹という蝶のコレクションは世界有数だ。

 アンダーウォーター・ワールドという水族館では、海底5mに造られた全長83mの透明なアクリルトンネルを進んで行くと、すっかり海中散歩しているような気分になる。ミュージカル・ファウンテンは、噴水とレーザー光線、音楽が世界屈指のハイテク技術により一体化した、水と音楽と光の芸術ショーだ。バタフライ・パークのそばにそびえ立ち、ひときわ目立つのが高さ37mのマーライオン・タワーである。マリーナ・ベイに面する本家の小さなマーライオン像に比べ、巨大で野性味が溢れ迫力がある。エレベーターで口と頭上にある展望台まで上ると、抜群の眺望が堪能できる。

 

  (28年ぶりに再訪した2005年セントーサ島への3世代旅行)

  

 マーライオン・タワー バタフライ・パーク ファウンテン・ガーデンズ

  

幻想的なミュージカル・   シロソ・ビーチ パラワン・ビーチで孫たち

  ファウンテン              (今は大学生と高校生)と泳ぐ

 

 2度目のセントーサ島訪問から早や13年が経つ。島の開発がさらに加速し、今やカジノやユニバーサルスタジオまであるから更なる驚きである。今回の首脳会談開催により一層知名度が上がり、世界的なリゾートアイランドとして益々発展しよう。

 

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 あれほど家族と至福のセントーサ島旅行を楽しんだ我が家だが、その後は如何であろうか。私事で恐縮だが、認知症を患う妻は4年近く闘病中で、延命医療を受け不帰の人にならんとしている。悲しく、やりきれないほど切ない。また、50代の長男と次男の家族は親の教育が悪かったのか、或いは筆者の不徳の致す所か、孫たちも含めほとんど寄り付かない。家庭崩壊の実情が恥ずかしくてならない。81歳になって送る独居生活は実に侘しく、世の無常を痛感する毎日だ。自業自得とは言え・・・。

 

                              ◇◇◇ ご案内 ◇◇◇

 

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TEL 04−7184−4745
        E−MAIL 
 ko-yasu@maple.ocn.ne.jp

 

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| 国際政治 | 01:15 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
大関昇進の栃ノ心を生んだジョージアの旅(その1)
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 「親方の教えを守り、力士の手本となるように、稽古に精進します」と伝達式で今時にしては珍しい古風な口上を述べた。昔の大相撲力士のような、日本人よりも日本人力士らしい風格の外国人力士がいる。一昨日(5月30日)大関昇進が決定したジョージアのムツヘタ出身の栃ノ心(30歳)がその人で、外国出身では11人目の大関誕生である。

 その相撲ぶりは相手力士とがっぷりと組み、力強く投げたり押し出したり、時には怪力に任せて吊り上げる。そのけれんみの無い取り組みは、ダイナミックで爽やかである。新入幕から大関に昇進するまで60場所もかかったが、これは大相撲史上で最もスローな昇進だ。加えて30歳7か月の大関昇進は3番目の高齢記録

   (ネットより転用)

だ。しかし、稽古熱心だし相撲ぶりも若々しく、今後の精進次第では横綱もなれるのではと期待したい。

 

 さて、栃ノ心の母国、ジョージアは国土面積が日本の5分の1弱の6万9700㎢の小国だが、旧ソ連の有名な指導者だったスターリンが生まれた地として有名だ。また、カフカス山麓にありワインが美味いので知られ、栃ノ心の実家もワイン農家である。我が国ではさほど知られていない同国を筆者は1998年5月と2013年7月に旅しており、その時の国名はグルジアであった。ジョージアに国名変更したのは2015年4月で、2018年3月7日付け幣ブログ『国名変更で揺れるマケドニア紀行触れている

 

  

                                                             ムツヘタを俯瞰

 

 変更の理由は2008年8月にロシアと戦争して負けた訳だが、ロシア語読みの「グルジア」と呼ばれるのを嫌ったのであろう。また、同国を訪れた時の模様は、2013年7月31日付け幣ブログ『 ギネス更新(!?)265ヵ国・地域を旅し, Travel is Trouble 痛感 』で簡単に紹介済みである。今回は栃ノ心の生まれ故郷、ムツヘタと、首都トビリシを詳述する。

 

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 ムツヘタトビリシの北西約20km、人口は7600人の古都である。ムトゥクヴァリ川とアラグヴィ川の合流地点にあり、ロシアへと続いていくグルジア軍用道路の通過点でもある。紀元前4〜5世紀の間、グルジア南東部にあったイベリア王国の都として5世紀に首都がトビリシに遷都するまで栄えた。小さい町だが、世界遺産になっている歴史的なスポットがある。

 一つは町の東外れにあるジョージア最古の教会、スヴェテイ・ツホヴェリ大聖堂である。4世紀に聖女ニノがメリアーニー王の妃の目を治したことから、キリスト教がイベリア王国の国教となった。王宮に小さな木造教会が建てられたとされ、現在の建物は11世紀ごろに再建された。その後もグルジア正教の中心地であり続け、教会内のフレスコが素晴らしい。もう一つはトビリシから町に入る手前、右側に見える丘の上にポツンと建つジュワリ修道院だ。6世紀に建てられた修道院の名前は「十字架」を意味し、真上から見ると十字架の形をしている。装飾も少ない素朴な教会だが、丘からはムツヘタの町が一望でき絶景だ。

 

          −−− ムツヘタ3景 −−−

  

スヴェテイ・ツホヴェリ  ジュワリ修道院前に     旧市街

     大聖堂       立つ筆者

 

 一方、トビリシはトルコから流れるムトゥクヴァリ川流域の町で、人口は約110万人。標高は453mで三方を山に囲まれ、肩を寄せ合うように家々が山の斜面にへばり付く。民族間争いが絶えないコーカサス地方にしては珍しく、グルジア人以外の民族も共存する国際的な都市だ。マルコ・ポーロが「絵に描いたように美しい」と称賛した町は、コーカサス地方では出色のエキゾチックな雰囲気が漂う。特に旧市街は、木造の建物の上階にバルコニーがしつらえられ、手すりに透かし彫りが施された家々が多い。かってこの地を支配したペルシャの香りもする。

 ムトゥクヴァリ川の畔にあるメテヒ教会は小高い丘のに建つ小さな教会だが、テラスや近くのダルジャン王妃の王宮跡から眺める対岸の旧市街やナリカラ要塞のパノラマが素晴らしい。教会の上の高台にあるメテヒ・パラスホテルからも似たような展望が楽しめる。町で一番高い標高727mの見晴らしの良いムタツミンダ山の展望台からは、正反対の角度から町の全景は勿論、万年雪を頂いたカフカス山脈が見渡せる。この展望台から北西1kmほどにある民族野外博物館は昔のグルジアの農家などを移築して展示しており、古き良き時代が偲ばれて興味深い。

 

              −−− マルコ・ポーロも称賛したトビリシ −−−

 

ナリカラ要塞を背にして    メテヒ教会     民族野外博物館 

 

 この旅では各地で大勢の子供たちに出会い、人懐っこい彼らの暖かい歓迎を受けた。顔立ちの綺麗な子が多く、服装など身なりも小ざっぱりしていた。今から20年前のことだから、本名がレバニ・ゴルガゼという栃ノ心が10歳の頃のことだ。ひょっとしたら会った子供たちの中にレバニ君が、或いは彼の友達がいたかも知れない。と想うと、地球は広いようだが、同時に狭いようでもある。

 

 因みに、2013年に15年ぶりに再訪したが、唯一の例外を除いて街はあまり変貌していなかった。その例外とはトルコから流れる風情あるムトゥクヴァリ川に架かる平和橋で、2010年5月に開設された歩行者用の橋である。イタリア人建築家の設計による斬新で未来的なデザインは今まで見たことも無く、その斬新さは昔の街並みの雰囲気を残すトビリシでひときわ群を抜いていた。この橋を歩いて渡ると、眼前に良く整備され花が咲き乱れるリケ公園が広がる。

 

  

可愛い少年・少女と交流 ムトゥクヴァリ川に架かる 平和橋を背にして

               ユニークな平和橋 

 

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 日本人横綱の稀勢の里が休場続きで、このままでは引退もやむを得ないであろう。栃ノ心にとってはその後釜を狙う絶好の機会であり、大関昇進の伝達式で述べた「力士の手本となるように、稽古に精進します。」に励めば、更に上の最高位も狙えよう。

 

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悪質タックルの日大は森友加計問題の安倍政権と似ている!?
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  GW連休を過ぎ6月近くになると、湿度の高いスッキリしないお天気が多くなってきた。やはり暦通り、間もなく梅雨入りではないかと思わせる。そのためであろうか、何となく体がだるくて倦怠感を覚える。それを癒してくれるのが玄関ポーチで咲く移り気な紫陽花(写真下)であり、北米東部が原産のカシワバアジサイ(写真上)と競うように咲き誇る。

 鬱陶しいのはお天気ばかりではなく「疑惑」という厚い雲が、国会を中心にずっと垂れ込める変な世相である。後期高齢者の筆者にとり、妻の見舞い・介護、持病の通院、買い物などで外出する以外は在宅する訳だが、最近テレビを視聴する時間が以前より多くなったようだ。これも認知症予防に良いかも知れない。

 

 だが、2018年4月9日付け幣ブログ『 It's Sho-Time ! 二刀流の大谷翔平選手が活躍するロサンゼルスを懐かしむ 』で紹介したメージャーリーグ野球の明るい話題以外は、混迷する我が国会の審議など疑惑だらけの諸問題が山積である。加えて反則や八百長などが無いフェアプレイを尊ぶスポーツ界で最近大きな問題になっているのが、日本大学の悪質タックル問題だ。今月6日の試合後2週間ほど経って問題が表面化したのである。

 

 アメリカンフットボールの日本大学と関西学院大学の定期戦で、日大選手が関学大選手に悪質なタックルをして負傷させた問題で、タックルをした日大選手が26日に謝罪会見をした。一種異様とも思える会見の模様をテレビで観ていたが、時系列的に詳しく説明して「悪質タックルは監督やコーチの指示による」などと述べた。悪質な反則は理由の如何を問わず責められるべきものだが、敢えて顔と名前を公にした姿勢は今の若者には無いもので、むしろ潔い清々しさに感動すらした。

 しかし、翌日に会見した監督は会見前に監督を辞任したとは言え、関学大選手を負傷させる指示を出していないと同席のコーチと共に否定した。監督から言われたと反則選手が語った「(けがをさせる)やらなきゃ意味ないよ」などとは、真逆の弁明である。また、日大のアメフト部監督であったばかりではなく、日本大学の常務理事で実質トップ2とも言われる前監督をかばうコーチの発言は釈然としないものであった。更に昨日も日大学長が会見したが、特に目新しい発言はなかった。この際、監督らには男の美学と言うものを一考してもらいたい。

 

 他方、国会では相変わらず低次元の空虚な審議が続く。長引く森友学園問題に加え、この4月に開学して収まりかけた加計学園の問題で、地元の愛媛県が提出した文書で安倍晋三首相の関与が再び浮上したのだ。よく考察してみると、森友・加計(モリカケ)問題は日大アメフト部の悪質タックルと実によく似ている。日大(前)監督は選手に反則を指示していないと頑なに否定するが、反則選手が悪質タックルで相手選手をけがさせたのは事実だ。モリカケに置き換えてみれば、上からの命令や上に対する忖度は無いと言うが、現実には国会を愚弄するような悪質な公文書の改ざんが行われた。

 正に国民を馬鹿にするような、絶対してはならないことを、公僕たる財務省が2年もやり続けるのは万死に値しよう。官僚に責任転嫁して逃げ回る行政の長である安倍首相と財務省の最高責任者たる麻生太郎大臣の連帯責任は、絶対に免れないであろう。口癖のように言っている膿を出して頂くのは、張本人の首相ご自身に他ならない。本日も夫人と仲良く手を繋いで機上の人となりロシアへ向かったが、我が総理は国会での厳正な追及をかわすように頻繁に外遊する。外交が得意と自負するが、拉致や北方領土などの諸問題は未解決のままで外交成果は皆無に等しいと言わざるを得ない。

 

 先述の男の美学と言えば、3月16日付け幣ブログ『 森友文書の改ざんと男の美学 』で居座り続ける安倍政権に進言済みである。また僭越ながら、同政権の官邸や、文書の隠蔽・捏造・改ざんが常態化する財務省などにアドバイス申し上げたいことがある。適材適所と膿を出し切る観点から、悪質タックルをしたが潔く非を認めた選手のような人材を採用されては如何と思料する。これこそ真の財務省改革に寄与するのではと・・・。

 最後に勝つのはウソや不正ではなく、正直や正義であるべき世直しを安倍政権は率先して実践してもらいたい。また、見掛け倒しの外交は暫く封印して頂きたい。それらが出来なければ、政権の安定を口実にしていたずらに居座るのではなく、男らしく一刻も早く出処進退を決めることを願わざるを得ない。人材不足の不甲斐ない野党に比べ、人材豊富な自民党には相応しい後釜は何人かおり、政権交代は問題無かろうと思うのだが・・・。 

 

後記

 関東学生アメリカンフットボール連盟(関東学連)は本日に臨時理事会を開き、悪質タックル問題で揺れる日大への処分を発表した。日大の前監督と前コーチが反則選手に悪質なタックルを指示したと認定し、両者を最も重い事実上の永久追放にあたる除名をした。一方、反則選手と日大アメフト部には2018年度シーズン終了までの出場資格停止が課されたが、反省文の提出等を条件に年度内でも理事会の承認を経て解除される条件付きだ。正直に陳述した反則選手に対する一種の温情とも受け取れ、連盟の真面な自浄力が機能した妥当で立派な裁定である。

 日大の悪質タックル問題が1か月足らずで膿を出したのに対し、森友加計問題の安倍政権は何年かけても膿を出し切るどころか、益々膿が溜まる一途だ。最近では首相経験者とは言え、辞任しないで居座り続ける財務大臣の横柄な失言や暴言にはうんざりする。この際は関東学連のようなスピーディーな対処を真摯に見習ってもらい、常識のある偽りの無い国会運営を望みたい。また、頻繁に首相交代が行われたとは言え、昔の自民党にはそれなりの自浄力があった。願わくば、疑惑まみれの安倍内閣の早期退陣の処分が出ることを!(5月29日)

 

              ◇◇◇  ご案内  ◇◇◇

 

世界の人形館のご見学

 筆者が館長を務める世界の人形館では、272カ国・地域の民俗人形、紙幣とコイン、仮面、壷、置物、絵画、木彫り、地球儀、時計、照明ランプ、絵皿、万華鏡などを多数展示しています。ご興味ある方はご遠慮なく、お気軽にご来館下さい。慈善活動につき、入館料は無料です。

 

   −−− 国境の無い平和な「世界の人形館」の館内風景 −−−

  

 但し、セキュリティなどのため、下記要領で必ず予約をお願いします。
TEL:04−7184−4745 又は Eメール: ko-yasu@maple.ocn.ne.jp 

 

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| スポーツ | 11:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
史上初の米朝首脳会談が開催されるシンガポールの今昔
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 筆者は1969年1月に旧ソ連を訪れて以来、半世紀近く世界を旅し見聞してきたが、この数十年で大変貌を遂げた都市(国家)が3つある。第一はドバイ、第二は上海、第三はシンガポールである。そのシンガポールだが、史上初の米朝首脳会談が開催される歴史的な場所になろうとしている。来る6月12日に、アメリカのトランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長が会談するが、過日の南北首脳会談で合意した「板門店宣言」で明記された朝鮮半島の「完全な非核化」に向け、米朝が合意できるかが最大の焦点だ。また、北朝鮮お得意の揺さぶりも予想され、会談実現までの紆余曲折は不可避であろう。

 朝鮮戦争(1950〜1953年)や冷戦時代を通じて約70年にわたり敵対関係にあり、核問題などで対立してきただけに米朝両国の首脳による歴史的な会談となろう。件の板門店宣言には朝鮮戦争の終戦を年内に宣言することが盛り込まれており、米朝首脳が分断状態の続く朝鮮半島に平和をもたらす道筋を示すことができれば、日本を含む北東アジアはもちろん、世界の安全保障体制にとっても大きな転換点となり得よう。また、会談が成功裏に行われば、今年のノーベル平和賞の有力候補になるのではとの声も出ている様。

 

   

                      (ネットより転用・加工済み)

 

 さて、会談場所だが、当初はヨーロッパの都市、モンゴルの首都ウランバートル、板門店あたりも候補地になった様だが、結局シンガポールに落ち着いた。では、何故シンガポールが選ばれたのであろうか?実は北朝鮮とシンガポールは意外に共通点が多いのだ。例えば、金一族の世襲体制が続く前者に対し、後者もリー(李)ファミリーの実質的世襲が続く。また、両国は建国以来、一党優位政党制であり、北朝鮮は朝鮮労働党、シンガポールは人民行動党が議会議席の大多数を占める。

 何と言っても注目すべきは、両国は国交がある友好国であることだ。人権問題などを抱えタカ派的な北朝鮮に対し、民主的なハト派のイメージが強いシンガポール、対照的な一面もあるが・・・。また、カジノ経営者がトランプ大統領の支持者であることや、シンガポールの政治的な中立性が高いことも決め手になったのであろう。ドバイと共に世界的な都市国家になったシンガポールを、筆者は1977年7月の初訪以降11回も訪れている。この40年ほどで様変わりしたシンガポールの今昔を紹介する。

 

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 商社マンとして1974〜1977年に駐在したクウェート勤務を終え、家族と共に帰国途中で立ち寄ったのが最初のシンガポール訪問だ。その後1979〜1984年にジャカルタに駐在時代は、飛行機で1時間半と近いため8回も出かけるほど虜になった。シンガポール最大の魅力はクリーンな「ガーデン・シティ」と呼ばれるほど緑が豊かで、中国系・マレー系・インド系の人々が絶妙に融合する多民族国家であることだ。

 1980年代前半まではまだ古い建物がかなり残り、イギリス植民地であった香りが強く漂う街並みであった。日中は華僑系の取引先と厳しい商談を強いられたが、夜になれば彼らに招待されて大きなナイトクラブに行き歓待されものだ。そこで中国系の歌手が舞台で歌っていたのが大好きな歌謡曲「北国の春」で、外国生活が長い筆者も日本が恋しくなることが往々にしてあった。

 

 2003年11月には約20年ぶりに再訪したが、インド人街を除き再開発が進んで古い街並みが壊され、近代的な都市国家に変身していた。例えば、シンガポール随一の名物である上半身がライオンで下半身が魚のマーライオンは移転し、セントーサ島というレジャーアイランドも開発が随分進んでいた。しかし、昔は大賑わいであったタイガーバウムはハウパーヴィラと改名、すっかりさびれ閑古鳥が鳴いていた。2005年7月は2人の孫などと3世代の家族旅行でナイトサファリなど楽しんだが、シンガポールでの最高の思い出になった。

 

              −−− マーライオンの今昔 −−−

             ビフォー         アフター

 

 

 

1977年7月妻・長男・次男と  2005年7月次男夫婦、孫達と

(マーライオンを背にして) 

 

      −−− セントーサ島の今昔 −−− 

       ビフォー       アフター

 

   妻・長男・次男と       次男夫婦、孫達と

    

 目を見張るような変貌を痛感したのが、2014年4月の旅である。マーライオンがあるマリーナ・ベイ地区で、近未来的でユニークな建物が増えたことだ。その代表がマリーナ・ベイ・サンズである。2010年7月にオープンした総合リゾートホテルは高さ200m、57階建ての3つの塔が屋上で連結し、その屋上には世界一高いプールまである。2561室のホテルのほかに、世界最大のカジノ、広大なコンベンションセンターやショッピングモール、多数のレストランやカフェ、美術館ある。また、アイススケート場や水の都ベニスを彷彿させる室内運河まであり驚いた。

 さらに、ホテルの東側に離接するガーデンズ・バイ・ザ・ベイも驚きを禁じ得なかった。2012年6月に開業したシンガポール最大の植物園施設は、総面積110ヘクタールという広大な敷地を誇る。様々なアトラクションが充実した中でも、一押しのオススメはスーパーツリー・グローブである。高さが25〜50mもあるツリーは、養成植物やシダ類を含め200種、16万本以上の熱帯植物を外壁に巻いた高層庭園だ。18本あるツリーのうち2本のツリーは、全長128mの空中散策路で繋がり、ここからはフラワードームなど含めガーデン全体を見渡せ近未来的な不思議な景色を堪能することができる。

 

      −−− マリーナ・ベイ地区の今昔 −−−

 

      ビフォー            アフター

  

  1980年代    マリーナ・ベイ・サンズ  近未来的な高層庭園

 

 先日81歳になり、足腰の衰えが身に染みる。加えて妻の長期入院もあり、今では海外旅行も容易ではない。もし出かける機会があれば、再訪したい国としてアジアではシンガポールがその最右翼になろう。小さい都市国家ではあるが、旅人をタップリ魅了するものが多々あるからだ。

 

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 振り返れば国際的な約束事を何度も反故にしてきた北朝鮮のこと、たとえ世紀の首脳会談が破談!?になっても驚いてはなるまい。対するアメリカもトランプ大統領は名うてのビジネスマン、あわば良くばノーベル平和賞狙いの会談を一種のディール(取引)と見做している様でもある。6月12日まで気の許せない毎日になろう。
 

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| 世界の旅−アジア | 20:14 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
14年ぶり首相に返り咲くマハティール氏とマレーシアの旅(3)
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 昨日(5月9日)行われたマレーシア総選挙(連邦議会下院、定数222)は即日開票され、マハティール元首相(92歳)が率いる野党連合が過半数の113議席を獲得して勝利した。野党連合の首相候補であるマハティール氏自身も、クダ州ランカウイ選挙区で当選した。2004年以来の国政復帰を果たし、14年ぶりに首相に返り咲くことになる。今後の政権運営の課題は、蔓延する汚職撲滅などであろう。

 一方、ナジブ首相(64歳)が率いる与党連合は79議席にとどまり、1957年イギリスからの独立後、初の政権交代が実現する見通しである。ナジブ政権は2013年の前回総選挙後、政府系ファンド(1MDB)の巨額資金流用疑惑などが発覚した。選挙戦では堅調な高い経済成長率を政権の実績としてアピールしたものの、国民の不信を払拭できなかった様だ。

 

 マハティール氏は我が日本にとっても所縁のある親日家である。医師から政治家に転じ、1981年にマレーシアの第4代首相になった。欧米ではなく、日本の経済成長を見習おうとのルックイースト(東方)政策を唱え、22年もの長期に及ぶ強力な指導力により、マレーシアを飛躍的に増大させた功労者である。92歳で返り咲く同

氏は世界最高齢の首相にもなる。

 

 さて、イスラム教徒が多い点で似通っている隣国のインドネシアに駐在経験がある私ことワールド・トラベラーは、1978年11月にマレーシアを初訪問以降、2008年7月まで6回も同国を訪れている。同国の概要などに就いては、既に2015年6月7日付け幣ブログ『キナバルの地震と悲劇(?』、2017年2月15日付け『金正男氏が殺害されたマレーシアの旅(2)クアラルンプール編』などで紹介済みだ。今回はクアラルンプール以北の西マレーシア(マレー半島)に関し、旅の模様を詳述する。

 

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 先ず、マハティール氏の生誕地、アロースターから始めよう。首都クアラ・ルンプールの北西462km、タイと国境を接するケダー州の州都で人口約22万人。20世紀初めまでタイの勢力下にあり、同国文化の影響も受ける。最初に訪れたのがマハティール氏の生家で博物館になっている、ルマ・クラヒラン・マハティール・モハマドである。かって医師であった同氏の一生やマレー人の生活ぶりなどを物語る展示品を見学したが、生存中に博物館があるのは極めて珍しい。

 この町で最も目立つのが、「アロースターの宝石」と称えられるザヒール・モスクだ。1912年に完成したムガール様式のモスクは、南インドのヒンドゥー建築からも影響を受けている。黒っぽい3つの大きなドームに迫力と美しさがあり、マレーシアで最大級のイスラム建築と言われる。このモスクから町の象徴、アロー・スター・タワー が望め、その展望台から360度の市街地のパノラマが楽しめる。モスクでもうひとつ見逃せないのが、町の北外れのアル・ブカリ・モスクである。地元出身の大富豪が建てたモスクだが、そのドームは言葉を失うほど優美だ。

 

       −−− アロースター散策スナップ −−−

  

        ザヒール・モスク      マハティール博物館を訪れた

                     ワールド・トラベラー

 

 ペラ州の州都でクアラ・ルンプールの北205kmに位置するイポーは、人口70万人を超えるマレーシア第3の大都市だ。1930年代にスズ鉱山の町として発展したが、商社マンであった筆者が訪れた1978年頃は鉱山閉鎖により町は停滞し、「死んだ」都市として知られるほど静かであった。その後現代的な街への再開発が図られ、30年後に再訪した時には旧市街よりも新市街が拡大し活況を呈していた。見どころはスズ景気の名残りを今も留めるイポー鉄道駅である。1917年に建てられたコロニアル風とムーア風の建築様式が混在し、まるで宮殿のような堂々たる建物だ。

 町の周辺には洞窟寺院がいくつかあり、市内から6km北のペラ・トンでは40体ほど仏像が安置され、中でも高さ13m近い金色の仏陀坐像がひときわ目を引く。また、郊外ではイポーから北西約50kmのクアラ・カンサーが見逃せない。風光明媚なペラ川畔に建つウブディア・モスクは、1917年ペラのスルタンの命で建たられた。金色のタマネギ屋根のドームと、聳え立つ尖塔ミナレットが青い天空に鮮やかに映える。イポーから西北へ86kmにあるタイピンでは、元はスズ採鉱場であった人造湖のレイク・ガーデンが見逃せない。緑に包まれた中国的な情景は山水画を鑑賞するよう。

 

    

           イポー鉄道駅     クアラ・カンサーのウブディア・モスク
     

 南シナ海を挟んで今も大自然が残る東マレーシア(ボルネオ島)のサラワクやサバほどではないが、マレー―半島にも緑豊かな自然が残る。例えば、クアラ・ルンプールの北東220kmほどにあるタマン・ネガラ国立公園は、マレー半島中央部の東、パハン州・クランタン州・トレンガヌ州の3州にまたがる。面積4343k屬六獲県に匹敵する広大な自然公園で、1億3千万年前からという世界最古の熱帯雨林に覆われる。巨木が立ちはだかるグプラタン・パヤをトレッキングし、手付かずの自然が満喫できるクアラ・テンベリン〜クアラ・タハン間のテンベリン川ボート遊覧を楽しんだ。

 また、クアラ・ルンプールの北190km、マレー半島中央部の西にあるキャメロン・ハイランドは、マレーシア有数の高原避暑地である。平均標高は約1500mで、年間を通じ気温が20℃前後と涼しい。英国統治時代に国土調査官ウィリアム・キャメロンが開発し、紅茶生産が盛んである。タイガーバームに少し似たユニークなローズセンター、国蝶ラジャ・ブルックがいるバタフライ・ファーム、丘の上に建つ豪華な中国仏教寺院・サンポー寺院などを訪ねた。

 

  

   タマン・ネガラ国立公園のグプラタン   キャメロン・ハイランド

  ・パヤをトレッキングする筆者        紅茶畑が広がる

 

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 マハティール氏が92歳で首相にカムバックするとは、誠にご立派であり驚きでもある。一回り若い81歳で人生を諦めた感のある筆者にとっても、考えさせられる点が多々ある。この人には「老害」という言葉は無関係なのであろう。生涯首相であって欲しい御仁である。

 他方、茶坊主議員たちにヨイショされ、森加計問題などで相変わらず往生際の良くない疑惑だらけのどこかの国の首相には、一刻も早くご退場願いたいものである。賞味期限がとっくに過ぎているにも拘わらず居座るとは、国民の間にどんよりと漂う空気が読めない御仁の様だ。

 

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| 世界の旅−アジア | 11:41 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
南北会談で想起した23年前の板門店と拉致問題で無力な日本外交
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 昨日(4月27日)は朝からほぼ終日、ずっとテレビに釘付けになっていた。また、軍事境界線で両首脳が初めて握手した板門店(パンムンジョム)の中心にある、あの特徴的な青い外壁のプレハブの建物が懐かしくてならなかった。噛みつくだけで滅多に褒めないトランプ大統領が、珍しく韓国と北朝鮮による南北首脳会談を「歴史的だ」と高く評価する。

 6月上旬までに開催予定のトランプ大統領と金正恩朝鮮労働党委員長の米朝会談に先立ち、昨日韓国の文在寅大統領と金委員長は板門店の韓国側にある「平和の家」で11年ぶりの南北首脳会談を行った。会談を終えた両首脳は、朝鮮半島の完全な非核化実現や今年中に終戦宣言し平和体制を構築するなどを目標とした「板門店宣言」に署名した。

 

 

      平和の家        文在寅大統領と金正恩委員長

                   (ネットより転用・加工済み)

 

 一見極めて平和的で歴史的な会談のようだが、肝心の非核化につき具体策はなんら示されなかった。アメリカが直ちに完全な非核化を求めているのに対し、北朝鮮は段階的な非核化と共に既存の核を保有したいのが本心であろう。いずれにせよ、非核化に関する米朝間の同床異夢の決着は来る米朝会談に委ねられた形である。予測不可能なトランプ氏だけに、どんなハプニングがあっても驚いてはなるまい。例えば、米朝会談の開催場所がひょっとすれば、同じ場所、つまり板門店になるかも・・・。

 他方、安倍晋三首相が過日わざわざアメリカへ出向きゴルフまで付き合ってトランプ大統領にお願いし、また南北会談前に電話で文大統領に要請した拉致問題は突っ込んだ話合いは無かったようである。拉致被害者の家族たちはきっと落胆したであろう。やはり2〜3流と揶揄される日本外交の無力を露呈した感じで、当事者意識が希薄な誠に情けないお話である。

 

 さて、筆者は今からちょうど23年前の1995年5月1日に北朝鮮側の板門店を訪れており、概要は2018年1月10日付け幣ブログ『平昌五輪に参加する北朝鮮の思惑』や2016年9月10日付けブログ一理がある(?)核実験とミサイル発射を止めない北朝鮮の旅』で紹介済みだ。今回は歴史的な会談が行われた板門店の北朝鮮側を詳述しよう。

 

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 朝鮮戦争(1950年6月25日〜1953年7月27日)後に北朝鮮と韓国の間には国境線はなく、あるのは1953年の休戦協定当時の戦線に基づく軍事境界線である。北緯38度線を挟み緩衝地帯である非武装地帯DMZは、境界線の南北2km、東西248kmに広がる。その総面積は905k屬發△蝓△修譴蝋畧邯の半分に相当する広さだ。さらに境界線の南5〜20kmには民間人の居住や出入りを制限する民間人統制線がある。

 平壌から車で約4時間、車窓からの風景をぼんやりと眺めながら板門店に向かった。田園地帯を通過し、山が近づいたり遠のいたりする。沿道では子供たちが牛にまたがって遊んでいたり、柴の束を背中に背負って山を下りてくる子供もいる。清らかな小川が畑の間を流れ、一昔前の日本の田舎を思い出させた。その鄙びた風景の中を、どこまでも一直線に道路が走っており、休憩所が1ヵ所あった以外は何もなかった。

 

   軍事境界線に近付くにつれ緊張感が走ったが、板門店に入る手前で「朝鮮は一つ」の看板(右写真)を見かけてホッとした。やがて入口ゲートに到着した。建物内には売店のほかに、停戦ラインの歴史などを説明するパネルがあった。板門店は休戦協定締結後に国連軍と北朝鮮軍の共同警備区域JASとして決められ

、四方が800mもない狭い空間で、北朝鮮・韓国双方の行政管轄権の外にある特殊な地域である。その後いよいよ板門店の敷地内に入った。

 

   

      板門閣(韓国側より)        板門店と韓国側を俯瞰

                       (板門閣より)

 

 先ず板門閣で国連軍所属の旧会議場に通されて説明を受けた後、板門閣の展望台に上り南の韓国側を一望した。展望台からは起伏の大きな丘陵地帯が一望でき、平和な風景が広がっていた。次に歴史的なスポットである停戦協定調印場に向かい、場内のテーブルの上には北朝鮮と国連の旗が立てられていた。また近くの停戦会議場に寄った後、いよいよ板門店の中心にある青い外壁のプレハブの建物に入り、軍事停戦委員会本会議場に案内された。会議場の中心にはテーブルがあり、そこに置かれたマイクのケーブルも軍事境界線を示すように配線されていた。

 

  

軍事停戦委員会本会議場を背にする   停戦委員会本会議場内部

筆者(南北首脳はこの後ろで初握手)

 

  

  停戦協定調印場で北朝鮮兵士と     停戦会議場前での筆者

 

 会議場内では北朝鮮・韓国双方から訪れた見学者が境界線を越えることが認められ、意外なほど平和なムードが漂い緊張感は全く感じなかった。因みに、国連軍は、主力の韓国やアメリカのほかに、イギリス、フランス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、ギリシャ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、コロンビア、トルコ、タイ、フィリピン、エチオピア、南アフリカの17か国から成る。

 

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 北朝鮮の非核化が実現すれば、この交渉に携わるトランプ大統領、文在寅大統領と金正恩金委員長辺りが今年のノーベル賞になるのではとの噂も出ているらしい。吉と出るか凶と出るか未だ分からないのに、誠に気の早い話である。因みに、ノーベル平和賞を受賞したにも拘わらず、なんら解決されていないのがイスラエルvsパレスチナ問題である。実力(実績)が伴わない人気(話題)先行のノーベル賞は、果たして如何なものか?

 一方、蚊帳の外に置かれた感じの我が日本にとり、懸案の拉致問題はアメリカや韓国などの他国頼みに依存するような能天気では根本的な解決にならない。金太郎飴の如く制裁や圧力の継続を遠吠えするのではなく、北朝鮮が真に欲しがる経済援助などにつきズバリ実利的な突っ込んだ交渉が望まれよう。トランプ大統領が持つようなビジネスセンスが、無力な日本外交に必要であろう。拉致被害者の家族の高齢化を考えると、一刻の猶予も許されまい。

 

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| 世界の旅−アジア | 18:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
 国名変更するアフリカ最後の絶対君主国スワジランドの旅
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 「信無くば立たず」「膿を出し切る」などと度々仰るが、一向に潔く退陣しない我が総理。僭越ながら申し上げれば、或る意味では独裁者かも知れない。他方、アフリカの或る国で様々な非難を浴びているユニークな独裁者がいる。

 

 スイスは小学生でも知っている国だが、アフリカ南部のスワジランドを大人でも知っている人は僅かであろう。この両国の国名が紛らわしいとして、このほど同国の国王ムスワティ3世(50歳)が国名を「エスワティニ」に変更すると発表した。つまりスワジランドの国名表記「Swaziland」が、スイスの英語表記「Switzerland」と勘違いされることを防ぐためとか。

 面積は四国とほぼ同じ1万7363k屬如⊃邑は約130万人。南アフリカとモザンビークに囲まれた小さな内陸国は国際社会ではほとんど無名だが、1986年に即位した現国王はアフリカで最後の絶対君主として知られる。なんと夫人は15人もいるが、前国王のソブーブ2世は100人を超す妻がいた豪傑とか。多数の妻のためにいくつもの宮殿を建設するなど豪奢な私生活ぶりや、強権統治に対し人権団体から再三批判されてもいる。

 

 

                                   国王ムスワティ3世

 

 ところで、新国名のエスワティニだが、英語と共に公用語になっているスワティ語の名前で、”スワジの地”を意味する。因みに、国名変更例としては、ローデシア ⇒ ジンバブエ、ビルマ ⇒ ミャンマー、キルギスタン ⇒ キルギス、グルジア ⇒ ジョージアがある。また、最近ではバルカン半島の小国・マケドニアがギリシャから国名変更を迫られており、詳細は2018年3月7日付け幣ブログ『国名変更で揺れるマケドニア紀行』で紹介済みだ。

 さて、1968年にイギリスから独立したスワジランドで有名なのがHIV感染率が世界最高で、エイズ蔓延などで平均寿命は40歳台と言われる。また、近年アフリカで圧倒的に覇権拡大を続ける中国に対し、スワジランドは台湾を国として外交関係を結ぶ数少ない国の一つでもある。日本人も滅多に訪れないであろう稀有な国を、272か国・地域旅した私ことワールド・トラベラーは2001年11月に訪れており、その模様を紹介しよう。

 

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 もちろんスワジランドへの直行便は無く、成田から香港と南アフリカのヨハネスブルグで乗り継いで向かった。先ず同じような内陸国レソトに寄った後、またヨハネスブルグ経由でスワジランドの玄関・マンジニに着いた。首都は人口約6万人のムババーネだが、そこから南東41km、エズルウィニ渓谷の東に位置するのが、最大の町マンジニである。

 同国唯一の商工業都市で、人口は約11万人。ダウンタウンは思いのほか大きく、なかなか活気があるが特に見るべきものはなく、見どころは近郊である。空港があるマツァファは標高が約1000mだが意外に暑く、一面のパイナップルやサトウキビの畑が広がる。また、ろうそく工場やバティック工場があり立ち寄った。

 

   

  マンジニのダウンタウン  マツァファのパイナップル畑

               でのワールド・トラベラー

 

 観光スポットが多いのは、標高1500mほどの高原と渓谷が美しいエズルウィニ渓谷の一帯であるその中心がロバンバで、王宮と議会が置かれている王都である。渓谷内にあるマンテンガ自然保護区の中には、スワジ族の伝統的な村を再現したスワジ民族文化村がある。昔ながらの草葺の家に一夫多妻制のスワジ族家族が実際に住んでおり、興味ある文化や風習を色々見せてれる。

 

  ( マンテンガ自然保護区のスワジ民族文化村を訪れた筆者 )

    

 

 一方、泊まったロイヤル・スワジ・サン・ホテルは、カジノや広大なゴルフ場付きの豪華なリゾートホテルだ。緑の芝生と花が咲き乱れる森に囲まれ、美しいプールサイドでうたた寝をして至福の時を過ごした。また、スワジ文化を展示する国立博物館は質素な佇まいの建物だが、素朴な展示ぶりがむしろ印象に残った。

 

 

        エズルウィニ渓谷     ロイヤル・スワジ・サン・

                  ホテルで寛ぐ

 

 スワジランド各地を回った後は、車で隣国のモザンビークへ向かった。ほぼ一直線のきれいに舗装された道を約100km、2時間走ると標高はどんどん下がり、インド洋に面する首都マプトに着いた。涼しい高原地帯にあるスワジランドに比べ、暑くて湿気があった。この旅ではモザンビークを出た後は、ザンビア・タンザニア・コモロ・南アフリカを周遊し、3週間に及ぶ刺激的なアフリカ紀行を堪能した。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 スワジランドでは、国王に強大な権力が集約され、政府の要職の多くを王家が占めるなど絶対君主制の様相を呈している。また、国民の僅か1%ほどの白人が経済の実権を握り、私有地の大半を保有する。人々の生活水準は低く、電力の約80%を南アフリカからの輸入に依存する。更に国民の1/3が貧困層の窮状を無視し、王室費だけでは飽き足らず少ない国家予算に手をつける始末だ。

 特に多数の妻のためにいくつもの宮殿を建設するなど、その散財癖が各国の非難を呼んでいる。また、処女のみが参加を許されるリード・ダンスという国王のためのダンス儀式も毎年恒例となっており、数万人もの処女が参加する。しかも、参加した女性の中から、国王は新しい妻を選ぶようだ。一方、国王は自分より強い者とは戦わないと言う不戦も貫いており、何かと話題の多い御仁のようである。

 

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| 世界の旅ーアフリカ | 20:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
81歳と春の花と国会混迷
11

 私事で恐縮だが、本日(4月13日)は筆者の誕生日である。満81歳になったが、これは我が国の男性平均寿命と同じで、厚かましくも人並みに生き抜いてきたことになる誕生日には妻と外で会食するのが慣例だが、その妻も3年前から認知症で入院中のため傍にはいない。そこで病院を訪れ彼女に81歳になったことを伝えたところ、”お父さん、もっと長生きしてね”と言い、ふと右目を見るとうっすらと涙が流れていた。一方、妻に年を聞くと、分からないと言う。

 実は75歳だが、アルツハイマー病を患って脳の萎縮が止まらず、自分の年さえも分からないのだ。残念ながら1年ほど前から寝た切りになり、経口摂取も出来ない終末期を迎えている。元気な時はあれほど快活に笑った笑顔も、悲しい時はあれほど流した涙も、最近は共に無く無表情である。ところが、本日は珍しく饒舌になり、少しだが涙も流してくれた。既に他界は時間の問題と言う結論が出ながら、なお延命医療を続けざるを得ない悲しい現実に葛藤する毎日を送っている。

 

 このような中途半端な介護・見舞いがいつまで続くのであろうかと思うと、切なく虚しくもなる。その行き場の無いはけ口を求めるかのように、妻が入院後はガーデニングに精を出している。マンション住まいだが、幸いにルーフバルコニーと玄関ポーチを合わせて70屬曚匹里なり広いスペースがあり、四季折々の花を咲かせようと様々な鉢やプランターを置いている。今の季節柄、春の花として、遅咲きの八重桜や枝垂桜、チューリップ、つつじ、ストック、パンジーなどがある。

 

  

 ポーチで咲くチューリップ、つつじ、バルコニーで咲く八重桜、つつじなど

  ストック、パンジーなど

 

 時々(男性なのにと言いたげに)なぜ花いじりに精を出すのですか?と来客に問われるが、妻の代わりとして生甲斐を花に求めているのかも知れない。また、花は人間のように物は言わないが、水をやるなど丹精を込めて手入れすれば、それに応えるかのように美しい花を咲かせてくれる。人間様のように裏切ることが絶対に無いのだ。誠に嬉しいではないか。

 

 裏切りと言えば、最近の安倍政権は堕落し、私物化は目に余る酷いものだ。例えば、財務省関係では森友学園問題で国有地取引に関する決済文書の改ざん、文部科学省では加計学園問題で首相案件と発言した首相秘書官、防衛省では南スーダンPKOと陸上自衛隊のイラク派遣の日報問題、厚生労働省では裁量労働制の不適切データ問題など目白押しで、国会は混迷して形骸化している実情だ。税金の無駄遣いの何物でもなく、国民に対する背信である

 今や1億総疑念を抱いているにも拘わらず、安倍晋三首相はじめ誰一人潔く大臣を辞めようとせず、厚顔にも居座り続ける。3月16日付け幣ブログ『森友文書の改ざんと男の美学』の通り、黒白をハッキリ付ける欧米諸国では、この種スキャンダルは即退陣である。発展途上国ではクーデターが起こり命が狙われたりもするが、誠にオメデタイ平和ボケした我が日本では斯様な過激なことは起こりにくい。と言って現政権に甘えてもらっては国民は迷惑千万である。安倍内閣の消費期限がとっくに切れていることを忘れてはなるまい。

 

 国内では数々の不祥事を抱えるが、外交だけが得意とされる安倍首相は確かにキャリアは長くなったが、具体的な成果は何一つ上げていない。例えば、北朝鮮の拉致問題、ロシアとの北方領土問題、アメリカのTPP復帰等の通商問題など諸問題が山積だ。にも拘わらず、4月17日からの訪米では、またトランプ大統領とのゴルフにうつつを抜かす見通しのよう。その無神経さはとても理解し難く、いい加減にしてもらいたいものだ。

 

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| ワールド・トラベラーの人生 | 22:51 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
It's Sho-Time ! 二刀流の大谷翔平選手が活躍するロサンゼルスを懐かしむ
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 世間には血液型に拘る人が多いそうだが、間もなく81歳になる筆者は若い時からその血液型には全く無頓着であった。しかし、最近気になる孫のような存在の若者がおり、それはアメリカのメージャーリーグ野球のロサンゼルス・エンゼルスで大活躍する大谷翔平選手(23歳)である。30センチ近く背が高い彼とは一つだけ共通点があり、血液型がB型であることだ。常人では出来ない二刀流に果敢に「挑戦」する同選手だが、筆者も大好きな言葉だ。

 今年から日本ハムからロサンゼルス・エンゼルスに移籍したが、開幕当初から投手と打者を共に本格的に行う二刀流選手として見事にプレーしている。開幕後エンゼルスが戦った8試合で、投手として2勝、打者として3本塁打という凄すぎる結果を出しているのだ。オープン戦では投打共に散々であったため厳しい批評をしていたメディアも、今では手のひらを返したような絶賛ぶりで、全米が熱狂しているようだ。

 

 ロサンゼルス・エンゼルスの本拠地があるのはロサンゼルスの中心ダウンタウンから南東約45km、アナハイムという町である。ロサンゼルス大都市圏では第4位で、人口は約33万人。町の名物と言えば、

エンゼルスタジアム

ディズニーランド・パークである。「ミッキーマウス」の生みの親であるウォルト・ディズニーが1955年にオープンした本格的なテーマパークで、この近くにエンゼルスタジアムがある。

 筆者は商社マン時代の1983年5月、1986年1月と9月にロサンゼルスに業務出張したほか、1998年12月には妻・次男夫婦・2歳になる初孫(男児)を引率してディズニーランドをはじめ、ロサンゼルス各地を訪れたことがある。長年の夢が実現した初めての3世代にわたる至福の家族旅行を堪能した訳だが、その出張や旅の模様を紹介しよう。

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

 アメリカの都市には夫々その街なりのイメージがある。例えば、摩天楼がそびえ立つニューヨーク、霧と坂の街サンフランシスコなどだ。しかし、人口が全米第二の大都市だが、これと言った決定的なイメージが無いのがロサンゼルスと言えよう。例えば、映画のハリウッド、豪邸のビバリーヒルズ、雑然としたダウンタウン、世界的なテーマパークのディズニーランドやユニバーサル・スタジオなど観光スポットは結構多いが、つかみどころが無く摩訶不思議な街がロサンゼルスである。それが却って旅人を魅了し、虜にするのであろう。

 人口が1600万人を超えるロサンゼルス大都市圏のほぼ中心に位置するダウンタウンの見どころとしては、アメリカ最大の日本人街であるリトル東京があり、日本人として郷愁を覚えるスポットだ。ここから約400m西進するとシビック・センターがあり、建物の上部が日本の国会議事堂に似た市庁舎などの行政機関が集中する。また、ダウンタウンの北外れにはメージャーリーグのロスアンゼルス・ドジャースの本拠地ドジャース・スタジアムがあり、場内見学ができる。

 

        −−− 家族でダウンタウン散策 −−−

  

    リトル東京      市庁舎      ドジャース・スタジアム

 

 このスタジアムから西へ5kmほど行くと、映画の都ハリウッドがある。メインストリートのハリウッド大通りに面して建つチャイニーズ・シアターは赤と緑が鮮やかな中国風の建物で、話題の映画が上映される。この大通りに面するウォーク・オブ・フェイムという歩道には、ショービジネスで有名になった人たちの名前を記した星形のブロンズがはめ込まれている。ハリウッドから少し西へ向かうと、豪邸が建ち並ぶビバリーヒルズがある。

 一方、ハリウッドから約4km北上するとユニバーサル・スタジオがあり、お馴染みのハリウッド映画のセットを見学できる。6500万年前に迷い込むジュラシック・パーク・ザ・ライド、炎の嵐が吹き荒れるバックドラフト、映像とライドを組み合わせたバック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド、4両編成のバスに乗って映画のセットやワンシーンを体験するするバックロット・トラムツアー、1950年代を再現した華やかなショッピングゾーンのユニバーサル・シティウォークなどを回った。

 

            −−− ・ユニバーサル・スタジオ−−−

  

   チャイニーズ・        ジュラシック・パーク      玄関前

 シアター前の筆者

 

 ダウンタウンから西へ約15km、太平洋に臨むサンタモニカは、美しいビーチに爽やかな潮風が吹き、どこを歩いても開放的な海を感じる。砂浜で寛ぐ祖母・娘・孫の3世代ファミリーと仲良くなり、しばらく屈託なく談笑した。他方、東約66kmにあるオンタリオ・ミルズは、総敷地面積16万坪、テナント数が210以上もある大きなショッピングセンターだ。買物だけでなく、アミューズメント重視のショッパ−テイメント(ショップ+エンターテイメント)となっており、楽しくなる雰囲気がある。

 最後にアナハイムにあるディズニーランドでは、シンボルである眠れる森の美女の城、タウンスクエア、セントラルプラザ、西部開拓時代を再現したビッグ・サンダー・マウンテン鉄道、アニメーションの宇宙をめぐるアストローオービター、ミッキーと記念撮影できるトゥーンタウンなどを訪れた。巨大なテーマパークの先駆けだが意外に狭く、日本の東京ディズニーランドの方が広くて面白いのが率直な実感であった。

 

  

      サンタモニカ    オンタリオ・ミルズ  妻とディズニーランドで

             を散策する筆者     童心に帰り遊ぶ

 

   ☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆━…━☆

 

  最後のロサンゼルス旅行から早や20年が経つ。初孫は大学生になり、同行した妻は悲しくも3年前からずっと入院中で終末期を迎えている。他方、日本の若者が外国で輝くように活躍する姿を見ると、時の流れと己の老いを痛感する昨今である。

 記録達成も大事だが、先ずは大谷選手が怪我無くシーズンを終えることを祈念したい。また、今後ずっと順風満帆は至難であろうし、あるかも知れない挫折を前向き志向で乗り越えて欲しい。It's Sho-Time 頑張れ、

 

 

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| 世界の旅−北米 | 13:28 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑TOP
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